From the North Country

犬年齢で言えば14年が経過したカフェ 2007年07月09日(月)

  カフェを始めて3年半が経つと、常連犬たちにも落ち着きというか物足りなさというか…はっきり言って高齢化が目立つようになってきた。

ガーデンが泥んこになっても走り続けるわんこは今では数えるほどで、殆どの犬たちが「あんたたちいい加減にしなさいよ。走り回るのは自由だけど私たちに絡んできたり、遊ぼう攻撃を仕掛けるのはやめてちょうだい!」と、以前の自分たちの所業など忘れたかのように迷惑がっている。
飼い主が購入されるドッグフードもシニアやリデュースに替わりつつあって、このままでいくと数年後のカフェは老犬ホームになりそうだ。

そろそろ若い血が欲しいところだが、如何せんこちらも年をとってきたものだから、「ま、いっか」という本音が対策を遅らせてしまっている。
まあ、これからは加齢に伴う病気や障害、それから介護に関することをアドバイスできるよう再勉強しておこうと思う。
それと愛犬に残された時間とどのように関わるのかについても、私なりの考えと飼い主の方の多様性を踏まえたうえでの相談が受けれるよう心積もりをしておかなければならないだろう。

実際にはカフェの仲間たちが様々な情報を与えてくれるし、辛さや悲しみも共有してくれるだろうから、私はただ黙って共感していればいいのだが、経験だけは豊富だから“とりあえず心積もり”ということだ。

『犬のことより自分を心配しろ!』という声が聞こえてきそうだ…。
 

ブーちゃん 2007年07月08日(日)

  「さあ、愛犬と出かけよう!」と先日書いたら、みんなカフェ以外のどこかへ行ってしまったようで、今日のカフェは「どうなってんの?」状態。
おかげでサマーベッドでお昼寝ができた。

さて、今夜お泊りのMダックスブーちゃんは、自宅での振る舞いを正直に表現していてとても分かりやすい。
私たちが食事を始めるとその瞳は期待に満ちて、もしフリーにしたならちゃぶ台に上って食べ尽くしそうだし、Kが自室で話す電話の声に「ウーウー」と低く唸ったり時には偉そうな吠え声を上げて私から叱られている。

面白いのは、ちゃんと学習して態度を改める賢さで、我が家においてなら数日で暮らしやすいわんこに変貌できそうな適応能力を持っていることだ。

日付が変わる前のガーデンで最後のトイレに連れ出した。
念仏のように唱える「シーシーシーシー」という私たちの声にブーちゃんはしばらく動き回ってシッコをした。
途端に拍手と褒め言葉でブーちゃんは迎えられたが、すぐに今度は「ベンベンうんちうんち」の念仏に促されるように再び動き回り、一切れのビッグジョブを完遂した。

褒められながらカフェに入って、私はブーちゃんを抱き上げ、Kがブーちゃんの足を拭き始めた。
後ろ足から前足に移った時、ブーちゃんが低い唸りを上げたが、そんなのは折り込み済みである。
「アホタン!」の声と追い詰めないけど迫力満点の叱責で、ブーちゃんはカルチャーショックを受け、自分の振る舞いと叱責の意味を考えている。

さっきまでなら階段の足音というだけで唸っていたブーちゃんは、興味深げに尾を振るようになっていた。
明日も最初のような警戒的反応から始まるだろう。
だが、その後の私たちの振る舞いに観察力に基づいた一貫性があれば、ブーちゃんもすばやく私たちが求めている反応を示してくれるに違いない。

明日は看板犬のようにカフェで過ごしてもらわなければならないのだよ。
そろそろおやすみにしよう。
 

2007年7月7日パチンコサラ金 2007年07月07日(土)

  今日は777の日だ。
5年前までのパチンコにハマっていた私なら、いそいそと出かけていたかもしれない。

高校生のとき初めてパチンコをした日の夜、多くの初心者がそうであったように私も大勝ちする夢を見た。
大学時代は部活・パチンコ・麻雀・ビリヤードで多くの時間を過ごしていた。
パチンコには当時からギャンブル性はあったが、普通の人間なら身上を潰すような恐ろしいものではなく、際どい遊びだった。

