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今年に入ってカフェや2階の自宅を徘徊するワラジムシが増えた。 築4年。カフェに隣接する家は無く、道路以外の三方は一部を除いてすべて草むらならそんなものなのだろうか?
そして、夏の頃より今の彼らの方が明らかに肉付きが良いのに動きが鈍く生命力が落ちているように感じる。 さらに言うなら、しばらく室内では姿を消していた彼らが昨日今日突然再び姿を現し始めた。
このところの気候は数日雨が続き気温は例年より高いがそれでもかなり涼しくなった。 そして今日は快適な秋晴れという状況である。
研究者ならとことん研究しやすい素材だから既に彼らの生態を解明しているのだろうが、素人の私には新鮮な疑問があったものの、事務的にティッシュペーパーて摘んではゴミ箱へ捨て、トイレで発見したワラジムシは水洗で流した。
はて?ゴミ箱に捨てられた彼らは夜のうちにティッシュから抜け出すのか、それまでの段階で死んでいるのか、それともそのまま焼却場へ行って焼かれるのか私は知らない。 水洗で流されたワラジムシの先にはどんな環境が待ち受け、それは絶対的な死なのかそれとも生きるチャンスを得たのかも私は知らない。
それを知っている専門家から見れば私は無知で愚か者なのだろうか? 私はそうは思わない。 何故なら私はワラジムシ飼育の愛好家や研究者ではなく、虫にも興味のない単なる生活者であり、犬についてだけ知識と見識を持っていると思い込んで生きている人間で、たまたま生活上にワラジムシと出会って疑問を抱いただけなのだから。
さて、そんな私がワラジムシの愛好家のように犬と暮らしているように思えた飼い主がカフェにやってきたことに不快感を抱いたのは誤りだろうか?
否、違う。 何故なら彼らは、私とワラジムシのように敵対的に共生せざるを得なかったのではなく、意図的に犬を選んだにも関わらず、犬をワラジムシのような生き物として待遇していたからだ。
カフェに来て2時間ほど、彼らは最初から最後まで犬たちをガーデンに連れ出して排泄させること無く、犬を乳母車に収容して話に夢中になっていた。 そして犬たちは乳母車の中で人に迷惑をかけることなく静かにし、当たり前のようにシッコもウンチも垂れ流していたのだ。
ドッグカフェを利用する人々の中にはこんな連中もいることを伝えておかねばならいと思った。
何故注意しなかったか? 理由は犬は育て方次第で犬になり、育て方次第でイヌとなるからだ。 彼らの愛犬は脳が解発されていないイヌの状態だったから、虫けら扱いされても苦痛に感じておらず、状況を受け入れるだけの生き物のように感じられた。
空しく悲しい思いだけが過ぎた時間だった。 人が意識し変わらなければどんなお手伝いも私にはできない。 イヌがイヌとして扱われているなら私は苦しまない。 犬がイヌとされた時が苦しくてたまらないのだ。 そんな危うい状況が普通に存在している。
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