From the North Country

悲しくも儚い夢 2007年12月05日(水)

  久しぶりにお泊り犬がいなくなったので私たちは今夕いそいそと里塚温泉に出向いた。

昼食を殆ど摂っていないKのために、いつものように『入浴前の腹ごしらえを』と着座すると、すぐに焼酎とロックグラスそれに氷が運ばれてきた。
それはまぎれもなく『ナガサキ』の札がぶらさっがった焼酎であり、水割りグラスではなくロックグラスであり、私とKの二人がいるのにグラスは1個であって、水はなく氷にトングとマドラーが添えられたものだった。

お店のスタッフは最近代わり新しい人が増えていたのだが、よく見ると奥に古参の女性がいた。
チラッと私は周囲を見て赤面し、Kはクスッと笑っていた。

思えば我が家の愛犬スーが亡くなってしばらくの月日が経ち、ようやく心の整理がつき始めた頃のお泊り犬がいない定休日に、昼頃から夜までこの温泉で時間を過ごしたのが最初である。

のんびりと湯に浸かり、軽い昼食を摂ってからリラクゼーションスペースで本を読んだりうたた寝をし、気がつけば夜になっていた。
また湯に入って夕食を食べ酒を飲み、最後にチャポンと温まって帰って行ったのだが、これを『至極の時間』と身体が覚えてしまったようだ。

ところがである。
先週の定休日にまりちゃんに留守番をしてもらって、数年ぶりの『昼間っから里塚温泉』を再現しようと出かけたのに3時間弱で私たちは帰ってきた。
平日の昼間なのに(だから?)とても混み合ってリラックスするスペースもなかったのだ。

そこで私たちは観察した。
すると興味深い想像が出来上がったのである。

客の多くはいつものように元気なジジババ。
それに加え、いわゆる定年退職した熟年世代が多かった。
「これって、アリかも!」と私。
「えっ?何のこと」とK。
「だってここで一日過ごせば、年金で暮らしていけるかも?」と私は計算を始めていた。

・ここの営業時間は朝の9時から翌朝の8時までだから、朝の1時間だけ外を散歩してりゃいい
・入場料金は本来1050円だけど格安時に回数券を買えば650円/日で、寝る場所もあるから翌朝までいてもプラス1050円(交渉すればもっと安くなるかも知れない)で、高くても合計1700円。
・定休日が月に1回あるから、その時は5000円のホテルに2日泊まることにする
・水道光熱費全部タダ、天然温泉入り放題、NHK受信料無料、新聞雑誌の講読無料、プールもあるしどこかへ出かけたければ無料送迎バスもある
・館内はいつも適温だから衣類は日々貸与される浴衣とタオルだけで充分
・産地直送の格安野菜も豊富に売っているし、そう高くない食事もできる
・数か月経って発見されるような孤独死なんて絶対にあり得ない
・住み慣れれば凄い規模の別荘で暮らしているような充足感もある

さて、いかが?こんな生活。
自分の荷物を持ち込めないのが難点だが、そうしたいのなら老健施設も併設しているらしいからその情報も今後集めてみようと思う。

灯油やガソリンなど原油にまつわる結果的にすべての価格が高騰し、老後の生活が保障されない時代を迎えている。
私は元々、老後にもし生きていれば、過去に知り合った仲間たちとコミュニティーを組み、それぞれの過去の能力を発揮しながら利益を生み出して生活し、最後にはお互いを看取るウバ捨て山生活を楽しみたいと思っている人間だ。
愛犬は絶対必要条件でその分野は私が担当する。

田舎の小さな温泉の出来事から、暗い現在に儚い夢を描いてみた。
 

一仕事を終えましたね 2007年12月03日(月)

  12月に入ってからの3日間は実に心打たれる充実した日々だった。
いえ、カフェの話ではなく『星野ジャパン』が大活躍した夜の時間のことである。
手の平が赤く腫れあがり、昨夜などは完全に酔い潰れた状態でこの欄をアップしてしまったらしく、今朝初めて読んで慌てて削除した。
『書いた記憶が全くない』ものを載せておくわけにはいかなかったから。
じゃぁ、いつも記憶をしっかり持って書いているのかと問われれば???なのだが…夕べは例外的に驚くほど記憶になかったのだ。
そんな取り乱しをもたらした星野ジャパンだったが、今夜は正に今夜の星空のようにとても晴れやかで興奮と酒で燃えた心身をマイナス8度の外気が冷却してくれている。
おめでとう!そして、ありがとう!