しかし時代と共に、それは個人を落とし入れ、家庭を破滅させるに充分なギャンブルになった。
私自身も何度が痛い目に遭ったが、そこはギャンブル、美味しい思いもさせてもらった。
そしてそれ以上に、のめり込んで病的になっていく周囲の老若男女を意識することができたのは幸いだった。

負けが込んで青ざめながらも、どこからか軍資金を調達してくる若者。
罵声を浴びせながら自棄になって大金をつぎ込むおやじたち。
家事を気にしつつ明らかに生活費まで使い果たし、色目を使うようになった女たち。
手の震えを押さえるようにレバーを握り、訳の分からぬ独り言を念仏のように唱え、大当たりが来ようものならそのまま後ろにひっくり返って死んでしまいそうなばあちゃんたち。

その原因の半分がパチンコ自体の射幸心を煽るような技術革新であり、残りの殆どは悪名高きサラ金から名前を変えた消費者金融つまりキャッシングという政府公認の高利貸し制度だと感じていた。

あれだけ立派な建物を次々と展開し、テレビコマーシャルや折込チラシの殆どを占めるような広告を出して儲けている産業に、お上公認のサラ金が合わされば、貧弱な庶民などひとたまりもなく飲み込まれてもおかしくない。

囲碁やプロスポーツなど私が100回挑戦してもすべて負けるいわゆる決定勝負ならギャンブルにはならないが、パチンコは日に10数万円も勝てるチャンスがある非決定勝負と思われがちである。
確かにそのようなことをほとんどの愛好家は経験しているであろう。
だが、パチンコもトータルで見れば決定勝負であり、とりわけ仕事が終わって遊ぶ人や、曖昧な考えで中毒のように通っている人は負けを見るようにできているのだ。

一方で一日の時間を自由に使えた5年前、私は半年間毎月3〜40万円をパチンコで稼ぎ出していた。
あの頃の私にとってのパチンコはトータルで勝てるという決定勝負であり、原因というか流れが分かる状況が整っていたから勝てたのである。

以後、私はつきあい以外個人でパチンコをすることはなくなった。(この5年間でたぶん2回だけ)

あの状況から抜け出すのは既にハマっている人にとっては大変なことだと思う。(裏方で国も加担しているのだから)
だから、せめて自分のお金を注げる範囲でギャンブればいい。
ローンも結構いい加減だが、キャッシング(サラ金・高利貸し)なぞ一昔前なら明確な破滅への一歩だったし、システム上は今も変わりなく、ただ、政府公認で大手銀行が裏(表?)で堂々とやって、『周りのみんながやってるから怖くない』という甘い誘惑が匂う悪魔の罠であることを知っておこう。

「まるで生体販売を行うペットショップで仔犬を買うようなものである」と強引に言っても話は繋がらない…か?

過去を否定するつもりはなく、思い出しただけのことである。
だって、否定したら自分の今がないし、次には酒タバコの話に発展しちまうじゃないか!
 

さあ出かけよう! 2007年07月06日(金)

  九州では大雨が降り続き、被災された方々にはお見舞いを申し上げます。
夕べから今朝方にかけては札幌でもそこそこの雨が降ったが、農作物や家庭菜園それに自然界にとっては一息つける恵みの雨だったのが申し訳ないほどだ。

札幌は過去に一度も水不足を経験していない。
冬の間、山々に降り積もった雪が豊かな伏流水となって豊平川に豊富な水をもたらしてくれるのが最大の要因となっている。
自然環境を守り続けることで、さらに美味しい水の供給が子孫に受け継がれるよう市民としてできることをやっていきたい。

さて、昨日の定休日は岩見沢公園のバラ園へ出かけてきたが、わんこ連れが多く微笑ましかった。
ああいう場所では犬たちは随分たくさんのことを学んでいるから、夏の北海道は愛犬教育には最適に思え、「愛犬と野外に出かけよう!」キャンペーンを推進したくなった。

