From the North Country

『逆手に取る』という発想 2007年03月25日(日)

  僅か一日でガーデンはすっかり姿を変え、しばらく使用不能状態となった。
夕べの雨に加え、気温が10度を超えたため大切に保存していた雪を一気に吹き飛ばすと、みるみる氷が解け始めたのである。

しばらくご不自由をおかけするし、カフェは開店休業状態となるかもしれない。
愛犬の体力発散よりもくつろぎのひと時をお過ごしにおいでくだされ。

こんな時期にはどんなガーデンにすればよいのかいつも悩んでしまう。
仮に全天候型のドームのようなガーデンを作ったとしよう。
するとそこにはせっかくの北海道の雪を楽しむ環境がなくなってしまうし、数年もすれば異臭が立ち込めてしまうに違いない。
臭いの放出と紫外線消毒のため開閉式ドームにすれば今度は経営が成り立つはずも無い。

芝生にすると経費はかかるし使用制限の期間をかけた割には満足度が低い、というよりガッカリ度が高いだろうと想像している。

現在考えられるとすれば、水が浸透する目の荒いアスファルトで、これは各地で実験が積み重ねられており多少の興味を持っている。
利点は
・除雪を一気に行えるし、翌日には遊べる環境を提供できること
・バクテリアの生息が可能で臭いの問題を解決できること
欠点は
・自然な環境ではなく、完全に衛生環境を整えたと言える自信がないこと
・ウンチの痕跡が残ること
・夏の日差しで暑くなること

水はけを良くし雑草と共存できて、熱を反射しやすい白いアスファルトがあれば、そしてそれが廉価であれば検討しても良いと思っている。

科学者や技術者にとって最も難しい課題は何か?
それは発明や発見の基礎となるもので、単に指示された物を作り出すことではなく、何が求められ何を作ればよいかを知ることであろう。
その意味において今夜のこの欄を読んだ科学者・技術者は幸いである。
せいぜい頑張っていい物を作って欲しい。
ヒントは充分に提供しているし、事業拡大に繋がる素材はそこら辺にゴロゴロしている。
 

現象に過ぎないこと 2007年03月24日(土)

  春でしたねぇ。
解ける解ける、どんどん雪が解けてびっくり。
それでもまだガーデン中央には10数センチの分厚い氷が陣取っていて、力一杯ツルハシを振り下ろしても割り切ることができなかったのはさらなる驚きだった。

驚きといえば、夕べの酒が朝になっても残っていたことも私の驚きで、自分の身体が別物になり、こうして加齢を自覚していかなければならない年齢に達したようであり、私の余命には10数センチの氷の厚さ程の逞しさが残っていないのが残念といえば残念である。

さて、今日のレッスンは柴犬のピー君。
もう5〜6回のレッスンになるだろうか。
手をあまし苦悩の末に私の元へやって来たわんこであるが、成果は上々で順調に育っている。

ところで自分の愛犬を訓練士に託する場合、一般的にどの程度の訓練回数を考えるのが相場なのだろうか。
私にもその筋の情報は入らないからよくわからないのが実情である。

盲導犬の場合は最低80時間の訓練が国際基準となっており、ピー君の5〜6時間という訓練時間は導入部分に過ぎないのに、私自身は『もうそろそろいいんじゃない』とか『家庭犬なのにどこまで訓練したいの?』という気分になり始めている。
これ以上訓練すると真剣に何かを教えたくなる状況になり、それは飼い主が当初望んでいた問題行動解決の分野からかけ離れ、別次元の世界へのアプローチを意味することでもある。

私のイメージする優良家庭犬とは飼い主がその犬を連れて何処へ出かけても誰にも迷惑をかけない状況であり、お手やお座りが出来るかどうかなど全く関係なく、さらに言えば、どんなわんこであっても飼い主がちゃんと制御できる姿勢が整っていれば素晴らしいユニットであると思っている。

つまりは『暮らしやすいわんこ』というのがキーワードで、『利口でファンタスティックなわんこ』は今の私の眼中にはない。
そのような犬はいつでも必要とする人がいれば訓練で作り出せるし、必要とする人と共に暮らしてこそ輝きを放つのであり、そうでない人の飾り物として存在するには眩しすぎ、人を裸の王様にして惨めにさせるのではなかろうか。

