From the North Country

CDラップの開封と現代科学における愛犬訓練 2007年03月17日(土)

  世の中本当に便利な時代になったが、それは昔が不便であり、人智によって製品の開発や改良が行われたからこそ今感慨深く思われるのであって、私にとっては近代製品であるはずのCDケースにかけられたラップが簡単に開封できないのは、信じられないだけでなく苛立ちの象徴になっている。
昔のキャラメルの方が容易に開封できたと思いませんか?

だが今はあの鉄腕アトムの科学の世界、21世紀である。
きっと私のようにムキになって爪を立てなくても、あるいは先の尖った小道具を用いなくとも、あのCDのラップはワンタッチで簡単に開封できるように作られているに違いないのだ。

視力や指先が少々不自由でもあれにはきっと特別な仕掛けがあって、例えば「オープン」と言えば自動的に開封されるのかもしれないし、携帯電話を近づければ開くのかもしれない。
信号機のある交差点の渡り方が分からない老人がいたように、私が年を取っているからその開封方法を理解できないでいるのだろう。

ただ、モスキート音のように若者には聞こえても年配者には聞こえないような、そんなレベルの開封方法であって欲しくはないと願うばかりだ。

さて、最近の愛犬雑誌を読んでいると、昔ならプロでなければ訓練できないようなしつけや問題行動の解決が、一般の愛犬家でも容易にチャレンジできる方法が紹介されていてとても興味深い。

そしてその特徴として行動心理学を後ろ盾にし、問題行動を個別に分類し、『吠える犬には』『飛びつく犬には』『飼い主を咬む犬には』などと、感情が絡む我が家の○○ちゃんではなく“イヌとして”というように科学的で説得力を感じさせる論理立てになっていて読む者を妙に納得させる。

実際私が行っている訓練には当然このような理論が包含されているのだが、雑誌に登場する専門家とはやはりどこか何か違う。

彼らは愛犬のしつけを身近かで意思さえあれば改善可能なテーマであるという意味において貢献しているが、トータルで継時的な理論展開をせず、残念ながら現象や短期的変化を披露しているに過ぎないと思う。
つまり飼い主の半年後の生活や、極端な場合、次の犬と暮らしたときのことはさほど重要視しておらず、目の前の現象をどう解決したように見せかけるかに腐心しているに過ぎないように感じられてしまう。

ひどい非難のようで申し訳ないし詳しく展開できないが、恐らく理論(机上)訓練による誤魔化しであり、社会生活における詐欺行為の線と並行しながらも決して塀の向こうへは落ちること無く、依頼者から喜ばれるというスーパーテクニックを駆使しているように感じられるのだ。

では何が欠け落ちているのか?
“ヒトがイヌと暮らすアドベンチャー精神の普及あるいは理解の欠落”ではなかろうかと、酔い潰れ薄れ行く意識の中で思っている。

CDやビデオカセットのラップが容易に開封出来ないのは私のような古い考えの技術者のある種のこだわりでもあるのだろうか?
それとも、『現代風愛犬のしつけ』が今の時代にすばらしいと言える確証があるのだろうか?
そうだとしたら私は大いに反省し、私の理論や訓練方法にも反映させなければならない。

そのためにまずは目の前で、誰しもができるCDラップの開封手品を見せてもらい、やらせてもらうことが必要である。
 

久しぶりの釣行 2007年03月15日(木)

  定休日を利用して久しぶりの釣りを楽しんできた。

Kがホッケのつみれ汁を作りたいから「釣って来い」と数日前から言っていたので、最近出不精になっていた私も重い腰を上げて出かけることにした。

それにしても我が家は何処へ出かけるにも便利な場所にある。
積丹半島のとある漁港まで小樽を抜け余市・古平・美国を過ぎ、さらにそこから山を越しても僅か1時間50分程で到着してしまうのだから。

