From the North Country

訳分からん話 2007年02月26日(月)

  気難しい私にとってのお酒は、程よく緊張感をほぐし人並みの付き合いができるようになるための必須アイテムだと感じる。
本来なら朝からワイン程度のアルコールを適度に注入していると、町内の方へも気軽に挨拶をし言葉を交わせるだろうし、カフェでももっと親しまれるようなキャラが出せるのは間違いない。
社会的に迷惑をかけるどころか、より貢献度が増す自信がある。

焼酎のようにアルコール度数が高いものや、私にとっては酔いやすい日本酒と多めのビールは歯止めを失うことがあるので、たとえ休日であっても朝からこれらを口にすることはないし何より身体が絶対拒否する。

しかし私が存在している現代社会はそうは受け止めない。
誰もが起こす可能性を秘めている交通(過失)事故においてはとりわけシビアな社会であり、酔っていたかなど問題ではなく飲んでいたかあるいはアルコールが残っていたかが重視される社会である。
現実にそこに起因する事故が多発しているし、事故に遭われた方や仮に自分が遺族にでもなったら許しがたい怒りに打ち震えることだろう。

『飲んだら乗らない』は他者と己を守るための現代社会の鉄則となっている。

自家用車が普及していない子供の頃、酒飲みで嫌われたのは酔っ払いであり酒癖の悪い大人たちだった。
一方で程よく飲んだ男たちは歓迎されていた記憶がある。
親父が勤めていた九州の炭鉱には『倶楽部』と呼ばれる保養の集会所があり、幼稚園児だった私は母に連れられて酔い潰れた親父を度々迎えに行っていた。
暗い夜道の途中にある電柱の傘の突いた裸電球の下にはトカゲのようなヤモリが何匹も張り付いていた映像が今でも頭の中に残っている。

親父は酒に飲まれ母に暴力を振るうこともあった。
口うるさい母に落ち度も感じていたが私は母を守った。

今、私は親父の血を引き継いで酒を飲むが、そのことで暴力を振るったことは一度もないし、迷惑はかけても愛される酒飲みだと思っている。

今日も当然我が家の愛犬アモと散歩をしてきた。
今年の雪は少ないとはいえ辺りは雪に覆われており、除雪された歩道を歩くこともある。
前方から来る方がいたので私はアモを手元に引き寄せリードを短く持ち、『不安かもしれませんが安全に配慮してますよ』という姿勢を見せた。
しかし相手の反応は『犬は犬だべ』というもので、その瞬間に私は『酒飲みにも反論はあるのだぞ』と考え、すぐに現代社会の進歩と規制つまり常識について頭をめぐらせた。

なぜ犬を連れているだけで嫌な顔をされなきゃいけないんですか?
カフェの営業中だから私はワインすらも口にしてはいけないのですか?
ちょっと違う?
 

頑張れS君!非科学を含めて科学して欲しい 2007年02月25日(日)

  Kがいない土日を無事乗り切ることができスタッフに感謝である。
そのKから時差19時間の僅かなタイミングを利用した電話がかかってきたが、如何せん私はアモとの散歩途中だったため、結局留守録からの転送となってしまった。
元気に過ごしているそうで一安心だ。

さて、盲導犬のパピーウォーカーをされているIさんが今日カフェを訪ねてくれた。
今回育てている愛犬はまだ生後4ヶ月であるが、控えめで大人しく暮らしやすそうだ。
ただ、自宅には他にゴールデンとラブがいるので「散歩はこの子一人で行うように」とアドバイスしたのは、いつも書いているように、多頭飼いの場合、後から来た犬は先住犬に守られるような意識が芽生え、自ら越えるべき壁を越えることがないから、時に誤った方向に向かう可能性が高いからだ。

今日の朝日新聞に盲導犬の適性をDNAから解析する研究が掲載されていた。
盲導犬の真の適性というものは飼育環境や生育経験によっても変わりづらく保持されるものであるからこの研究は大いに期待されるべきものである。

だが、この研究が真に盲導犬事業の成功を意味するわけではないことも知っておかなければならない。
何故なら、『成功か不成功か』言い換えれば『適性があるかないか』あるいは結果的に『使用者にとって良い盲導犬だったか否か』を評価する基準の設定に非科学的な要素が含まれるからだ。

