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夜に入っても顔が火照っているのは酒のせいだけではなく、日中の暖かな陽射しが身体に残っているからだろう。
25日(水)の臨時休業を前に夏タイヤに交換し、ウッドデッキのメンテナンスを夕方から行った。 茶色のウッドガードが途中で足りなくなり、余っていた別の色を混ぜたものだから、乾いた後の仕上がりはまだら模様になってしまうはずだ。
なあに気にしなくたっていい。 シャンプーした直後に犬を遊ばせて汚れてしまうことがあっても、それはいずれ汚れるものであるからガッカリすることではなく、大切なのはメンテナンスを行ったという事実である。
48時間乾燥のウッドガードを金曜日の朝10時まで63時間乾燥させれるのだから、見た目がどうあれメンテナンスを行ったことに変わりはなく、防雨防蝕の効果はあるに違いない。
ところで、我が家の愛犬アモにもメンテナンスが必要だと感じることがある。 健康面ではなくしつけにおいて。
すっかり家族になっているし、『お利口になれば待遇も良くなる』という我が家の原則をアモは拡大解釈(曲解?)して、『家族の一員になれば大目にみられることもある』と私的行動を広げ始めているようだ。
・散歩前の排便は事前に済ませていたのに最近では『散歩中にするとなんかスッキリするんだよね。どうせちゃんと片付けてるんだしさ』と言い張る。
・カフェでは一方的で無礼に手をかけてくる犬や、しつこく身体の臭いを嗅ぐ犬に対して、以前なら身をかわすか忍耐強くしていたのに、最近では『しつこいぞ!無礼者!』と空砲を鳴らすこともある。
・昼過ぎのおやつを食べたにもかかわらず、物忘れのひどい私を見透かしたかのように、3時頃私の顔を見て『何か忘れてません?』と試すようなモーションをかけるのも腹立たしい。
訓練士というのは自分の犬は訓練しないものである。 生活に必要な教えは当然行っているのだろうが、それはほとんど普通に接する中から犬が学んでいるだけで、真に訓練しようなどという意識は毛頭ない。
前記のメンテナンスに値する行動も、アモは意図的・段階的に行っていて、私が特に色めきたって反応することがないから自分なりに勢力図を拡大できたと感じていることだろう。
こうやって愛犬に飲み込まれていくのも(優しくも哀しい)愛犬家であり、ある意味で釈迦の手のひらの孫悟空と楽しめるのも愛犬家である。
犬たちは何も考えずに振舞っているのではなく、絶えず周囲や主人を観察し、その結果をフィードバックしながら明日への振る舞いを積み上げていっている。 効果のない叱責や諦め・無反応はOKという意味であり、虐待のようなしつけは犬の行動をアングラ化させてしまう。
さて、私はどうしたものだろう?
実はアモの前ではもう少し下僕になる時間を楽しみたいと思っている。 『メンテナンスフリー』という概念だって面白い!
GW前の連休を楽しんできまーす。
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