From the North Country

変化する中庸 2007年06月15日(金)

  今日はあれも書こうこれも書こうと話題豊富な一日だったのに、夜のローカルニュースを見てカチンと引っかかってしまった。

小樽の祝津で観光船が座礁し乗員乗客全員は無事救助された。
というニュースだった。

救出されたある女性が「ドスーンという衝撃で怖かったです」と語る姿に共感し同情の念を禁じえなかったのに対し、「(船員の)対応が悪かったからこの子は泣き叫んでひどい目に遭いました」と年少の娘を連れた母親が冷たく言い放つ映像に反感を覚えたのだ。

これまで生きてきて『人生何が起こるかなど分かりゃしない。それぞれの時点でどう対処するかが問われている。』という人生訓を持っている私には、この母親のコメントが軟弱で傲慢な人間の言葉に感じてしまった。

この母親は『お金を払って(社会資源である)観光船を利用しているのだから、安全であることは絶対条件であり、仮に問題が起きたならその責のすべては相手にある』という現代社会の風潮を信じ込んでいる世代の人間なのだろう。

一方で高所恐怖症の私は
・突然の地震で足場が壊れて転落することがあるはずだ。
・飛行機もジェットコースターだって間違いなく確実に事故を起こしている。
・自宅にいてもトラックが突っ込んできたり竜巻や落下物があっても不思議ではない。
などと思っている人間だ。

だから仮に自分が乗船した観光船が座礁した時でも、泣き喚く我が子を見てパニックにならないし落ち着かせるのを他人任せにはしないだろう。

恐らくこの母親は切羽詰った事故ではないことをいち早く確信し、救助されるまでの時間の中で恐怖が怒りに変わっていったのであろうと推測される。

個人にしては大ごとで社会にとってはちょっとした事件でも大企業が潰されるほどの社会問題に発展するから、より安全で慎重な社会へと進化していく事例が増え、それこそが現在求められていることだと理解できる。

ちょっと待てよ。
酔っちまって自分の言いたいことと書いてることが一致しなくなっているようだ。

要するに、どこかの国のように危険と分かっている原料を平然と混入し、その管理体制もできていない状況に対しては強烈な批判と排除すべき危機管理を備えるのは当然であるが、すべてを相手の責任として自己保身に走るのはいかがなものか?ということを言いたいのであり、一方で、小さなことでも実は大きな問題であると主張してきたから社会は発展する現実がある。

酔うほどに訳の分からん話になってしまう。

今日レッスンをした外飼いで家族を咬むわんこにはもっと単純で分かりやすい理由があり、家族の対応には軟弱さがあった。
観光船で救助された母親は相手を非難していたが、捨て犬を保護して育てている今日の飼い主は自分の非を強調しすぎていた。

『丁度良い』という加減が曖昧な時代である。
 

満天の星空を見ながら困った問題を考えた 2007年06月13日(水)

  夕べは満天の星空の下、往復210キロ4時間弱のドライブと3時間半の釣りを楽しんできた。
好ポイントには先客が入っていて、予想通り釣果は少なかったもののカレイ5枚にガヤとホッケ3匹をゲットできた。

ただ、釣り場の汚染には目に余るものがあり残念でならなかった。
積丹の海だから水質は良く透明度も高い。
問題は釣り人の放置ごみの山と臭いだ。

10年以上も前からこの港に足を運んでいて、放置されるごみが徐々に増えているのが気にかかっていたが、春先に訪れた時は綺麗な状態だった。
時化や風に強い場所だから、GW頃からのごみも相当残っていたのだろう。
海に流れ出る光景を想像しただけでゾッとし、ここで生活を営んでいる漁師の方に対して恥ずかしさと申し訳なさがこみ上げてきた。

このままではいずれ釣り人は排斥されるに違いない。

犬たちの遊び場もまた同じ状況にある。
厚意と寛大さで釣り人や愛犬家は社会に受け入れられるのに、それを権利意識と傲慢さで跳ね返す輩がいるものだから全体が迷惑を受けるのだ。