1.環境が良いから犬たちの心も弾み開放的になる一方で、周りには見知らぬ人間がいっぱい居て、普通なら吠えてしまう犬も圧倒されて黙っている。
つまりは身の程を知り分をわきまえる経験をしている。

2.吠えない分、冷静だから楽しみに敏感になるし、ちょっとした制御でお利口に振舞える。

3.お利口にしているから周囲の人は優しいまなざしを向けたり、あるいは一切無視して人ごみの中の一員として認めてくれ、犬はさらに行儀よく振舞おうとする。

4.そんな愛犬の一面を見た飼い主は嬉しくなって、愛犬と同伴できるテラスで食事をしたりローズソースのかかったアイスを美味しく食べることができ、愛犬は足元で周囲の人を観察し、おねだりする余裕もない。
ふと、ご主人が食べてるアイスに気づいても「今はダメ。お利口な振る舞いを続けて私を楽しませておくれ」という目配せと踏んづけられたリードで、犬はアイスを諦めざるを得なくなる。

5.最後に「お利口ですね」と声でもかけられようものなら(うちのバカ犬が?)と思いつつも嬉しさは頂点に達し、毎週のようにバラ園を訪ねるようになるだろう。

こうして飼い主には愛犬をしつけるポジティブな意識が芽生え、犬は社会見学の経験をまるで修学旅行のように積み重ね、知らぬ間に行儀作法と美味しいおやつをせしめるテクニックを身につける。

長い長い冬を越えての短い北海道の夏だ。
最高の環境の中へ、さあ、愛犬と出かけよう!
 

我が家の防災準備 2007年07月04日(水)

  どこか世間とニュースがずれているのが面白い。
今夕の天気予報で「明日の札幌は涼しくなるでしょう」と、まるで今日の札幌が暑かったように予報を伝えていた。
「え?今日もこんなに涼しかったのに?どこの話してんの、この人」

実際のところ6月の気温は高めでこの夏の暑さを心配していたが、7月に入いると「ガーデンじゃ寒いからカフェに入ってきた」という方が多くなっている。

中央での結論がすべてであり、地方での現実など意にも介されないという点において、『犬のしつけにも共通するな』とニカッと笑えた。

ところで、東海地震や首都直下型の大地震予想は恐らく大法螺(ホラ)であって、大都市に人口が集中し過ぎたため人々を地方へ分散させる手段ではないのか?と考えることがある。
そして実は都会に住む人々はそのウソを見抜いているのではないのだろうか?と錯覚してしまう。

そうでなきゃ、来ると分かっている大震災を前に子供を育てている人間がのうのうとそこで生活できるはずがないでしょ?
それとも、まるで蜜に群がるアリの様に、そこにしか蜜はないと…?
これも生きる術なのだろうか?

まさか、分かっていた大震災がやってきた時、つまり蜜の素が踏み荒らされた時、残っている人々には蜘蛛の子を散らすようなパニックに陥らない準備が出来ているとは思っているが、そんな受け入れ方だとしたらやはり驚きを感じる。

災害はどこにいても起こりうるし、予想だけであるいは現実に起こったとしても故郷や今の生活を放棄するわけにもいかないだろう。
だが桜島や有珠山のように噴火と向き合いながら、それでも生きる術を見つけてきた人々と都会のそれを同列視できるものだろうか?

今からでも遅くはない。
頭脳と命は分散し、人類継続の為に知恵と命が芽吹く基盤を整えておこう。

先週のキャンプから1週間が経って、ようやくアモの足裏が回復してきた。
ふと、車庫に積み重ねた衣装ケースを見て、我が家の防災準備が整いつつあることを感じた。
そのケースの中にはキャンプ用品であるガスコンロや調理道具、懐中電灯や雑貨に至るまで生活できる品々が揃っている。
すぐ近くには水タンクもあるし、カフェで使う食料の備蓄もある。
おまけに車庫は天井と床を合わせると5方をコンクリートで囲まれた要塞のようになっている。
後は捨てるにはもったいないと思っている衣料品を、同じく捨てられないバッグにでも詰め込んでおけば寒さを凌げるだろう。

