From the North Country

諦めないこと 2007年01月17日(水)

  暖冬であることはもはや議論の余地はないところであるが、アメリカの異常気象を知ると、今後春までの2ヶ月ちょっとの間に何が起きてもおかしくない不安を覚えてしまう。

でも今夜は様々な情報を読み、不安を感じながらも研究し行動している人たちがたくさんいることを知ることができ、嬉しく思えた一日でもあった。

阪神淡路大震災からちょうど12年目を迎えた今日、大地震の予知を可能にするかも知れないという発表があり、その現実性に大きな期待を寄せた。
あの震災の数週間前から大気中のラドンが異常に増えていたというのだ。

ワニが反り返るとかナマズが大暴れするという類のものでなく、地底の岩盤の変化によって発生することが確認されているラドンに注目したのは凄いと思う。
ゴジラかラドンか知らないが、恐竜のような生物が事前に反応することの方が科学万能に不安を持つ私には分かりやすいが、彼らの反応はせいぜい数日前の予兆であるのに対し、この放射性物質のラドンは数週間前に“異常な”数値を示したというから、もしこれが『地震前にはいつもそうなる』のであれば凄い発見だと思っている。

次に、まだ人間への治験が始まったばかりという『テロメライシン』という薬に私は注目している。
正常な細胞を犯すことなく、がん細胞だけを死滅させる薬のようであるからだ。
マウスに移植された人間のがん細胞を無くすことができ、ヒトでの治験が始まっているらしい。
不可能を可能にするために飽くなき探求が行われているのが人間らしくて興味をそそられる。

町工場の職人が自転車を漕ぐだけでタイヤの空気圧を一定に保つ機能を備えたハブという部品を世界でただ一社だけ製造している報道にも心打たれた。

そして自分を振り返った。

例えば「他のわんちゃんと遊べるようにしたいのです」という飼い主の願いに対し
「無理です。諦めたほうがいいし、何も他犬と遊べることが犬の幸せではないでしょう。あなたの愛犬は『どうぞお構いなく』と言ってるではないですか。」と答えている私。

実際には他犬と遊べるようになる方法はあるのだが、それには時間もお金もかかるから現実的なものではないので私は「無理です」と答えている。

でも工夫し科学する人たちの熱意を知れば、私は「無理です」と言わず「やってみますか?」と、その内容を提示するべきだったのかもしれない。
そのことによってさらに合理的で科学的なアイデアが生まれるのだろうから。

では、主訴である例えば『Aちゃんという、他犬と遊べないわんちゃんを遊べるようにする』原始的非経済的方法を紹介しよう。

1.飼い主は3ヶ月間私のカフェを貸切にするための営業保障を行う。
2.そのうえで毎日私のカフェに通うか、Aちゃんをカフェにお泊りさせる。
3.この期間は私が選んだ犬だけカフェに来ていただくから、その経費も負担していただくことになる。
私が選ぶ犬とは、Aちゃんのように『どうぞお構いなく』と他犬に興味のないわんちゃんで、Aちゃんよりも小さいか同程度の大きさのわんちゃんであり、これは進度によって変更される。

このことで、ほぼ間違いなくAちゃんは私のカフェにおいて、他犬と遊べるようになるだろうが、飼い主の経費負担は少なく見積もっても数百万に上るだろう。
だから「他のわんちゃんと遊べるようにしたいのです」という飼い主の願いに対し「無理です」と答えているのだ。

仮に、どこかの金持ちが「あ、そう。じゃ、お願いします」とあっけなく依頼してきたら…
「やってみますか?」とチャレンジするかもしれないし、体よく断るかもしれない。
どうなるかはすべて時と場合による。

ただ実は『無理です』という言葉を自分自身に投げかけたくはないと思っている。
 

仔犬との正しい付き合い方 2007年01月16日(火)

