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風呂上りのビール代わりに冷たいお茶をゴクゴク飲んでしまったものだから、夜中の12時を過ぎても眠れないでいる。 追加の焼酎が回り始めるまで、『愛犬を褒めて育てる』という概念について説明しよう。
盲導犬など訓練者と使用者が異なる使役犬の場合、厳しく律せられ訓練された犬は、時に接し方が甘くなる使用者の下で次第に羽目を外すようになることがある。 そのため訓練士による最終評価では上位のランク付けをされて卒業した犬が、数年後には問題犬となることもあり得る。
実際はちょっと違うが、例えば一般の愛犬を訓練所で訓練して貰っても、自宅に帰ってから数週間で元のダメ犬に戻るというパターンをイメージすれば分かり易いだろう。
盲導犬事業の場合、これらの欠陥を補うため、否、根本的に人と犬の関係を見据えた結果、“盲導犬になるために生まれてきたような犬たち”を繁殖することに現在では成功している。
つまり、一昔前の訓練士が『どんな犬でも盲導犬に訓練してみせる。それができないのは己の技術の未熟さである』と、日々努力を重ねた末に輩出していった盲導犬ではあるが、不幸なことにその一部に『あなたの犬は使えない』と使用者から否定された自分と犬が存在していたのに対し、現在の訓練士は“適性に恵まれた犬たち”を訓練する割合が向上し、訓練という観念が変化しているといえる。
すなわち現在の訓練士は冒頭にある『褒めて育てる』に近い訓練が可能となっており、そのようにして訓練された盲導犬は使用者の下でも「グッドグッド」で活躍できる割合が格段に向上しているのである。
嫌味に聞こえたらそれは本意ではないが、全国の盲導犬訓練士諸君。 そんな今こそ『どんな犬でも盲導犬に訓練してみせる。それができないのは己の技術の未熟さである』という先人の足跡を肝に銘じ、自らの技術の研鑽に励んで欲しい。
さて、皆さんの家庭犬に目を向けてみよう。 「あなたの愛犬は優れた繁殖によって選ばれた犬ですか?」 もしそうなら、あなたの愛犬は褒めるだけで育てることができるでしょう。 「血統証がある?」 それが何を意味していますか?
使役犬ではなく家庭犬であるから“暮らし易さ”だけの評価が高い犬はたくさんいるだろう。 同時に“ペットショップで買っただけの素性の知れないわんこ”が殆どでもあろう。
何を言いたいかといえば、褒めて育てるという発想だけで世の中の家庭犬と飼い主がうまくやっていける保障はないのだということである。 それを正当に主張できるだけの適正な家庭犬の繁殖は成されておらず、個々の犬たちを評価したうえで、褒めるだけではなく適切な制御や叱りが必要な犬と飼い主がいることを知らねばならないのである。
愛することで不可能を可能に育てることができ、愛を剥奪することで可能を悪に転化することもあるだろう。 同時に、愛することが正当を維持し、褒めることがその方法のように思えるのだろうが、それは一概に正解とは言えないということである。
ほどよく焼酎が回ってきた。 個々の犬をうまく育てれば結果オーライ。 懸念するのは『次の犬に生かせるか』との真髄である。
褒めて育て、それに応えてくれる愛犬といつまでも暮らしていたいけれど、その道筋は遠く、飼い主の知性が今後も問われる時代が家庭犬には今なお続く。
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