From the North Country

ご乱心 2007年05月20日(日)

  時を秒・分・時間と割り切って人間に平等に流れると言う人もいれば、時を観念的に捉えて同じ1年でもそれぞれによって長さや受け止め方が違うと言う人もいる。

時を秒・分と捉えれば人の命は平等に与えられたとは限らないが、観念的に捉えれば長い時を生きた人が短い時を生きた人より“長く”生きたとは言えないと言う人もいる。

サッカーの試合でロスタイムあと3分。終了までどう戦うか?
・1点差でリードしている場合
・同点の場合
・1点差リードされている場合
・それ以上の差の場合
・同点で終了した場合の延長戦はサドンデスか否か
・引き分けありかPK戦か

サッカーでは基本的に時間内での戦いが繰り広げられ、保有する自己の体力や技術などの能力プラス気力が試されるが、野球では時間に関係なく規定回数での決着が図られるし、拳闘競技では試合の終了が突然訪れることがある。

文系に目を向けると、『この作品を作るために生まれた人だ』という評価を受ける人もいれば、時を隔てて評価される人もいたりして、結局、人生いろいろだろうし時と場合によって受け止め方も変わってくるのだろうけど、今の自分がどのような時を選択しているのかは知っておくべきだろうと、今夜はふと思った。
 

犬まみれ 2007年05月19日(土)

  アイリッシュウルフハウンド
ニューファンドランド
レオンベルガー
ラブラドールレトリーバー
ボーダーコリー
キャバリアキングチャールズスパニエル
ポメラニアン
チワワ
それぞれ犬種の違う8頭が夕べ我が家に泊まった。

キャパが超えるのでお預かりを断ろうと思ったけれど、やんごとなき事情でもあったのでお受けすることにした。
食事の支度・トイレの管理などでKと私はてんやわんやだったが、幸いにもトラブルとは無縁のわんこばかりで、その点は最初から安心だった。
週末と重なり、カフェの運営とお泊り犬の管理が両立できるかも心配だったが、これまた幸いにも雨が降ってカフェが混み合うことがなかったので無事乗り切ることが出来た。

今回の教訓。
1.何事もまあ、やってみるべ!
2.窮すればアイデアが湧き、工夫が生まれ、自分でも「ほぉー」と新鮮な気持ちになる。
3.足元を見よ。思い込みで動いてはならぬ。犬は台所・階段口・廊下、どこにでもいる。

疲れた。もう寝る。
ベッドの布団をめくったらチワワが先に寝ておるではないか!
 

凶暴な人間を見て思ったこと 2007年05月18日(金)

  テレビを消すと屋根を垂れる雨音が聞こえてくる。

そのテレビには毎日のように人間が引き起こすやりきれない事件がさっきまで映し出されていた。

不満が爆発したり、欲求を抑え切れなかったり、感情の制御ができなかったり、薬物等による心神耗弱であったり、根っからの性格・性癖・個性であったり、あるいは確信的な信条・主義主張の場合もあろう。
それらがどのように形成されていったかの過程や環境が複雑に絡んでいるのだろうし、勿論すべてが悪と言えるわけではない。
が、毎日、人が傷つき死んでいる。

難しい方向に話を向けたくはない。
たかがドッグカフェの話題である。

薬物依存は別にしても、犬たちには様々な情動が現実にあり、多くの場合、飼い主は日々何度も警察官のように事態の収拾に努め、裁判官のように犬たちを裁き、あるべき針路を示そうとしている。

愛犬に対して生の根幹を保証していないと飼い主が裁かれるが、そんな飼い主は人間社会でも問題を起こしているはずだから問題外として、一般の飼い主は愛犬の日々の問題に誠意を持って向き合っているはずだ。
テレビのようにコメンテーターはいないし、具体的な問題にどう対処すればいいかの世論調査も正確には行われてはいない。
あるのはワイドショーのような情報雑誌程度であろうか。

そんな状況下でも愛犬と暮らし、優しさを持ち続けているから愛犬はニュースになるほどの犯行に及ばない。

人間を飼い犬に例えては誤解が生じてしまうに決まってるが、ふと思ったのは、テレビを消した後の静寂に雨音を感じたり、日々の小さな出来事に心動かされる日常こそ人間の本質であり、人も犬も時計の振り子のようにいつも聞こえている音に時折気づいて冷静な気持ちになり、様々な主張を感性を通じて伝えあえることができるはずだろうということだ。

