From the North Country

休みなんかいらない! 2007年09月19日(水)

  定休日が今月から木金となったが、実際にはお泊り犬の関係で一度も連休がないどころか、一日しか完全フリーの日はなかった。
「ありがたいことでしょ」とK。
「そりゃそうだけど…」と私。
今のところ次に休みが取れそうなのが11月初旬であることに気が遠くなり、しかもそれすら保証されていない現実にクラクラしてきた。

「休みなんていらないよ。1年9ヶ月も自由に暮らしたんだから一生分の休みは貰った。これからはずっと働き続ける。」
2002年に協会を退職してからいろいろとあったが、結果的には気儘に日本中を放浪し、Kとめぐり合ってカフェをオープンさせるに至った時私はそう奮い立っていた。

舌の根も乾かぬ4年後の私が「休み!休み!」と欲求するのがバチ当たりなのは重々承知している。
言い訳をさせてもらえれば、私自身の休みを望んでいるわけではなくて、我が家の愛犬アモとKに彼らが知らない世界と時間を提供したいという欲があるのだと思う。

でも、そのアモは看板犬の仕事をこよなく愛し、朝から律儀にこなすことを喜びにして毎日私たちより先に出勤しているし、Kもお泊り犬がいる定休日の時間をうまく使い分けながら自分なりの生活をエンジョイしている。

どんなことであれ、そこから喜びと楽しみを拓けるアモとKに対し、“カレンダーに予定が書かれていない定休日”というだけの形に反応してしまう私が情けない。

いつか来るはずの連休の為に、ささやかな蓄えも必要だ。
だからお泊り犬もドーンと引き受けよう。
何と言っても今夜お泊りのF1ビーズとAコッカーのクリンはきちんとしつけられているし一緒にいて楽しいわんこだから、明日の定休日も私は退屈せずに取り寄せたばかりの本を読みながらまったりすることができるだろう。

因みにKは明日、私とアモを残し、母・妹と石狩美術館に出かけるそうな。
したたかじゃのう。
 

ワラジムシ 2007年09月18日(火)

  今年に入ってカフェや2階の自宅を徘徊するワラジムシが増えた。
築4年。カフェに隣接する家は無く、道路以外の三方は一部を除いてすべて草むらならそんなものなのだろうか?

そして、夏の頃より今の彼らの方が明らかに肉付きが良いのに動きが鈍く生命力が落ちているように感じる。
さらに言うなら、しばらく室内では姿を消していた彼らが昨日今日突然再び姿を現し始めた。

このところの気候は数日雨が続き気温は例年より高いがそれでもかなり涼しくなった。
そして今日は快適な秋晴れという状況である。

研究者ならとことん研究しやすい素材だから既に彼らの生態を解明しているのだろうが、素人の私には新鮮な疑問があったものの、事務的にティッシュペーパーて摘んではゴミ箱へ捨て、トイレで発見したワラジムシは水洗で流した。

はて?ゴミ箱に捨てられた彼らは夜のうちにティッシュから抜け出すのか、それまでの段階で死んでいるのか、それともそのまま焼却場へ行って焼かれるのか私は知らない。
水洗で流されたワラジムシの先にはどんな環境が待ち受け、それは絶対的な死なのかそれとも生きるチャンスを得たのかも私は知らない。

それを知っている専門家から見れば私は無知で愚か者なのだろうか?
私はそうは思わない。
何故なら私はワラジムシ飼育の愛好家や研究者ではなく、虫にも興味のない単なる生活者であり、犬についてだけ知識と見識を持っていると思い込んで生きている人間で、たまたま生活上にワラジムシと出会って疑問を抱いただけなのだから。

さて、そんな私がワラジムシの愛好家のように犬と暮らしているように思えた飼い主がカフェにやってきたことに不快感を抱いたのは誤りだろうか?

