From the North Country

物も言い様 2007年06月20日(水)

  昨夜のこの欄には補足が必要。

一部にはどうもならん犬を繁殖に用いて、どうもならん仔犬を増やし、そういう繁殖屋に限って益々どうもならん身の毛もよだつ生体販売を行うペットショップで陳列販売するなど、どうもならんブリーダーと犬屋がいるから、善意の購入者がひどい目にあう事例が少なくない。

だから問題行動の根幹部分は彼らに拠るもので、彼らは“善良な飼い主は自分の犬にダメ犬のレッテルを貼られることに反発し不憫に思い自己責任を感じる”という心理を悪用して業績を伸ばしているのだ。
悔しいけれど、どうもならん人間たちの思う壺にはまってしまっているということだ。

欧米の犬たちがお利口に見えるのは文化の違いもあるけれど、“素敵な家庭犬になるために生まれてきた”ような犬を繁殖しているブリーダーが多く、そこでの分譲システムが一般化しており、一部の生体販売を行うペットショップは評判も悪く、息を潜めるようにして営業しているのが実情だ。

では、どうなればよいのか?
1.国内のドッグショーでは体型などの外見的スタンダードばかりに目を向けず、内面的な感性や家庭犬であれば暮らしやすさを重視すべし。
2.そこで評価を得たブリーダーが血統を適切に伸ばし、必要なアドバイスをしながら一般に分譲する。
3.ペットショップでは犬の情報や犬種特性をビデオあるいはリアルタイムで流し、予約販売の仲介を行う。

まあ、こんなところが補足である。

ところで、批判ばかりする人間は嫌いだし、自分にその傾向があるのを恥ずかしく思うけど、昨日のニュース番組の中の娯楽生中継を見てやっぱり茶化したくなった。

それは我がカフェのようなペット関連ショップからの中継で、話はペットホテルの話題に移っていた。
アナウンサー:「見て下さい!ちゃんと清潔な個室があって、プライバシーも守られてるんですね。」
そこにはカプセルホテルのようにただペットケージが積み重ねられていただけである。
私とK:「物も言い様だね。個室かぁ?。不安な犬にとってはただの独房じゃんね。それならうちのお泊りわん子たちはさしずめ雑居房だね。」

先日レッスンのキャンセルがあった。
週末に用事ができてペットショップに愛犬をお泊りさせたら、帰宅後も食欲と元気が無いというのが理由だった。
恐らく“個室”で暮らし、周囲では泣き喚く犬たちがいたのに、適切な対応がなされなかったのだろう。

今夜の私の雑居房ではキャバリアのルッカが静かに寝息を立てている。
 

問題行動の芽 2007年06月19日(火)

  一般に問題行動と呼ばれている事柄があるけれど、それは飼い主がその行動の源を犬が大人になるまで放置あるいは助長し続けてきた末に残る必然的な結果であり、犬自身が生得的に抱えていたがための問題ではないと私は考えている。
勿論、犬の問題行動は例えば咬む・吠える・破壊する・飛びつく・穴を掘る・引っ張る・雷恐怖・自傷行為など犬としてまた生き物としての生得的行動の一部が強調されたものであるのは間違いないが、“問題行動”と銘打つほどに問題視させるようになったのはやはり育てる過程にあったと思う。

つまりその傾向や予兆は仔犬の頃にあったはずなのに、犬を知らず、将来のことも考えずに接した結果である。

生後4ヶ月以下の時点で
・触る時/食事の時/おもちゃを取り上げる時など唸ることがあったのに、面白がったり放任した。
・甘咬みではなくマジ咬みと思える行動があったのにきちんと対処しなかった。
・仔犬が怖がったり反抗的になったりしてもその姿が面白く、仔犬の反応を確かめたり気持ちに配慮することなく仔犬との遊びは楽しいと思って接していた。

生後4ヶ月以上になって
・日々の散歩をせず、箱入りで育てた。
・穴掘りや飛びつき、引っ張る行動すら可愛いものと考えていた。
・しつけもできていない犬を室内でフリーにし、マウントを許し、破壊行動も仕方の無いものだと考えていた。
・感情的に叱ったり、褒める必要も無いのに溺愛したり、感情を先取りして雷が鳴ったときに抱きしめたり…

