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どうやら今年の札幌は117年ぶりの暖かさだという。 過去にこんな暖かな春先があったとは驚きであり、それと共に何故だかちょっとした安堵感が込み上げ、この先の117年北海道が北海道らしく存在することを祈りたくなった。
さて、癖というのか反射というのか知らないけど例えばビートたけしがコクリコクリと首を横にかしげるように、犬にも時々妙な反応をするこがいる。 今夜のお泊り犬はそんなウェスティMちゃん。
不安・緊張・ストレスがかかると歯をカチカチと咬み合わせる。 シェルティなんかに多く見られる反応だが、Mちゃんはちょっと病的だ。 カフェに入ってきた時からまるでカスタネットのようにカチカチ鳴らし、舌を出しては咬み合せる時に引っ込めるの繰り返し。
飼い主から引き継いだ時はその緊張がピークに達したものだから、舌を引っ込めるのが間に合わず口から血を流し始めていた。 既に4歳の成犬なのに…
その後多少の落ちつきは見られ、出血した部分も綺麗になったものの、うろうろしながらずうっとカチカチやり続けていた。 5時間ほど経ってようやく慣れと疲れが加わり、座ったり伏せたりしていたが、それでも本質は何も変わらず見ている私たちの方が疲れてしまった。
病気としての本当の“分離不安”なのだろうか? そもそもそんな『ビョーキ』は存在せず、誤った育て方に対する犬としての正常な反射反応と考えてる私には貴重な教材となっている。 いつもならさっさと制御して落ち着かせる私だが、今日だけは違い、何時間も行動を観察し、様々な刺激を与えては反応を確かめていた。
それでもあまりにうるさいので「ペットショップか動物病院にでも預けようか」と冗談を飛ばしていたら、Kの方がMちゃんを叱った後に言い聞かせをしていた。 するとMちゃんは私にまとわりつき「どうかひとつ助けてください。頼れるのはあなただけです」という行動を取り始めた。
いつもは私が叱るから私は嫌われ、どの犬もみんなKを頼るようになるのに今日は逆のパターンなのである。 なんとも愉快でおかしな光景だった。
だが、カフェの閉店後2階にMちゃんを上げてからは私の態度もいつものようになってきた。 7時間も観察していれば病気かそうでないかはおおよそ分かるものだから。
病気なら医学的治療をするか自然治癒なり自己治癒力によってのみ回復するはずで、『治れ!』と私が怒鳴っても治るはずはないものであろう。 それが私が怒鳴ってから口のカチカチは止まり実に平穏な顔をしているのはどういう訳と説明すればよいのか。 これまでの飼い主の接し方がこの犬が本来持っている弱点を増徴させたと考えるのは不自然だろうか?
それでもこの犬に対する私の診断は今のところ病気半分育て方半分といった重症患者の範疇にある。 病気なら私に対応できないし、これを精神的な病気と誤魔化すなら私の接し方は『行動療法』にあたるかも知れない。 何でも病気のせいにして『治療しましょう』というのは飼い主の精神的負担を減らすのには効果的だが、根本解決には至っていない。
『あなたが育てた犬が育てたようにそのままの姿で目の前にいるのですよ。』 ちょっと酷で無謀ではあるが“分離不安”を示す犬の飼い主にはその位の表現でも足りないと感じる。
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