From the North Country

チワワを抱いた鬼の訓練士 2007年08月05日(日)

  お泊りが大型犬ばかりになって部屋の空気が薄い。
部屋が暑い。狭い。
一方で、私やKが用事で動き回っても小型犬のように付きまとったり過敏に反応することもないしトイレの心配も要らず、目だけ動かしてのんびりしているから気分的には楽だ。
今夜の雰囲気には懐かしい感じが漂っている。

この4年間で私たちは小型犬に随分と慣れてきた。
1年目なんか
「似合わねぇ。鬼の盲導犬訓練士が膝にチワワなんか抱っこしてニコニコすんな!」
2年目は
「小型犬相手にオヤジが幼児言葉使うな。気持ち悪りぃ!」
過去の私を知っている人々からはあからさまな様々な罵倒と侮辱と冷ややかな視線を笑顔で浴びせられてきた。

3年目に入ると心でさげすむようになったのかそれとも諦めたのか、誰も口には出さなくなったが、私はそれを『似合い始めたと受け入れてくれたのかな?』と誤解することもあった。

4年目の現在は、周囲はどうあれ、すっかり開き直っているから大型犬小型犬何でもござれであり、誰がどう思おうが守備範囲が広がった自分を感じている。

そして今夜を迎えたわけだが、愛犬のお泊りを受け入れる気分を素直に表現すると
大型犬の時はユースホステルのペアレンツで、小型犬の時は青少年自然の村の引率教員といった感じだろうか。
たまに茶飲み友達を受け入れる感覚のこともあれば、老人保健施設の介護老人受け入れのようなこともある。

大小問わず凶悪犬の一時保護は、カフェを辞めた頃、誰にも迷惑がかからない状況でやってもいいかなとも思っているが、その頃まで神通力と運動神経があるのか私には分からない。

そろそろ我が国における盲導犬事業を開拓してきた人間たちの定年退職が始まる。
彼らが次にどう生きるのか心配でもあり興味深くもあるが、現状の盲導犬訓練士(技術者)の数を見渡せば、恐らく嘱託職員としてでも残ってもらい、訓練士養成に取り組むことになるのだろう。

もし彼らが小型犬を膝に乗せて幼児言葉を使い出したら精一杯冷やかして酒を酌み交わすことになるだろう。
 

テルちゃん 2007年08月03日(金)

  「うぅ、痛ててて」
朝9時からS治療院で毎度の荒療治を受けていた私は失神寸前だった。
その時、玄関の呼び鈴が鳴ってS氏の力が弱まったので私の今があるようなものだ。
奥さんが「どうぞぉ、入って」という声に続けて「珍しい人に会えるよ」と出迎えていた。

しばらくして奥さんに誘導されながら治療室に入ってきたのはなんとテルちゃんだった。
テルちゃんは私よりずっと?年上の女性で、盲導犬を通じて彼女の半生に私は関わっていた。

「あらぁ、しばらく。長崎だよ」
治療台にうつぶせになったまま私が声をかけるや、驚いたテルちゃんは「先生!」と一声発しただけでしゃがみこんで、私の手を握りながらすすり泣いた。

戸惑っていたのはS氏も同じで、治療の力が程よく気持ち良くなった。
「治療を受けながらこんな姿勢で元気だよっていうのもおかしいけど、元気にしてます」
私が話しかけてもテルちゃんはなお私の手を黙って握って泣いていた。

こう言っちゃ失礼だが、テルちゃんはまるで芸者をイメージさせるような日本美人で明るく色っぽく芸達者で、盲導犬ユーザーの集まりでも様々に話題を提供し、視覚障害といえども常に前向きに己の人生を貫いて生きていた方である。

