From the North Country

ドッグラン考 2007年05月14日(月)

  ある方からメールを頂いて『ドッグラン』についてのことを改めて書いてみようと思った。
恐らくこれまでに書いてきた事柄に新たに書き足すことはないはずだが、整理するには相応しいと思ったからだ。
前提となるのは、特別な使役犬でもなく、繁殖犬・ショードッグでもなく、競技犬でもない、ただの『暮らしやすい家庭犬』というのをお忘れなく。

1.生後1歳半までの犬にドッグランは不要

仔犬から成犬になるまでの一年数ヶ月は特別な時期であり、成犬になってからでは“やり直しの利かない”重要な意義を持つ。
この時期に必要なことは、人間社会・環境をつぶさに観察させ、『おや、何だ?』という仔犬の不安を、愛と場数を持って解放し『ああ、あれか』という状態にまで高めることである。

他犬と触れ合うのはその一環であり、日常出会う犬たちで充分なのだ。
何が起こるかわからないような適切な管理者のいないドッグランに連れて行くことは、わが子を無法地帯に放り出し、恐怖体験を課すようなものである。

2.犬社会での社会化のためと考えるようなドッグランは不要

ワンワン王国で暮らしたりイヌの生態を知りたいのならともかく、『暮らしやすい家庭犬』というスタンスで愛犬を育てたいなら『犬社会での社会化』は徹底的に警戒し排除すべきである。(ちょっと言い過ぎ)

例えばドッグランにおいて先住犬たちが均衡を保って遊んでいたとしよう。
新入りの犬は彼らに囲まれ様々なチェックを受け、それに耐えなければ争いが勃発することがある。
時間が経てば再び均衡が保たれるのであるが、よく見ると傷ついた愛犬がうなだれているかもしれない。

(余談)
ドッグランでは、オンリードだとかえって危険だから犬をノーリードにすることを指示される場合がある。
その理由をご存知だろうか?
見知らぬ犬に取り囲まれ不安を感じた犬は、とにかくその場から逃げたいと思うのにリードで繋がれているから恐怖は頂点に達しもがきだす。
すると、『窮鼠猫を咬む』という防御的攻撃性という生物的本能が表れ、結果的に他犬を興奮させ食い殺されてしまう危険性が高まるのだ。
ノーリードだと、殺されずに恐怖体験だけで済むことができ、うまくいけば殺す側に回ることができるという恐ろしい発想が根底にあるのだ。

今一度確認するが、我々は野生の王国を旅行しているのではなく、ひとつの愛犬と暮らしているのだ。
どんなに弱く世間知らずなお人好しにも、その子を愛する飼い主がいるのである。
『犬社会などクソ喰らえ』のわが子を育てているのである。

3.人間社会での社会化こそが重要でそれを達成したペアにドッグランは不要

私のカフェには、犬社会ではなく私が作ったペット社会のルールがある。
新人犬が現れた場合、私のルールを理解し精神的に安定した先住犬の方が拘束され、不安げな新人がフリーになって存分に先住犬を観察できる決まりである。
だがもし、新人犬が攻撃的・排他的・ノー天気な遊ぼう突撃など無礼な振る舞いをするなら、即座に拘束・制御され他犬からの臭い取りにじっと耐えなければならない課題が課せられ、その後もしばらくは自らの無礼を考える時間が与えられる。

実はそのようにして育った犬たちは、無法地帯のドッグランを好まなくなるのだ。
「なんですか?この子達は!」というように。

因みに我が家の愛犬アモとドッグランに出かけた経験はない。
必要性を感じないし、フリーにできる状況はいつでもOKの北海道の自然環境があるからだ。

ドッグランの価値を感じることができるとすれば『貸切」だろうか。
今夜は多くの敵を作ってしまったようでチト心苦しい。
 

スタートライン 2007年05月13日(日)

  いつ雨が降り出すか分からないどんよりした一日が始まった。
開店早々二台の車が到着し、それを見た私は両手首両膝にサポーターを穿き、腰にコルセットを装着してからガーデンに出た。
そこには昨日のチョコラブと、何日か前にレッスンしたイエローラブの二家族がおられた。

「あれ?この子もレッスンでしたっけ?」
「ハイ!バニラです」
やばい!ダブルブッキング!