マナーと努力する姿勢それに謙虚さが無くなれば、次に規制が行われるのは当然であり、それは善意の『釣り人』『愛犬家』にも及んでしまうのは目に見えている。

既にいくつかの規制は存在するし、さらに細かいところまでそれが広げられているうちはまだいい。
困るのは釣りや犬の場合、規制の中身が『入釣禁止』『ペット禁止』といった安易な“排斥”に繋がることである。

釣り人が漁師や環境に配慮し、愛犬家も環境や社会の人々に配慮をするのは当然だが、実際にはもっとおかしな事態になっているそうだ。
例えば、当事者である『釣り人』『愛犬家』同士での争いが起こると、厚意と寛大さで“見ぬふりをしてくれている”管理者にまで苦情を持ち込むものだから『そんなこと言われるなら』と締め出されるパターンが増えているというのだ。

自らの首を絞めながらも、どんどん膿みを出すことで将来に望みが持てるならそれも良かろうが、釣りや犬の世界くらい『おかげさまで』の精神と厳しい自己規範を持って楽しみたいものだ。
 

Oさんへの私信 2007年06月11日(月)

  このところいろいろあって筆(キー?)不精していたら、4月から東京に単身腐任(本人使用文字)しているOさんから『北の国から連載期待してます。』とチクッとしたメールが届いた。

Oさん、札幌はニセアカシアの葉が半分程に伸び、ほどよい木陰ができるようになりました。
今年の初夏は最高に爽やかで、夜は寒いほどです。
明日は28度と暑くなりそうですが、相変わらずこの周辺は風が強くて暑さを和らげてくれるでしょう。

先日レッスンしてたらキクちゃんがおばあちゃんと散歩してたので声をかけました。
おばあちゃんは私が誰か知らないでしょうけど、キクが大喜びで飛びついて戯れているのを見てニコニコされてました。

そちらは“腐任務”のうえ最近は雨模様のようですし、まもなく猛暑日が待ち受けていることをお気の毒に思いますが、ご家族とキクちゃんの笑顔のために『数年のお勤め』頑張ってください。
帰札の折は片道切符などとゆめゆめ考えられることなきよう。

最後に、誠に申し訳ないというか私にはウハウハなのですが、明日はワンちゃんたちをKに委ねて夜釣りに出かけますのでこの欄は再びお休みさせていただきます。
ホッケの魚影は薄くなり、夜釣りのカレイもあまり期待できないので、ひょっとしたらボウズの可能性大なのですが、きっと満天の星は眺めることができるだろうと今からワクワクしつつ特製の餌を仕込みました。

デヘヘヘ。
なんかさぁ、悪いなぁ、Oさん。
今度帰ってきたら、近くの居酒屋で一杯やろうや。
 

人見知りな男の床屋選び 2007年06月08日(金)

  このところ定休日にお泊り犬が続いており、新得町まで足を伸ばしてケイトの父さんに散髪をしてもらう余裕がない。
それでも「うっとうしい!」とKに言われ続けてきたので昨日は仕方なく車で30分ほど近隣をぐるぐる回りながら、めぼしい床屋さんを探していた。

走りながら『一体、俺は何を基準に外観だけで床屋を探そうとしているのだろう?』と考えていた。

小心者で人見知りの激しい私は、ご近所で世間話に付き合わなければならない店が苦手だから、特別なきっかけでもなければついつい遠くを探してしまう。
だが、ここに引っ越してくるまでは地元の床屋に20数年も通い詰めていた。
きっと最初は緊張して嫌だったのだろうが、通ううちに人見知りが解け、逆に人見知りのせいで他店に行く気が起こらなくなったのだと思う。