結婚・出産・失明・離婚・再婚…その後もいろいろあって生活の内情の相談を受けたり、人生の岐路ではアドバイスをしたこともあった。

今では優しいご主人とめぐり合って幸せをようやく築き上げているが、私との5〜6年ぶりの突然の再会に感極まってしまった様子だった。

彼女の人生をここで深く語ることはできないけれど、私が仕事の枠を超え、人として接してきたこと以上の感謝の気持ちが握られた手を通じて伝わってきたようで嬉しかった。

介護事業を行っているコムスンが違法行為によって業務譲渡に及んでいる。
現場で働くスタッフの中には“業務”という言葉では表せないような献身というか人の心・繋がりを持って働いてこられた方々がおられよう。
普段はケアする方から“あらためての感謝”がないかも知れない。
それを期待することこそ浅はかなものともいえる。

でも、時を経て今日、私は感謝の気持ちを頂くことができた。
組織の人間ではあったが、私は私を貫いてよかったと心から思っている。
テルちゃんやみんなのおかげで、今、人間としての私が堂々と生きることができる。
感謝したいのは私の方である。
今日は本当に良い治療を受けることができた。
 

9月1日2日の土日、臨時休業の理由 2007年08月01日(水)

  夏休み本番の8月に入ったというのに今日も札幌は涼快で、個人的には嬉しさがこみ上げているが、息子たちがやっている浜益の海の家“村中屋”のことがちょっと心配でもある。

さて、昨年11月7日付けの本欄で、佐呂間町の竜巻被害のことを書いた時に登場した私の恩人でもある和尚のKさんから夕べ突然の電話があった。
「やいや困ってしまってさぁ、何とかならんべか」

佐呂間町で毎年開催される催しには“盲導犬コーナー”というのがあって、盲導犬協会から派遣された職員がデモンストレーションや体験歩行などの啓発活動を行っていた。
今年も9月2日(日)に開催されることが決まって協会に参加要請したところ、協会では既に数件の別の派遣依頼を受けていたうえ、当日は1年間仔犬を育ててもらったパピーウォーカーの委託終了式と重なり、どうしても職員の派遣は困難であるとの返事だったというのだ。

準備を任されたK和尚が困り果てた末にふと思い出し、白羽の矢を立てたのが私だったというのだ。
「長崎君、来てもらえんべか!」
「そんなこと言われても、協会の事情もあるだろうし、僕だって土日のカフェを休むわけには…」
「そこを是非、何とか」
「えぇ?!無理だと思うけど、とりあえず考えてみましょう」

協会に問い合わせたところ、案の定予定は詰まっておりどうしようもないとのこと。
おまけに最近は“盲導犬育成のため”と虚偽の募金活動などをする詐欺的輩が存在しているから、協会は慎重にならざるを得ず、正式な職員でなければ派遣できないという“組織”の立場があった。
天下りのようなシステムや『なあなあ」の繋がりがある世界なら影響力を使うことも可能だろうが、そんなものは協会には存在しないし今後も存在して欲しくないと私は考えているから、それ以上押すことはなかった。

「和尚、やっぱ無理だわ」と私はKさんに電話を入れた。
「なあ。それでもなんとかならんか考えてみれ?」
「ええ!?」
「電話の前で、俺がどういう格好してるか見えるか?土下座して頼んでだぞ。どうかひとつと。まあ、ゆっくり一緒に飲むべ。そんな気持ちで来いよ!」
K和尚一流の禅問答の末、私は斬新な提案をした。

「盲導犬も協会名も体験歩行も募金活動も謝礼も一切なし。言ってみれば『愛犬のしつけ相談コーナー』を開いて僕が対応し、そこに訪れた人に個人的・知識的・経験的に知っている盲導犬のことを話すかもしれない、っていうのはどうだ?」
「それだ!それでいい。今から主催者にかけあってくる」

しばらくしてK和尚から電話があった。
「OKだ。それでいくべ」

というわけで私たちは9月1日土曜日と2日日曜日の二日間、カフェを臨時休業し地方巡業に出かけてまいります。
時間に余裕のある方は障害者や町民と触れ合うこの催しに相応しい愛犬と一緒に、9月2日佐呂間町町民センター広場に集まってください。