夕方の4時頃から釣り始め、秘伝の処理を加えたサンマの餌にすぐに35センチほどのカワガレイが喰った。
その後は目的のホッケが上がり、つみれ汁には充分すぎる量を確保し、暗くなり始めた納竿前にオマケの真ガレイが釣れたので満足して帰宅した。

すっかり元気になっているKは留守の間にカレーを仕込み、美味しそうなアップルタルトを焼き上げていた。
そしてホッケをさばき、真ガレイをから揚げにし、その手順のすばやさに私は感嘆した。

ただカワガレイだけは元気に跳ねていたので、私が眠らせることになったのだが…
安楽じゃなくてごめんなさい。
大きいカレイは生命力が強すぎるのだ。

刺身となったカレイはKが美味しい美味しいと言って食べてくれた。
残りは茹でて明日アモの胃袋に収まる予定である。

よくある話しだし卑怯だと思うが私は自分で釣った魚が食べれない。
勿論、過去に何度か食べたことはあるし、美味しいと感じるけれどダメなのだ。

明日はつみれ汁が出される。
食事の前に酔っておこう。
 

その気になれば風穴は開けられる 2007年03月14日(水)

  今夜のテーマがこの欄に相応しくないことは重々分かっているつもりだが、ふと思い出したことが頭から離れず書き留めておこうと思った。

もう12年も前の話なのにぶり返すことで迷惑をかけるかもしれないし恐縮なのだが、私が勤務していた盲導犬協会で当時不正経理が発覚した。
私は信じられない衝撃を受けると同時に、職員として協会事業を擁護する心理が働いたことを今でも覚えている。
第三者機関による調査報告書の内容の一部にも不満を覚えたが、今夜はその事件から波及した、ある委託事業の取り消し危機の顛末について、時を経た今だからこそ書いておこうと思う。

その委託事業とは『中途視覚障害者社会適応訓練事業』というもので、人生の途中で視覚障害を負った方々とその家族をケアし
・“人生は終わったのではなく変わったのだ”ということを心理的に認識できるように導き
・“見えないから出来ないではなく、どうすれば出来るのか”を奈落の底から這い上がる思いで体感してもらい
自らの存在と社会的価値を具体化し、実際に社会貢献しながら自立するという当時としては斬新的で科学的なプログラムであった。

しかし、行政は協会に対する懲罰的施策としてこの事業を打ち切り、旧態依然とした障害者保護を目的とする団体に予算を振り分けようとした。

まず、私たちは市の福祉部に呼び出された。
「あなた方のやってることはすべて信用できない」と当時のS福祉部長は切り出した。
立場としては当然である。
私たちは頭を下げ迷惑をかけたことを詫びた。
しかしS部長の矛先はけじめとして『社会適応訓練事業』の委託打ち切りに向けられた。

北海道で唯一ノウハウを持っている私たちのチャレンジであり、世界の先端を歩むこの事業を放棄することだけは私には到底受け入れられなかった。
「この委託事業に不正はありません。是非とも継続させてください」という私の懇願に対しS部長は
「お金に色はついていませんよね(すべて不正とみるべきです)」という嫌味っぽい一言で応じた。

「視覚障害者は杖もしくは盲導犬を伴って歩かなければならないのです。杖による歩行訓練を制限することになるのですか」と私。
「制限します。違法ですか?」とS部長。
むかついたが、これも当然であった。

しかしS部長のそれからの対応が私の闘志に火をつけることになった。

協会の応接室に部下を従え、扇子を煽りながら私を呼びつけた部長は『長崎君。君がどうあがいても私の決めたことは変えようがないんだよ』と言い放ったのだ。

市議会選挙の年でもあったので、私は各会派と議員の事務所を回りお詫びと社会適応訓練事業継続の必要性の請願を繰り返し、翌日に迫った厚生委員会の決議への理解を求めた。

すると夕方になって、友人の市議から『I先生に相談しなさい。アポは取っておいたから』と連絡が入った。
厚生委員会の委員長I市議に会うよう勧められただけでなく、手はずまで整えてくれたのである。

