From the North Country

ゼオライト 2008年04月27日(日)

  天気予報によると明日の富良野地方では雪が舞うらしい。
強い風と冷たい雨が時折降る一日だった。

さて、最近カフェのガーデンを気に入ってくださる方が多く「ここに撒かれている白い石は何ですか?」との質問をよく受けるようになった。

ガーデンを覆っているのはゼオライトという天然鉱石で、広範囲の用途で土壌改良に用いられ農作物の収量を増やすのに役立ったり、動物の糞尿を吸着して臭いの発生を抑制したりと優れものの鉱石である。
この他にも家の床に敷き詰めれば湿度調整やシロアリの進入を抑制し、冷蔵庫に入れれば活性炭代わりの効果を上げるし、食べると下痢止めにもなる安全でお役立ちの代物である。

カフェの開設当初はガーデンの緑化計画を立てて、緑の草に覆われ、犬の糞尿にも枯れることのないガーデン造成を実行していた。
だが6ヶ月かけて育てた緑が駆け回る犬たちのパワーであっという間に掘り返され、雨が降るとぬかるみになってしまう現実を前に方針転換を余儀なくされた。

過去に知識のあったゼオライトのことを思いついたのはその頃で、販売業者をネットで探し、ガーデンの広さに必要な量を教えてもらい、値段交渉を続けて導入に踏み切った。
当初1袋20キロが定価3000円でガーデンには30袋ほど必要だろうということだったが「これからもまとめて購入する」と半値以下に値切り倒した。

『勝利は我にあり!』と思ったのも束の間、撒いた30袋のゼオライトはあっという間に泥に飲み込まれてしまい、その後20袋、30袋、50袋と追加撒きを繰り返し、合わせて500袋程を投入した頃からようやく現在のガーデンが出来上がった次第である。
最初から10トンをトラックで搬入した方がずっと安上がりだったろうが、当時はどの程度必要になるのかも分からないし、まとめてその支払いをする余裕もなくチマチマと買い続けるしかなかったのだ。

カフェが1頭につき200円の入店料を頂く理由のひとつであり、現在でも年間50袋ほどメンテナンスに必要としている。

そのゼオライトを譲って欲しいという相談が増えているのだ。
5年目に入ってもなお、毎日何十回と犬たちが排泄しているのに臭いがないという効果を認められてのことだと思う。
臭いがないのにはもうひとつ理由があるのだがそれは後日紹介するとして、見た目も美しいこの白い鉱石にともあれ人気が出てきている。
まさかドッグカフェでの販売品目になるとは思っていなかったので、僅かな手数料しか頂いていなかったのがチョイ悔やまれるけど喜んでいただけるならよしとしよう。
仮に販売数量が増えれば仕入れ値をさらに値切るという方法も残されているはずだ。

愛犬の排泄場所での臭いが気になる方で、化学薬品を使いたくないとお考えの方はカフェにご相談くだされ。
ただし発送は出来かねます。
ネットでは1キロ500円なんてとこもあるからお買い得ですよ。
エクステリア系の商売もやり始めたカフェであった。
 

大型犬ゆえの配慮 2008年04月26日(土)

  いつものお客様に少しだけ新しいお客様が混じる程度でカフェはさほど混み合うことなく丁度良いGWの滑り出しだった。
明日からの二日間は雨の予報だしお預りわんこも週末までは少ないのでのんびり過ごせそうだ。

ところで、カフェに慣れた小型犬たちは大型犬が自分たちに無礼な振る舞いをしないことを知っているから、一緒になっても平然とガーデンで遊んでいる。
大型犬は小型犬を追い回したりしないけど、臭いを嗅ぎたいものだからついて歩くことがある。
あまりしつこいと小型犬に一喝されるか私に睨まれるのでその辺は慎重である。

ガーデンにはそんな空気が流れているので控えめな新人犬がやってきても比較的速く馴染むことができる。
私の出番がやってくるのは慎重さを通り過ぎ過敏反応をしたり、いい気になってジェントルな先住犬に吠え立てる犬が現れた時とか、『よぉ!みんな遊ぼうぜ!』と相手の気持ちも考えずにはじけるわんこが現れた時に犬たちを避難させたり、その犬に付き合える相手を選ばなければならないような場合だ。

