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来たきたきたきた! 明日の朝、目覚めた札幌市民は雪の多さに度肝を抜かすことだろう!
暖房の効いた部屋で情報を分析していた気象予報士は、テレビの中で今日までの爆弾低気圧がどうして起きたかの解説を行っているが、風もやんで我が家の愛犬アモと閉店後に散歩に出かけた私は、鉛色になった空と静か過ぎる空気の中でアモと戯れながら、北海道の怪しげな冬の気配を感じていた。
結果的には後出しジャンケンになってしまうのだろうが、日中までのひどい嵐の後の妙な静寂の中、もしかしたらしんしんと降り続く冬の到来を感じていた。
夜の11時にガーデンに出た私は、おぞましいことに笑顔になってしまった。 そこにはやはり北海道の冬があったからだ。
『明日の朝はオオゴトになってるぞ!』 そう叫びながら私もお泊り犬も何故か笑顔だった。 私自身はこのような“らしい”自然と共存したかったのだ。
今夜はもう寝る。 音もなく降り続く雪は、払っても払ってもあっという間に犬たちの身体に積もっており、早起きしての除雪が待っているはずだ。
「やいや、やいや、ひどかったねぇ」 そんな挨拶ができるお客さんが明日は来られることやら… こんな時、私とKの合言葉は決まっている。 「来れるモンなら来てみー!」
明日は商売より人として生きていかねばなるまい。
そして、そんな人の姿を犬たちも見ている。 唐突で恐縮だが、散歩の途中、愛犬がウンチをしたとしよう。 いつも飼い主を引っ張りまわしている愛犬が『一時停戦』みたいに、それを拾い終えるまで飼い主のそばで大人しくしているという経験はないだろうか?
実はこれが遊びを許す気持ちと『これはマジ』との分岐点である。 しつけとは正にそのような心持ちの違いに左右されるのだ。
昨日急遽お泊りなったイングリッシュコッカーの飼い主のお母さんが無事男の子を出産されて、お父さんが愛犬を引き取りに来られた。
結婚し、犬を飼い、子供が生まれるという一連の出来事は、日中までの異常気象どころか正常な生物活動である。 自宅に戻って子供を育てる中に、やんちゃな愛犬がいたら大変だから飼い主の方はしつけを託されていた。 だが、明日からはしつけを託していた愛犬と赤ちゃんが共に暮らすわけだから、『訓練をお願いしてたのに』などという結果論・言い訳・責任転嫁では済まされないことが多々表れる。
真剣勝負であり、犬と暮すことの真髄を突く状況である。
大自然に対峙し、早く寝なければ明日の除雪に支障をきたすことを考えてたら、妙な方向に話が飛んでしまったが、どこか共通することを伝えたかった。 キーワードは「マジだぜ」となろう。
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