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日付も変わろうとしている厳冬であるべき季節の深夜なのに、降り続く雪はまるで北陸の豪雪地帯のように重く湿っている。 日中フル稼働したロードヒーティングの余熱で、階段や玄関前の雪は解け、手摺やフェンスでは普段のパウダースノーでは通常有り得ないような形状(まるで雪庇)のようにせり出している。
夜中に近所迷惑で申し訳ないと思ったが、必要な場所だけガロアラシ号を稼動した。 除雪を終えてしばらくすると、近所でも除雪機の音が響き始めたとKが教えてくれた。
降り続く雪で殆ど来店のないカフェだったが、そんな中、駐車場からクレートを引きずりながら駆け込み寺にやって来られた柴犬の飼い主には幸いだったかもしれない。 「困ってます!」という飼い主の表情以上に私の顔は引きつってしまっていたが、どうせ他にすることもなかったので、夕べこの欄で書いたレベル3以下の条件にも関わらず、レベル1あるいはそれ以上のサービス対応をしてしまった。
飼い主を噛むは、家中を休むことなく走り回るは、ついには近所からの苦情で、留守中吠えっぱなしの愛犬の行状に苦悩し疲れ果てた顔がそこにはあった。 「この犬の前に飼っていたゴールデンはとてもいい子だったのですが…」
そう、この国の愛犬家はたまたま良い犬に恵まれた結果、『犬というもの』を勝手に美化し理解した気分になり、自らを愛犬家と称し、鼻高々に芸を披露し、犬というものを賛美してその中心に自分がいることを喜びとしている。
つまり偶然、良き家庭犬になった犬との暮らしによって今後もその楽しい暮らしが必然的に訪れると勘違いしている。 あたかも、カフェで「今日は今月のパスタ」「今日は温麺」とメニューの違いを楽しむように犬種を変えて暮らせると誤解しているのだ。
純粋無垢で善意に溢れ、良心的な飼い主の生活を愚弄しながら甘い汁を吸い上げ、挙句には奈落の底に突き落としている元凶は、身の毛もよだつ『生体販売』に腐心するペットショプをはじめとする大手を含めたペット産業であることは間違いない。
なぜ、せめて、犬種特性を正しく伝え、まともな犬を繁殖に用いないのか? その評価の仕方すら知らない連中から、まるでロシアンルーレット(一発だけ銃弾を込めた回転式銃を頭に当て、引き金を引きスリルを楽しむ拷問)のような際どい状況下で、見た目に惑わされ購入する飼い主。
唯一彼らの商法に対抗できるのは不買であるのに、人としての優しい心がそれを置き去りにして、彼らの商売を助長している現実。
さらに飼い主の無知と、商売の巧みさ。 これらが合致した現実が日々私の前にさらされ、新たな商売としていくらでも展開できるようになっているのだ。 弄ばれるのは、誰もが口をそろえて「可愛い」と言う犬たちである。
どこかおかしいでしょ?そう思いませんか?
今日訪ねてくれた問題犬の柴犬はいい子であり、問題もあった。 だからこそ私は悔しいのである。
この話題になるとつい熱くなってしまう。 絶対の信念と理論があり、世界中の誰とも共感できる自信があるからだ。
明日の除雪が私の当面の課題であり、時間は深夜1時を過ぎている。 クールダウンしてそろそろ寝ることにする男からのささやかな発信である。
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