否、違う。
何故なら彼らは、私とワラジムシのように敵対的に共生せざるを得なかったのではなく、意図的に犬を選んだにも関わらず、犬をワラジムシのような生き物として待遇していたからだ。

カフェに来て2時間ほど、彼らは最初から最後まで犬たちをガーデンに連れ出して排泄させること無く、犬を乳母車に収容して話に夢中になっていた。
そして犬たちは乳母車の中で人に迷惑をかけることなく静かにし、当たり前のようにシッコもウンチも垂れ流していたのだ。

ドッグカフェを利用する人々の中にはこんな連中もいることを伝えておかねばならいと思った。

何故注意しなかったか?
理由は犬は育て方次第で犬になり、育て方次第でイヌとなるからだ。
彼らの愛犬は脳が解発されていないイヌの状態だったから、虫けら扱いされても苦痛に感じておらず、状況を受け入れるだけの生き物のように感じられた。

空しく悲しい思いだけが過ぎた時間だった。
人が意識し変わらなければどんなお手伝いも私にはできない。
イヌがイヌとして扱われているなら私は苦しまない。
犬がイヌとされた時が苦しくてたまらないのだ。
そんな危うい状況が普通に存在している。
 

流れを作る 2007年09月16日(日)

  いつもなら私がタバコを吸い始めるとすぐにモニターサインがグリーンから赤に変わって働き始める空気清浄器が今夜は静かにしている。
耳を澄ますと台所の換気扇の音が聞こえた。
どうやらさっきまでミートソースを仕込んでいたKがスイッチを切り忘れて、室内の空気の流れがいつもとは変わってしまったようだ。

以前にも書いたことだが、最近のカフェの顧客は8割以上が常連の方々になっている。
ただ、常連の定義が曖昧であるから妙なことはいえないが、数年の流れの中で常連の方というのは地味に変遷を繰り返してもいる。

オープン当時からの常連だったわんこを最近は目にしなくなることもあれば、長いお付き合いをさせてもらっているわんこもいる。
ここ数ヶ月ですっかり馴染みになったわんこもいるし、週に一回あるいは月に一回さらには年に数回でも常連と感じるわんこもいる。
一方で、何度か来店して頂いても常連さんではなく“リピーター”と受け止めてしまうのはどういう違いがあるのだろうか?

いずれにせよ大切なお客様である。
確かに言えることは、新たなわんこを迎えてもカフェの本質が時々によってころころ変わることはなく、常連さんも愛犬も“ジェントルな振る舞い”を示してくれる形が整ったことであろう。

身勝手でいいとこ取りかもしれないけど、カフェ育ちの愛犬は私の自慢だ。
最初は人前に連れ出すのも気後れしたという犬の飼い主たちが、制御を学び、意識を変革し、楽しみを覚え、愛犬と共に様々な社会に飛び出している。

ドッグカフェ、ドッグラン、日常の散歩道、レストラン、ペンション、キャンプ場…。

そして『しつけてないわんこを連れた人や、とんでもない意識を持った飼い主がいた』という批判を評論家のように話す飼い主や『あなたとあなたの愛犬ならいつでも大歓迎です』と言われた安堵感と喜びを語ってくれる仲間が増えたことが嬉しくてたまらない。

空気清浄器のように即座に過敏に煙たいものに反応する社会の中で、昔ながらの換気扇が負けじと楽しく明るい方向へ流れを変えていく力があったことを再認識した。

強制換気ではない静かな継続的な換気の話である。

ここまで書き終えて、最終トイレのために夜更けのガーデンに出た私が、「なあ、アモよ。そうだよな」と意思の疎通を図ったら、Kがきつい一言を発した。
「メタボ親子がなに言ってるの!」
 

公設ドッグランに思う 2007年09月15日(土)

  三連休初日となった今日は生憎の雨で、キャンプやぶどう狩りに出かけた愛犬仲間はさぞかし大変だったろうと思う。
今日の天気予報のように見事に外れれば話は別だが、明日の午後からは晴れ間が出るということなので、残り二日の秋の行楽が楽しめることを願っております。

思えばカフェのガーデンは3年前なら今日のような雨が降ればぬかるみ状態となり、その後数日は使用不能になってガッカリさせられたけど、今なら雨が上がって半日経てば何とか使える状態にまでもってくることができるのが嬉しい。
苦節4年の地道な努力が良い結果に向いてきたようだ。

ところで、そんな手造りガーデンを4年前に手がけたときでさえ、闇雲に思いつくまま始めたわけではない。

・フェンスの高さは積雪時でも犬たちが飛び越えることが無いよう180センチにし、尚且つ除雪機を導入して積雪20センチを維持した。
・フェンス下の隙間を無くし、さらに土を掘り返して抜け出てしまう犬のことを考え、民地石を予め埋め込んだ。
・除雪機が出入りする門が、雪で開閉できなくなるから、既成の門を地面から40センチの位置で切断した後、兆番をつけて上下に開閉できるように工夫した。
・地震でフェンスが倒れないよう、また小型犬の吠え声が少しでも近隣に届かないよう、南北の両サイドはブロックを地下60センチ地上60センチ設置しその上にフェンスを立てた。

