From the North Country

葛藤?優柔不断? 2006年08月25日(金)

  陽射しは強かったけど北海道らしい爽やかな一日だった。

定休日の昨日はお泊り犬もなく、我が家の愛犬アモと居候犬ウィンピーを娘のまりちゃんに託し、私たちは札幌市が実施している『すこやか検診』という高齢者向けの健康診断を受けてきた。
血液検査など何年ぶりのことか忘れてしまったが、今更病気が見つかっても困ってしまう私は、自分のことよりKに検査を受けさせたくて「一緒に行くなら…」という条件でふたりで出かけた。

「注射したあと温泉に入っていいのかな?」と私。
「身体のどこかに小さな傷なんていくらでもあるから、別にいいんじゃない」とK。
というわけで、私たちは久しぶりの里塚の湯に向かい、私は浴内ヨガを入念に行って、さらにマッサージを受けたあとリクライニングシートで横になった。
そして1時間半ぐっすり眠った。
本当に久しぶりな至極の時間だった。

そんな昨日の今日だから「日本犬ミックス2歳の犬です。20回の訓練を受けたんですけど、息子や主人にも唸って威嚇し噛み付くこともあるんです。柴犬光ちゃんのお母さんから『光もとんでもない犬だったけどここで治してもらった』って聞いてきました」という相談があっても、訓練を引き受けることはできなかった。

「すごいエネルギーが要るんですよね…咬む犬の場合」
そんな風に言葉を濁した。
息子やご主人あるいは来客が咬まれるかもしれないのに室内でフリーにしている感覚も信じられなかったし、その指摘に対して「じゃ、ハウスにでも入れろと?」という問題児である愛犬の権利を代弁しようという歪んだ優しさにチクッときていた。

勿論心の底では申し訳ない思いで一杯だったし、何とかしてあげたいと自分の気持ちに高ぶりが出てくるのを待ってもいた。
幸いにもというのかしかしというのか、雑用をこなしているうちにその女性は帰られたようで複雑な思いが残った。

すこやか検診の結果は今日の午後には出ているらしいけど、聞きに行くのは来週の定休日まで先延ばしにしておこうと思う。

「嫌なことは先延ばしでいいじゃんね」ってKに言ったら「うん。でもその人『頑張ってまた来る』って言ってたよ」

爽やかな夜だがうまく寝付けるだろうか…。
 

眞知子に届け! 2006年08月23日(水)

  秋田の力はやっぱりひと騒動起こして帰って行った。

宿直のIさんが朝食の準備ができたことを伝えようと、力の部屋に行くとそこには誰もいない。
普通、宿泊していた視覚障害者がいなくなると、夜のうちに館内のどこかに迷い込んで帰れなくなってしまってるんじゃないか?とか、階段から転落して倒れてしまったのか!などと万一のことを心配するのが受け入れ側の気持ちである。

その頃、行方不明の力は朝の5時半から起きだして、盲導犬と札幌の町を散策していた。
音声時計から聞こえる時間で、「そろそろ戻らないと心配してるかもな」と、考え始めていた。
ふと、人の気配がするので、力は声をかけた。
「おう、ここどこらへんだ?」
「○○交番の前ですが」
「おめぇ、警官か?」
「そうですが、お宅はどちらから?」
「秋田県仁賀保町だ」
「えっ!?大丈夫ですか?」
「おう。ちょうどよかった。せば、ちょっと、協会さ電話してけれ」
「キョウカイってどこの?」
「盲導犬協会に決まってるべ!おれが教会の神父に見えっか?」
「で、なんと?」
「もうすぐ帰るからって言えば分かる。じゃあな」

現場に居た訳ではないし、秋田の浜訛りの力と警察官の間に適切なコミュニケーションが取れていたとはとても思わないが、ともあれ力は協会に戻った。

「おう、ただいま!心配したべ?」
「別に」
「警察から電話入らんかったか?」
「ああ、さっき交番から入ってた」
「それだけか?」
「それだけだ」

盲導犬協会のベテラン訓練士であるIさんだから、力の行動は織り込み済みだったのだろうが、場合によっては捜索願が出ていたかも知れぬ。

「眞知子の家まで行ってきた。送る約束してたもろこし届けてきた。」
「そうか、よかったな」
秋田に戻った力からの電話で、滞在中の様子が分かったが、いつもより力がなかったのは帰りの急行はまなすが混み合っていたからだけではなさそうだ。
 

ももじ 2006年08月22日(火)

  Mダックスももじ君のレッスン依頼があったのは2ヶ月くらい前だったろうか。
日中留守番をさせておくと、室内を破壊してしまうということで困っているらしい。
私たちが行きつけの里塚温泉(新装して里塚の湯に名称変更している)の岩盤浴で寝転んでそんな話をしていたら、私の店を紹介されたというから、何かの縁があったのかもしれない。

最初の相談で私は唖然とさせられることがあった。
この家庭は、日中は働きに出ているまではよくあることなのだが、その間しつけもできておらず信頼もできないももじを室内で放し飼いにしているというのだ。