一時的にガーデンに避難し、その後車庫にさえ辿りつければ数日はなんとかなる。
土砂崩れも水没の恐れもない地形である。
タバコと酒で命を落とすことがあっても、自宅にいる限り災害でそうはならない最低限の準備は整っているようだ。
なにより、こうやって一度文字にしてみたことで、酔い潰れた夜なら意識も戻らず死ねるだろうし、日中ならいざという時の対応ができると感じる。

そして最後はラジオから流れる情報と、現実の状況を比較して、自ら判断して行動すればよい。
的外れな天気予報が今夜は防災意識に役立った。
 

9月からカフェは木金連休だよ。最高! 2007年07月02日(月)

  夕方から涼しい風が流れてとても気持ちが良い。
ここまで今年の札幌の初夏は最高!

先日からカフェでは恒例のラーメンサラダを始めているが、暑い日にはサッパリした味で野菜などボリュームたっぷりのラーメンサラダは最高!

暑い時こそクーラーの効いたカフェで、今月のパスタである辛い『ドラゴンアラビアータ』を汗をかきながら食べるのも夏バテ対策には最高!

何もかも最高!の状況が整って、後はそこそこのお客様に来ていただければ何も言うことはない。

実は我が家の愛犬アモの治療が終わり、機能的にも年齢(6歳)的にもしっかり動き回れる条件が整った今、私たちは彼との生活の時をしっかり刻み、楽しんでおきたいと思い始めている。
先週のキャンプも楽しかったけど、それはようやく調整して作った久しぶりの連休のおかげでもある。
だから、あんなことがいつでも可能になるよう、世間並みに『カフェも週休2日制を』と考え始めるようになったが、実現すればこれまた最高!である。

そこそこの生活すらできるのか不安もあるけれど、残された人生に悔いを残さないためにも、9月辺りからカフェは木金を連休にするプランをたった今思いついた。

組織で働いていた頃は“企画書とか伺い書”が必要でその後にさらに複雑な決済を要したが、今の私は自由の身である。
どうやって広報するかが問題だが、2ヶ月の猶予があるから何とかなるだろう。

♪ええことええこと思いついた。チコたんチコたんエビ好き言うた・・・。ほんならほんならチコたん好きなエビ・カニ・タコだけ売ったらええねん。ほんまにええこと思いついた。ヤッホーヤッホーヤッホー!♪
 

秘伝のタレを作るのは簡単、伝えるのが難しいのだ 2007年06月30日(土)

  25日付のこの欄に『わが子と思えば極悪非道に見える振る舞いも辞さない。そこには凄いテクニックが存在する。決して追い詰めず、かといって妥協は無い世界で彼らは私たちと同じように理解し快を求める生物なのだ。』
『恐らく一般の愛犬家には技術的なことを含めて理解はできても現実的に対応できないのではないかと懸念している。』
と書いたら南国のAさんからメールが届いた。

『相手の犬に吠え出し、噛みかかろうとした犬を預かったとして、どのように具体的に対処されるのでしょうか。
私には同じことがそのままできないかもしれませんし、プロの訓練士の方に商売の一番のミソの部分をメールで無料でお聞きするなんて、老舗の鰻屋さんで秘伝のタレの調合を聞くような厚かましさであることと承知していますが、私も愛犬の悪癖には真剣に対処する決意をしました。』とのこと。

秘伝のタレの調合を公表することに私はためらわないが、それを書く難しさに躊躇してしまうのだ。
読み取りようによっては愛犬をスポイルするような飼い主が現れるからである。
だからいつも慎重になり疲れてしまう。

1.Aさんの愛犬のように問題を抱える犬には必ずその他の問題が存在する。
「日常生活には問題は無い」と仰っていたが、私はそうは思わない。
どこか犬に遠慮し、ご機嫌伺いであったり、妥協すべきでない項目を受け入れている部分があると感じている。
“犬はおりこうになればなるほど待遇が良くなる”という鉄則を最初から放棄している面がAさんに限らず多くの飼い主に見られる。