  昨日は8ヶ月のバーニーズマウンテンドッグ、今日は4ヶ月のラブラドールが来店してくれた。

若い犬が来店した時の飼い主の反応が面白い。

大概は『いやー大変です。困っています。どうしたもんでしょうか?』と駆け込み寺のように相談を受けるのだが、今日のラブラドールのように『すべては織り込み済み。この子はどんな子に育つのか楽しみ』と、泰然とした飼い主もおられる。
盲導犬のパピーウォーカーとしての経験を積み重ねる内に体得した“犬を育てるということ”を知ったNさんだった。

仔犬というものは、当然犬種にもよるが普通は人間の生活を破壊し、場合によっては思い詰めさせるような振る舞いをするものである。
排泄の失敗の繰り返し、腕を傷だらけにするあま噛み、室内の破壊行為、飛びつき、命の心配をさせるほどの誤飲誤食…etc.

すぐにでも解決させたい問題が山積していて、時には『この犬はバカか?』と真剣に悩まされることもある。

今夜は結論から言おう。
1.この時期に完璧なしつけを一般の方が行うのは無理があり、むきになってしつけたりインチキ訓練士に頼んで“よい子”にさせてしまうことは将来思わぬ弊害を招くことになるだろう。
2.だからといって、“良き理解者”を演じて放任してしまうと、取り返しのつかない厄介ごとを抱えるようになってしまう。

つまり、必要なしつけを行いつつも、この時期に完璧を求めてはいけないという事である。

必要なしつけとは
1.トイレのしつけ
これは多くの方が誤解している項目で、『したくなったらペットシーツで正しい場所にする』なんていうものではなく、飼い主自身が愛犬が尿意・便意を催しているかどうか、あるいは催す時間かを理解したうえで、愛犬には『シーシー、あるいはシッコ』『ベンベン、あるいはウンチ』という言葉を完全に教え込み、指示された場所で排泄ができるようにすることである。

2.破壊行為の撲滅
子犬を育てる度に家具や壁を破壊されるのは、♪柱の傷ーは♪のように、よい思い出になるかもしれないけれど、必ず通らねばならない道でもない。
しつけもできていない犬を室内でいつもフリーにするのは、『どうぞお好きなように』と宣言しているようなもので、しつけの基本である“成功例の積み上げ”に反した“失敗例の積み上げ”を促すだけである。
『おりこうになれば、待遇も良くなる』という原則を忘れてはいけない。

3.正当な要求による吠え声を出させないこと
遠まわしな表現になるから注意して理解していただきたいのだが、『喉が渇いた』『排泄したい』『寒過ぎ・暑過ぎ』などといった正当な要求を犬にさせてはならず、文句を言わせない程度の飼育環境は常に与えるべきである。
そのうえで愛犬の声に対しては、飼い主が見落としてしまった正当な要求なのか、継続的に与えることのできない高望みの要求であるのかを判断し、仮に後者の要求であるのなら毅然とした態度が求められる。

仔犬の時期の服従訓練・落ちつきのなさ・好奇心や不安による行動などはほぼどうでもいい項目であり、これらはしつけるよりも経験を積み上げて積極的に付き合っていかなければならない事柄である。

それでも『大変だ、大変だ』と思い悩み、『ごめんなさい、ごめんなさい』と周囲に頭を下げ、『冗談じゃない、この野郎!』とキレてしまうのが1歳までの犬との正しい付き合い方である。

愛犬の愛らしさに振り回される飼い主であってはならないし、傲慢なのもいけない。
犬と暮らすということは“人生のものさし”を問い直すことなのだろうと思う。

今夜の酒は、お泊り犬無しの開放感を味わうためKと夕食に出かけたイタリアン/フィノッキオで下から2番目に安かった白ワイン『オルビエット・クラッシコ』、それにMさんのお土産デザートワインの『インニスキリンのアイスワイン、ゴールドリザーブ』、最後はいつものセイコーマートの焼酎『ガッツマン』でした。
 

何かが違っていることに気づいて欲しい 2007年01月14日(日)