少なくとも訓練環境と訓練士のノウハウ、使用者の能力と使用環境によって評価は異なるし、指導員の知識や人間性あるいは使用者の性格などによって結果は左右されかねないのである。
つまり同じ能力を盲導犬が発揮したとしても、訓練者や使用者に同じ満足度を与えるとは限らず、物差しを何処に置き何を普遍の資質と捉えるかが課題となる。

書いていることに筋が通っているのか分からない程度に程よく酔っている。

結論として、今後の研究成果に大いなる期待を寄せており、深めれば新たな壁が立ちはだかるだろう。
この研究が短期的な研究室だけのテーマに留まらず、幅広い知識の結集になり、しっかりした結果を出せるまでに発展して欲しいと願っている。

北海道盲導犬協会のS君は獣医学的科学者に成長しているだろうし盲導犬訓練士であり指導員の経験もある。
彼が正しい方向性を多くの研究者に示してくれていることを大いに心から期待している。
 

北海道発 2007年02月24日(土)

  カフェで残ったご飯をスタッフMが持ち帰ってくれたおかげで、夕食は回転寿司にありつくことができた。
回転寿司といっても北海道のそれは本州の普通の鮨屋さんより私は美味しいと思っている。
蒸したイカやエビなどどう探してもないし、旬の時期にはサンマやイワシが生で食べられる。
お米だって最近の道産米は本当にうまい。
まあ、あの値段で食べられるのだからいわく付きのネタもあるのだろうがそれは知らぬが仏である。

持ち帰りのネタを吟味していると、目だけはいろんなものを欲しがった。
「お箸は何膳お付けしましょうか?」とレジで不意をつかれ
「え?、あぁ…、に、2膳」とたじたじになって答えてしまったけれど、あれじゃ『一人でこんなに食うのか』とバレバレだったはずだ。

ともあれ、美味しゅうございました。
満腹で動けなくなり、目が覚めたら日付が変わろうとしている。

今朝は目覚ましで一度目が覚めたものの、それを抱きかかえて二度寝し90分後に慌てて飛び起きた。
おまけに除雪しなければならず・・・結局手を抜いた。

さて、最高気温が0度以下の真冬日のカフェだったが、元気一杯に遊びまわる若い犬たちや、『もうそんなの卒業しました』と普通に遊ぶ犬たち、それに全く周囲に惑わされない独立独歩の犬たちや『どうぞお構いなく』とさりげなく他犬を避ける犬がいて見ていてとても面白い。
彼らが犬種や性格の違いをどう感じているかは知らないけれど、少なくとも無用なトラブルを招かないようお互いに配慮していることは伺える。

あれほど他犬に無神経で無礼な振る舞いをしていたラブラドールのさくらとクロ坊もずいぶんと成長しわきまえることを学んでくれているし、他犬が苦手だったビションのポンやミックスのタビも良い方向に向かっている。
魔法のようにすぐに変わっているのではなく、安全な環境でじっくり時間をかけ、時に毅然と制御しつつも基本として楽しい時間を過ごすことで、彼ら自身が学び成長している。
当然のことながら、何を学び、何を善しとし悪とするのかの方向性は人が決め、導いている。
『教育とは教えられたことをすべて忘れたとしてもなお残るもの』
私たちのカフェは教育のための遊び場だ。

この調子じゃ明朝も寝坊しそう。おやすみ。
 

無題 2007年02月23日(金)

  午前中から雨が降っていた。
周辺の道路はザクザク状態だが今年の雪の少なさが幸いし立ち往生する車はなかった。
ガーデンでは一部で氷の上に水溜りができ滑りやすい状況だ。
今年は腰の痛みで残念ながらトンネルを掘ることはできなかったけれど例年にない大きな雪山が残っている。
昨年も暖冬で2月26日にこの雪山を吹き飛ばした記憶があるが、その後3月下旬の大雪で80センチの吹き溜まりができたり結局雪は4月中旬まで降っていた。

さて、ひょんなことからKが昨日から旅行に出かけ、来週の定休日まで久しぶりの一人暮らし、いや正確にはアモと二人暮らしである。
いつもの外出ならKが戻ってくるまで2階ではなくカフェでじっと待っているアモだが、昨日は空港まで一緒に送り、トランクを運ぶ姿を見せていたからある程度のことは理解して2階で横たわっている。
それでもいつもより音に敏感になり、時折聞き耳を立てるような仕草が愛らしい。