@室内で係留して愛犬と暮らせるか?
係留された犬が声を出したり、傍を通ると飛びついたり、周囲の物を破壊したり、トイレの失敗があったりするのに、それを改善することなくフリーにしてしまっていないか?
この段階で徹底した対応ができないと次の段階へは進めない。

A上記をクリアして室内でフリーにした時の問題解決ができているか?
・室内を駆け回らない
・食卓の物に一切手は出さないし、人の食事中は静かにしている。
・呼び鈴や来客、窓の外を見て吠えたとしても、指示によって止めさせることができる。
・ゴミ箱を荒らすことも室内を破壊することもなく、拾い食いなどしない。
・ソファーやベッドにいる時に、家族が「ちょっとどいて」と指示すれば素直に従い、間違っても唸るような反応をしない。

B自動車内での振舞いも落ち着いていられるか?
・外を見て興奮したり声を出すことは無い。
・ガソリンスタンドや料金所で騒いだりすることは無い。

上記のことは飼い主が何も対応しなければ多くの犬に見られる行動を“予想の範囲内”とし、そのうえできちんと対応してきたかを問うている。

この段階できちんと対応できた飼い主には次のようなことは起こらないか、起こっても対処できる関係が出来上がっている。

2.外で他犬に対して吠えかかる問題について。
吠える・引っ張る・臭い取り・拾い食いなど、何でもいい。すべての問題を解決する秘伝のタレをお教えしよう。
@これらすべての問題を個別の現象ではなく、『犬がいつもの愛犬ではなく、取り乱し・興奮し・我を無くしている』状態と捉える。

A興奮度の最高レベルを10とするなら、犬の取り乱し度合いは時と場合によってレベル3であったり7であったりするだろう。

B制御というのは叱ることでも虐待することでもなく、興奮し取り乱しあるいはいい気になって行動している犬を平常の状態に戻すことである。
だからレベル3で興奮しているならレベル4の制御を行い、レベル7の取り乱しならレベル8で制御すればよいということだ。

C人間ならば頭からバケツの水をひっくり返して冷静にさせることもできれば、両肩を激しく揺すったり、時にはほっぺを平手打ちして我に返すこともあろうが、愛犬にはリードによる制御がある。

Dリードによる制御とはショックであり引っ張り合いではない。
盲導犬訓練士を目指す若い女性は、1年目は犬に受け入れられず引きずり回されることもあるが、2年目にはうまく制御できるようになる。
それは彼女たちの腕力がアップしたのではなく、制御の技術と多方面からのアプローチを学んだ結果であるから、一般の飼い主にでも大型犬の制御すら可能なのである。

E技術的に制御が可能なわけだから、制御とは叱るものであってはならない。
ご存知だろうか?
愛犬の問題行動(例えば吠え)を一時的に解決する最も簡単な方法は、そこにいる他人にリードを渡し飼い主が離れることであり、つまりは愛犬は飼い主がリードを持ちあるいは抱っこしているから勇気百倍になり若しくは吠える目的を持って吠えることが多いのだ。
そして飼い主の「ダメ!静かに!」との叱責は「そうだ!頑張れ!母さんがついてるぞ!」と愛犬には聞こえているのである。
つまりは無言でも愛犬の行動をリードによる制御で行える技術を獲得し、その後に言葉によるコミュニケーションを計っていくのである。
私の“イエストレーニング”それにホームページ上の長崎塾はそのきっかけの一部なのだ。

長い文章だし疲れてきた。
愛犬と暮らす時間は10数年もある。
そのうちの1年を真剣に考え学べば後の時間と、この次から暮らす愛犬との生活が楽しいものになり、場合によっては私が主張する「犬の陳列販売反対!」の真意も理解していただけるようになる。

固定化しつつある“日本における犬との暮らし方”は明らかに間違っている。
“犬との暮らし方の多様性”を喜びにしている私ですらそう感じている。
今のままでは犠牲になる犬と飼い主が多発し、迷惑を被る社会はペット排斥の方向へ向かうだろう。
 