さて、そんな影響があってかなかってかは別にして、今日のカフェでは私も久しぶりに一仕事やらかしてしまった。

しばらく眼(ガン)をつけた後、いきなり最高潮の声で他犬に吠えたて、本能のままに他犬を追い回すイングリッシュコッカーにこってりとしたヤキ(“可愛がり”とも言う)を入れたのである。
もちろん飼い主の方には暗黙の了承済みというか“期待”されていたこと。

大げさな悲鳴を上げながらも幸いにして決して逆切れしないEコッカーだった。

「やめてぇー!助けてぇー!」とコッカー。
「じゃかましいー!黙れ!何てことすんだお前は!」と私。
「何てことしてるのはあなたのほうでしょう!わ…私はた…ただこれまでの経験と本能に従ってるだけです!」
「うるせぇー!絶対にこんなことは許さんぞぉー!」
「や…止めてください!ダメなことを私に教えるにはも…もっと紳士的に時間をかける方法だってあるんじゃないですか?」
「冗談じゃねぇ!おめぇが紳士的なやり方でルールを覚えるまでに、何頭の犬やその飼い主が犠牲になる義理があるんだ!ダメなことは絶対にダメなんだ。二度と許さんぞ!」
「ヒャー!ごめんなさい!もうしません!た…たぶん…。私の理解が正しければ」
「君の理解がすべて正しいなんて思ってもいないし期待もしていない。あと2回くらいは君は同じような行動を繰り返すだろう。これまでの生活習慣だからな。だけどその都度私は今日以上の対応をするのを覚悟しておけ。その中でできるだけ早く“何がダメなのか”自分でしっかり見つけ出すんだな。」

逆切れしなかったのはこのEコッカーの本質的な適性が優れていたのと私のテクニックでもある。
私は即座にコッカーが追い回した犬をガーデンに出した。
追い回された犬の心のケアと追い回したコッカーに対するヤキがどの程度理解されているかを確認するためであった。
結果はどちらも順調。
当たり前でもある。
そのような設定をしたのだから。

スワレやフセ・マテ・ツケだの人が教えたい行動、あるいは社会経験を犬に積ませるときには人は寛大でなければならないし、段取りというものもある。
が、吠える・いたずらする・拾い食いする…など他犬や人に迷惑をかけることあるいは愛犬の健康や命に直結するようなことに対しては教育よりも反射的な切実な反応が必要なのだ。

お絵かきを教えた幼児が、手に持った鉛筆で他人の子供を何度も突き刺して血だらけにしている時に、「それは悪いことですよ」と言い聞かせをするのがしつけや教育だと思いますか?
人の子は滅多にそんなことはしないけど、犬の子は頻繁にそれに近いことをやっているはずだ。
愛犬が繰り広げるいわゆる問題行動に対しては、犬の感受性に見合った反応を、たとえ理性的な人間であっても素直に出してみるべきではなかろうか。

はて?文章として成立してますか?
祝い酒が徐々に私の意識を奪い去ろうとしている。
 

4年の節目に相応しい出会い 2007年12月01日(土)

  カフェは今日から5年目の営業に入り、昨日からお泊りのラブラドール/バービーは今日で5歳の誕生日を迎えた。

どういう経路だったかは忘れてしまったが、4年数ヶ月前にバービーのレッスン依頼を受け、その後の訓練が順調に進んでいたので『誘惑の多い場所での呼び戻し』などより高度な訓練を行うつもりで、グリーンドームという犬たちがたくさん集まっている広場に何度か出かけたことがあった。
そこで出会ったのが今はカフェの准看板犬であるレオンベルガーのジェニーで、バービーと同じ“人形の名前”であることが共通していておかしかったのを覚えている。

順調に呼び戻しができるようになり始めていたバービーと、如何にも警察犬訓練士といういでたちの男性からいつも逃れるように遠くで訓練を受けていたジェニーが顔を合わせたのはきっと何かの縁があってのことだったのかもしれない。

ムツゴロウさんの動物王国で初めて石川さんの愛犬だったレオンベルガーのベルクと遊び、ニューファンやSt.バーナードのように大型なのに一般的なゴールデンみたいな口の形状をしているから“泡を飛ばさない”レオンベルガーがすっかり気に入ってしまっていた私は、やせ細っているジェニーのことが気にかかってしまった。

