From the North Country

酔人の主張 2007年01月09日(火)

  私がこの欄で書き続けたテーマのひとつに“愛犬と暮すスタンス”というのがある。

そこでは、使役犬あるいは番犬など外飼いの犬たちを除いた主なスタンスとして例えば
1.ショーや繁殖に用いる
2.ディスクやアジリティなど活動犬とする
3.普通の家庭犬として暮す
と分類している。

それぞれのスタンスにおいて楽しみ方や喜びに違う面があり、苦労したり問題行動においても特徴があることを書いてきた。

今夜は
3.普通の家庭犬として暮す
という中にある、ふたつの流れを紹介し、両者とその本質の一部について考えてみよう。

ひとつは私が実践している“暮し易い家庭犬を(どちらかと言えばさっさと)育てる”ことであり、今夜のテーマであるもうひとつは、“愛犬の行動に振り回されながらも、その成長を楽しみ・苦しみ・喜び・発見し、そこから自分なりに見えてきた少しずつ手遅れだったかもしれない対処法に苦笑いし、結果的に楽しい思い出一杯の愛犬と過ごす”という長い説明が必要な暮し方である。

前者の私は『個々の犬の性格を見極めつつも、愛犬との暮らしに苦労せず、人に迷惑をかけずに早いうちからいろんな所に愛犬と出かけて、楽しい思い出を一杯作りたい』のに対し、後者の育て方はとても人間的で心温まり真にその犬と暮したという充実感に溢れる一方、他人や他犬に対して立ち直れないほどの迷惑をかけたであろうし、ひょっとしたら飼い主にさえ『あの子との思い出だけで充分であり、あの子を超えられるような犬は存在しない』とまで思わせ、『だから次の犬を飼う気がしない』というペットロスの重篤化を招くことにもなると思っている。

だが考えてもみよ!
『生きとし生けるものが他者に対して迷惑をかけない』ことなどあり得ないし、だからこそ人はわが子を愛し、かばい、のめりこむほど苦しみ、それでも「これでいい」と思うのだ。

つまり“普通の家庭犬として暮す”育て方の正解の第一義は後者にある。

にもかかわらず、前者を私が実践あるいはこの欄で強調している理由は
1.私には既に数百頭あるいは千頭を超える犬たちをみてきている経験があり
2.『イヌと暮す』という表面的な部分にしか目が行かず、魂と魂のふれあい・ぶつかりあいを知らず、尚且つ平然と他者や他犬に対して迷惑をかけていることを自覚しない飼い主があまりにも多い事へ警鐘を発しているつもりなのだ。

ここまでを読んで少し心安らいだ普通に愛犬に甘い飼い主にも告ぐ。

恐らく最終的な正解は前者後者の“折衷”ではなかろうかと思っている。
イヌを知り、愛犬を知り、己を知り、社会を知ることが大切なのだろう。

厳しく育てることが本意ではないと思いながら、はけ口のように厳しくしている飼い主。
奔放で大らかに育てたいあまり、相手を壊していることに気づかない飼い主。
せめて、迷惑をかけながらもそのことを自問自答する人間であろうと呼びかけたい。

本日タバコ70本、500ccビール一缶、日本酒4合瓶2本、焼酎コップ数杯を飲み、それでも尚この欄に挑んでいる、経験豊かな男からの発信である。
 

マジだぜ 2007年01月08日(月)

  来たきたきたきた!
明日の朝、目覚めた札幌市民は雪の多さに度肝を抜かすことだろう!

暖房の効いた部屋で情報を分析していた気象予報士は、テレビの中で今日までの爆弾低気圧がどうして起きたかの解説を行っているが、風もやんで我が家の愛犬アモと閉店後に散歩に出かけた私は、鉛色になった空と静か過ぎる空気の中でアモと戯れながら、北海道の怪しげな冬の気配を感じていた。