もともとスケジュールが重なるほど忙しい生活なんてしてないものだから、適当にレッスンを引き受けたら偶然重なってしまったようだ。
慌てて事務所に戻って前回の訓練メモを読むと、『手強い。頑固身勝手。引き強い。次回13日。当面、犬だけ訓練』と書かれてあったので私は不安になった。
足腰の関節が痛み出しそうな天候に加え、2頭の手強いラブを無事訓練し終えることができるだろうか、と。

ところが驚くなかれ、先に歩いたバニラも後からのチョコラブも2回目のレッスンだというのに別犬のように歩き易くなっていた。

角に差し掛かる度、好き勝手な方へ行こうとしたり、それが叶わないとなると踏ん張って我を通そうとしていたバニラ。
舞い散る桜の花びらを見た次の瞬間、まるでワープする勢いで突進して、私の手首をぶちきりそうになったチョコラブ。
二人とも改心したかどうかはともかく、私が要求していたことは頭に残っていたようで驚いた。

そういえばこの欄でも書いた『動かないシュナウザー』が先日やってきて、2度目のレッスンを行ったら、軽やかな足取りで先導してくれた時も驚いたものだ。

飼い主の方もそうだろうが、みんな早々にスタートラインにつくことができて私も嬉しかった。

そう、スタートライン。
何を教えるかは個々の犬や家族によって違いがあるから別にして、何を教えるにしても冷静な状態を整えることがまずは前提となる。
そのために必要な制御は犬に対する場合さっさと片付けてしまうのが私の流儀なのだろうと思う。
人の子に対しては言葉という道具を使えるけれど、犬にそれを用いては、通じるようになった頃には別れが訪れてしまうからだ。(奥深い意味においては人の子も犬も変わらないのだが…)

結局のところ私の真意は、犬に対して言葉と感性それに社会規範を早くから伝え、家族として暮らせるようになりたいから、殆どの犬が身にまとっている“イヌ”の部分を剥ぎ取り(刺激的な表現でもあり強調的な意図で使用したが、不快に感じる方は『脱皮を手伝い』と読み替えていただきたい。)、そのスタートラインを作ろうとしているのだと思う。
で、その剥ぎ取り方が重要なはずで、うまくやれば『膝枕での耳かき』のような心地よさから、心閉ざすような拷問の危険まであるというのが世に氾濫する訓練方法として紹介され、多くの場合その方法にこだわり過ぎて初期の目的を忘れている滑稽さがある。

『長崎め、相当酔っておるな』
『お、お主、なかなか鋭いのぉ!』
無理して理解しなさんな。
血相変えて批判しなさんな。
たわ言じゃ、たわ言じゃ。
犬をイヌと思えばイヌになる。
まだまだ私も修行中。
ようやくスタートラインに立てたと思っている。
 

粉骨砕身 2007年05月12日(土)

  札幌近郊の桜の名所は今日明日が見どころとか。
近くの梅公園では白梅が5分咲きで紅梅は2分咲きと、桜の開花より遅いのが札幌の特徴といえる。

さて、今日のカフェは7分咲き程度の入りでのんびりしていた。
そんな中、午前中は「咬みますから、咬みますから」と用心深く抱っこされて入ってきたMダックス君が注目を集めた。
飼い主の若いお母さんは数ヵ月後に出産を控えているのだが、咬む愛犬に不安を感じ『万が一赤ちゃんにまで危害が及んでは』と心配されての来店だった。

最初の吠えを制御した途端に大人しくなったダックス君と歩いてみたが、なかなかのしっかり者でまるで一家の大黒柱を自負しているかのように堂々としていた。

しっかり者のダックス君と家族関係の構築に失敗しているのかもしれない。

午後からは体躯のしっかりしたチョコラブ君。
11ヶ月というのに、油断するとこちらの身体が持っていかれそうな、まるで大物を釣り上げた時のような迫力があった。
引っ張りが常習化しているので首の皮も肥厚し、私のショックすら最初は通用しなかった。

私がコントロールするとその衝撃が犬に及んでいる場面ばかりを皆さんは見ておられるが、反作用という意味において私の身体も相当に痛み、既にぼろぼろになっている箇所もあるのだ。
「何故、我が身を削ってよそ様の犬を制御するきっかけを作らなければならないのか」
夜になると手首や腕・肩・腰・膝そして心が痛み出す。

初対面であったがチョコラブ君だから寛大に私の制御に耐え、少しは学んでくれただろう。
君も辛かっただろうが、今夜の私はもっと辛い痛みに耐えている。
それ以上に毎日のように君に引きずり倒されているお母さんはどんな痛みを抱え、どんな気持ちでいるかに思いを馳せよ。
悠長な訓練をしていると、君は飼い主を骨折させるかもしれないし、そうなれば君のこれからの生活保障はどうなる?

