From the North Country

武士道を忘れた日本人 2006年11月10日(金)

  「知り合いの家の柴犬が家族をマジ咬みして流血騒ぎになり、おまけに来客まで怪我させちゃったそうです。柴犬って難しいんですかね」
と、黒柴を上手に育てておられるMさんが『何でだろうね?』という顔をして私に話しかけてきた。

「柴犬というより日本犬にはそういう難しさがあるかもしれませんね。」と私は答えながらその理由に頭をめぐらせていた。

和犬洋犬を問わず、もって生まれた稟性というのがあるから、仮に2頭以上の犬を一般の方が同じように愛情を注いで育てたとしても、時には反抗的で攻撃的な犬が育つことは充分に考えられる。

ただ、これまでの経験から日本の純血犬には自尊心・気高さ・独立心・仰々しい過剰反応(仔犬の頃)・猜疑心・根に持つ…というような傾向がみられるのは明らかだ。
別の一言でくくるなら『潔しとしない』ことには毅然と反応するのだ。

『わあ、可愛い!!』と手を出すと、『そうでしょ!』と大喜びする犬よりも、『見ず知らずの拙者に馴れ馴れしくするでない』と誰にでも尾を振るのを潔しとしない傾向がある。
他犬が同じような気持ちで『遊ぼう!』と接近しても同様の反応となる。

愛犬を抱く喜びが飼い主にはあるが、安易に拘束されることを潔しとしない傾向がある。

敬愛する人からの竹を割ったような叱り方には感服する。が、優柔不断で一貫性がなく敬愛の対象ではない者からの小言程度であれば忍耐するもののそれ以上の接触による行動を試みるようであれば、それを受け入れるのは潔いことではない。

相手が明らかに上位の者であっても、初対面の段階で自分に対して積極的な拘束をかけようとすれば反抗し、その時の思いは長く記憶される。

『退路を断たれた』と思い込みやすく、その際には一命を賭してでも反撃に出るか、降伏しても屈服はしない。
後に相手が畏敬の対象となればとことん惚れ込む。

日本犬の愛好家には『何を勝手なことを!』とお叱りを受けるかもしれないが、このような傾向を予め知ることによってこそ正しい暮し方ができると思っている。

つまり冒頭の柴犬は仮に稟性的な問題がなければ、“戦国自衛隊”の逆バージョンで、現代にやってきた武将がお仕えすべき武家屋敷の上様の振る舞いに業を煮やし、武将としてあるまじき謀反に打って出た感がある。
そこには豪勢な衣食住に満たされるうち、“いい気になった”という側面があるのも見逃せない。

日本犬に対して洋犬と同じような接し方を私はしない。
アプローチの中でその犬に相応しい接し方をいつも模索している。
その姿勢は犬種特性を理解したうえで和犬洋犬を問わず個々の性格に着目し、求められている最小限の状況を引き出したいと願う私の基本姿勢に根ざしている。

最後にあなたを犬種に例えると?
私は日本犬と洋犬の雑種ですな。
ただしマジ咬みはしません。滅多なことでは。
 

Tさんありがとう 2006年11月08日(水)

  この3日間降り続いた雨にたまりかね、皮膚呼吸ができずにガーデンの地表にでてきたミミズは100匹を超えた。
体長は10センチ以上もあるフトミミズ?で、寿命は1年以内らしいし浅い地下では当然越冬もできないだろうから、死んで土に返る前の安らかな時期を過ごしていたのだろうに気の毒なことだ。

地表に出たミミズを放っておくと一部はそのまま死に、乾燥状態になってしまう。
そうなるとどういうわけか目敏く発見した小型犬が身体に臭いを擦り付けたくなってゴロンゴロンしてしまうし、漢方薬よろしく飲んでしまうことがある。
風邪薬の成分にチリュウエキスと書いてあれば、それはミミズと聞いたことがあるから悪いものではないようだが、気持ちよいものではない。

英語ではearthwormつまり地球の虫といって地球規模で土地を耕す虫として好意的に扱われているらしいので、私も数を数えながらフェンスの向こうの草木地帯に放り投げて残り少ない無事を祈った。

