From the North Country

夢中になる 2007年10月27日(土)

  先ずは北海道日本ハムファイターズが一勝した。
セリーグの中では群を抜いて強かった中日から勝利を挙げたことが素晴らしい!

選手たちは『思いっきりやってやろうじゃないか!」という強い気持ちで闘っていたはずだが、親心からすると『本当にうちの子は大丈夫だろうか…ボコボコにされてしまうんじゃないだろうか』という心配がどうしても頭に残るものだ。
そんな不安を初回から闘志溢れる投球をしたダルビッシュが拭い、3ランを放ったセギノールが吹き飛ばしてくれた。

1点は失ったものの稀哲(ヒチョリ)の好捕こそファイターズらしさであり、あの余裕ある動きで今日の試合は決まった。
ただウッズへの直球勝負は今後の展開に何がしかの予感を与えたように思え、見所の多い日本シリーズとなりそうだ。

今日の試合がナイトゲームだったのはカフェにとって有難かった。
というのも大事な試合が札幌ドームでのデーゲームだと土日のカフェはたいそう暇な状態が続いていたからだ。
2年前なら皆さんカフェに集まって、テレビ中継を見ながら大騒ぎし
「ほら、あんたの犬ガーデンでウンチしてるよ」
「あ、悪い、取っといて!今、大事なところ」
なんて会話がフツウにあったのだけど、
『どうやらファイターズは本当に強いようだ』とみんなが感じ始めると、ドームへドームへと足が向くようになったのだ。

その中の一人にスタッフMがいる。
彼女は大事な試合があると平気でカフェを休むようになったし、仕事中だろうが携帯を駆使してチケット確保に余念はなく、ついにはドーム前に無料駐車場までゲットしていた。
「私、カフェのお客様大好き!繋がればすっごい人脈が出来上がるね」
自らの努力であるとか人徳と言わないのが偉い。

ともあれ今日のカフェは賑わい、スタッフMは今月のパスタである“北海道日本ハムファイターズ応援パスタ”を一生懸命作っていた。
そして夕方には旦那が迎えに来て彼女は早退し、ドームへと向かった。

テレビ観戦をしていて彼女の姿が映らないのが不思議で仕方がない。
カフェではどんなに声を抑えても響き渡る透き通った(甲高くうるさい)声だから、熱狂したときには『バフ〜〜ン』と山をも破壊する威力があって注目されるはずなのに…

コンサドーレがJ1に昇格し優勝争いに加わるようにでもなったら北海道は凄いことになるぞ。
なにしろ『ホッカイドウノ ミナサンハ 世界でイチバンデス!』から。
 

急がば回れ 2007年10月24日(水)

  近所に住んでいるボーダーコリーのさくらは今日で4回目のレッスン。
他犬に対して牙を剥くことがあるというので慎重に訓練を進めている。
感情表現が少なく何を考えているのか分からない。
気に食わないと人も咬むのか、それとも単なるパフォーマンスか?

これまで3回のレッスンでは、私の設定した訓練コースは近所に住むさくらにとって既知の生活コースであるからまるでスキを見せず大人の対応を見せていた。
周囲の状況に戸惑うこともないし、私の横をとにかく淡々と歩く。
だが、オスワリなどの命令を与えても決して従うことはなく、強めに接するとジロリと私を睨むことがあった。

強引な手法を用いて関係をこじらせると回復に長い時間がかかりそうな性格のように思えるし、かといっていつまでもさくらの生活コースで訓練していても埒が明かないと思えた。

「車には大人しく乗れるんですか?」と飼い主に尋ねてみた。
「無理だと思います。大騒ぎになりますから…」と飼い主。
私はKのマーチを借りて、車庫で乗せてみた。
少々手こずったがなんとか乗せることができたので、リードをヘッドレストに結わいつけ別の訓練コースまでドライブした。

車内ではさくらが興奮して騒ぎ始めたが、私もさくらの度肝を抜かせるような声を張り上げて応戦し、片手でボディーブローを数発ぶちかまして我に返そうとした。
さくらからの反撃はなかった。

新しいコースでもさくらは戸惑うことなく歩いたが、相変わらずオスワリの命令に従うことはなかった。
マテの命令を交差点ごとで行ったが、どうやらマテはこれまで全く教えられていない項目のようで、初めて「何それ?」という顔をしていた。