冬が終わり春が来る。
確かに厚い氷はあるけれど、だからと言って春の到来を否定することはできない。
冬だ、春だ、夏だ、秋だと何かにしがみついて生きるより、四季に心打たれつつもトータルな精神を根幹に持っていればより多くの感動を得られるのではないだろうか。

酔ってしまい訳分からん話になってお恥ずかしい。
ここまで書いてもいつもなら普通に削除していた文面であるが、今夜はKがもったいないからと言うのでアップしてみた。
 

変わりゆく 2007年03月23日(金)

  いよいよ春の日差しがキープされる状況になってきて、雪のガーデンとの決別を真剣に考えなければならなくなった。
春の大雪をあと一回予想していたが、天気予報では日曜日からしばらく雨が続き、雪解けによる街の汚れを一掃する日々となりそうだから、それに併せてガーデンの雪と氷を週明けにも排除しようと思う。
したがって明日の土曜日までがガーデンコンディション良好であり、日曜日の雨から一気に最悪の状態が最低2週間は続くことになる。

来年からはこのガーデン泥沼時期にカフェをしばらく臨時休業にし、その間アモを連れて家族で旅に出るパターンを考えている。
そんな夢が実現できますように…。

さて、一昨日からお泊りの柴犬宗一郎君。
柴犬ナンバーワン/ファーストプライズの贈呈を考えていいと思うほど役に立っている。
否、私がこれまでにこの欄で書いてきた柴犬の概念の一部を改めねばならないような振る舞いを示してくれているのだ。
彼のことは以前(2006.9.17付)もこの欄で紹介していた。

『別物って感じ』
初めてカフェにお泊りした時、未去勢だった彼は平気でマーキングを繰り返し、私はせっかくいい犬なのに家族の一員ではないただのオスの動物として『別物って感じ』という表現をして、飼い主を暗に戒めてしまった。
その飼い主がこの欄を読んでいることさえ知らずに…。

現在、若い飼い主のT夫妻はカフェの常連となり、除雪機ガロアラシ号の後見人でもある。
私の無礼を看過してくれただけでなく、愛犬に去勢を施し毎週のようにカフェに通い続けてくれている。

その結果が今回のお泊りに如実に現れていて、Kも私も大満足である。

『どうぞお構いなく』というワンちゃんが増えてる一方、
『遊ぼうぜ!体力の発散だ!』
というわんこもいるのだが、宗一郎は実にうまくこれらの犬たちのおもてなしをしてくれるのである。

そして閉店後には与えられた食事を完食し、安らかな表情で眠りに落ち、最終のトイレタイムにはさっさと大小を済ませ、2階の寝床に駆け上がって静かに過ごしてくれるようになった。
今回のお泊りで破壊したのは100円ショップで買ったリード1本だけである。
これだってもしTさんからお預かりしていたリードを噛み千切ってしまったのなら弁償もしなければならなかったから、私どもとしてはファインプレーである。

「プラスティックの留め金はそのうちウンチに出てくるでしょう」
気にすることはありません。

「こらぁ!マテ!」
「ええかげんにせんかい!命張ってかかって来い」

普通のお泊り犬にはそんな言葉をかけることも無いが、柴犬宗一郎とはそれが普通の会話であり、彼が徐々に日本語を聞き入れて成長しているのが素晴らしかった。

私の隣で深い眠りについている宗一郎を起こすと、重たそうに目を開けてため息をついた。
『ええかげんに寝ろよ。それとも今から遊ぶかい?』
 

動物の愛護及び管理に関する法律 2007年03月20日(火)

  動物の愛護及び管理に関する法律が2年前の平成17年に改正され、動物取扱業が届出制から登録制に変わった。
我がカフェも愛犬のお泊りやレッスンを行っているので規制の対象となり5月末日までに手続きを行わないと営業できなくなる。

そこで動物管理センターのホームページにアクセスして詳細を調べてみると、登録手数料が15,000円もかかることが分かった。
しかも1業種それぞれに手数料がかかるというから、カフェの場合はお泊りとレッスンで3万円必要となるというのだ。
パソコンをいじって登録する手数にそんなにお金がかかるものだろうか?とちょっといぶかしくなる。
いっそのこと登録負担金とか供託金という名目の方が納得しやすい。