さて、5日のこの欄で“とりわけ一気に落ち葉が目立った状態あるいはその日”と定義できるような美しい日本語を誰か知りませんか?ということを書いた。
先ほど柴犬宗一郎の父さんからメールが届き、「なるほど」と感じ入った。

一年を二十四の節気に区切るよりさらに細かい七十二候(しちじゅうにこう)という分け方が古くからあるそうで、そこに『朔風払葉』(きたかぜこのはをはらう)という意味の季語があるという。
北風を朔風(さくふう)と書いてあるのが気に入り、払葉の読み方がわからないのが恥ずかしかった。
『ふつよう』でいいのだろうか?

ともあれ我が意に最も近い言葉を発見できたことがうれしい。
11月7日の立冬を過ぎたばかりなのに、次の二十四節気の小雪(11月22日)をさらに5日上積みした七十二候の『朔風払葉』ではあるが、本州からみた時期とは違う今の北海道に最も相応しい、と教えてくれた宗一郎の父さんに感謝である。

ちなみに、七十二候にはミミズ(漢字で蚯蚓)も登場している。
立夏(5月6日頃)の5日後を『蚯蚓出』(ミミズが地上に這い出る)とあった。
来年もまたフトミミズがたくさん現れて、ガーデンを耕し排水がよくなるようにしてくれることを期待している。

最後にこっそりとお知らせ。

明日9日木曜夜6時頃から9時過ぎまで『さとづかの湯』の浴場(6時から7時頃)もしくは“あじわいの里”(フロント階の居酒屋:7時以降)で温泉ヨガとは名ばかりの観楓会をひっそりとやっております。
お時間のある方はいらしてください。
 

佐呂間の和尚 2006年11月07日(火)

  佐呂間町で竜巻が発生し現在までに9人の方が亡くなられている。
ご冥福をお祈りしたい。

佐呂間町には正法寺という寺があって、そこで私の恩人であり元上司でもあるKさんが住職をしている。

1975年の夏。まだ学生だった私は札幌盲導犬協会(現北海道盲導犬協会)に奈良から出向き、ほぼ強引に住み込んで40日ほど仕事の手伝いをさせてもらったのだが、その当時の事務局長がKさんだった。
夕方に到着するとそのまま麻雀が始まり、その中で互いの人と成りについて知り合うことができた。

当時の協会は古いプレハブの犬舎と訓練棟それに雨漏りのする本棟からなっていて見るからに貧しかったし現実に資金難で、Kさんは毎日のようにお金集めに奔走していた。と書くとなんだか悲壮な仕事ぶりに感じられるが、実際のKさんは人間味のある面白可笑しい人であった。
役所の担当者への陳情や協会役員に資金繰りのお願いなどでは、平身低頭で愛想笑いを交えて交渉を成立させてくるのだが、戻るや否や「バーヤロウ、あいつら何にも分かっちゃいないのに偉そうにしやがって」と鬱憤を晴らしていた。

車でススキノに飲みに行くこともあったが、どこに車を停めたか分からなくなるまで飲むから飲酒運転の心配はいらなかった。
翌朝、その車を探しに行くというのどかな時代だった。

2年後、再び私が強引に就職しにきたときも役員に頭を下げて雇い入れるようお願いして回ってくれた恩人である。
職員やボランティアそれに視覚障害者への思い入れは人一倍強く、人々からの信望も厚かったから現在住職をされているのも頷けるし、今でも町内に住む盲導犬ユーザーとは家族ぐるみの付き合いをされている。

どこをどう走ってくるのか知らないけれど、法事で札幌に来るときには信じられないような短時間でやってくる暴走坊主だったが、あれから10年近く経っているから今ではそんなことはないのだろう。

佐呂間の飲み屋でいつかまたゆっくり話ができたらと思う。
 

誰にでもある変化することのためらい 2006年11月06日(月)

  週間予報を見て「まあ仕方ないか」と諦めた。
この先ずっと雨マークが続き、週末には雪が降るかもしれないとのことだが、今年の夏秋の気候はあまりにも良過ぎたので帳尻を合わせるには止むを得ず受け入れなければならない悪天候だと思っている。