「1時間やる。君の言いたいことを話しなさい。」
I市議はそう言って私の話を黙って聞いてくれた。
そしてやおら電話をかけ
「おう、おやじか、俺だ。今、盲導犬協会の長崎君が来とるんだが、話を聞くと大事なことを言うとるぞ。おやじの話とは違うじゃないか。これは明日の決議にも影響するからよろしくな。」と豪快に話していた。
相手がS部長だということは私にもはっきり分かった。

当日の厚生委員会にはたくさんの視覚障害者の方が傍聴して下さり私は勇気をもらった。
私たちの主張に反対する議員はいなかった。
S部長は彼の職責を果たし、私は己の主張を貫いた。
彼が権力を示したから私もそれに応じただけのことである。
ただ、それを支えてくれる友人が周りにいることがありがたかった。

今年は選挙の年である。
誰を選ぶかは自由だけど、こんな相談をしたらこうなったというのも評価の基準にしたい。
 

一夜の自惚れ 2007年03月13日(火)

  朝起きてびっくり。
アスファルトが出ていた道路も雪で埋まり、早春を思わせた景色も白銀の世界に逆戻りし、しかも横殴りの雪が強弱をつけながら一日中吹き荒れた今日の里塚緑ヶ丘だった。
これでラストワン。
普通なら下旬にあと一回の大雪が降って今年の冬は終わるはずだと私は思っている。
4月の中旬まで雪が舞うことはあろうが、大雪は今日から明日にかけてを除けば、あと一回と勝手に思い込むだけで除雪作業も苦にならなかった。

我が家の愛犬アモは今日の雪に大喜びで、夕方の散歩で無人の雪原を駆け回っては身体を擦り付け「これこれ、この感触がタマラン」と悶えていた。

ところで、最近のアモは住宅街を出て人のいない場所や雪原などでノーリードにすると、ずいぶんと遠く(50〜60メートル)まで離れるようになった。
自らの自由度と勝手気儘度がどこまで許されるのか、あるいは私のアモに対する信頼度がどの程度なのかを確かめているようだ。
根本には雄犬により多く見られる独立心と強い好奇心を感じる。
そして私はため息をつくのだ。
『ああ、まだ分かってないな。』と。

・道路に飛び出したり、身体を汚したり、私から見えない場所に入ったりしてはいけないことを理解しているのは知っている。
・命令があれば従い、万が一他犬や人を遠くに見つけたら、動きを止め、私の呼び戻しの指示を待っているのも知っている。
・『ボクはトラブルや争いごとは嫌いだし、そんなつもりは毛頭ありません』という心根も知っている。

お前がどう言いたいかは分からないではないが、此処は人里離れたとはいえ人間社会である。
『妙なアドベンチャーと私に対する駆け引きはするな!』という意志がアモにはまだ分かっていないのだ。

野田知佑・椎名誠・藤門弘らにアモを引き合わせたら争奪戦になること請け合いである。
そして彼らはアモに身体を汚すことの楽しさと、姿が見えなくなるほどの自由を与えるだろうし、一応にその能力に感嘆するであろう。
利発で勇敢で好奇心に溢れ、さらに冷静で絶対的に従順であるアモはそんな彼らの世界にむいているとは思っている。

彼らはそれぞれの分野での能力に長けているが、犬については失礼ながらまだ“巡り合わせ”の域を出ていない。
勿論これは挑発である。
犬育てに関しては…という自負が最近の私には感じられるようになった。

20年前にもそう感じた経験があり、当時の自負は見事に打ち砕かれ、さらに勉強と経験を積み重ねてきたつもりだが、これも一夜の自惚れに過ぎないことを過去から学んでいるつもりだ。
ただ、慎重になった今思うことは、犬と人の関わりにおいて重要なことは『究極と多様性の理解』ではなかろうか。