さて、必要な書類の様式を読み込み、記入し始めると改めて気づいたことがあった。
当たり前のことだが、我が国では法律においてペットショップでの陳列販売が合法化されているのだ。
動物取扱責任者を配置し衛生管理や収容頭数に見合ったケージの数を書く欄があったが、責任者と衛生・施設環境があれば生体販売は国家が認める産業であることに改めてショックを受けた。

いたずら心で動物管理センターに電話をしてみた。
「あのぉ、ワンちゃんのお預かりをしているのですけど、記入項目の中にケージの数というのがありますよね。うちの場合は室内で一緒に暮らしているのですが、ケージの数は必要なのでしょうか?」
「預かる数だけのケージがないと、きちんと管理できる状況とはいえないですよね。四六時中見ている訳にはいかないのですから」と担当者は明快に答えた。
担当者の頭の中には保管業だけが見えていて、しつけられた犬たちの姿は入っていないようだ。
しかし行政というのはトータル管理であるからこれも止むを得ないと思った。

結局、改正された『動物の愛護及び管理に関する法律』は、これまでのように不衛生で生命維持に無頓着な環境で動物を飼育・保管することを許さないという姿勢は見えるものの、陳列展示販売という犬たちが被る精神的打撃には目を瞑り、同様にペットホテルなどの保管業においてもケージや犬舎などの空間を整えるという名目で隔離できる設備を求め、QOL(生活の質)にまでは踏み込まないことを宣言しているようだ。

ともあれ、私は3万円を払います。
だから規制すべき業者にはちゃんと規制してください。
一歩前進であると信じたいから。

ただ、この国でペットショップによる生体販売の理不尽さを周知し改革するには国会議員を立て新たな法改正を行わないと無理なようだ。
だけどねぇ、
・生体販売を禁止せよ!
・放置便の飼い主を啓発せよ!
・マスコミによる愛犬のイヌ化を糾弾せよ!
・補助犬を筆頭としたしつけられた犬たちが社会参加できるよう犬権を!
などと公約を立てても国政とはレベルが違いすぎる。

文化の醸成・道徳の確立のために必要な地道な時間を私たちは費やす過程の中に存在しているのだろう。
だからこそ声を上げ続ける必要があるのだと思う。
 

ARKという団体に対する私の評価は○ 2007年03月18日(日)

  去年の今頃はガーデンに雪は無く、春の準備が整い始めていたと過去ログにあった。
なのに記録的暖冬の今年は未だ大きな雪山が残り、あたり一面雪景色というのはどういうことだろう。
この調子じゃ4月になっても雪遊びができそうな状態で、犬たちだけは大歓迎しているようだ。

さて、今夕のテレビの特集でARKという会員制動物保護組織の活動が紹介されていた。
先日来ニュースになっていた広島ドッグパークで活動していた団体とは似通った名前ではあるが関係ない組織である。

テレビで流されるのは活動の一端で、その組織全体を表すものでないことは経験上重々承知しているが、この団体が犬たちを受け入れてから里親に出すまでのプロセスには「そうだ!そうだ!その通り!」と私は賛同していた。

最初の1ヶ月を観察・評価期間としていたし、その後のアプローチも正しく、さらにほぼ1ヶ月単位で評価を行いステップアップの手順を踏んでいた。
つまり命の保護だけではなく、社会で生きるためのプログラムが準備されているのがよーく伝わってきた。

恐らく取材に合わせたから性急になったと思われるシーンもあったが、この団体は○であると私にしっかり印象付けてくれた。

私なりに分析した彼らのプログラムは以下の通り。

1.保護時の犬の健康状態と生育環境・過程を把握する。
2.現在の犬の状況がこれまでの経験によって引き起こされている部分と、本来生まれ持った性質および健康状態によっているのかを把握し、個々に必要なプログラムを策定する。
3.そのプログラムが適切であるかどうかの評価を適宜行い、おおむね1ヶ月単位で再評価しプログラムを見直す。
4.健康状態と心理的負担が少ない時期を見計らって避妊・去勢手術を実施する。
5.保護生活環境から社会生活環境に適応できるようプログラムを拡大させ、里親候補の情報を分析してそれぞれを分類する。
6.つまり、犬の社会復帰度が低くても里親の環境・理解・能力が高ければ、施設に置くより冒険ではあるが早期に引き渡した方が、新規の飼い主との繋がりは深まるだろうし、新規生活の時間も長くなり、ARKの経済的負担も減少する。
7.健康上の理由、あるいは年齢的なもの、最終的には犬の稟性において一般社会での生活が不適であると判断された犬たちのシェルターを確保する。