先週の金曜日、カフェの外で「ちょっと相談があるのですが」というMダックスを連れた女性がいらした。

「自宅庭の特定の場所でしかトイレができず、冬になるとそこに屋根から落雪があって危ないから室内でできるようにしたいのですが」という相談だった。

もっともらしい話のように思えたが、私には別問題のほうが頭に浮かんでいた。

1.自分の生活空間と排泄場所を区別する本能が犬にはあるが、一旦それを身につけた犬に再び室内で排泄させるには屈辱的な思いが犬に残ることを飼い主は知っているのだろうか?

2.自宅庭の特定の場所でしか排泄できない犬には、病的な神経質さや社会経験不足があるはずだから、他人や他犬に馴染めないとか日帰りの行楽にも行けないなど、家族が抱える問題は他にもいろいろあると考えられた。

今日あらためて来店してくれた1歳半のMダックスは、やはり人や他犬を見ると唸り吠えている。
リードを着けるとまるで罠にかかった野生動物のように俊敏に暴れ、もがき続けていた。

「ずっと外に出さずにいて、最近になって散歩を始めるようになりました。」と飼い主。
持参のリードは伸び縮みするフレキシブルリードだから、既に制御できるように育てられた犬なら楽しく活用できる道具であるが、それができてない犬に装着することは私に言わせれば『制御放棄』を象徴する代物でもある。
だから普通のリードを着けられただけで釣り上げられたサバのように跳ね回ってしまったのだろう。

「ご相談の意味はよく分かります。でもこの子にはほかにもっと大きな問題があるようです。犬を育てるときに基本的な生活習慣を予め考えておかなかったようですね。どこでも排泄ができるようにすることや、他人や他犬に慣らしておくこともそのひとつですが、他にも乗車中のマナーとかひとりで待つことなど10年以上も一緒に暮す上で必要になってくる事柄にたいしてです。
どうでしょう、これまでと同じくらいの時間をかけて育て直しをして見ませんか?」と私は話していた。

室内でトイレをさせるだけなら、一時的に犬の自尊心を傷つけながらでもアドバイスは可能であったが、他の問題つまりは“犬と暮すということ”について考えてみませんかと投げかけたのである。

女性は「ああ、今日は頭が疲れたから帰ります」と2時間ほどで帰っていかれた。
私には疲れた理由が分かるような気がした。
私の話がくどいからだけでなく、(失礼だが)小鳥や亀のようにペットのつもりで飼った仔犬なのに、自分の生活がまるで子育て時のように深く関わらなければならないという、この男の話に乗っていけるものかという不安と、暮し始めた愛犬が現実にどんどん自分の生活と心の中に入り込んできている予想外の喜びを感じる中で、仕事や家庭を維持しながら自分はどこまでやっていけるのかという二重の不安が頭を混乱させてしまったのだろう。

なんも難しく考えるんでない。
美味しいと喜んでくれたカレーをちょくちょく食べに来て、ゆっくりコーヒーでも飲みながら知り合った人たちとくっちゃべっているうちに、あなたの愛犬はおりこうになっていきますよ。
1年半で今のようになったんだから1年半で変わっていけばいいっしょ。
それでもまだ3歳だ。
そして変わったのは愛犬だけでなかったというのを最後に体験してみてはいかがですか。
 

どなたか美しい表現を知りませんか? 2006年11月05日(日)

  曇り時々晴れというのが札幌の予報だったが朝から一日雷雨が続き、大雨注意報がでてもおかしくない天気になってしまった。
いつもならボヤキが入ってしまうところだが、カフェ周辺に雨が叩きつけられている時でさえ西の空つまり街の中心部方向には青空が見えていたのが気になった。
案の定「東区は晴れてましたよ」とか「小樽から来たけどずっと晴れてて、清田区に入った途端土砂降りでビックリしました」「恵庭は降ってませんでしたよ」と、どうやらこの地区にピンポイント雷雨の集中砲火があったようだ。