そして今の時代の中で間違っているのは、究極と多様性は本来分けて論じられるべきものなのに、究極の中に多様性を展開していることにあると思う。

通常、犬は人を咬んではいけないし、その財産と生活を1歳過ぎてからは破壊してもならないのは究極の一部に属する。
カヌーに乗ったり、サバイバルを生き抜いたり、アウトドアーを楽しんだり、使役犬をこなしたり、家庭犬と振舞うことは多様性によって適性が勘案されて良いはずだ。

酔って分け分からん展開になったが、それぞれの犬の個性は多様性の中で受け入れるべきであるが、それが社会的にあまりにも不都合な行為であるのに、“いぬのきもち”を優先して理解しようとするような“物分りの良い飼い主”にならぬよう、またそのように育てぬよう頑張ろうではないかということを伝えたかっただけである。
 

観光ですか?お仕事ですか? 2007年03月12日(月)

  「午後からバーニーズのバリーちゃんのトリミングが入りました。」
電話を切るとスタッフMは嬉しそうに私に伝えてくれた。
「だってバリーちゃんはいつも月曜日に来られるんですよね。私は月曜お休みだから、可愛い時期のバーニーズのバリーちゃんはママの話だけでまだ会ったことがないんですよ。楽しみ」とM。

Kは今日までお休みで、いつもなら月曜が休みのスタッフMが代わりにカフェを支えてくれていた。

待ち合わせのヨーキー連れの方が先に来店され、まもなくバリーもやって来た。
3回目のトレーニング以来数週間ぶりで一段とパワーアップしているようだった。
私はカフェの入り口でバリーの太いロープを預かり、ガーデンまでコントロールしながら連れて行った。
しばらく遊ばせたあとでトリミング室に連れて行ってシャンプー台に入れ、トリマーの麻未ちゃんが肛門嚢を絞り終えるまでバリーを保定し、全身をシャワーで濡らすのを確認した段階で「あとはよろしく。大変そうだったら手伝いに来るから」と言い残してカフェに戻った。

少しの間が空き、飼い主のMさん母娘とお友達がキョロキョロとカフェ内で犬を探しだした。
小さなヨーキーの姿が見えないので私もテーブルや座席の下を覗きながら
「ヨーキーちゃんですよね?」と何気なく声をかけた。

「いいえ、バリーです。」とMさん。

「え?バリーならトリミングしてますが…」
「え?バリーのトレーニングをお願いしてたんですが…」

スタッフMは電話を受けた際“トレーニング”を“トリミング”と聞き違え、思い込んでしまっていたのである。

私たちは心から謝罪した。
が、大変申し訳ないと思いつつも私は可笑しくて可笑しくてしようがなかった。
まるで“志村けん”の「観光ですか?お仕事ですか?」の世界である。

そういえば普段も、私たちは注文を何度か確認しながら世間話をするうちにそれを忘れて、恥ずかしながらまた聞き直すことがある。
結果的には間違った料理を出すまでには至ってない様だが、そのボケ加減がなんともほのぼのとして郷愁を誘うのだ。
幸いにも寛大な飼い主のMさんは「そろそろシャンプーの時期でしたのでいいんですよ」と仰ってくださり感謝感謝である。

この年代の集まりのカフェになるとレジの打ち間違えはしょっちゅう。
『こないだカフェで爪切りしてもらったのに精算のとき入れてなかったでしょ』と自己申告して下さる方も多数。
それでいて過払いの請求や苦情は無し。
そして今日の出来事である。

我がカフェもだんだんと成熟して“志村食堂”の域に達しつつあるようだ。
何が楽しいといってこんな間抜けで生活観溢れる人間模様を日々実感できることほど楽しいものはない。
おまけに犬たちが介在してくれているのである。

