From the North Country

何はなくとも楽しい我が家 2007年03月02日(金)

  夕べ、我が家のKが無事帰国。
空港の駐車場で感動的な再会を果たしたアモはKの盛り上がりもあって1分弱大喜びの後、「帰るべ」と大人の対応。
「おなかがすいた」というKは、車内でおにぎりと温かいお茶に満足し、おにぎりの残りをアモに差し出したが、アモは鼻先をつけて臭いを嗅いだだけで「いりません」と無視。
「いらないんだったら最初から鼻ひっつけるな!」と、一週間の隙間は一気に埋められいつもの我が家の雰囲気が戻ってきていた。

帰宅後のアモはトランクから次々に出されるお土産に大喜びで、おもちゃを咥えたり異国の臭いを嗅ぎながらハワイアン・ドギートリーツを大事そうに食べていた。

男同士の短くも長〜い一週間だった。
私はアモを残すことになるから里塚温泉にも行かず家風呂とシャワーで身体を清め、夕食もすべて自宅で食し、その後この欄に立ち向かって早々に泥酔して朝を迎える毎日だった。
違ったのはKを送り出した定休日と迎えに行った定休日の2日間。
久しぶりの釣りでもしようかと頭では考えていたのに、結局はアモとドライブし釣りは見学だけにして、長い散歩を繰り返していた。

いつもなら平気でアモに留守番を頼んでいたのに、二人だけになると相方をひとりにするのが忍びなかったのは何故だろう。

ともあれいつもの生活に戻った。

感想はひとつ。
『(一途な)男が先に逝き、(したたかな)女が余生を楽しむ』のは道理に叶っている。
この意味は結構深い。
 

カフェの商売も大変なのだ 2007年02月28日(水)

  Kは旅行でトリマー兼カフェスタッフの麻未ちゃんも木曜まで東京ディズニーランド。
「火曜日は私一人しかいないんでできれば来店を控えてくださいね」
スタッフMが先週からそんなことを言うものだから、昨日の火曜日は開店休業状態となり、私は2階で昼寝と楽器をいじって時間を潰した。

そしてその反動が今日の水曜日にやってきた。
恐らく平日としては過去最高のご来店を頂き、私は間違いなく皿洗いとレジ打ちの自己新記録を打ち立てた。

「私が余計なことを言ったものだから…」
Mは神妙に反省しながらも、動きに動き回って次から次へと料理を完成させていった。
普通だったら殺気立つ厨房なのだろうが、私のカフェでは『別にいいじゃん。混んでるんだから仕方ないじゃん。やれるだけのことをやるしかないよ』という空気で、お客様も忍耐強く料理が運ばれるのを待っていてくださった。

「今月のパスタはこれで終了。仕込んだ材料ピッタリ完売。本当は今日のうちに来月のパスタを試作しようと材料を買ってきたのに…ってKさんに伝えておいてくださいね」とM。

こんなカフェの状況を一変させる出来事が閉店間際に起こった。
トリミングの最後の仕上げに入ったトイプードル/ロビンちゃんの口周りをカットした正にその時、瞬間的にぺろりと出した舌をトリマーが傷つけてしまったらしいのだ。
私が呼ばれたとほぼ同時に飼い主の方がお迎えに来られた。
傷ついた舌からは少量であるが持続的な出血があり、私は大事をとってすぐにS動物病院に電話を入れた。
いつもご利用いただいてる飼い主の方は穏やかに対応してくださったけれど、血が苦手で顔色が優れないので、私とトリマーは車で動物病院までお送りさせていただいた。
S先生の診断では幸いにも傷は浅く、飲み薬と経過観察となったが、ロビンのお母さんには申し訳なく、それ以上に寛大に受け入れてくださったことに心から感謝している。

トリミングの技術的なことは私には分からないが、年に1度位このようなミス(オープン3年で、耳の先を切ったのが2回、尾の先が1回、今回の舌は初めて)が起きていることは経営者として把握し責任を感じつつ再発防止の難しさも感じている。
爪切りの際の僅かな出血を含めるとこの数はさらに増えてしまうだろう。

果たして私にできることは何なのだろうと考える。
今は亡き初代トリマーののんちゃんには、保定が必要な場合すぐに声をかけるように言っていたことを思い出した。
『そうだ、そのことを徹底させよう』
事故を完璧に防げるのかどうか分からないけど、やるだけの配慮をして『ごめんなさい』と言えれば飼い主の方も理解していただけるだろうし、たとえ責められても自らを納得させることができるはずだ。
 

