From the North Country

突然のことに驚くーシロの死ー 2007年10月01日(月)

  人間の都合でその犬生を翻弄され続けた日本犬の雑種がいた。
ある時、一人の女性に救われシロと名づけられたその犬は、一生この女性の為に尽くすことを決意するようになった。

物語はシロが10歳になる頃この女性が結婚してから始まった。

亭主となった男性にさえシロは監視の目を光らせていた。
つれあいであるはずの女性の許可無く亭主が自宅内を移動しようものならカチャカチャカチャカチャという足音が近づいた次の瞬間には男性は咬まれていた。

トイレに行くにも後ろを気にしながら歩くのがいつの間にか習慣になった。
女性が先に入った寝室に、男性が後から入ろうとする時などはシロも容赦はせずに襲い掛かり、ドアに貼り付けたシロよけの金具柵の隙間からまるでジョーズのように首までねじ込んで吠え立てた。
シロは決まって柔らかい肉に噛み付いた。
ふくらはぎ、太ももの裏側、年老いたとはいえその痛みは強烈で身体中に生傷が絶えなかった。

それでも4年の月日が過ぎ、男性はシロが勝手に取り決めたシロなりのルールを理解し、その逆鱗に触れない術を身につけ始めた。
寝室には自分が先に入り、奥さんが居間を消灯して後から入るようになったし、外出の時も奥さんが最後に出るようにするとシロは納得した。
試しに男性がドアの隙間から顔を出すと、凄まじいばかりに吠えたという。

でも、自分ではどうしようもない事態もあった。
ある日、奥さんが昼寝の最中に悪い夢にうなされ、ついに「わー!」と声を上げて起き上がったのだが、次の瞬間には亭主は深く噛み付かれていた。
「お前だな!」
シロの目は忠誠心に溢れており、誤解だと気づこうとはしなかった。

数週間前、そのシロがてんかんの発作を起こし嘔吐物が詰まって呼吸不全に陥った。
数分間もぐったりしていたシロに男性は心臓マッサージを施し、あの世から生還させた。

シロが男性を見る眼が変わるか?と思われたが、結果はそうでもなかったらしい。
相変わらず室内移動には細心の注意と、奥さんからの許可が必要だった。

そして昨日、朝に異変が起こった。
二頭目の愛犬である柴犬宗一郎が鼻鳴らしを早朝から始めた。
いつもなら天誅を下すはずのシロを覗くと寝床で丸くなって寝ている。
洗面所の鏡にはいつも男性を監視するシロの姿が映っているのに今日はその姿が無い。
「おかしい!」と思ったTさんがシロの寝床に駆け寄り、身体を揺すったがシロは既に息絶えていたという。

夫婦は昨日一日を呆然と過ごしていたようだ。
介護すらすることなく突然の死を受け入れられない奥さんは夢であることを祈り続けた。
「シッコの時間だ」と言って、シロを抱きかかえて外に出たTさんはそこで自分の行動に気づいた。
どんな時間が二人に流れていたのか・・・

月曜の夕方にもかかわらず今日ひょっこり二人でカフェにやってこられたのは、今月のパスタである『北海道日本ハムファイターズ応援パスタ』をどうしても食べたかったからだと私は想像していた。
ガーデンで遊びまわる宗一郎。
晴天の札幌にその時、パラパラと雨が降った。
奥さんが意を決したようにゆっくりと口を開いた。
「今、火葬の帰りなんです。シロが死にました」

私たちは話を聞くだけで何の役にも立てなかった。
ただ、Tさんの優しさがジンジンと伝わってくるのを感じていた。
 

旅すれば意識も変わる 2007年09月30日(日)

  佐呂間町のかぼちゃ祭りで始まった9月も今日でおしまい。
あのキャンプから1ヶ月が過ぎ、結局今年のキャンプはあれで終了模様だ。

それにしても最近のカフェでは、どこそこにキャンプに行ったとか、今度は仲間たちとペンションに…富良野・美瑛も周ってこようだとかそんな話題が豊富に飛び交っている。
もちろん愛犬同伴だ。