これまでに相談を受けた問題行動の中に『犬が空を飛んで困っています』という類のものはなく、“犬ならばそういうこともあるだろうなぁ”という事例ばかりである。

要するに、当たり前の社会経験を積ませ、当たり前の家庭内行動への教育をし、そのうえで個々の性格の中から伸ばすべき資質や排除すべき性癖を専門家のアドバイスを受けて、必要な接し方をすればよかったのである。

相手は魔法使いで、普通の人間ならコロリとなってしまうような愛らしさに身を包んでいる。
『ああ可愛い!もうダメ』と頬擦りし『何でも許しちゃう!』との想いを誰も止められはしないけれど、心の片隅で冷静な観察を行い、将来に思いを馳せておくのも必要だということである。

なんか結婚と同じみたいだけど、ペットの場合は離婚はできませんからね。
 

芽吹きそして継続する 2007年06月17日(日)

  アカシアの花が満開を迎えようとしている。
深夜ライトアップしたガーデンはまるで夜桜中継のような神秘的な美しさを醸し、1年のうちで最も輝いているように見える。
金曜日の早朝にたっぷりの雨が降った以外、もう何週間も晴天が続き、朝夕は肌寒いほどに心地よい。
果たして喜ぶべきなのか、猛暑の前兆として憂うべきなのか?

お泊り犬がいなくなった閉店後、私たちは久しぶりに
車で数分の平岡公園まで出かけ、ゆったりとした散歩を楽しんだ。
人影まばらであったが、その中に明らかに犬の訓練士と思われる人を数ヶ所で見かけちょっと嬉しくなった。

彼/彼女たちの目は真剣でしかも優しかった。
何で困っている犬をどのような方法で訓練しようとしているかの意図もはっきりしていて、それぞれに成果を挙げているようにも見えた。
私たちを見つけると、都合の良い訓練対象に出会えたかのように手元の犬に集中しながらそれぞれの対処法を試みていた。

そのような彼らを見かけるということは、依頼者がいるということであり、『犬には基礎的な訓練を行う』という考えを持った飼い主が増えていること、何より訓練士のそばに飼い主がいて適切な取り扱いを実践しながら学んでいることがすばらしいと思えた。

犬を飼っていない方が街を歩いている時、無作法な犬や無頓着な飼い主と出会えば不愉快に感じることもあるだろうけど、無作法な犬でもそばで真剣に教えようとしている訓練士と、それを学ぶ飼い主がいたなら『頑張ってね。いい子になるんだよ。』と優しいまなざしを向けてくれるものだ。
それは私が盲導犬の訓練をしていた時に確信したことでもある。
初めてバスや地下鉄に乗車する訓練犬の中には戸惑いを見せる犬もいたのに、周囲の方は皆微笑みを持って受け入れてくれたし、『頑張るんだよ、新米ちゃん!』と訓練中の私たちに募金しようとする方もおられたものだ。

おりこうなワンちゃんはそれでいい。
そうでないなら、世間から避けるように生きるのではなく、要するに頑張っている姿勢を示すことこそが大切なのだと思う。
もし、数ヶ月先にその結果を示すことができれば最高である。

枯れ枝のようにみすぼらしかったニセアカシアが今満開を迎えようとしている。
あなたが愛した犬ともそんな満開の思い出がいつまでも記憶に残るような暮らしを共有してみてはどうだろう。

私は枯れ枝のようなニセアカシア状態だけど、若い芽吹きがそこここに点在している。
育て方の基本を学べば、次の愛犬育てに生かせるし、その姿を子供たちも見ているはずだからさらに次に発展させることができる。

夜遅く普通の人たちは外に出ることも無く眠りにつく。
犬を飼っているからこそ満天の星と闇の静寂、ひんやりとした空気を体感できる情緒豊かな時間を日々感じることができるのだ。
私たちは愛犬から様々な恩恵を受けていると思う。
 

極めれば簡単なこと 2007年06月16日(土)