明日もレッスンに来るということだが、私は自分の身体をしっかり守り、君の家族の為にも容赦はしないぞ。
君は自分の生命をどう委ねるか、今日を思い出し、じっくり考え、心してかかってこい!

今夜寝る前に、両手首・両膝のサポーターとコルセットを揃え、バブのお風呂に入ってからシップを貼り、臨戦態勢を整えておこう。

明日は桜吹雪を見せてやる。

こんな意気込みを持つべきは本来飼い主であるはずなのだが…
 

無事終了 2007年05月11日(金)

  今日は17時前にお客さんがひけ、早々の店じまいとなった。
外は真昼のような明るさが残っているのに、アモとの散歩はできない。
アモもそれは分かっているらしく「ひょっとしたら」という期待を寄せた思いで私の動きを追っているが、その眼差しには「やっぱダメなんだろうな」という憂いが溢れていた。

昨日の退院時「骨の痛みはあるのでしょうか?それとも傷の痛みのほうがひどいのですか?」との私の問いに
「傷の痛みでしょう」と先生は答えた。
それを聞いて「なら大丈夫だ。」と私は安堵した。
それぞれ10数ミリ、4ヶ所切開してもアモクラスの犬なら痛みにめげることはないのは経験済みだし、機能的に歩けない理由はなかった。
予想したとおりアモの手術痕は仰々しく、予想以上に元気に歩くことができている。

帰宅した頃はまだ麻酔が抜けきれていなかったので、夜まで一階のカフェで添い寝をして慰め、完全に覚めた頃Kとふたりでアモを抱きかかえて2階に上がった。
アモも去年の手術で歩けなかった時期のことを思い出したのか、すっかり身体を私たちに委ねていた。

それから3時間程して「アモ、シッコいくよ」と声をかけると、なんとアモはいつもと変わらぬ足取りで階段を丁寧に下りてガーデンで用を足し、再び軽やかに二階に上がってKのベッドで寝たので、私たちは「なんだこれ?歩けるじゃん」と一気に緊張が解けた。
普段ならベッドの足元でKの邪魔にならないよう寝るのに、夕べはKと枕を並べて寝たらしい。

というわけで、「一ヶ月は日に5分ほど、トイレに出す程度しか歩いてはいけません」という先生の忠告を今日だけは守り、真昼のような夕方から私は焼酎を存分にあおってさっさと酔い潰れ、目が覚めてもまだ10時という喜びを感じることができた。

「アモ、シッコいくよ」
星空の下で用を足したアモは、「これからでも散歩行かない?」と目で私たちを誘っていた。
 

半日だけのペットロス 2007年05月09日(水)

  明日は今月に入って最初の定休日。
ゆっくりお花見にでも出かけたいところだが、実は我が家の愛犬アモの最終手術日になっている。

若い頃からの肥満と運動過多が原因で、我が家にやってきて間もない昨年の3月と7月に両後肢の靭帯を断裂し、TPLOという手術を受けて歩けるようになった。
その際、一旦切断した骨を固定するために埋め込まれたインプラントを取り外す手術である。

犬の場合、この金具を付けたままにすると骨肉種になる率が高いと言われ、気候の良いこの時期に手術することになった。
朝入院して夕方には引き取りになる予定だ。

最近の足の状態はアモ自身快調と感じているらしく、昨日今日と出かけた平岡梅公園の散歩でものびのびと駆け転げまわっていた。
またしばらくは無理のできない日々が続くけれど、来月には洞爺湖で初泳ぎができると楽しみにしている。

「アモが手術を受けている間どうする?」
「普段、犬がいるとできないことをしようか」
そんな会話をKと交わしたものの、『犬がいるからできないこと』を見つけ出すことができないでいる。

