From the North Country

独立国北海道・私案 2007年06月04日(月)

  昨年大好評だった道産米『おぼろづき』の作付面積が広がっている。
味音痴の私でも去年初めて食べたあのごはんの味は感動的で、しかも道産米であることが嬉しくてたまらなかった。

私が思うに、
今のところ生産量が少ないあのお米は当面道内だけで流通/消費すべきであり、『北海道に行ったらすっごくおいしいごはんが食べられるよ』という観光立国のカードとして活用すべきだと思う。

評判がいいから、あるいは高値で取引されるからという理由で、一気に販路を広げて、地元の人は一時期しか食べられないというのはおかしいしもったいない。

都会に居ながらにして美味しい食材が食べられるようにするから一極集中が加速されるのだ。
都会で暮らす人には経済的な潤いと生活の便利さ・名声の得やすさや日本を動かす中心に住む都会人の冠を持っていただければ充分であり、今後も頑張ってもらえればいい。

疲弊した北海道を地方自治の力で活性化させるなら、それぞれの産業が独自に短期的な利益を追求するのではなく、
美味しい米・じゃがいも・たまねぎ・アスパラ…
えび・カニ・ホタテ・ホッケにサケ…
酪農製品などすべての第一次産業を統括して観光の呼び水とし、
『都会で余裕ができたり、生活に疲れたら“癒しの北海道”に来て元気をどうぞ』とアピールすればいい。

北海道の林業については、間伐材活用程度のものしか発信されてないから大いにルネッサンスが残されていると思う。

今ならどこでも北海道産の新鮮な食材を食べることができ、観光客は食べ物よりも、“輸出することができない北海道の環境”に充足を感じているはずだ。
だから、控えめなアピールを地味に継続しながら知名度と憧れを維持し、短期的・局所的利益を追求することなく独自性を頑なに守ることで北海道の安定を維持できるのではなかろうか。

大儲けはできないし『右肩上がり』などの威勢のよさも期待できないかもしれぬ。
いいではないか。
それでいいではないか。
北海道での変化は必ず起こる。

『変化しながらも守るべきは守り、破壊は決して許さない』
憲法の話もさることながら、北海道の自治と暮らし・環境のことを言ってるのだ。

『おぼろづき』の剰余米ができるようになったり、農畜産物の一部は自治体で買い上げ、都会以外の地域や台湾・韓国・アメリカ・オーストラリアにどんどん提供して、北海道の味を発信すべきだと思う。

味を求めてやってきた人たちが、それに満足するだけでなく、驚きの大自然と人々の暮らしに触れて必ずやリピーターとなりリポーターとなるだろう。

日中は陽射しが降り注ぎ、夜になると寒くなる。
いかにも北海道らしい初夏が続いていて今年の夕張メロンは格別に美味しくなりそうだ。
 

ペット禁止も止む無し 2007年06月01日(金)

  昨日の定休日は小樽へ出かけてきた。

『水族館の一部である屋外は大型のワンちゃんもOK』という話を聞いたものだから「アモにトドを見せてやろう!」と、情報もよく確認せぬままに出かけたのが悪かった。

駐車料金600円を支払い、長い階段を上ってチケット売り場へ行くと
「犬は抱っこしてください」と言われた。
「はあ?そんな無茶な」と私はアモを見た。
「年内は抱っこすればワンちゃんの入場を認めていますが、来年からは補助犬を除きワンちゃんの入場はできなくなります」との言葉にすごすご退散せざるを得なかった。

600円の散財以上に、(元々大型犬はダメだったのかもしれないが)、この水族館がそう決断した背景に思いを巡らせKと言葉を交わした。
「きっと何度もトラブルがあったんだろうね」
「あちこちにオシッコするとか?」
「人に吠えたり、トド見て大騒ぎしたりとか…」
「犬が苦手な人にはたまらないよね」

この水族館のホームページを見ると、今日付けでこう書かれてあった。
『諸般の事情により平成20年から盲導犬・介助犬・聴導犬以外のペット同伴によるご入館を禁止することになりました。
今年はその周知期間とさせていただきますので、
ご理解のほど よろしくお願い申し上げます。』