アモの治療終了と私の誕生日を祝うキャンプ 2007年06月29日(金)

  27日を臨時休業にし定休日とあわせ連休をとった私たちは、洞爺湖畔でのキャンプを満喫してきた。
我が家にやってきてから手術を繰り返し、我慢の生活を続けてきたアモへの治療終了のささやかなプレゼントだった。

「いいの?本当に泳いでいいの?」
ためらいがちに目で確かめるアモに、私は「いいよ」と言う代わりに湖に小石を投げた。
その瞬間、アモの身体の半分を占めるラブラドールの血が踊りだした。
一気にバシャバシャと水に入ったかと思うと、私が投げた石の方へ湖面を泳ぎだした。
だが、アモの身体は以前とは違い、両後肢の前十字靭帯は断裂し、その代わりとして角度を変え接合された骨が両足の動きを支えている。
だから最初のうちは犬かきをする前肢が水面にまで出て水しぶきを上げ、アモも頭で描いている泳ぎ方が思うようにできないことに戸惑っていた。

しかし、“ラブラドール恐るべし”である。
水を飲み咳き込みながらもアモは次第に今の身体での泳ぎ方をマスターしていった。
そしてそうなると止まらないのがラブの血でもある。

喜びを爆発させたアモは必要以上の動きでゴロタ場を駆け回り、すべての足裏に擦り傷を作ってしまってもなお沖を見つめて遠泳を望んでいた。

翌日になって痛みを自覚するようになると、ようやく残り半分のゴールデンの血が目覚めて自制するようになったが、それでもボールを投げようものなら命知らずのラブの血が大騒ぎするのは確実であった。

帰宅した翌日の今日のカフェでは、アモは看板犬を放棄し寝てばかりで、足裏は炎症で熱を帯び、トイレの時にはまるで日焼けした人間が恐る恐る痛みをこらえながら歩くようで情けなかった。
数日は家庭医療を施し様子を見て自然治癒を待つことにしている。

ところでキャンプ生活は私にとっては馴染み深いものだがKには遠い昔の『大変だった』記憶しかないようで、今回のキャンプはそのイメージを払拭する目的もあった。
だから私は私流の準備をすべて整え今回のキャンプに臨んでいた。
結果は上々で、「私、準備の段階から何もしなかったし、行ってみればとってもリフレッシュできて楽しかった」との言葉を引き出すことができた。

Kが何もしなかったわけでは勿論ない。
普通のキャンパーならバーベキューを考えるだろうが、私の夜のメニューは定番の現場作りの餃子である。
みじん切りにしたキャベツとニラに豚の挽き肉を混ぜ、ビニール袋で揉み揉みしながら塩コショウを加えた具を餃子の皮で包んで焼くというものだ。
酢をたっぷり醤油は少々で、ラー油を加えたタレに思いっきりにんにくを溶かし込んで食べると、翌日の臭さを忘れた餃子とビールが本当に旨くなるのだ。

その餃子の皮包みの時にKの主婦としての匠の技が炸裂した。
本当に次から次へとあっという間にこの作業をKは完了させたのだ。
包み方についてはどう説明されても私にはできなかったけれど、『みよしの』でアルバイトをし餃子の焼き方をマスターした愛娘から教わった方法で、2回目にはカリカリでジューシーな餃子を私は焼き上げることができた。
是非お試しあれ。
キャンプでの手作り餃子を。

ともあれ、アモと私たちは制限と限界を自覚した上での日常生活を送れるようになった。
 

説教みたいになってしまった私の思い。 2007年06月25日(月)

  鹿児島のAさんが愛犬に注ぐ愛情は充分に感じ取れるし、それなりの努力をされていることも知ることができた。
ただ、これから私が述べることが正しいのかどうか自信はないし、恐らく一般の愛犬家には技術的なことを含めて理解はできても現実的に対応できないのではないかと懸念している。