そこで気になるのがしつけの度合いなのだが、みなさんの愛犬は訓練を受けたわけではなく、カフェを通じて『何をどの程度注意すれば周囲の迷惑にならないか』を会得されただけのことで、それだけで充分何処へでも連れて行けるようだ。

まずはトイレ
定期的あるいは運動・興奮による水分摂取量など愛犬の尿意を飼い主が把握して、我慢させる前に排泄に連れ出している。
ペットシーツにする場合でも、人目につかない場所でさりげなく用足しをさせる。
そのためには、「シーシー・ベンベン」の言葉を愛犬に理解させている。
家庭犬ならオスの去勢は当然行われているし、しつけてもあるからマーキングはしないだろうが、それでも小型犬の場合は初めての場所では注意深く愛犬に声をかけている。

次に吠えることと他犬意識
基本的に無駄吠えの無意味さを犬も飼い主も知っている。
仮に吠える犬であっても単発的なうちに制御し、図に乗った吠え方や他犬への威嚇は飼い主が許さない。
まあこれは、まだ発展途上の飼い主もおられるけれど…
他犬意識はこれまたオス犬は去勢されているので、押さえ切れない欲望で他犬を見ることはなく、どちらかと言えば『どうぞお構いなく』というワンちゃんが多い。

次に食卓では
人が食べてる時に愛犬にそれらを与える習慣はないから、犬たちも欲しがらず膝の上か足元で寝ているか、自分たちで遊んでいる。

他にも車の中や宿泊室での振る舞いもあろうが、結局は愛犬と楽しみながらもダメはダメという意識が普通に根付いており、お犬様ではなく『私たちの楽しみを豊かにするために、そして愛犬と共に楽しむために連れてきたのだからそこから逸脱する行為は困るよ』という意識がはっきりしているのだろうと思われる。

キャンプもまだまだ楽しめる季節だし、冬のペンションもまた楽しいものだ。
ちょっとしたしつけと接し方でそんな満ち足りた時間を手に入れることができるのだから是非チャレンジしていただきたい。

旅はあなたと愛犬の普段の暮らしを相当グレードアップさせてくれるだろう。
それでもまだ不安な方はカフェでご相談あれ。
 

おぼろづき(道産米)の力 2007年09月29日(土)

  お泊り犬がいるから実質的な休みではなかったけれど、連休となった木金の定休日は私たちにとてもありがたい時間を与えてくれ、新鮮で快適である。
公務員や恵まれた会社で働いてる人々は、ずっとこんな恩恵を受けていたんだなぁ…と嫉妬と喜びが同居した。

その休みにたくさんの野菜と新米の『おぼろづき』を長沼町に出かけて買ってきた。
このお米はもちもち感がすばらしく、去年初めて食べた時はぶったまげたものだ。
残念ながら去年はすぐに売切れてしまったので、あれから一年待ち続けていたのだが、新米が農家の直売店に並んでいたので嬉しくなった。

北海道に住んでいるといつも食の恵みに頭が下がる。
今夜は炊き立てのおぼろづきにKが味付けたイクラをたっぷりかけ、申し訳ないほどに安い野菜と美味しい道産豚が入ったトン汁をたらふくご馳走になった。
我らが北海道日本ハムファイターズが今夜パリーグ2連覇を果たしたが、大地の恵みが選手たちに与えた力は計り知れないと思う。

そんな北海道の農業がピンチに立たされて数十年が経つが、いよいよ息の根を止められるようなFTP(自由貿易協定)がオーストラリアとの間で締結されようとしている。
地方の疲弊や都市間格差に本当に目を向けるなら、鉄鋼・電気・自動車という余力充分な中央の大資本のさらなる強化を図る代償として、北海道農業を切り捨てるのは絶対に許すことはできない。

日本の食料自給率は僅か39%なのに、これ以上の壊滅的な打撃を農畜産に及ぼしてまで輸出産業にアドバンテージを与えるなら、北海道は真剣に独立を考えるべきだ。
一般道民の戸惑いはあろうけど、酪農・農業に携わる方々はとっくに戸惑いと打撃をこれまで何年もの間被ってきているのである。

内地の人々は海外から輸入した安い食材で暮らすか、少しは高い北海道の安心安全でしかも美味しい北海道の製品を輸入するか選択すればいい。
いずれにせよ北海道の自給率は100%をはるかに越えるはずだ。
この数字が今の時代どれほどの安心感を住む人々にもたらしてくれることだろう。
エゴではない。
中央が北海道を見捨てているのだから当然の自衛策ではないか。

独立したって破綻は目に見えている。
だがその破綻は現代文明からの破綻であり、人間らしさを取り戻すための破綻であり、新たな文明の出発点であるなら頑張れる人々もいるはずだ。
中央の人間たちに本当の連休を与えれば、『何が大切なのか』が見えてこないものだろうか?