スタッフMは最後まで恐縮していたようだが、結石の手術を受けて間もないのに先々週からKの代わりを務め、休日返上で働いてくれたことに心から感謝し、彼女自身が楽しんでいることを期待したい。
 

床屋さん 2007年03月10日(土)

  ゴーゴーと強風が吹き荒れる深夜になっている。
ストーブの温度設定が真冬よりも高くなるという不可解ないつもの季節がやってきた。
お泊り犬のレオンベルガー/ジェニーは暖かい居間より階下のカフェの方が快適なのか、朝方までそこで過ごしている。
呼べばすぐに上がってくるのは良いにしても、私がくしゃみをすると何をさておいても駆け上がってきて私の安否を確かめるのが彼女の性癖になっているのが可笑しい。

去年の秋、床屋さんでジャックラッセル/ケイトの父さんが新得町へ引っ越してから、私は行きつけの床屋を探すのに苦労している。
最初に入ったのが最近開店したばかりの若者が始めた洒落た床屋さんで、カットも雰囲気も良かったが、年寄り相手の話題に気を使ってもらったからこちらも気分的に疲れてしまった。
それでもしっかりした現代の若者で、これからどう変わっていくのかが楽しみな床屋さんである。

どうせだから“この床屋さん”と決める前にいろんなお店を体験しようと、先月は“昔からありそうな地元の床屋さん”的な店構えをしたお店に入ってみた。

自宅の一階を床屋に改装していて、まるで我がカフェの床屋バージョンのような趣があった。

ところがそこから悲劇が始まった。
1.髪の毛を洗うことも蒸らすこともなくおばさんはカットを始めた。
2.しばらくして「こんな感じでどうですか?」と手鏡に写った私の頭を見せてくれた。
『こんな感じ』だから大雑把ではあるし、左右不均衡なところもあったが整えるのはこの先だろうと思い、髪の長さなどは丁度良かったので『あ、はい』と私は答えた。
3.するとおばさんはまるで新兵器でも使うように、座ったままの私にシャンプーをし、「これ水が入らないのよねぇ」と洗い終えてから洗面台で私の頭をすすぎ始めた。
4.すすぎの時間はリンスを入れても僅か10数秒。私はマジに不安になった。
『カットはあれで終わったの?』『洗髪はこれからどんな風にするの?』
5.有無を言わせることなくおばさんは背もたれを倒し、私の顔に蒸しタオルをのせ、さらにドーナツ型をした丸い重しを鼻を中心に乗せた。
6.髭剃りの間、何度私は逃げ出そうかと思っただろう。
『これは民間人相手のどっきりカメラか?』と目をきょろきょろさせるほどの痛みと皮膚を切り裂く感覚を覚えた。
「お客さん、物持ちがいいですねぇ。いや、ホクロがたくさんあるもんだから、ちょっと切っちゃいました。」

私は急いでお金を払ってその店から離れた。

それからまる2週間、私は自宅で電器髭剃りを使うたびに「痛い!」と悲鳴を上げながらも用心深く剃ることになった。
床屋選びも楽じゃないとは思うけど、今の時代に『こんなの、あり?』と刺激的で愉快な経験だった。

はてさて次を見つけるか、新得まで散髪に行くべきか。
 

異常行動 2007年03月09日(金)

  今日も私の体調は良く二日連続で平熱となったので、明日から出席停止は解けることになった。
Kは回復したものの明日はまだ出席停止期間に入っているので、自宅静養を継続し、家内労働で身体慣らしを始める予定だ。
スタッフの二人は変わらず元気なので、支えられながらカフェの営業を行うこととした。

さて、タミフル服用によると思われる異常行動が確認されたので今夜この欄で症例報告をしておこう。

1.ケースプロフィール
性別:男
年齢:52歳
病歴:虫垂炎、神経性胃潰瘍、木から落下し左肋骨2本骨折、慢性的膝関節痛および腰痛等等。
性癖:深酒、チェーンスモーク、自分に優しく他人に厳しい
座右の銘:@着眼大局着手小局、A無用の用を知らぬものは有用の用を知らず、B酒と甘い汁は美味しく頂くのが礼儀(ただBの後半についてはあまり経験がない)