結果的には後出しジャンケンになってしまうのだろうが、日中までのひどい嵐の後の妙な静寂の中、もしかしたらしんしんと降り続く冬の到来を感じていた。

夜の11時にガーデンに出た私は、おぞましいことに笑顔になってしまった。
そこにはやはり北海道の冬があったからだ。

『明日の朝はオオゴトになってるぞ!』
そう叫びながら私もお泊り犬も何故か笑顔だった。
私自身はこのような“らしい”自然と共存したかったのだ。

今夜はもう寝る。
音もなく降り続く雪は、払っても払ってもあっという間に犬たちの身体に積もっており、早起きしての除雪が待っているはずだ。

「やいや、やいや、ひどかったねぇ」
そんな挨拶ができるお客さんが明日は来られることやら…
こんな時、私とKの合言葉は決まっている。
「来れるモンなら来てみー!」

明日は商売より人として生きていかねばなるまい。

そして、そんな人の姿を犬たちも見ている。
唐突で恐縮だが、散歩の途中、愛犬がウンチをしたとしよう。
いつも飼い主を引っ張りまわしている愛犬が『一時停戦』みたいに、それを拾い終えるまで飼い主のそばで大人しくしているという経験はないだろうか?

実はこれが遊びを許す気持ちと『これはマジ』との分岐点である。
しつけとは正にそのような心持ちの違いに左右されるのだ。

昨日急遽お泊りなったイングリッシュコッカーの飼い主のお母さんが無事男の子を出産されて、お父さんが愛犬を引き取りに来られた。

結婚し、犬を飼い、子供が生まれるという一連の出来事は、日中までの異常気象どころか正常な生物活動である。
自宅に戻って子供を育てる中に、やんちゃな愛犬がいたら大変だから飼い主の方はしつけを託されていた。
だが、明日からはしつけを託していた愛犬と赤ちゃんが共に暮らすわけだから、『訓練をお願いしてたのに』などという結果論・言い訳・責任転嫁では済まされないことが多々表れる。

真剣勝負であり、犬と暮すことの真髄を突く状況である。

大自然に対峙し、早く寝なければ明日の除雪に支障をきたすことを考えてたら、妙な方向に話が飛んでしまったが、どこか共通することを伝えたかった。
キーワードは「マジだぜ」となろう。
 

嵐の夜に 2007年01月07日(日)

  札幌はゴーゴーと凄い嵐が吹き荒れている。
今のところ気温は高く、街灯の明かりに照らし出される雪は横殴りであっても積もってはいない。
が、オホーツク海側では80センチを超える大雪、道東では強風で屋根が飛ばされたところもあるらしい。

異常気象が叫ばれて久しいけれど、人々の心のどこかに『地球環境というものは数千年数万年の時を経て変化していくものだから…』という過去に受けた教育が災いし、切迫感のない『大変だ!』という言葉の上に安住しているように思える。
人類による科学技術の発展によって私たちは信じられないような文明社会で暮すことができているが、一方で恐るべきスピードでこれまで地球を食い荒らしてきたのだろう。

北極の融解、世界規模の熱波・寒波・洪水・渇水などの異常気象、冬眠しなくなった熊、季節はずれの産卵や開花、沈み行く島々。
それでもなお、科学技術と文明によって守られている私たち。

騒ぎ立てたところでひとりひとりで解決出来ることなどない。

この世で最強の動物をご存知だろうか?
ヒトやライオン・シャチなどではない。
アリの一種、その名も“軍隊アリ”だそうな。
名前が気に入らないし、彼らが通った道は廃墟となっているのが恐ろしいが、あの小さなアリがまとまって行動すると、どんな相手でも倒せるのだという。

まるで英知を育てた挙句、自分たちを守る自然にまで破壊という形で立ち向かってきた人間のようである。

さて、人間はこれからも地球を食い荒らすのか、それともひとりひとりは小さくてもひとつの方向を信じて団結するのだろうか。
軍隊アリとて進むべき道が無くなれば滅んでしまうだろう。

嵐の晩と頂き物の酒が、文明の上にあぐらをかいている私にそう予感させた。
 

今年の予感? 2007年01月06日(土)

  1月の6日に雨が降り続く札幌。
どんなに過酷でも、雨が降らずに濡れないのが冬のいいところなのに…
既に次から次へと警報が発令されているが、明日夜からとんでもないことが起こりそうで不安が走る。
どうか被害が最小限でありますように。