先日も、他犬には充分に慣れて少々のしつこい臭い取りも我慢できるチワワのらむに対して、まるで獲物を見つけたように追い回すゴールデンが現れたことがある。
さすがのらむもその時ばかりは悲鳴を上げながら逃げ回ってしまったらしい。
普通の小型犬ならそれ以降ゴールデンや大型犬を怖がったりするものだが幸いにも経験豊富ならむに後遺症は残らなかった。
追い回す犬に悪気はなくただ激しく遊びたいだけのことだろうが、相手にとっては生涯の恐怖体験となることもあるから、そのような状況下に私がいたなら躊躇なく蹴飛ばしてでもゴールデンの暴走を食い止めたことだろうし、その犬の飼い主はその咄嗟の処分を受け入れなければならないと思う。

見知らぬ弱い相手を思いやるというのはそういうことで、どんなに自分に悪気がなかろうとも相手の生命や将来を脅かすようなことには慎重でなければならない。

この考えを『喫煙による副流煙も…』とか『車に乗れば毒ガスを排気』などとややこしい話にするのではなく、『今そこにある危機』は抑制するという即座の判断項目に加えておきたいものだ。
つじつまの合ったことを書いているかどうか、飲み過ぎた今夜の私には分からない状況に陥ったかも。
おやすみなさい。
 

GW前の骨休み 2008年04月25日(金)

  気温が15度を下回ると寒く感じてしまうようになった自分に驚き、20度を超え続けた先週のうちに集めたエアコンのチラシを今夜はストーブの効いた部屋で眺めている。

定休日の今日は6頭のわんこを車に乗せて近くの平岡公園に出かけた。
Kがチワワ2匹と優雅に歩き、私が白黒のラブ2頭とアモそれにレオンベルガー計4頭のリードを持って散策する姿は否が応でも目立ったことだろう。

公園ではキタコブシ・エゾリュウキンカ・水芭蕉が咲き誇り、梅公園の紅白それぞれの梅も蕾から5分咲きまで充分満足できる美しさを見せてくれた。
これまで原始林やレクの森を数時間も駆け回ってきたアモにとっては物足りなさもあったはずだから、夕方には久しぶりに二人だけで散歩に出かけてきた。
気温が低かったので私の左膝が注意信号を発しており、明日も寒いようならサポーターで保護した方がよさそうだ。

結局今日はこれといって何もせず、犬たちと過ごしただけの休日だった。
私が単独行をしたのは安いうちのガソリンを満タンにしてきた時だけ…

いよいよゴールデンウィークが始まる。
今朝気がついたらジャーマンポインター/ヴォーノの父さん母さんがビオラのフラワーポットを7鉢とスタンド用の花(もう名前を忘れてしまった)を飾ってくれていた。
殺風景なカフェ周りに花が添えられ、それだけですべての準備が出来たように思えてうれしくなった。
 

頑張るぞ!ゴールデンウィーク 2008年04月22日(火)

  駐車場の山桜が咲き始め、夕方の散歩の時間には空き地で北キツネが日向ぼっこを楽しみ、草むらからはつがいのキジが大きな羽音を立てて飛び立っていった。
先に色鮮やかなオスが飛んだのはメスの為に我々の注意を引きつけようとしたのかそれとも敵前逃亡か?
ともあれ連日の初夏の陽気にみんなうきうきしているようだ。

さて、今年のゴールデンウィークはカフェをお休みにしてお泊り犬たちの管理に専念しようかと考えていたが、やはり経営的には無理がある。
まあ例年GWでもカフェが混み合うことは滅多になく、せいぜい1日か2日位だが初めて来店するワンちゃんが多いとルールを説明したりトラブルを未然に防ぐために他犬との相性を確認したりと何かと忙しくなり、お泊り犬に目が行き届かなくなる心配があった。

たまたまトリミングの予定表を見たら、毎年の事ながらその期間は予約が入っていなかった。
そこで、もし忙しい日があればトリミングルームをお泊り犬の控え室にしてトリマーのAsamiちゃんに犬たちの管理をお願いすることでカフェを営業することにした。

取り越し苦労に終わるだろうけど『備えが出来た』というだけで気持ちは随分楽になるものだ。
木金の定休日が連休にかかってないのもラッキー!