今度の定休日にもう一度長沼に行き、兵庫に住む82歳になった母におぼろづきを送ろうと思っている。
ボケ始めている母は「おいしい!」と満面の笑顔をたたえてくれるに違いない。
 

飼い主の考え方次第 2007年09月25日(火)

  大雪山系の旭岳で今日初冠雪があったそうだ。
いよいよ夏と秋の交差とはお別れし、秋と冬が絡み合う季節になってきた。
カフェ閉店後の散歩でも帰路は懐中電灯が必要な暗さとジャケットが必要な寒さを今日実感してきたところである。
もちろん懐中電灯は足元を照らすのではなく、仮にウンチをした時にでも取り残しを見逃さないための道具として雪が降るまでのしばらくの間必要なのである。

さて、昨日の休日にドッグランへ遊びに出かけたHさんがそこでの出来事と、帰宅後の愛犬の様子を話してくれた。

それぞれのランやカフェなどには特徴があって当然だが、そこのランはどちらかと言えばショードッグなどの未去勢の犬が多く集まっているところだったらしい。

案内されるままにランに入った途端、先住の大型犬などに囲まれ、不安になったMダックスが走り出すと一斉に追いかけてきた、というよくある話だった。
ついには雄犬に両手で押さえつけられてマウントされ、ダックスは恐怖におののき続け、以後身動きできず相当ショックを受けたらしい。

その間、先住犬の飼い主たちは「ダメよ、よしなさい。嫌がってるでしょ」と、これまたよくある責任逃れの口先だけの言い聞かせをして、結果的には犬たちが思い通りの振る舞いをし続けた。
幸いにも先住犬たちには悪気や攻撃性はなく、飼い主たちもそのことを承知していたのだろう。

このことをもってとやかく難しい話をするつもりは無い。
ただ、世の中には大きく分けてふたつの『犬に対する飼い主の考え方』があると思う。

1.大丈夫、最初は怖いかもしれないけど、揉まれても耐え忍んでいればそのうち慣れて、仲間入りできるようになるんだから。というタイプ。
2.犬といってもわが子は『私が水を与えた花』。できれば恐怖体験などせずに楽しく成長させたい。というタイプだ。

前者は古きよき時代の犬の飼い主で、一見おおらかで逞しそうに見えるが、他犬や飼い主とのトラブルが多く、本人や仲間内など身近なところで愛犬を怪我や対人トラブルで失う経験をしてしまうかもしれない。
今やペット社会はイヌ社会ではなくなってきていることの真の意味を考えるべきではなかろうか。

後者には鼻持ちならぬ飼い主が時として存在する。
保護主義的で他犬との接触に過度な反応を示し、他犬に対して愛犬が威嚇的に振舞っているのに関わらず『怖くないよ、大丈夫だからね』と抱き上げて頬ずりするような飼い主がそれで、私が最も『救いようが無い』と感じる人々だ。
しかし、そんな極端な飼い主は除外するとして、現代のペット社会では紳士的・社交的な交流が可能なのだから、それに見合った育て方と意識を持つのが本流となっていくだろう。

ところで、後者のカフェ体験が身につき始めたダックス君が前者のランから帰宅後どうなったか?