  今日の日中のテレビで、なんとかチャンピオンしつけ王選手権という再放送番組が流れていた。
7日間でいくつかの課題をこなせるように犬を訓練するというものだったが、そこは娯楽番組でもあり犬種や性格の違いを利用して紆余曲折があるように仕組んであり、面白さが演出され楽しめる内容だった。

泳げない犬を泳げるようにするには少々時間がかかるだろうけど、もし身体の機能的な欠陥がなく、番組に登場したような犬たちであってハンドラーが番組のように訓練者自身であるならば、例えばハードルの飛越や平均台の走行程度の訓練に7日間も私なら必要としない。
たぶん30分、恐らくは15分もあれば審査で合格する演技は充分できるようになると思う。

実は犬に何かを教えるのはさほど難しいことではないのだ。
勿論、誰が命令しても、どんな時でもそれを実行させるレベルに高めるには時間がかかるし、犬や飼い主の資質によっては不可能なこともあるけど、普通の犬が審査基準をクリアする程度なら簡単なことである。

時間がかかるのは、してはダメな行動をダメな飼い主の下でもしなくなるように教えることじゃないかと思う。

犬の行動を変化させるのはお茶の子さいさいでも、人間を変化させるのはそう簡単にはいかない。

今夜は短くまとめてみたが、意味は深く長い道のりでもあった。
 

変化する中庸 2007年06月15日(金)

  今日はあれも書こうこれも書こうと話題豊富な一日だったのに、夜のローカルニュースを見てカチンと引っかかってしまった。

小樽の祝津で観光船が座礁し乗員乗客全員は無事救助された。
というニュースだった。

救出されたある女性が「ドスーンという衝撃で怖かったです」と語る姿に共感し同情の念を禁じえなかったのに対し、「(船員の)対応が悪かったからこの子は泣き叫んでひどい目に遭いました」と年少の娘を連れた母親が冷たく言い放つ映像に反感を覚えたのだ。

これまで生きてきて『人生何が起こるかなど分かりゃしない。それぞれの時点でどう対処するかが問われている。』という人生訓を持っている私には、この母親のコメントが軟弱で傲慢な人間の言葉に感じてしまった。

この母親は『お金を払って(社会資源である)観光船を利用しているのだから、安全であることは絶対条件であり、仮に問題が起きたならその責のすべては相手にある』という現代社会の風潮を信じ込んでいる世代の人間なのだろう。

一方で高所恐怖症の私は
・突然の地震で足場が壊れて転落することがあるはずだ。
・飛行機もジェットコースターだって間違いなく確実に事故を起こしている。
・自宅にいてもトラックが突っ込んできたり竜巻や落下物があっても不思議ではない。
などと思っている人間だ。

だから仮に自分が乗船した観光船が座礁した時でも、泣き喚く我が子を見てパニックにならないし落ち着かせるのを他人任せにはしないだろう。

恐らくこの母親は切羽詰った事故ではないことをいち早く確信し、救助されるまでの時間の中で恐怖が怒りに変わっていったのであろうと推測される。

個人にしては大ごとで社会にとってはちょっとした事件でも大企業が潰されるほどの社会問題に発展するから、より安全で慎重な社会へと進化していく事例が増え、それこそが現在求められていることだと理解できる。

ちょっと待てよ。
酔っちまって自分の言いたいことと書いてることが一致しなくなっているようだ。

要するに、どこかの国のように危険と分かっている原料を平然と混入し、その管理体制もできていない状況に対しては強烈な批判と排除すべき危機管理を備えるのは当然であるが、すべてを相手の責任として自己保身に走るのはいかがなものか?ということを言いたいのであり、一方で、小さなことでも実は大きな問題であると主張してきたから社会は発展する現実がある。

酔うほどに訳の分からん話になってしまう。

今日レッスンをした外飼いで家族を咬むわんこにはもっと単純で分かりやすい理由があり、家族の対応には軟弱さがあった。
観光船で救助された母親は相手を非難していたが、捨て犬を保護して育てている今日の飼い主は自分の非を強調しすぎていた。

『丁度良い』という加減が曖昧な時代である。
 

満天の星空を見ながら困った問題を考えた 2007年06月13日(水)