大雑把であるがこのようなことに配慮された団体であると見た。

テレビで見たところによると、環境は人里離れた山間であったので、もっと地道に
・山間から静かな住宅地域の様々な時間帯を体験させ
・次に商店街などの準繁華街に慣れさせ
・さらに駅前通などの繁華街や通勤通学にも慣れさせておくのがベスト。
とも思ったが、里親をきちんと選び、アドバイスを行い、フォローアップすれば経費を削減しながらより多くの犬たちを救えるわけだから、今は止む無しと共感できることが多々あった。

盲導犬などの補助犬団体に加え、この組織にも寄付をする価値があると私は認定いたしまする。
 

CDラップの開封と現代科学における愛犬訓練 2007年03月17日(土)

  世の中本当に便利な時代になったが、それは昔が不便であり、人智によって製品の開発や改良が行われたからこそ今感慨深く思われるのであって、私にとっては近代製品であるはずのCDケースにかけられたラップが簡単に開封できないのは、信じられないだけでなく苛立ちの象徴になっている。
昔のキャラメルの方が容易に開封できたと思いませんか?

だが今はあの鉄腕アトムの科学の世界、21世紀である。
きっと私のようにムキになって爪を立てなくても、あるいは先の尖った小道具を用いなくとも、あのCDのラップはワンタッチで簡単に開封できるように作られているに違いないのだ。

視力や指先が少々不自由でもあれにはきっと特別な仕掛けがあって、例えば「オープン」と言えば自動的に開封されるのかもしれないし、携帯電話を近づければ開くのかもしれない。
信号機のある交差点の渡り方が分からない老人がいたように、私が年を取っているからその開封方法を理解できないでいるのだろう。

ただ、モスキート音のように若者には聞こえても年配者には聞こえないような、そんなレベルの開封方法であって欲しくはないと願うばかりだ。

さて、最近の愛犬雑誌を読んでいると、昔ならプロでなければ訓練できないようなしつけや問題行動の解決が、一般の愛犬家でも容易にチャレンジできる方法が紹介されていてとても興味深い。

そしてその特徴として行動心理学を後ろ盾にし、問題行動を個別に分類し、『吠える犬には』『飛びつく犬には』『飼い主を咬む犬には』などと、感情が絡む我が家の○○ちゃんではなく“イヌとして”というように科学的で説得力を感じさせる論理立てになっていて読む者を妙に納得させる。

実際私が行っている訓練には当然このような理論が包含されているのだが、雑誌に登場する専門家とはやはりどこか何か違う。

彼らは愛犬のしつけを身近かで意思さえあれば改善可能なテーマであるという意味において貢献しているが、トータルで継時的な理論展開をせず、残念ながら現象や短期的変化を披露しているに過ぎないと思う。
つまり飼い主の半年後の生活や、極端な場合、次の犬と暮らしたときのことはさほど重要視しておらず、目の前の現象をどう解決したように見せかけるかに腐心しているに過ぎないように感じられてしまう。

ひどい非難のようで申し訳ないし詳しく展開できないが、恐らく理論(机上)訓練による誤魔化しであり、社会生活における詐欺行為の線と並行しながらも決して塀の向こうへは落ちること無く、依頼者から喜ばれるというスーパーテクニックを駆使しているように感じられるのだ。

では何が欠け落ちているのか?
“ヒトがイヌと暮らすアドベンチャー精神の普及あるいは理解の欠落”ではなかろうかと、酔い潰れ薄れ行く意識の中で思っている。

CDやビデオカセットのラップが容易に開封出来ないのは私のような古い考えの技術者のある種のこだわりでもあるのだろうか?
それとも、『現代風愛犬のしつけ』が今の時代にすばらしいと言える確証があるのだろうか?
そうだとしたら私は大いに反省し、私の理論や訓練方法にも反映させなければならない。