何故こんなことを書いたかというと、道立のイベント会場にある広大な敷地が今日から有料ドッグランになると伺って、昨日の定休日に見てきたからだ。
そこは元々愛犬家たちが犬を遊ばせる時代が続き、様々なトラブルもあったらしいが、犬の遊び場としての既得権を得ているような場所だった。

・まず驚いたのが柵によって6つに区切られたとはいえ、それぞれが広く充分な芝生のスペースを有していること。
・営業時間が10時から季節変動の概ね夕方ということ
・冬季の営業もあるというのに、積雪5センチで絶対に門扉の開閉ができなくなる構造であること。
・それぞれの柵とネットは積雪状況によっては意味を成さず、しかも耐久性もなく、およそ行政が作らせたとは思えないような粗末なものだった。(予算削減の中での労作というのなら納得できる)

私の知ってる限り、あの広場を利用している人々は朝の5時6時、夕方から夜にかけて、というのが多かったから、それらの人々は排除されてしまうのだろうか。
また、あと2ヶ月ほどで積雪5センチということもあるから、日中の利用もできなくなるか、若しくは慌てて再工事という予算の無駄遣いもあるかもしれない。

有料なので管理者を置くことになるが、そうなれば人件費すら稼ぎ出せるかも分からないし、維持費までとなると恐らく無理だろう。
管理者のいる有料施設なら苦情や最悪の場合訴訟まで考慮する必要もあろう。
ひょっとして、犬たちを追い出すための遠回りな施策?と、うがった考えもよぎる。

まあ、私なりの結論。
1.利用者責任の無料ドッグランとして24時間解放するのがよい。
2.ABCDの4つの区画をそれぞれ
A.不安な犬や人むけの、交代性15分間制限付貸切スペース
B.飼い主責任のしつけ勉強スペース(先に遊んでる人たちの同意を得たうえで)
C.攻撃性の無い活動的わんこの遊ばせスペース
D.安全安心あるいは“どうぞお構いなく犬”を優先するスペース

こんな風に分けて、門扉が冬でも開閉できるようにしておけば、必要な除雪は利用者がそれぞれ工夫しながらやるだろう。
勿論、不届き者も出てくるだろうが、以前のようなトラブルや排泄物の放置は大幅に減少し、修理だって利用者が行うようになる確信がある。

しばらく様子を見ていれば問題点も浮かび上がるだろうが、それは臨機応変を旨とし、すでに設置してあるプレハブを勉強中の訓練士の卵たちにでも解放すれば、そのうち、『経験の為にあなたの愛犬を少し訓練させてくれませんか?』『この犬は私が訓練したんですよ』などと申し出て、パリのモンマルトルのように若い才能を開花させる伝説の広場になるかもしれない。

ただ、今の時代、専門学校などでは『犬の行動心理学に基づいた』というだけの、甘い衣を被ったアメリカ仕込の腑抜けな“しつけ教室”程度の教育しか学ぶことができないから、現場の犬と飼い主をみて挫折するだろうと思う。

逆に言えば、そこから実学を学ぶことで新たな知識と技術あるいは独創性が生まれてくる可能性もあり、飼い主と犬の文化創造の聖地になり得る要素も秘めている。

発想次第でどうにでもなってしまう危うい夢の空間を見てきた。
 

人間臭い、にんにく臭い 2007年09月12日(水)

  K手作りの焼き餃子を洞爺湖産のにんにくをたっぷりすりおろしたタレで美味しく食べた。
定休日前夜だから許されるちょっとした贅沢だった。

こんな小さな喜びを感じるゆとりがあればこの国の総理も横綱朝青龍のような健康状態にならなくて済んだろうに。

物事に真剣に取り組む姿勢は大切だけど、のめりこむだけの専門家より公私を切り替えれる凡人の方が結局は良い選択ができるんじゃなかろうか。
ただ、辛い思いをすることにさえ意義や喜びを感じ取れるうちが華で、思い詰めるように苦しくなったら「や〜めた」というのは、人間としてあるいは立場上問題視されることもあるだろうけど、人間性やヒトとしてはむしろ正解で許されることだと思う。

東国原宮崎県知事の日記を愛読しているが、私的(実は公的と本人は自覚しているはず)な日記を書くことで自分の考えを再認識したり、日々のストレスを分散して精神のバランスを保っている様子が窺え、時に崩れそうになりながら形式上私的日記という位置づけのものに甘え・寄りかかって真情を吐露して揺れ動く気持ちの振幅を押さえ、熱い結論を冷静に導き出そうとしていて面白い。

先日どこかの精神科医が『自分を見ているもう一人の自分がいる』というのも精神障害のひとつ、なんて言ってたが、そんなの誰にも経験のある健康な状態ですよね?
『いーや。』『そうぉ?』なんて言わないで下さいよ。
あれ?
うそ?
もしかして、ビョ、ビョウキ?

