From the North Country

吠える犬と飼い主 2007年02月17日(土)

  愛犬の吠え声で困っている方はかなりの数に上り、かく言う我が家の愛犬アモも吠えることが一因で盲導犬の適性を欠いた。
アモの吠えは遺伝的な警戒による面が多分にあるから、全面解決は不可能である。
でも、それが好ましくない行動だと示すことで、反射的な声は出ても、その後の意図的な声を抑えることは可能であり、我が家に来てからアモの吠えに対しては相当なしつけを行い、今ではほとんど気にならないまでになっている。

犬には声を出したり吠えるという機能が備わっているが、何も闇雲に吠えるわけではなく、彼らにとって訳あってのことだろう。

1.警戒や威嚇の吠えは、強気であったり逆に不安・恐怖から発せられることもあるし、仲間内の争いをはやし立てる場合もある。
2.祖先の狼のように哀愁を帯びた遠吠えをすることは少なくなったものの、切なさや寂しさを声に出すのは珍しくない。
3.痛みや恐怖の極みの際に発する声もある。

今夜の話題は4番目以降に続くはずの、欲求あるいは要求それと興奮による吠えについてである。

@欲求による吠え
ここでいう欲求とは生存に関する本能に根ざした部分のことであり、そこから発せられる吠えはたとえ人間には耳障りなことであっても犬にとっては正当なものであり、飼い主がきちんと飼育責任を果たすことによって解消するべき吠えである。
例えば、適切な給餌・飲み水の提供・快適な寝床・必要な運動と排泄・健康状態の維持と必要な治療・愛犬との心の関わりであったり、避妊されてない犬たちが種の保存の為に突き動かされる衝動から発する吠えで、この吠え声を放置する飼い主を危うい人間と私は見る。

A要求と興奮で吠える
ここでいう要求と興奮で吠える犬とは、既に正当な生存環境が満たされ且つ健康に育てられているにも関わらず吠える犬であり、生後一年未満の場合にはある程度の許容が伴う。
結論から言うとこれらの犬は、遺伝的な警戒心で吠える犬よりずっと確実に簡単に吠える習慣をやめさせることが出来る。(正確には、興奮によって吠える犬の方がちょっと難しいが)

『要求や興奮で吠え(させ)る犬の飼い主は、必ずその他にも問題を抱えている』というのが私の持論だ。
誤解して欲しくないのは、きちんとした飼い主でも個々の犬の性質や犬種特性で想像以上のエネルギーを要することがあり、「そこまで対応できないよ!」との切実な悲鳴があることも事実なのだが、多くの飼い主は犬に振り回され成すがままにさせられている。

人間力が弱い人もいるから安易なことは言えないが、要求や興奮による吠えを直そうとしてしているのに、あと一歩のところで届かない飼い主の多くが持っている共通の課題を最後に書いておこう。

それは一貫性の無さである。
・犬は3回叱っても残りの7回を叱らなければその行動をやめることは無い。
・犬に対する叱りとはその行為を止めさせる事ではなく、多くの場合言い聞かせることでもなく、行為を後悔させ、次に同じ行為を行うことにためらいと叱られる覚悟を持たせることである。
・叱るときには決して相手を追い詰めてはならず、こちらの意図する方向への逃げ道を設けておかなければならない。

このことについてはもっと書きたくなったが、今夜はおしまい。
もう遅くなったしテーマとしてデカ過ぎるし酔っちまった。
 

カフェを始めて感じた一部 2007年02月16日(金)

  カフェを始めていろんな犬たちを見せてもらった。

盲導犬をやってた時代に科学的なことを学んできたし、経験則や雑学として身についた事柄も山のようにあり、それらは今でも私の財産であるが、今夜はカフェを始めてから私が学び感じたことの一部を書いてみようと思う。

1.食べない犬は病気になっても食べない。

盲導犬のパピーウォーカーは一年後に愛犬を協会に返すことになるのだが、返された犬の中にはグルメ犬がいたり精神的に落ち込んで食欲不振になることがある。
しかし、そこはレトリーバー。数日もすれば与えられたフードをガツガツ食べるようになり新しい環境への適応が迅速に行われる。
だから、もし犬が病気ではない状態で『こんなもの食べれるか!』という態度をとったら、すぐに食事を引き上げ一週間はそれを繰り返して、妥協しない対応が必要だ。
別に虐待しようとしているのではなく、ちゃんとした食事を与えられているのだから、期待して残さず食べるのが家庭犬の基本である。
そのうえで、食事に変化をつけより美味しく食べさせたいという飼い主の思い入れが働くのなら問題はないと考えていた。
ところが、一般家庭犬の中にはマジに食べない犬が存在し、それは恐らく病気になろうが餓死しようが食べないのではないかと思われる反応を示す。
勿論、とことんまで試すことができないので結論付けるわけにはいかないが、そのような犬がいることを感じ取り少々驚いている。