  この国のペット事情はどうしようもなく救いようのない商業主義に踊らされ、とんでもない方向へ針路を取り、マスコミによってそのスピードは加速しているようだ。

事件報道や組織相手のいじめには過剰なまでの正義感と息苦しくなるような倫理観を並べ立てて『首を取ったり!』とオピニオンリーダーとしての優越性を誇示したがるマスコミも、ペット関連では何らの判断も自らは下さず、ただ『可愛い』という言葉で自社の汚れかけたイメージを美化し、読者にほのぼのさせて会社のイメージを高めようとしているように思えてしまう。

内部告発制度に言及し、それを社内に設けたマスコミの記者諸氏。
事件を追及する情熱を持って自社あるいは職員の不正を日々チェックしていますか?
それに対して私は片目をつむるから、せめてペット、少なくとも犬に関する報道と世論誘導を見直していただけないものだろうか。

テレビ局のアナウンサーがペットショップのふれあい広場という柵の中へ入り込み、まるで鶏小屋で餌を撒くようにフードを与え、「やあ、可愛いですねぇ。もう懐いちゃいましたよ。犬って最高ですねぇ」と叫んでいる。

本当にこれでいいのですか?

具体的な提案をしましょう。
1.ペットショップでの生体販売に批判的な眼を向けていただきたい。
理由
@24時間6ヶ月密着取材していただければ分かるが、仔犬虐待以外の何ものでもない。
A処理場に持ち込まれる犬の多くがペットショップからのものであり、その経費すらを削減するため捨てられる犬だっているのだ。
解決策
ペットショップでは各犬種の特徴を説明するビデオが流され、あるいはブリーダーの様子が流され、顧客が予約するシステムを紹介すればまだマシな方向へ向かうだろう。

2.犬が座席に座ってテーブル上の食べ物を平気で食べるような何でもアリのドッグカフェを紹介しないで欲しい。
理由
@一般社会から愛犬家が締め出され「そんな犬と過ごしたいなら、ゲットーに居ればいいじゃん」って言われるようになるから
Aまともな飼い主に不快感を与え、未来の愛犬家に誤解を生じさせるから
解決策
ヨーロッパの子供たちがどんな風に仔犬を迎え入れ、親はどのように接しながら育て、街角や車内・カフェやパブなどでどう振舞っているのかを解説無しで、淡々と流して欲しい。

3.良心的な個人ブリーダーは多犬種の繁殖を行っていないのが普通であること。良心的な愛犬施設は専門家のもとに愛犬スタッフが常駐していることを伝えて欲しい。
理由
@生まれた子犬に将来がありそうだから
A何処かのドッグパークや繁殖場の悲劇を繰り返さないために
解決策
大手企業の宣伝にマスコミが乗せられないこと。
事件報道のように社内で充分吟味して、この国の愛犬社会の方針を考えること。

「え?犬って猫や鳥、馬や羊、ハムスターや金魚などのペットとは違う特別な存在なの?」って言われたらどんな愛犬家も憤るに違いない。(ごめんなさいね。豚だってちゃんと立派なペットになることは承知してるし、小鳥を心から愛している方には申し訳ないが、今夜は例えの意味を強調するために犠牲になってください)
だが、愛犬家を自称する人の中には平気で犬を殺す人もいるし、良かれと思って結果的に犬を社会からはじき出す人や殺してしまっている人は案外多い。

これまで何度も叫んできた事柄なのに、この国のペット事情は悪化の一途を辿っているのは、恐らく私が異端児で誤った思想の持ち主だからなのだろう。

だけど、誰もいなくなったペットショップで誰にも届かない声ではあろうが、私は彼らの想いとその後の暮らしぶりに思いを馳せ、遠吠えを続けて行きたいと思っている。
この声がまずは小さな町の愛犬マスコミスタッフにでも届くことを信じながら。
 

マーリーという本 2007年01月13日(土)

  ジョン・グローガン著の『マーリー(Marley & Me)』を読まれた方は多いと思う。
抱腹絶倒、笑いと共感そして感動と涙を禁じえない、ラブラドール好きには絶対お勧めの名著である。