9月からは、これまでの木曜定休に加え金曜も定休とするので、この巡業は経営破たんを覚悟したうえでの初めての土日休業のお知らせでもある。
まあ、『楽しく生きる』を実践する日々になると思えばいい。
 

託せる愛犬ですか? 2007年07月30日(月)

  日中から秋を思わせるような虫の音が響いていたが、今夜は窓を閉め切って、冷たい夜風が入らないようにしている。

このところ初めてのお泊りワンちゃんが続いて、夕方以降ものんびりすることができずやや疲れ気味だ。

カフェに何度か来て頂いて、“お預かり可能”と判断した犬のみお泊りをお受けするという方針は正解だったと思う。
もし、すべての犬をお受けしたとしたら、責任から生じる精神的な疲れだけではなく、吠え立てる犬やトイレのしつけもできてない犬に立ち向かう極度の精神疲労や肉体疲労それに室内環境の破壊・汚染に滅入ってしまうところだった。

今日のカフェに、知り合いのワンちゃんを預かって苦労しているKさんが遊びに来てくれた。
「前回預かったチワワは家中にマーキングをするようなとんでもないわんこで、しかも年末年始だったので実家に連れてったら親は怒る怒る。『二度とその犬と来るな!』って言われた」

そして今日一緒に連れてきたフラットコーティッドレトリーバーもそれはそれは大変なわんこだった。
甲高い声で吠えるは、放置すれば無差別に他犬に突進するは、オスのラブラドールに乗っかって腰を使うは、無法と無礼の限りを尽くさんばかりの勢いがあった。
我が家の愛犬アモが3度ばかり「無礼者!」と大声で威嚇すると途端に態度は控えめになったが、それでもしばらくすると勢いを盛り返して他犬にちょっかいをかけようとした。
ついに間に入ったアモはこの犬に「キャンキャン!」と言わせたが、それからどういうわけかアモに対して目がハートマークになり、すぐに完全拘束の罰を受けてゲーム終了。

「日中10時間もマンションで留守番させられてるんだって」とKさん。
「まあ!ひどい。犬を飼うというのは子供を一人育てるのと同じことなのに。そんな人、犬じゃなくて亀でも飼えばいいのに…」とK。

帰り際、Kさんがレジに置いてある名刺サイズのカフェカードを一枚つまんだのを目撃した私は思わず叫んだ。
「ダメだよぉ!飼い主にそれを渡しちゃ!カフェのこと絶対教えるんじゃないよ!」

Kさんはニコニコしながら帰っていった。

扱えるワンちゃんだけお預かりしてお金を頂き、それでも疲れ気味の私たちと、大変なワンちゃんを無償で預かりニコニコしながら惨状を語るKさん。

冷たいほどの外気の中、まるで中秋の名月の雰囲気の満月を見ながら考えさせられたけど、やっぱり我が家じゃ預かれない。
そんな飼い主のイヌ。
 

参議院議員選挙に思う 2007年07月29日(日)

  今夜のテレビは選挙報道一色となっており、政治と宗教は個人的には普段から安易に表には出さないようにしているが、この歳になるとやはり考えるところもあって、ついテレビに触発されて本音を書いてみることにした。

『おらが町や村』の選挙では、私は政党よりもその人の人柄や主張に共感すれば投票するようにしており、当選した後のその議員の活動には協力もするし関心を寄せてもいるが、万が一にも不正を働いたり公約とは違う行動を示した時には公然と批判を展開する。
小さな地方自治ではそんなことで割と容易に住民の意思を伝え、改善されることができると経験してきたからだ。

しかし一方で私は北海道議会議員選挙や国会議員選挙では、個人や人柄は一切無視し、どの政党に属しているかを重視するようにしている。
なぜなら道を動かし国を動かすのは『おらが先生』ではなく、議員となった彼らが属する政党によって決定された議案に対する賛否を投票するマシーンに過ぎないからである。

異論もあろう。
議員の専門分野における日々の活動によって、地道なことから官僚を動かし、社会を前進させている人もいるだろうから。
地域に利益を誘導することに心砕く愚直で使いやすい議員もおられるだろうから。