2.アレルギー
@薬物を常習する人間以上に、『それらを精製し調達し売ることで生計をなそうとするものに極刑を!』と異常なほどの反応を示す。
A犬を家族の一員とし、普通の家庭犬と暮らしたい飼い主からの問題行動の相談があれば、まず『タマを取れ!タマを取れ!』と即座に反応する。
B放置便を常習とする飼い主と会話をするとくしゃみの前に手が出そうになる反応が起こる。
C右左折の指示器を出すのは30メートル手前からであるはずなのに、直前で出すドライバーに対しては、窓から灰皿の吸殻や空き缶を投げ捨てる奴を目撃したのと同じような怒りを感じ過剰反応することがある。

3.インフルエンザ罹患暦
今回が初めて

4.異常行動の内容
・タミフルを服用した翌日の8日木曜日、この男性は定休日でもあったので昼間から愛犬と散歩に出かけることにした。
・その手には中程度のレジ袋10枚と小さなショベルが準備され、男性はいつもの散歩コースに放置された便をことごとく袋に集め始めた。
・実際袋に詰め始めると、雪が解けて便と交じり合い、袋の取っ手が汚れ、結果的にひとつの袋に集めた放置便を、もう一枚の袋に入れて持ち運ぶことになった。
・そのうちに男性の愛犬は放置便を発見すると止まって教えるようになったが、男性の手はすぐに五袋で一杯になり、袋の取っ手はその重さで指に食い込むようになってしまった。
・「取りきれなかった」と、男性は悔やみ、その日2回目のタミフルを口にした。
とさ。
 

臨時のお知らせ本日第2報 2007年03月08日(木)

  本日最初に訪問下さった方はお手数ですが前記『臨時のお知らせ』からお読みください。

案の定、Kの熱は午後に入って38度を超え、我が家の愛犬アモがKを抑え込む様にしてベッドで横になっている。

私は朝から36度前半、現在は35度9分と平熱を維持してKの介護に当たっており、日中は暇な時間を利用してインフルエンザについて調べていた。
そこで得た情報のいくつかを紹介しよう。

1.潜伏期間
インフルエンザの潜伏(感染してから発症するまでの)期間は1〜2日ときわめて短いらしい。
2.種類
インフルエンザにはA・B・C型があり私とKは共にA型で、これにはさらにソ連型と香港型というのがあるが、A・B型の場合どちらも特効薬タミフルが有効であるらしい。
3.タミフルの効果
通常インフルエンザに感染すると3〜7日間はウィルスを排出するが、発症してから48時間以内にタミフルを服用することで、ウィルスの増殖を防ぐことができ、回復期間を1〜2日程度短縮できるという。ただしウィルスの排出期間までも短縮できるかははっきりしていないようだ。
4.いつから社会参加できるか
学校保健法では『解熱したあと二日を経過するまで出席停止』となっているが、校医や医師の裁量で早めたり遅らせたりの判断の余地が残されており、職場復帰については病気による体力低下を考慮する必要があるもののはっきりした目安となる法律は存在しないという。

さて、私が感染したくらいだから直接的な感染力は強いと想像できる。
一方で国立感染症研究所の情報ではインフルエンザウィルスは殆どの消毒薬に弱く、感染の危険性はあるけれども室内や衣服は通常の掃除洗濯で十分だと紹介し、くしゃみや咳など1〜2メートル以上は飛ばないので念のため飛沫感染を防ぐマスクの着用と手指消毒・換気・適度な保湿を呼びかけている。