「どうだった?」とK。
「最高!凄い面白かった」と私。

ラブラドールを奔放に育てるとこうなるであろう、という具体例がそのまま描かれていて、「そうそう、そうなるよな」と私も笑い転げていた前半。

アメリカ男は凄いよな。
まるでラブラドールのように奥さんや家族に忠誠を誓って自らの喜びとしており、日本男性には絶対継続できないと思われるような感性と行動で家庭を築きあげているし、職場を含めた社会がそれを受け入れているのが凄いと感じた。
勿論、一部の敬虔なカソリックの家庭生活が全米を代表しているとは言えないけれど、少なくとも著者のジョンはすばらしい男性だと今後の生き方を学ばせてもらった中盤であり、アメリカ社会の恐ろしさも感じた中盤だった。

後半は胸をどきどきさせられながらも逃れることのできない終着点がどのように訪れ、この家族がどう受け止めるのかに胸が高鳴った。

「どうだった?」
再びKの言葉が聞こえて、私はとつとつと話し出した。
「え?え?分かるように話して」
そう問いかけるKの言葉に私はあまりにも日本人的で専門的な返答をしてしまった。

要約するとうんざりする夢のない男の供述調書になるのだが…

・マーリーがもし陽気な破壊的犬ではなくて、攻撃的で凶暴な犬だったらこの夫婦はどうしてたんだろうね?
・世界で最悪な犬にしなくても、『かけがいのない最高の愛犬』に育てられただろうに…
感動しながらも批評を口にする私の姿がそこにあった。

とりわけ専門的な話で恐縮だが、雷恐怖症が大きく取り上げられていたけど、私にとっては犬が雷恐怖症に陥ることは織り込み済みのテーマである。
つまり、マーリーはある日突然雷を恐れるようになったわけではなく、仔犬の頃からそのような兆候がみられたと考えられるのだ。
そのことを放置したジョンには無知だった責任があると言えよう。
雷恐怖症は後々大きな問題を起こし、飼い主にも愛犬自身にも取り返しのつかない結果を残すから適切な対応が必要だったのである。

しかるにジョンはアメリカ人らしく薬に頼ってしまった失敗を犯してしまう。
雷に慣れされる系統的脱感作療法というものをまずは適切な時期に試みるべきであったろうに。

今夜のテーマは批判ではなく共感だ。
何がどうあれこの本はすばらしかった。
題名の愛犬もさることながら、男と女、とりわけ男を考えさせてくれる一品である。
いい本にめぐり合えた気持ちと生活に必要な感性を考えさせられて嬉しく思う。

今夜飲んだ酒:姫路の壷坂酒造の吟醸酒で名前はオーダーによるもの。
次は昨夜の残り土佐焼酎『いごっそう』である。
 

アモの一周年記念 2007年01月12日(金)

  一年前の今日、木曜日で定休日だった我が家に愛犬アモがやってきた。
今は亡きN先生に今は亡き眞知子が育てた盲導犬候補生だったアモを引き渡した私が今はKと一緒にアモと暮している。

我が家の愛犬スーを一昨年の12月23日に亡くした後、「次の犬は?」と問われても「そんな気持ちはありません。巡り会わせがあれば…」と答えていた私たちに巡り合わせがあって暮し始めたアモである。

室内でのマナーに問題があり、車内でのそれにはあっけにとられる行動もあったが、今ではすっかりカフェの看板犬を任せられるようになったし、何処でも出かけられるように育てることができた。

一年という年月は私たちにかけがいのない繋がりを築いてくれたと感謝している。
両足の靭帯断裂やリハビリで出費があったものの、自力で散歩しカフェの階段を上り下りできるようになったのはありがたいことだ。

『論より証拠』『百聞は一見にしかず』
そんなプレッシャーを受けながら、私とアモは明日からも『看板犬』という役目を気楽に果たしていきたいと思う。

ところで、毎夜消費する酒をこの欄に記帳し後々の思い出に花を添えようと考えるようになった。
今夜の酒はアルコール30%・黒糖米麹で喜界島酒造の『三年寝太蔵』と、アルコール43%・米・米麹で高知県司牡丹酒造の土佐焼酎『いごっそう』となっている。