そのためにまずは目の前で、誰しもができるCDラップの開封手品を見せてもらい、やらせてもらうことが必要である。
 

久しぶりの釣行 2007年03月15日(木)

  定休日を利用して久しぶりの釣りを楽しんできた。

Kがホッケのつみれ汁を作りたいから「釣って来い」と数日前から言っていたので、最近出不精になっていた私も重い腰を上げて出かけることにした。

それにしても我が家は何処へ出かけるにも便利な場所にある。
積丹半島のとある漁港まで小樽を抜け余市・古平・美国を過ぎ、さらにそこから山を越しても僅か1時間50分程で到着してしまうのだから。

夕方の4時頃から釣り始め、秘伝の処理を加えたサンマの餌にすぐに35センチほどのカワガレイが喰った。
その後は目的のホッケが上がり、つみれ汁には充分すぎる量を確保し、暗くなり始めた納竿前にオマケの真ガレイが釣れたので満足して帰宅した。

すっかり元気になっているKは留守の間にカレーを仕込み、美味しそうなアップルタルトを焼き上げていた。
そしてホッケをさばき、真ガレイをから揚げにし、その手順のすばやさに私は感嘆した。

ただカワガレイだけは元気に跳ねていたので、私が眠らせることになったのだが…
安楽じゃなくてごめんなさい。
大きいカレイは生命力が強すぎるのだ。

刺身となったカレイはKが美味しい美味しいと言って食べてくれた。
残りは茹でて明日アモの胃袋に収まる予定である。

よくある話しだし卑怯だと思うが私は自分で釣った魚が食べれない。
勿論、過去に何度か食べたことはあるし、美味しいと感じるけれどダメなのだ。

明日はつみれ汁が出される。
食事の前に酔っておこう。
 

その気になれば風穴は開けられる 2007年03月14日(水)

  今夜のテーマがこの欄に相応しくないことは重々分かっているつもりだが、ふと思い出したことが頭から離れず書き留めておこうと思った。

もう12年も前の話なのにぶり返すことで迷惑をかけるかもしれないし恐縮なのだが、私が勤務していた盲導犬協会で当時不正経理が発覚した。
私は信じられない衝撃を受けると同時に、職員として協会事業を擁護する心理が働いたことを今でも覚えている。
第三者機関による調査報告書の内容の一部にも不満を覚えたが、今夜はその事件から波及した、ある委託事業の取り消し危機の顛末について、時を経た今だからこそ書いておこうと思う。

その委託事業とは『中途視覚障害者社会適応訓練事業』というもので、人生の途中で視覚障害を負った方々とその家族をケアし
・“人生は終わったのではなく変わったのだ”ということを心理的に認識できるように導き
・“見えないから出来ないではなく、どうすれば出来るのか”を奈落の底から這い上がる思いで体感してもらい
自らの存在と社会的価値を具体化し、実際に社会貢献しながら自立するという当時としては斬新的で科学的なプログラムであった。

しかし、行政は協会に対する懲罰的施策としてこの事業を打ち切り、旧態依然とした障害者保護を目的とする団体に予算を振り分けようとした。

まず、私たちは市の福祉部に呼び出された。
「あなた方のやってることはすべて信用できない」と当時のS福祉部長は切り出した。
立場としては当然である。
私たちは頭を下げ迷惑をかけたことを詫びた。
しかしS部長の矛先はけじめとして『社会適応訓練事業』の委託打ち切りに向けられた。

北海道で唯一ノウハウを持っている私たちのチャレンジであり、世界の先端を歩むこの事業を放棄することだけは私には到底受け入れられなかった。
「この委託事業に不正はありません。是非とも継続させてください」という私の懇願に対しS部長は
「お金に色はついていませんよね(すべて不正とみるべきです)」という嫌味っぽい一言で応じた。

「視覚障害者は杖もしくは盲導犬を伴って歩かなければならないのです。杖による歩行訓練を制限することになるのですか」と私。
「制限します。違法ですか?」とS部長。
むかついたが、これも当然であった。