僅か30分のショートレッスンだから今日はこれでおしまいにした。
が、明らかに主導権は私が握り、さくらは取り乱すことなく新たな状況に感情を表し始めた。
今後の見通しはまだ立たないが、感情表現があったことで次へのステップが見え始めたのは大きな収穫であり、徐々にさくらの心を開き、教えたいことを素直に受け止められる犬に変化させてあげたいと思っている。

当面のバロメーターが“車内での振舞い”という目に見える設定が得られたのも収穫だった。
あと数回のレッスンでさらなる方向性が見えてくるだろう。

最初から訓練に入れる犬もいれば、導入段階を慎重に行わなければならない犬もいることを今夜は知って欲しかった。
 

美しき十三夜 2007年10月23日(火)

  どこを見ても鉛色の雲ばかりで青空が遠い最近の札幌だ。
たまに雲の隙間からお日様が現れても、既に陽は傾いていたりでありがたみが少ない。
こうして短い秋は過ぎ、気がついたときには突然冬がやって来てるんだろうな。

今夜はカフェスタッフの懇親会。
KとスタッフMそれにトリマーのasamiちゃんの三人で何処かへ出かけてしまった。
イタリアンを食べ映画を見てその後またどっかでくっちゃべっているのだろう。
残された私とアモそれにレオンベルガーのジェニー・チワワのチビ・Mダックスのロンとジュリアは秋の夜長をただうとうとしながらKの帰りを待ち続けるだけだった。

Kは私の為にビーフシチューを仕込んでくれていたが、その味は先日美瑛で食べた千代田ファームの味以上であり、毎年クリスマスにカフェで提供するシチューの味だった。
フランスパンとワインも完璧だった。

ハックショーン!
私がくしゃみをすればジェニーは必ずどこにいても駆けつけて「大丈夫ですか?」と鼻で突っついてくる。
私が居眠りを始めるとチビが活動を始めて台所の床を嗅ぎまわる。
ロンとジュリアはひたすら眠り、アモは階下でKを待ち続ける。
そんな構図がはっきりしているから私は私で安心してうたた寝できたのだ。

夜も更けた頃、突然犬たちの視線が階下に向けられそわそわすると、それはKの帰宅を知らせる合図だ。
私には何も聞こえないが、間違いないことでありドアを開けると犬たちは一斉に階段を駆け下りていく。
階段昇降ができないロンを抱っこしてカフェに降りると、先に降りた犬たちとKはガーデンで手短かで濃厚な挨拶を済ませて夜の排泄を始めていた。

遅れてガーデンに出たロンはKに飛びついて喜びを示し、Kは「楽しかった」ことを話してくれた。
夜空には満天の星が輝いて、明日こそ秋晴れの一日であることを約束してくれているようだった。

なんでもないそんな普通の生活に埋没できる今が幸せなのだと感じた。
 

日本の農業を守って欲しい 2007年10月21日(日)

  今夜はこの欄に相応しくないことだが思い余って書こうと思う。

普通なら行楽の秋なんだろうけど、札幌では冬の試運転みたいな気候が続いている。
寒い日とそうでもない日、普通の雨の日と雪になってもおかしくない日。
結局、札幌の秋は私たちが美瑛にキャンプに出かけた頃に終わりを告げていたのかもしれない。
『短く一気に駆け抜けた今年の秋だった』と報告するのが寂しい。

でもまあ、雨に打たれる紅葉した草木の美しさも人それぞれに格別なものがあるのだろう。

ただ残念ながら今日の私には、それはまるで衰退させられていく日本の農業を反映しているように感じられて切なかった。

森が豊かであってこそ海も豊かであるという島国日本を科学的に検証したはずなのに、農業があってこその日本文化つまりは食生活であり、故郷志向であり、行き着くところかつての首相が唱えていた“美しい国”の原点があると思っていたのに、その農業が完全に切り捨てられようとしていることに『放置できない』と私の本能が騒いでいる。

『昔、日本の百姓はこうやって米を作ってたんだよ』
十数年後、小学校の実験畑でそう生徒に話す時代が来る前に、この国は今以上にどこかの国の属国なってしまっていることだろう。

『何を前時代的なことを言ってるの。今やグローバル化なくして物事を考えてはいけません』
そんな声が次第に主流になってきた。

石炭にせよ石油にせよ原子力にせよ、もはやエネルギー資源はすべて依存となり、石炭はあっても採掘技術を知る者と熟練労働者がいなくなっている。
同様に米などの食料も海外依存となって、ガソリンなど燃料と同じように海外情勢で日常生活が左右させられてしまう時代が来るだろう。

