From the North Country

Nさん、ケイト頑張れよ! 2006年10月31日(火)

  今年も雪が降らない10月を終えることができて、ちょっとうれしい気分だ。
ただ、すっきりと心が晴れないのは、3年の間に倒れていった仲間たちがこの季節に集中していて、次から次へと辛い出来事が蘇ってしまうからである。

もっともっと早く時が経って欲しいと思う。
命日なんてさっさと忘れてしまいたい。
そうなれば辛い出来事ではなく、共に楽しく生きた時代の方を懐かしく思い出すであろうから…

さて、Nさん、こんな話の後にあなたのことを書くのは『滅相もない』とお叱りを受けて当然かもしれないけど、全く他意はなく、たまたま偶然このようになってしまっただけとお許し願いたい。

ジャックラッセル(JRT)ケイトのN父さんが今日札幌を離れ、故郷の新得町へ帰っていった。
札幌の月寒で18年間床屋さんを営んでおられた。

たまたま私の大学の先輩がEはさみ研究所という理髪店などで使う鋏を扱う事業をされていて、お得意さんだったNさんがケイトを飼いはじめた頃に私のカフェを紹介されてからのお付き合いである。

「本当に久しぶりのすき焼きを家族で楽しみに準備してたんだよね。したっけ気がついた時にはコイツが牛肉みんな食っちまって、野菜と白滝だけのすき焼きになったんだよ!」
初対面のエピソードがそんな話だった。

以後、定休日の火曜には娘さんたちを連れてちょくちょくカフェに通ってくださり、私も定休日の木曜には月に1回髪を切ってもらうようになった。
ケイトはカットの準備に入るまで私の膝に飛びつき、最後のドライヤーが終わると再びやって来て挨拶をしてくれた。
洗髪はとても丁寧で顔剃りや耳掃除・顔パック?の間、私はいつも至福の眠りに落ちていた。

田舎の新得で理髪店を営む親父さんが高齢となり、後継と介護を兼ねての単身帰郷だそうだが、ケイトだけは同行することになったのが面白い。
今日、札幌の店をたたんで新得に向かう途中に訪ねてくれたのがうれしかった。

「田舎じゃいい話より悪いうわさのほうが一人歩きしてしまうから大変だ」などと笑っていたけど、『あの息子と犬っこが帰ってきてから、床屋だけじゃなくてセラピーまでしてもらってるみたいだ』
そんな風に喜ばれるだろうと私は密かに思っている。

来年雪が解けたら訪ねてみよう。
 

他犬と遊べる愛犬にしたい!? その2 2006年10月30日(月)

  夕べはおでんをご馳走になったから、お酒は当然日本酒になった。
日本酒は私を最も深く早く酔わせる。
だから夕べは10時には寝てしまった、らしい。

さて一昨日のつづきを

仔犬たちが互いにじゃれあっている姿は誰の目にも愛らしく焼きついて、犬と暮す喜びのひとつになっているのは間違いない。
カレンダーの写真や仔犬の映像を見ると、何故か人々は微笑み心安らぐものである。
ただ、その仔犬たちをよく見ると、写真や映像には写ってないかもしれないけれど隅っこで寝ていたり意図的にグループから離れて「私には構わないで」とサインを出しているわんこがいるものだ。
仔犬同士の集まりだから、血生臭い結果になることはまずないからこの段階では問題にならないが…

つまり、幼犬の段階で他犬との関わりを喜びとしない個体が既に存在している。

さらに他犬と遊べた幼犬であっても家庭で飼育されるようになると遊べなくなる率が上昇する。

『免疫ができる生後4ヶ月までは外に出さないように』という主に医療面からの視点で安易に忠告する獣医の存在と、その言葉を鵜呑みにする心優しき飼い主の無知によって、人間の成長段階で言えば小学校低学年までを家庭内に留め置くものだから、とりわけ小型室内犬の何割かが排他的になったり外界に不安を示すようになるのは必然といえる。

そして極め付けが先日書いたように、そのように育てた愛犬を外出のお墨付きが出た途端、ドッグランなどで無防備に放り出し「他犬に慣れさせ遊べるようにしたい」と無垢無謀に考え、結果的に恐怖体験をわが子に課する飼い主の悲しいサガがある。