2.親和期間の重要性

どんな犬を訓練するにも人と同じようにラポート(信頼関係の構築)が必要なのは当然である。
が、私がこれまで関わってきた犬より、小型室内犬や日本犬あるいはその雑種にはこの項目は重要視されなければならず、且つ予想以上に期間を要することが分かった。

3.全寮制ではない犬の訓練には時間がかかる

個体差や犬種特性にもよるが、預託訓練のように全寮制ではないことで、つまり訓練終了と共に優しい飼い主の下に戻れることで、見知らぬ私との訓練時には殻に閉じこもって時間が過ぎるのを待つ作戦を取ることができるし、せっかく身につけた訓練を自宅で台無しにするような接し方で、訓練は一進一退を繰り返すことになる。

4.家庭犬なのに厳しく律する人や、家庭だからといって大甘な人

教え込んでもいないのにやたらと命令口調で指示を与えたり、どうでもいい命令や小言ばかりを言う飼い主。
その反対に他人や他犬の迷惑を顧みず、愛犬の行動や表情を日本語に翻訳して物分りのいい人を演じる飼い主。
不快に思うことはあるが勿論責めているのではなく、要するに家庭犬としてどうあるべきかの文化が根付いていないのだろう。

5.羞恥心の変容とノンストレス

犬と関わらない人たちから見れば奇人変人に見られるような言葉遣いや態度が常態化し、本来あるべき羞恥心が犬バカ同士の中において希薄化し、時には異常が健全となっていることを感じてドキリとする。
それでもまるで解放されたかのような自分の一面を知り満更でもないと思う。

私が感じたほんのほんの一部の紹介だが、これからも学び、家庭犬のなんたるかを発信し、みんなと楽しめたらそれでいい。
 

雪中行軍 2007年02月14日(水)

  今夕の我が家の愛犬アモとの散歩はスリル溢れていた。
ある程度予想していた私はマフラーを口の周りに巻き、ゴーグルをしてその上からダウンジャケットのフードを深くかぶり最大限の防御を整えて出かけた。
それでも南から吹き付ける雪と強風で、辺りの地形は砂漠の砂嵐に見舞われたかのように変形し、歩道は途中から消失し平原と化していた。

マフラーはことのほか暖かく、吐く息がゴーグルを曇らせてはいたが、地吹雪の中でもなんとか視界は確保できた。
突然の地吹雪にアモは目を閉じて立ちすくんだが、次の瞬間には雪の中に潜って背中をゴロンゴロンさせて冒険を楽しんでいた。
いつもなら誰かが踏み固めた道がある場所も今夕は自分たちでラッセルしなければならず、なんとも時間と体力を要した散歩だった。

驚きだったのは、住宅街に戻ると吹き飛ばされそうになりながらも愛犬を散歩させている人が普段より多かったことで、きっと愛犬と北海道の冬を満喫しながら絆を深められたことだろう。

そして日付が変わった今も外は凄い状況になっている。
九州では春一番らしいが北海道では冬一番の嵐だ。
高さ180センチのフェンスがあるガーデンの一部は吹き溜まりができててっぺん近くまで雪が積もっている。
まるで『八甲田山死の雪中行軍』で立ちすくんだまま埋もれ仮死状態になった後藤伍長を発見した場所のようだ。
そういえばあの場所を訪ねた時、私は八甲田温泉に浸かった後で、その不謹慎さを詫びつつもすぐ近くにあった温泉の温かさを分けてあげたかった。

状況や装備によって冬の嵐は白銀の世界であり白魔の世界でもある。
温々とした部屋でそう書けることに感謝し、時には嵐の中の散歩に出かけ、外の状況を見て自然を畏敬し、装備を整え共生したい。

ともあれ明日は定休日で幸いなり。
 

怖い話し 2007年02月13日(火)

