From the North Country

爆弾低気圧 2007年01月05日(金)

  あさって日曜日の低気圧を心配している。

明日が3月下旬並みの高温であることも、今年の札幌が小雪だからまとまった雪がそろそろというようなものではなく、予想気圧の数値をみれば恐ろしくなってしまう。
予報がいつも通り大袈裟なものであって欲しいと祈るばかりで、雪は毎日少しずつ降り積もって欲しいものだ。

ところで、家庭内での愛犬のしつけに困っている方が多い。
そのような愛犬をお泊り犬として預かる私たちは、爆弾低気圧がやってくるのではないかと緊張するものだ。
だが、そのほとんどが杞憂に終わることが当たり前で「なんで困ってるのかなあ?」と肩透かしを食らうことが日常である。

今、私の周りには秋田犬・黒ラブ・イエローラブ・ボーダーコリー他がいる。
秋田とラブそれにボーダーをそれぞれフリーにして状況を観察するような預かり方をすれば、予想されるようなトラブルが起きるかもしれないし、完全隔離状態のケージにでも入れてしまえば、何ら問題が起きない代わりにそれぞれの犬たちはストレスを抱えてしまうに違いない。

だけど実際の犬たちは私の周りで実に安定した状態で横たわっている。
発散したい欲求はあるだろうし、飼い主が目の前に現れればその思いを身体ごとぶつけるはずである。

でも彼らはそれを主張せず、配慮し満足を勝ち得ている。
そうなるような配置と待遇と接し方を実践しているからに他ならないのだが、一般の愛犬家に説明するのは難しい。
一言で言うなら、『振る舞いの上達に応じた処遇』というものを与えているに過ぎない。
まるで私たち人間のように。

爆弾低気圧の犬も二度目のお泊りからは温帯前線であるよう心がけようとしてくれる。
成長に応じた待遇が与えられると、犬たちはさらに次のステップに進める犬に変化していく。

酔ってしまい意味不明であるからもう寝よう。
周りの犬たちの寝息を聞きながら。
 

2007営業初日 2007年01月04日(木)

  おかげさまで今年の初営業を迎えることができました。
昨日の欄にあるような対応の結果、初めてのご来店者は一組だけで、常連の方々とのご挨拶をすることができ大変ありがたく思っておりまする。
カフェがごったがえし、それでも寒いガーデンで待機された方には申し訳なく感謝いたします。

さあ、一年の始まりだ!
そんな実感を抱かせてくれた初日だった。
「明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願いいたします」
こんな言葉をKと繰り返した一日だったが、閉店後に
「うれしいね。みんなニコニコしながら今年も宜しくって言ってくれたよ」
というKの言葉に私たちの感謝の気持ちが凝縮されている。

皆さんと出会えて本当に嬉しくありがたく思っております。

人も犬も生き物だから一年の内にはいろんなことが起こる。
成長の記録でもあろうし、失敗談であったり時には生死の問題だってある。
愛犬との暮らしを知らない人々にとっては笑止千万と受け止められるようなことだってあるだろう。
だけど、このカフェには様々な人生とか家族の生き方とかが散りばめられているように感じてならない。
そのことを私たちは理解しているつもりでも不思議に感じ、ありがたく嬉しくてしようがないのだ。

犬たちを見て楽しみ、新たな発見をし、学び、喜び、観察し、考えさせられ、悲しみ、共感し、怒りの理由を考え、…もっともっと感性が刺激され、成長していく過程すらを予想して長い眼で見る包容力が認めらているのが私とKにとっての宝玉のように眩しくて誇らしくて仕方ないのである。

酒に酔い、深夜になってからでないと素直に表現できない私を許していただきたい。
万一のことが起きないかとネガティブな気持ちでいつもいる小心者の私である。
起きてからでは遅すぎることを考え“過ぎている”かもしれない私には、どーんと構えているKの存在は不可欠なのだ。

愛犬家諸氏。
ちょっとは分かっていただけますよね。この気持ち。
まだ三が日だから「本年もよろしくお願い申しあげます」と感謝込めて改めて申し上げたい。
 

初ウソと正直な気持ち 2007年01月02日(火)

  一体今日が何曜日なのかすらすぐには答えられなかった。
慌しく忙しいばかりの年末年始だったから、今月26日(金)を臨時休業にして遅い正月を楽しもうという案が急浮上している。
決まり次第最新情報でお伝えすることにしよう。