その日一日落ち込み、食欲も無く、水を飲んでは噴水のように嘔吐したそうだ。
軟弱者!もう仔犬じゃないんだからしっかりせい!
とは思いつつ、あのしっかりした子がそんなに繊細な神経を持っていたことに驚くと共に、どんな恐怖体験をしたのか可哀想になった。
先住犬の飼い主たちに『わが子ではなく、相手の犬がどう感じているか』を見る目があり、制御能力があれば、自分たちだけではなくダックス君も楽しく遊べただろうに…
 

中秋前夜の物思い 2007年09月24日(月)

  この1ヶ月の間に日本列島3個分に相当する北極の氷が解けてしまったというニュースに愕然とさせられた。
我らに残された時間は科学者が予想していたより30年以上も速いペースで減少を続けているらしい。

どうやら人類の滅亡は核兵器ではなく、環境破壊とそれに伴う温暖化によってもたらされるようだ。

人種や宗教などによる憎しみの結果ではないことが私にとってはせめてもの救いのように感じられ、同時に子供たちやその子孫に対し、これまで何もできなかった自分を心から恥じ、申し訳なく思う。

僅かこの50年の間に垂れ流した汚染エネルギーで地球が破壊されるとは思わなかったが、改めてそのエネルギーの莫大さと自然環境の繊細さを思い知らされた気がする。

世界経済や科学はこれ以上の環境破壊を抑制するためのCO2削減に目を向けていて、それすら実現困難だとあたふたしているが、本当にそんなことでいいのかと疑問に思うことがある。
たぶん、削減は削減として必要だろうが、それ以上に環境“修復”に科学や人は何ができるのかを発言すべきではないかと思う。

一気に、CO2からCを除去してO2を生み出し、滞留した熱を大気から適度に放出し、さらにオゾン層を再生して紫外線などを適度にコントロールできてしまうような『環境兵器』というものを頭のいい人たちは作れないのだろうか。

オゾン層を破壊してホールを生み出してしまうような力があるなら、せめてCO2を宇宙に排出させる煙突のようなホールを作り出せないのだろうか。

こんな風に無知な庶民がいるから地球はダメになってしまったんだろうけど、将来に責任を持たない科学者や為政者にも相応の責任があったと言える。

私たちの年代の人間がどうなろうと仕方ないけど、この国や世界の子供たちを残すために“削減”ではなく“創造”できるものを誰か知りませんか?

秋の夜長にふと思った。
 

秋の夜の思い出 2007年09月22日(土)

  9月も20日を過ぎたというのに真夏日を記録した昨日とは一変し、今日は雲の多い冷たい北風が吹き荒れた一日だった。
明朝の最低気温は11度と予想されているから、ようやく掛け布団を蹴飛ばすことなく快適な睡眠と目覚めが得られそうだ。

中秋前の夜を迎えると、犬舎の通路に簡易ベッドを置き、そこで横になりながらラジオから流れるプロ野球の実況を聴きながら過ごした頃が思い出される。

9月の初めにパピーウォーカー宅から一斉に協会に引き上げられた盲導犬候補犬たちは、3週間ほどの適性評価を受ける。
深く愛された家族との生活から環境は一変し、犬舎での集団生活となるから、中には寂しがってクンクン鳴いたり遠吠えしそうになるわんこもいる。
そんな夜、私の両側には犬たちがいる犬舎通路のベッドで一杯やりながら(もう時効)ラジオ中継を聴き、喜んだりがっかりした声を出すのは、彼らに身近な家庭の雰囲気を与え安心させる効果があったからでもある。

夜の犬舎管理を終えて消灯し、ベッドに横たわってからもしばらくはラジオをつけたまま私は意図的に大あくびをしたり語りかけたりした。
すると、そこここから外の虫の音に混じって犬たちの寝息や寝言が聞こえてきて、それがまた私の子守唄にもなった。

翌朝早くから起きる犬がいると、寝ぼけたような声で「うるさいぞ、ちゃんとここにいるからもう少し寝ろ、ムニャムニャ」と誤魔化しながら6時半の起床まで粘ったものだ。

なんてことはない。
あれから6年以上も経っているのに、私は現在も同じようなことをお泊り犬にやっているではないか。
精神状態を安定させ、静かな眠りを犬たちと共有できるようにするのもひとつのテクニックだけど、あのころの経験が随分役に立っているものだ。
まあ、酒の量は今のほうが少ないか…?

