From the North Country

大本営発表 2006年10月06日(金)

  せっかくの3連休も札幌は大荒れ予報となり、気温もぐんと下がってしまうらしい。
すばらしい気候に恵まれ続けていたから、『ま、これも仕方ないか』と観念している。

昨日の定休日には家族でモエレ沼公園に出かけ、調子に乗ってモエレ山にまで登り、360度の石狩平野を展望してきた。
アモの右後肢に異変を感じたのは、さらにその後のことだったが、アモは平然としていた。
その様子に私たちは救われた思いで、以後無理をさせず帰宅し、しばらく休んでいた消炎鎮痛剤を当面続けることにした。

一夜明けた今日も、アモの歩様は完全ではないけれど跛行はなく、あくまで歩様にぎこちなさが感じられる程度だ。

それよりも心配なのはKと私の足腰のほうである。
昨日登山したからといって今日痛み始める年齢ではないことを自覚し
「痛み始めるとしたら明日からだ!」
という人生の経験則に基づいて、つまりは今夜アモに留守番をお願いして二人で“里塚の湯”に出かけてきた。

大本営発表!

アモの健康と幸せはKと私の健康あってのものであるからして、私とKが温泉に行って健康を回復する努力を行うことは、これすなわちアモの幸せのために行う努力であり、このことはすべての臣民の理解を得られるところであろう。

10月からリニューアルした“里塚の湯”の新メニューには、経営努力によっていい物もあればあからさまにマイナスのメニューもあったが、努力し変化している姿勢はうかがい知ることが出来るものであった。

私としては『温泉ヨガ』なる独自のコツは習得したので、近いうちにカフェの常連男性に声をかけて、観楓会か忘年会になるのか分からないけど『健康長崎塾』を“里塚の湯”で開催したくなってきている。
勿論、メインとなるのは飲み会であるが、そう簡単に飼い主の女性に悟られてはまずいので、まず必要なのは『大義名分』であろうから『健康長崎塾』なる会は妥当なところと言えよう。

やりませんか?同輩諸氏?
まずは数人から…
 

除雪機ガロアラシ号秘話 2006年10月04日(水)

  昨日今日と夕方の散歩時ですら半袖姿がちょうどの札幌だった。
今年も去年のような遅い雪になるのだろうか。
昨年は12月10日にある程度まとまった雪があったものの、その雪も一旦消えてしまい、本格的なドカ雪はクリスマスの夜だったと『北の国から』を読み返して知った。

雪といえば活躍するのが我が家の除雪機ガロアラシ号で、この除雪機は私の友人であるガロ社長が、事故で亡くなる3日前にカフェに届けてくれた思い出であり形見でもある。

「うちの除雪機を使っていただき、ありがとうございます」
今日の昼頃、作業着姿でカフェにドッグフードを買いに来られた黒柴宗一郎の父さんが、まだ車庫にしまってあるガロアラシ号について私に伝えた一言がきっかけで、私は胸が一杯になってしまった。

宗一郎の飼い主であるTさんは、カフェから車で数分のところにあるホンダに勤務されていて、除雪機をそのまま取引価格で私にプレゼントしてくれたガロ社長とは船外機などを扱う取引先だったというのだ。

「気さくな方でした。実はその除雪機を社長の元に届けたのは私なんですよ。可愛がっていただき、あの事故があった朝も、私は社長の会社に向かっていました。そして救急車に運ばれる姿も…」

この出会いは決して偶然ではあり得ない。

「社長が亡くなって、除雪機のアフターケアを行うために販売先を知る必要がありました。しかし資料が見つかりませんでした。そんな時長崎さんのホームページを見て『ひとつメッケ!』って喜んだんです」

なんとTさんは私のホームページを見ていたというではないか!
Tさんの愛犬黒柴宗一郎は先日カフェにお泊りし、私は室内でマーキングを繰り返す未去勢のSという表現で『別物』という扱いをし、性格はとてもいいのに陰睾丸の宗一郎を去勢しない飼い主を戒めるようなことを書いていたのである。

「宗一郎君、今週の金曜日に去勢するんだって。」
スタッフMが彼女の娘が勤務する動物病院からの情報を伝えてくれたのは先週のことである。
「長崎さんに言われたから…」というのがきっかけになったようである。

この繋がりをどう理解しろと言えよう!
犬好きで照れ屋だった社長が、遠まわしなやり方で結び付けているとしか思えないではないか!