「今日カフェやってますか?」
そんな電話が毎日かかってきた。
「申し訳ありません。カフェの営業は5日からとなっております。」
こんなウソをつくのにもようやく慣れた一日だった。

年賀状をお送りした方やこの欄をお読みの方はご存知のように、カフェは明日3日からの営業開始であるが、できれば顔馴染みの方々とゆったりした初日を迎えたかったから、心痛みながらも初ウソをつくことにためらいはなかった。

だが、ウソにはもうひとつの訳がある。
今月のパスタはまだ未完成らしいし、冬限定の温麺は本場四国からのだし汁がまだ届いていないから明日は提供できないようなのだ。
そんなことにも目をつぶって受け入れてくれるのは常連の方であろうと願っておりまする。

どうか初日は未完成と知りつつ今月のパスタをご注文なされるか、いつも美味しい特製カレーやミートソースそれにパニーニをご賞味くだされ。

まず何より新年の顔合わせができればいいな、というのが正直な気持ちである。
 

謹賀新年 2007年01月01日(月)

  明けましておめでとうございます。

どうなるかと思っていたけど、いいお正月だった。
ラブ4頭+ゴールデン+サモエド+Mシュナウザー+シーズーそれに我が家の愛犬アモに囲まれてもなお、穏やかな大晦日から新年を迎えることができた。

新年のガーデンではこれらの犬たちと共に初日の出を拝むことができて気分は最高!

日中はさらにシベリアンハスキーも加わって楽しく遊んでいたかと思うと、カフェでKが新しいティーポットカバーを作っている時には、みんなそれぞれの場所にはべってうたた寝している。
私もメニュー表を整えようとパソコン相手にのんびりとした時間を共有することができた。

明るいうちの犬たちとの散歩も新鮮だったけど、走る車の多さにちょっと意外な感じがした。

夜にはゆっくりお風呂に入り、教育テレビのウィーンフィルコンサートを楽しむこともできた。
「こんな番組正月から見る人いるの?」と思われるかもしれないが、私は昔から必ず覗いていたもので、さらに今年はゆったりした気分で楽しませてもらった。

MシュナウザーのJちゃんは子供たちをマジ噛みするとの相談を受けたわんこであるが、数回の来店の中で『そんなはずはない』と私は感じていた。

実際お預かりしてみると「シュナウザーっていいね」と私たちに思わせるほどいい子だった。

子供(人?)というのは自分の感性や都合で犬をもてあそぼうとするから返り討ちに合うことがある。
それに対して「うちの犬は咬む」というレッテルを貼られた犬は気の毒だ。
愛犬をイヌと見るから犯す間違いであり、相手を理解すればどうってことない問題であろうが、「初めて飼うんです」という言葉で言い訳になるとは思わない。

自己主張は大切なことであるが、それを明らかな弱者に対して行うのではなく、今の日本人は上司や目上の者あるいは外国人に対して主張すべきであって、犬やホームレスに矛先を向けるはのは卑劣極まりない。
思いやって相手の立場を共有することこそ原点であり、知らない相手に対しては観察し共感することが事始めである。

年をとったから、私には頑固に主張する傾向があるのが普通である。
新たな発見を受け入れることができる柔軟性はもち続けたいけれど、経験で得た真実をマジ顔で伝えることも恐れてはいけないと思っている。

そうさなあ。
これらすべてを含めた中で、自分が獲得してきたモノの一部でも必要とされている方に伝えることができればいい、という一年にしたいと思う。

皆様、本年も何卒カフェをよろしくお願い申し上げます。
 

大晦日のごあいさつ 2006年12月31日(日)

  皆様、今年一年ありがとうございました。

ラブラドール4頭、ゴールデン・サモエド・シュナウザー・シーズーに囲まれて幸せな年越しの瞬間を迎えております。

あと数年のお付き合いでしょうが、来年も宜しくお願い申しあげます。
皆様のご多幸と愛犬たちの健康をお祈りいたしております。

ドッグカフェナガサキ長崎史明・和絵・アモより。
 

一切記憶にございません 2006年12月30日(土)