予感というのは誰しも経験あるようにみえて、実はそれが予感ではなく予想であることが多い。
予感は、漠とし理由もないのにふと感じられるものであるのに対し、予想は希望的(あるいは絶望的)観測や経験・資料などによるちょっとした理由が添えられるものであろう。
両者に共通するものは完璧な科学的裏づけがないことである。
もしそれがあれば『必然』であり、そのことをあたかも予感・予想しているかのように言うと詐欺的インチキ預言者となる。

また、予想は意図して行うが予感は意図しないで感じるものと捉えれば、やはり私の場合は予感の経験はないのかもしれない。
ネガティブでマイナス思考の私にとってのそれは神から与えられて感じる類のものではなく、自らが自らに感じさせているにすぎないと推測されるからだ。

ほんでもって、何を書きたいかと言えば
生まれて数回しか買ったことのない今日のレース馬券は見事にハズレた。
競馬のことなど殆ど知らず、馬の名前を見て『ピンときた』つまりが予感したと勘違いして買って貰った馬券だった。
考えてみれば『ピンときた』のに4頭の馬を選んで、それらを組み合わせたこと自体がおかしい。
ピンときたなら一点買いだろう!

欲にたけて馬券を買ったわけではなく、ここ3年、釣りもパチンコも飲みに行くこともない私にちょっと変化をつけたかっただけのことである。

競馬の一攫千金とその人間模様を描いたLet it ride(のるかそるか)という映画はとても面白い。

天孫降臨、今年のどこかでまだ経験したことのない本当の“予感”がありますように。
松の内に間に合うように祈願して今年のスタートとしよう。
 

爆弾低気圧 2007年01月05日(金)

  あさって日曜日の低気圧を心配している。

明日が3月下旬並みの高温であることも、今年の札幌が小雪だからまとまった雪がそろそろというようなものではなく、予想気圧の数値をみれば恐ろしくなってしまう。
予報がいつも通り大袈裟なものであって欲しいと祈るばかりで、雪は毎日少しずつ降り積もって欲しいものだ。

ところで、家庭内での愛犬のしつけに困っている方が多い。
そのような愛犬をお泊り犬として預かる私たちは、爆弾低気圧がやってくるのではないかと緊張するものだ。
だが、そのほとんどが杞憂に終わることが当たり前で「なんで困ってるのかなあ?」と肩透かしを食らうことが日常である。

今、私の周りには秋田犬・黒ラブ・イエローラブ・ボーダーコリー他がいる。
秋田とラブそれにボーダーをそれぞれフリーにして状況を観察するような預かり方をすれば、予想されるようなトラブルが起きるかもしれないし、完全隔離状態のケージにでも入れてしまえば、何ら問題が起きない代わりにそれぞれの犬たちはストレスを抱えてしまうに違いない。

だけど実際の犬たちは私の周りで実に安定した状態で横たわっている。
発散したい欲求はあるだろうし、飼い主が目の前に現れればその思いを身体ごとぶつけるはずである。

でも彼らはそれを主張せず、配慮し満足を勝ち得ている。
そうなるような配置と待遇と接し方を実践しているからに他ならないのだが、一般の愛犬家に説明するのは難しい。
一言で言うなら、『振る舞いの上達に応じた処遇』というものを与えているに過ぎない。
まるで私たち人間のように。

爆弾低気圧の犬も二度目のお泊りからは温帯前線であるよう心がけようとしてくれる。
成長に応じた待遇が与えられると、犬たちはさらに次のステップに進める犬に変化していく。

酔ってしまい意味不明であるからもう寝よう。
周りの犬たちの寝息を聞きながら。
 

2007営業初日 2007年01月04日(木)

  おかげさまで今年の初営業を迎えることができました。
昨日の欄にあるような対応の結果、初めてのご来店者は一組だけで、常連の方々とのご挨拶をすることができ大変ありがたく思っておりまする。
カフェがごったがえし、それでも寒いガーデンで待機された方には申し訳なく感謝いたします。

さあ、一年の始まりだ!
そんな実感を抱かせてくれた初日だった。
「明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願いいたします」
こんな言葉をKと繰り返した一日だったが、閉店後に
「うれしいね。みんなニコニコしながら今年も宜しくって言ってくれたよ」
というKの言葉に私たちの感謝の気持ちが凝縮されている。