今日一日いろんなことがあったが、私の周りの犬たちはスヤスヤと眠りに落ち、その姿は私に安らぎを与えてくれている。
 

繋がり 2007年05月15日(火)

  今夜7時前からインターネットが使えない状態が続いた。
NTT東日本でのトラブルのようだが、こういうことがあるからライフラインである電話を、安いとは分かっていても光電話に切り替えられないでいる。

古い頭のおじさんにとって、停電や断水などは例えば落雷による断線とか水道管の破裂で途絶える理由が容易に理解できるが、最近のネット社会でのトラブルはその奥に人為的で複雑な策謀が隠されているようで信用できない。
アクセス集中によるサーバーのパンクまでは納得できるものの、自動アップデートなどでパソコンが勝手に情報交換していると「本当にそれだけをやっているのか?勝手に人のパソコンに侵入して悪意ある改変を行い、他人から情報を盗んでないのか?」と疑ってしまうのである。

そんな複雑な思いが残るネット社会ではあるが、その有効性を大いに活用し、人生に役立てようとしている女性が今日カフェを訪ねてくれた。

Kさん。
秋田県在住の盲導犬を使用する視覚障害者で、彼女のことは2005年3月18日付けのこの欄に紹介してあるのでこのページ最上部の『タイトル一覧』から探し出してお読みいただきたい。

とっぴな話になるが、そのKさんが自らのブログを立ち上げるための勉強をするため、北海道盲導犬協会の生活訓練プログラムに応募し、先日千歳空港に到着した。

空港バスを待っていると盲導犬エルモの動きが微妙に変化したことをKさんは見逃さなかった。
たまたま偶然そばに座ったのがカフェの常連Yさんで、彼女はゴールデンレトリーバー/サリー、モナリー二頭の飼い主で、エルモがその臭いに反応したことから二人の会話が始まり、共通の知人である私が話題に上った。

Kさんは今回の来札で私と再会することを願っていた。
これまでは盲導犬ボランティアの眞知子がその手はずをすべて整えてくれていたが、眞知子は昨年8月に他界してしまった。
きっと眞知子がKさんとYさんを空港で引き合わせたのだろうと私は思っており、今日Yさんが盲導犬協会にKさんを迎えに行ってカフェで私と再会させてくれたのである。

話は弾み、彼女の盲導犬エルモも大いに楽しんでくれたようだ。
カフェの皆さんも盲導犬についてとても身近に感じてくださったに違いない。
熱血盲導犬訓練士だった私が、家庭犬を相手に「幼児言葉で語りかけるのが可笑しい」とKさんにからかわれた。

うさん臭いネット社会の技術を身につけるために来札したKさんは、Yさんという優しい人に偶然めぐり合い、とても人間的な時間を与えてくれた。
そこには盲導犬であり家庭犬である犬たちの存在があったことを見逃してはならないと思う。

人間関係が希薄な時代である中、彼らがいてくれること、犬たちと暮らせていることに感謝したい。
そしてそれを選択した私たちに繋がりを感じ、心から誇りに思う。
 

ドッグラン考 2007年05月14日(月)

  ある方からメールを頂いて『ドッグラン』についてのことを改めて書いてみようと思った。
恐らくこれまでに書いてきた事柄に新たに書き足すことはないはずだが、整理するには相応しいと思ったからだ。
前提となるのは、特別な使役犬でもなく、繁殖犬・ショードッグでもなく、競技犬でもない、ただの『暮らしやすい家庭犬』というのをお忘れなく。

1.生後1歳半までの犬にドッグランは不要

仔犬から成犬になるまでの一年数ヶ月は特別な時期であり、成犬になってからでは“やり直しの利かない”重要な意義を持つ。
この時期に必要なことは、人間社会・環境をつぶさに観察させ、『おや、何だ?』という仔犬の不安を、愛と場数を持って解放し『ああ、あれか』という状態にまで高めることである。

他犬と触れ合うのはその一環であり、日常出会う犬たちで充分なのだ。
何が起こるかわからないような適切な管理者のいないドッグランに連れて行くことは、わが子を無法地帯に放り出し、恐怖体験を課すようなものである。

2.犬社会での社会化のためと考えるようなドッグランは不要

ワンワン王国で暮らしたりイヌの生態を知りたいのならともかく、『暮らしやすい家庭犬』というスタンスで愛犬を育てたいなら『犬社会での社会化』は徹底的に警戒し排除すべきである。(ちょっと言い過ぎ)