自分の愛犬に、ホンダで勤めている人間が“宗一郎”と名付けている意味を私は充分に理解しているつもりである。
本田宗一郎というモノづくりに一生を捧げた人間を直接は知らないけれど、彼がガロ社長と酒を飲む機会があったならば意気投合していたと思う。

そしてホンダの遺志を継ぐ青年とカフェに小さな接点が除雪機を通して見つかり、生前の人の姿が今日思い起こされた。
「偶然ですね」
そうかもしれないけど、私たちにはそうではないように思える。
 

私の健康法 2006年10月03日(火)

  テレビ大好き人間にとって、最近のバカ騒ぎタレント芸人番組は不愉快で苦痛に感じる。
制作費が安く視聴率が高いから主流になってしまったのだろうか?
どこのチャンネルに行っても同じだから、この欄を書く時間帯がだんだん早くなってしまい、その分飲む酒の量と吸うタバコの数が減り、私はなんとか健康を維持できるようになった。

昨夜の『最新情報』でKが報告していたけど、私の検査結果に異常はなく薬さえも処方されなかった。
先生曰く「多少の炎症はありましたが、ほとんど治りかけの段階で来院されたようです。身体の力で治っているようですので薬は必要ないでしょう」とのこと。
あの痛みは炎症の最期のもがきだったようで、自然治癒力というより焼酎の威力と私は勝手に解釈している。
ただ、検査後に急に楽になったことを考えると、消化器洗浄の下剤を飲んでさらに管を通されたことで、つまりは下水管を掃除したような効果が現れたのではないのかと思い、その意味で今回の検査は有用だったと言える。

まあそんなことはどうでもよく、早く本題に入ればいいのだろうけど、実は今夜は何のテーマも持ち合わせておらず、だらだらここまで引っ張ってきただけでありまする。
お泊り犬がいなくなって気持ちが楽になり、8時に書き始めたのに、既に日付が変わって30分経っており、その間2時間以上はぐっすり寝てしまったし、1時間以上はKとくっちゃべっていた。

問題意識を持ち続け、気ままな時間を過ごしながら適度な睡眠と酒タバコを注入し、それでもこの欄を書くという義務を果たす。
「私の健康法はそんなところにあるのかもしれない」って今夜は安易にまとめてしまおう。

追記
『最新情報』に写っている今月のパスタの写真と、今日私が食べたそのパスタでは色合いが大きく違っていることにふと気づいた。
写真ではパスタの表面にパセリみたいな青い物がふりかかっておりますが、今日のはたまねぎを揚げたような焦げ茶色であったと記憶しております。
今週末頃には本流のパスタが固まると信じておりますので、「写真と違うじゃ^ん」との苦情を差し控えてくださいますようお願いいたします。
 

昨夜の続き 2006年10月02日(月)

  いやぁ、素晴らしかった!
今夜札幌サンプラザホールで行われた奈良岡明憲サキソフォーンアンサンブル盲導犬チャリティーコンサートで、プログラムには載っていないすばらしいコラボレーションに胸を打たれた。

75歳のオーボエ奏者岩崎勇氏と彼自らの編曲によるバッハのバロックをソプラノサックス奈良岡氏、ピアノ栗原ひろみさんの演奏で聴かせていただくことができたのだ。
まるでフリーマーケットでピカイチの掘出し物どころか宝玉を見つけたような感動があった。(それぞれの奏者を詳しくお知りになりたい方は、パソコンで検索を)
招待状を送ってくださった奈良岡氏(元繁殖ボランティア)には大感謝である。