厚田村にある戸田記念墓苑の見事な桜を見に行こうかとも思ったが、アモがいないとつまらない。
私たちが好きな自然散策や公園巡りもアモがいるから喜びが倍加するのだ。
食べ歩きもいつでもできることだし、温泉もしかり。
強いて言えば『朝から晩まで里塚温泉』という手もあるが、15時過ぎには退院になるのでとても中途半端である。

結局何も決まらないまま明日を迎えそうだ。
とにかく、アモは頑張り私たちは楽しむのみ。
 

ポストゴールデンウィーク 2007年05月07日(月)

  あー終わった終わったGW。
今日のカフェのなんと静寂なことか。
経営度外視で心安らぎ、駐車場の山桜が満開を迎えたことに心踊って北海道の遅い春をKと楽しむことができた。

レッスンを行った秋田犬の大ちゃんはもうOK。
2頭目の初回レッスンのラブラドールはしばらくかかりそうだが、根深い問題はない模様。
いつものカフェに戻った喜びで私の心はリラックスしている。

閉店一時間前に我が家の愛犬アモと初めてのコースを散歩できるゆとりも生まれ、とんでもないほど長く歩いてきた。

猟師でもあるクロ坊の爺さんが射止めた鹿肉を大量に頂いたので、アモの食事は鹿肉の鉄板焼きがメインとなり、満足したアモには「さとづか温泉」と告げて私たちは久しぶりの温泉を満喫してきた。

やいや、食った飲んだ。
いいお湯だった。
ヨガも丹念に行って、周りからはいつもながらチラっという視線を感じていたが、「なあに、構うことはない」と思いっきり温泉ヨガしてきた。

思えば今回のGWはたくさんのいい子達に恵まれ、疲れたのは単純に気疲れのようで具体的な問題があったわけではなかった。
私たちはただ、休みがなかったことに疲れているのである。

今日は最高にくつろげたけれど、完全に心身を癒すにはもう少し身勝手な時間が必要に思う。
明日からも、ゆとりの為に頑張るぞ!
おー!
 

褒めて育てることの本質 2007年05月04日(金)

  風呂上りのビール代わりに冷たいお茶をゴクゴク飲んでしまったものだから、夜中の12時を過ぎても眠れないでいる。
追加の焼酎が回り始めるまで、『愛犬を褒めて育てる』という概念について説明しよう。

盲導犬など訓練者と使用者が異なる使役犬の場合、厳しく律せられ訓練された犬は、時に接し方が甘くなる使用者の下で次第に羽目を外すようになることがある。
そのため訓練士による最終評価では上位のランク付けをされて卒業した犬が、数年後には問題犬となることもあり得る。

実際はちょっと違うが、例えば一般の愛犬を訓練所で訓練して貰っても、自宅に帰ってから数週間で元のダメ犬に戻るというパターンをイメージすれば分かり易いだろう。

盲導犬事業の場合、これらの欠陥を補うため、否、根本的に人と犬の関係を見据えた結果、“盲導犬になるために生まれてきたような犬たち”を繁殖することに現在では成功している。

つまり、一昔前の訓練士が『どんな犬でも盲導犬に訓練してみせる。それができないのは己の技術の未熟さである』と、日々努力を重ねた末に輩出していった盲導犬ではあるが、不幸なことにその一部に『あなたの犬は使えない』と使用者から否定された自分と犬が存在していたのに対し、現在の訓練士は“適性に恵まれた犬たち”を訓練する割合が向上し、訓練という観念が変化しているといえる。

すなわち現在の訓練士は冒頭にある『褒めて育てる』に近い訓練が可能となっており、そのようにして訓練された盲導犬は使用者の下でも「グッドグッド」で活躍できる割合が格段に向上しているのである。

嫌味に聞こえたらそれは本意ではないが、全国の盲導犬訓練士諸君。
そんな今こそ『どんな犬でも盲導犬に訓練してみせる。それができないのは己の技術の未熟さである』という先人の足跡を肝に銘じ、自らの技術の研鑽に励んで欲しい。

さて、皆さんの家庭犬に目を向けてみよう。
「あなたの愛犬は優れた繁殖によって選ばれた犬ですか?」
もしそうなら、あなたの愛犬は褒めるだけで育てることができるでしょう。
「血統証がある?」
それが何を意味していますか?