あなたの愛犬は何歳? 2007年02月27日(火)

  「あと2回寝れば母さん帰ってくるからね」
いや、私ではなく我が家の愛犬アモに言い聞かせた言葉だ。
今日も夕方に電話が入ったものだから受話器を耳にしたアモは夜9時を過ぎているのにまだ階下のカフェでKを待ち続けている。
アモは「あと2回寝れば」を理解せず「母さん」と「帰ってくる」を結びつけて下で待っているのだ。

いつもながら中途半端に言葉を理解しているものだから気の毒に思う。
だが、アモの言葉の理解力は私の英語のヒヤリングより優れていることは彼の名誉の為に付け加えなければならない。
私は未だに“I can”と“I can't”の聞き分けができないから話がとんでもない方向に向かうことがある。

今日の散歩の途中、私は手袋の片方を落としたことに気づいた。
「あれ?手袋ない」と声に出すとアモは途端にきびすを返して来た道を戻り始めた。
残念ながら数十メートル歩いた時点でアモの頭から『手袋』のことは忘れ去られたようだが、さらに200メートルほど戻った雪上に黒い手袋を私が発見した。
「アモ、取って」と言うとアモは手袋を咥えて私に放り投げた。
「ちゃんと取って」と言い直すと私の手のひらにしっかり渡してくれた。
私なら英語でそう言われても理解できない内容だったかもしれず、相手の視線や表現でようやく飲み込めたかもしれないのに、抑揚を抑えた私の言葉にアモはすばやく的確に反応してくれた。

犬が日常会話の中から言葉を覚えるのは愛犬家ならすべての方がご存知だろう。
ごはん・おやつ・牛乳・お水・散歩・行く?・留守番・父さん・母さん・兄ちゃん・姉ちゃん・○○ちゃん・シッコ・ウンチ・公園・リード…これらに命令語を加えれば果たして犬たちはどれだけの言葉を理解できるのだろう。
そのうえ、家庭内の雰囲気までもすぐに察知して次の振る舞いを起こしてしまう。

「犬の年齢を人間に例えれば何歳ぐらいでしょうか?」
そんな質問を頂くことがあるけれど、犬の知能は人間の子供と対比してどのくらいあると飼い主の方はお考えだろう?
私は言葉の理解力において4〜5歳まで高められると思っている。
勿論4〜5歳の人の能力をすべて持ち合わせているわけではないし、20歳以上あるいは60歳以上の穏やかさや忍耐力・寛容さを持っている側面もある。

まず確認しておこう。
彼らは言葉を理解する生き物である。
彼らの精神的な発達は本来、肉体年齢と相関的関係にあり、彼らは人間以上に早く発達し早く成熟し早く衰える。

これらの常識を押さえたうえで愛犬と付き合い、人間の子供に対するがごとく“言葉を提示し現実に体現させる”ことで基礎的教育が行われる。
多くの方はこの基礎的教育のレベルで満足し、日々その範疇で愛犬と暮らしているのだろうが私は違う。

それらはあくまでも基礎でありその先が犬と暮らす喜びなのだ。
次の段階は言葉によって具体的な行動を完成させることで、一般家庭の愛犬の場合、たまたま犬が行った行動を人間的に説明し強化し利用するものである。
例えば「バーン!」と言えばひっくり返ったり、サーフィン好きな犬と暮らすことである。

それではこの飼い主たちに、無作為に渡した犬でもそのようなことができるかといえば不可能なケースが多い。
彼らはたまたま愛犬が示した興味を見抜いて発展させたに過ぎないからだ。

盲導犬のような使役犬になると、特定の犬が持ち合わせている能力を引き出し解発するシステムが確立されているから、彼らはその作業を確実に行うようになる。

最終的に難しく最大の喜びになるのが、抽象的表現の理解であり、通じる冗談であり、極端な場合ウソである。
犬と暮らした時に、これらを含めて生活のリズムができればいいなと思う。

過去の犬たちはそのように育ってくれたし、夜10時を過ぎてアモは私の呼びかけに仕方なく2階に上がってきた。
まずは『明日』を教える努力と彼らの能力を解発できる確信を持てば、愛犬との暮らしは一層深まると信じている。

分け分からんうちに飲み潰れそうだから今夜はこのあたりでおやすみなさい。
 

訳分からん話 2007年02月26日(月)