さて、私には昨夜の続きが残されていた…
アモの乗車マナーについての変遷の続きである。

E.運転は決して荒っぽくせず、ブレーキでアモがつんのめることがあれば私は自分を強く戒めた。

F.フンフンフンという声には、その出始めや気配の段階で絶対的な不快感を示し、時には実力行使に出た。
我が家に来て4ヶ月頃函館方面に小旅行に出かけた際にも、発車してしばらくは声を出していたので『これ以上は治せない血筋か』と思いかけたこともあったが、とにかく継続して対処した。

G.日頃の付き合いの中でお互いを理解し、暮らしの基本を教え続けているのが何にも増して効果的だったのは当然である。

3.そして現在
・余程の誘惑を与えない限り、車の乗り降りを身勝手にすることはない。
・2列目を快適空間と感じており、背もたれに身体を委ねてリラックスすることが多くなった。
・私たちが車を離れ、温泉に入っていても前席に来ることはない。
・窓の外にいる牛や馬それに他犬を興味深そうに見ることはあるが、声を出したり取り乱すことはない。
・余程のことがない限り、車内でフンフンフンと声を出すことはないし、ましてや吠えることなど一切ない。

つまりほぼ完璧にアモとドライブを楽しめるようになっている。

“愛犬とどう暮らしたいのか”
すべては飼い主がそのことについての明確な意識を持っているかが問われているのであり、犬が出来るかどうかは方法論の範疇にしか過ぎないのだと思う。

そしてそれはかつての視覚障害リハビリテーション専門家としての私の理念にも一致している。
つまり『目が見えなくなったからできない』ではなく『どうすれば、あるいは何が分かれば出来るようになるのか』を常に探求し、“出来ないことを嘆くのでなく、出来ることを着実に増やしていく”という思いに行き着くのだろう。

「いいじゃん、別に。自分の車の中で犬がどう振舞ったって」
大いに結構。ただし…
1.そのことで愛犬を飛び出し事故などで無駄に死なせないで欲しい。
2.社会に過度な迷惑をかけないで欲しい。
3.しつけの面で困っていると嘆かないこと。

そういえば、人生半ばで視覚障害になり、前途に悲観していつまでも“見えてた頃の自分”を引きずって立ち直ることを拒んでる人が言ってた。
「いいじゃん、別に。俺は目が見えなくなったんだから歩かなくたって、家族が用事は足してくれるし、ラジオ聞いてれば楽しい時間を過ごせるさ」

心の底では辛く苦しいのに、こんな時、人は意固地になりやすい。
どちらかと言えば私のような性格の人間のほうがそのような傾向が強かったように思う。

今夜の音楽が私を素直に感動できる人間に変えてくれた、といったら奈良岡氏は飛び跳ねて喜んでくださるだろう。
 

アモに教えた乗車マナー 2006年10月01日(日)

  ほとんどの方は愛犬を車に乗せてカフェに来られるが、その車内状況は様々で、まるで愛犬との暮らしぶりが凝縮されているようで見ていて面白い。

いろんなタイプに分類して考察を加えると、きっと興味深い論文ができあがりそうだ。
まあ、それはいずれ論文ではなく乱文で書くとして、今夜は我が家の愛犬アモの乗車マナーの変遷について紹介しよう。

1.今年1月に我が家にやってきた頃のアモの状況

スライドドアを開けるや否や、飛び乗ったり飛び降りたりが当たり前で、7人乗りワンボックスカーの2列目の座席をうろうろし、息は荒くフンフンフンフンと声を出し続ける。
買い物などで私たちが車を離れると、すかさず助手席か運転席に陣取ってフロントガラスからその状況を観察していた。
中でいたずらをしたり吠えることはない。(これはパピーウォーキングの段階でしつけられている)