私たちの休みはGWが終わってからゆっくりと。
5月中旬以降に臨時休業を考えておりますのでその際はホームページでご案内いたします。
なお、5月18日(日)の営業はAsamiちゃんの結婚式のため午後3時までとさせていただきます。
 

犬と暮らす道を選んだ知人 2008年04月20日(日)

  「あら!マイケル!」
カフェに入って来られた6年ぶりの女性の名前がすぐに浮かばず、直感的に私はそう声をかけた。
「マイケルは死んじゃいました。」
そう言った女性の手には生後5ヶ月のラブラドールのリードがしっかり握られていた。

6年ほど前、盲導犬の繁殖ボランティアのお宅でたびたびお目にかかっていたNさんだった。
話を伺うと、愛犬のマイケルを亡くし、二人の子供が独立しさらに2年前にご主人も他界されて、これからの人生を二人で生きていくために選んだラブラドールと散歩をしているうち「確か長崎さんのお店はこの辺りのはず」と探し当てて来られたとのことだった。

ペットショップではなくちゃんとしたブリーダーに頼んで、自分のライフスタイルにあった仔犬を待ち望み、ようやくめぐり合えた愛犬なっちゃんは性格のいいラブだった。
でも「これからこの子といろんなところへ出かけて楽しもうと思ってます」とNさんが希望する割には基本的なことが教えられていなかった。

まずはトイレのしつけ。
Nさんはブリーダーに教えられたとおり、室内に数箇所のトイレを設け、徐々にその数を減らして今では決まった場所で排泄をしてくれると安心していた。
「シーシーとかベンベンの言葉は理解していますか?」
私の問いかけに「え?」とNさんは怪訝な顔をした。
案の定Nさんは“トイレのしつけ”を誤解していたのだ。
つまり犬が排泄したくなったら決められた場所に行って室内を汚すことなく勝手に用を足してくることを“トイレのしつけ”と勘違いしていたのである。
そして多くの方がまたそのように思い込んでいる。

どこがおかしいのか?
我が家もそうだしNさんもまた『愛犬といろんなところへ出かけたい』という前提で暮らしている。
ならば『今、シッコしておきなさい。』『ウンチしておきなさい』という場面は度々あるはずだ。
犬は先の予定を知ることはできず、知っているのは飼い主である。
これからショッピングモールに出かけるとか、フェリーに乗るとか、『したくなったら排泄すればいい』では困ることがしょっちゅうあるのだ。

ドッグカフェでもペットシーツのうえで排泄した犬を褒める人がいるけど、もし隣で私がカレーを食べていたら『ウソだろう。なんでこんなところで排泄するの?』と不愉快になってしまう。
『入店することは飼い主には分かっていることなのだから、そんなことは入店前かガーデンに行って済ませておけよ』となるのだ。
犬はサルのように排泄コントロールが出来ない動物ではなく、人間と同じように“わきまえとコントロール”が理解できる動物なのだ。

『シーシー』の指示で排尿し『ベンベン』でウンチをするのは盲導犬では当たり前だし、盲導犬だからということではなくどんな犬にでも簡単に教えられることで、教えられた犬は本能的にも満足する基本中の基本のことである。

「そうか!なるほど」Nさんは大きく頷いていた。

次に車酔いの傾向があるのに対策を取っていなかったこと。
「車に乗れなきゃどこへも行けないよ」
「そう。でも吐いてしまうし、嫌がるんです」
「どうせ独り身で気楽なんだから、昼間はエンジンをかけない車でなっちゃんを乗せて何週間か読書でもしてなさい。たまにおやつを上げてもいいし。後は分かるでしょ?エンジンかけて読書して…生活空間の一部にしてしまえばいい。それからちょっとバックしたり車庫入れしたりとか…そんでまたお昼寝でもすればいい。」