  気難しい私にとってのお酒は、程よく緊張感をほぐし人並みの付き合いができるようになるための必須アイテムだと感じる。
本来なら朝からワイン程度のアルコールを適度に注入していると、町内の方へも気軽に挨拶をし言葉を交わせるだろうし、カフェでももっと親しまれるようなキャラが出せるのは間違いない。
社会的に迷惑をかけるどころか、より貢献度が増す自信がある。

焼酎のようにアルコール度数が高いものや、私にとっては酔いやすい日本酒と多めのビールは歯止めを失うことがあるので、たとえ休日であっても朝からこれらを口にすることはないし何より身体が絶対拒否する。

しかし私が存在している現代社会はそうは受け止めない。
誰もが起こす可能性を秘めている交通(過失)事故においてはとりわけシビアな社会であり、酔っていたかなど問題ではなく飲んでいたかあるいはアルコールが残っていたかが重視される社会である。
現実にそこに起因する事故が多発しているし、事故に遭われた方や仮に自分が遺族にでもなったら許しがたい怒りに打ち震えることだろう。

『飲んだら乗らない』は他者と己を守るための現代社会の鉄則となっている。

自家用車が普及していない子供の頃、酒飲みで嫌われたのは酔っ払いであり酒癖の悪い大人たちだった。
一方で程よく飲んだ男たちは歓迎されていた記憶がある。
親父が勤めていた九州の炭鉱には『倶楽部』と呼ばれる保養の集会所があり、幼稚園児だった私は母に連れられて酔い潰れた親父を度々迎えに行っていた。
暗い夜道の途中にある電柱の傘の突いた裸電球の下にはトカゲのようなヤモリが何匹も張り付いていた映像が今でも頭の中に残っている。

親父は酒に飲まれ母に暴力を振るうこともあった。
口うるさい母に落ち度も感じていたが私は母を守った。

今、私は親父の血を引き継いで酒を飲むが、そのことで暴力を振るったことは一度もないし、迷惑はかけても愛される酒飲みだと思っている。

今日も当然我が家の愛犬アモと散歩をしてきた。
今年の雪は少ないとはいえ辺りは雪に覆われており、除雪された歩道を歩くこともある。
前方から来る方がいたので私はアモを手元に引き寄せリードを短く持ち、『不安かもしれませんが安全に配慮してますよ』という姿勢を見せた。
しかし相手の反応は『犬は犬だべ』というもので、その瞬間に私は『酒飲みにも反論はあるのだぞ』と考え、すぐに現代社会の進歩と規制つまり常識について頭をめぐらせた。

なぜ犬を連れているだけで嫌な顔をされなきゃいけないんですか?
カフェの営業中だから私はワインすらも口にしてはいけないのですか?
ちょっと違う?
 

頑張れS君!非科学を含めて科学して欲しい 2007年02月25日(日)

  Kがいない土日を無事乗り切ることができスタッフに感謝である。
そのKから時差19時間の僅かなタイミングを利用した電話がかかってきたが、如何せん私はアモとの散歩途中だったため、結局留守録からの転送となってしまった。
元気に過ごしているそうで一安心だ。

さて、盲導犬のパピーウォーカーをされているIさんが今日カフェを訪ねてくれた。
今回育てている愛犬はまだ生後4ヶ月であるが、控えめで大人しく暮らしやすそうだ。
ただ、自宅には他にゴールデンとラブがいるので「散歩はこの子一人で行うように」とアドバイスしたのは、いつも書いているように、多頭飼いの場合、後から来た犬は先住犬に守られるような意識が芽生え、自ら越えるべき壁を越えることがないから、時に誤った方向に向かう可能性が高いからだ。

今日の朝日新聞に盲導犬の適性をDNAから解析する研究が掲載されていた。
盲導犬の真の適性というものは飼育環境や生育経験によっても変わりづらく保持されるものであるからこの研究は大いに期待されるべきものである。

だが、この研究が真に盲導犬事業の成功を意味するわけではないことも知っておかなければならない。
何故なら、『成功か不成功か』言い換えれば『適性があるかないか』あるいは結果的に『使用者にとって良い盲導犬だったか否か』を評価する基準の設定に非科学的な要素が含まれるからだ。

少なくとも訓練環境と訓練士のノウハウ、使用者の能力と使用環境によって評価は異なるし、指導員の知識や人間性あるいは使用者の性格などによって結果は左右されかねないのである。
つまり同じ能力を盲導犬が発揮したとしても、訓練者や使用者に同じ満足度を与えるとは限らず、物差しを何処に置き何を普遍の資質と捉えるかが課題となる。