『諸般の事情』というものを犬と暮らす人々は今一度想像した方がよいのではないだろうか。

それから私たちは運河沿いの観光地に出かけた。
平日なのに小樽は活気があり、修学旅行生や海外からのツアー客で賑わい、陽に焼けた人力車の青年たちは実にいい笑顔で街の風情に溶け込むどころか、新たな文化までも牽引しているように見えた。

Kが興味を示したお店があると、私とアモが初夏の陽射しと街並みを楽しみながら外で待つ。
その繰り返しの時間が『休日のひととき』という感じになって私を心から満たしてくれた。

素敵なオープンカフェを見つけ、私たちはソフトクリームを食べることにした。
ふと数席離れたテーブルに目をやると、座席に座らせた小型犬がテーブルに足をかけ、飼い主の女性が食べているソフトクリームを一緒に食べていた。

愛犬との暮らしの基盤ができている国の光景なら微笑ましくも思えたかも知れないが、残念ながら私には『基盤壊し』にしか映らなかった。

オープンカフェは何でも有りのドッグカフェ?
周りの人はみんな犬が好きとでも?
日焼けして人力車を曳く青年の想いを打ち砕いている自分に何故気づかないのだ?

『諸般の事情』の一端を覗いたようで、「これならペット同伴禁止も止む無し」と同意してしまう私たちであった。
犬の問題ではなく飼い主の意識というのが何故この国の人々にいつまでも伝わらないのだろう?

今夜のこの欄は上記の時点で終了だったのだが、犬の飼い主の意識をバロメートするために付記する。
・私たちがアモにトドを見せたかったのは、アモに視覚経験をつませ共に冷静に感動するのが目的。
・トドを見て吠えたり制御不能に陥る犬を見て「わぁー!初めてこんなでかい姿見て驚いてるんだわ、この子。声にもびっくりして吠えてんだよね。おっかしい!」などと無邪気に騒ぐ無邪気な飼い主がこの国の犬たちをダメにしているのだから根は相当深い。
 

『北の国から』ウラ話 2007年05月29日(火)

  今夜は何を書こうかな?

そんなことを考えているだけで1時間が経ち、焼酎は減り続け吸殻ばかりが増えている。
実は夕べも同じ状態で書くことが見つからず、結局は過去のこの欄を読み返したり、月間ごとの記載回数などを調べていた。

『北の国から』に現在アップしている話題は727話で、昨年のサーバートラブルによって70話が消失しているから、実際には800話近くを書き綴っていた。

3年間の月間平均は22回で、最低は18回、最高は27回だった。
1ヶ月のうち27日もこの欄を書いた月があったのは驚きであるが、毎月平均して22日も書き続けていたとは我ながら“あっぱれ”である。
私の性格からすれば予想だに出来なかった数字であり、私はもう既に充分に満足している。

読み返してみると、自分でもお気に入りに登録しておきたい項目が充分に二桁はあり『酔い潰れ(そうになり)ながらよくぞここまで書いたな』と自画自賛し、『消えた70話の中にも1つか2つはいい話があったのだろうな』と残念に思った。

勿論今夜の話も記載数にはカウントされるから、どうでもいい話のほうが多かったのは否めないが、それが次への意欲に繋がっていたとしたなら、あながち無駄とは言えまい。
むしろ、私の座右の銘のひとつである“無用の用を知らぬ者は有用の用を知らず”を実践しているともいえるだろう。

ともあれここまで書き続け、もうしばらくはこの欄を維持しようと思っているので、自ら考えることと感性を豊かにしておかねばと泥酔し薄れ行く意識に伝えておいた。

なにしろ話題には事欠かない生活をさせていただいているのだから…

話題といえば、お泊りのハスキー/チェス君は犬種特性ともいえる食欲にムラがあり、とりわけ冬を越すとその傾向が強くなる。
ところが今回は次のようなシステムが働き、完食の毎日だ。