時間たっぷりのNさんはニコニコしながらカフェを後にした。
「ある程度なっちゃんと距離を置くんだよ。あんまりのめり込みすぎると10数年後の別れが辛くなるよ。」
私の言葉は空しく右から左へ抜けていたようだ。
ご主人を亡くしどうせ分からぬ先のことを体験してきた人に、先が見え始めている私が同輩として叫んだところで意味を成さないのは充分分かっている。
ジジババは後先考えず思いっきり感性のまま楽しく生きればいいんだよね。
応援するよ。
 

誕生日のお裾分け 2008年04月19日(土)

  今夜は窓を開け上半身裸でこの欄に向かっている。
日中の気温が20度を超えて余熱が残っているうえ、Iさんが引っ提げてきてくれた琉球泡盛長期熟成古酒『蔵』の芳醇でまろやかな味わいが身体を火照らせてしまったからだ。
北海道の4月というのは冬でも春でもない季節のはずなのに今年はまるで初夏の陽気でこの先が恐ろしい。

さて、昨日は我が家の愛犬アモの7歳の誕生日。
丁度定休日だったしお泊り犬はすっかりカフェに馴染んだ凛・晴ちゃんだけだけだったので、彼らにお留守番をお願いして水芭蕉を見に出かけてきた。
少し早いかと思っていたら正に見頃でラッキーだった。

アモにはドライブ中に発見した『豆腐屋さんの豆乳ソフト』をちょこっと与え、同じく偶然見かけたイチゴ栽培のお店のシュークリームをちょこっと。
誕生日ですから…

帰宅後は留守番をしてくれた凛・晴ちゃんを連れて長めの散歩に出かけ、夕食にはおすそ分けのトッピングを加えた。
『この子達は留守番が平気だ』と分かったので、さらに調子に乗って夜になるとアモも残して私たちは2週間ぶりの里塚温泉を満喫させていただいた。
お土産の若鶏の半身揚げを今朝の食事にトッピングしてあげたら、昼過ぎにちょっと緩めのウンチをした凛。
その後は体調を戻して良好便で、夜の食事を楽しみにしていたようだが『誕生日は昨日の話』だから期待に沿うことはなく、いつもの鹿肉の缶詰とパンそれに牛乳をドッグフードに加えた食事となった。

言い訳がましく付け加えておくが、アモは暮らしの中で何の問題もない犬だから最高の待遇を与えているのであり、誕生日だけの理由で厚遇したのではない。

凛と晴はお利口だったから何もあげないわけにはいかなかった。
願わくばあっという間に飲み込んでいたようだが、フードのトッピングに美味しい物が含まれていたことに気づいていたと思いたい。

『酔っ払って途中から酒の味さえ気にならなくなるようなお前には言われたくない』?
それを言っちゃ、おしまいよ。
 

Sさんへ 2008年04月18日(金)

  知人のボーダーコリーのお困りごと解決に手を貸そうとした結果、指先の腱を咬みきられてしまったSさんが長かった治療における最後の手術とリハビリに励んでおられる。

「もう二度とお困りごとがある犬には手をかけません」
Sさんはそんなことを言っておられたが私には『喉元過ぎればいずれ、また』との思いも残っている。

数千頭の犬たちを見てきた私でさえ始めのうちどころか10年近くは
『ほー!なるほど、こういう犬でもこんな場合はこのようなリアクションをするんだ』と勉強させられることが多かった。
犬たちの行動を自分の中でいわゆる“織り込み済み”にしたうえで対処するには結構時間がかかるものなのだ。

ある犬と接しながら、あらゆる想定の中からこの犬にはあり得ない行動とあり得る行動を分類し効果的な接し方を整え、飼い主が望む行動を導き出して固定化する作業が訓練とも言える。

多くの主婦は子供と話をしながらでもキャベツを千切りにする能力を持っているが、それは生まれながらにしてできたことではなく、繰り返し経験を積むうちに脳が目と手の協応動作を確立し、そのうちに手の感覚だけで切れるようになり、さらに形状やどの部分を切っているかによってその注意の仕方を変える技術を身につけているからできることである。