  なんか毎日凄い雪。
これまでが少なすぎたからみんな文句も言わず黙々と除雪しているけど、結構な降雪量になっているんじゃなかろうか。
ところで『明日までに30センチの大雪が降る』という天気予報での表現に疑問が湧いてきた。

「札幌の現在の積雪は70センチです」と発表があるが、これはどうやら基準地における実際の測定値、つまり現在積もっている雪の量であり、これまでに降った雪がその重みで圧縮されたり気温で解け出したりするだろうから、本当の現在の雪の深さを知らせるには実態に即して分かりやすい。

しかし降雪量というのは発表と、現実あるいは個人の体感に大きな開きがあるように思える。
発表(記録)というものは、6時間なり12時間という時間区切りの測定値であるから、雪の重さによる圧縮は計算されていないとみるべきだろう。
一方、我々個人は雪がひと段落した時点で除雪を始めるから、その後新たに降った雪に「また何センチ降った」とため息をついてしまう。

積雪がその時点での実際の雪深さを表すのであれば、降雪量ももっと現実に即した形で、例えば3センチ積もるごとに一旦除雪してその後も同じように繰り返しながら測定して欲しいと思う。

そうなれば朝起きた時に30センチの雪が積もっていても、降雪量は50センチと発表されるかも知れず、我々はなぜか奮起させられるように思うからだ。

大した降雪量でもない発表の中で深く重い雪を除雪する苦労を味わうより、大した降雪量の中で思いがけず除雪が楽な方が住民の士気を高めることが出来ると思うのだが…

何事にも遊び心と思いやりがあれば辛いことにも前向きに対処できるはず。
人は「楽勝だったね」と迎えられるより「ご苦労様。ありがとう」とねぎらわれ、感謝された方が嬉しいものなのだ。

そんな風に女に言われた男は益々働くし、同じように褒められた犬は男以上に図に乗ることが多く、こちらは扱いが厄介になるからご注意を。
ただ、何故か男には心こもらず表面的な振る舞いをする女も、犬には寛大で優しい言葉をかける傾向が確かにあるのが怖い。

『家の除雪は女の仕事』と任せている男には論外の話題で恐縮だったが、あなたたちの話をすればもっと怖い話になるから今夜はこれでよかったのかもしれない。
 

Kと二人だけじゃないと思えたら嬉しくなった。 2007年02月12日(月)

  今朝の雪はまさしく北海道のそれだった。
腰も痛いし除雪も大変だったが、2月に入って冬らしい日々が続いており、そのことに誰が文句が言えよう。
私の身体は悲鳴を上げており10時からバーニーズマウンテンドッグのレッスンがあったものの、私は頑張った。
こんな辛さは受け入れるべき範疇だと身体と精神が反応してくれているのがちょっと嬉しいし、理不尽なことは許さないが、耐え難いことでも自然の流れの中のことを受け入れる喜びがあるのは健全な証だと勝手に思い込んでいる。

3連休の三日目。それなりにカフェは賑わって感謝いたします。

カフェのテーブルは僅か7つしかなく、座席は22席あるがパチンコ屋ではないので座席の数に満遍なく座るより訪れたグループの数でテーブルは埋まっていく。
それより混み始めると合い席をお願いしているのだが、それぞれには犬たちも含まれるのだから、密度は当然高くなってしまう。

ひとりでおいでいただいた方には申し訳ないが、場合によっては席の移動をお願いすることもあって心苦しく思う。
ジャックラッセル/ジャックの母さんには今日だけで三度も席を移動していただき、その都度ニコニコと受け入れていただいたことに感謝している。

まるで『吹雪いてる時にはお互い助け合わないとね』という北海道人の精神そのもののような寛大さで、カフェの運営を助けていただいてありがたい。

私の配慮は、合い席できる犬たちの組み合わせと、ガーデンで安全に楽しく遊べるよう心配ることぐらいで、最近ではその苦労も半減するほど犬たちがお利口になり、飼い主の方が気配りしてくださっている。

この調子なら私にだって、新たな『困った犬』の相談を受け入れるゆとりが出てくるというものだ。
人は『一人じゃない』と思えただけで、頑張る意欲と力が湧き出てくるものだから。