ところで先日協会のD氏からメールが届いていた。
『下記のようにテレビ放映があります是非ご覧になってください。
9月23日(日)TBS  午後6時30分
番組名:夢の扉  内容:盲導犬が足りない

10月10日(水)TBS 午後6時55分
番組名:いのちの輝きスペシャル“命とは何だ”
以上の2本です。』

とのことですので皆さんも是非ご覧あれ。
 

休みなんかいらない! 2007年09月19日(水)

  定休日が今月から木金となったが、実際にはお泊り犬の関係で一度も連休がないどころか、一日しか完全フリーの日はなかった。
「ありがたいことでしょ」とK。
「そりゃそうだけど…」と私。
今のところ次に休みが取れそうなのが11月初旬であることに気が遠くなり、しかもそれすら保証されていない現実にクラクラしてきた。

「休みなんていらないよ。1年9ヶ月も自由に暮らしたんだから一生分の休みは貰った。これからはずっと働き続ける。」
2002年に協会を退職してからいろいろとあったが、結果的には気儘に日本中を放浪し、Kとめぐり合ってカフェをオープンさせるに至った時私はそう奮い立っていた。

舌の根も乾かぬ4年後の私が「休み!休み!」と欲求するのがバチ当たりなのは重々承知している。
言い訳をさせてもらえれば、私自身の休みを望んでいるわけではなくて、我が家の愛犬アモとKに彼らが知らない世界と時間を提供したいという欲があるのだと思う。

でも、そのアモは看板犬の仕事をこよなく愛し、朝から律儀にこなすことを喜びにして毎日私たちより先に出勤しているし、Kもお泊り犬がいる定休日の時間をうまく使い分けながら自分なりの生活をエンジョイしている。

どんなことであれ、そこから喜びと楽しみを拓けるアモとKに対し、“カレンダーに予定が書かれていない定休日”というだけの形に反応してしまう私が情けない。

いつか来るはずの連休の為に、ささやかな蓄えも必要だ。
だからお泊り犬もドーンと引き受けよう。
何と言っても今夜お泊りのF1ビーズとAコッカーのクリンはきちんとしつけられているし一緒にいて楽しいわんこだから、明日の定休日も私は退屈せずに取り寄せたばかりの本を読みながらまったりすることができるだろう。

因みにKは明日、私とアモを残し、母・妹と石狩美術館に出かけるそうな。
したたかじゃのう。
 

ワラジムシ 2007年09月18日(火)

  今年に入ってカフェや2階の自宅を徘徊するワラジムシが増えた。
築4年。カフェに隣接する家は無く、道路以外の三方は一部を除いてすべて草むらならそんなものなのだろうか?

そして、夏の頃より今の彼らの方が明らかに肉付きが良いのに動きが鈍く生命力が落ちているように感じる。
さらに言うなら、しばらく室内では姿を消していた彼らが昨日今日突然再び姿を現し始めた。

このところの気候は数日雨が続き気温は例年より高いがそれでもかなり涼しくなった。
そして今日は快適な秋晴れという状況である。

研究者ならとことん研究しやすい素材だから既に彼らの生態を解明しているのだろうが、素人の私には新鮮な疑問があったものの、事務的にティッシュペーパーて摘んではゴミ箱へ捨て、トイレで発見したワラジムシは水洗で流した。

はて?ゴミ箱に捨てられた彼らは夜のうちにティッシュから抜け出すのか、それまでの段階で死んでいるのか、それともそのまま焼却場へ行って焼かれるのか私は知らない。
水洗で流されたワラジムシの先にはどんな環境が待ち受け、それは絶対的な死なのかそれとも生きるチャンスを得たのかも私は知らない。

それを知っている専門家から見れば私は無知で愚か者なのだろうか?
私はそうは思わない。
何故なら私はワラジムシ飼育の愛好家や研究者ではなく、虫にも興味のない単なる生活者であり、犬についてだけ知識と見識を持っていると思い込んで生きている人間で、たまたま生活上にワラジムシと出会って疑問を抱いただけなのだから。

さて、そんな私がワラジムシの愛好家のように犬と暮らしているように思えた飼い主がカフェにやってきたことに不快感を抱いたのは誤りだろうか?