私はといえば、目覚まし時計を設定し、すべての部屋のカーテンを開放し、ごみを集め掃除機をかけ食事を作って片づけをし、それなりにやっている。(ヤバイ!今日の愛犬美容室で使用したタオル類の洗濯をしていないことに今気づいた。)
今夜の夕食は回転寿司の持ち帰りと決めていたのに、ヒマだったカフェのご飯が残っているとスタッフMが言うので仕方なくおかずを作って食べた。

酒とタバコの量に変化はないが、夜は起きていても話し相手もなくつまらないので夕べは相当早く寝たし今夜もそうなりそうだ。

実はお泊り犬の依頼を断った。
いつもはKが担当するワンちゃんだったのでやむを得ない。
これから一週間のカフェはスタッフMが切り盛りしてくれるので問題はないし感謝している。

今夜のテーマは無し。
さっさとこの欄を埋めて酒をあおり、ソファーではなくちゃんとパジャマに着替えてベッドで寝ることが達成目標だ。
 

生体販売の行きつくところ 2007年02月20日(火)

  「ペットショップに犬と触れ合うコーナーがあって、そこの犬たちを入れ替えることになり、今まで使っていた犬を譲渡する話があって、引き取るかどうか迷っているのですが…」
既にウェスティーの雌犬を飼っておられる方が、ケアンテリア5歳の未去勢犬の引取りで悩んでおられ今日カフェに相談にこられた。

人の優しさにつけ込んだ生体販売を行うペットショップの新たな手口が垣間見られる相談に唖然とし商魂の逞しさを憎憎しく思った。

私が勝手に想像し、恐らく現実的なストーリーは以下のようになる。

1.身の毛もよだつ生体販売システムを行う大手ペットショップでは、成長しすぎて売れ残る犬たちが必ず存在する。

2.そのような犬たちは金がかからぬよう人目に付かないところで遺棄されたり、処分されたりしていたが、別ルートで怪しげな組織に引き取られることもあった。

3.ある程度金がかかるのは仕方がないと考えた良心的な?業者は、動物管理センターに持ち込み、金を払って殺処分を依頼していた。

4.時代は進み、そのような対応に反発するまともな心を持ったスタッフが現れ、最初のうちはそんな人間はクビにすればよかったものの、内部告発が行われ犬がらみのいろんな事件がマスコミを通じて報道されるようになり、世間の風当たりを意識するようになると悪徳経営者は新たな方向を模索し始めた。

5.「そうだ!」と膝を打った悪徳業者は、純粋に犬を愛しその道の専門学校などで学んだ若者たちを安く雇用して、売れ残った犬たちのしつけを託し、『ふれあいコーナー』なる代物を開設して、一般の人々の心を誘惑し生体売り上げを伸ばすことに成功した。

6.そして『ふれあいコーナー』の犬たちがある程度の年をとり、マンネリ化すると『入れ替え』を行い、過去の犬たちは良心的なスタッフが引き取ったり、今回のような“愛犬家の良心につけ込む”分譲が行われるのであり、最終的には処分されるのである。

何度も書こう。
現物展示の生体販売など許されないのだ!
最初のボタンの掛け違いは、どんなに問題を先送りにしても根本を解決しない限り新たな問題を生じるだけなのだ。

「だけど犠牲に出来ない犬が目の前にいる。」
今日の相談者の優しさには心打たれるものがあり、その反発を悪徳業者に数万倍に増幅して打ち返してやりたいと心から思った。

犬を飼う前にはドッグカフェナガサキで相談しよう。
生体販売を行うショップなど根絶させよう!
そんなショップで働く良心的な人間からの内部告発に耳を傾け彼らを勇気付けよう!
 