バービーの飼い主であるMさんの気さくな性格がきっかけとなって、レオンベルガーの飼い主Hさんとの会話が始まった。
その流れの中で、私は人間不信に陥っている眼(排他的なまなざし)のジェニーにしばらく話しかけ、その奥底にある(戸惑いと悲しみ)反応に安堵してジェニーを伏せさせてバービーを呼んで隣に座らせた。
その時の写真が今でも残っている。
思えば、バービーを座らせたのは当然としてもジェニーを伏せさて写真を撮ったのだから、私は安堵と信頼を与え『フセ』と『マテ』をその場でジェニーに教えていたのだろう。

それまで逃げるように訓練を受けていたジェニーの飼い主であるHさんにとってはそのこと自体が驚きであったようだ。
以後のお付き合いがこの時から始まり、ジェニーは私の影響下でまもなく5歳を迎え、飼い主のHさんはKの影響で乗馬(この話は説明に時間がかかる)にのめり込んで人生の針路まで変えてしまっている。

いろんなことがあったが、そんなカフェの4周年の節目にバービーとジェニーが今日顔を合わせてくれた。
 

開業4年を終えて 2007年11月28日(水)

  本日の営業でカフェは4年目の幕を無事下ろすことができ、今週土曜日12月1日から5年目へと踏み出すことになった。
まずはこの4年間を支えてくださった皆様に心からのお礼を申し上げます。

この4年を振り返って感じることは

1.感謝
『残念ながら予想通り決して楽な暮らしではなかったけれど、心満たされ楽しい日々を皆さんそしてその愛犬たちと関わりながら過ごすことができ、『こんな生き方っていいよね』という当初の想いが追認できたこと』ではなかったかと思っている。
そして私はKに感謝し、Kと私は素晴らしいスタッフに感謝している。
「ありがとう。これからもよろしく」と伝えたい。

2.無力
『愛犬のことで困っています』
これについては個々の飼い主や愛犬に対しどこまでお役に立てたか分からないし、個別案件もさることながらより多くの情報発信によって変化をもたらすことが見えてこない。

『ペットショップでの生体展示販売を撲滅しよう!』
これについても社会には何の変化も生じさせることができなかった一方、反論や販売の正当性についての意見はなく押し黙ったまま息を潜めている。

3.疑問
ドッグフードやおやつ・サプリメント・シャンプーそれに医療・法制度について考えさせられることが多かった。
まず、『食と日常ケア』関連商品においては当初『金と手間をかけずともそれなりに犬の寿命を全うできる商品が日本では販売されている』とされていたが、それは明らかに期待はずれであり、繁殖を目的としない個々の生命すら正当に健康の維持ができないフードなどを我々は与え続けていたらしく、昔ながらの『ごはんに味噌汁』の方がマシだったという思いがある。
だからカフェで扱う商品は私自身の判断で選んでいるし長短を考慮して販売しているつもりだ。

医療や法制度についても利用者・当事者が賢くなることで進歩するはずだし、愛犬家の中にはスペシャリストも結構おられるので今後についても現場の先生方のお話を中心に伺いながら改善がなされることを期待している。

4.希望
ご来店いただいた方のリピートやなじみ化・常連化それにその方々による紹介がカフェの広告宣伝費をカバーしてくれている。

インターネットという機能によってこの欄に寄せられるご意見は国内にまたがっている。
その数はさほど多くはないけど『犬と暮らす上でようやく探しているものが見つかりました』とこの欄を評価していただけるご意見がほとんどで、それは私の励みにもなっていることは間違いない。

まずはともあれ地道な活動を継続して、『竿竹屋はなぜ潰れないのか』ならぬ『ドッグカフェナガサキはなぜ潰れない』かを1年でも長く継続していこうと5年目に入ることにしよう。

これまでのご利用に感謝しこれからのご愛顧をお願いいたします。

はて?どんな夢を見ているのか、我が家の愛犬アモは尻尾をパタパタと振っている。
 

商売ベタ 2007年11月27日(火)

  まるで春先の雪解けシーズンを迎えたような暖気で、せっかく踏み固めたガーデンの雪もぐちゃぐちゃでワヤ。
明日までに乾燥してくれるか再びの積雪を願うばかりだ。

今日の午前中に電話があった。
「メス犬でシーズンが終わったばかりなのですが伺ってもいいでしょうか?」
ご丁寧に電話を頂いたのに、客商売に向かず愛想の悪い私はちゃんと受け答えができなかったような気がして心に引っかかっている。

