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明日8月30日から9月2日までカフェは4連休となります。 ご了承ください。
せっかくの4連休だから楽しいことでも書きたかったのだけど、夜のニュース番組の報道姿勢を見たら悲しくてしょうがなかった。
朝青龍関の問題である。
私は6日付のこの欄に自分の見解を書き、心身の病への理解を求め、結果はその通りになった。 大相撲の理事会終了後に、事前の意見では『帰国反対』を唱えていた理事たちがいみじくも言っていた。 「医師の説明を聞けば、帰国反対などと言える状況ではないと思えた」と。
朝青龍の病が仮に仮病だとしたら、彼は職を失うだけのことだ。 だが、彼が病気であり本人にとって病気となり得る状況であるなら、これまでのほぼ1ヶ月に渡るマスコミの取材と報道は明らかに犯罪である。
マスコミが“心の病”というものをどう解釈しているのか私には到底理解できない。
恐らく担当医師は心身の病とその原因、それに周囲の環境がどれほど影響し、朝青龍関の回復に当たって如何に悪い状況にあるのかの説明をされたのだと思う。
その根源となるものに私は25年に渡って関わってきたので、心身を病む状況が痛いほど分かる。
再度繰り返す。 朝青龍関が仮病なら、それは彼が失職するだけのことで幸いであり、もしそうでなく大いにありうる病だった時のことを論じているのだ。
突然目が見えていた人生が終焉を迎え、視覚障害という状況になったら、あるいは自分でそう思い込んだとしたら、あなたはどう精神の均衡を保とうとするだろう?
嘆き悲しむのか? 終わりだと思いつめるのか? 自業自得を受け入れれるか? 因果だと諦めるのか? 誰かのせいにするのか? 死ぬしかないのか? 家族を思い起こして発起できるのか?
苦悩を抱え、耐え忍んで存在し、この先を案ずる人に『頑張れ!』という言葉が禁句なのは私の世界では常識である。 彼らなりに充分頑張っているのだから。 そんな精神論的なことより、苦悩を共感した上で、次のステップの事例を淡々と掲げ、“選択する余地”があることを示し、どれを選択する/しないは“あなた”が決めることであり、どちらを選んでも支援体制が出来ていること、一人じゃないこと、人生が終わったのではなく変わったことを感じあえることこそが次への無限の道を拓くことになる。
なのに… バカなマスコミはまるで法の番人のように密着取材をモンゴルまで行って行い、自らが加害者であることをうすうす感じながら、どこかに大義名分を探しつつ一人の有能な青年を地獄に突き落とし、民族間の軋轢を招くことすら省みず、“日本人らしく働いている”という救いを求めているのだろう。
真理というものは難しいことではない。 利害なく相手の気持ちと将来を案ずれば見えてくるものだと思う。
彼を撮影しコメントを求め付け回すこと自体が犯罪なのだ。 マスコミはどうかしている。
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