1.お泊りだから看板犬の仕事もせねばならず、睡眠時間も削られ、消費カロリーが増えている
2.それでいて自宅にいるときのようなおねだりができない
3.結果的にお腹は空いてしまう
4.『のんびり食べよう』などと悠長なことをしていると、我が家の愛犬アモとお泊り犬のレオンベルガーの声なき視線がまともに感じられて、せかされるように食べる。
めでたし、めでたしというシステムである。

書くことが決まらなくても、とにかく何か感じたことから書いてみると、そこから話題が展開されることだってある。
そんな調子でこれからも気楽に書ければいい。

ただ、書くうちに宗教的・あまりにも観念的になったり政治的になったり、人を傷つけるほどストレートに批判的になったりして、結局アップしないで墓場行きになった項目も結構あったことを思い出したし、一方で酔った勢いでアップした項目も多々。
要するに『私は感じたところを書き、自制の利く範囲でアップしました。あなたはあなたの感性で読んでください』というのがこの欄である。
 

寝かせてくれ!と愛犬に言わせよう。 2007年05月27日(日)

  一般に犬の睡眠は浅くて長いものだが、我が家ではそんなに長く睡眠時間をとることはできない。
まずは普段の犬たちの生活スケジュールをご覧頂こう。

7:30頃 起床即排泄
8:30頃 朝食
9:00頃 開店準備の間、犬たちはガーデンへ(排泄・運動)
10:00 開店(犬たちはカフェで看板犬)
17:00頃 閉店・散歩
18:30頃 夕食
23:30頃 最後の排泄
1:00頃 就寝

つまり7:30頃から18:30頃までの連続11時間は、ゆっくり睡眠時間をとることができない。

18:30頃から23:30頃までの5時間は人間のフリータイムでありその活動状況によって何度も目が覚める浅い眠りをとることができる時間。

23:30頃から1:00頃までは私がパソコンに向かう時間であり、熟睡と覚醒を繰り返す時間。

1:00頃から7:30頃までの6時間半が熟睡できる時間となる。

犬たちにしてみれば労働基準監督署に直訴したい位の振り回されようだと思う。

そう。
我が家では犬に振り回されるのではなく犬を振り回しているのだ。
そして、このような状態が二日も続けば、お泊り犬はカフェの営業中でもうたた寝を始めるようになり、お客さんからは
「静かでおりこうさんなワンちゃんですね」と褒められ、
閉店後の我が家では私たちに迷惑をかけるような振る舞いをしなくなり、寸暇を惜しんで眠ろうとし、私が動き回ったり声や物音を普通に出しても徐々に反応しなくなってくる。

一般家庭なら夜だけではなく日中にも充分な睡眠をとって力を持て余した犬が、家族が揃う夜になるとここぞとばかりに遊ぼう攻撃を仕掛けてくるものだろうが、我が家では犬のほうがそれを迷惑がるようになる。

そんな生活を長く続けている我が家の愛犬アモだから、カフェでは泰然自若として寝るテクニックを習得しているのだ。

自営業者で愛犬に振り回される生活をしている方がおられれば、愛犬を眠らせない生活つまりいつも一緒の生活をしてみてはどうですか?
 

車内放置 2007年05月25日(金)

  昨日の定休日は気温は低かったものの日中の陽射しは強く、我が家の愛犬アモは「ねぇねぇ、今日はどこに出かけるの?」とそわそわしていた。

アモには気の毒だったが、定休日にしか済ませることができない用事が溜まりに溜まっていたので、私は出かけ、最後に愛犬をワゴンに乗せて入店できる超大型のホームセンターで買い物をしていた。
しばらくすると店内放送で、ある車の車種とナンバーが読み上げられ、この自動車の持ち主はすぐに車に戻るよう告げられていた。

それから30分以上の買い物を済ませて駐車場へ戻ると、さっき放送されていた車種が私の車の真ん前にあって、警察官は店内へ走り、通報者と思われる男性が車を見て呆然としていた。
『何があったのだろう?』と側によって男性の視線の先を見た私もまた呆然となった。