引っ越してきてからは毎月のように床屋さんを変えていた。
ケイトの父さんが床屋と分かった時も、Kは「行ってみたら?」と私に勧めていたのに、「遠すぎるから」という理由をつけて行くのを拒んでいた。
“遠すぎる”所からケイトの父さんはカフェに通ってくれていたのだから、私の屁理屈は自分でも恥ずかしかった。

そのうち気心が知れてくると『ケイトの父さんの店に行きたい』と思うようになってきた。
が、今度はそれを言葉にするのが恥ずかしく、言い出すまでに数週間が経ったのを覚えている。

快適だった。
最初にケイトの父さんにやってもらった時から快適で、まるで子供の頃から通ってるように気持ちが解放された。

さて昨日、私は何軒目かの床屋さんに意を決して飛び込んでいった。
隣町の北広島市ではあるが、結局カフェからは車で7〜8分の町はずれにあるお店だった。

若い男女数人のスタッフがいて、担当してくれたのは私の息子ほどの青年だった。
設備はそれほど良いとは言えず、足腰の弱い私には洗髪の姿勢が辛かったし、顔剃りで寝かされた時にステップもなく足のやり場に困ってしまったが、不思議にも気疲れすることはなかった。

「今日はお休みですか?」と青年。
「あ、ああ」と私。
「顔に疲れが滲み出てますね」
「▲□※・・・?!」

それから青年は首から肩を丹念にマッサージしてくれた。
プロの治療師に何度もほぐしてもらっている私だから、その腕前が未熟であるのはすぐに分かるし、理髪師の青年に治療をしてもらおうなどと思うはずもない。
が、とても心地よかった。
そしていつも想っているはずの子供たちのことが思い起こされた。

私の性格が今更どうにもできるわけはないけれど、無愛想で人見知りな人間にもそれなりにちょっとした感性はあることを確認し、犬たちへの対応にも生かしていければ良いなと思った。
 

分からん中での選択 2007年06月06日(水)

  盛夏を前にすっかり日焼けしてしまった。
今時の紫外線は危険だと聞くが、子供の頃に浴びた陽光とは異質の物なのか、それともオゾン層の破壊で強度が増えてるから危険なのか?
はたまた昔も今も同じ紫外線なのだが、科学的に危険だと言われるようになったから危険なのか?
世の中分からんことが一杯あって興味深い。

分からんことは分からんから、人はそれぞれの判断で対応を仕方を決め、何かが分かった段階で対応を修正したりする。

「このままでは余命3ヶ月はないでしょう。治療を行えば2年程度延ばすことができるかもしれません」
症状はあるものの日常生活が普通にできている愛犬に対して、獣医からそんな告知を受けたらあなたならどう対応するだろう?
愛犬はまだ4歳前後で心から愛されている。

1.余命3ヶ月と言われてもそれから3年以上生きた例はごまんとあるじゃないか。
仮に残り少ない命だとしても、余命を告知されるほどの難しい病気ならば大切な時間を医療やその副作用あるいは経済的な負担を含めた心配に振り回されるより、精一杯の時間を楽しい思い出作りにまわし、必要に応じた医療との関わり程度にしたい。
と考える方がおられるだろう。

2.この子はまだ若いし、かけがえのない愛犬だ。
獣医が『治療をすれば2年は延ばせる』と言うのだから、ひょっとしたら3年あるいはそれ以上何事もなかったかのように普通に生きるかもしれない。
例え、治療による負担が人にも愛犬にもあったとしても、獣医の意見に従わず死んでしまったときの後悔より、『必要なことはやった』という思いは残るはずだからそちらを選ぶ。
とも考える方がおられるだろう。

勿論、正解などないがK夫妻は両者の折衷を模索されているように思え、私たちは心からの応援と祈りを惜しまないでいる。

K夫妻の愛犬は鼻血を頻繁に出すようになった。
幾つか動物病院を渡り歩き検査した結果、ようやく病名が判明し、紹介された大学病院での放射線治療で鼻の毛は抜け落ちたものの症状は安定してきた。
が、現在のところも完治はせずに通院を続け、そこでさらに獣医から聞いた言葉にK夫妻は新たな決断を迫られ、はっきりとした意思が芽生え始めたようだ。
「これでダメなら鼻から患部までを切断すればいいでしょう」という言葉がそれだった。