小型犬を飼っている方の中には
「そんなのうちもだよ。唖然とするなんて仰々しい」と言われる方もおられるだろう。
あなた方は甘い!
私はそういわざるを得ない。
まだ信頼できない犬に、トイレの失敗やいたずらできる環境を無条件に与えておいて外出するというのは、しつけを遅らせて問題行動を醸成するだけではなく、愛犬の命を危険にさらすことにもなる。
あなたのもとで愛犬が健康で生きているとしたらそれは大変な幸運によってもたらされているといえよう。

まだ『仰々しい』とお考えの方は、一度同じ方法でラブを飼ってみるとよい。
犬育てが、どれだけ人間を真剣な気持ちにさせてくれるかがわかるだろう。

さて、ももじ。
最近は大きな問題を引き起こさず、歩き方もよくなっているし、社会性も身についてきている。
でも今日のレッスン中、ゲボッ・ゲボッと何度か嘔吐して、最後に吐いたものをよく見ると『食べてはいけません』と書かれたシリカゲルの袋が出てきた。
「食べてはいけないと書いてあるだろう!」と苦笑いしながらつぶやいたが、まだ命の綱渡りのような放し飼いを飼い主の方はされているようだ。

手遅れにならないうちに、飼い主を真剣にさせるアクシデントが起こるか、このまま幸運が続きレッスンと年を重ねることでももじが良き家庭犬になることを願うしかない。

この欄をアップして数時間後、Kが誤りに気づいたので修正しておく。
ももじの飼い主はカフェのことを『里塚の湯』で聞いたのではないとのことだ。
どこか北の別の岩盤浴で、たまたま隣に居合わせた犬の飼い主と話しているうち、
「私の犬は他犬に吠え掛かる犬だったのに、ドッグカフェナガサキに行って、オーナーにちょこちょこといじってもらったら、それ以来吠えなくなった」という話を聞いたからやって来たと、私がレッスンしている間にKは聞いていたというのだ。
ちょっと自慢?だから付け加えてみた。
 

残念だった 2006年08月21日(月)

  私の予想がことごとくはずれ、駒大苫小牧は残念な結果になってしまった。
だが、決して期待はずれではなくナイスゲームだった。
感動を与えてくれた選手たちに心から感謝したい。

試合前と試合中に秋田県在住のふたりの盲導犬ユーザーから電話があった。
今週の土曜日から3日間の日程で『盲導犬ユーザー研修会』というのが札幌の協会で開催されるのだが、先日亡くなった眞知子が彼らの大きな力になっていた。

盲導犬は使用者から目的地を告げられて誘導するのではなく、使用者が次の交差点をどちらに進むかなどひとつひとつ細かな指示を与えて、盲導犬に安全に誘導させている。
つまり目的地までの地図が頭に入っているか、知らない場所では人に尋ねながら歩くことになる。
ユーザーはそのような訓練を受けているから、知らない地域でも盲導犬と歩くことができるのだが、眞知子にかかれば「訓練受けてるから普段は困った時でも何とか対処できるんでしょ?そんなら札幌に出てきた時くらい気楽な思いをさせてあげてもいいじゃん」と、自らワンボイスというボランティアチームを立ち上げ、盲導犬ユーザーの目となり足となって、送迎や普段は遠慮して口には出せない様々な要望を満たしていった。

「札幌のお土産を買って帰りたい」
「ジンギスカン食べながら美味しいビール飲みたい」
「小樽に行って寿司食いたい」
「ドッグカフェに行って長崎に会いたい」

すべては眞知子の「うん、わかったよ」の一言で実現された。
勿論、盲導犬が取り乱したり、「俺の犬シッコさせてきてくれないか」などと調子に乗って言おうものなら
「バカ!あんたの犬でしょ、ふざけんじゃないよ!」と一喝されること請け合いであることもみんな承知の上で、人間同士のつきあいをしていた。

その眞知子が死んじまったものだから、どうすれば恩返しができるのか、みんなはどうやって追悼しようと考えているのか、そんな気持ちが私への電話になったようだ。

秋田の“力”は“急行はまなす”で札幌にやってきた。
「眞知子が『もろこし食べたい』って言ってたんだよ。送る前に死んじまったもんだから届けにきた」と悔しさを滲ませていた。
札幌で“力”と奴の盲導犬を見かけても決して声をかけてはならぬ。
「かわいいですね」というと
「おう、ありがとう」
「名前は?」と尋ねると
「ツカラだ」と秋田訛りで答え、
「年はいくつですか?」と聞けば、今なら
「ごずうにだ」と言うだろう。
さらに「触ってもいいですか?」などと言えば
「どうぞ」と言ってズボンを下げようとするはずだし、頭を叩いてそれをたしなめる眞知子はもうこの世にはいないからだ。

だが、その“力”はといえば、見えて大工の仕事をしていた時、年金を滞納しながら事故で失明したものだから、国からの一切の金銭的援助も無い『無年金障害者』で、あんまの腕一本で日々の生計を立てている男なのだ。
「長崎よ、札幌でタダで家貸してくれる奴いないか?」と電話で言う。
「秋田の田舎町じゃこれ以上やっていけないし、眞知子のそばにいてやりたい」といつもの本音を漏らしていた。