積み上げることでの思い出の一ページであるが、此処に記されない多くの酒がこれまでにあったのを忘れまいし再登場するのを楽しみにしている。
 

酔人の主張 2007年01月09日(火)

  私がこの欄で書き続けたテーマのひとつに“愛犬と暮すスタンス”というのがある。

そこでは、使役犬あるいは番犬など外飼いの犬たちを除いた主なスタンスとして例えば
1.ショーや繁殖に用いる
2.ディスクやアジリティなど活動犬とする
3.普通の家庭犬として暮す
と分類している。

それぞれのスタンスにおいて楽しみ方や喜びに違う面があり、苦労したり問題行動においても特徴があることを書いてきた。

今夜は
3.普通の家庭犬として暮す
という中にある、ふたつの流れを紹介し、両者とその本質の一部について考えてみよう。

ひとつは私が実践している“暮し易い家庭犬を(どちらかと言えばさっさと)育てる”ことであり、今夜のテーマであるもうひとつは、“愛犬の行動に振り回されながらも、その成長を楽しみ・苦しみ・喜び・発見し、そこから自分なりに見えてきた少しずつ手遅れだったかもしれない対処法に苦笑いし、結果的に楽しい思い出一杯の愛犬と過ごす”という長い説明が必要な暮し方である。

前者の私は『個々の犬の性格を見極めつつも、愛犬との暮らしに苦労せず、人に迷惑をかけずに早いうちからいろんな所に愛犬と出かけて、楽しい思い出を一杯作りたい』のに対し、後者の育て方はとても人間的で心温まり真にその犬と暮したという充実感に溢れる一方、他人や他犬に対して立ち直れないほどの迷惑をかけたであろうし、ひょっとしたら飼い主にさえ『あの子との思い出だけで充分であり、あの子を超えられるような犬は存在しない』とまで思わせ、『だから次の犬を飼う気がしない』というペットロスの重篤化を招くことにもなると思っている。

だが考えてもみよ!
『生きとし生けるものが他者に対して迷惑をかけない』ことなどあり得ないし、だからこそ人はわが子を愛し、かばい、のめりこむほど苦しみ、それでも「これでいい」と思うのだ。

つまり“普通の家庭犬として暮す”育て方の正解の第一義は後者にある。

にもかかわらず、前者を私が実践あるいはこの欄で強調している理由は
1.私には既に数百頭あるいは千頭を超える犬たちをみてきている経験があり
2.『イヌと暮す』という表面的な部分にしか目が行かず、魂と魂のふれあい・ぶつかりあいを知らず、尚且つ平然と他者や他犬に対して迷惑をかけていることを自覚しない飼い主があまりにも多い事へ警鐘を発しているつもりなのだ。

ここまでを読んで少し心安らいだ普通に愛犬に甘い飼い主にも告ぐ。

恐らく最終的な正解は前者後者の“折衷”ではなかろうかと思っている。
イヌを知り、愛犬を知り、己を知り、社会を知ることが大切なのだろう。

厳しく育てることが本意ではないと思いながら、はけ口のように厳しくしている飼い主。
奔放で大らかに育てたいあまり、相手を壊していることに気づかない飼い主。
せめて、迷惑をかけながらもそのことを自問自答する人間であろうと呼びかけたい。

本日タバコ70本、500ccビール一缶、日本酒4合瓶2本、焼酎コップ数杯を飲み、それでも尚この欄に挑んでいる、経験豊かな男からの発信である。
 

マジだぜ 2007年01月08日(月)

  来たきたきたきた!
明日の朝、目覚めた札幌市民は雪の多さに度肝を抜かすことだろう!