私は感じたままを言葉にした。
「獣医の中にはおかしな人もいるんだよね。鼻を取ろうが首を取ろうが、どんな方法でも『それで何日生き延びたか』というのがありなんです。QOL(生活の質)なんて考えない研究者みたいなのがいるんです。それで科学が発展するんでしょうけどね。」

K夫妻がこれから何を選択するのかは分からないけど心で通じ合う方向性は理解しているつもりだ。
いろんな理由がそれぞれにあるのだろうけど、人はどれかを選択しそこに正当性を感じながらあるいは当てはめながら、分からんことに対処して生きているのだろう。
 

独立国北海道・私案 2007年06月04日(月)

  昨年大好評だった道産米『おぼろづき』の作付面積が広がっている。
味音痴の私でも去年初めて食べたあのごはんの味は感動的で、しかも道産米であることが嬉しくてたまらなかった。

私が思うに、
今のところ生産量が少ないあのお米は当面道内だけで流通/消費すべきであり、『北海道に行ったらすっごくおいしいごはんが食べられるよ』という観光立国のカードとして活用すべきだと思う。

評判がいいから、あるいは高値で取引されるからという理由で、一気に販路を広げて、地元の人は一時期しか食べられないというのはおかしいしもったいない。

都会に居ながらにして美味しい食材が食べられるようにするから一極集中が加速されるのだ。
都会で暮らす人には経済的な潤いと生活の便利さ・名声の得やすさや日本を動かす中心に住む都会人の冠を持っていただければ充分であり、今後も頑張ってもらえればいい。

疲弊した北海道を地方自治の力で活性化させるなら、それぞれの産業が独自に短期的な利益を追求するのではなく、
美味しい米・じゃがいも・たまねぎ・アスパラ…
えび・カニ・ホタテ・ホッケにサケ…
酪農製品などすべての第一次産業を統括して観光の呼び水とし、
『都会で余裕ができたり、生活に疲れたら“癒しの北海道”に来て元気をどうぞ』とアピールすればいい。

北海道の林業については、間伐材活用程度のものしか発信されてないから大いにルネッサンスが残されていると思う。

今ならどこでも北海道産の新鮮な食材を食べることができ、観光客は食べ物よりも、“輸出することができない北海道の環境”に充足を感じているはずだ。
だから、控えめなアピールを地味に継続しながら知名度と憧れを維持し、短期的・局所的利益を追求することなく独自性を頑なに守ることで北海道の安定を維持できるのではなかろうか。

大儲けはできないし『右肩上がり』などの威勢のよさも期待できないかもしれぬ。
いいではないか。
それでいいではないか。
北海道での変化は必ず起こる。

『変化しながらも守るべきは守り、破壊は決して許さない』
憲法の話もさることながら、北海道の自治と暮らし・環境のことを言ってるのだ。

『おぼろづき』の剰余米ができるようになったり、農畜産物の一部は自治体で買い上げ、都会以外の地域や台湾・韓国・アメリカ・オーストラリアにどんどん提供して、北海道の味を発信すべきだと思う。

味を求めてやってきた人たちが、それに満足するだけでなく、驚きの大自然と人々の暮らしに触れて必ずやリピーターとなりリポーターとなるだろう。

日中は陽射しが降り注ぎ、夜になると寒くなる。
いかにも北海道らしい初夏が続いていて今年の夕張メロンは格別に美味しくなりそうだ。
 

ペット禁止も止む無し 2007年06月01日(金)