『日本のこしひかり、アメリカのこしひかり、中国の普通の米です。どれが美味しいか区別できますか?』
テレビスタジオで試食した人々の判定は分かれてしまった。
だが問題はそんなことではないのだ。
日本で米作りの場や技術が失われてしまった後に海外から送り込まれる米の品質に文句など言えない時代が来てもおかしくないということだ。

温暖化による異常気象で作物が予想通りには育たない時代が来ている。
だからいつでも『お互い様』の支援体制や、輸入のシステムを整えておく必要性はあるだろう。
でももし、日本の耕作地が荒れ野となり後継者や技術者がいなくなれば、世界的に米需要が高まったときに、『日本人には古古米か豚に食わせるようなくず米でも送れ』という発想が生まれないわけがない。
それが“国益を守る”という言葉の意味の恐ろしさでもある。

食という最後の砦を放棄する学者や評論家それに政治家のスタンスは決まって『資本主義経済におけるグローバル化の必然性』であり、彼らの頭にはもはや経済発展と世界はひとつであるという崇高な原理主義しか存在していない。

農家の皆さんは万一に備え、伝来の農業を未来に伝えるノウハウを秘伝書に残しておいて欲しい。
どぶろくやワイン日本酒焼酎などいつでも密造できるよう語り継いでいただきたい。
そして私たち消費者にできることをもっと明確に示して欲しい。

都会では当たり前のように米や野菜がスーパーに並んでいる。
生産者が販売するお店に出かけてみよう。
日本の農家は本当に頑張っている。
ただ価格だけはどんなに頑張っても耕作面積という分母がある以上どうしても対抗できないのだ。
付加価値は対抗者があってこそ生まれるものだから、それがなくなった時、将来日本は市販されているドッグフードのように食品廃棄物処理国になるかもしれない。
 

風太の全快報告 2007年10月20日(土)

  「完全に消えました」

カフェに入るなりK夫妻は満面の笑みを浮かべてその一言を発せられた。
私は熱いものを感じながら心からの拍手をし、厨房から出てきたKとスタッフMそれにご来店中の方々からも拍手が起こった。

癌に侵され余命80日とまで告知された風太の鼻からがん細胞が消えたのだ。

くしゃみをしただけで白い雪の上に血が飛び散っていた冬。
あれからK夫妻と風太の闘病生活が始まったが、今日まで頑張ってこられた甲斐があって本当にうれしく思う。

万一のことを考えると涙が止まらなくなる奥さんなのに、さらに追い討ちをかけるように治療による後遺症で鼻筋周辺の毛が抜け落ちた風太の風貌を見て、散歩の途中で通行人に怖がられたり、他犬の飼い主から『変な病気でも移されたら大変』とばかりに敬遠される辛さも味わったという。
それでも犬仲間からの励ましは大きな支えになっていたことだろう。

治療の方法や経緯をここで伝えるつもりはない。
ただ、以前にこの欄で風太の病気のことを書いた時、ご心配頂いた方やアドバイスを頂いた方々へ報告したかっただけである。
今後K夫妻なりの“風太の闘病記”を話してくれる機会もあろうからそれはそれで楽しみにしている。

ところで、Kさん、これからどうします?
『いつ死んでも後悔しないように』と甘やかし、太めになってもご馳走を与え続けてきたツケがこれからやってきますぞ。

こんな野暮な話を書ける状況になったことを心から皆さんと喜びたい。
 

ゆかいな仲間たちへ 2007年10月17日(水)

  ムツゴロウ動物王国が東京から撤退し再び北海道へ戻ってくることになった。
個人的には嬉しいのだが石川さんの心中を察すれば複雑な思いもある。

ちょうど1年と2日前のこの欄には『帰っておいで』と書いたけれど、現場責任者の石川さんには“伝えたい王国の想い”や意地もあったろうし、何より現地で応援してくれた様々な方や動物たちの出会いが力になって奮闘していたのだと思う。

『石の上にも三年』
普通の人間ならあの時点で挫折したかもしれないのに、歯を食いしばってあれから1年を頑張り抜き、都合3年半に渡って“ゆかいな仲間たち”の底辺を広げたのだ。
北海道にいたならあんな多くの人や動物に感動を与えることなどできなかったはずだ。