そこには直射日光にさらされながら、締め切られた車内に残され、窓にへばりつくようにもがき果てたままの白いトイプードルの無残な姿があったのだ。

発見者が通報した段階で既にその状態であり、それからさらに30分以上が経過しているにも関わらず飼い主は現れていなかった。

そこから私の空想が始まった。
もし私が第一発見者なら何を基準に他人の車の窓ガラスを打ち破っただろうか?
・車内で犬が吠えている状況ではどうだったろうか?
・車内で犬が苦しんでいる状況ではどうだったろうか?
・窓にへばりついて既に動かない状況ではどうだったろうか?
・同様に犬ではなく人間の子供だったらどの段階でどうしただろうか?と。

そして徐々に腹が立ってきた。
・ホームセンターで買い物をし続ける飼い主
・子供を車内に残しパチンコに興じる親のニュース

ややして空想されたのが
・泣き喚く飼い主
・死んだ犬を横目に、車の窓を割られたことに憤慨し損害賠償を求める飼い主
・窓を割られて救われた元気な犬を手に、割った人間を糾弾する飼い主
・ぐったりした犬が適切な処置で快方に向かう過程を目にした飼い主と窓を割った人…

そしてさらに
・死んだ犬を前に様々な反応を見せるであろう飼い主への同情と法的な裁き方
・犬を守る一心で窓を割った人と、過剰反応と責める人々

『よくもまあ、そんなこと言ってられますね。死んだトイプードルの冥福を!』という方もおられるだろう。

去年の6月、向かいのアパートに住む女性が飼えない猫を車で飼育し続けていたが、直射日光で苦しむ様にたまりかねて私が通報したことがある。

数週間の過程を見た結果と、今日のようにその場を見ただけで迫られる判断。
去年の猫は助かり今日の犬は死んでいた。

後から考えれば…

自分そして身近な人々から日々感じあえる感性をを信じて行動するしかない。

それにしても『無知は罪だ!』と言い放って、たとえ嘆き悲しむ飼い主だとしても、同じ車に閉じ込めてやりたい衝動が抑えきれないでいる。
予想が充分にできる中での犯罪なのだ。

空想の最後。
あれがリアルな縫ぐるみを使ったパフォーマンスだったら?
だから車の持ち主はニマッとしながら平然と買い物を続けていたのかもしれない。
もしそうだったら、分かっていても躊躇せず窓をぶち割ってやる。
『そうだ、あれはパフォーマンスだったんだ』
私自身に逃避反応が生じているのが悔しい。
 

マナーベルトは悪の強い必要悪でありマナーではない 2007年05月23日(水)

  夜11時を過ぎてから、南北の窓を1時間ほど開放した。
夏日に達した日中の熱気と冬の間に溜まったタバコ臭を放出し、涼しい外気を取り入れたかったからだ。
部屋は肌寒くなったがタバコ臭は消えてないのだろうな。

さて、今日はゴールデンウィークを利用して愛犬のMダックス2頭と本州を旅行してこられたI夫妻の“マナーベルト”をめぐる話を伺って複雑な思いがした。

「私たちの犬ってちゃんとトイレのしつけと管理をしているから、たとえ他犬の臭いがするようなペンションに泊まっても粗相なんかしないし、マナーベルトなんて必要ないでしょ。
でも、他に泊まってた犬たちのほとんどがマナーベルトしているの。」とIさん。
「へぇー!それでベルトしている犬たちは室内でも排尿の格好することがあるの?」と私は尋ねた。
「そうなの。平気でしていて、飼い主さんたちも『マナーベルトしてるから問題ないでしょ』という顔してるの。」とIさん。

I夫妻のわんちゃんにはきちんとしたトイレのしつけがなされている。
ここで私たちのいうトイレのしつけとは
1.シーシー・ベンベン(ネーミングはこれ以外でも勿論OK)という言葉の意味を愛犬が理解し、その指示で排泄ができること。
2.「さあ、今ここでシッコ/ウンチをしておきなさい」とか、「そろそろシッコでしょ」と飼い主が愛犬の排泄管理ができていること。
3.小型犬の場合はペットシートで排泄しても良いこと。
4.既に飼い主が適切な間隔(判断)で愛犬の排泄を済ませているわけだから、屋内/室内では粗相をするなんて常識はずれもいいことだという認識に立って愛犬を育てていること。
などである。