  昨日の定休日は小樽へ出かけてきた。

『水族館の一部である屋外は大型のワンちゃんもOK』という話を聞いたものだから「アモにトドを見せてやろう!」と、情報もよく確認せぬままに出かけたのが悪かった。

駐車料金600円を支払い、長い階段を上ってチケット売り場へ行くと
「犬は抱っこしてください」と言われた。
「はあ?そんな無茶な」と私はアモを見た。
「年内は抱っこすればワンちゃんの入場を認めていますが、来年からは補助犬を除きワンちゃんの入場はできなくなります」との言葉にすごすご退散せざるを得なかった。

600円の散財以上に、(元々大型犬はダメだったのかもしれないが)、この水族館がそう決断した背景に思いを巡らせKと言葉を交わした。
「きっと何度もトラブルがあったんだろうね」
「あちこちにオシッコするとか?」
「人に吠えたり、トド見て大騒ぎしたりとか…」
「犬が苦手な人にはたまらないよね」

この水族館のホームページを見ると、今日付けでこう書かれてあった。
『諸般の事情により平成20年から盲導犬・介助犬・聴導犬以外のペット同伴によるご入館を禁止することになりました。
今年はその周知期間とさせていただきますので、
ご理解のほど よろしくお願い申し上げます。』

『諸般の事情』というものを犬と暮らす人々は今一度想像した方がよいのではないだろうか。

それから私たちは運河沿いの観光地に出かけた。
平日なのに小樽は活気があり、修学旅行生や海外からのツアー客で賑わい、陽に焼けた人力車の青年たちは実にいい笑顔で街の風情に溶け込むどころか、新たな文化までも牽引しているように見えた。

Kが興味を示したお店があると、私とアモが初夏の陽射しと街並みを楽しみながら外で待つ。
その繰り返しの時間が『休日のひととき』という感じになって私を心から満たしてくれた。

素敵なオープンカフェを見つけ、私たちはソフトクリームを食べることにした。
ふと数席離れたテーブルに目をやると、座席に座らせた小型犬がテーブルに足をかけ、飼い主の女性が食べているソフトクリームを一緒に食べていた。

愛犬との暮らしの基盤ができている国の光景なら微笑ましくも思えたかも知れないが、残念ながら私には『基盤壊し』にしか映らなかった。

オープンカフェは何でも有りのドッグカフェ?
周りの人はみんな犬が好きとでも?
日焼けして人力車を曳く青年の想いを打ち砕いている自分に何故気づかないのだ?

『諸般の事情』の一端を覗いたようで、「これならペット同伴禁止も止む無し」と同意してしまう私たちであった。
犬の問題ではなく飼い主の意識というのが何故この国の人々にいつまでも伝わらないのだろう?

今夜のこの欄は上記の時点で終了だったのだが、犬の飼い主の意識をバロメートするために付記する。
・私たちがアモにトドを見せたかったのは、アモに視覚経験をつませ共に冷静に感動するのが目的。
・トドを見て吠えたり制御不能に陥る犬を見て「わぁー!初めてこんなでかい姿見て驚いてるんだわ、この子。声にもびっくりして吠えてんだよね。おっかしい!」などと無邪気に騒ぐ無邪気な飼い主がこの国の犬たちをダメにしているのだから根は相当深い。
 

『北の国から』ウラ話 2007年05月29日(火)

  今夜は何を書こうかな?

そんなことを考えているだけで1時間が経ち、焼酎は減り続け吸殻ばかりが増えている。
実は夕べも同じ状態で書くことが見つからず、結局は過去のこの欄を読み返したり、月間ごとの記載回数などを調べていた。

『北の国から』に現在アップしている話題は727話で、昨年のサーバートラブルによって70話が消失しているから、実際には800話近くを書き綴っていた。

3年間の月間平均は22回で、最低は18回、最高は27回だった。
1ヶ月のうち27日もこの欄を書いた月があったのは驚きであるが、毎月平均して22日も書き続けていたとは我ながら“あっぱれ”である。
私の性格からすれば予想だに出来なかった数字であり、私はもう既に充分に満足している。