  夕べは満天の星空の下、往復210キロ4時間弱のドライブと3時間半の釣りを楽しんできた。
好ポイントには先客が入っていて、予想通り釣果は少なかったもののカレイ5枚にガヤとホッケ3匹をゲットできた。

ただ、釣り場の汚染には目に余るものがあり残念でならなかった。
積丹の海だから水質は良く透明度も高い。
問題は釣り人の放置ごみの山と臭いだ。

10年以上も前からこの港に足を運んでいて、放置されるごみが徐々に増えているのが気にかかっていたが、春先に訪れた時は綺麗な状態だった。
時化や風に強い場所だから、GW頃からのごみも相当残っていたのだろう。
海に流れ出る光景を想像しただけでゾッとし、ここで生活を営んでいる漁師の方に対して恥ずかしさと申し訳なさがこみ上げてきた。

このままではいずれ釣り人は排斥されるに違いない。

犬たちの遊び場もまた同じ状況にある。
厚意と寛大さで釣り人や愛犬家は社会に受け入れられるのに、それを権利意識と傲慢さで跳ね返す輩がいるものだから全体が迷惑を受けるのだ。

マナーと努力する姿勢それに謙虚さが無くなれば、次に規制が行われるのは当然であり、それは善意の『釣り人』『愛犬家』にも及んでしまうのは目に見えている。

既にいくつかの規制は存在するし、さらに細かいところまでそれが広げられているうちはまだいい。
困るのは釣りや犬の場合、規制の中身が『入釣禁止』『ペット禁止』といった安易な“排斥”に繋がることである。

釣り人が漁師や環境に配慮し、愛犬家も環境や社会の人々に配慮をするのは当然だが、実際にはもっとおかしな事態になっているそうだ。
例えば、当事者である『釣り人』『愛犬家』同士での争いが起こると、厚意と寛大さで“見ぬふりをしてくれている”管理者にまで苦情を持ち込むものだから『そんなこと言われるなら』と締め出されるパターンが増えているというのだ。

自らの首を絞めながらも、どんどん膿みを出すことで将来に望みが持てるならそれも良かろうが、釣りや犬の世界くらい『おかげさまで』の精神と厳しい自己規範を持って楽しみたいものだ。
 

Oさんへの私信 2007年06月11日(月)

  このところいろいろあって筆(キー?)不精していたら、4月から東京に単身腐任(本人使用文字)しているOさんから『北の国から連載期待してます。』とチクッとしたメールが届いた。

Oさん、札幌はニセアカシアの葉が半分程に伸び、ほどよい木陰ができるようになりました。
今年の初夏は最高に爽やかで、夜は寒いほどです。
明日は28度と暑くなりそうですが、相変わらずこの周辺は風が強くて暑さを和らげてくれるでしょう。

先日レッスンしてたらキクちゃんがおばあちゃんと散歩してたので声をかけました。
おばあちゃんは私が誰か知らないでしょうけど、キクが大喜びで飛びついて戯れているのを見てニコニコされてました。

そちらは“腐任務”のうえ最近は雨模様のようですし、まもなく猛暑日が待ち受けていることをお気の毒に思いますが、ご家族とキクちゃんの笑顔のために『数年のお勤め』頑張ってください。
帰札の折は片道切符などとゆめゆめ考えられることなきよう。

最後に、誠に申し訳ないというか私にはウハウハなのですが、明日はワンちゃんたちをKに委ねて夜釣りに出かけますのでこの欄は再びお休みさせていただきます。
ホッケの魚影は薄くなり、夜釣りのカレイもあまり期待できないので、ひょっとしたらボウズの可能性大なのですが、きっと満天の星は眺めることができるだろうと今からワクワクしつつ特製の餌を仕込みました。

デヘヘヘ。
なんかさぁ、悪いなぁ、Oさん。
今度帰ってきたら、近くの居酒屋で一杯やろうや。
 

人見知りな男の床屋選び 2007年06月08日(金)

  このところ定休日にお泊り犬が続いており、新得町まで足を伸ばしてケイトの父さんに散髪をしてもらう余裕がない。
それでも「うっとうしい!」とKに言われ続けてきたので昨日は仕方なく車で30分ほど近隣をぐるぐる回りながら、めぼしい床屋さんを探していた。