老いを前向きに考えてみた 2007年02月19日(月)

  日中は眼鏡なしでもパソコンの画面が読めるのに、酒が入ると途端にピンボケになって「めがねめがね」と探し回る今日この頃だ。
年を重ねることと酒が入ることはどこか共通するものがあり、両方を実践している私などは視力だけでなく身体中に異変を実感するようになっている。

左足親指の付け根付近は疲労骨折したように痛み出してシップで抑えているし、右手のひらの骨という骨はリードの持ち方を誤ると悲鳴を上げたくなるような痛みに襲われるからサポーターをすることもある。

膝と腰は既に持病になっているから、付き合い方を間違わなければ大事に至ることはないが、今年に入ってタイツと簡易コルセットをつけ始めたら手放せなくなってしまった。

それでいて頭はしっかり(?)しているように思うものだから、身体と心に妙なギャップが感じられ、老いとはこんな始まり方をするのだろうと興味を抱いている。
つまり老いとは“頭では分かっていても思うようにいかない。”ものなのだろう。

でも、なんちゃない。
考えてみれば、それは老い始めた今に限らず人生そのものではないか。

眼鏡をかければ見えるじゃん。
シップとサポーターで無理できるべ。
タイツとコルセット着けりゃ普通にできるじゃんか。
50過ぎても夜中にネットオークションで思い出のアルバムを落札し、近くのコンビニで受け渡しすれば送料無料にできる術を知ってりゃ大したもんぞ。

それでドッグカフェやって老夫婦ふたりと医療費のかかるデカ犬が、世間様に迷惑もかけず無事食っているなら誰が文句が言えようぞ。
ましてやこのまま完全に老いる前にコロッと逝こうものなら今の時代『ヒョーショージョー』ではないか!

まあ、そうはいかない事情が出来つつある。
生後数ヶ月の若い犬たちがカフェにやってくるケースが増えているからだ。
求められれば適切なアドバイスをして良き家庭犬に育って欲しいと願うのは私とKの喜びにもなっている。

老い始めたことを悲観しても老いるだけだろうから、具体的な痛みや不自由を受け入れた上で、どうすればそれを克服し、やりたいことをやれるかを考えチャレンジしていくべきなのだろう。
 

吠える犬と飼い主 2007年02月17日(土)

  愛犬の吠え声で困っている方はかなりの数に上り、かく言う我が家の愛犬アモも吠えることが一因で盲導犬の適性を欠いた。
アモの吠えは遺伝的な警戒による面が多分にあるから、全面解決は不可能である。
でも、それが好ましくない行動だと示すことで、反射的な声は出ても、その後の意図的な声を抑えることは可能であり、我が家に来てからアモの吠えに対しては相当なしつけを行い、今ではほとんど気にならないまでになっている。

犬には声を出したり吠えるという機能が備わっているが、何も闇雲に吠えるわけではなく、彼らにとって訳あってのことだろう。

1.警戒や威嚇の吠えは、強気であったり逆に不安・恐怖から発せられることもあるし、仲間内の争いをはやし立てる場合もある。
2.祖先の狼のように哀愁を帯びた遠吠えをすることは少なくなったものの、切なさや寂しさを声に出すのは珍しくない。
3.痛みや恐怖の極みの際に発する声もある。

今夜の話題は4番目以降に続くはずの、欲求あるいは要求それと興奮による吠えについてである。

@欲求による吠え
ここでいう欲求とは生存に関する本能に根ざした部分のことであり、そこから発せられる吠えはたとえ人間には耳障りなことであっても犬にとっては正当なものであり、飼い主がきちんと飼育責任を果たすことによって解消するべき吠えである。
例えば、適切な給餌・飲み水の提供・快適な寝床・必要な運動と排泄・健康状態の維持と必要な治療・愛犬との心の関わりであったり、避妊されてない犬たちが種の保存の為に突き動かされる衝動から発する吠えで、この吠え声を放置する飼い主を危うい人間と私は見る。

A要求と興奮で吠える
ここでいう要求と興奮で吠える犬とは、既に正当な生存環境が満たされ且つ健康に育てられているにも関わらず吠える犬であり、生後一年未満の場合にはある程度の許容が伴う。
結論から言うとこれらの犬は、遺伝的な警戒心で吠える犬よりずっと確実に簡単に吠える習慣をやめさせることが出来る。(正確には、興奮によって吠える犬の方がちょっと難しいが)

『要求や興奮で吠え(させ)る犬の飼い主は、必ずその他にも問題を抱えている』というのが私の持論だ。
誤解して欲しくないのは、きちんとした飼い主でも個々の犬の性質や犬種特性で想像以上のエネルギーを要することがあり、「そこまで対応できないよ!」との切実な悲鳴があることも事実なのだが、多くの飼い主は犬に振り回され成すがままにさせられている。