今夜、この欄を早く書き終えたのは明日からの英気に身体がついていけるよう、入浴剤を入れた風呂に入り、その後足腰にシップ薬を貼って、睡眠時間をたっぷりとるためである。
明朝の除雪作業があることは明白であるから、北海道に生きる人間として当然のことをしているまでだ。
「なんてね」。
実のところは「たまたま」そんな気分になっただけ。

今夜の酒は甲賀忍者の里、滋賀県の米焼酎『頂』43度をロックとストレートで。
 

いい加減な奴ら 2007年02月11日(日)

  最近のペットショップでは純血種同士のクロスが平然と販売されているらしい。
最初は偶然の出来ちゃった婚の仔犬の命を守るためかと思っていたが、どうやら意図的に交配された犬たちのようだ。
カフェにもそのようなワンちゃんたちが訪れる場面が増えており、飼い主の方に「購入した際に去勢・避妊の確約かなんか取られましたか?」と尋ねた事があるが、返事は「ノー」であった。

『面白半分・話題性・興味本位・儲け主義』というカウボーイ(インチキ)ブリーダーと商魂逞しい悪徳ペットショップに共通するキーワードが私の頭を巡っている。

生まれてきた仔犬やその犬を購入した飼い主には勿論何の責任もないのだが、世の中にはきちんとした理論の元に犬種の保存・改良に取り組み、後世に伝える努力をしている方がおられるし、新たな純血種の繁殖に意欲を燃やしている方もおられる。

雑種を特別な目で見ているわけではなく、我が家の愛犬アモもラブとゴールデンのクロスであるが当然去勢されている。

GDBA(英国盲導犬協会)では80年代(だったと思う)から、より優れた適性を持った犬を繁殖させるためこのクロスブリードの研究を始めた。
当時のイギリスでは、純血種同士のクロスブリード(F1)に批判的な意見が出たが『盲導犬という社会的な使役犬に活用』し、『仮に適性に合格しなかった犬には去勢・避妊を行い、決して外部に血統の流出を起こさせない』という条件で反対論を納得させた。

後にF1は優れた成果を挙げて盲導犬の質の向上に寄与することになり、一方でF2と呼ばれるF1にどちらかの純血種を掛け合わせた犬たちの適性は低下することが分かった。

出来ちゃった婚で生まれた仔犬でも命を守るべきであろうし、民間で意図的にF1を生ませることも極悪非道とは言えないだろうが、生ませる彼らは前記のような儲け主義に目が眩んだだけの口達者な無責任者であることが常である。
理由の筆頭は生ませっ放し・売りっ放しで、種の混雑を防ぐ手立てである避妊・去勢について確認はもとより、飼い主に説明すらしてないからである。

犬種保護団体やその大元の組織はお得意様のペット業界に対して、物言えぬようにまで成り下がっているのだろうか。
それとも『最初から○○と××のクロスと表示して販売しているのだから、購入者が責任を持って交配しないようにすべきである』と、どこかの瞬間湯沸かし器の会社のように反論し、明らかに雑種の犬に血統書を発行するのだろうか。

一昨日からお泊りのブルーちゃんはウェルッシュコーギーとパピヨンのクロスで、なんとも言えずいい子であり、ちゃんと去勢してある。
犬のグローバリゼーションを口にする資格は今のわが国のペット業界にはない。
 

『犬を飼う』から『育てる』へ 2007年02月10日(土)

  去年の夏ごろ、近所の方がアメリカンコッカーの仔犬を飼い始めた。
そのお宅には先住犬のゴールデンがいて上手に育てておられたようだから、犬のことがわかっている方なのだろうと私は思っていた。
ちょうど私とアモが夕涼みをしていた時に、その方が問いかけてこられたので、私は多頭飼いの難しさとアメリカンコッカーに見られる気難しさから発する攻撃性について話し、仔犬のうちから社会性と楽しい経験を積ませることをアドバイスした記憶がある。

それからほぼ半年経った今日、成長したコッカーとアモの散歩途中に出会った。
残念ながら、やはりすれ違いざまに噛みつかんばかりに激しく吠え立てるコッカーに育っていて、一緒に歩いていた先住犬のゴールデンは「ボクは関係ありませんから」と素知らぬ顔でおりこうさんだった。

恐らく私のアドバイスを正確に理解されていなかったのだろう。
立ち話でもあったから私が詳しく伝えられなかったのも間違いない。
この半年の間、遠くで見かけることもあったがその様子は『犬を育てる』というより『犬を飼ってる』という風にしかみえなかった。