だからひとまず作戦成功、第4段階終了なのだ。

第1段階とは:ムツさんが浜中町霧多布の剣暮帰島で暮らし始めたこと
第2段階とは:動物王国を開国し人材を育てたこと
第3段階とは:動物を通じて“迷える子羊(紛れ込んでくる放浪びと?)”に光明を与え、その延長として浜中や中標津に多くの子供たちが全国から集まったこと
第4段階とは:培った宝や王国の魂を、より多くの人々に伝え、身をもって体感してもらうために首都圏に出張したこと

さあ、これからの展開を私は楽しみにしている。
石川さんは北海道に戻ってリフレッシュとまるで一時充電のようなことを言っていたが、私には別の思いがある。

すなわち、王国の宝(ヒトを含めた動物たち)や王国の魂は輝きを放っている。
その宝や魂は原点である北海道にあってこそ一層の輝きを放つものだ。
東京でルーブル展が開かれた時、フランス人が言ったそうだ。
「モナリザに会いたければルーブルへ来い」と。

モナリザを知らない日本人は少ない、と同時にムツゴロウ動物王国を知らない日本人も少なくなった。
「その宝と魂を知りたければ北海道へ来い!」
いいでないか、それでいいでないか。

儲ける事はできないけれど借金だって北海道ならしれている。
充電ではなく思いっきりの魂を北海道からゆかいな仲間たちと一緒に放電しよう!
 

頼んだぞダルヴィッシュ! 2007年10月16日(火)

  22年前の今夜、私は有頂天になって阪神タイガースの21年ぶりの優勝を祝っていた。

今年のタイガースは残念な結果に終わってしまったが、12ゲーム差をひっくり返して終盤には一時首位に立ったのだから「よくやった!」と大いに賞賛したい。
結果的に3位だったタイガースが今年から採用されたクライマックスシリーズ(CS)で勝つことなどあり得なかった。
そんなことしたら巨人や中日に失礼なゲーム差が最終的についていたからだ。
この辺りに制度上の検討課題が残されているといえるだろう。

同じ今夜、我らが北海道日本ハムファイターズが、勝てばCS優勝の試合だったが結果はご存知のように敗れてしまった。
これまで4試合の経過を見れば全くの互角である。
いや、流れという面からみればクローザーのマイケルが打ち込まれ小林がきっちり抑えた分、ロッテに有利といえる。

ところがどっこい我らがファイターズにはホームゲームという最高のアドバンテージがあるし、『ヒルマン監督を日本一で送り出そう』とモチベーションも高いのだ!
何より“ここ一番”を勝ち抜いてきたからリーグ優勝を果たしたのである。

ロッテ選手諸君、ファンご一同。
リーグ優勝出来なかったのに、ここで勝っても負い目が残るだけですぞ!
2004年にファイターズもプレーオフに進出したけど、今年の阪神同様潔く負けたものだ。

いかんいかん、弱気や懐柔作戦は禁物。
ナイスゲームを期待しよう。

それにしても明後日18日の入場券はプラチナチケットになってしまった。
先週カフェで、「18日のチケット欲しいな」とジャックラッセル岳(ガク)のA夫妻が仰った。
柴犬宗一郎のTさんが「あ、それならありますよ。」と気前よく譲ってあげていた。

あの時頭の片隅によぎったことが現実になった。
プラチナチケットを私は持っていないが、道民の心はひとつ。
稲葉ジャンプでドームだけでなく札幌中が揺れますぞ!
日本シリーズで阪神との対戦がないわけだから、私は気兼ねなく飛び跳ねることが出来る。
お泊り犬たちよ、楽しみにしておれ!
人間のパワー(馬鹿さ加減?)を見せてやる!
 

吠えたい気持ち 2007年10月15日(月)

  今日はたまたま“愛犬の吠え”についての相談が2件あったのでそのことについて書こう。(以前にも何度か書いたけど)

1件目はカフェ常連のKさんで黒ラブのレオ君
・高速道路→吠えない
・一般道でもたもた走る→吠える
・料金所・コンビニ→吠えない
・ガソリンスタンド→吠える
・カフェなどの目的地→車が揺れるほど吠えるが下車後は一切吠えない
・車外に見かけた他犬→吠える

2件目は高校時代の吹奏楽の仲間だった八重子からのメール相談で柴犬コロちゃん
・日中は庭で放し飼い→人や他犬に愛想がよく吠えない
・夕方の散歩後室内→家族が帰宅の都度吠える
・家族の足音・チャイム・電話→吠える
・同居の猫→吠えない

さあ皆さんはどうお考えだろうか?