「もう終わっているのですが…伺っても?」と女性。
「始まったのはいつからですか?」と私。
「14日からです」
「今月の?」
「はい、そうです」
「えっ?それはダメです。1ヶ月位は経たないと…」
「えっ?それは生理が終わってからですか?」
「いいえ、始まってからです。シーズンは概ね3週くらいですが、その後も残り香のようなものがあるので…」
「わかりました」
というような受け答えだった。

私は今でもこの女性が発した
「もう終わっているのですが」という言葉が気にかかっている。
仮にこの方が“メス犬の生理”を知っておられるなら『今月の14日から始まった』というのは言い間違いで、本当は『先月』だったのかもしれない。

だが、もしそれを知らず『生理は人間のような期間』とか『出血がなくなったら終わり』とか『生理中は妊娠しないけど出血するからカフェには行けない』などと思っていたのなら基礎知識が乏しすぎるといえよう。

人もそうかもしれないが犬の生理には個体差がある。
年に二回のシーズンを向かえる犬もいればそうでない犬もいるし、本来3週間の期間であっても出血が短かったり長かったりもする。

この女性の愛犬の場合、本当に彼女の言うとおり今月の14日に生理が始まったのなら、統計的には今日は正に排卵日であり交尾にはもってこいのフェロモン全開の状態であるはずだ。
だからご来店を拒否した。

犬の場合、生理が始まって概ね10日から15日が受胎できる状況になる。(個体差がもちろんある。)
外で飼育しているのと室内飼いの場合では生理の始まりを確認するのに数日のズレが生じることもあるから、排卵日について正確を期すならスメア検査というものが必要となるが、これすらも個体の継続検査を数回続けないと確かな結果は出ない。(現在の獣医学ではそうではないかもしれないけれど)

たぶん、電話してきた女性の愛犬は出血が無くなっているように見え、そのことで『もう終わった』と思われたのではなかろうか。

そこまで丁寧にお話ししたかどうか覚えておらず、ともかく「シーズンが始まってから1ヶ月位は…」と答えていたと思う。

『「終わったと言われるのであれば構いませんよ、どうぞいらしてください。」と言うのが商売人なんだろうなぁ。』と後悔しても、後の祭りになってしまう今日の私であった。
 

ペットブームの先にあるもの 2007年11月25日(日)

  今夜のお供は琉球泡盛『瑞泉』
芳醇な香りが口の中で広がり、熟成したまろやかさが舌の上を転がるようだ。
ただアルコール40度なので今夜私の体がいつまでついていけるかが問題。

三連休最終日の今日は暖かな陽光が心地よかった。
20日に降った雪を踏み固めておいたのが奏功し、心配していたガーデンはそこそこ使用可能な状態が保たれていた。

さて、昨日東京から某雑誌のカメラマンがカフェの取材に来られた。
一通りの取材を終えてから雑談をしていたのだが、関東圏でもドッグカフェのような店舗はもちろん存在するのだけれど、『犬もいいですよ。ただし、ちゃんとしてれば…』という普通のお店が増えているということだった。
つまり日本社会は欧米のように広く愛犬を受け入れようとし始めているということである。

ところがだ。さらに話を伺うと
そんなお店が一軒ニ軒と愛犬同伴の入店を元のように断わるようになっているのだという。
理由はしつけとマナーの悪さ。
それ以前に飼い主の意識の低さが根底にあるようだ。

せっかく社会がしつけられた愛犬と飼い主を受け入れようとしているのに

・カフェのような場所では犬の排泄意識と生理現象が変化することを知らない飼い主がいる。
「家を出る前に排泄を済ませてきましたから大丈夫です」
そんな思い込みを持った飼い主ほど
「あら、ごめんなさい。いつもはこんな時間にしないのですけど…」と、いつもの生活習慣に当てはめた言い訳をする。
そんな言い訳を日々たくさんの飼い主から聞き飽きたお店は、『犬は粗相をするものだ』と解釈して再び犬を排斥するというのだ。

・愛犬同伴OKというだけで、「しめた!」と思ったのか、膝に犬を乗せテーブルに足をかけるのを放置し、自分の食べ物を与える愛犬家面した連中がいる。
『この人は周囲の人間がどう感じているかより、自分の現在のシチュエーションが素敵だと悦に入ってしまっている裸の王様』みたいなものだ、と排斥の対象になっている。