今年に入って生後3ヶ月のアメリカンコッカーモナちゃんがカフェに通うようになってくれている。
特にレッスンをしているわけではないが、私は注意深く観察し必要ならばアドバイスをしている。
モナの家にも先住犬がいて、最近では自宅での吠えがでてきているとのこと。

自宅での吠えについては私はどうしようもないが、カフェでは陽気に他犬と戯れ、いろんな人に抱かれて満足そうにしている。
何より、私が他犬を叱ったり、飼い主から叱られる犬をモナは観察し、人間社会の中での分をわきまえや身の程を知り、無難に振舞う術を感じていることだろう。
しかもそれらのことが楽しい遊びの中でさりげなく学べるようになっている。

仔犬のうちからカフェに通えば、多くの問題は未然に防ぐよう犬を育てることが可能だ。
それは犬自身に働きかけることもあれば飼い主が賢くなって犬に接することが出来るようになるという側面もある。
『犬を飼う』から『犬を育てる』という方向への意識が根付けば嬉しく思う。
 

我流、人イヌにあう 2007年02月09日(金)

  今からおおよそ十万年前に、人類はアフリカで誕生したらしい。
そしておおよそ一万五千年程前、狩猟生活を送っていた人類と犬の祖先である狼などが結びつくことになる。

1.その頃、昼間は狩などを行っていたある人類の群れの近くに、夜になると夜行性の凶暴な動物たちが徘徊し、時には襲われることもあり、人類の群れは心休まることなく身を寄せ、火を絶やさず見張りを立てていた。

2.その人類の群れは、肉を食べ毛皮を剥ぎ骨を武器に加工するなど自分たちが射止めた動物を最大限に活用したが、不要な物は群れの外に廃棄した。

3.そのうち群れの周囲にはその廃棄物を求めてさらに動物が集まり、中でも狼など犬の祖先が優位性を示すようになった。

4.狼などは人類を襲うという危険を冒すより、その廃棄物に糧を得る方が得策と考え、彼らの行動に徐々に変化が生じた。
つまり、人類の廃棄物を独占するため自分たちの縄張りに他者が侵入することを許さなくなったのだ。

5.夜行性の狼は他者の侵入を吠えることで仲間に知らせ、群れで撃退するようになった。
そしてこのことは、人類の群れに安息の夜をもたらすようになり、廃棄物には手心も加えられるようになってお互いの共生関係が暗黙のうちに築かれるようになった。

6.ある時、何かがきっかけとなって親から離れた狼などの幼獣を人類が手にすることがあった。
愛らしい幼獣を育てるうち、群れの仲間に可愛がられたり、群れを守っていた狼などが個を守るようにもなったことだろう。

7.草原で暮らした人類の犬の祖先は、草よりも背丈が高く速く走るようになったし、水辺で暮らした彼らは泳ぎがうまくなり、闘うよりも回収に喜びを見出し温厚で従順になった。

そして現代。
ローレンツ博士などが推測した上記の情景に私も同調することができる。
なんとすばらしい巡りあいだろうか!
餌を撒けば動物は集まる。(まるで理性が進化していない現代人みたい)
だが、その動物が人類と狼などであったことが重要なのだろう。(猫も近いがまた別の繋がり)

北海道では人里にエゾシカやヒグマが出没している。
本州ではイノシシや猿が問題となっている。
大昔にもそんな動物に近いものは存在していただろうに、なぜ人類と狼などの祖先が結びついたのか?
なぜ猿と狼ではなかったのだろう?

酔いが回っておかしな方向に行きそうだ。
我が家の愛犬アモの寝顔を見ながら、一万五千年前からの人類と犬の出会いというものや宇宙の仕組みというものは死んだら知ることが出来るのかな?…

やっぱ、おかしな方向に向いているからおやすみです。
 

2月の雪 2007年02月07日(水)

  2月に入って雪が多くなった。
夕べからの雪は今日も一日降り続き、早朝から除雪を行った。
20センチほど積もったウッドデッキは手作業で除雪し、その後ガロアラシ号で通路・車庫前・駐車場・ドッグガーデンと一通りの作業を終えた時には、ウッドデッキに再び10センチほどの雪が積もっていた。

今日はそんな作業を何度か繰り返したが、ガロアラシ号はすこぶる調子がよく、この冬は安全装置のピンすら一本も折れることなく快適に雪を吹き飛ばしてくれている。
ホンダに勤める柴犬宗一郎の父さんが去年のうちにメンテナンスをしてくれたおかげだと感謝。

ところで、最近の雪が少し灰色っぽく感じるのは年のせいだろうか?
いつもなら朝起きて大雪が積もり、重労働の除雪作業が待ち受けていても、一面の美しい銀世界に感動して笑顔になるのだが、その美しさがあまり感じられないのだ。
一週間前のぎっくり腰が影響しているのだろうか?
鉛色の空のせいだろうか?
シベリアで降ったという黄色い雪の続報はどうなったのだろう?