獣医の方々には
『仔犬の健全な成長には様々な社会的な刺激が必要です。だから幼犬であっても元気そうであれば天気のいい日には抱っこしてでも外に出かけて、いろんな景色や音をあなたが楽しそうに振舞いながら体験させてあげましょう。
知り合いのお宅に出かけて遊んでもらったり、怖がらせないよう配慮しながら清潔で寛容なワンちゃんと出会わせるのも楽しいですよ。歩きたがるようなら歩かせたって勿論構いません。
ただし、まだ免疫がしっかりできてないからイベント会場など不特定多数の人や犬が集まって間接的でも接触機会が増える場所や、草むらなどいろんなワンちゃんがオシッコを引っ掛けてるところには連れて行かないで下さいね。
獣医の立場として本当は生後4ヶ月頃までは外に出さない方が感染症のリスクが減ると言うべきでしょうし、実際あなたの愛犬が仔犬のうちにそんな病気になったらとても後悔するでしょう。
でも確率的にはとても低い恐れのために閉鎖的なことしてたら愛犬の心の成長に大きな問題が生じる可能性が高くなるのです。
無責任だとお叱りを受けるかもしれないけど、充分配慮されたうえで愛犬の社会性を育むような関わりを増やし、それで万が一病気になったら私たちと全力で治療に当たると考えていただくことが『犬育て』ではないかと思っています」
と言えるようになっていただきたい。

そして『うまく他犬と遊べない』わんちゃんの飼い主に対して私が伝えたいことは、怖がる愛犬を抱っこして他犬に近づけ、強引に慣らそうとする行為を止めていただきたい。
生来的に他犬が苦手なわんこもいるし、自分たちがそれまでの時間をかけてそのように育ててきたわんこに対し罰ゲームのような仕打ちにしか見えないからだ。

私のカフェでは不安を示す犬に追い討ちをかけるような状況を極力与えないように配慮されている。
だから、相手が寛容だから、配慮されてるからこそ…一気に慣らそうとせず、それまで育ててきた時間と同じ時間をかけるつもりで、あなたの愛犬が他犬の存在を徐々に受け入れ、そのうちに気の合う相手にめぐり合って心許すまでを静かに見守る親であって欲しいと願う。

5歳も過ぎてそれでも他犬と積極的に関わろうとする犬にはどこか他に問題があると思う…という新たなテーマを提示して今夜はおしまい。
 

他犬と遊べる愛犬にしたい!? 2006年10月28日(土)

  「ワンちゃん同士が絡み合いながら楽しく駆け回ってる姿を見ると、うちの子もそんな風になって欲しいと思うんですよねぇ」
そんな希望を持たれた優しいご夫婦が今朝も来店されていた。
「そうですかねぇ」と私はあえて否定的な言葉を口にしたが、そんな期待を持った飼い主が結構おられるようだ。

ドッグランやどこかの草原に出かけ、気のあった仲間たちがフリーにされたとき、自然な流れでお互い交差しながら駆けまわるイメージは当然私にも備わっているし、実際そのような場面を毎年のように愛犬仲間と共に経験している。

しかし、愛犬家の多くの方はこの楽しいシーンを現実のものとするために“必要な前段”を端折っているのを意に介さず『それ、楽しく遊んで来い!』と放牧しているように思え、危険を感じる。

例えばドッグランで周囲の犬たちや飼い主の稟性・配慮の程度すら確認せず愛犬を放すことは、航海術すら学んでないわが子を未知の大海に放り出すようなもので、ひとつ間違えば大惨事になるだけではなく『知らない犬はもうこりごり』と愛犬の心に焼き付けてしまう危険もはらんでいるのだ。
せっかく他犬と楽しく遊べる要素を持った犬に、その時点で飼い主の気持ちとは裏腹に他犬に対しバリアを張らせてしまうことになったわけだ。

生後3週間から2ヶ月齢の仔犬たちばかりの集まりなら、そんな心配は不要だから、きっと飼い主のイメージの中にはテレビや雑誌で見たそんな犬たちとの愛らしい絡み合いが印象深く残り、あの情景を今わが子が楽しく演じてくれればどんなに幸せだろうか、との想いから発した大胆で無謀な行動が自らの愛犬を傷つけてしまう結果を導き出したとしたら切ない。

