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この欄の上に日付が表示されている。 あのミレニアムの大騒ぎからもう8年も経っていて、ついこないだの『あけおめ、ことよろ』から始まった月も終盤になっている。
そんな振り返り方をすると『自分が生まれたのはまだ戦後の流れの中だったのだなぁ』と時の流れの速さと過去というものをしみじみ思う。 子供の頃、親から聞かされた戦争の話は遠い昔の歴史の断片にしか過ぎなかったのに、実は親にも自分にとっても、ついこないだの出来事だったのだなぁ、と。
今の子供たちもそんな風にミレニアムの話を遠い過去と感じながら現代を生き、いずれ、世紀をまたにかけた時代を疾風のごとく生きた自分を振り返るのだろう。
だからこそ『今を生きよ』というテーマがいつの時代にも存在し、観念上では解っていてもその意味を本当に知るのは年をとってからということが繰り返される。 人間ってうまくできているな。
不老不死じゃ傲慢の塊になっちまう。
なんだか哀愁を帯びた話になってしまったが、『死期近し』を感じて懺悔の気持ちが芽生えたわけではない。
人生の儚さを論じるようになると、孫に優しいばかりの祖父母のように『人生は短いのだからそんなに怒鳴るんでない』と若い親を諭しがちだが、祖父母にとっては孫は消え行く自分の化身のように可愛いし、育てる親のような責任がないのだから自分の得た人生論を好き勝手にぶちまけるものなのだ。
教訓もあろうし、たわ言もあることを知らねばならないだろう。 そうやって私たちは固有の文化を引き継いできた。
さて、この時代の犬の話だが… なんてことを書き出したら止まらなくなってしまうから短かめになるよう自制しよう。
五代将軍綱吉が生類憐みの令を出した遠い時代… 今私たちは一時代の流れの中の現代において愛犬と暮らしているに過ぎないから、何が良くて何が悪いかは歴史に委ねるしかない。 だが、やわに感じる綱吉の功績は綱紀粛正にあったともいえる。 私はジジババのような生の儚さを前面に出した無責任な立場で愛犬を育てることを微笑みながら受け入れつつも敢えて異議を唱える場合があると言わざるを得ないと感じている。 何故ならその無責任な結果において人が犬と暮らさなくなるような空白の時代を作りたくないから。
棄て犬が後を絶たない今のペットブームではあの時代の綱吉の意図とは別問題ではあるが、腐敗大名に対して彼が行ったような綱紀粛正が必要だと思っている。
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