生後40日で引き取ったのが早すぎるとか、そこからの育て方に問題があったかも、とかの話はもうおしまいにし、現在とこれからの愛犬に目を向けよう。

(Aさんのメールから引用)
“(家庭内での)日常生活ではあまり問題を感じません。
ただ、他の犬に対してものすごく攻撃的なのです。最近、お互いのにおいを嗅ぐことだけはできるようになりましたが、お尻と口元を嗅いで、すぐに唸りはじめ、ガウガウと始めてしまいます。私達が相手の犬を撫ぜるものなら、ものすごい勢いで吠え掛かります。相手の犬の毛を抜いたこともたびたびですので、ほうっておいたら噛み付くのではないかと思います。”と、ある。

『他犬を見つけたら、すぐに飼い主が楯となって相手が見えないようにし、おやつを与え続けて慣れさせましょう』というような、犬をイヌとして扱う訓練方法は病気の犬には正しい場合がある。
ある意味において人をヒトとして扱わなければ外科医は大手術など引き受けれないし、精神科医はカウンセリングもままならず、医学の進歩もないだろう。

だが、それは病気の場合においてであり、犬の問題行動をなんでも病気と解釈する考え方は間違っていると思う。

人間社会には厳しい規範があり、人を傷つければ逮捕され、人として裁かれる場合もあればヒトとして強制入院させられることもある。

Aさんが他犬を撫ぜると、ものすごい勢いで愛犬のJRTが吠え掛かる、というのは強制入院の範疇だろうか?
愛犬は麻薬でもやっていたのか?
それとも精神に問題があって心神耗弱状態だったのか?

違う。
彼女は自分の意思で意図的に吠えている。
その傾向や芽は遺伝かも知れないし、生育過程でそうなったのかも知れない。
「だから、もう一度イヌとして優しく教え直しましょう」と、ある訓練士は言うだろうが、私は先に書いたように過去のことではなく今とこれからのことを考えている。

『子育ての段階で愛犬の傾向を把握し、社会規範を教えていれば』というのは、もう無しであり、精神の形成時期は過ぎてしまっている。
わが国での少年法が改定され、中学生でも犯罪に問われるのは人をヒトと見て、教え直しではなく規範を前面に出しているのだろうと思う。

然るに、ペット社会では飼い主に咬みつく犬や他犬に攻撃的な犬を、なお病気であり教育対象と捉え、規範を教えるのではなく心理学(カウンセリング)で対処しようとしている。
イヌとして見ているからそうなるのであり、犬と見れば飼い主はとことん真剣に向き合うはずで、場合によっては鉄拳すら辞さず、それでも反抗しようものなら「あんたは母さんの気持ちがまだ分からないのかい!いい加減に目を覚まし人の話を聞きなさい!」と全身全霊で立ち向かうだろう。

酔ってきたぞぉ。

我が家の愛犬アモの稟性や彼の本能がおもむくがままの行動を放置したなら、彼は我が家にとって決していい犬ではない。
でも私たちは遺伝的問題や悪い部分の芽を摘み取らなかった過去の育て方を振り返らない。
ただ「二度とそのようなことはするな!」ときちんと教えるだけだ。

他犬を撫ぜた時、Aさんの愛犬はAさんの意図することとは別の行動を意図的に示す。
Aさんの気持ちや対応はどうあれ、彼女は咬みつかんばかりに吠えてしまうのだ。

我が家ではあり得ないが、仮にこんな問題が起きたとしても数日後にはすっかり片付いている。
何故なら、他人や他犬に取り返しのつかないような行動、すなわちアモが保健所に捕捉されるかも知れないような行為は絶対に許さないと伝えることができるからだ。
それでも彼は私を絶対的に信頼する。
教え方に魂がこもっているのを彼らは本能的に察知できるからだ。

わが子と思えば極悪非道に見える振る舞いも辞さない。
そこには凄いテクニックが存在する。
決して追い詰めず、かといって妥協は無い世界で彼らは私たちと同じように理解し快を求める生物なのだ。

他犬が嫌い・反射的に吠えるというのは仕方の無いこと。
それをいつまでも行動に出させ、反射的ではなく意図的に継続させているのは飼い主の問題であり、それすら治せないなら飼い主が抱いている愛情は犬に対してではなくイヌへのそれであると断ぜざるを得ない。
 

鹿児島のAさんへ、その2 2007年06月24日(日)

  アカシアの花が散る頃はいつも雨が降り続くのだが、今年は違う。
晴天が続き、今日のような曇天の日にですら空砲の雷とお湿り程度の少雨がかすっただけだった。

そんな6月の週末はみんな行楽に出かけて、カフェはいたってのんびりムード。
お泊り犬もいないし、今夜は最高!