否、違う。
何故なら彼らは、私とワラジムシのように敵対的に共生せざるを得なかったのではなく、意図的に犬を選んだにも関わらず、犬をワラジムシのような生き物として待遇していたからだ。

カフェに来て2時間ほど、彼らは最初から最後まで犬たちをガーデンに連れ出して排泄させること無く、犬を乳母車に収容して話に夢中になっていた。
そして犬たちは乳母車の中で人に迷惑をかけることなく静かにし、当たり前のようにシッコもウンチも垂れ流していたのだ。

ドッグカフェを利用する人々の中にはこんな連中もいることを伝えておかねばならいと思った。

何故注意しなかったか?
理由は犬は育て方次第で犬になり、育て方次第でイヌとなるからだ。
彼らの愛犬は脳が解発されていないイヌの状態だったから、虫けら扱いされても苦痛に感じておらず、状況を受け入れるだけの生き物のように感じられた。

空しく悲しい思いだけが過ぎた時間だった。
人が意識し変わらなければどんなお手伝いも私にはできない。
イヌがイヌとして扱われているなら私は苦しまない。
犬がイヌとされた時が苦しくてたまらないのだ。
そんな危うい状況が普通に存在している。
 

流れを作る 2007年09月16日(日)

  いつもなら私がタバコを吸い始めるとすぐにモニターサインがグリーンから赤に変わって働き始める空気清浄器が今夜は静かにしている。
耳を澄ますと台所の換気扇の音が聞こえた。
どうやらさっきまでミートソースを仕込んでいたKがスイッチを切り忘れて、室内の空気の流れがいつもとは変わってしまったようだ。

以前にも書いたことだが、最近のカフェの顧客は8割以上が常連の方々になっている。
ただ、常連の定義が曖昧であるから妙なことはいえないが、数年の流れの中で常連の方というのは地味に変遷を繰り返してもいる。

オープン当時からの常連だったわんこを最近は目にしなくなることもあれば、長いお付き合いをさせてもらっているわんこもいる。
ここ数ヶ月ですっかり馴染みになったわんこもいるし、週に一回あるいは月に一回さらには年に数回でも常連と感じるわんこもいる。
一方で、何度か来店して頂いても常連さんではなく“リピーター”と受け止めてしまうのはどういう違いがあるのだろうか?

いずれにせよ大切なお客様である。
確かに言えることは、新たなわんこを迎えてもカフェの本質が時々によってころころ変わることはなく、常連さんも愛犬も“ジェントルな振る舞い”を示してくれる形が整ったことであろう。

身勝手でいいとこ取りかもしれないけど、カフェ育ちの愛犬は私の自慢だ。
最初は人前に連れ出すのも気後れしたという犬の飼い主たちが、制御を学び、意識を変革し、楽しみを覚え、愛犬と共に様々な社会に飛び出している。

ドッグカフェ、ドッグラン、日常の散歩道、レストラン、ペンション、キャンプ場…。

そして『しつけてないわんこを連れた人や、とんでもない意識を持った飼い主がいた』という批判を評論家のように話す飼い主や『あなたとあなたの愛犬ならいつでも大歓迎です』と言われた安堵感と喜びを語ってくれる仲間が増えたことが嬉しくてたまらない。

空気清浄器のように即座に過敏に煙たいものに反応する社会の中で、昔ながらの換気扇が負けじと楽しく明るい方向へ流れを変えていく力があったことを再認識した。

強制換気ではない静かな継続的な換気の話である。

ここまで書き終えて、最終トイレのために夜更けのガーデンに出た私が、「なあ、アモよ。そうだよな」と意思の疎通を図ったら、Kがきつい一言を発した。
「メタボ親子がなに言ってるの!」
 

公設ドッグランに思う 2007年09月15日(土)

  三連休初日となった今日は生憎の雨で、キャンプやぶどう狩りに出かけた愛犬仲間はさぞかし大変だったろうと思う。
今日の天気予報のように見事に外れれば話は別だが、明日の午後からは晴れ間が出るということなので、残り二日の秋の行楽が楽しめることを願っております。

思えばカフェのガーデンは3年前なら今日のような雨が降ればぬかるみ状態となり、その後数日は使用不能になってガッカリさせられたけど、今なら雨が上がって半日経てば何とか使える状態にまでもってくることができるのが嬉しい。
苦節4年の地道な努力が良い結果に向いてきたようだ。