ところで、今夜はお尋ねしたいことがひとつ。

ガーデンのニセアカシアと白樺の葉は10日ほど前からちらほらと散り始めていたのだが、昨日の朝から今朝にかけて本当に一気にその葉を落とし始めた。
木枯らしが吹いたわけでも雨が降ったわけでもなく、気温はかなり高めの穏やかな日が続いていた。
知りたいのはそのメカニズムではなく、このように一気に落葉する状態と正にそのような日を表す言葉が日本語にはあるように思え、自分は知らないけれどきっと美しい言葉なのだろうとくすぐられている。

『一気に落葉』や『落ち葉吹雪』・『集団離木』はヘンだし、『落葉盛日』や『秋舞』でもなかろう。
『啓蟄』のように、春が近づき冬篭りをしていた虫たちが穴から出始める節気のような言葉はあるのだろうか。

そもそも強風も吹かないのに、一気に葉が落ち始める日というのが毎年決まってあるのかも知らない私であるから、昨日今日の現象がたまたま目にとまっただけかもしれない。
実際、一日ですべての葉を落としたわけでもないから『三分散り』、五分、八分、『満閉』…ではクスッと笑ってももらえないか。
俳句の季語に『空林』というのがあるが落ち葉尽くした林では意味が遠すぎる。

“とりわけ一気に落ち葉が目立った状態あるいはその日”と定義すれば何か適切な表現はあるのだろうか。

どなたか教えてください。
 

熱烈なファン 2006年11月04日(土)

  今日は夕方までストーブの必要がないどころかガーデンで過ごすのが快適な一日だった。
夜になっても頬が火照っていてちょっと驚きである。

今日の特等席ともいえるデッキのガーデンテーブルで二組の夫婦が楽しそうに過ごしておられた。
ご注文を伺いに行くと
「ここはファイターズファンのお店なんですか?」と今月のパスタを指差しながらニコニコ尋ねられた。
「いや、えぇ、まぁ、北海道のチームが日本一になったので…」と私は歯切れが悪い。

プレーオフや日本シリーズでは当然のことながら熱烈に北海道日本ハムファイターズを応援していたが、『ファイターズファンか』と訊かれても二つ返事で「はい、そうです」と言えるだけの継続的熱心さの経歴がないから、本当のファンに尋ねられるとつい口ごもってしまうのだ。

そのご夫婦はアルバムを取り出して見せてくれた。
ナゴヤ球場での2連戦、それに札幌ドームでの3連戦と優勝の瞬間がバックネット裏からの鮮やかな写真となって並べられていた。
「名古屋で1勝した時に、これで札幌3連勝の胴上げを確信したんです。でも一応名古屋での最終2戦のチケットと航空券も確保してあったんですがね…」

本物のファイターズファンである。

が、『待てよ』と私は考えた。
ファイターズが北海道にやって来てまだ3年だから、筋金入りのファンといっても歴史は浅いはずだ。
「もしかして、ファイターズの前はジャイアンツファン?」と尋ねると見事正解で、そこからにわかファン同士の親近感が湧いてきた。
「セギノールなんか私未だにボラギノールって呼んじゃうよ」と奥さんは屈託なく大笑いだ。

聞くところによると、今年日ハム主催の札幌ドームでの50数試合のうち、応援に行けなかったのは葬式があった1試合だけというから、間違いなく本物である。
私にはタイガースという恋女房がいるけど、たとえ甲子園の隣に住んでいたとしても、そんなに毎試合は見に行けるものではないだろう。
こんなファンを初めて間近に見て今日は楽しかった。
勿論、カフェではパ・リーグはこれからもファイターズを応援していく。

考えてみるとカフェと北海道ファイターズは同じ3年の歴史である。
日ハムを年間50数試合応援に行くファンも凄いけど、カフェに年間50数日通っていただいてる熱烈なファンだってたくさんおられて凄いんですぞ。
どっちもみんなで応援しよう!
 

