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こんなことは何度も書いてきたからもう書きたくないのだけど、『週間天気予報』ってエイプリルフールだけにして欲しい。
毎日毎日ウソの未来予報を公共電波を使って流し、人々をたぶらかし、一喜一憂させて何が面白いのだろうか? 分からんものは分からんと正直に告白し、『皆さん、西の空を見よ』といって、空の見方や気圧配置と上空の気温それに雲の様子を淡々と実況してくれた方が余程ありがたいと私は思う。 短波ラジオで流している情報を伝え、そこから得られる様々な解析の仕方を解説し、聞いた人たちが予想できるような天気報道であって欲しい。
確率での表現が免罪符になっているとでも思っているのか、本当にいい加減な予報が目立って腹立たしい。 とりわけ春と秋の予報が難しいのはみんな知っていることなのだから尚更週間天気予報は自粛すべき季節だと思う。 せめて『ごめんなさい、昨日の週間予報とは違ってしまいました』の一言が何故言えないのだろうか? 特別番組/欄まで作って自社の不祥事の言い訳を横槍なしに放送/掲載することが出来る会社なんてマスコミ以外にはないことを傘に着ているとしか思えない。
『長崎め、今夜はずいぶん苛立っておるな』 そう思われるかも知れないが、実は嬉しいことが1杯だから心のたけを書くことができるものなのだ。
嬉しいこと その1. 20年以上前、私が盲導犬と暮らすことを勧めた女性から今日メールが届いたこと。 松山千春の古里である足寄町に私が初めて出張し、そこで暮らすKさんに盲導犬の説明をしたのは20数年前。 彼女の家の前にあった踏切には『K踏切』と自分の家の名前がつけられていた。 そして泊まった旅館で出されたお吸い物には、今では絶品と評されるタチの白子が入っていたのに、私はそのグロテスクな姿を見てすぐにふたをした。 生まれながらにして目が不自由だったKさんが、今では盲導犬と自由に歩き、その盲導犬は仔犬時代に何度もパピーウォーカーとカフェに来ていたノルディーであることを知りさらに嬉しくなった。 ましてや全盲の彼女がパソコンを使って私に「覚えてますか?」と誤字の少ないメールをくれるのであるから嬉しくないはずはないのだ。
その2. わざわざ釧路からI夫妻が訪ねてくれたことや、テレビで『ベーブ』が放映され、原語で楽しみながらその映像は勿論、撮影スタッフの手法に改めて感心したこと、それにKと夫婦観や人生観について話し合えたことなど、すべて取りまとめて楽しい時間であった。
カフェの明日を占う予報士などいないから、想定外のことがあっても楽しいし、自ら学習して独自の素案をすばやく練り上げることが出来る可能性が残されている。
長い時間を経ても、人を基本にしてコミュニケートできる人生を歩んでいけるかどうかが、いつの時代も問われているのだろう。
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