ところで、そんな手造りガーデンを4年前に手がけたときでさえ、闇雲に思いつくまま始めたわけではない。

・フェンスの高さは積雪時でも犬たちが飛び越えることが無いよう180センチにし、尚且つ除雪機を導入して積雪20センチを維持した。
・フェンス下の隙間を無くし、さらに土を掘り返して抜け出てしまう犬のことを考え、民地石を予め埋め込んだ。
・除雪機が出入りする門が、雪で開閉できなくなるから、既成の門を地面から40センチの位置で切断した後、兆番をつけて上下に開閉できるように工夫した。
・地震でフェンスが倒れないよう、また小型犬の吠え声が少しでも近隣に届かないよう、南北の両サイドはブロックを地下60センチ地上60センチ設置しその上にフェンスを立てた。

何故こんなことを書いたかというと、道立のイベント会場にある広大な敷地が今日から有料ドッグランになると伺って、昨日の定休日に見てきたからだ。
そこは元々愛犬家たちが犬を遊ばせる時代が続き、様々なトラブルもあったらしいが、犬の遊び場としての既得権を得ているような場所だった。

・まず驚いたのが柵によって6つに区切られたとはいえ、それぞれが広く充分な芝生のスペースを有していること。
・営業時間が10時から季節変動の概ね夕方ということ
・冬季の営業もあるというのに、積雪5センチで絶対に門扉の開閉ができなくなる構造であること。
・それぞれの柵とネットは積雪状況によっては意味を成さず、しかも耐久性もなく、およそ行政が作らせたとは思えないような粗末なものだった。(予算削減の中での労作というのなら納得できる)

私の知ってる限り、あの広場を利用している人々は朝の5時6時、夕方から夜にかけて、というのが多かったから、それらの人々は排除されてしまうのだろうか。
また、あと2ヶ月ほどで積雪5センチということもあるから、日中の利用もできなくなるか、若しくは慌てて再工事という予算の無駄遣いもあるかもしれない。

有料なので管理者を置くことになるが、そうなれば人件費すら稼ぎ出せるかも分からないし、維持費までとなると恐らく無理だろう。
管理者のいる有料施設なら苦情や最悪の場合訴訟まで考慮する必要もあろう。
ひょっとして、犬たちを追い出すための遠回りな施策?と、うがった考えもよぎる。

まあ、私なりの結論。
1.利用者責任の無料ドッグランとして24時間解放するのがよい。
2.ABCDの4つの区画をそれぞれ
A.不安な犬や人むけの、交代性15分間制限付貸切スペース
B.飼い主責任のしつけ勉強スペース(先に遊んでる人たちの同意を得たうえで)
C.攻撃性の無い活動的わんこの遊ばせスペース
D.安全安心あるいは“どうぞお構いなく犬”を優先するスペース

こんな風に分けて、門扉が冬でも開閉できるようにしておけば、必要な除雪は利用者がそれぞれ工夫しながらやるだろう。
勿論、不届き者も出てくるだろうが、以前のようなトラブルや排泄物の放置は大幅に減少し、修理だって利用者が行うようになる確信がある。

しばらく様子を見ていれば問題点も浮かび上がるだろうが、それは臨機応変を旨とし、すでに設置してあるプレハブを勉強中の訓練士の卵たちにでも解放すれば、そのうち、『経験の為にあなたの愛犬を少し訓練させてくれませんか?』『この犬は私が訓練したんですよ』などと申し出て、パリのモンマルトルのように若い才能を開花させる伝説の広場になるかもしれない。

ただ、今の時代、専門学校などでは『犬の行動心理学に基づいた』というだけの、甘い衣を被ったアメリカ仕込の腑抜けな“しつけ教室”程度の教育しか学ぶことができないから、現場の犬と飼い主をみて挫折するだろうと思う。

逆に言えば、そこから実学を学ぶことで新たな知識と技術あるいは独創性が生まれてくる可能性もあり、飼い主と犬の文化創造の聖地になり得る要素も秘めている。

発想次第でどうにでもなってしまう危うい夢の空間を見てきた。
 


- Web Diary ver 1.26 -