愛犬雑誌などで紹介されている犬のしつけ方について、日頃から私が非難・指摘しているように、この国では犬をイヌと捉えておきながら言葉上は『愛犬』とか『わが子』とか『家族』などと言う身近な存在であるかのように着飾らせようとしている。

・本当に愛犬でありわが子であり家族ならばションベンを室内のあちこちで頻繁にするか?
・普通の1歳(人間なら健康な成人)にもなった犬がおむつ(マナーベルト)をするか?

犬をイヌとしてしかみてないから
・溺愛の対象にし
・排泄の管理など最初から思いも及ばず
・口では愛犬と言いながら
“小動物”を飼育しているに過ぎないのである。

「(ちゃんと管理している)うちの子がマナーベルトしてないから、周りの人から“常識ない人”って見られてるようで困惑してしまいました」
Iさん夫妻同様、我が家の愛犬アモにそんなベルトを着ければ「なんですか、これ?」と言うに決まっている。

一方で、カフェに来たワンちゃんの飼い主が「オシッコは済ませてきましたから大丈夫です」と床に置いてまもなく排尿をしてしまうことが多々ある。
これらの飼い主は犬の管理とトイレのしつけを充分理解せず、家庭内でのイヌのしつけがカフェなど他の場面でも共通と勘違いしておられるのだろうと思う。
「まだまだ甘いな」と感じざるを得ないし、いっそのことマナーベルトをしていてくれた方がありがたい。

しつけ途上の犬かしつけ放棄の犬がカフェに来られるならマナーベルトは必要だろうが、装着している犬が1歳以上で飼い主がそれをマナーと思っているなら、私たちは飼い主の感性を疑ってしまう。

仔犬の頃から面倒をみて、今夜もお泊りのチワワ(オス・去勢済み)は我が家を自由に歩き回ることができるし、外ではマーキングもするが、大型犬と同じように外に出された時しか排泄はしない。
つまりはどんな小型犬でもトイレのしつけはできるということ。
ポイントは愛犬の生理と排泄間隔を把握したうえで管理するという意識をしっかり持ち、そのうえで『室内を汚したくない』という犬の本能と『生活習慣』など教えれば理解できる能力を活用することだ。

窓を開ければ涼風を吹き込むことが容易にできるけど、タバコの臭いは簡単には消えないから愛犬のしつけも最初からしっかり考えなさい。ということである。

『そうだそうだ、最初から世の中にタバコなんかなけりゃ、こんなにおじさんは周りの迷惑を気にしなくてよかったのだ』
新十津川の金滴酒造の酒“鶴の夢うらうす”を飲みながら今夜はおしまい。
 

海外の盲導犬は我が国でも盲導犬か? 2007年05月21日(月)

  ある方からいただいたメール。
(以下『から』まで引用)

『友人に外国から盲導犬を連れてきたご夫婦がいるのですが、日本では正式な盲導犬として認められない状態なのだそうです。
実はこのご夫婦と知り合うまでは盲導犬というのは万国共通だと思っていたのでビックリしました。
日本で盲導犬として認定されるにはもう一度訓練・試験を受けなくてはいけないそうですね。
その試験を受けるべく奔走したようなのですが、受け入れてくれる協会が見つからず、海外へ引っ越すおつもりのようです。
盲導犬として認定する規約に国の差というのは出るものなのでしょうか?
今の日本では海外から来た盲導犬は一時的に認定を受けられたにしても永久的なものではないのですね、、、。
長く盲導犬育成に関わってきた長崎さんに失礼かもしれませんが、日本の閉鎖的気質を見た気がします。
こういったしがらみのない状態になってほしいものですね、、、。』