人間力が弱い人もいるから安易なことは言えないが、要求や興奮による吠えを直そうとしてしているのに、あと一歩のところで届かない飼い主の多くが持っている共通の課題を最後に書いておこう。

それは一貫性の無さである。
・犬は3回叱っても残りの7回を叱らなければその行動をやめることは無い。
・犬に対する叱りとはその行為を止めさせる事ではなく、多くの場合言い聞かせることでもなく、行為を後悔させ、次に同じ行為を行うことにためらいと叱られる覚悟を持たせることである。
・叱るときには決して相手を追い詰めてはならず、こちらの意図する方向への逃げ道を設けておかなければならない。

このことについてはもっと書きたくなったが、今夜はおしまい。
もう遅くなったしテーマとしてデカ過ぎるし酔っちまった。
 

カフェを始めて感じた一部 2007年02月16日(金)

  カフェを始めていろんな犬たちを見せてもらった。

盲導犬をやってた時代に科学的なことを学んできたし、経験則や雑学として身についた事柄も山のようにあり、それらは今でも私の財産であるが、今夜はカフェを始めてから私が学び感じたことの一部を書いてみようと思う。

1.食べない犬は病気になっても食べない。

盲導犬のパピーウォーカーは一年後に愛犬を協会に返すことになるのだが、返された犬の中にはグルメ犬がいたり精神的に落ち込んで食欲不振になることがある。
しかし、そこはレトリーバー。数日もすれば与えられたフードをガツガツ食べるようになり新しい環境への適応が迅速に行われる。
だから、もし犬が病気ではない状態で『こんなもの食べれるか!』という態度をとったら、すぐに食事を引き上げ一週間はそれを繰り返して、妥協しない対応が必要だ。
別に虐待しようとしているのではなく、ちゃんとした食事を与えられているのだから、期待して残さず食べるのが家庭犬の基本である。
そのうえで、食事に変化をつけより美味しく食べさせたいという飼い主の思い入れが働くのなら問題はないと考えていた。
ところが、一般家庭犬の中にはマジに食べない犬が存在し、それは恐らく病気になろうが餓死しようが食べないのではないかと思われる反応を示す。
勿論、とことんまで試すことができないので結論付けるわけにはいかないが、そのような犬がいることを感じ取り少々驚いている。

2.親和期間の重要性

どんな犬を訓練するにも人と同じようにラポート(信頼関係の構築)が必要なのは当然である。
が、私がこれまで関わってきた犬より、小型室内犬や日本犬あるいはその雑種にはこの項目は重要視されなければならず、且つ予想以上に期間を要することが分かった。

3.全寮制ではない犬の訓練には時間がかかる

個体差や犬種特性にもよるが、預託訓練のように全寮制ではないことで、つまり訓練終了と共に優しい飼い主の下に戻れることで、見知らぬ私との訓練時には殻に閉じこもって時間が過ぎるのを待つ作戦を取ることができるし、せっかく身につけた訓練を自宅で台無しにするような接し方で、訓練は一進一退を繰り返すことになる。

4.家庭犬なのに厳しく律する人や、家庭だからといって大甘な人

教え込んでもいないのにやたらと命令口調で指示を与えたり、どうでもいい命令や小言ばかりを言う飼い主。
その反対に他人や他犬の迷惑を顧みず、愛犬の行動や表情を日本語に翻訳して物分りのいい人を演じる飼い主。
不快に思うことはあるが勿論責めているのではなく、要するに家庭犬としてどうあるべきかの文化が根付いていないのだろう。

5.羞恥心の変容とノンストレス

犬と関わらない人たちから見れば奇人変人に見られるような言葉遣いや態度が常態化し、本来あるべき羞恥心が犬バカ同士の中において希薄化し、時には異常が健全となっていることを感じてドキリとする。
それでもまるで解放されたかのような自分の一面を知り満更でもないと思う。

私が感じたほんのほんの一部の紹介だが、これからも学び、家庭犬のなんたるかを発信し、みんなと楽しめたらそれでいい。
 

雪中行軍 2007年02月14日(水)