  今日は午後からお好み焼きパーティー。
5人の人間と11頭のわんこ達が参加。

お好み焼きは餃子と共にビールを美味しくさせる料理ナンバーワン。

話のネタはウィーンのわんこ事情で、いろんな犬種のわんこ達がカフェやバス地下鉄でも見受けられたらしい。
すべてがおりこうさんというわけではなく、劇場の入り口で放尿するわんこや、人の臭いを嗅ぎ続けるわんこなどいろいろだったそうだが、人が意に介してないところが面白かったそうだ。
口輪の装着が原則だそうだが、そんな犬は少なかったらしい。
チワワなど小型犬は結構吠えまくるし、シェーンブルン宮殿の片隅には常連の愛犬家がたむろしていたり、日本と同じような光景が見られということだ。
「グロネンダールもいたよ」との言葉にKさんと私は同時に同じ質問をしたのが可笑しかった。
「周ってた?」

最も感動したのが飛行機から見たシベリアの大地だそうで、「ハスキーっていうのは凄い犬種なんだな、こんな世界で生きているんだから」とハスキーのチェス君をみなおしたそうだ。
「チェスをシベリアに送ったら一晩で凍ってしまうよ」と私が言ったら「え?どうして」と相変わらずノー天気な反応で、「チェスは日本生まれで日本育ちだから」というと分かったような分からないような反応が返ってきた。
「シベリアで抑留された人たちは大変だったでしょうね」とKの一言にはみんな頷いていた。

酔いが回った私の意識が戻ったのは夜中のこと。
ソファーで目が覚め、いつの間にかパジャマも着ていて断片的に記憶を辿ってみた。
「今日は散歩にも連れて行けなかったね」という私に
「何言ってるの、ちゃんと出かけてたでしょ」とK。
そういえば、途中までの記憶が蘇ったけれどその先は全く覚えていない。
何処をどう歩いてきたのか?
拾ったうんちをゴミ箱に捨てた覚えはあるが、左腕の腫れと痛みはどうしてなのかが分からないでいる。

途中で遭難しなかったのは犬たちのおかげだったことは間違いないようだ。
彼らがいなかったらどこかで行き倒れ凍死していたかもしれない。

さあ、日付が変わって大晦日も2時間が過ぎている。
明日の記憶は無くさないようにして新年を迎えよう。
 

年末年始モードです 2006年12月29日(金)

  今夜から当面この欄は、年末年始モードに入らせていただく。
「年末年始モードって?」
「そういううざったいことなしのモードのこと」

ポチたまで北海道編を放映してた。
『誰か忘れたけど、知ってる人が出てるから見てねって言われてたし、みんなの話題についていくためにも見なきゃ』と本当に思ってた。
ちょっとの酔いと疲れでうとうとして、目が覚めたら俊輔がゴールの隅っこにボールを蹴ってた。
既に次の番組が始まっていたようだ。

事務所の大掃除を独りでし終えた頃Kがやってきた。
「えっ?すごい!こんなに広かったっけ?」

今夜お泊りのアイリッシュセター/アイル君。
「おいで」と言ったら…逃げる。
「マテ!」と言ったら…待つ。
「マテ!」と言ってすぐそばによって「おいで」と言ったら?
逃げた。
一貫性があってわかりやすい。

ハスキーのチェス君。
お泊まり慣れしているので、待遇はよくなっている。
お泊まり慣れしてないわんこを居間のケージに入れると、『ボクもそこに入りたい』という顔をするので、入れ替えてみた。
チェスは満足そうに狭いケージで眠ってしまった。
なんで?

11歳のラブラドールのももちゃん。
しがみつくように階段を無事上ったけど、降りるときには最後の3段を踏み外してしまった。
「大丈夫か!」と心配する私たちと、『一仕事終えた』という顔をするももの切り替えの早さに驚かされる。
明日から抱っこすることにする。

同じくラブラドールのさくら。
まだ生後11ヶ月だから飲み込みは早い。
最初は怖がっていた階段昇降も2回目からは、『上って家に行き、降りてガーデンに行く』との意味が分かったらしく、当初の恐怖心が薄らいできた。
明日からは階段の2段跳び3段跳びによる、勢いあまった事故に気をつけねばなるまい。

年末年始の騒動がいよいよ始まった。
 

ごあいさつ 2006年12月27日(水)

  ドッグカフェナガサキは本日をもって2006年の営業を終了いたしました。
ご利用いただいたすべての皆様、とりわけ親身にお付き合いくださった多くの
DCN(ドッグカフェナガサキ)仲間の皆様には心より厚く御礼申し上げます。
ありがとうございました。
なお、トリミング部門は29日まで営業いたしております。

新年は3日から営業いたしますが、4日の木曜は定休日となっておりますのでご了承下さい。
 

クリスマスプレゼント 2006年12月26日(火)