だがしかし、都道府県や国の舵取りを決めるのは個々の議員ではなく政党であり、したがって誰を選んだかではなく、どこを選んだかで国は動いていくものなのだ。

そこに投票した側の責任として心に引っかかることがある。
『私が投票したのはあなただからじゃなく、あなたの政党なのですよ。だからせめてあなたは私たちの思いを裏切らないような人であって欲しいし、議員である以上専門分野の知識は人並み外れて優れた人間であるようさらに勉強してもらいたいのです。』

昨日Kが載せた『最新情報』の中のダニの写真の方が今夜の私の話よりインパクトがあるのは否めない。
 

バカ親 2007年07月27日(金)

  セブンツーセブンの今日は愛娘Sの24回目の誕生日。
離れて暮らしているので滅多に顔を見せてはくれないが、娘に対しては私はまるで○○ちゃんの飼い主のように甘〜い甘〜い父親になってしまう。
娘に甘いのは世の父親の常なのだろうが、傍にいて話を聞いてるだけで心が安らぐから不思議だ。

その娘が先月次男と遊びに来て「8月で仕事を辞める」と言うではないか。
何かあったのかとうろたえる私に
「ちょっとお金も貯まったし、海外に行ってみようと思うんだ」というのだ。

『血は争えない』もので、思い立ったら仕事を辞めてまでも旅に出るという話に、「それはいい!」と私は大喜びした。
「で、何処に行くの?」と私
「まだ決めてない」と娘

そんな旅を私は何度もしてきたけれど、あの頃の発想に“海外”は含まれていなかったし、娘が海外でしかも国すら決めてないことにある種の不安がよぎっている。
『できればイラクやアフガンは避けて欲しいな』と心で頼んだ。

「Jの予定は?」
娘と来てくれた次男Jに私は尋ねた。
「この夏は浜益の海の家で一儲けしようと思ってるんだ」
おっと、Jもなかなかスリリングな生き方をしているではないか。
手ぶらで海水浴にやってくる若者を中心とした人たちに串刺しの炭火焼バーベキューを売るらしい。

心配した私がネガティブな皮算用を始めると不安そうに聞き入っていたが、「海水浴に来た若者は旨いBBQにかじりついてその瞬間の写真を撮るに決まってるよ」と屈託ない笑顔を見せた。

どうか皆さん。
今夏、浜益海水浴場近くを通ることがあれば、海の家“村中屋”のBBQを食べてやってください。

それをかじりつく瞬間の写真をカフェに持参された方には、もれなくニセコルヒエルのジェラートをカップで贈呈させていただきます。

何か変?
おかしい?
でも、親にできるのは悲しいかもしれないけどそんなことなんだ。
 

酔っ払いの定休日 2007年07月26日(木)

  今日は定休日。
本来ならこの欄も休みであるが、今夜のお天気長期予報を聞いて奮い立ってしまった。
平年より暑い夏になる予報が数日前に変更されて冷夏の予報となったにも関わらず、今夜一転して北海道はやはり暑い夏になるとのこと。
『だから長期予報なんてやめれ、って言ったべ』と私は憤ってしまう。
だって今夜はここ数日よりずっと涼しい夜を迎えているのに…。

今日から札幌の学校は夏休みに入ったそうだ。
我が家では定休日だったがお泊り犬がいたので今回はお出かけ無しとなって結構大変な一日を過ごした。
その中でも
・参議院議員選挙の期日前投票に行くこと
・サマージャンボ宝くじを買うこと
・値上がり前にガゾリンを満タンにしておくこと
・我が家の愛犬アモと片道切符の散歩に出かけること
を今日は課題としていた。

真昼間の暑い時間帯に私はアモと散歩に出かけ、アモが望むままの方向へ歩みを進めた。
相当根気よく付き合ってあげたがアモは自分が歩ける限界や帰る道のプランなど立てていないことに気づいて、私はKに現在位置を携帯で連絡して迎えに来てもらい、汗だくになった散歩はようやく終わった。