・ワンワンと吠える愛犬を口先だけで戒めるだけで、即座に継続的に静かにさせることもできず「うちの犬は男の人(あるいは大きい犬)が苦手で」だとか「黒い犬は怖がるんです」とか、過去に何があったにせよ当事者の相手の男の人や黒い犬には関係ないことを言い訳にして、自分の愛犬が吠えることの正当性を取り繕う飼い主がいると、もううんざりして以後犬は排除したくもなるだろう。

多くの愛犬家の想いに逆行するようなそんな時代に戻したくはない、というのが取材後に感じたことである。

私たちのカフェは『今はお利口でなくてもいいし、どう愛犬に接すればいいか分からない飼い主でもいい』が『社会において受け入れられる愛犬との暮らし』を模索する人々のお役に立てることを目指しているカフェだということを改めて伝えておきたい。

そのように締めくくれば、40度の泡盛『瑞泉』が半分になるほど「私の心は熱くなった」とまとめることもできよう。
 

今夜は箇条書き 2007年11月23日(金)

  1.今夜のお供は北海道ニ世古酒造の本醸造『洞爺湖』。
18日に飲んだ『奥八甲田』と同様に米から作ったのが明らかな糠の香りと酸味が基調にあり、そこから甘さやコクなどで個性を表現しようとしているようだ。
どちらかと言えば熟成タイプではなくボージョレー・ヌーボーのような爽やかさがある。

2.金曜の定休日なのに今日が祝日(勤労感謝の日)でカフェが営業していることを覚えていて来店してくださった方々にまずは心からの感謝を申し上げます。
いつもなら『23日は営業いたします』と1ヶ月も前からカフェに掲示するのに、今回はHP以外での広報はしなかった。
おかげさまで楽しい休日を過ごすことができました。

3.『崖っぷち犬』の報道から1年が経ったそうな。
その後を取材したTVのレポーターの映像が今朝流れていた。
「ヒャー!可愛いですねぇー。こんなに元気で明るくなってますよぉー!」と甲高い声を発しながらわんこに駆け寄るレポーター。
その声にビビリながら迷惑そうに平和をかき乱され斜に構えていた『崖っぷち犬』なのに「人懐っこいですねぇー」とのコメント。
ペットに関しては相変わらず脳天気なマスコミですな。
「よく咬みつかなかったな」と褒めたくなった。
でもやっぱり外飼いなんですね。

4.「先生、この方から『ワンちゃんたちすっごいおりこうなんですね』って言われたんですよ」とUさん。
「猫被ってるだけですよ」と私。
「他から見ればみんなすっごくおりこうさんですよね」と初めてご来店のご夫妻。
他がどうなのかを知るのが怖くなってしまった。

5.息子からメールが今届いた。
「フィンランドから姉ちゃんがメールを送ってるみたいだけど、お父うのところにはうまく送れないらしい。このアドレスに返信してやってくれ」
娘は無事フィンランドにいるようだ。
それだけでうれしい!

以上、おやすみなさい。
 

マジ咬みの苦悩 2007年11月22日(木)

  深夜、外の気温はマイナス9度。
星空が綺麗だから放射冷却でさらに冷え込みそうだ。
夕食の絶品煮込みハンバーグと共に味わったボージョレー・ヌーボーが今カラになって身体は温かい。
サッカー日本代表が五輪出場を決めて心も温かだ。
決定力にかける場面がいくつかあったが『絶対に北京へ行く!』との選手たちの思いが前後半を通じてその動きからはっきりと伝わり、観ていて気持ちよかった。

さて続きは石垣島の泡盛『於茂登(おもと)』を飲みながら書こう。
飲まなきゃ考えたくもないことだから…

今日は気持ちが重くなる飛び込みのレッスンを引き受けた。
「去勢済みのコーギーなのですが3歳になってから急に私を咬むようになりました。
マジ咬みです。
牙が刺さったまま抜けないでとても痛い思いをしたこともあります。
昨日は拾い食いを止めようとしてお腹を咬まれました。これで4回目です。
訓練士さんの前ではそのような素振りは一切見せません。
恐怖心で自宅に帰るのが辛いのです。
抱っこしても、足を拭いたりしても怒ることはありません。
ドッグランではいつも友好的だったのですが、突然他犬に咬みつくことが最近ありました…」