走りながら『一体、俺は何を基準に外観だけで床屋を探そうとしているのだろう?』と考えていた。

小心者で人見知りの激しい私は、ご近所で世間話に付き合わなければならない店が苦手だから、特別なきっかけでもなければついつい遠くを探してしまう。
だが、ここに引っ越してくるまでは地元の床屋に20数年も通い詰めていた。
きっと最初は緊張して嫌だったのだろうが、通ううちに人見知りが解け、逆に人見知りのせいで他店に行く気が起こらなくなったのだと思う。

引っ越してきてからは毎月のように床屋さんを変えていた。
ケイトの父さんが床屋と分かった時も、Kは「行ってみたら?」と私に勧めていたのに、「遠すぎるから」という理由をつけて行くのを拒んでいた。
“遠すぎる”所からケイトの父さんはカフェに通ってくれていたのだから、私の屁理屈は自分でも恥ずかしかった。

そのうち気心が知れてくると『ケイトの父さんの店に行きたい』と思うようになってきた。
が、今度はそれを言葉にするのが恥ずかしく、言い出すまでに数週間が経ったのを覚えている。

快適だった。
最初にケイトの父さんにやってもらった時から快適で、まるで子供の頃から通ってるように気持ちが解放された。

さて昨日、私は何軒目かの床屋さんに意を決して飛び込んでいった。
隣町の北広島市ではあるが、結局カフェからは車で7〜8分の町はずれにあるお店だった。

若い男女数人のスタッフがいて、担当してくれたのは私の息子ほどの青年だった。
設備はそれほど良いとは言えず、足腰の弱い私には洗髪の姿勢が辛かったし、顔剃りで寝かされた時にステップもなく足のやり場に困ってしまったが、不思議にも気疲れすることはなかった。

「今日はお休みですか?」と青年。
「あ、ああ」と私。
「顔に疲れが滲み出てますね」
「▲□※・・・?!」

それから青年は首から肩を丹念にマッサージしてくれた。
プロの治療師に何度もほぐしてもらっている私だから、その腕前が未熟であるのはすぐに分かるし、理髪師の青年に治療をしてもらおうなどと思うはずもない。
が、とても心地よかった。
そしていつも想っているはずの子供たちのことが思い起こされた。

私の性格が今更どうにもできるわけはないけれど、無愛想で人見知りな人間にもそれなりにちょっとした感性はあることを確認し、犬たちへの対応にも生かしていければ良いなと思った。
 

分からん中での選択 2007年06月06日(水)

  盛夏を前にすっかり日焼けしてしまった。
今時の紫外線は危険だと聞くが、子供の頃に浴びた陽光とは異質の物なのか、それともオゾン層の破壊で強度が増えてるから危険なのか?
はたまた昔も今も同じ紫外線なのだが、科学的に危険だと言われるようになったから危険なのか?
世の中分からんことが一杯あって興味深い。

分からんことは分からんから、人はそれぞれの判断で対応を仕方を決め、何かが分かった段階で対応を修正したりする。

「このままでは余命3ヶ月はないでしょう。治療を行えば2年程度延ばすことができるかもしれません」
症状はあるものの日常生活が普通にできている愛犬に対して、獣医からそんな告知を受けたらあなたならどう対応するだろう?
愛犬はまだ4歳前後で心から愛されている。

1.余命3ヶ月と言われてもそれから3年以上生きた例はごまんとあるじゃないか。
仮に残り少ない命だとしても、余命を告知されるほどの難しい病気ならば大切な時間を医療やその副作用あるいは経済的な負担を含めた心配に振り回されるより、精一杯の時間を楽しい思い出作りにまわし、必要に応じた医療との関わり程度にしたい。
と考える方がおられるだろう。

2.この子はまだ若いし、かけがえのない愛犬だ。
獣医が『治療をすれば2年は延ばせる』と言うのだから、ひょっとしたら3年あるいはそれ以上何事もなかったかのように普通に生きるかもしれない。
例え、治療による負担が人にも愛犬にもあったとしても、獣医の意見に従わず死んでしまったときの後悔より、『必要なことはやった』という思いは残るはずだからそちらを選ぶ。
とも考える方がおられるだろう。