いくら愛犬と言えども好きに任せると彼らはとんでもない行動を平気で行い、真にとことん付き合うなら片道切符にして『ムカエタノム』が一番だ。

それからの私は選挙にも行ったし、宝くじも買いガソリンを満タンにしてきた。
我が家に居ながらにしてパーフェクトな一日だった。

インターネットの面白いサイトが今日報道された。
“投票ぴったん”で検索し、あとは流れのままにチェックを入れると、自分の考えに最も近い政党がわかるというものだ。
私の場合、トップに選ばれた政党と投票してきた政党とは違っていたが、おおむね正解だなと思えた。
 

次の人生 2007年07月24日(火)

  団塊世代での大量退職が始まっている。
あなたなら“それから”をどう活きますか?

彼らより7年は若い私の場合でいえば、盲導犬事業に関わり続け社会に貢献しながら定年を迎えるまで働き、惜しまれて引退するという道を結果的には選択しなかった。
力いっぱい働けた20代から40代後半までを駆け抜けた頃、もし仮に次の人生があるとすればそれは自分の力で切り開いていくことができるものなのか?それともこれまでは組織の中にいたからこそ自分は生かされていたのか?と曖昧ながらの問いかけをしていた。
勿論それは人生半ばにして視覚障害になった人々と関わり続け、逞しく生き続ける彼らの姿に対しての私なりの劣等感というか頭でっかちの教育者ではありたくないとの思いがあったからである。

視覚障害になる年齢を視覚障害者は選べた訳ではないが、私の場合50歳を越えてからでは人生のやり直しに自信がなかったので“ずる”をして48歳で“受傷(失業)”させていただいた。
それはそれで結構大変だったので、これが本当の受傷だったら凄い事態になっていただろうと今更ながら身震いしてしまう。

さて、定年退職者諸氏、何をどうしますか?
私なら次のチェックをまず行うことを勧める。
・組織の使い方を自分の経験からまとめておく
・組織の一員ではない状態での自分の知識・技術などを冷静に見極める
・社会的に“個人”になったことの意味を知り、その結果を知るための無為な時間を費やす勇気を持つ
・好きなこと、やってみたかったこと、個人となって検証した自己能力に加え、家族の理解などを総合的に判断あるいは相談してみる
・その結果、家計の見通しをプレゼンテーションできるか、あるいは自分のウェーブに周囲を巻き込める力があるかを判断すればよい

換言すれば、
1.退職したら身辺整理をしよう
2.次は旅に出て夢を抱こう
3.自宅に戻って現実を知ろう
4.関係者と熱く話し合おう
5.自分ともう一度冷静に話し合おう
6.最後はチャレンジするのか、流れを見て先送りするか

大丈夫。
そこまでやる頃には終焉を迎える人もいれば次が見えてくる人もいる。
息の合った心強いパートナーがいれば最高である。

私たちも道半ば。
諸氏の健闘を祈る
 

六花、追悼の辞 2007年07月22日(日)

  今夜ふと覗いたYさんのホームページに、愕然とさせられる文字が並んでいた。
イングリッシュセターの六花が『永遠の眠りについた』と書かれてあるではないか。
確認したわけではないから何かの間違いであって欲しいし、前回会った時にはいつもどおり元気だったのでうろたえるようなショックを受けているというのが実情だ。

憶測は抜きにして、現時点では六花の冥福を祈りYご夫妻に心からのお悔やみを申し上げよう。
誰かのいたずらだったとしても、後から勇み足と笑われるほうがどれほどありがたいものか。

心に思っていても言い出せない苦悩が私にはある。
私が過去に訓練してきた盲導犬や愛犬は私が元気である以上私より先に旅立つ。
その瞬間に立ち会うたび、『あの時はちょっと強引な接し方をしてごめんな。でも、だからこそ得られた喜びがあるよね。こうして君たちが旅立つ時、僕はいつも自問するんだ。あれでよかったのか?と』