お二人に共通していたキーワードがある。
「どうして吠えるんでしょう?」という質問だ。

今夜はふたつの答えを用意してみた。

1.『何故吠えるかを考える派』と
2.『犬は吠えるもので、その先に行き着いた派』である。

前者への答え
もともと神経質に吠える性質の犬ではなさそうなので
・車内あるいは室内という環境で家族(群れ)の安全を守る本能から、例えば“セコム機能”とか“緊急地震警報”などの警戒・危機管理機能が働いている。
・吠えることで主人が反応してくれる。
・本能に従って吠えるうち、自己主張がどこまで許されるかのチャレンジを始めている。

などとなり、その結果導き出される答えは
・外が見えないように目張りしましょう
・声や音が聞こえないような場所に寝床を移動しましょう
・呼び鈴や電話が鳴ったら、お座りなどのできる命令をしておやつをあげたり褒めたりして慣らしましょう
・吠えたら無視しましょう

などといった誤魔化しの対応になる。
何故誤魔化しか?
それは根本を解決しない対症療法であり、突出した問題行動をどう取り繕っても必ずそれ以外の問題を生じるからである。

そこで後者の答えが生まれる。
・犬とは吠える動物であり、それを受け入れなければ暮らせない性格の犬もいれば、止めさせることができる犬もいるし、その中間の犬もいる。
・病や怪我あるいは環境不全で吠えてるのでないのなら『何故吠えるか』を問うことは、愛犬家として興味そそられる楽しみではあるが、真剣に止めさせたいと願う飼い主にとって不都合な手心を生じさせてしまう。

詰まるところ、愛情を持って育てる過程において、ダメでもイケナイでもノーでも言葉は何でもいいが、『絶対ダメ・イケナイ・ノー』を教えておかなければならないということである。

愛情だけは満点でも育てる過程が不適切だったり、元来の犬の稟性が悪ければ彼らは逆切れしてあなたを咬むだろう。
愛情も育て方も適切だったり、良い稟性の犬であればひどく叱らなくても言い聞かせるだけで『分かりましたよ』と言ってくれるはずだ。

実際にはその中間の犬たちが最も多く、そんな犬たちをいい気にさせてつけあがらせるような接し方を選択している飼い主が日本人の標準的な飼い主であろうと感じている。

本当に困る問題だと感じたならば、自制せず咬まれる恐怖を払拭し、剥き出しの自分を表現してみてはいかがですか?
そしてもしできるなら理性ある人間として、これらを演技として迫真に演じ、咬まれない工夫をしていただきたい。

そんなことをした時、あなたの犬は噛みつきますか?
それとも『何もそこまで…』とお考えですか?
場合によっては私たちはそんなギリギリの状況を考えなければ、愛犬の命を維持できない危機感を根底に持っておくべきなのだと思う。

具体的な方法はどう転んでもお伝えできない。
確かに言えることは『あなたはどんな先生(ただの人ではなく先生)に注意された時むかつき、どんな先生(ただの人ではなく先生)の注意だったら受け入れたか』を思い出して欲しいということだ。
ここで言う先生とは教科を教えてくれた先生ではなく、人生を教えてくれた先生のことである。
 

驚きの再会 2007年10月14日(日)

  24年前、失明して間もないYさん(当時56歳)に盲導犬取得のための訓練を私は担当した。

「この歳になって目が見えなくなるなんて…」
誰しもがそうなったときに感じる以上に、何を話してもすぐに涙が溢れ出す感受性豊かな女性だったから、私は訓練の導入を慎重に行った。

“ハーネスワーク”といって、私が犬の代わりになり、その動きをハーネスという胴輪を伝って感じ取る練習をしていると
「ごめんなさいね、物覚えが悪くて…目さえ見えていればね…(と涙)…でも…頑張ります。」
そう言って前を向いて歩き始めるものの、自分の今の姿を想像してか、また涙を流す。
最初はそんな繰り返しだった。

当時の私も充分配慮はしていたつもりだったが、今この年齢になってみると、覚えることの大変さや膝の痛みなどYさんはよく頑張ったなぁと頭が下がる。
もっともっとゆっくり話し、少しずつの説明ができたかもしれなかった…
彼女の膝が痛くなる前に予めサポーターをしてあげればよかった…
そんな反省が頭をよぎる。

でも、訓練での緊張感と盲導犬リリーの優しさが徐々にYさんから失明の悲しみにふける時間を減らしていくのが感じられた。
すると今度は「気持ちいい!私、歩けてる!」とまた涙が止まらなくなる、そんな素敵な女性だった。