読み返してみると、自分でもお気に入りに登録しておきたい項目が充分に二桁はあり『酔い潰れ(そうになり)ながらよくぞここまで書いたな』と自画自賛し、『消えた70話の中にも1つか2つはいい話があったのだろうな』と残念に思った。

勿論今夜の話も記載数にはカウントされるから、どうでもいい話のほうが多かったのは否めないが、それが次への意欲に繋がっていたとしたなら、あながち無駄とは言えまい。
むしろ、私の座右の銘のひとつである“無用の用を知らぬ者は有用の用を知らず”を実践しているともいえるだろう。

ともあれここまで書き続け、もうしばらくはこの欄を維持しようと思っているので、自ら考えることと感性を豊かにしておかねばと泥酔し薄れ行く意識に伝えておいた。

なにしろ話題には事欠かない生活をさせていただいているのだから…

話題といえば、お泊りのハスキー/チェス君は犬種特性ともいえる食欲にムラがあり、とりわけ冬を越すとその傾向が強くなる。
ところが今回は次のようなシステムが働き、完食の毎日だ。

1.お泊りだから看板犬の仕事もせねばならず、睡眠時間も削られ、消費カロリーが増えている
2.それでいて自宅にいるときのようなおねだりができない
3.結果的にお腹は空いてしまう
4.『のんびり食べよう』などと悠長なことをしていると、我が家の愛犬アモとお泊り犬のレオンベルガーの声なき視線がまともに感じられて、せかされるように食べる。
めでたし、めでたしというシステムである。

書くことが決まらなくても、とにかく何か感じたことから書いてみると、そこから話題が展開されることだってある。
そんな調子でこれからも気楽に書ければいい。

ただ、書くうちに宗教的・あまりにも観念的になったり政治的になったり、人を傷つけるほどストレートに批判的になったりして、結局アップしないで墓場行きになった項目も結構あったことを思い出したし、一方で酔った勢いでアップした項目も多々。
要するに『私は感じたところを書き、自制の利く範囲でアップしました。あなたはあなたの感性で読んでください』というのがこの欄である。
 

寝かせてくれ!と愛犬に言わせよう。 2007年05月27日(日)

  一般に犬の睡眠は浅くて長いものだが、我が家ではそんなに長く睡眠時間をとることはできない。
まずは普段の犬たちの生活スケジュールをご覧頂こう。

7:30頃 起床即排泄
8:30頃 朝食
9:00頃 開店準備の間、犬たちはガーデンへ(排泄・運動)
10:00 開店(犬たちはカフェで看板犬)
17:00頃 閉店・散歩
18:30頃 夕食
23:30頃 最後の排泄
1:00頃 就寝

つまり7:30頃から18:30頃までの連続11時間は、ゆっくり睡眠時間をとることができない。

18:30頃から23:30頃までの5時間は人間のフリータイムでありその活動状況によって何度も目が覚める浅い眠りをとることができる時間。

23:30頃から1:00頃までは私がパソコンに向かう時間であり、熟睡と覚醒を繰り返す時間。

1:00頃から7:30頃までの6時間半が熟睡できる時間となる。

犬たちにしてみれば労働基準監督署に直訴したい位の振り回されようだと思う。

そう。
我が家では犬に振り回されるのではなく犬を振り回しているのだ。
そして、このような状態が二日も続けば、お泊り犬はカフェの営業中でもうたた寝を始めるようになり、お客さんからは
「静かでおりこうさんなワンちゃんですね」と褒められ、
閉店後の我が家では私たちに迷惑をかけるような振る舞いをしなくなり、寸暇を惜しんで眠ろうとし、私が動き回ったり声や物音を普通に出しても徐々に反応しなくなってくる。

一般家庭なら夜だけではなく日中にも充分な睡眠をとって力を持て余した犬が、家族が揃う夜になるとここぞとばかりに遊ぼう攻撃を仕掛けてくるものだろうが、我が家では犬のほうがそれを迷惑がるようになる。

そんな生活を長く続けている我が家の愛犬アモだから、カフェでは泰然自若として寝るテクニックを習得しているのだ。

自営業者で愛犬に振り回される生活をしている方がおられれば、愛犬を眠らせない生活つまりいつも一緒の生活をしてみてはどうですか?
 