“必要な前段”とは毎度毎度の繰り返しで恐縮だが
1.散歩や日常生活上での社会経験の積み上げ
2.その中で培われた信頼・主従関係
3.ノーリードでの制御や呼び戻しができれば一番よいけど、それができない場合はせめて『マテ』といえば愛犬がその場に留まり、飼い主が接近することで容易にリードで係留できる訓練を徹底しておく
4.飼い主自身が“愛犬の状態・他犬の状態・周囲の環境・他犬の飼い主の配慮度合い”を把握できる能力を磨くこと

上記の前段がなくても見知らぬ他犬と遊べる犬たちは高い確率でいるだろう。
しかし、だからといってその犬の飼い主が『うちのワンコは他犬と遊べる』と思い込み、あちこちに出かけてこれまで通りのつもりでいたなら、いつか大きなしっぺ返しを受ける確立はさらに高くなり、ほぼ必ずと言っていいほど誰かに咬まれるか誰かを結果的に咬むことになると私は思っている。

そんな瞬間を見たくないしその時の愛犬の気持ちを考えたら耐えられないから、私はオス犬は去勢するしきちんと育てしつけている。
そのうえで草原で奔放に遊びまわれる相手を選ぶし、そうでない相手の場合はいつでも引き際を指示できるように適度に付き合うよう教えてある。

それでもなお前段を端折って「他犬に慣れさせ遊べるようにしたい」という飼い主がおられる。

この続きはまたあした。
 

野球と道民怪説 2006年10月27日(金)

  今年の4月に北海道日本ハムファイターズの新庄選手が引退発表したとき、ファイターズが日本一になることを誰が予想していただろう。
『今年は絶対日本一になるぞ!』などと本気で考えていたのは熱狂的な人々の中でもごく僅かで、公式戦が押し詰まった辺りでも『なんとかプレーオフに進出して、西武やソフトバンクに一泡吹かせて欲しい』というのが大方の空気だったように思う。

最初は大きな期待を抱いていたわけではないのに、勝ち進むたびに人々は惹きつけられ、同時に身内のことのように不安をかきたてられた。
終盤の逆転劇で手に汗握る好ゲームがあると、人々の興奮と期待は大きなうねりとなり怒涛のような声援となって相手チームに叩きつけられた。

その空気はまるで一昨年夏の甲子園での駒大苫小牧に対する道民の想いと共通するように感じられたのは私だけではあるまい。

勿論、北海道代表が甲子園で優勝するなど歴史上なかったことで予想だにしなかったことだから、“あの喜び”には及ばないが、新庄選手の『本気で楽しむ』ことの意味とその副産物としての『力が抜けたうえでの的確な判断に基づくプレー』には教えられることが多く、にわかファイターズファンの私もどんどん引き込まれて楽しかった。

セリーグも来年から3位までに入ればプレーオフ進出というシステムになる。
1位から3位までのゲーム差によるアドバンテージをしっかりさせ、またペナントレース中盤までを退屈にさせない仕組みにして欲しい。

この制度がある限り、北海道日本ハムファイターズの優勝がこの先5年も遠のくことはないだろうし、もし札幌ドームでプレーオフが行われたなら選手にはすごい力になること請け合いである。
北海道民にはチームが敗れたとしても一生懸命やってる選手たちに怒号を浴びせる風習はない。
そんなことじゃこれから始まる長い冬を越せるはずがないからだ。
雪国で暮らす人々の知恵は『耐える(受け入れる)ことと楽しむこと』で、たとえ来年から新庄選手がいなくなっても今年のように楽しくユニークなチームであれば道民はもっともっと応援していくだろう。

ただし忠告がひとつ。
♪ああ、待っても春など来るものか、見捨てて歩き出すのが習わしさ。北の国の女にゃ気をつけな♪と中島みゆきが歌ったように、怒声や罵声を浴びせることはないけれど、いい加減なチームになったらあっさり見切りをつけてしまうのが北の国の女である。

怖いじょー

ともあれ北海道日本ハムファイターズ優勝おめでとう!
 