私が犬を叱るとき、そこには必ずもう一人の自分がいて、本当の自分は犬の反応を確かめて対処し、もう一人の自分は自己の対応を眺めているように思うのだけれど…

怖い怖い。
にんにく食べ過ぎたかな。
残りのにんにくは魔除けに飾ろう。
 

犬をしつけるという観念について 2007年09月11日(火)

  ビールも焼酎もあまり美味しく感じられなくなったのは、体調のせいではなく夕方以降の涼しさによるものだと思う。
喉を潤したくなる欲求が湧かない中で飲むものだから、満たされるような美味しさがないのだ。
熱燗が恋しくなる時期までしばらく飲む量を控えることができそうだ。

さて、今夜は『犬をしつける』という観念について少々書いておこう。

・犬が引っ張る
・散歩中吠える
・拾い食いをする
だから「しつけて直してもらえないでしょうか?」と訓練を依頼する方がおられる。
まるで、修理・修繕に出すみたいに。
「だって私には無理無理。」と考えておられるようだ。

特殊知識や技能が必要な盲導犬などの訓練ではなく、たかが引っ張る吠える拾い食いという、家庭犬ならば当たり前にあるような行動に対するしつけ程度は、本来人間が持っている能力で充分に解決可能なのに。

「だって凄い力で引っ張るんですよ。先生は男だからできるんです」
そんな風に言われたこともあるが、実は違うのだ。

盲導犬協会には女性も訓練士を目指して入門してくる。
確かに何も知らない彼女たちは最初は犬に振り回されるが、僅か1年後には新たな犬を担当してもそんなことはなくなる。
彼女たちの腕力が逞しくなったからか?
違う。意識の変革とちょっとしたコツを覚えたからだ。

引っ張る吠える拾い食いなどに手こずって盲導犬の仕事を教える時間を削られてはたまらない。
そんな初歩的なのはさっさと片付けて次に進むのが普通だ。

犬を飼う人は次の犬を飼う可能性が高い。
だから基本的なしつけについては他人任せにするのではなく、自分で基本的な知識と技術を身につけておくのが大切だと思う。

でも実際にそれができない理由も良く分かる。
わが子に対する思い入れと、学校のような実習頭数が一般では得られないことに起因している。
だからこそ自分の意識改革とカフェのような場所で個性溢れる犬たちを観察して、私がそれぞれの犬たちにどう働きかけているかを盗み見ることで自分の幅を広げて欲しい。

いけない、いけない。
この欄を書く時間が長くなるほど、控えようと決めていた焼酎の消費量が増えてしまっている。
 

アマツバメ。ー野鳥と相棒ー 2007年09月10日(月)

  今夕の散歩をしていると今にも雨が降り出しそうな空にたくさんの見慣れない鳥が忙しそうに飛び交っていた。
見るとツバメの形をしているが、羽を広げた長さは30〜40センチはあろうかという大きな鳥で、およそイメージしているツバメの可憐さはなく、かといってハヤブサがこんなに群れるはずもないと気にかかってしまった。

カフェに戻ってさっそく亜璃西社の北海道野鳥図鑑を開くと、その鳥たちがアマツバメであるということがすぐに分かった。

とにかくじっとしていないし、比翼がツバメで黒っぽい色しか見えなかった。
図鑑を見ると『繁殖以外では巣がある地上に降りることは無く飛び続ける生活で、捕食や交尾まで空中で行う』とあり、なんだか去年死んだ眞知子のことが思い出されて楽しくなった。
極めつけは、『通常は高空を飛んでいるが、雨の降る前になると低空に下りてくることからこの名がついた』とあって、この図鑑の編集者の視点が私のような初心者に向けられていることが有難かった。

アマツバメにはもうひとつハリオアマツバメという種類があって、写真で見れば尾の先が鮭のようにV字になっておらず、下腹部が白いという明らかな特徴があるのだけれど、これについては私は見分けることが出来なかった。
夕暮れであったし、それ以上に彼らの動きはとてもせわしないものだったから。

動き回っていなければ死んでしまう回遊魚のような鳥がいたなんて、聞いただけで嬉しくなってしまう。
あなたの周りにそんな人居ません?