しかしS部長のそれからの対応が私の闘志に火をつけることになった。

協会の応接室に部下を従え、扇子を煽りながら私を呼びつけた部長は『長崎君。君がどうあがいても私の決めたことは変えようがないんだよ』と言い放ったのだ。

市議会選挙の年でもあったので、私は各会派と議員の事務所を回りお詫びと社会適応訓練事業継続の必要性の請願を繰り返し、翌日に迫った厚生委員会の決議への理解を求めた。

すると夕方になって、友人の市議から『I先生に相談しなさい。アポは取っておいたから』と連絡が入った。
厚生委員会の委員長I市議に会うよう勧められただけでなく、手はずまで整えてくれたのである。

「1時間やる。君の言いたいことを話しなさい。」
I市議はそう言って私の話を黙って聞いてくれた。
そしてやおら電話をかけ
「おう、おやじか、俺だ。今、盲導犬協会の長崎君が来とるんだが、話を聞くと大事なことを言うとるぞ。おやじの話とは違うじゃないか。これは明日の決議にも影響するからよろしくな。」と豪快に話していた。
相手がS部長だということは私にもはっきり分かった。

当日の厚生委員会にはたくさんの視覚障害者の方が傍聴して下さり私は勇気をもらった。
私たちの主張に反対する議員はいなかった。
S部長は彼の職責を果たし、私は己の主張を貫いた。
彼が権力を示したから私もそれに応じただけのことである。
ただ、それを支えてくれる友人が周りにいることがありがたかった。

今年は選挙の年である。
誰を選ぶかは自由だけど、こんな相談をしたらこうなったというのも評価の基準にしたい。
 

一夜の自惚れ 2007年03月13日(火)

  朝起きてびっくり。
アスファルトが出ていた道路も雪で埋まり、早春を思わせた景色も白銀の世界に逆戻りし、しかも横殴りの雪が強弱をつけながら一日中吹き荒れた今日の里塚緑ヶ丘だった。
これでラストワン。
普通なら下旬にあと一回の大雪が降って今年の冬は終わるはずだと私は思っている。
4月の中旬まで雪が舞うことはあろうが、大雪は今日から明日にかけてを除けば、あと一回と勝手に思い込むだけで除雪作業も苦にならなかった。

我が家の愛犬アモは今日の雪に大喜びで、夕方の散歩で無人の雪原を駆け回っては身体を擦り付け「これこれ、この感触がタマラン」と悶えていた。

ところで、最近のアモは住宅街を出て人のいない場所や雪原などでノーリードにすると、ずいぶんと遠く(50〜60メートル)まで離れるようになった。
自らの自由度と勝手気儘度がどこまで許されるのか、あるいは私のアモに対する信頼度がどの程度なのかを確かめているようだ。
根本には雄犬により多く見られる独立心と強い好奇心を感じる。
そして私はため息をつくのだ。
『ああ、まだ分かってないな。』と。

・道路に飛び出したり、身体を汚したり、私から見えない場所に入ったりしてはいけないことを理解しているのは知っている。
・命令があれば従い、万が一他犬や人を遠くに見つけたら、動きを止め、私の呼び戻しの指示を待っているのも知っている。
・『ボクはトラブルや争いごとは嫌いだし、そんなつもりは毛頭ありません』という心根も知っている。

お前がどう言いたいかは分からないではないが、此処は人里離れたとはいえ人間社会である。
『妙なアドベンチャーと私に対する駆け引きはするな!』という意志がアモにはまだ分かっていないのだ。

野田知佑・椎名誠・藤門弘らにアモを引き合わせたら争奪戦になること請け合いである。
そして彼らはアモに身体を汚すことの楽しさと、姿が見えなくなるほどの自由を与えるだろうし、一応にその能力に感嘆するであろう。
利発で勇敢で好奇心に溢れ、さらに冷静で絶対的に従順であるアモはそんな彼らの世界にむいているとは思っている。

彼らはそれぞれの分野での能力に長けているが、犬については失礼ながらまだ“巡り合わせ”の域を出ていない。
勿論これは挑発である。
犬育てに関しては…という自負が最近の私には感じられるようになった。