これらに基づいた私たちの復帰計画は以下を予定している。
1.大前提
カフェを発信源としたインフルエンザの流行を許さない。

2.零細自営業者の立場として
カフェの営業が通常通り出来るに越したことはないが、前記『大前提』が大前提であるのも間違いはない。
そこで、まず
・カフェ飲食物の提供について札幌市保健所食品指導課に問い合わせてみたところ、常勤スタッフによる調理飲食物の提供は問題なく、私とKが厨房に関わらず2階の自宅で管理できればよいとの指導を頂いた。
次に
・私の復帰についてはこれまでに得た情報を勘案し、明日(9日金曜日)までを自主規制し、カフェには極力姿を現さず、お泊り犬の管理の為にガーデンなどに出る際にはマスクを着用し、手指消毒とうがいを励行し、無愛想と言われようともお客様への挨拶は最小限とし、熱が出るなどの異常があればすぐに退去して再計画案を提示することを誓う。
・Kはじっとしていると死んでしまう回遊魚のような性質を親から受け継いでいるが、2階に可能な限り拘束する努力を私は惜しまない。
ただKが死んでしまっては元も子もないので、そこら辺は職場復帰の法の未整備に甘えることもあるやも知れぬ。(これが冗談であることを明確にするための逆説的な意思表示であることを感じていただければ幸いである)

ともあれ、明日の私の体調とスタッフのスケジュール調整で土日月の営業案内が決まることをお知らせしておきましょう。
 

臨時のお知らせ 2007年03月08日(木)

  本来『最新情報』でお伝えする内容ですが、担当者Kがダウンしたため『北の国から』で速報いたします。

既にお知らせの通り、私はインフルエンザの診断を受け、7日(水)朝よりタミフルを服用しております。
おかげで6日の夜から夕べまでの38度を超える熱も収まり、8日の昼現在では平熱が持続し体調的には鼻声と多少の筋肉痛が残る程度で、最初から食欲もあり快方に向かっています。

が、今朝方からKに症状が出始め、検査を受けたところめでたく同じ病気だと診断されました。
彼女の熱はまだ37度台でしたが、午後には38度を超えるものと思われます。
既に特効薬タミフルを飲んでぐっすり寝ており、我が家の愛犬アモが付き添っています。

幸い今日は定休日ですが、医師からは5日間の自宅静養の指示が出ており、その間Kは勿論厨房に出ることはありません。

私はお泊り犬の管理のためマスクをしてガーデンに出る程度とし、いつも元気なスタッフMと麻未ちゃんが頑張ってくれるということなので、とりあえず明日(9日金曜日)は営業いたします。(市保健所の食品指導課に問い合わせたところ問題はないそうです)

土日月についてはスタッフのスケジュール調整を行っておりますが、場合によっては臨時休業とさせていただくことになりますのでご了承ください。
決まり次第、この欄にてお知らせいたします。
 

クエスチョン 2007年03月05日(月)

  まだ冬景色なのに風雨は強いし体感的には寒い。
冬と春の嵐が混在した妙な気象に私には風邪の予兆がある。

「こんなひどい天気なのにアモは絶対散歩に行くって言い張ってるよ」と私はKにこぼしながら、防寒着の上に合羽を着込んで散歩の準備を始めた。
そして、ひょっとしたらアモは『こんな日でもご主人は散歩に行く気だぜ!まあ散歩しないと夕食にありつけないから付き合ってやるか。』と考えてるんじゃないかとの思いが頭をよぎった。

雨に洗われたいつもの散歩コースには驚くべきほどの放置便が姿を現していた。
これまで何重にも雪の下に隠されていた便で、中でも大型犬のそれは同一フードを食べた排泄物だったから、恐らく犯人は一家庭と推測された。
毎日毎回冬の間放置したならその数は100を優に超えるだろうから、飼い主は人前ではウンチを処理し、人目がない時の犬のウンチを放置する卑劣な性癖の持ち主なのだろうと感じられた。