書いていることに筋が通っているのか分からない程度に程よく酔っている。

結論として、今後の研究成果に大いなる期待を寄せており、深めれば新たな壁が立ちはだかるだろう。
この研究が短期的な研究室だけのテーマに留まらず、幅広い知識の結集になり、しっかりした結果を出せるまでに発展して欲しいと願っている。

北海道盲導犬協会のS君は獣医学的科学者に成長しているだろうし盲導犬訓練士であり指導員の経験もある。
彼が正しい方向性を多くの研究者に示してくれていることを大いに心から期待している。
 

北海道発 2007年02月24日(土)

  カフェで残ったご飯をスタッフMが持ち帰ってくれたおかげで、夕食は回転寿司にありつくことができた。
回転寿司といっても北海道のそれは本州の普通の鮨屋さんより私は美味しいと思っている。
蒸したイカやエビなどどう探してもないし、旬の時期にはサンマやイワシが生で食べられる。
お米だって最近の道産米は本当にうまい。
まあ、あの値段で食べられるのだからいわく付きのネタもあるのだろうがそれは知らぬが仏である。

持ち帰りのネタを吟味していると、目だけはいろんなものを欲しがった。
「お箸は何膳お付けしましょうか?」とレジで不意をつかれ
「え?、あぁ…、に、2膳」とたじたじになって答えてしまったけれど、あれじゃ『一人でこんなに食うのか』とバレバレだったはずだ。

ともあれ、美味しゅうございました。
満腹で動けなくなり、目が覚めたら日付が変わろうとしている。

今朝は目覚ましで一度目が覚めたものの、それを抱きかかえて二度寝し90分後に慌てて飛び起きた。
おまけに除雪しなければならず・・・結局手を抜いた。

さて、最高気温が0度以下の真冬日のカフェだったが、元気一杯に遊びまわる若い犬たちや、『もうそんなの卒業しました』と普通に遊ぶ犬たち、それに全く周囲に惑わされない独立独歩の犬たちや『どうぞお構いなく』とさりげなく他犬を避ける犬がいて見ていてとても面白い。
彼らが犬種や性格の違いをどう感じているかは知らないけれど、少なくとも無用なトラブルを招かないようお互いに配慮していることは伺える。

あれほど他犬に無神経で無礼な振る舞いをしていたラブラドールのさくらとクロ坊もずいぶんと成長しわきまえることを学んでくれているし、他犬が苦手だったビションのポンやミックスのタビも良い方向に向かっている。
魔法のようにすぐに変わっているのではなく、安全な環境でじっくり時間をかけ、時に毅然と制御しつつも基本として楽しい時間を過ごすことで、彼ら自身が学び成長している。
当然のことながら、何を学び、何を善しとし悪とするのかの方向性は人が決め、導いている。
『教育とは教えられたことをすべて忘れたとしてもなお残るもの』
私たちのカフェは教育のための遊び場だ。

この調子じゃ明朝も寝坊しそう。おやすみ。
 

無題 2007年02月23日(金)

  午前中から雨が降っていた。
周辺の道路はザクザク状態だが今年の雪の少なさが幸いし立ち往生する車はなかった。
ガーデンでは一部で氷の上に水溜りができ滑りやすい状況だ。
今年は腰の痛みで残念ながらトンネルを掘ることはできなかったけれど例年にない大きな雪山が残っている。
昨年も暖冬で2月26日にこの雪山を吹き飛ばした記憶があるが、その後3月下旬の大雪で80センチの吹き溜まりができたり結局雪は4月中旬まで降っていた。

さて、ひょんなことからKが昨日から旅行に出かけ、来週の定休日まで久しぶりの一人暮らし、いや正確にはアモと二人暮らしである。
いつもの外出ならKが戻ってくるまで2階ではなくカフェでじっと待っているアモだが、昨日は空港まで一緒に送り、トランクを運ぶ姿を見せていたからある程度のことは理解して2階で横たわっている。
それでもいつもより音に敏感になり、時折聞き耳を立てるような仕草が愛らしい。

私はといえば、目覚まし時計を設定し、すべての部屋のカーテンを開放し、ごみを集め掃除機をかけ食事を作って片づけをし、それなりにやっている。(ヤバイ!今日の愛犬美容室で使用したタオル類の洗濯をしていないことに今気づいた。)
今夜の夕食は回転寿司の持ち帰りと決めていたのに、ヒマだったカフェのご飯が残っているとスタッフMが言うので仕方なくおかずを作って食べた。