ああ…
愛犬との楽しい生活を夢見て暮らし始めた善良な女性がなんでこんな辛い思いをしなければならないのだろう。

『ちゃんとしつけないからよ』
『あまあまできたんじゃないの?』
『ビシッと、ビシッとしなきゃダメよ』
『犬は群れの動物だから上下関係をしっかりさせてアルファにならないと』…

いろんなご意見もあろうが私は今夜はそれらすべて否決する。
『しつけもせず、あまあまで、ビシッともせず、アルファ?何それ?』という飼い方のどこが悪いというのだ!
愛情だけで育てることのどこが人としておかしいと言えるのか!
そうやってても楽しく愛犬と暮らせている方はごまんとおられるではないか!
本来、法治国ニッポンで堂々と無垢で善意の人々に売られている犬たちはすべて最低限“人は咬まない”犬であるべきなのだ。

厳しいしつけを課す人々は、前の犬で失敗したことに懲りてそうなったのかもしれない。
次の犬は厳しくしなくとも(しなければ)素直に育ったかもしれないのに…。

たまたま最初に飼った愛犬がおりこうだったものから、困ってる他人に対して『育て方のうんちく』を垂れる人もいるはずだ。

『自分がその犬の飼い主だったら最初からきちんと育ててうまくやれたのに』という思いを抱くかもしれないし、『お気の毒に』と同情しかできないかもしれない。

さて、直接その相談を受けた私はどう感じ、何を成すべきなのだろう?
『訓練で治したら。プロでしょ』
もっともなご意見である。
ならば問う。
「犬が飼い主をマジ咬みするという深い根をご存知か?」
「どのくらいの期間で訓練できると思うのか?」
「その間、飼い主はどんな日々を過ごすのか?」
「半年預けて訓練した犬が2週間で元のダメ犬に戻る現実をご存じないか?それが嫌なら強制による訓練もあるが、魂を抜かれたような迷犬になり一緒にいる意味が分からなくなってもいいのか?」

酔っ払いが今夜だけ下した評決は
不幸にもそのような犬とめぐり合い、真に『何とかしたい』という相談を受けた場合は、犬の訓練よりも飼い主のケアが最優先されるべきなのだ。
そのうえで犬を適正に評価し、飼い主自身の手で愛犬を変化させるアドバイザーでありコーディネーターであり指導者であるのが訓練士であると思う。

それは長い道のりだし、飼い主の気持ちも本気でなければならないし、経済的負担もあるし、それらすべてを考えたら重い気持ちになる元訓練士もいるのだ。
そして何故そんな苦労や負担を善良な人に課すのか!と深い憤りを業界に感じてしまうのである。

夏なら夜が明けそうだ。
泡盛も半分に…おやすみなさい。
 

シャキッと行こうぜ 2007年11月20日(火)

  ホンダハイブリッド除雪機ガロアラシ号が今冬初登場の朝を迎えた。
すこぶる快調であっという間に作業は終わった。
もし昨日の寒さだったらガーデンはそのまま根雪になっておかしくなかったが、気温は6度まで上がり雪は雨に変わってすべてを融かしてしまった。

雪国の住人は降雪を覚悟のうえで生活しているもののその時期が遅くなるのはありがたいものである。
今年のように灯油が高騰していると経済的負担も月に数千円から数万円も違ってくるのだ。
一方で『どうせ降ったんなら一気に根雪になってくれ』との思いは強い。
ぬかるんだ道路ほど嫌なものはなく、ある朝から突然銀世界が続き春に一気に解けて乾燥する、というのが理想である。
それに雪が降り積もれば意外と寒さが落ち着く感じがするものだ。
その意味においてこの冬の出足はちょっとつまづいてしまったようだが、そんなにうまくいくことはないはずだから、はてこの先どんな展開になるのだろう。

さて、今日はそんな状況だったからかカフェはさっぱり。
その代わりというか、ありがたいことにお泊り犬で午後から忙しく私は4回、Kは2回の散歩に出かけることになった。
私が1回目の散歩から戻ってくる途中、どこかで大型犬が吠える大きな声が聞こえていた。
カフェに近づくにつれその声がはっきりしてくる。
どうやら初めてお泊りの10歳になるラブが既に到着しているらしかった。