  Kからのクリスマスプレゼントは、事務所・カフェ・居間・車内そして予備に2個はどっかにある老眼鏡の200倍以上の値段はする“老眼鏡”。
高級だが範疇はあくまでもただの老眼鏡。
左右同じレンズの老眼鏡。
ただ、この老眼鏡を作るに当たっての検査で面白いことが分かった。
私自身は右目が見やすく、左目が悪いと実感していた。
実際、右目を閉じると文字や世界がボヤけて見えるし、疲れやすくなる。

ところが検査師のオプチメトリストは「右目の方が左より悪い結果が出ています」と言い張りよる。

両者の感じ方と検査結果の違いは、どうやら『利き目』の影響によるものだろう。
手にも右利きと左利きがあるように、目にもそれがある。

自分の『利き目』を確かめるには、まず片腕を伸ばして人差し指を一本立て、数メートル先にある縦細長の目標物を両目で見てある程度一致する状態に固定する。
そして、それぞれ片方の目を閉じて一致する状況を見れば一目瞭然である。

私の利き目は右目であるからそちらの方がよく見えるように感じ、検査結果とは違う感じ方をしてしまっているのだろう。

ところで、人は目で物を見ていると誤解しがちだが、実はふたつの意味で脳を介して見ていることを知っておいた方がよい。

ひとつは利き目であり、あるいは実際に“見ている”という現実である。
難しい話で恐縮だが、子供時代に例えば長く眼帯をし続けて“見ていない”状況にいると、眼帯を外した後には目は正常に見えているはずなのに、脳が見えてることを認識しなくなって、本当に見えない状態になってしまうことを理解してもらわなければならない。

もうひとつは、実際には眼科的に見えない状態であるのに“見える”という正反対の現実である。
目が見えなくても、『ここに何かが、恐らく車がある』ことぐらいは分かるようになるし、話し相手の背格好や年齢ぐらいは簡単に判別がつくようになる。

ともあれ、私には高価な老眼鏡がプレゼントされ、その商品が近々届けられることになっている。

その老眼鏡によって私に託されたのは『見やすい』だけではない、他の『大切なこと』を見る眼であるように思っている。

因みに、私からKへのプレゼントはもっともっと値の張るものであったが、口が裂けてもそれを伝えることができないのが残念だ。
 

人生の天気(転機)図 2006年12月25日(月)

  今年のカフェの営業も残すところあと2日。

天気予報では26日が晴れで27日が曇り時々雨。
まるで人生のように『いい日もあれば、普通の日があり、それに辛い日もある』と、一年の営業を締めくくるに相応しい予報が出ている。

私のこれまでの人生を振り返ってみれば、経済的には曇りと雨の日しか知らないけれど、精神的にはいろんな人との出会いに恵まれてほとんどが晴れだったように感じている。
神経が困ぱいするような日々をずーっとおくってきたのは間違いないし、そのための内臓疾患はあったものの、自分がやってきた仕事に喜びと精神的充足感があったから思いつめるようなことはなかった。

肉体的には筋トレのような集中強化型の仕事ではなく、地道に足腰を使って毎日20キロ近く歩き続ける長期消耗型の部類だったので、曇天と寒冷前線が近づけば膝と腰が痛み出しこの部位において常人よりちょっと早めの老化が見られる程度だ。

経済的なものは家系や運それに本人の志向性で人生をそちらの方へ舵取りすればチャレンジすることができ、雨や晴れを体験しながら成功者への道を進むことができる。
精神的なものを充足させるには、経済基盤に基づく場合もあろうが、自己を含めた人からの評価が影響するから
財を成した後に名声を得ようとしても真に充足されるかどうかは定かではない。
成功者が逮捕されたり自殺あるいは家庭内崩壊という報道がそれを示している。
肉体の老化はほぼ平等に訪れるけれど、清らかな精神を持った人間が長生きするとは言えず、知識や人脈それに環境や経済面が影響を及ぼすだろう。

だが、それでも死なない人はいない。

『金じゃなく、最後は精神面だ』などと安易に結論付けようとしているのではない。
物事をどう捉えるかで人は自分の人生を操っているのだろうと思う。
そしてどう捉えるかはひょっとしたら神から与えられた運命ではなく、自分でコントロールできる範疇のものではないのだろうか?
晴れを目指す前に、何が晴れで何が雨なのかを、そして曇りの有難さを今一度考えてみたいと思った。
Take it easy! 気楽にね。自分に正直にね。

メリークリスマスの夜に。
 


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