酒とタバコの量に変化はないが、夜は起きていても話し相手もなくつまらないので夕べは相当早く寝たし今夜もそうなりそうだ。

実はお泊り犬の依頼を断った。
いつもはKが担当するワンちゃんだったのでやむを得ない。
これから一週間のカフェはスタッフMが切り盛りしてくれるので問題はないし感謝している。

今夜のテーマは無し。
さっさとこの欄を埋めて酒をあおり、ソファーではなくちゃんとパジャマに着替えてベッドで寝ることが達成目標だ。
 

生体販売の行きつくところ 2007年02月20日(火)

  「ペットショップに犬と触れ合うコーナーがあって、そこの犬たちを入れ替えることになり、今まで使っていた犬を譲渡する話があって、引き取るかどうか迷っているのですが…」
既にウェスティーの雌犬を飼っておられる方が、ケアンテリア5歳の未去勢犬の引取りで悩んでおられ今日カフェに相談にこられた。

人の優しさにつけ込んだ生体販売を行うペットショップの新たな手口が垣間見られる相談に唖然とし商魂の逞しさを憎憎しく思った。

私が勝手に想像し、恐らく現実的なストーリーは以下のようになる。

1.身の毛もよだつ生体販売システムを行う大手ペットショップでは、成長しすぎて売れ残る犬たちが必ず存在する。

2.そのような犬たちは金がかからぬよう人目に付かないところで遺棄されたり、処分されたりしていたが、別ルートで怪しげな組織に引き取られることもあった。

3.ある程度金がかかるのは仕方がないと考えた良心的な?業者は、動物管理センターに持ち込み、金を払って殺処分を依頼していた。

4.時代は進み、そのような対応に反発するまともな心を持ったスタッフが現れ、最初のうちはそんな人間はクビにすればよかったものの、内部告発が行われ犬がらみのいろんな事件がマスコミを通じて報道されるようになり、世間の風当たりを意識するようになると悪徳経営者は新たな方向を模索し始めた。

5.「そうだ!」と膝を打った悪徳業者は、純粋に犬を愛しその道の専門学校などで学んだ若者たちを安く雇用して、売れ残った犬たちのしつけを託し、『ふれあいコーナー』なる代物を開設して、一般の人々の心を誘惑し生体売り上げを伸ばすことに成功した。

6.そして『ふれあいコーナー』の犬たちがある程度の年をとり、マンネリ化すると『入れ替え』を行い、過去の犬たちは良心的なスタッフが引き取ったり、今回のような“愛犬家の良心につけ込む”分譲が行われるのであり、最終的には処分されるのである。

何度も書こう。
現物展示の生体販売など許されないのだ!
最初のボタンの掛け違いは、どんなに問題を先送りにしても根本を解決しない限り新たな問題を生じるだけなのだ。

「だけど犠牲に出来ない犬が目の前にいる。」
今日の相談者の優しさには心打たれるものがあり、その反発を悪徳業者に数万倍に増幅して打ち返してやりたいと心から思った。

犬を飼う前にはドッグカフェナガサキで相談しよう。
生体販売を行うショップなど根絶させよう!
そんなショップで働く良心的な人間からの内部告発に耳を傾け彼らを勇気付けよう!
 

老いを前向きに考えてみた 2007年02月19日(月)

  日中は眼鏡なしでもパソコンの画面が読めるのに、酒が入ると途端にピンボケになって「めがねめがね」と探し回る今日この頃だ。
年を重ねることと酒が入ることはどこか共通するものがあり、両方を実践している私などは視力だけでなく身体中に異変を実感するようになっている。

左足親指の付け根付近は疲労骨折したように痛み出してシップで抑えているし、右手のひらの骨という骨はリードの持ち方を誤ると悲鳴を上げたくなるような痛みに襲われるからサポーターをすることもある。

膝と腰は既に持病になっているから、付き合い方を間違わなければ大事に至ることはないが、今年に入ってタイツと簡易コルセットをつけ始めたら手放せなくなってしまった。

それでいて頭はしっかり(?)しているように思うものだから、身体と心に妙なギャップが感じられ、老いとはこんな始まり方をするのだろうと興味を抱いている。
つまり老いとは“頭では分かっていても思うようにいかない。”ものなのだろう。

でも、なんちゃない。
考えてみれば、それは老い始めた今に限らず人生そのものではないか。

眼鏡をかければ見えるじゃん。
シップとサポーターで無理できるべ。
タイツとコルセット着けりゃ普通にできるじゃんか。
50過ぎても夜中にネットオークションで思い出のアルバムを落札し、近くのコンビニで受け渡しすれば送料無料にできる術を知ってりゃ大したもんぞ。

それでドッグカフェやって老夫婦ふたりと医療費のかかるデカ犬が、世間様に迷惑もかけず無事食っているなら誰が文句が言えようぞ。
ましてやこのまま完全に老いる前にコロッと逝こうものなら今の時代『ヒョーショージョー』ではないか!