とのご指摘ご意見だった。

とても貴重な問いかけであり、ご返事をこの方にだけ返信するより、この欄でより多くの方に知っていただくべきものであると考え、無断で恐縮だが引用させていただいた。
以下に述べることは、私が盲導犬事業に携わっていた2002年以前の状況下における制度を前提としていることと、いつものように酒を飲みながらの記述であるので規約などの文章が正確ではないことを初めに申し添えておく。

1.わが国における『盲導犬』とは、国家公安委員会が指定した法人(規則あり)において、盲導犬として訓練された犬、あるいは盲導犬として必要な訓練をされていると認められた犬となっており、さらに詳しく述べるなら、その犬を使用する訓練を受けた視覚障害者自身が『盲導犬使用者証』を携帯し、白色または黄色のハーネスを装着している場合が『盲導犬』ということになっている。

つまり、個人や団体が勝手に訓練した犬を『盲導犬』として使用させることに制限を与えているのである。

2.国内の未指定の団体が訓練した犬や、外国で取得した犬であっても、指定を受けた法人が『盲導犬として必要な訓練をされていると認めた犬』なら『盲導犬』となる。
その説明には多少時間がかかるが以下の通り。

A.例えばドイツでは、盲導犬を取得するための費用が社会保険から支払われる(つまり訓練費は確実に業者の手に入る)ため、いい加減な訓練しか出来ないインチキ訓練士や団体があちこちに存在しているが、実はこの問題はドイツだけが正直に答えているだけで他国にも及ぶのである。

B.1970代のカリフォルニアには27施設が乱立し、とても盲導犬とは言えないような犬たちがお金の為に送り出されて視覚障害者を困らせ、社会に混乱を与えた。

3.そこでIFGDSB国際盲導犬学校連盟が1980年代に発足し、視覚障害者のための適正な盲導犬基準や施設・訓練基準などを定め、加盟団体の現地査察を実施したり知識や技術向上のための国際会議を行うようになった。

4.これによって確かな盲導犬を訓練する施設が選択され、例えば「海外で盲導犬を取得した」というだけの特権的な舶来意識を排除し、連盟におけるフルメンバー(正会員・つまりすべての基準に合致した学校)の盲導犬であるのか、アソシエートメンバー(準会員・つまり一部が合致していないが改革途上の学校)の盲導犬なのか、それともそれ以外であるのかが把握できるようになった。

5.結論

A.メールを下さった方の友人である盲導犬使用者が、国際盲導犬学校連盟の正会員校の卒業生であれば、その証明さえすれば即座に日本においても『盲導犬』として認定されるだろう。
それでもお役所的に振舞う施設があるなら、全国盲導犬施設連合に掛け合うべきである。

B.準会員校であれば、依頼を受けた国内施設は連合や連盟に問い合わせ、実地歩行を見てからの手続きになるだろうから少々時間はかかろうが、まず認められないことはないと思う。

C.上記の提示がない場合は、実地評価を行うしかなく、その手続きに時間と経費を持っている国内施設はなく、あとは善意の関係者にめぐり合うことを期待するだけになるだろう。

盲導犬を英訳すればGuide Dogs for the Blind つまり敢えて『視覚障害者のための』を強調した誘導犬であり、訓練する側の利益を生み出す犬ではないことに注目して欲しい。
国際盲導犬学校連盟の査察を受ける際の質問事項に『Non profit organizationですか?』とある。

わが国の盲導犬訓練施設は排他的でも堅苦しくもないはずです。
そんな組織にならないよう私は頑張ってきました。
それでももし困っておられるなら具体的に直接ご相談ください。
 

ご乱心 2007年05月20日(日)

  時を秒・分・時間と割り切って人間に平等に流れると言う人もいれば、時を観念的に捉えて同じ1年でもそれぞれによって長さや受け止め方が違うと言う人もいる。

時を秒・分と捉えれば人の命は平等に与えられたとは限らないが、観念的に捉えれば長い時を生きた人が短い時を生きた人より“長く”生きたとは言えないと言う人もいる。

サッカーの試合でロスタイムあと3分。終了までどう戦うか?
・1点差でリードしている場合
・同点の場合
・1点差リードされている場合
・それ以上の差の場合
・同点で終了した場合の延長戦はサドンデスか否か
・引き分けありかPK戦か