勿論、正解などないがK夫妻は両者の折衷を模索されているように思え、私たちは心からの応援と祈りを惜しまないでいる。

K夫妻の愛犬は鼻血を頻繁に出すようになった。
幾つか動物病院を渡り歩き検査した結果、ようやく病名が判明し、紹介された大学病院での放射線治療で鼻の毛は抜け落ちたものの症状は安定してきた。
が、現在のところも完治はせずに通院を続け、そこでさらに獣医から聞いた言葉にK夫妻は新たな決断を迫られ、はっきりとした意思が芽生え始めたようだ。
「これでダメなら鼻から患部までを切断すればいいでしょう」という言葉がそれだった。

私は感じたままを言葉にした。
「獣医の中にはおかしな人もいるんだよね。鼻を取ろうが首を取ろうが、どんな方法でも『それで何日生き延びたか』というのがありなんです。QOL(生活の質)なんて考えない研究者みたいなのがいるんです。それで科学が発展するんでしょうけどね。」

K夫妻がこれから何を選択するのかは分からないけど心で通じ合う方向性は理解しているつもりだ。
いろんな理由がそれぞれにあるのだろうけど、人はどれかを選択しそこに正当性を感じながらあるいは当てはめながら、分からんことに対処して生きているのだろう。
 

独立国北海道・私案 2007年06月04日(月)

  昨年大好評だった道産米『おぼろづき』の作付面積が広がっている。
味音痴の私でも去年初めて食べたあのごはんの味は感動的で、しかも道産米であることが嬉しくてたまらなかった。

私が思うに、
今のところ生産量が少ないあのお米は当面道内だけで流通/消費すべきであり、『北海道に行ったらすっごくおいしいごはんが食べられるよ』という観光立国のカードとして活用すべきだと思う。

評判がいいから、あるいは高値で取引されるからという理由で、一気に販路を広げて、地元の人は一時期しか食べられないというのはおかしいしもったいない。

都会に居ながらにして美味しい食材が食べられるようにするから一極集中が加速されるのだ。
都会で暮らす人には経済的な潤いと生活の便利さ・名声の得やすさや日本を動かす中心に住む都会人の冠を持っていただければ充分であり、今後も頑張ってもらえればいい。

疲弊した北海道を地方自治の力で活性化させるなら、それぞれの産業が独自に短期的な利益を追求するのではなく、
美味しい米・じゃがいも・たまねぎ・アスパラ…
えび・カニ・ホタテ・ホッケにサケ…
酪農製品などすべての第一次産業を統括して観光の呼び水とし、
『都会で余裕ができたり、生活に疲れたら“癒しの北海道”に来て元気をどうぞ』とアピールすればいい。

北海道の林業については、間伐材活用程度のものしか発信されてないから大いにルネッサンスが残されていると思う。

今ならどこでも北海道産の新鮮な食材を食べることができ、観光客は食べ物よりも、“輸出することができない北海道の環境”に充足を感じているはずだ。
だから、控えめなアピールを地味に継続しながら知名度と憧れを維持し、短期的・局所的利益を追求することなく独自性を頑なに守ることで北海道の安定を維持できるのではなかろうか。

大儲けはできないし『右肩上がり』などの威勢のよさも期待できないかもしれぬ。
いいではないか。
それでいいではないか。
北海道での変化は必ず起こる。

『変化しながらも守るべきは守り、破壊は決して許さない』
憲法の話もさることながら、北海道の自治と暮らし・環境のことを言ってるのだ。

『おぼろづき』の剰余米ができるようになったり、農畜産物の一部は自治体で買い上げ、都会以外の地域や台湾・韓国・アメリカ・オーストラリアにどんどん提供して、北海道の味を発信すべきだと思う。

味を求めてやってきた人たちが、それに満足するだけでなく、驚きの大自然と人々の暮らしに触れて必ずやリピーターとなりリポーターとなるだろう。

日中は陽射しが降り注ぎ、夜になると寒くなる。
いかにも北海道らしい初夏が続いていて今年の夕張メロンは格別に美味しくなりそうだ。
 


- Web Diary ver 1.26 -