暖房の効いた部屋で情報を分析していた気象予報士は、テレビの中で今日までの爆弾低気圧がどうして起きたかの解説を行っているが、風もやんで我が家の愛犬アモと閉店後に散歩に出かけた私は、鉛色になった空と静か過ぎる空気の中でアモと戯れながら、北海道の怪しげな冬の気配を感じていた。

結果的には後出しジャンケンになってしまうのだろうが、日中までのひどい嵐の後の妙な静寂の中、もしかしたらしんしんと降り続く冬の到来を感じていた。

夜の11時にガーデンに出た私は、おぞましいことに笑顔になってしまった。
そこにはやはり北海道の冬があったからだ。

『明日の朝はオオゴトになってるぞ!』
そう叫びながら私もお泊り犬も何故か笑顔だった。
私自身はこのような“らしい”自然と共存したかったのだ。

今夜はもう寝る。
音もなく降り続く雪は、払っても払ってもあっという間に犬たちの身体に積もっており、早起きしての除雪が待っているはずだ。

「やいや、やいや、ひどかったねぇ」
そんな挨拶ができるお客さんが明日は来られることやら…
こんな時、私とKの合言葉は決まっている。
「来れるモンなら来てみー!」

明日は商売より人として生きていかねばなるまい。

そして、そんな人の姿を犬たちも見ている。
唐突で恐縮だが、散歩の途中、愛犬がウンチをしたとしよう。
いつも飼い主を引っ張りまわしている愛犬が『一時停戦』みたいに、それを拾い終えるまで飼い主のそばで大人しくしているという経験はないだろうか?

実はこれが遊びを許す気持ちと『これはマジ』との分岐点である。
しつけとは正にそのような心持ちの違いに左右されるのだ。

昨日急遽お泊りなったイングリッシュコッカーの飼い主のお母さんが無事男の子を出産されて、お父さんが愛犬を引き取りに来られた。

結婚し、犬を飼い、子供が生まれるという一連の出来事は、日中までの異常気象どころか正常な生物活動である。
自宅に戻って子供を育てる中に、やんちゃな愛犬がいたら大変だから飼い主の方はしつけを託されていた。
だが、明日からはしつけを託していた愛犬と赤ちゃんが共に暮らすわけだから、『訓練をお願いしてたのに』などという結果論・言い訳・責任転嫁では済まされないことが多々表れる。

真剣勝負であり、犬と暮すことの真髄を突く状況である。

大自然に対峙し、早く寝なければ明日の除雪に支障をきたすことを考えてたら、妙な方向に話が飛んでしまったが、どこか共通することを伝えたかった。
キーワードは「マジだぜ」となろう。
 

嵐の夜に 2007年01月07日(日)

  札幌はゴーゴーと凄い嵐が吹き荒れている。
今のところ気温は高く、街灯の明かりに照らし出される雪は横殴りであっても積もってはいない。
が、オホーツク海側では80センチを超える大雪、道東では強風で屋根が飛ばされたところもあるらしい。

異常気象が叫ばれて久しいけれど、人々の心のどこかに『地球環境というものは数千年数万年の時を経て変化していくものだから…』という過去に受けた教育が災いし、切迫感のない『大変だ!』という言葉の上に安住しているように思える。
人類による科学技術の発展によって私たちは信じられないような文明社会で暮すことができているが、一方で恐るべきスピードでこれまで地球を食い荒らしてきたのだろう。

北極の融解、世界規模の熱波・寒波・洪水・渇水などの異常気象、冬眠しなくなった熊、季節はずれの産卵や開花、沈み行く島々。
それでもなお、科学技術と文明によって守られている私たち。

騒ぎ立てたところでひとりひとりで解決出来ることなどない。

この世で最強の動物をご存知だろうか?
ヒトやライオン・シャチなどではない。
アリの一種、その名も“軍隊アリ”だそうな。
名前が気に入らないし、彼らが通った道は廃墟となっているのが恐ろしいが、あの小さなアリがまとまって行動すると、どんな相手でも倒せるのだという。

まるで英知を育てた挙句、自分たちを守る自然にまで破壊という形で立ち向かってきた人間のようである。

さて、人間はこれからも地球を食い荒らすのか、それともひとりひとりは小さくてもひとつの方向を信じて団結するのだろうか。
軍隊アリとて進むべき道が無くなれば滅んでしまうだろう。