犬もまたしかり。
野菜を扱えるSさんが犬を扱えないわけがないのだ。
足りなかったのは経験だけ。
小さくなったキャベツの芯に近づいた時に想定もせず同じように切り進めたから指先に怪我をしてしまったのだろう。
慣れればまた普通にやれるという“配慮を伴った自信”が芽生えてくるものと思っている。

ところで入院の間、愛犬のラブラドールの凛と晴のことがSさんは気になっておられよう。
二人ともとても元気にしております。
日中は凛の鼻鳴らしで叱ることが多かったのですが、少しだけ改善されております。
慣れてきた分、今度は晴のいびきが夜の自宅に響き渡っております。

それと申し上げ難いのですが凛のフードが足りなくならないかと心配しております。
ご指定を受けたフードの量では『足りないよ』と凛が訴えかけるものだから、ついつい多目に与えてしまっている私たちをお許し下さい。

このままでは凛が豚みたいに太ってしまいそう。
Sさん、前もって謝っときますね。
 

美味しいカフェのコーヒーを召し上がれ 2008年04月14日(月)

  昨日故障したコーヒーマシン。
日曜でメンテナンス会社が休みだったので私は直接メーカーに電話をし、指示を受けながら設定や修理を繰り返したがやはりダメで「申し訳ありませんが工場修理が必要だと思われます」との結論に達していた。
悔し紛れに私はマシンをゴツンと叩き、今朝一番にメンテナンス会社に電話を入れて事情を説明した。

担当の女性は「それは大変でしたね。申し訳ありません」と、開店後まもなく駆けつけてくれて修理までの代替マシンを持参してくれた。
「念のためどんな状況か試してもよろしいですか?」
「もちろんですとも。」
彼女が電源を入れるとマシンはいつもの唸り音を立てた。
「ここからなんです。」と私は注釈を加え、故障の現実を見た彼女が何と言うかの心積もりをした。

ところがこのマシンめ、その先も順調に動きちゃんと一杯のコーヒーを抽出したではないか!
その流れを見ていた私はたちまちしどろもどろになり、これまでの経過やどんなに困ったかを再び彼女に説明しはじめていた。
その口調はきっと、マシンが壊れるのを祈っているように聞こえていたかもしれないし『ウソじゃないウソじゃない』と怪奇現象を見た人間が怪訝な顔をする人々に『シンジテクダサーイ!』と哀願するようにも感じられたことだろう。
とにかく恥ずかしく、取り繕うのにあたふたしていた。

そういえば丁度先週の月曜日、アメリカンコッカーのあんずのレッスンを引き受けた。
「車の中で外の人を見ては吠えまくって大変なんです」
そんな相談だったので私は一緒に車に乗って生協の駐車場まで行って行き交う人への反応を確かめた。
子供・大人・老人、誰を見てもあんずは吠えなかった。
あの時のWさんの心境が一週間を経てよーく分かった。

そうか!私はあのコーヒーマシンに下に見られているんだ。
担当の女性のようにもっとしっかりしなきゃ!
ひょっとしたら悔し紛れにゴツンと叩いたから直ったのかな?

カフェやってると楽しい!
 

救いの言葉 2008年04月13日(日)

  開店準備を整えコーヒーマシンのスイッチを入れたまりちゃんがその異常に気づいてくれた。

『なぁに、いつもの手順でやれば問題は解決されるさ』と高をくくっていた私だったが、どうも今回は様子が違う。
どこをどういじってもマシンは反応しないばかりか、細かい箇所をチェックしたりマニュアルを読むにも老眼鏡が必要で自分自身が苛立っているのをひしひしと感じてしまった。
おまけにお泊り犬たちが姿の見えない私にキュンキュンと声を出し修理に集中できないでいた。

感情を制御しづらくなった自分を感じ、苛立ちを自覚したのは久しぶりで、これから自分がどんな振る舞いをするのかに不安を覚えた。

たぶん元来私は気の短い人間で、そうと思っているから自制する努力を重ね、長い年月を経るうちに普段は短気の欠点を露呈せずに過ごせていたのだろうと思う。
そんな時に一杯のコーヒーをすするだけで心を落ち着かせることもできた。
だが今日はそのコーヒーが出ないし、厨房だからタバコも吸えずイライラが自制の枠を超えようとしていたのだ。