弘法も筆の誤り、猿も木から落ちる 2006年10月24日(火)

  昨夜は酔っていたし寝ぼけてもいた。

それに例え平常心であっても誰だって誤りはあるものだ、よね、だしょう?

フツウ、ペット繋がりの友人を携帯電話に登録する時『長崎アモ』とかにするじゃん。
だから夕べ、突然お預かりになったNさんから私の携帯に電話が鳴ったときに『Nアラン』と表示され、私がすっかりNさんの愛犬をアランだと信じ込んだとしても仕方がないのである。

でもそれが何年も前に登録されていて、現在の愛犬の名前ではなかったとしたら…?

そんな過ちを私は犯し、夕べ遅くから今夜遅くまで預かっていたワンコを我が家の愛犬アモと同胎のアランと信じ込み、この欄でも紹介してしまったのである。

アランは確か釜石市(これは本当か?)で立派に盲導犬として活躍しているのを知っていたはずなのに、この段階ですっかり“思い込み”が働き、夕べから本当の名前を『ナック』というわんこを『アラン』と呼び続け「アモの兄妹です」と今日一日紹介してしまっていた。

盲導犬候補犬としての性質が似通っていたのと、体型の違いはオスメスの性差だと思い込んでいたから、最後まで疑問を抱かずに皆さんには結果的にウソを言い続けてしまった。
実際、目の色や形に違いはあるものの性質的にはとても共通するものがあった。

今夜遅く、お迎えに来られたNさんが「ナック!」と呼びかける声を聞いた途端、私はうろたえ、しどろもどろになってしまった。

だが、しばらくして私に助け舟となるチャンスが巡ってきた。
「釧路の帰りに帯広によって買ってきたクランベリーのスウィートポテトです。食べてください。」とNさんから頂いたお土産を開封すると、中にはNさんちの人数分のショートケーキが5個入っているではないか。

「渡す土産を間違えたな!」
すぐさまNさんに電話を入れて、解けかけたショートケーキを食べる許可を頂き、アランとナックの勘違いを正直に告白し、お互いのミスはチャラになった。

ただひとつ誤算だったのは、5個のショートケーキを黙々と食べ続けようとするKの食欲であったのが怖い。
 

急なお泊り 2006年10月23日(月)

  お泊り犬がいなくなった途端、嬉々としてカフェをたたんで私はアモの散歩をたっぷり行い、その間にKは仕入れに出かけ、アモに一品多目の夕食を済ませてから『里塚の湯』に走る私たちであった。

その途中、私の携帯が鳴って「突然ですみません。今夜からお泊りをお願いできませんか?」といつもは元気な元パピーウォーカーのNさんが電話の向こうで不安そうに話しかけてきた。

「今、出先ですが」と私が答えると
「実は主人の父が倒れてしまって釧路まで行かなければ…」と、話は切実であった。

Kは次の中央分離帯が途切れた場所でUターンし、カフェに戻る準備を整えた。

いつでもOKのお預かりの心構えを整えたが、幸いにもその時間まで『里塚の湯』を楽しむ猶予が残されていたので再びUターンして、温泉ヨガをしっかり行って体調を万全に整えた。

お泊りのアランはアモと全くの兄妹だから、何ともいい子である。
生まれが同じで育ちが違い、方やオス犬で方やメスであり、その違いを知りたい方は明日からのご来店で確かめて欲しい。

途中で居眠りし気づいたら夜中の3時になってしまった。
ごめんです。おやすみなさい。
 

気ままに生きる 2006年10月22日(日)

  『そのうちカフェをやめたらペットホテルを月に20日だけやって細々とひっそり楽しく暮らしていこうね』
そんな共通認識が私とKの間にある。
ガーデンもあるしカフェのスペースを改造してうまく使えば、喜んでもらえる環境は整うであろう。

たぶん今すぐにカフェやレッスン・愛犬の美容室をやめてペットホテルに特化しても得られる利益は大して変わりはないと思われる。
なのに、交代といえども5人のスタッフを使い、毎月のパスタや日々の料理・おもてなし・レッスンに心砕きながら営業しているのは、利益だけではない繋がりやお役立ちそれに何より楽しみが私たちを包み込んでくれているからだと感謝している。