保身ではなく探求しながら得た現状での振る舞いを私は現在実践しており、その道はこれからも続くと思っている。
だがしかし、愛犬の死というものは老衰でない限り誰がどうやっても心のどこかに後悔ややり残したことを抱かさせるものだ。

そのうえで伝えたいのは、楽しかった日々を思い出すことであり、ちょっとしたしぐさや光景で笑えた瞬間を忘れることなく、涙を交えながら語り合うことでもある。
そしていつの日か思い出す間隔が長くなった頃、思い出が確かなものになっていることに気づく。

その思い出が素敵であるためには真剣に向き合い過ごした時間が必要で、私の知る限りY家のイングリッシュセター六花には有り余るものが用意されている。

Yさんの言葉にあるよう、『君を忘れないよ』で私は送り出そう。
 

守るために攻める 2007年07月21日(土)

  7月に入って肌寒い日が続いたかと思うと、ここ数日は小雨や霧雨でなんともパッとしない。
ご来店者の話を伺うと、雨が降っているのは札幌でもこの地域だけというから余計に重苦しくなっちまう。

最近のこの欄は犬に関する話題が少なくなっている。
現在も様々なわんこと出会っているし相談も受けておりレッスンも行っているのだが、私の答えは既に書けるものは書き尽くした感があり、新たな例を挙げてもその対処法や考え方は、これまでの繰り返しになっているようで面白味や有意性に欠けてしまっているのが現状だ。

そのうえ私の対処法の極意は文字に表すことができない接し方にあり、それを見て学び理解してくれているのは恐らくKと数人の方だけであろうから、以前にも書いたようにこの欄の継続に意義があるのか迷っているのが正直なところだ。
迷いが吹っ切れるまで、たわいない事柄を綴るのでそこんとこよろしくご理解くだされ。

さて、今夜のアジアカップサッカーのオーストラリア戦。
よく闘ったと思うし結果にも胸を撫ぜ下ろすことができたが、どなたかサッカーに詳しい方に教えていただきたいことがある。

10対9のパワープレーで優位に立った日本チームは、延長戦に入っても攻撃のパターンを変えず、じわじわと敵陣を包囲して『一発の正確なパス』を狙って得点機を窺い、結局は無得点のまま運任せのPK戦に突入してしまった。
私としては数的優位な延長前半は敵陣を包囲した後、リスクを冒してでも『一発の正確なパス』ではなく、とことん波状的にペナルティーエリア内にドリブルで切れ込む指示を与え、『何が起こっても不思議ではない』状況を作り出す作戦に出て欲しかった。
相手は疲れていたし、カウンターをかけてきても失点に繋がる可能性は低かったはずだ。

何故そうしなかったのか?
日本の戦法のリズムを狂わせたくなかったのだろうか?
理詰めでない得点は美しくないという美学だろうか?
リスクを最小限にして得点できればという道を選んだのか?

ともあれいろんな考え方があって面白いゲームが進行し勝敗を決しているが、犬との暮らしでは防げた不用意な負けがあると、取り返しがつかず、とにかく後悔することがあるのでご注意願いたい。
・飛びつきを直せず、老人を突き倒す大事故を起こしてしまった
・拾い食いを直せず、毒団子を食べさせて死なせてしまった
・マテを教えきれず、車から飛び出し事故に遭わせてしまった
この程度のしつけなら『精一杯やったけどできなかった』というのは『やらなかった』と同義語であると考えてよい。

犬に対するしつけは、赤ちゃんに「泣くな」と要求をするような理不尽なことではなく、「あと10回拾い食いをすれば毒物を口にしますが、それでも現在のような対応をしますか?」と切迫感が問われている。
車酔いに対する対処法などとは別次元の、緊急事態という認識を持てば、自ずと愛犬に伝わる対応が生まれてくるはずである。

PK戦のように運任せの愛犬との暮らし方というのが一般的であるのは私にはちと恐ろしい。
 


- Web Diary ver 1.26 -