使役犬ではなく家庭犬であるから“暮らし易さ”だけの評価が高い犬はたくさんいるだろう。
同時に“ペットショップで買っただけの素性の知れないわんこ”が殆どでもあろう。

何を言いたいかといえば、褒めて育てるという発想だけで世の中の家庭犬と飼い主がうまくやっていける保障はないのだということである。
それを正当に主張できるだけの適正な家庭犬の繁殖は成されておらず、個々の犬たちを評価したうえで、褒めるだけではなく適切な制御や叱りが必要な犬と飼い主がいることを知らねばならないのである。

愛することで不可能を可能に育てることができ、愛を剥奪することで可能を悪に転化することもあるだろう。
同時に、愛することが正当を維持し、褒めることがその方法のように思えるのだろうが、それは一概に正解とは言えないということである。

ほどよく焼酎が回ってきた。
個々の犬をうまく育てれば結果オーライ。
懸念するのは『次の犬に生かせるか』との真髄である。

褒めて育て、それに応えてくれる愛犬といつまでも暮らしていたいけれど、その道筋は遠く、飼い主の知性が今後も問われる時代が家庭犬には今なお続く。
 

豊かに老いる 2007年05月02日(水)

  11歳のラブラドールももちゃんが先日来お泊りしている。
9歳になった頃に「ずいぶん元気なワンちゃんですね。何ヶ月ですか?」とカフェのお客さんに言われたことが今でも語り草になっている。

毛艶や食欲それに気持ちは今なお若々しいが、相応に年を重ねたと感じられることも多々ある。

ひとつは視力であり、薄暗い階段ではこれまでの経験で昇降しているから時に踏み外しそうになる。
高齢者が手摺を使わずに昇り降りしているようなものだ。

脳の変化も見落とせない。
カフェにワンちゃんがやってくると、普通、犬であれば相手がどんな性格のわんこであるかに幾分の注意を払いながら接近したりするものであるが、全くのノー天気で自分がしたいようにボーっとしながら振る舞い、相手の反応などお構いなしである。
ただ老犬の域に入っているので、相手に恐怖を抱かせるような動きではなく、まるで徘徊しているように見えて微笑ましい。

それでもたまに相手の犬が吠えると、一気に現実の世界に戻って急に若返るのが面白い。

呼びかけても反応しないことがあるので、聴覚に衰えがあるのかと思いきや、自分の都合のよい言葉や音には鋭敏に反応する。

年をとると、同時にいくつかのことに集中することができなくなるものだ。
車の運転で言えば、信号や通行人・対向車など前方の情報を収集しつつ、アクセルとクラッチの操作をうまく行い、タバコに火をつけながら助手席の人と会話をすることができなくなってしまうのと同じである。

ももちゃんと暮らしていると、昔、職場にいた高齢の事務局長と役員の実力者を思い出した。
話している内容がかみ合わない事務局長と、人の話を聞いてるようで理解してない役員さんで、当時は高齢ゆえであろうと意識しつつも人格を疑ってしまったものだ。
あの時もっと素直に『高齢者というものは』と言ってもらえればお互い理解しあえたであろうに…

それにしてもももちゃんのように可愛い高齢者と『クソ爺!』と思わせる高齢者の違いはどこから生じてくるのだろう?

共有する時間の長さ?
利害や職業意識?
元来の性格?

私のように我が強い人間が加齢と共に頑固になったら手のつけようがないほど嫌われるに決まっている。

階段では危なげに降りるももの身体を支え、Kとふたりで抱きかかえて昇っている。
朝起きたら喜びのあまり、足元の水の入った食器をぶちまけて怒られてしまう。
それでも、ももちゃんの疑いを知らない眼や仏のような寛大さ見るにつけ心豊かになるのはどういうわけだろうか?
犬だから?
ももだから?
それとも…
 

動かないMシュナウザー 2007年05月01日(火)

  月が変わってストーブが必要になるとは…
風が強く寒い一日だった。
そんな天候だしGWの中休みとあってカフェはいつもののんびりムード。

今日は2度目の来店で急遽レッスン依頼のあったMシュナウザーの空ちゃんと歩いてみた。
動かない。
飼い主の方に歩いてもらった。
動かない。
私がリードを持ち、飼い主の方に前方を歩いてもらった。
やはり動かない。