  今夕の我が家の愛犬アモとの散歩はスリル溢れていた。
ある程度予想していた私はマフラーを口の周りに巻き、ゴーグルをしてその上からダウンジャケットのフードを深くかぶり最大限の防御を整えて出かけた。
それでも南から吹き付ける雪と強風で、辺りの地形は砂漠の砂嵐に見舞われたかのように変形し、歩道は途中から消失し平原と化していた。

マフラーはことのほか暖かく、吐く息がゴーグルを曇らせてはいたが、地吹雪の中でもなんとか視界は確保できた。
突然の地吹雪にアモは目を閉じて立ちすくんだが、次の瞬間には雪の中に潜って背中をゴロンゴロンさせて冒険を楽しんでいた。
いつもなら誰かが踏み固めた道がある場所も今夕は自分たちでラッセルしなければならず、なんとも時間と体力を要した散歩だった。

驚きだったのは、住宅街に戻ると吹き飛ばされそうになりながらも愛犬を散歩させている人が普段より多かったことで、きっと愛犬と北海道の冬を満喫しながら絆を深められたことだろう。

そして日付が変わった今も外は凄い状況になっている。
九州では春一番らしいが北海道では冬一番の嵐だ。
高さ180センチのフェンスがあるガーデンの一部は吹き溜まりができててっぺん近くまで雪が積もっている。
まるで『八甲田山死の雪中行軍』で立ちすくんだまま埋もれ仮死状態になった後藤伍長を発見した場所のようだ。
そういえばあの場所を訪ねた時、私は八甲田温泉に浸かった後で、その不謹慎さを詫びつつもすぐ近くにあった温泉の温かさを分けてあげたかった。

状況や装備によって冬の嵐は白銀の世界であり白魔の世界でもある。
温々とした部屋でそう書けることに感謝し、時には嵐の中の散歩に出かけ、外の状況を見て自然を畏敬し、装備を整え共生したい。

ともあれ明日は定休日で幸いなり。
 

怖い話し 2007年02月13日(火)

  なんか毎日凄い雪。
これまでが少なすぎたからみんな文句も言わず黙々と除雪しているけど、結構な降雪量になっているんじゃなかろうか。
ところで『明日までに30センチの大雪が降る』という天気予報での表現に疑問が湧いてきた。

「札幌の現在の積雪は70センチです」と発表があるが、これはどうやら基準地における実際の測定値、つまり現在積もっている雪の量であり、これまでに降った雪がその重みで圧縮されたり気温で解け出したりするだろうから、本当の現在の雪の深さを知らせるには実態に即して分かりやすい。

しかし降雪量というのは発表と、現実あるいは個人の体感に大きな開きがあるように思える。
発表(記録)というものは、6時間なり12時間という時間区切りの測定値であるから、雪の重さによる圧縮は計算されていないとみるべきだろう。
一方、我々個人は雪がひと段落した時点で除雪を始めるから、その後新たに降った雪に「また何センチ降った」とため息をついてしまう。

積雪がその時点での実際の雪深さを表すのであれば、降雪量ももっと現実に即した形で、例えば3センチ積もるごとに一旦除雪してその後も同じように繰り返しながら測定して欲しいと思う。

そうなれば朝起きた時に30センチの雪が積もっていても、降雪量は50センチと発表されるかも知れず、我々はなぜか奮起させられるように思うからだ。

大した降雪量でもない発表の中で深く重い雪を除雪する苦労を味わうより、大した降雪量の中で思いがけず除雪が楽な方が住民の士気を高めることが出来ると思うのだが…

何事にも遊び心と思いやりがあれば辛いことにも前向きに対処できるはず。
人は「楽勝だったね」と迎えられるより「ご苦労様。ありがとう」とねぎらわれ、感謝された方が嬉しいものなのだ。

そんな風に女に言われた男は益々働くし、同じように褒められた犬は男以上に図に乗ることが多く、こちらは扱いが厄介になるからご注意を。
ただ、何故か男には心こもらず表面的な振る舞いをする女も、犬には寛大で優しい言葉をかける傾向が確かにあるのが怖い。

『家の除雪は女の仕事』と任せている男には論外の話題で恐縮だったが、あなたたちの話をすればもっと怖い話になるから今夜はこれでよかったのかもしれない。
 


- Web Diary ver 1.26 -