まもなく3周年 2006年11月01日(水)

  今日から11月。
3年前のこの月の中旬に建物が完成し、私たちはここ里塚緑ヶ丘に引っ越してきた。
それから足りない備品や調度品を買い揃え、私は商品の仕入れを行いKはメニューを試作するというあわただしい時間を過ごしていたが笑顔とワクワクした想いに満ちていた。
20日過ぎにはスタッフも加わってカフェをひっそりと仲間内だけで仮オープンし、あれこれとアイデアを出しながら12月1日の開店に備えたのが懐かしい。

商売など学園祭でホットドッグを売ったくらいの経験しかなかったから、それはそれは無鉄砲で真剣な遊び心がうずうずして楽しかったのを思い出す。
「週代わりで奥さまグループのスタッフを決めて、『私たちがカフェやるならこんな得意料理やデザートを出したい』っていうのをしばらく提供してもらってから、人気ベスト4のグループを選抜して1ヶ月をまわすようにするってのはどう?」と私が提案すると、そんなことしたら(醜い争いが始まって?)長続きしなくなると即座に却下されたが、メニューに変化があることの必要性は評価されて“今月のパスタ”誕生のきっかけになった。

「どんなワンちゃんたちが集まってくるかなぁ?」との不安には私がきっちり対処できる自信を示したが、『案ずるより産むが易し』で、やってくるワンちゃんたちは触れ合ってるだけで楽しかったし、飼い主の方はとても良い方ばかりで救われる思いがした。

徐々にガーデンでのルールや犬同士の挨拶のさせ方・飼い主に求める対応が私の頭に描かれ、実践する中で修正されていった。
現在のようなスタイル(といっても来られた方しか分からないけど、安全で安心なシステム)ができるまでに1年ちょっとかかったが、これもまだ私がいないと困る問題であるから、もっと一般的な常識になるようノウハウを発信していかなければならないと思っている。

ともあれ、今月末でカフェは丸3年を経過することができそうだ。

来週6日の月曜から月末まで、ささやかで恐縮だが感謝の気持ちを込めてワンちゃんの入店料を無料にし、一人でも多くの方々に私たちのカフェを体験していただきたいと考えている。
また、この期間中にお越しいただいたメンバー会員の皆様には“笑われるような粗品”と、会員期間1ヶ月の無料延長を提供させてもらうことでお茶を濁し?、これからもカフェを可愛がっていただきたいと願っております。
 

Nさん、ケイト頑張れよ! 2006年10月31日(火)

  今年も雪が降らない10月を終えることができて、ちょっとうれしい気分だ。
ただ、すっきりと心が晴れないのは、3年の間に倒れていった仲間たちがこの季節に集中していて、次から次へと辛い出来事が蘇ってしまうからである。

もっともっと早く時が経って欲しいと思う。
命日なんてさっさと忘れてしまいたい。
そうなれば辛い出来事ではなく、共に楽しく生きた時代の方を懐かしく思い出すであろうから…

さて、Nさん、こんな話の後にあなたのことを書くのは『滅相もない』とお叱りを受けて当然かもしれないけど、全く他意はなく、たまたま偶然このようになってしまっただけとお許し願いたい。

ジャックラッセル(JRT)ケイトのN父さんが今日札幌を離れ、故郷の新得町へ帰っていった。
札幌の月寒で18年間床屋さんを営んでおられた。

たまたま私の大学の先輩がEはさみ研究所という理髪店などで使う鋏を扱う事業をされていて、お得意さんだったNさんがケイトを飼いはじめた頃に私のカフェを紹介されてからのお付き合いである。

「本当に久しぶりのすき焼きを家族で楽しみに準備してたんだよね。したっけ気がついた時にはコイツが牛肉みんな食っちまって、野菜と白滝だけのすき焼きになったんだよ!」
初対面のエピソードがそんな話だった。

以後、定休日の火曜には娘さんたちを連れてちょくちょくカフェに通ってくださり、私も定休日の木曜には月に1回髪を切ってもらうようになった。
ケイトはカットの準備に入るまで私の膝に飛びつき、最後のドライヤーが終わると再びやって来て挨拶をしてくれた。
洗髪はとても丁寧で顔剃りや耳掃除・顔パック?の間、私はいつも至福の眠りに落ちていた。