まあ、そうはいかない事情が出来つつある。
生後数ヶ月の若い犬たちがカフェにやってくるケースが増えているからだ。
求められれば適切なアドバイスをして良き家庭犬に育って欲しいと願うのは私とKの喜びにもなっている。

老い始めたことを悲観しても老いるだけだろうから、具体的な痛みや不自由を受け入れた上で、どうすればそれを克服し、やりたいことをやれるかを考えチャレンジしていくべきなのだろう。
 

吠える犬と飼い主 2007年02月17日(土)

  愛犬の吠え声で困っている方はかなりの数に上り、かく言う我が家の愛犬アモも吠えることが一因で盲導犬の適性を欠いた。
アモの吠えは遺伝的な警戒による面が多分にあるから、全面解決は不可能である。
でも、それが好ましくない行動だと示すことで、反射的な声は出ても、その後の意図的な声を抑えることは可能であり、我が家に来てからアモの吠えに対しては相当なしつけを行い、今ではほとんど気にならないまでになっている。

犬には声を出したり吠えるという機能が備わっているが、何も闇雲に吠えるわけではなく、彼らにとって訳あってのことだろう。

1.警戒や威嚇の吠えは、強気であったり逆に不安・恐怖から発せられることもあるし、仲間内の争いをはやし立てる場合もある。
2.祖先の狼のように哀愁を帯びた遠吠えをすることは少なくなったものの、切なさや寂しさを声に出すのは珍しくない。
3.痛みや恐怖の極みの際に発する声もある。

今夜の話題は4番目以降に続くはずの、欲求あるいは要求それと興奮による吠えについてである。

@欲求による吠え
ここでいう欲求とは生存に関する本能に根ざした部分のことであり、そこから発せられる吠えはたとえ人間には耳障りなことであっても犬にとっては正当なものであり、飼い主がきちんと飼育責任を果たすことによって解消するべき吠えである。
例えば、適切な給餌・飲み水の提供・快適な寝床・必要な運動と排泄・健康状態の維持と必要な治療・愛犬との心の関わりであったり、避妊されてない犬たちが種の保存の為に突き動かされる衝動から発する吠えで、この吠え声を放置する飼い主を危うい人間と私は見る。

A要求と興奮で吠える
ここでいう要求と興奮で吠える犬とは、既に正当な生存環境が満たされ且つ健康に育てられているにも関わらず吠える犬であり、生後一年未満の場合にはある程度の許容が伴う。
結論から言うとこれらの犬は、遺伝的な警戒心で吠える犬よりずっと確実に簡単に吠える習慣をやめさせることが出来る。(正確には、興奮によって吠える犬の方がちょっと難しいが)

『要求や興奮で吠え(させ)る犬の飼い主は、必ずその他にも問題を抱えている』というのが私の持論だ。
誤解して欲しくないのは、きちんとした飼い主でも個々の犬の性質や犬種特性で想像以上のエネルギーを要することがあり、「そこまで対応できないよ!」との切実な悲鳴があることも事実なのだが、多くの飼い主は犬に振り回され成すがままにさせられている。

人間力が弱い人もいるから安易なことは言えないが、要求や興奮による吠えを直そうとしてしているのに、あと一歩のところで届かない飼い主の多くが持っている共通の課題を最後に書いておこう。

それは一貫性の無さである。
・犬は3回叱っても残りの7回を叱らなければその行動をやめることは無い。
・犬に対する叱りとはその行為を止めさせる事ではなく、多くの場合言い聞かせることでもなく、行為を後悔させ、次に同じ行為を行うことにためらいと叱られる覚悟を持たせることである。
・叱るときには決して相手を追い詰めてはならず、こちらの意図する方向への逃げ道を設けておかなければならない。

このことについてはもっと書きたくなったが、今夜はおしまい。
もう遅くなったしテーマとしてデカ過ぎるし酔っちまった。
 


- Web Diary ver 1.26 -