嵐の晩と頂き物の酒が、文明の上にあぐらをかいている私にそう予感させた。
 

今年の予感? 2007年01月06日(土)

  1月の6日に雨が降り続く札幌。
どんなに過酷でも、雨が降らずに濡れないのが冬のいいところなのに…
既に次から次へと警報が発令されているが、明日夜からとんでもないことが起こりそうで不安が走る。
どうか被害が最小限でありますように。

予感というのは誰しも経験あるようにみえて、実はそれが予感ではなく予想であることが多い。
予感は、漠とし理由もないのにふと感じられるものであるのに対し、予想は希望的(あるいは絶望的)観測や経験・資料などによるちょっとした理由が添えられるものであろう。
両者に共通するものは完璧な科学的裏づけがないことである。
もしそれがあれば『必然』であり、そのことをあたかも予感・予想しているかのように言うと詐欺的インチキ預言者となる。

また、予想は意図して行うが予感は意図しないで感じるものと捉えれば、やはり私の場合は予感の経験はないのかもしれない。
ネガティブでマイナス思考の私にとってのそれは神から与えられて感じる類のものではなく、自らが自らに感じさせているにすぎないと推測されるからだ。

ほんでもって、何を書きたいかと言えば
生まれて数回しか買ったことのない今日のレース馬券は見事にハズレた。
競馬のことなど殆ど知らず、馬の名前を見て『ピンときた』つまりが予感したと勘違いして買って貰った馬券だった。
考えてみれば『ピンときた』のに4頭の馬を選んで、それらを組み合わせたこと自体がおかしい。
ピンときたなら一点買いだろう!

欲にたけて馬券を買ったわけではなく、ここ3年、釣りもパチンコも飲みに行くこともない私にちょっと変化をつけたかっただけのことである。

競馬の一攫千金とその人間模様を描いたLet it ride(のるかそるか)という映画はとても面白い。

天孫降臨、今年のどこかでまだ経験したことのない本当の“予感”がありますように。
松の内に間に合うように祈願して今年のスタートとしよう。
 

爆弾低気圧 2007年01月05日(金)

  あさって日曜日の低気圧を心配している。

明日が3月下旬並みの高温であることも、今年の札幌が小雪だからまとまった雪がそろそろというようなものではなく、予想気圧の数値をみれば恐ろしくなってしまう。
予報がいつも通り大袈裟なものであって欲しいと祈るばかりで、雪は毎日少しずつ降り積もって欲しいものだ。

ところで、家庭内での愛犬のしつけに困っている方が多い。
そのような愛犬をお泊り犬として預かる私たちは、爆弾低気圧がやってくるのではないかと緊張するものだ。
だが、そのほとんどが杞憂に終わることが当たり前で「なんで困ってるのかなあ?」と肩透かしを食らうことが日常である。

今、私の周りには秋田犬・黒ラブ・イエローラブ・ボーダーコリー他がいる。
秋田とラブそれにボーダーをそれぞれフリーにして状況を観察するような預かり方をすれば、予想されるようなトラブルが起きるかもしれないし、完全隔離状態のケージにでも入れてしまえば、何ら問題が起きない代わりにそれぞれの犬たちはストレスを抱えてしまうに違いない。

だけど実際の犬たちは私の周りで実に安定した状態で横たわっている。
発散したい欲求はあるだろうし、飼い主が目の前に現れればその思いを身体ごとぶつけるはずである。

でも彼らはそれを主張せず、配慮し満足を勝ち得ている。
そうなるような配置と待遇と接し方を実践しているからに他ならないのだが、一般の愛犬家に説明するのは難しい。
一言で言うなら、『振る舞いの上達に応じた処遇』というものを与えているに過ぎない。
まるで私たち人間のように。

爆弾低気圧の犬も二度目のお泊りからは温帯前線であるよう心がけようとしてくれる。
成長に応じた待遇が与えられると、犬たちはさらに次のステップに進める犬に変化していく。

酔ってしまい意味不明であるからもう寝よう。
周りの犬たちの寝息を聞きながら。
 


- Web Diary ver 1.26 -