田舎の新得で理髪店を営む親父さんが高齢となり、後継と介護を兼ねての単身帰郷だそうだが、ケイトだけは同行することになったのが面白い。
今日、札幌の店をたたんで新得に向かう途中に訪ねてくれたのがうれしかった。

「田舎じゃいい話より悪いうわさのほうが一人歩きしてしまうから大変だ」などと笑っていたけど、『あの息子と犬っこが帰ってきてから、床屋だけじゃなくてセラピーまでしてもらってるみたいだ』
そんな風に喜ばれるだろうと私は密かに思っている。

来年雪が解けたら訪ねてみよう。
 

他犬と遊べる愛犬にしたい!? その2 2006年10月30日(月)

  夕べはおでんをご馳走になったから、お酒は当然日本酒になった。
日本酒は私を最も深く早く酔わせる。
だから夕べは10時には寝てしまった、らしい。

さて一昨日のつづきを

仔犬たちが互いにじゃれあっている姿は誰の目にも愛らしく焼きついて、犬と暮す喜びのひとつになっているのは間違いない。
カレンダーの写真や仔犬の映像を見ると、何故か人々は微笑み心安らぐものである。
ただ、その仔犬たちをよく見ると、写真や映像には写ってないかもしれないけれど隅っこで寝ていたり意図的にグループから離れて「私には構わないで」とサインを出しているわんこがいるものだ。
仔犬同士の集まりだから、血生臭い結果になることはまずないからこの段階では問題にならないが…

つまり、幼犬の段階で他犬との関わりを喜びとしない個体が既に存在している。

さらに他犬と遊べた幼犬であっても家庭で飼育されるようになると遊べなくなる率が上昇する。

『免疫ができる生後4ヶ月までは外に出さないように』という主に医療面からの視点で安易に忠告する獣医の存在と、その言葉を鵜呑みにする心優しき飼い主の無知によって、人間の成長段階で言えば小学校低学年までを家庭内に留め置くものだから、とりわけ小型室内犬の何割かが排他的になったり外界に不安を示すようになるのは必然といえる。

そして極め付けが先日書いたように、そのように育てた愛犬を外出のお墨付きが出た途端、ドッグランなどで無防備に放り出し「他犬に慣れさせ遊べるようにしたい」と無垢無謀に考え、結果的に恐怖体験をわが子に課する飼い主の悲しいサガがある。

獣医の方々には
『仔犬の健全な成長には様々な社会的な刺激が必要です。だから幼犬であっても元気そうであれば天気のいい日には抱っこしてでも外に出かけて、いろんな景色や音をあなたが楽しそうに振舞いながら体験させてあげましょう。
知り合いのお宅に出かけて遊んでもらったり、怖がらせないよう配慮しながら清潔で寛容なワンちゃんと出会わせるのも楽しいですよ。歩きたがるようなら歩かせたって勿論構いません。
ただし、まだ免疫がしっかりできてないからイベント会場など不特定多数の人や犬が集まって間接的でも接触機会が増える場所や、草むらなどいろんなワンちゃんがオシッコを引っ掛けてるところには連れて行かないで下さいね。
獣医の立場として本当は生後4ヶ月頃までは外に出さない方が感染症のリスクが減ると言うべきでしょうし、実際あなたの愛犬が仔犬のうちにそんな病気になったらとても後悔するでしょう。
でも確率的にはとても低い恐れのために閉鎖的なことしてたら愛犬の心の成長に大きな問題が生じる可能性が高くなるのです。
無責任だとお叱りを受けるかもしれないけど、充分配慮されたうえで愛犬の社会性を育むような関わりを増やし、それで万が一病気になったら私たちと全力で治療に当たると考えていただくことが『犬育て』ではないかと思っています」
と言えるようになっていただきたい。

そして『うまく他犬と遊べない』わんちゃんの飼い主に対して私が伝えたいことは、怖がる愛犬を抱っこして他犬に近づけ、強引に慣らそうとする行為を止めていただきたい。
生来的に他犬が苦手なわんこもいるし、自分たちがそれまでの時間をかけてそのように育ててきたわんこに対し罰ゲームのような仕打ちにしか見えないからだ。