地元に帰ってからは、見えていた時代から頭に焼き付いている道路を自由に歩き始められた。
家事や料理は申し分ないし、もともと編み物の先生をされていたから見えなくなってもその技術は一流だった。
当時4歳だった私の長男にRのイニシャル付のセーターを編んでプレゼントしてくれたこともあった。

「ありがとうございました×∞。先生のおかげです×∞。」
こちらが恥ずかしくなるほどお礼を述べられ、いつも涙を流されていた。

彼女はその後K市で行動的・模範的・指導的な視覚障害者となり障害者団体や学校などで多くの社会啓発を続けておられた。

今日カフェの駐車場に見慣れない車が入ってきた。
犬がいないので注視していたら、そこから降りてきたのがなんとYさんだったのだ。

偶然、カフェからそう遠くない所に住んでいた娘さんが、偶然、カフェを紹介した切抜きを頼りに、母であるYさんにはギリギリまで内緒でここに連れて来られたというではないか!
驚いたのはYさん同様、私だった。

外に出迎えた途端、Yさんの目から涙が溢れてきた。
何にも変わっていない80歳のYさんだった。
耳が遠くなっていなかったら短い時間のうちにもっともっとたくさん聞きたいことや話したいことがあった。

現在では趣味の俳句で道内最優秀賞を獲得されたそうだ。

「あの頃のことを考えると…先生のおかげです」
涙ながらにそう話しておられたが、もちろん私のおかげなんかではない。
盲導犬事業というのがあり、たまたまその時代に私がいて、リリーという素晴らしい犬がいた、ということであり、この事業は現在も進行中であって新たな出会いが日々生まれているということである。

車の窓越しにYさんはいつまでも手を振ってくれていた。
私とKも見えなくなるまでそれに応えていた。
「いい仕事してたんだね」
Kの言葉に涙が出そうになった。
 

トム君の卒業式 2007年10月13日(土)

  日付が変わる前のガーデンの気温は3度。
紅葉より先に冬がやってきそうだ。

「メンバーカードの期限が今日までだけど…」
「更新します。ところで何回目の更新だっけ?」
Kさんとの今日の会話だった。

カフェメンバーになると6ヶ月間入店料が無料になり、飲食代やトリミングそれに買い物をされるとポイントが貯まって結果的に5%以上の割引が受けられるようになっている。

「もう7回目の更新だよ。」
「すっごい!」
「あれから3年半だね」

Kさんとのお付き合いはとても長いし、愛犬のゴールデン/トム君は今では土日の看板犬でもあり、何度か一緒に旅行に出かけたりもしている。

でも最初の出会いは「カフェに連れて来れないような犬なんです。他犬に激しく吠え立てるし喧嘩するかもしれません。何とかしてください!」というものだった。

レッスンでその問題は解決し、トム君は誰にでも好かれ撫ぜられるのが大好きな名物犬にもなっている。
が、Kさんにも私にもまだ一抹の懸念が残っていた。
『いつもどの犬に対しても本当に大丈夫か?』というのがそれであった。

私が懸念を抱いていた理由はただひとつ、現場を押さえて『トム、それだけは絶対ダメだ!』と、理由はどうあれ他犬に対する威嚇がダメなことを分からせる実地での検証場面がこれまでなかったことだった。

その場面が初対面から3年以上過ぎた今日、突然に起こった。
入店したばかりのラブラドールがトム君の前を通り過ぎる瞬間にトムは私の目の前で威嚇したのだ。

私はすぐにトムをねじ伏せ、厳しく殴りつけ叱った。
それはKさんとの信頼関係と共通理解が成立していたから行った所業だった。
トムの身体から力が抜けるのが感じられた。
『反抗しません。僕は絶対反抗しません』
トムはそう言っていたが、私の感性は違っていた。
『反抗しないのが偉いんじゃない!絶対に先制的な威嚇はするな!いいか、分かったか!それだけは絶対許さん!』

今夜、私の腫れ上がった右手には湿布薬が貼ってあるが、トムの訓練は完了し私の懸念はこれで払拭できた。
トムはもう私にとってそしてたぶん社会的に最大限に安心できる存在になったと思う。

批判があるのは知っているし、そのことをいつも考えているが、他犬や社会に迷惑をかけるかも知れない状況を悠長な言い訳で看過すると、時としてとんでもない結果になる現実を知っておかねばならない。
 


- Web Diary ver 1.26 -