例えばドッグランにおいて先住犬たちが均衡を保って遊んでいたとしよう。
新入りの犬は彼らに囲まれ様々なチェックを受け、それに耐えなければ争いが勃発することがある。
時間が経てば再び均衡が保たれるのであるが、よく見ると傷ついた愛犬がうなだれているかもしれない。

(余談)
ドッグランでは、オンリードだとかえって危険だから犬をノーリードにすることを指示される場合がある。
その理由をご存知だろうか?
見知らぬ犬に取り囲まれ不安を感じた犬は、とにかくその場から逃げたいと思うのにリードで繋がれているから恐怖は頂点に達しもがきだす。
すると、『窮鼠猫を咬む』という防御的攻撃性という生物的本能が表れ、結果的に他犬を興奮させ食い殺されてしまう危険性が高まるのだ。
ノーリードだと、殺されずに恐怖体験だけで済むことができ、うまくいけば殺す側に回ることができるという恐ろしい発想が根底にあるのだ。

今一度確認するが、我々は野生の王国を旅行しているのではなく、ひとつの愛犬と暮らしているのだ。
どんなに弱く世間知らずなお人好しにも、その子を愛する飼い主がいるのである。
『犬社会などクソ喰らえ』のわが子を育てているのである。

3.人間社会での社会化こそが重要でそれを達成したペアにドッグランは不要

私のカフェには、犬社会ではなく私が作ったペット社会のルールがある。
新人犬が現れた場合、私のルールを理解し精神的に安定した先住犬の方が拘束され、不安げな新人がフリーになって存分に先住犬を観察できる決まりである。
だがもし、新人犬が攻撃的・排他的・ノー天気な遊ぼう突撃など無礼な振る舞いをするなら、即座に拘束・制御され他犬からの臭い取りにじっと耐えなければならない課題が課せられ、その後もしばらくは自らの無礼を考える時間が与えられる。

実はそのようにして育った犬たちは、無法地帯のドッグランを好まなくなるのだ。
「なんですか?この子達は!」というように。

因みに我が家の愛犬アモとドッグランに出かけた経験はない。
必要性を感じないし、フリーにできる状況はいつでもOKの北海道の自然環境があるからだ。

ドッグランの価値を感じることができるとすれば『貸切」だろうか。
今夜は多くの敵を作ってしまったようでチト心苦しい。
 

スタートライン 2007年05月13日(日)

  いつ雨が降り出すか分からないどんよりした一日が始まった。
開店早々二台の車が到着し、それを見た私は両手首両膝にサポーターを穿き、腰にコルセットを装着してからガーデンに出た。
そこには昨日のチョコラブと、何日か前にレッスンしたイエローラブの二家族がおられた。

「あれ?この子もレッスンでしたっけ?」
「ハイ!バニラです」
やばい!ダブルブッキング!

もともとスケジュールが重なるほど忙しい生活なんてしてないものだから、適当にレッスンを引き受けたら偶然重なってしまったようだ。
慌てて事務所に戻って前回の訓練メモを読むと、『手強い。頑固身勝手。引き強い。次回13日。当面、犬だけ訓練』と書かれてあったので私は不安になった。
足腰の関節が痛み出しそうな天候に加え、2頭の手強いラブを無事訓練し終えることができるだろうか、と。

ところが驚くなかれ、先に歩いたバニラも後からのチョコラブも2回目のレッスンだというのに別犬のように歩き易くなっていた。

角に差し掛かる度、好き勝手な方へ行こうとしたり、それが叶わないとなると踏ん張って我を通そうとしていたバニラ。
舞い散る桜の花びらを見た次の瞬間、まるでワープする勢いで突進して、私の手首をぶちきりそうになったチョコラブ。
二人とも改心したかどうかはともかく、私が要求していたことは頭に残っていたようで驚いた。

そういえばこの欄でも書いた『動かないシュナウザー』が先日やってきて、2度目のレッスンを行ったら、軽やかな足取りで先導してくれた時も驚いたものだ。

飼い主の方もそうだろうが、みんな早々にスタートラインにつくことができて私も嬉しかった。

そう、スタートライン。
何を教えるかは個々の犬や家族によって違いがあるから別にして、何を教えるにしても冷静な状態を整えることがまずは前提となる。
そのために必要な制御は犬に対する場合さっさと片付けてしまうのが私の流儀なのだろうと思う。
人の子に対しては言葉という道具を使えるけれど、犬にそれを用いては、通じるようになった頃には別れが訪れてしまうからだ。(奥深い意味においては人の子も犬も変わらないのだが…)