自分がそうはなりたくないけど、そんな友人って最高に楽しい!

今日のカフェには時間差はあったものの12頭のラブ・ゴールデン・フラット・F1のレトリーバーが集ってくれた。
普通ならこれだけのレトリーバーが集まれば、回遊魚のようなのがいてもおかしくないのに、カフェではみんなまったりとした時間を過ごしていたのが、今になって思えば不思議に感じた。
まるで盲導犬の研修会みたいに、しつけられ制御を経験した犬たちばかりで、低空を飛ぶ野鳥とは趣が違っていた。

野鳥を見るのは感動ものだし望むところでもあるが、犬たちと暮らすのに彼らの野生を求めるつもりは無く、同じ観客席で『凄いねぇー』と感じあえればそれに越したことは無い。
と思える飼い主ばかりだったのだろう。
 

台風一過に思ったこと 2007年09月09日(日)

  北海道はいつも東北地方の何処かの地域の犠牲のうえに台風から護られている。
だから収穫の秋に落胆する東北農家の方々のインタビューを聞くたびに心からの同情と申し訳なさそれに激励を惜しまずにはいられない。
『おかげさまで』というのが気が引けるほど、今回もまた私たちの地域では台風の影響を受けることはなかった。
何より昨日は無風のうちに過ぎ去ったものだから、本当に台風9号は北海道に存在していたのか疑問すら感じてしまった。

一昼夜過ぎた今日のガーデンは気温30度と夏に逆戻りし、残暑厳しい日曜日だった。
そんな今日の話題は2題。

「すみませ〜ん。家の前の道路を何度もうろついていたラブを保護したのですが、心当たりはありませんか?」
朝の8時半頃、近所の方がインターフォン越しに話してきた。
玄関に出て犬を見たが見知らぬわんこだった。
出産経験のある9歳前後のメス犬で、乳腺腫瘍で治療が必要と感じたが、しつけもちゃんと出来ていて飼い主はきっと探していると思われた。

「まずは交番に連絡しておいてください。ネットワークで探してみますから」と私。
「10時には出かけなければならないのですが…」
「とりあえず自宅前に係留しておいてください。」

9時半頃、「飼い主の方が、玄関前の犬を発見してくれました」という電話があり一件落着となった。
めでたし、めでたし。

「散歩中、またあの犬が放し飼いで私の犬を襲ってきました。慌てて主人が抱き上げて愛犬を守り、相手の犬を蹴飛ばしたのですが空振りだったようです。頭にきた主人が相手の飼い主を怒鳴りつけたら、そそくさと逃げ帰ってしまったということです。
腹の虫が収まらない主人は「保健所に電話してやる」と凄い剣幕でした。」
「昨日が土曜日でよかったですね」
「そうなんです。相手の犬は近所の方が飼っているので、気まずい結果になるより、私にすれば今後自制してくれればそれでいいのですが…」

犬が襲ってきた時に普通の人が適切に対応できることはまずない。
ここでその方法を説明するつもりはないけれど、私はそんな究極の状況にでも対処する準備がないとは言えない。
いや、いつもある。

それは経験上のことではあるが、生半可なことでは解決できない中での“極めつけ”の行動であることを知らねばならない。
一言で言えばクマと遭遇した時のような緊急避難行動である。

そんなことは普通出来ないから、一般の方には無理なのだと思うのだ。
が、実はそんな対処を相手の犬に真剣に行うことは、飼い主の目を覚まさせることにも通じることも感じている。

襲ってきた犬が例え殺されてもその飼い主にどれだけの通用する言い分があろう。
自分の犬を、それも制御すら出来ない犬をフリーにすることは、時に莫大な賠償責任や愛犬の死を意味することがあることを常習者なら知るべきである。

きちんとした飼い主なら相応な冒険は必要だけど、愛犬を見失ったり、社会に迷惑をかける状況の中で放し飼いにするのはちと間違っている。

北海道の台風のように『ごめんなさい。お蔭様で。』で済まされることもこともあれば、そうじゃないこともあるのだから。
ふざけていても一線を越えるか越えないかで随分と違ってくる。
 

連休の定休日 2007年09月07日(金)