車内放置 2007年05月25日(金)

  昨日の定休日は気温は低かったものの日中の陽射しは強く、我が家の愛犬アモは「ねぇねぇ、今日はどこに出かけるの?」とそわそわしていた。

アモには気の毒だったが、定休日にしか済ませることができない用事が溜まりに溜まっていたので、私は出かけ、最後に愛犬をワゴンに乗せて入店できる超大型のホームセンターで買い物をしていた。
しばらくすると店内放送で、ある車の車種とナンバーが読み上げられ、この自動車の持ち主はすぐに車に戻るよう告げられていた。

それから30分以上の買い物を済ませて駐車場へ戻ると、さっき放送されていた車種が私の車の真ん前にあって、警察官は店内へ走り、通報者と思われる男性が車を見て呆然としていた。
『何があったのだろう?』と側によって男性の視線の先を見た私もまた呆然となった。

そこには直射日光にさらされながら、締め切られた車内に残され、窓にへばりつくようにもがき果てたままの白いトイプードルの無残な姿があったのだ。

発見者が通報した段階で既にその状態であり、それからさらに30分以上が経過しているにも関わらず飼い主は現れていなかった。

そこから私の空想が始まった。
もし私が第一発見者なら何を基準に他人の車の窓ガラスを打ち破っただろうか?
・車内で犬が吠えている状況ではどうだったろうか?
・車内で犬が苦しんでいる状況ではどうだったろうか?
・窓にへばりついて既に動かない状況ではどうだったろうか?
・同様に犬ではなく人間の子供だったらどの段階でどうしただろうか?と。

そして徐々に腹が立ってきた。
・ホームセンターで買い物をし続ける飼い主
・子供を車内に残しパチンコに興じる親のニュース

ややして空想されたのが
・泣き喚く飼い主
・死んだ犬を横目に、車の窓を割られたことに憤慨し損害賠償を求める飼い主
・窓を割られて救われた元気な犬を手に、割った人間を糾弾する飼い主
・ぐったりした犬が適切な処置で快方に向かう過程を目にした飼い主と窓を割った人…

そしてさらに
・死んだ犬を前に様々な反応を見せるであろう飼い主への同情と法的な裁き方
・犬を守る一心で窓を割った人と、過剰反応と責める人々

『よくもまあ、そんなこと言ってられますね。死んだトイプードルの冥福を!』という方もおられるだろう。

去年の6月、向かいのアパートに住む女性が飼えない猫を車で飼育し続けていたが、直射日光で苦しむ様にたまりかねて私が通報したことがある。

数週間の過程を見た結果と、今日のようにその場を見ただけで迫られる判断。
去年の猫は助かり今日の犬は死んでいた。

後から考えれば…

自分そして身近な人々から日々感じあえる感性をを信じて行動するしかない。

それにしても『無知は罪だ!』と言い放って、たとえ嘆き悲しむ飼い主だとしても、同じ車に閉じ込めてやりたい衝動が抑えきれないでいる。
予想が充分にできる中での犯罪なのだ。

空想の最後。
あれがリアルな縫ぐるみを使ったパフォーマンスだったら?
だから車の持ち主はニマッとしながら平然と買い物を続けていたのかもしれない。
もしそうだったら、分かっていても躊躇せず窓をぶち割ってやる。
『そうだ、あれはパフォーマンスだったんだ』
私自身に逃避反応が生じているのが悔しい。
 


- Web Diary ver 1.26 -