普段の様子と健康状態を尋ねると、自宅周辺では自分の好きな方向へ勝手なことをしながら元気に歩くが、その他の場所ではこの調子なのだとか。

・7月で3歳になる去勢されたオス
・最初の1年は全く外出しなかった
・現在でもこの調子だから外出は週1程度
・レッスン依頼の目的は吠えるのと咬むことを治したい

飼い主の気持ちは分かるが、吠える咬むを治す前にまず歩くようにしないと問題の解決には進めない。

そこで飼い主にはカフェに戻っていただき、私と空で歩くことにして、何故歩こうとしないのかを観察することにした。

事前に頭に描いたことと実際の空の行動は
1.心身の異常
飼い主の話から、自宅周辺は元気に歩き回るし健康状態は良いとのこと。実際「いやだ、動かない!」と踏ん張る力はしっかりしている。
10数分後、ようやく歩き始めた後にいくつかの言葉で歩きを維持するようにすると、言葉を理解しており異常行動もない。

2.極度の不安
生育歴から見てこの問題が筆頭原因かと思っていたが、リードコントロールで無理やり歩行を促してもパニックにならず、人や車あるいは他犬が吠えていても取り乱すことがなかった。
それどころか公園では臭いを嗅ぎ、良好便をした。

3.我の強さ
「動かない!」と踏ん張るので、足裏のパッドを傷つけないようリード刺激を上向きにしながら10数分移動を繰り返した。
根負けしたかのように突然歩き出し、また踏ん張るの繰り返しを続けた後、普通に歩く時間ができた段階で今日のレッスン終了。

配慮したにも拘らず、パッドには擦り傷による軽い出血がみられた。

「次回も最初は踏ん張り歩かないでしょう。でもその時間は徐々に短くなると思います。吠えと咬みの相談ですが、此処から始めないと問題解決には繋がらないのです」と私は話し、「また来ます。よろしくお願いします」と帰られた。

長い時間をかけ、楽しくもう一度育てなおすという方法もある。
たぶんそれでも歩けるようになるだろう。
が、私にはそんな悠長に付き合う時間もないし、飼い主に対して「ま、いずれそのうち、おいおいと」など思わせぶりな態度で時間と経費を浪費させたくはない。
なにより、この歩行問題が解決する頃には『吠え咬み』が制御されるようになって、空には新たな楽しみが増えるはずだ。
個々の資質によって限界があるし、まだ知り合ってもいないのに刺激的なスタートをきったのは空の性格にしっかりした我を感じたことと、カフェののんびりムードのせいかもしれない。
 

あぁ、連休… 2007年04月30日(月)

  ゴールデンウィークに入り、初めてご来店のワンちゃんが急増している。

「ありがたいことだと感謝しなさい!」
人見知りをする私の性格を見透かしたかのように、このところKや常連の方々から叱咤激励が飛んでくる。

勿論ありがたいと心から感謝している。
もし私の顔が曇っているとしたらそれは人見知りもあるのだろうけど、GWに入りカフェの雰囲気がペットのイベント会場や都会のチェーンカフェのように無機質のように感じられているからじゃないだろうか。

連休を利用してふらっと訪ねて下さる方や、お友達と愛犬同伴で会話を楽しまれる方、いろんなカフェめぐりを趣味にされている方もおられるから、こちらから声をかけることも少ないし、ワンちゃんたちが吠えていても『一過性の状況だろうから』と余程でないとアドバイスをすることもない。

それはそれで割り切り、ミニコミ誌で紹介していただいた後に連休が続いたわけであるから、祭りの屋台のように少しでも多くの方に利用してもらえれば大成功のはずだ。
そして気に入っていただいた方が以後も訪ねてくだされば文句のつけようがないのだけれど…

『わかっちゃいるけどやめられない』

イラクの自爆テロのように、いつ何があるか分からないような緊張感から解放されたい。
早く連休が終わっていつもののんびりしたカフェに戻りたい。
そして再度訪ねてくださる方がいれば、時間をかけてワンちゃんを通じた交流ができればいいなと思う経営者失格人間である。

ただ、今日の私の顔が曇っていたとしたらそれはもうひとつの理由がある。
Kの起床につられて慌てて起きた私は、お泊り犬の排泄を済ませ新聞を読みながらふと時計を見た。
「1時間早いじゃん!」
夕べは1時過ぎに寝たのに、あまりの天気の良さにKが勘違いし早起きをさせられてしまったのだ。
私の顔以上に今日は我が家の愛犬アモが曇っていた。
 


- Web Diary ver 1.26 -