結局のところ私の真意は、犬に対して言葉と感性それに社会規範を早くから伝え、家族として暮らせるようになりたいから、殆どの犬が身にまとっている“イヌ”の部分を剥ぎ取り(刺激的な表現でもあり強調的な意図で使用したが、不快に感じる方は『脱皮を手伝い』と読み替えていただきたい。)、そのスタートラインを作ろうとしているのだと思う。
で、その剥ぎ取り方が重要なはずで、うまくやれば『膝枕での耳かき』のような心地よさから、心閉ざすような拷問の危険まであるというのが世に氾濫する訓練方法として紹介され、多くの場合その方法にこだわり過ぎて初期の目的を忘れている滑稽さがある。

『長崎め、相当酔っておるな』
『お、お主、なかなか鋭いのぉ!』
無理して理解しなさんな。
血相変えて批判しなさんな。
たわ言じゃ、たわ言じゃ。
犬をイヌと思えばイヌになる。
まだまだ私も修行中。
ようやくスタートラインに立てたと思っている。
 

粉骨砕身 2007年05月12日(土)

  札幌近郊の桜の名所は今日明日が見どころとか。
近くの梅公園では白梅が5分咲きで紅梅は2分咲きと、桜の開花より遅いのが札幌の特徴といえる。

さて、今日のカフェは7分咲き程度の入りでのんびりしていた。
そんな中、午前中は「咬みますから、咬みますから」と用心深く抱っこされて入ってきたMダックス君が注目を集めた。
飼い主の若いお母さんは数ヵ月後に出産を控えているのだが、咬む愛犬に不安を感じ『万が一赤ちゃんにまで危害が及んでは』と心配されての来店だった。

最初の吠えを制御した途端に大人しくなったダックス君と歩いてみたが、なかなかのしっかり者でまるで一家の大黒柱を自負しているかのように堂々としていた。

しっかり者のダックス君と家族関係の構築に失敗しているのかもしれない。

午後からは体躯のしっかりしたチョコラブ君。
11ヶ月というのに、油断するとこちらの身体が持っていかれそうな、まるで大物を釣り上げた時のような迫力があった。
引っ張りが常習化しているので首の皮も肥厚し、私のショックすら最初は通用しなかった。

私がコントロールするとその衝撃が犬に及んでいる場面ばかりを皆さんは見ておられるが、反作用という意味において私の身体も相当に痛み、既にぼろぼろになっている箇所もあるのだ。
「何故、我が身を削ってよそ様の犬を制御するきっかけを作らなければならないのか」
夜になると手首や腕・肩・腰・膝そして心が痛み出す。

初対面であったがチョコラブ君だから寛大に私の制御に耐え、少しは学んでくれただろう。
君も辛かっただろうが、今夜の私はもっと辛い痛みに耐えている。
それ以上に毎日のように君に引きずり倒されているお母さんはどんな痛みを抱え、どんな気持ちでいるかに思いを馳せよ。
悠長な訓練をしていると、君は飼い主を骨折させるかもしれないし、そうなれば君のこれからの生活保障はどうなる?

明日もレッスンに来るということだが、私は自分の身体をしっかり守り、君の家族の為にも容赦はしないぞ。
君は自分の生命をどう委ねるか、今日を思い出し、じっくり考え、心してかかってこい!

今夜寝る前に、両手首・両膝のサポーターとコルセットを揃え、バブのお風呂に入ってからシップを貼り、臨戦態勢を整えておこう。

明日は桜吹雪を見せてやる。

こんな意気込みを持つべきは本来飼い主であるはずなのだが…
 

無事終了 2007年05月11日(金)

  今日は17時前にお客さんがひけ、早々の店じまいとなった。
外は真昼のような明るさが残っているのに、アモとの散歩はできない。
アモもそれは分かっているらしく「ひょっとしたら」という期待を寄せた思いで私の動きを追っているが、その眼差しには「やっぱダメなんだろうな」という憂いが溢れていた。

昨日の退院時「骨の痛みはあるのでしょうか?それとも傷の痛みのほうがひどいのですか?」との私の問いに
「傷の痛みでしょう」と先生は答えた。
それを聞いて「なら大丈夫だ。」と私は安堵した。
それぞれ10数ミリ、4ヶ所切開してもアモクラスの犬なら痛みにめげることはないのは経験済みだし、機能的に歩けない理由はなかった。
予想したとおりアモの手術痕は仰々しく、予想以上に元気に歩くことができている。