サッカーでは基本的に時間内での戦いが繰り広げられ、保有する自己の体力や技術などの能力プラス気力が試されるが、野球では時間に関係なく規定回数での決着が図られるし、拳闘競技では試合の終了が突然訪れることがある。

文系に目を向けると、『この作品を作るために生まれた人だ』という評価を受ける人もいれば、時を隔てて評価される人もいたりして、結局、人生いろいろだろうし時と場合によって受け止め方も変わってくるのだろうけど、今の自分がどのような時を選択しているのかは知っておくべきだろうと、今夜はふと思った。
 

犬まみれ 2007年05月19日(土)

  アイリッシュウルフハウンド
ニューファンドランド
レオンベルガー
ラブラドールレトリーバー
ボーダーコリー
キャバリアキングチャールズスパニエル
ポメラニアン
チワワ
それぞれ犬種の違う8頭が夕べ我が家に泊まった。

キャパが超えるのでお預かりを断ろうと思ったけれど、やんごとなき事情でもあったのでお受けすることにした。
食事の支度・トイレの管理などでKと私はてんやわんやだったが、幸いにもトラブルとは無縁のわんこばかりで、その点は最初から安心だった。
週末と重なり、カフェの運営とお泊り犬の管理が両立できるかも心配だったが、これまた幸いにも雨が降ってカフェが混み合うことがなかったので無事乗り切ることが出来た。

今回の教訓。
1.何事もまあ、やってみるべ!
2.窮すればアイデアが湧き、工夫が生まれ、自分でも「ほぉー」と新鮮な気持ちになる。
3.足元を見よ。思い込みで動いてはならぬ。犬は台所・階段口・廊下、どこにでもいる。

疲れた。もう寝る。
ベッドの布団をめくったらチワワが先に寝ておるではないか!
 

凶暴な人間を見て思ったこと 2007年05月18日(金)

  テレビを消すと屋根を垂れる雨音が聞こえてくる。

そのテレビには毎日のように人間が引き起こすやりきれない事件がさっきまで映し出されていた。

不満が爆発したり、欲求を抑え切れなかったり、感情の制御ができなかったり、薬物等による心神耗弱であったり、根っからの性格・性癖・個性であったり、あるいは確信的な信条・主義主張の場合もあろう。
それらがどのように形成されていったかの過程や環境が複雑に絡んでいるのだろうし、勿論すべてが悪と言えるわけではない。
が、毎日、人が傷つき死んでいる。

難しい方向に話を向けたくはない。
たかがドッグカフェの話題である。

薬物依存は別にしても、犬たちには様々な情動が現実にあり、多くの場合、飼い主は日々何度も警察官のように事態の収拾に努め、裁判官のように犬たちを裁き、あるべき針路を示そうとしている。

愛犬に対して生の根幹を保証していないと飼い主が裁かれるが、そんな飼い主は人間社会でも問題を起こしているはずだから問題外として、一般の飼い主は愛犬の日々の問題に誠意を持って向き合っているはずだ。
テレビのようにコメンテーターはいないし、具体的な問題にどう対処すればいいかの世論調査も正確には行われてはいない。
あるのはワイドショーのような情報雑誌程度であろうか。

そんな状況下でも愛犬と暮らし、優しさを持ち続けているから愛犬はニュースになるほどの犯行に及ばない。

人間を飼い犬に例えては誤解が生じてしまうに決まってるが、ふと思ったのは、テレビを消した後の静寂に雨音を感じたり、日々の小さな出来事に心動かされる日常こそ人間の本質であり、人も犬も時計の振り子のようにいつも聞こえている音に時折気づいて冷静な気持ちになり、様々な主張を感性を通じて伝えあえることができるはずだろうということだ。

今日一日いろんなことがあったが、私の周りの犬たちはスヤスヤと眠りに落ち、その姿は私に安らぎを与えてくれている。
 


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