2.私たちが許したことと教え込んだマナー

A.後部の荷台でもケージでもなく、2列目の座席をアモのために開放した。(事故に遭ったときのことを考えれば決していい方法だとは思わないが、私たちは万が一のことより、しつけやすくコミュニケーションがとりやすいそばに置くことを決断している)
アモはすでに言葉の理解が可能な大人だったから、ヘッドレストにリードで係留する必要はなかった。(仮にそのレベルにすら達していない犬だったら当然係留しただろう)
B.もし教えなければ、犬は車のドアを開ければ飛び乗り・飛び降りるものであるから、乗り降りについて(とりわけ降りるとき)は指示あるいは目での許可がない限り身勝手な行動をとろうとした場合には毅然と対応した。(私は犬の次の行動を必ず予測しているから、うっかりドアを開け閉めして犬が飛び出すようなヘマはしない。当然のことながら敢えて油断したふりをして飛び出させることはあるが、それは訓練の強化のためで、直後に犬は飛び出したことを後悔し、正しい行動を学ぶことになる。)
C.2列目の座席にクッション・滑り止め・お昼寝布団・タオルケットなどを整備し快適な環境を整えた。
D.車から離れた後、前列の席にアモが移動した姿を発見したらその行動を後悔させ続けた。(微妙な表現)
こんな基本的なことに1ヶ月もかけていられないから、10回ほどの状況の中でさっさと片付けた。

ちょっとタイム!

テレビでディープインパクトがフランスのロンシャン競馬場に姿を見せた。
まもなく凱旋門賞レースがスタートするようだ。
この続きは、また。

ディープインパクト3着。残念!
でも良くやった!
因みに私は競馬はやらない。
 

つるべ落とし 2006年09月30日(土)

  夕暮れが早くなって散歩の途中から辺りは暗くなってしまう。
細かな葉をいっぱいに広げ、私たちの目を楽しませてくれた近所のねむの木は、今夕の散歩の時には葉を閉じ始めていた。

最近では懐中電灯を持って夜道を歩く人の姿を見かけなくなったが、これから雪が降って辺りが明るく見えるようになるまでの間、夕方の散歩に懐中電灯は必需品である。
もし散歩途中に愛犬が草むらでウンチでもしてしまったら、街灯の少ないこの地域では“取り残し”の可能性があるからだ。

今年の私の愛用はペンライトになりそう。
普段はワンちゃんたちの耳の中の汚れを見るのに使っているのだが、先日の夜、200メートルほど先にある家に回覧板を届けようとアモをつれて出かけた際、アモがやってしまったのだ。
ちょうど胸ポケットにペンライトが入っていて、その処理はとても簡単にでき助かった。

百円ショップにも売っているだろうから、もう一本買っておいてKのお散歩バックにも入れておこうと思う。
ペンライトならかさばらないし軽くて邪魔にはならないだろう。

夕暮れが早くなりこれから寒くなると、近所の小型犬が散歩する姿はめっきり減ってしまう。
明るいうちに済ませているのならいいけれど、帰宅する頃は既に真っ暗になっているから『冬は歩かない』、なんてことにならないほうがよい。
繊細で過敏な小型室内犬ほど精神的にも肉体的にも図太くなるように接し、そういう体験の場を継続すべきだと思うからだ。

明日はペンライトを携え、散歩は逆コースにして、明るいうちにねむの木の横を通ることにしよう。
 

この国の行方は小さな変化から始まっている? 2006年09月29日(金)

  プロ野球セントラルリーグの今夜から3日間のゲーム、阪神VS中日戦がどんな意義を持ち、日本国の中核で働く能力を持った多くの人間にとってどれほど興味深い試合であるのかをこの国のテレビ局は知らないのだろうか。
道民を愚弄するのもいい加減にして欲しい。

優勝に向けほとんど不可能な数字に僅かな望みを寄せ、それでも挑み続ける選手たちに固唾を呑んで握り拳に祈りをこめる人々を称えるのは“美しい国、日本”の伝統ではなかったのか!