帰宅した頃はまだ麻酔が抜けきれていなかったので、夜まで一階のカフェで添い寝をして慰め、完全に覚めた頃Kとふたりでアモを抱きかかえて2階に上がった。
アモも去年の手術で歩けなかった時期のことを思い出したのか、すっかり身体を私たちに委ねていた。

それから3時間程して「アモ、シッコいくよ」と声をかけると、なんとアモはいつもと変わらぬ足取りで階段を丁寧に下りてガーデンで用を足し、再び軽やかに二階に上がってKのベッドで寝たので、私たちは「なんだこれ?歩けるじゃん」と一気に緊張が解けた。
普段ならベッドの足元でKの邪魔にならないよう寝るのに、夕べはKと枕を並べて寝たらしい。

というわけで、「一ヶ月は日に5分ほど、トイレに出す程度しか歩いてはいけません」という先生の忠告を今日だけは守り、真昼のような夕方から私は焼酎を存分にあおってさっさと酔い潰れ、目が覚めてもまだ10時という喜びを感じることができた。

「アモ、シッコいくよ」
星空の下で用を足したアモは、「これからでも散歩行かない?」と目で私たちを誘っていた。
 

半日だけのペットロス 2007年05月09日(水)

  明日は今月に入って最初の定休日。
ゆっくりお花見にでも出かけたいところだが、実は我が家の愛犬アモの最終手術日になっている。

若い頃からの肥満と運動過多が原因で、我が家にやってきて間もない昨年の3月と7月に両後肢の靭帯を断裂し、TPLOという手術を受けて歩けるようになった。
その際、一旦切断した骨を固定するために埋め込まれたインプラントを取り外す手術である。

犬の場合、この金具を付けたままにすると骨肉種になる率が高いと言われ、気候の良いこの時期に手術することになった。
朝入院して夕方には引き取りになる予定だ。

最近の足の状態はアモ自身快調と感じているらしく、昨日今日と出かけた平岡梅公園の散歩でものびのびと駆け転げまわっていた。
またしばらくは無理のできない日々が続くけれど、来月には洞爺湖で初泳ぎができると楽しみにしている。

「アモが手術を受けている間どうする?」
「普段、犬がいるとできないことをしようか」
そんな会話をKと交わしたものの、『犬がいるからできないこと』を見つけ出すことができないでいる。

厚田村にある戸田記念墓苑の見事な桜を見に行こうかとも思ったが、アモがいないとつまらない。
私たちが好きな自然散策や公園巡りもアモがいるから喜びが倍加するのだ。
食べ歩きもいつでもできることだし、温泉もしかり。
強いて言えば『朝から晩まで里塚温泉』という手もあるが、15時過ぎには退院になるのでとても中途半端である。

結局何も決まらないまま明日を迎えそうだ。
とにかく、アモは頑張り私たちは楽しむのみ。
 

ポストゴールデンウィーク 2007年05月07日(月)

  あー終わった終わったGW。
今日のカフェのなんと静寂なことか。
経営度外視で心安らぎ、駐車場の山桜が満開を迎えたことに心踊って北海道の遅い春をKと楽しむことができた。

レッスンを行った秋田犬の大ちゃんはもうOK。
2頭目の初回レッスンのラブラドールはしばらくかかりそうだが、根深い問題はない模様。
いつものカフェに戻った喜びで私の心はリラックスしている。

閉店一時間前に我が家の愛犬アモと初めてのコースを散歩できるゆとりも生まれ、とんでもないほど長く歩いてきた。

猟師でもあるクロ坊の爺さんが射止めた鹿肉を大量に頂いたので、アモの食事は鹿肉の鉄板焼きがメインとなり、満足したアモには「さとづか温泉」と告げて私たちは久しぶりの温泉を満喫してきた。

やいや、食った飲んだ。
いいお湯だった。
ヨガも丹念に行って、周りからはいつもながらチラっという視線を感じていたが、「なあに、構うことはない」と思いっきり温泉ヨガしてきた。

思えば今回のGWはたくさんのいい子達に恵まれ、疲れたのは単純に気疲れのようで具体的な問題があったわけではなかった。
私たちはただ、休みがなかったことに疲れているのである。

今日は最高にくつろげたけれど、完全に心身を癒すにはもう少し身勝手な時間が必要に思う。
明日からも、ゆとりの為に頑張るぞ!
おー!
 


- Web Diary ver 1.26 -