『お金では買えないもの』という禅問答のような『意義』について感じ始めたとしても笑われるような年齢ではなくなった。
もともと盲導犬事業に関わってきたのだから、世間並みの金銭的充足欲求を棄てて精神的充実の世界を選んでいたわけであり、その延長が未だに続いているだけのことである。

怖い話だし、だからといって私たちが開き直って変な意味で大名商売をしているなら痛烈な批判を浴びせていただきたいのだが、実際のところそれを意識してお客を選ばせていただいているのはペットホテル部門であろう。

『基本的に一見のお客様のワンちゃんはお泊りできません』
という決まりにしたのは失礼ながら大正解だと思っている。
今夜だって気心の知れたラブラドールとゴールデンが、私の横ですっかりリラックスして寝そべっている。
知らない犬だったら、北海道日本ハムファイターズが逆転したときに飛び上がった私に吠え立てていたかもしれないし怖気づいたかもしれない。

今夜、気に入らないのは、私が飛び跳ねたのに対して「またバカやってる、このオヤジ」というように、私よりも犬たちのほうが私の行動を冷静に予測していて寝ぼけたように冷たい視線を浴びせ、盛り上がりに欠けたことくらいだ。

かくして、北海道日ハムは今夜の勝利を収め、私の喜びに同調してニコニコやってきたのは我が家の愛犬アモだけであった。

わがままな商売をさせていただいてるけど、私たちが楽しみ愛犬もそれを見守ってくれてる生活こそ長続きの秘訣でもあるかもしれないのでご理解のほどよろしく。
 

晩秋 2006年10月21日(土)

  春からガーデンに張っていた日除けテントを今朝撤収した。
陽光が降り注ぐ時はとても気持ちよく、雲に遮られた途端に身震いしそうな寒さを感じる季節になったから。

確か去年の10月末に白鳥の群れが見事な編隊を組んでカフェの上空を飛行していたので、今年も見られればと毎日期待して耳を澄まし北の空を眺めることが多くなった。

まだ大した数ではないが雪虫が飛び始めている。
ガーデンの淵に溜まった枯葉を庭ボウキで掻き集めると、太さが6ミリ以上もあるミミズがうじょうじょ出てきて再び土に潜ろうともがいていた。

白樺やアカシアの葉が徐々に落ち、向こう側が透けて見えるようになったし、窓から見える公園の木々の中で一本の木だけが燃えるように鮮やかに赤く輝いているから明日種類を調べてみようと思う。

食欲にムラがあったシベリアンハスキー/チェスの身体が明らかに丸くなり、Kは毎夜「アイスクリーム食べていい?」と私に尋ねるようになった。

長い冬の足音が聞こえ始めた晩秋の札幌で、二日休んだのに今夜のテーマが見つからない、これも私の晩秋である。
 

職場放棄 2006年10月18日(水)

  「女をいつまでも働かせるなぁ!」
「休ませろぉ!」
「団結するじょ、オー!」
そんなKのひとりシュプレヒコールがあがって以来、水曜日はKの休日となり、翌日の定休日とあわせて連休になっている。

今朝からお出かけの雰囲気を漂わせていたKだったが、我が家の愛犬アモは朝食を終えると、いつものように1階のカフェに忙しそうに出勤していった。
一体何が忙しいのか私たちにもよく分からないけど、アモはいつも「よし、今日も頑張るじょー」と張り切って出勤していく。

スタッフがやって来て開店前の掃除を始めると、ストーブの前に寝そべっているアモは、掃除機をかけるとき・モップをかけるときに「アモちゃん、ちょっとごめん」と声は優しいが明らかに邪魔者扱いされている。

すると今日は何を思ったのか、私がいた事務室に入ってきてチラッと私を振り返った後、廊下を抜けて2階に上がっていった。
しばらく降りてこないので様子を見に行くと、Kが入った洗面所のドアの前に伏せていて、その目で「ボク今日は休ませてもらうことにします。母さんにお供します」と語っているではないか。