20年前にもそう感じた経験があり、当時の自負は見事に打ち砕かれ、さらに勉強と経験を積み重ねてきたつもりだが、これも一夜の自惚れに過ぎないことを過去から学んでいるつもりだ。
ただ、慎重になった今思うことは、犬と人の関わりにおいて重要なことは『究極と多様性の理解』ではなかろうか。

そして今の時代の中で間違っているのは、究極と多様性は本来分けて論じられるべきものなのに、究極の中に多様性を展開していることにあると思う。

通常、犬は人を咬んではいけないし、その財産と生活を1歳過ぎてからは破壊してもならないのは究極の一部に属する。
カヌーに乗ったり、サバイバルを生き抜いたり、アウトドアーを楽しんだり、使役犬をこなしたり、家庭犬と振舞うことは多様性によって適性が勘案されて良いはずだ。

酔って分け分からん展開になったが、それぞれの犬の個性は多様性の中で受け入れるべきであるが、それが社会的にあまりにも不都合な行為であるのに、“いぬのきもち”を優先して理解しようとするような“物分りの良い飼い主”にならぬよう、またそのように育てぬよう頑張ろうではないかということを伝えたかっただけである。
 

観光ですか?お仕事ですか? 2007年03月12日(月)

  「午後からバーニーズのバリーちゃんのトリミングが入りました。」
電話を切るとスタッフMは嬉しそうに私に伝えてくれた。
「だってバリーちゃんはいつも月曜日に来られるんですよね。私は月曜お休みだから、可愛い時期のバーニーズのバリーちゃんはママの話だけでまだ会ったことがないんですよ。楽しみ」とM。

Kは今日までお休みで、いつもなら月曜が休みのスタッフMが代わりにカフェを支えてくれていた。

待ち合わせのヨーキー連れの方が先に来店され、まもなくバリーもやって来た。
3回目のトレーニング以来数週間ぶりで一段とパワーアップしているようだった。
私はカフェの入り口でバリーの太いロープを預かり、ガーデンまでコントロールしながら連れて行った。
しばらく遊ばせたあとでトリミング室に連れて行ってシャンプー台に入れ、トリマーの麻未ちゃんが肛門嚢を絞り終えるまでバリーを保定し、全身をシャワーで濡らすのを確認した段階で「あとはよろしく。大変そうだったら手伝いに来るから」と言い残してカフェに戻った。

少しの間が空き、飼い主のMさん母娘とお友達がキョロキョロとカフェ内で犬を探しだした。
小さなヨーキーの姿が見えないので私もテーブルや座席の下を覗きながら
「ヨーキーちゃんですよね?」と何気なく声をかけた。

「いいえ、バリーです。」とMさん。

「え?バリーならトリミングしてますが…」
「え?バリーのトレーニングをお願いしてたんですが…」

スタッフMは電話を受けた際“トレーニング”を“トリミング”と聞き違え、思い込んでしまっていたのである。

私たちは心から謝罪した。
が、大変申し訳ないと思いつつも私は可笑しくて可笑しくてしようがなかった。
まるで“志村けん”の「観光ですか?お仕事ですか?」の世界である。

そういえば普段も、私たちは注文を何度か確認しながら世間話をするうちにそれを忘れて、恥ずかしながらまた聞き直すことがある。
結果的には間違った料理を出すまでには至ってない様だが、そのボケ加減がなんともほのぼのとして郷愁を誘うのだ。
幸いにも寛大な飼い主のMさんは「そろそろシャンプーの時期でしたのでいいんですよ」と仰ってくださり感謝感謝である。

この年代の集まりのカフェになるとレジの打ち間違えはしょっちゅう。
『こないだカフェで爪切りしてもらったのに精算のとき入れてなかったでしょ』と自己申告して下さる方も多数。
それでいて過払いの請求や苦情は無し。
そして今日の出来事である。

我がカフェもだんだんと成熟して“志村食堂”の域に達しつつあるようだ。
何が楽しいといってこんな間抜けで生活観溢れる人間模様を日々実感できることほど楽しいものはない。
おまけに犬たちが介在してくれているのである。

スタッフMは最後まで恐縮していたようだが、結石の手術を受けて間もないのに先々週からKの代わりを務め、休日返上で働いてくれたことに心から感謝し、彼女自身が楽しんでいることを期待したい。
 


- Web Diary ver 1.26 -