しかるに、今夜私はこの大切な試合を見ることが出来ない札幌に住んでいるのだ。
“美しい国”を唱える人を支持すれば明日からでも中継を見ることが可能なのだろうか?

皮肉なことに今夜のお泊り犬、まろんの飼い主さんも虎キチである。
ネット検索で阪神が4−0で中日をリードしていることが分かっているから、まろんと楽しい時間を過ごせているが、もし負けていたならまろんと遠吠えするしかない。

待てよ!?
まろんのお泊りは3泊の予定だっけ?
もしや飼い主は甲子園で、熱狂?
だとしたら私の心はまろんと同じようにあなたの下にあることを伝えなければ。
あなたの応援は私の応援。
奇跡というのは不可能と思っていたことが起こるから人々に感銘を与えるのです。

何もその奇跡を今年の阪神に起こせと言っているのではなく、その経過をこの目で見届けたいだけなのである。
今夜はささやかな願いを言ってみただけ。

阪神が4−0で快勝とネットは伝える。
テレビ人間から、より作為的で不安定要素の強いネットに傾く人間に変わっていきそうだ。
 

変わり目の秋 2006年09月28日(木)

  一日臨時休業をいただいて2泊3日のニセコ(倶知安町比羅夫)の旅を楽しんできた。

地価高騰率日本一と報道されていたが、行ってみてビックリ!
いつもなら鳥のさえずりを聞きながらのんびり朝の散歩を楽しむ坂道コースを、コンクリートミキサー車や重機を積んだトラックが唸りをあげて走ってくるではないか。

別荘やペンションそれに付随するカフェやバー・フードサービスが点在する地区に、コンドミニアムというコンクリート主体の建築物が続々と建設中であった。
依頼主はほとんどがオーストラリア人。

北米やヨーロッパに行くより時間的にも経済的にも負担が少なく、しかも雪質は最高!という評判と商魂が相まって、比羅夫地区には今やオーストラリア租界が出来つつあるようだ。

金持ちによるコンドミニアム建設と、アウトドアに魅せられた若者の手作りハウスというふたつの流れがオーストラリア人によって進行中のようで、いずれにしても賑やかではあった。
それでも、新築や改築中の家はせいぜい20棟か30棟くらいで、狭い地区の中で行われているから目立つのであり、狭い地区だからこそ一気に地価が上がったのだろう。

で、私とKは騒々しい比羅夫を離れて、正にニセコ町のミルク工房や、撤退することが決まっている東山プリンスホテルなどの草原で我が家の愛犬アモを放牧した。
拾い食いなどという下品なことはしないアモだけど、牧草は大好きだからそれを食む姿は放牧された馬そのもので牧歌的な放牧という言葉がピッタリに感じられるのである。

術後のアモの足は問題なく機能している。
真狩村の河川公園でも細川たかし像の大音量の歌声にたじろぎもしなかったし、マッカリーナ(有名レストラン)横のユリ園では巨体を芝生に擦り付けてのた打ち回っていた。

さて、比羅夫地区。
「せいぜい賑わうのは冬の2ヶ月だけなんだけどねぇ」
26年前からペンションとレストラン・カフェを営業している『if』のオーナー夫妻は疑問を呈し、今後のヒラフがどのように変化するのか静かに見守っている。

コンドミニアム建設作業員のワゴン車のバックドアが開放されたままになっていた。
車内に置いてある昼食のサンドウィッチは、度胸満点のカラスたちによって車外に持ち去られ食われてしまった。
運転席と助手席のヘッドレストにとまって獲物をせしめたカラスたちは、今後の生活の基盤の変化をしっかり学習しているようだった。

カラスたちは本能的に獲物を安全に手に入れる方法を学び、日本人とオーストラリア人は投資のリスクと儲けを秤にかけながらうごめいているみたいだ。

小さな町に再びミニバブルが訪れようとしている。
ヒトとカラスはどちらが利口なのだろうか、楽しみがまた一つ増えた初秋のニセコだった。
 

身体障害者補助犬法 2006年09月25日(月)