こんな時、人間の思考視野は随分と狭くなり、結果的に後悔する振る舞いを犯すものだ。
言葉や行動には出さなかったものの私の頭をよぎった心境は次のようなものだった。
・『マシンの故障に備えておかなければ』と以前から思っていたのに何故ちゃんとやっておかなかったのだ!と自責の念。
・よりによってメンテナンス業者が休みの日曜日に故障するな!と責任転嫁。
・『うるさい!今修理のことを考えてるのだからその犬たちを静かにさせろ!』と八つ当たり。
・『よく見えない、うまく修理出来ない、でも今日は日曜日だから絶対早く直さなきゃ』という強迫観念。
そんな心理に加えきっとバイオリズム的な波が私を追い詰めていたのだと思う。

「仕方ないね。今日はコーヒーできませんってことで、やろう」
Kのその一言でおかしな世界に入り込みそうになっていた心が救われた。

『ちゃんとやれない時があってもいいんだよ』
ですよね。
 

生きることを教わっている 2008年04月12日(土)

  プラスの4度ってこんなに寒かったっけ?
真冬なら快適気温のはずだったのに今日は震え上がった。
お陰で土曜日なのに客足は遠のきまったりした時間が流れていた。
それでも閑古鳥が鳴かなかったのは、数少ないお客様がいつまでも滞在してくれたおかげと感謝しております。

ご主人を亡くして全身が白くなった黒ラブ/ソニアは10歳の今、病を患い奥さんは次の手術を受けさせるかどうか決断しかねているようだった。
その判断材料として私に意見を求めておられたが、私もまたどこまで自分の考えを話してよいのか躊躇していた。
「どんな手術ですか?」
「乳腺をすべて取り除く手術です」
「今、何歳ですか?」
「10歳です」
「う〜ん。微妙ですね。」と私は次の言葉を探していた。

そしたら奥さんは私の助言を促すように言葉を付け加えた。
「先生が仰るには肺に転移している可能性があるとのことです。」
「え?そうなんですか。何歳でしたっけ?」
「10歳。いや正確には10歳7ヶ月になります。」

その言葉を聞いて私の気持ちは吹っ切れた。
「手術はやめた方がいいと思います。
ただし、たとえソニアがどんな状態で余生を暮らそうとも医療に任せなかったことを後悔する自分がいるならば先生のアドバイスに従うべきでしょう。
でも、私ならそうはしません。
まもなくソニアは11歳。
手術が成功し予後がうまくいったとしても寿命は迫っています。
これからをどう過ごしたいのですか?
何歳まで生かしたいのですか?13?14?」

「え!そんなに?」
奥さんのその一言に私はホッとした。
Kさんは心の準備はできているのだ。
ただすべての生あるものがそこに至るまでのプロセスと、後に思い出しても楽しい時間を如何に共有できるかを模索しておられたのだろう。

「食欲もあるし、こうして自由に動き回れるし、のんびりしているように見えるのは10歳なりの落ちつきが出てきたのですよ。
逆に言えば病気の進行ものんびりということです。
もし何年か先に辛い症状が出てきたらその時こそ先生にお願いして、少しでも楽に生きて死ねるようにしてもらえばいいじゃないですか」

なんだかホッとした表情をされたのが印象的だった。

愛犬が死んだ後、少なくとも1年間は誰が何を言っても“とにかくどうしようもない時間”を我々は過ごさなければならず、それだけは仕方のないことで、事故死や急死などのショックと比較しても受容期間があるだけでありがたいことなのだ。

自分や家族つまり現在の人間には法的・人道的に許されない“介護と死の迎え方の選択”が我々犬の飼い主には与えられており、実はそのことが自らを見つめるきっかけとなる『愛犬からの最後の贈り物』となるのである。

いずれにせよ今日のソニアは全然元気な状態で、プラス4度を暖かく感じていたように思えた。
 


- Web Diary ver 1.26 -