昨日から始まった札幌雪まつり。
初日は雪像が解け出すほどの暖かさで「新雪の上を歩きたかった」と残念がる観光客が多かったようだが、今日はこれでもかと雪が降り続き、大満足と自然への驚嘆の声をあげていることだろう。
どうか彼らの目に映った雪が純白の美しいものであり、いつまでもそうであり続けて欲しい。
 

仔犬を育てるポイント 2007年02月06日(火)

  犬との暮らしの中で、ある一点のしつけ方を会得すれば、以後どんな犬とめぐり合ってもうまくやっていけるという項目はない。

それに近い項目はあるのだが、そこは非常に微妙で、例えば『ダメはダメと厳しく接すればよい』と単純に導き出して実践している人は手痛いしっぺ返しを受けるし、何より犬自身を台無しにしたり、周囲に不快感を与えてしまい、正解に近いにも関わらず結果的に正解から遠く離れてしまうという皮肉を味わうことになる。

じゃぁ、犬の気持ちを理解して物分りの良い飼い主を演じ続ければよいのかというと、肉体的にも精神的にも経済的にも結構傷つけられる。

今日から我が家に生後50日の仔犬がやってきた。
と仮定しよう。
私なら可愛い仔犬の姿や振る舞いに目を細めながらも、以下のような冷静さを失うことはない。

1.まずは外見や行動様式・排泄物によって健康状態をチェックし犬種特性を考え、そのうえで現時点での性格や特徴的な行動や反応を観察する。
2.排泄習慣を上記の観察結果に基づいて導き出した方法で教え、成功例を積み上げる。
3.甘噛みや遊び、刺激に対する不安や怯え、その回復過程や興奮度をさらに観察し、感受性をチェックする。
4.水の飲み方や量、食事の摂り方をチェックし、健康状態をさらに知り、本能的な行動の中での振る舞いを観察し、しつけや排泄習慣にも役立てる。
5.休憩と睡眠状態を観察し、性格や精神の安定度を推し量り、排泄習慣にも役立てる。
6.夜寝るときの環境を整え、夜中でも仔犬の状況が把握できるようにする。(甘えなのか正当な要求なのかの区別が出来なければならない)
7.数日前との変化を検証し、必要な対応と加えるべき修正を行う。

これらの目的は
1.健康でないなら健康にするため
2.排泄習慣は一日でも早く身につけさせるため
3.仔犬に自分の置かれた状況を理解させ、良心的で寛大で精神的に健やかに育てるため
4.遺伝的に好からぬ本能的行動があるならば、それを未然に発芽させないようにするため
5.生体としてのリズムや潜在的な警戒レベルを知るため
6.これらのことを厳しい環境下で行うのではなく、正当に与えるべきものを与えたうえで知りたいため
7.私の判断がいつも正しいとは限らず、自らに勉強と変化が求められることがあるため

スタートラインで私はこのように考え、振舞うだろう。

すべては2年先のライフスタイルを見越してのことである。
・健康でいて欲しい
・室内生活でなんら問題のない犬であって欲しい
・明るく寛大で物怖じしないで人から好かれ、人が好きであって欲しい
・指示があればどこでも排泄できる犬であって欲しい
・何処へ出かけてもあるいは留守番させても問題ない犬であって欲しい
・ノーリードで歩ける犬であって欲しい
・感情を共有できる犬であって欲しい

枚挙にいとまはないが、犬というものは生後1年が基礎作りに最も適し、その後の1年で教え込むことができ、以後はどんな風に発展するのか楽しみに満ち溢れているのだ。

犬との暮らしに必要な一点という難題には、「先を見据えた対応」と答えるしかなく、その意味するところは上記すべてを包含している。
 


- Web Diary ver 1.26 -