  今朝の朝日新聞に身体障害者補助犬(盲導犬・介助犬・聴導犬)についての法律が施行されて3年経つが、社会の理解と法律であることの意識が浸透していない状況が報告されていた。

人類の圧倒的多数は健常者と呼ばれる五体満足な人間たちであるとあなたが感じていることに私も同意しよう。
その代わりと言っては語弊もあるが
・人は年を取り、ほとんどの場合行動が鈍くなったり耳が遠くなったり見えづらくなったり記憶が定かでなくなったりするものである。
・あなたの身辺に事故や病気で多少なりとも不自由な状況を抱えている人はいないだろうか?
・健常であるあなたの身体と生活は必然的永続的に保障されているとお考えだろうか?
という私の指摘にも同意していただければありがたい。

次に、同意していただきたいことは
・自分が辛く苦しいとき、理解や配慮をしてもらえたなら、たとえ問題の本質が解決されなかったとしても勇気と感謝の念が沸き起こるものであるということ。
・そしてそんなことを感じ・考えるのは人間であるということ。

慈善やゆとりあるときの配慮ではなく、普通、病人やお年寄り・不自由な制約を受けている人が身近にいることって今や当たり前じゃないですか?

ノーマライゼーションっていうのは、健常者の周りに年寄りや私のようなアルチューハイマー的人間や障害者が混在しているのが正常な社会であり、臭い物に蓋をして刹那的世界を築き上げることの無意味さへの批判でもある。

私が秋田県で初めて盲導犬を訓練し、バスの乗車訓練を行ったとき、
「犬は困ります」という運転手に対して
「盲導犬だべ!乗せてやれ!」
「そうだ!そうだ!」という乗客の応援を忘れることは一生ない。

だが、今の時代でもそのような応援が必要なのだとしたら悲しく切ない。

理解途中のあなたにはこれらの意識を計るバロメーターを提示しよう。

あるマンションに住む視覚障害者が盲導犬を申し込むことになった。
すると「社会福祉のためマンションの規約を変えてペット可にする提案をします」という人が現れた。
あなたは賛同なさいますか?
そんな風に言う“理解者”がいたとしたら、私はこの国の行く末を明日からも案じ続けなければならないことを理解して欲しいのである。
 

断ち切るときはスッキリと 2006年09月24日(日)

  9月の24日に冷房を入れなければならないとはスゴイ今年の札幌である。
残暑が厳しいのかそれとも暖冬なのだろうか。

真知子とその娘たちから託されたウィンピーを昨日無事に新しい家庭に送り出すことができた。
私たちの詳しい心の内はKが“最新情報”に寄せているが、ラブラドールの環境適応能力は実に多彩で臨機応変であることを再確認させられる。
盲導犬を取得するための期間が初心者なら4週間で、経験者となれば2週間で済むのも合理的であるというのが理解していただけるであろう。

難しいのは手放す側の人の心の整理かも知れない。
まるで、さだまさしの『親父の一番長い日』の詩の世界そのもので、彼のバックを務める友人はこうも言っている。
「すき焼きをやってるとき、鍋の隅っこで自分だけの麩(ふ)を大切に煮詰めたことがありますか?
食べ頃かなと思ってもまだ手を出さず、コテコテになるまでじっくり愛しい思いで何度もひっくり返すんです。
それなのにそれを横取りされたとしたら?
娘を嫁に出す父親というものは…」
ウィンピーにしてみれば「俺は麩(ふ)か!」と抗議するだろうし、たとえ方が適切かどうかは別にして心境をそのように語っている。

酔いが速く回った今夜、くどい話はもうやめてウィンピーの幸せを祈ろう。
でないと、10月までエアコンに未練を残そうとする今年の夏と同じになっちまう。
 


- Web Diary ver 1.26 -