そこは通学路であり通勤や生活道路であるから、犬との関わりを持たない地域の方々は、我々犬の飼い主に大いなる疑いと怒りの目を向けておられるに違いない。

そして今日の散歩で私に大いなる疑念が頭をもたげることになった。

私とアモの散歩コースのうちの『ある地点』から大量の放置便が現れ、それはさらに『ある地点』まで点在しており、それ以外の場所ではほんのたまに小型犬のウンチを見かける程度なのである。

つまり私たちの散歩コースにある途中の家の大型犬の飼い主で、私たちと途中まで同じ散歩コースを辿る飼い主が放置便の犯人である可能性が高く、しかもそれに思い当たるのは一軒しかなかった。

その家庭には二頭の大型犬がいて、少なくとも毎夕子供たち(中学生以上と思われる)と親のどちらかが決まった時間に散歩をさせている。
残念ながら犬の性癖はとても悪いようで、人を見ては吠え、犬を見ては飛び掛らんばかりに威嚇的である。
子供と飼い主は時に太いロープを電柱に巻き付け、犬の暴走を食い止めようと懸命になっている。

それでも私は今日までその家族を『けなげ』と感じていた。
家族が一体となり、きちんと管理責任を果たそうと懸命になっているとみていたからだ。
「いつか相談があれば親身になって対応しよう」と心積もりもしていた。

でも振り返ってみれば、その家族はいつも他人と他犬を避けるのに夢中である。
私は町内の方との付き合いも浅く、その家族がどのような付き合いをされているのかどうかも知らない。

・ウンチしてもそれを片付ける余裕などなく、他人を傷つけず無事帰宅することで精一杯なのかもしれない。
・いつも2頭一緒に散歩していたのに、今では数十メートルの距離を置くようにしているから、それなりに考えあってのことかもしれない。

様々な事が考えられたが、『放置せざるを得なかった便は後からでも回収すればいい』し『子供と愛犬の将来を考えるなら地元の訓練士に相談すればいい』ことである。
家も立派だし大型車を複数所有しているから金銭的な問題でもなさそうだ。

ともあれ、現時点では私の勘繰りであり、当人にしてみれば濡れ衣であるかもしれない。

ただ、毎日のように出会う人を突然疑ったのは、「そういえばウンチ袋を持っているのを見たことがない」(自宅で排泄を済ませてから散歩に出る可能性に期待している)のと、この家族の散歩コースが大型犬の放置排泄物の重点箇所と一致し他に見当たらないことに加え、しつけられてない犬たちだからであろう。

個人的な疑いであるから全く確かではない。
でも、そう感じたものだから今後は注視することになってしまうだろう。
そう感じるような自分が嫌いで、ここに書いてしまったことを恥じる。
まるで井戸端会議の世界の中心ではないか。

そうさせる『放置便への怒り』が原動力になっていることを理解して欲しい。

ただ、心のどこかで『あの家族がそんなことをするはずがない』と、いつか疑ったことを平謝りしたいし、万が一かの家族が犯人であった場合は、なんと切り出せばよいのかと心迷ってしまう。

本心は私が間違っており、どこかから突然、悪人の心を持った真犯人が現れてくれたらどんなに楽だろう。
普通の人なら、あのけなげな娘たちの前で、彼女らを含めた家族としての反社会的な行為を糾弾するわけにはいかないだろう。

『けなげな娘たち』と評する要因に、いつも散歩をさせている姿と、道路の真ん中で母親に厳しくほっぺを引っ叩かれ、それでもじっと耐えていた光景を目撃した経験が含まれている。

背景を知らなければ感情を爆発させるか、教科書通りの対応があろうけれど、万が一、あの家族だったら…
私はやっぱり感情を爆発させてしまいかねない。
そのうえでケアを試みる余地を残すだろうな。

今日の散歩はアモの望みだろうか、それとも食事の前の課題だったのだろうか?
 


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