私のカフェでは不安を示す犬に追い討ちをかけるような状況を極力与えないように配慮されている。
だから、相手が寛容だから、配慮されてるからこそ…一気に慣らそうとせず、それまで育ててきた時間と同じ時間をかけるつもりで、あなたの愛犬が他犬の存在を徐々に受け入れ、そのうちに気の合う相手にめぐり合って心許すまでを静かに見守る親であって欲しいと願う。

5歳も過ぎてそれでも他犬と積極的に関わろうとする犬にはどこか他に問題があると思う…という新たなテーマを提示して今夜はおしまい。
 

他犬と遊べる愛犬にしたい!? 2006年10月28日(土)

  「ワンちゃん同士が絡み合いながら楽しく駆け回ってる姿を見ると、うちの子もそんな風になって欲しいと思うんですよねぇ」
そんな希望を持たれた優しいご夫婦が今朝も来店されていた。
「そうですかねぇ」と私はあえて否定的な言葉を口にしたが、そんな期待を持った飼い主が結構おられるようだ。

ドッグランやどこかの草原に出かけ、気のあった仲間たちがフリーにされたとき、自然な流れでお互い交差しながら駆けまわるイメージは当然私にも備わっているし、実際そのような場面を毎年のように愛犬仲間と共に経験している。

しかし、愛犬家の多くの方はこの楽しいシーンを現実のものとするために“必要な前段”を端折っているのを意に介さず『それ、楽しく遊んで来い!』と放牧しているように思え、危険を感じる。

例えばドッグランで周囲の犬たちや飼い主の稟性・配慮の程度すら確認せず愛犬を放すことは、航海術すら学んでないわが子を未知の大海に放り出すようなもので、ひとつ間違えば大惨事になるだけではなく『知らない犬はもうこりごり』と愛犬の心に焼き付けてしまう危険もはらんでいるのだ。
せっかく他犬と楽しく遊べる要素を持った犬に、その時点で飼い主の気持ちとは裏腹に他犬に対しバリアを張らせてしまうことになったわけだ。

生後3週間から2ヶ月齢の仔犬たちばかりの集まりなら、そんな心配は不要だから、きっと飼い主のイメージの中にはテレビや雑誌で見たそんな犬たちとの愛らしい絡み合いが印象深く残り、あの情景を今わが子が楽しく演じてくれればどんなに幸せだろうか、との想いから発した大胆で無謀な行動が自らの愛犬を傷つけてしまう結果を導き出したとしたら切ない。

“必要な前段”とは毎度毎度の繰り返しで恐縮だが
1.散歩や日常生活上での社会経験の積み上げ
2.その中で培われた信頼・主従関係
3.ノーリードでの制御や呼び戻しができれば一番よいけど、それができない場合はせめて『マテ』といえば愛犬がその場に留まり、飼い主が接近することで容易にリードで係留できる訓練を徹底しておく
4.飼い主自身が“愛犬の状態・他犬の状態・周囲の環境・他犬の飼い主の配慮度合い”を把握できる能力を磨くこと

上記の前段がなくても見知らぬ他犬と遊べる犬たちは高い確率でいるだろう。
しかし、だからといってその犬の飼い主が『うちのワンコは他犬と遊べる』と思い込み、あちこちに出かけてこれまで通りのつもりでいたなら、いつか大きなしっぺ返しを受ける確立はさらに高くなり、ほぼ必ずと言っていいほど誰かに咬まれるか誰かを結果的に咬むことになると私は思っている。

そんな瞬間を見たくないしその時の愛犬の気持ちを考えたら耐えられないから、私はオス犬は去勢するしきちんと育てしつけている。
そのうえで草原で奔放に遊びまわれる相手を選ぶし、そうでない相手の場合はいつでも引き際を指示できるように適度に付き合うよう教えてある。

それでもなお前段を端折って「他犬に慣れさせ遊べるようにしたい」という飼い主がおられる。

この続きはまたあした。
 


- Web Diary ver 1.26 -