こんな書き方をする時は『さて、今夜は何を書こうか?』と考えている最中であり、普通のブロガーなら『書きたいことがあるから書いている』というのに、私の場合は既に枯れ井戸状態で強迫観念に囚われて書こうとしているだけだ。

そんな今夜、先日の鹿児島ジャックラッセルテリア(JRT)の飼い主Aさんから助け舟のメールが届いた。

(前略
不躾なメールだったため、やはりお返事はいただけないものと思っており、あきらめ半分でメールチェックをし、もしかしたらとブログのほうも拝見させていただきました。
あれ、鹿児島のことが書いてある!?と思ってびっくりいたしました。
つい先日、開聞岳の麓の「そうめん流し」に行ってきました。流しそうめんという地方もあるそうです。ご存知ですか?丸いテーブルの上に丸い溝がすえつけられており、そこに湧き水を水流をつけて回転させ、そうめんをまわしながら食べるものです。
http://rp.gnavi.co.jp/sb/3009107/
また鹿児島にお運びの際はぜひ。)

どっかの街の町長さん?のアイデアで、水流の速さまで調整できる電動式そうめん流しの話は聞いたことがある。

そんなことよりAさんの質問にお答えしなければ夜が明けてしまいそうだ。
Aさんの質問を要約すれば『名のある訓練所から生後40日のJRTを引き取り、犬を飼うのは初めてでもないし自分たちの暮らしの中では問題ないどころか楽しく接している。
ただ、歯を磨くような時など嫌なことをされればに反抗的な一面も見せるが、決して危害を加えることも無いのに、他犬との付き合いにおいてはどちらかと言えば攻撃的な面があって、生まれた訓練所で結構厳しい訓練を受けたけれど改善されない。
実は避妊もさせていないので繁殖し、もう一頭犬を飼いたいのだけれどこれについてはどうだろうか?』と大まかな部分において勝手に解釈させていただいている。

まずはこの欄の履歴2004年の4月20日と2005年の2月6日をチェックしていただきたい。

私は生後早いうちの仔犬の飼育には基本的に魅力を感じている。
犬社会での社会化が起こる前に、人間社会での社会化を進めた犬たちが素晴らしい盲導犬になった経験を持っているからだ。
ただしそれには条件がある。
人が親代わりをとことん引き受け、『人間社会だけではなく早いうちから安全な犬たちとの関わりを経験させておく』という社会経験の一環が含まれねばならない。

今となっては手遅れだが、Aさんの愛犬はその点への配慮が足りず、人に対しての刷り込みが強化され他犬には排他的になったのだろうと思う。

一方で、『愛するだけで犬は育たない』という現実にさらされているのだろうとも思う。
つまりは手に入れた愛犬との相性だけを考えてはならないということだ。
犬は何もしなければ血筋で育つし、『こう育てたい』なら働きかけとシステムを理解していなければならないのだ。

Aさん。あなたのJRTはあなたが育てたように普通に育っていると思います。
ただ、あなたはあなたのJRTに相応しくない欲望を抱いているのではありませんか?
我が家の愛犬アモは血筋も育て方も我が家の流儀ではなくやってきた愛犬です。
今、正にそれを変化させようとし、妥協と折り合いを含みながら暮らしています。
ですが、そのプロセスに『反抗的』という状況は私たちにとってあり得ないはずなのです。

無理無理、ごめんなさい、酔いが回ってきた。
この続きはまた今度。
 


- Web Diary ver 1.26 -