皆さんと出会えて本当に嬉しくありがたく思っております。

人も犬も生き物だから一年の内にはいろんなことが起こる。
成長の記録でもあろうし、失敗談であったり時には生死の問題だってある。
愛犬との暮らしを知らない人々にとっては笑止千万と受け止められるようなことだってあるだろう。
だけど、このカフェには様々な人生とか家族の生き方とかが散りばめられているように感じてならない。
そのことを私たちは理解しているつもりでも不思議に感じ、ありがたく嬉しくてしようがないのだ。

犬たちを見て楽しみ、新たな発見をし、学び、喜び、観察し、考えさせられ、悲しみ、共感し、怒りの理由を考え、…もっともっと感性が刺激され、成長していく過程すらを予想して長い眼で見る包容力が認めらているのが私とKにとっての宝玉のように眩しくて誇らしくて仕方ないのである。

酒に酔い、深夜になってからでないと素直に表現できない私を許していただきたい。
万一のことが起きないかとネガティブな気持ちでいつもいる小心者の私である。
起きてからでは遅すぎることを考え“過ぎている”かもしれない私には、どーんと構えているKの存在は不可欠なのだ。

愛犬家諸氏。
ちょっとは分かっていただけますよね。この気持ち。
まだ三が日だから「本年もよろしくお願い申しあげます」と感謝込めて改めて申し上げたい。
 

初ウソと正直な気持ち 2007年01月02日(火)

  一体今日が何曜日なのかすらすぐには答えられなかった。
慌しく忙しいばかりの年末年始だったから、今月26日(金)を臨時休業にして遅い正月を楽しもうという案が急浮上している。
決まり次第最新情報でお伝えすることにしよう。

「今日カフェやってますか?」
そんな電話が毎日かかってきた。
「申し訳ありません。カフェの営業は5日からとなっております。」
こんなウソをつくのにもようやく慣れた一日だった。

年賀状をお送りした方やこの欄をお読みの方はご存知のように、カフェは明日3日からの営業開始であるが、できれば顔馴染みの方々とゆったりした初日を迎えたかったから、心痛みながらも初ウソをつくことにためらいはなかった。

だが、ウソにはもうひとつの訳がある。
今月のパスタはまだ未完成らしいし、冬限定の温麺は本場四国からのだし汁がまだ届いていないから明日は提供できないようなのだ。
そんなことにも目をつぶって受け入れてくれるのは常連の方であろうと願っておりまする。

どうか初日は未完成と知りつつ今月のパスタをご注文なされるか、いつも美味しい特製カレーやミートソースそれにパニーニをご賞味くだされ。

まず何より新年の顔合わせができればいいな、というのが正直な気持ちである。
 

謹賀新年 2007年01月01日(月)

  明けましておめでとうございます。

どうなるかと思っていたけど、いいお正月だった。
ラブ4頭+ゴールデン+サモエド+Mシュナウザー+シーズーそれに我が家の愛犬アモに囲まれてもなお、穏やかな大晦日から新年を迎えることができた。

新年のガーデンではこれらの犬たちと共に初日の出を拝むことができて気分は最高!

日中はさらにシベリアンハスキーも加わって楽しく遊んでいたかと思うと、カフェでKが新しいティーポットカバーを作っている時には、みんなそれぞれの場所にはべってうたた寝している。
私もメニュー表を整えようとパソコン相手にのんびりとした時間を共有することができた。

明るいうちの犬たちとの散歩も新鮮だったけど、走る車の多さにちょっと意外な感じがした。

夜にはゆっくりお風呂に入り、教育テレビのウィーンフィルコンサートを楽しむこともできた。
「こんな番組正月から見る人いるの?」と思われるかもしれないが、私は昔から必ず覗いていたもので、さらに今年はゆったりした気分で楽しませてもらった。