「大変そうです。飼い主は引きずられて入って来られ、引っ張るし拾い食いをするから口輪があればそれをして散歩したほうがいいって仰ってました」とスタッフは笑っていた。
その犬は盲導犬候補のキャリアチェンジで、昔私がパピーウォーカー担当時代に見ていた犬ということだった。
2回目の散歩にと歩き始めてすぐに1度制御しただけだったが、何とも人の良い協会関係の犬であることがわかった。

歩きはいいし、軽い制御に実に良く反応している。
何よりラブラドールらしい『人に対する絶対の信頼性』を根っから持っているではないか。
10歳にもなるこの好々爺に引きずられたり拾い食いで困っているという飼い主はどんな人なのだろうという興味が湧いてきた。

『うちの犬はこうだああだ』という話題はとても面白いし興味もあるから私は夢中になって話してしまうことがあるけど、それは『本来この犬が持っている性格は…』ということであって、日常生活に支障あることは当然飼い主自らが排除し、正しい生活習慣を教え込んだうえでの話題として楽しんでいるつもりだ。

でも思い起こしてみれば多くの飼い主は、ただ単に飼い犬の性格や行動に振り回されていることの現実を前提に『うちの犬はこうだああだ』と話していたのではなかろうか?

それぞれの犬にはイヌとしてあるいは犬種特性としての行動や感性があるのは当たり前。
それをどのようにコーディネイトするか、つまり飼い主は何が現れるかを期待するのではなく、どう育てるか自らが考え行動しなければ『犬は育たない』ことを知るべきなのだろう。

因みに私なんぞはガロアラシ号にさえ、
「いい子だ、頑張ろうぜ!よし、よくやった。」と言葉をかけ、メンテナンスも行いながら、作業が終わった時には寒空に放置している。
私が嫌いなのはぬかるみのようにドロドロした中途半端な状態であり、それはガロアラシ号も最も苦手としていて、故障もあるし自分の魅力を発揮できないと嘆いていることなのだ。
 

娘よ 2007年11月19日(月)

  雪こそ積もらなかったものの寒さは半端じゃなかった。
真冬日初日ということに驚くより最低気温の低さというか空気の冷たさにあせってしまう。
そんないきなりの寒波だった。

幸いカフェには明るい日差しが降り注ぎ、ストーブの暖かさに包まれてのどかな時間を過ごすことができた。

「お父う、海外に旅行に行こうと思ってる」
娘がそんなことを言ったのは初夏の頃だったろうか。
デザイナーの卵として働き始めて数年しか経っていない。
「仕事は?」
「今の会社は辞める」
「ふぅーん。なんか目的でも?」
「いや、べつに」

三人の子供の中で一番しっかりしている愛娘だし、なにより私は子供たちが何かを始める時(普段のしつけのことは別にして)「それはダメ」と言ったことがない父親だ。(過去には思春期の娘に対して一度だけあるが…)
勿論、親として心配なのは当然だからいつもネガティブな質問ばかりして「お父うは反対ばかりする」と誤解されることもあったが、基本的には自分の考えで行動することには賛成であり、ネガティブなことを言うのは本人の本気度とそれなりの心構えと準備ができているのかを確認するための親として当然の作業だった。

その娘が今日次男と一緒にカフェにやってきた。
「はい、これ」と渡された旅程表を見て私は目を疑った。
初めて海外に出るというのに、そこには53日分の大雑把な行程が書かれてあったのだ。
「こんなに?」
「そう」
「ツアーか何か?」
「いいや」
「誰と?」
「ひとりで」
「英語話せたっけ?」
「いや。まあ少しはね」

フィンランド・スウェーデン・オランダ・ドイツ・チェコ・イタリア・スイス・フランス・スペイン
まあこれだけ周るのなら53日ではなく53年少なくとも53ヶ月でも必要だと思われる国名が並んでいたが、紛争国が含まれていないことに少しホッとした。

「たぶんトラブルがあってこの通りにはいかないだろうし、その時はアレンジすることになるけど何とかうまくやってくるよ。携帯は持っていかないからインターネットカフェがあればメールする」
娘はそう言ってくれたが、旅の途中で誰かの為にお土産を買ったり家族に連絡することほど面倒に感じるものはないことを私は充分に知っている。

私の専門は犬であるが、長い目で見れば人間の血も争えないことを改めて感じ始めた。
明日の天候が穏やかであることを願い、
『Otou,genkika? Sana wa ma-ma-』
そんなメールすら娘には負担であることを知りつつ心待ちにする日々が続きそうだ。
そして来年1月11日に無事帰札できることを心から祈り続けている。
 


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