  台風9号の影響による不気味な雨が夕方から降り続いている。
駐車場は広範囲で水没しているから、明け方までに台風が通過してくれないと水が引かず明日の営業に影響が出そうだけど、その台風はまだ北海道に上陸すらしてないらしい。
えらいこっちゃ。
そういえば今日はまだ無風状態が続いている。

さて、定休日となった金曜日の今日はお泊り犬がいたのでKと私は溜まりに溜まった雑用を片付けることにした。

Kは念願のゴールド免許を手に入れるためいそいそと出かけた後、久しぶりのショッピングを楽しみ有意義だったようだ。
25年以上無事故無違反…というより幸いにも事故・違反を検挙されずにいる私は、依頼されていた原稿を書き、カフェに設置していた補助犬協会の募金箱のお金を振り込み、商品発注の手はずを整え、台風に備えてガーデンの飛ばされそうな道具を片付けた。

昨日の木曜はニセコで過ごし、ニセコ駅ヌプリの期間限定“季節のカレー”を食べるなどして楽しんできた。
その翌日にまだ休みがあったことに今日は改めて感動し、生まれて初めての規則的な連休の有難さを心から味わった。

お泊り犬のJRTもこれまでのところ順調に付き合ってくれているので安心だ。
テレビの台風中継では大げさな表現が目立っているけど、情報では既にいつもの低気圧程度に勢力を落としているから、札幌市内は大きな影響は出ないだろう。
明日から5日間、ガンバリまーす。
 

かぼちゃ祭り 2007年09月03日(月)

  夕食後ソファで爆睡してしまって気がつけば日付が変わろうとしている。

突然の呼びかけにもかかわらず土日の佐呂間町かぼちゃ祭りに同行してくださったMダックス/ぷー助・ライムのAご夫妻、Gレトリーバー/サリー・モナリーのYご夫妻には心から感謝である。
また、この欄をご覧になって会場まで足を運んでくださったご家族が二組おられた。
どちらも偶然釧路からで、Kさんは今後保護された犬を引き取って暮らしたい夢を持っておられ、Iさんは我が家の愛犬アモの従兄弟であるマルクの飼い主さんだ。
ありがとうございました。

土曜の夕方佐呂間入りした私たちは、正法寺の境内でジンギスカン・北海シマエビ・採れ立てホタテをご馳走になり、Yさんが丸瀬布で釣り上げた虹鱒も塩焼きして食べた。

すぐ横のメインストリートでは前夜祭の仮装パレードで大賑わい。
私たちはその出し物に腹を抱えて笑い、犬たちもその雰囲気に徐々に慣れて楽しむようになっていた。
道端にはハロウィンのように様々な顔のかぼちゃが並び、中のろうそくがほのぼのと辺りを照らしていた。

「今晩は本堂で雑魚寝できるようにしてあっから」と和尚。
「本堂だって?出るんでねぇか、幽霊」
「バーヤロ、寺だぞ。でねぇわけないべ」
「どんなのがさぁ?」
「心配すんな。一人に一人ずつだ」

結局、私たちはビールや酎ハイに続いて本堂に供えてあった日本酒の中から『八海山』を空け、持参したシャンパンのコルクを神聖な本堂の天井に飛ばして騒いだ。
飛んだコルクはモナリーがすぐに咥えて届けてくれた。
夜が更けた頃お開きになったが、朝までみんな爆睡だったから誰も見知らぬ人にお目にかかることはなかった。
ただ愛犬たちは翌朝とりわけお利口で神妙にしていたから、きっと有難い出会いがあったのかもしれぬ。

日曜日、佐呂間かぼちゃ祭りは好天に恵まれ、若い連中もたくさん参加して活気に満ちていた。
盲導犬ユーザーのK夫妻も一日中現場に張り付いて、年に一度のこのお祭りを楽しんでおられた。

「頼む。遊ぶつもりで佐呂間に来てけれ」
そんな和尚からの電話がきっかけとなってカフェを4連休にしたのだけれど、こちらがお礼を言いたくなるほどキャンプとお祭りを楽しむことができた。

『よかった』と心から思う。

人生の中では思いも寄らぬことから新たな物事が始まるものだ。
これまでに培った人々との繋がりがむなしいものであれば騙されることだってあるのだろうけれど、私の周りには実に愉快でユニークで心優しいチャレンジャーがいることに気づかされる。

ありがとう。みんなみんな。
 


- Web Diary ver 1.26 -