MシュナウザーのJちゃんは子供たちをマジ噛みするとの相談を受けたわんこであるが、数回の来店の中で『そんなはずはない』と私は感じていた。

実際お預かりしてみると「シュナウザーっていいね」と私たちに思わせるほどいい子だった。

子供(人?)というのは自分の感性や都合で犬をもてあそぼうとするから返り討ちに合うことがある。
それに対して「うちの犬は咬む」というレッテルを貼られた犬は気の毒だ。
愛犬をイヌと見るから犯す間違いであり、相手を理解すればどうってことない問題であろうが、「初めて飼うんです」という言葉で言い訳になるとは思わない。

自己主張は大切なことであるが、それを明らかな弱者に対して行うのではなく、今の日本人は上司や目上の者あるいは外国人に対して主張すべきであって、犬やホームレスに矛先を向けるはのは卑劣極まりない。
思いやって相手の立場を共有することこそ原点であり、知らない相手に対しては観察し共感することが事始めである。

年をとったから、私には頑固に主張する傾向があるのが普通である。
新たな発見を受け入れることができる柔軟性はもち続けたいけれど、経験で得た真実をマジ顔で伝えることも恐れてはいけないと思っている。

そうさなあ。
これらすべてを含めた中で、自分が獲得してきたモノの一部でも必要とされている方に伝えることができればいい、という一年にしたいと思う。

皆様、本年も何卒カフェをよろしくお願い申し上げます。
 

大晦日のごあいさつ 2006年12月31日(日)

  皆様、今年一年ありがとうございました。

ラブラドール4頭、ゴールデン・サモエド・シュナウザー・シーズーに囲まれて幸せな年越しの瞬間を迎えております。

あと数年のお付き合いでしょうが、来年も宜しくお願い申しあげます。
皆様のご多幸と愛犬たちの健康をお祈りいたしております。

ドッグカフェナガサキ長崎史明・和絵・アモより。
 

一切記憶にございません 2006年12月30日(土)

  今日は午後からお好み焼きパーティー。
5人の人間と11頭のわんこ達が参加。

お好み焼きは餃子と共にビールを美味しくさせる料理ナンバーワン。

話のネタはウィーンのわんこ事情で、いろんな犬種のわんこ達がカフェやバス地下鉄でも見受けられたらしい。
すべてがおりこうさんというわけではなく、劇場の入り口で放尿するわんこや、人の臭いを嗅ぎ続けるわんこなどいろいろだったそうだが、人が意に介してないところが面白かったそうだ。
口輪の装着が原則だそうだが、そんな犬は少なかったらしい。
チワワなど小型犬は結構吠えまくるし、シェーンブルン宮殿の片隅には常連の愛犬家がたむろしていたり、日本と同じような光景が見られということだ。
「グロネンダールもいたよ」との言葉にKさんと私は同時に同じ質問をしたのが可笑しかった。
「周ってた?」

最も感動したのが飛行機から見たシベリアの大地だそうで、「ハスキーっていうのは凄い犬種なんだな、こんな世界で生きているんだから」とハスキーのチェス君をみなおしたそうだ。
「チェスをシベリアに送ったら一晩で凍ってしまうよ」と私が言ったら「え?どうして」と相変わらずノー天気な反応で、「チェスは日本生まれで日本育ちだから」というと分かったような分からないような反応が返ってきた。
「シベリアで抑留された人たちは大変だったでしょうね」とKの一言にはみんな頷いていた。

酔いが回った私の意識が戻ったのは夜中のこと。
ソファーで目が覚め、いつの間にかパジャマも着ていて断片的に記憶を辿ってみた。
「今日は散歩にも連れて行けなかったね」という私に
「何言ってるの、ちゃんと出かけてたでしょ」とK。
そういえば、途中までの記憶が蘇ったけれどその先は全く覚えていない。
何処をどう歩いてきたのか?
拾ったうんちをゴミ箱に捨てた覚えはあるが、左腕の腫れと痛みはどうしてなのかが分からないでいる。

途中で遭難しなかったのは犬たちのおかげだったことは間違いないようだ。
彼らがいなかったらどこかで行き倒れ凍死していたかもしれない。

さあ、日付が変わって大晦日も2時間が過ぎている。
明日の記憶は無くさないようにして新年を迎えよう。
 


- Web Diary ver 1.26 -