そんなわけでアモは初めて職場放棄をし、その切ない眼力でKを引き込んでいそいそと出かけていった。

アモのいないカフェはちょっとした空間の広がりはあったし、来客時のお出迎えがないから静かにも感じられたが、平日でヒマなカフェで私は時間を持て余してしまった。

夕方、ニコニコと戻ってきたアモに私はちょっと嫉妬し、「アモ!病院行くぞ!」と声をかけ、一ヶ月遅れの混合ワクチンを腰の辺りにブスッと打ってきてもらった。
 

裏話 2006年10月17日(火)

  他人には見られたくない場面というのは誰しも抱えているが、私とKにとってそのひとつが我が家の愛犬アモとの散歩のシーンじゃなかろうかと思っている。

この欄を読んでおられる方や、カフェに来られてアモをご覧になった方には信じられないだろうし、私たちにとっても恥ずかしい話ではあるが、今夜はその正体を少し明かそう。

カフェではおりこうさんに振舞っているあのアモも散歩となると本性丸出しで、とても自慢できる姿ではない。

1.散歩に出た時だけはマーキングの帝王(Kはマーキング王子と呼ぶ)となって、その数たるやシーズーのゴンタには到底及ばないが相当なものである。
私たちがいるからよそ様の玄関先などにはさせないが、空き地や草むらに引っかけまくって、しかも最後までしっかり出している。
早い時期に去勢してもマーキング意識が残った犬の典型だろう。
弁護することがあるとすれば、状況をわきまえてるということで、例えば建物の中は勿論、札幌の駅前通りを歩いたとしてもそんなことはしない。

2.臭い嗅ぎは大好きで「野良犬みたいな動きをするな!みっともない」と私たちを呆れかえらせる。
ただし、拾い食いをすることは絶対ない。

3.他犬を見かけた時や外飼いの犬がいる場所では毛を逆立て息を荒立てて、自らの不安を覆い隠すように虚勢を張っている。その姿たるや『コモドドラゴン』とKは呼び、『お前はイグアナか』と私は嘆く。

以上はアモの稟性(もって生まれた資質)で、つまり、ただ、犬として普通に育てていればいつもそれが前面に出るということでもある。

『盲導犬の訓練をやってた人間がそんなことも治せないのか!』とお叱りとヒンシュクを浴びせられるかもしれないが、大手術を2回もやって長く辛い制限を与え続け、今ようやく自分のやりたいように動き回るアモの姿に私たちは喜びを感じているのだろうと思う。
アモも「やっぱりそうだったんだね。僕のためだったんだね。もうどこも痛くないし不自由なく走れるよ」と言ってくれているようなのだ。

教えたいことはまだあるが既にたくさんのことを教えてもある。
実際、以前のように引っ張ることはないし、紐無し脚側歩行も命令口調で言えばできるし、ノーリードで誰にも迷惑をかけることなくマーキングや臭い取りもさせずに歩こうと思えばできる。

でも、私はアモにいわゆる訓練はしない。
どんな状況下でも冷静に判断し指示された作業を喜びとして行う必要性が我が家にはないからだ。
勿論『訓練とは、教えられたことをすべて忘れたとしてもなお残るもの』という側面があると私は考えているから、その点については家庭犬のアモにも保護者としてそのうち教えていくつもりだ。

飼い主が愛犬との暮らしをイメージするスタイルとは関係なく、生まれ持った性格というものが犬にもあり、そこら辺のギャップでつまづく方が結構多いと思う。

私とKはみっともないアモの現在の行動をできるだけ人に迷惑をかけないようにし、アモは奔放に楽しんでいる。
根底にはお互いいつでもいい子に見せかけることができるという合意ができているからだ。

ただ、そこに人間の子供と同等な権利と個性を認めていると思われたなら大違いである。
子供たちは親元を離れ自活する別人格の人間であるのに対し、アモは私たちと一生暮らしを共にする伴侶である。
犬格は知っておくし最大限のわがままを許すけど、我が家のライフスタイルからはみ出させることはない。

でも今夜みたいな散歩はやっぱり誰にも見られたくない。
『幻滅!』『信じらんない!あれがアモ?あれが訓練士?』
どこにも表と裏はあるのですぞ。
 


- Web Diary ver 1.26 -