眞知子も私もこれには「うん、わかったよ」と言えなかったし、がんばっている“力”にバカヤローとも言えなかった。

『残念だけど』と考え、この欄の冒頭を読み返すと眞知子の人生が重なって見えた。
 

親心 2006年08月20日(日)

  この全身を覆うけだるさは甲子園の両チームの選手には申し訳ないが、明らかに名勝負の観戦疲れである。
若い諸君の疲れは未来へのビタミンとなるが、おじさんたちの疲れは単なる消耗でしかない。

スポーツカフェの閉店後、Kとガーデンでジンギスカンをやって多少のスタミナを補充したものの、日中からの精神的な高揚は脳圧を上げ、私の身体を蝕んでいるかも知れない。

だから昨日から忠告しているではないか!
早実選手諸君。
もういい、君たちはよくやった!
君たちはもういつ負けても日本中から健闘に値する賛辞を受けることができ、歴史上に名を残しているのだ。

今日のゲームで君たちの大先輩である王監督の胃はキリキリ痛み出してるかもしれないぞ!
『痛む胃は、もう摘出したし、負けた後のその言葉はそのままお返しする!』などともっともな反論をしないでくれ給え。

どうーかひとつ、どうか見逃してくだせぇませ、お代官様。


さて、駒大選手諸君。
君たちもよくがんばっている。王者に相応しいと改めて思っている。
予選からの毎試合君たちは成長を続け、経済不況に喘ぐ北海道の私たちに勇気と踏ん張りを与えてくれている。
夕張市の破綻は終わりの始まりかも知れないと思えるほど北海道は疲弊している。

道民みんなががんばっている中で、さらなるカンフル剤を打ち込んで欲しい。
心から応援している。

今日のカフェでは実況を聞くに堪えられず、早実の攻撃中にはガーデンの草むしりを始めようとした母さんもいた。
どうかひとつ、そんな草の根の集まりの願いを叶えてくださいませ。

『両チームともここまでやったのだから、もう結果は問うまい』
こんな言葉でこの欄を締められたらいいのだろうが、道民である私はその言葉を口にはしない。

普通なら明日の試合はどちらかの一方的な展開になるだろう。
それが駒大苫小牧であることを信じ続ける。
そしてできればいつもの後攻で試合が始まることを願っている。
 

明日はスポーツカフェ 2006年08月19日(土)

  駒大苫小牧が3年連続で夏の甲子園決勝進出を果たした。
思えば、カフェがオープンして最初の夏の甲子園で初優勝し、2年目もまた優勝と、まったく幸運の年が続いている。
そして3年目の決勝戦にも駒大苫小牧がその勇姿を現すのだから、オープン以来決勝戦の日は“ドッグカフェ”が“スポーツカフェ”に変身する喜びを享受できることになった。

明日の札幌は30度の予想だから、里塚緑ヶ丘はさらに暑くなるはずだ。
犬たちのためにはプールを準備しておこう。
幸いにも、明日の美容室はお休みだからトリミング室のエアコンもフル稼動させてドアを開けておけば、万が一カフェにスタッフ以外の人間、つまりお客様が来られても熱気による室温上昇を抑えることができるだろう。

去年一昨年の決勝戦の日、カフェ周辺はまるで元旦のような空気に包まれ、人っ子一人いなかったのを思い出す。
カフェでもお客様とスタッフは固唾を飲んで、『その時』を迎えようとしていた。
優勝が決まった瞬間ガーデンに飛び出すと、近隣のあちこちの家から大歓声が巻き起こって、ここがゴーストタウンではないことを感じ取り、また連帯感を覚えたものである。

王監督の母校である早実が勝って、監督の快復を願う人々の思いを届け、それを王さんが意気に感じて早期復帰が実現すればマスコミ受けすること間違いないだろう。

が、しかし、よくよく考えていただきたい!
全国の早実および王監督ファンの諸氏。
心して聞きたまえ。

もし、早稲田実業が優勝して王監督に勇気と感動と復帰を願うあなた方の思いを今届けてしまったら、監督は
『俺もがんばるぞ!』
と意気盛んになり、無理をして再び食い物を喉に詰まらせて入院し復帰が遅れる可能性があるのですぞ!

無事生還した今、監督に必要なのは安静と“変わった自分の身体を受け入れる”しばらくの受容時間でありまする。
もし、本当に王監督の身体を気遣うのであれば、明日は心静かに駒大苫小牧が優勝することを祈りなさい。
さすれば『母校はよくがんばったなぁ』程度の興奮で済み、監督の快復も順調に進み、駒大優勝・天下泰平と、すべて丸く収まるのでありまする。
ゆめゆめ早実優勝なぞお考えなさることなきよう、ここに謹んでお願い奉り候。
 

バイバイ眞知子 2006年08月18日(金)

  昨夜の『偲ぶ会』は密葬だったにも関わらず、予想を遥かに超えた弔問が続々とあって、眞知子の生前の功績を垣間見ることができた。
長女は声を振り絞って
「この母の娘であることを誇りに思う」と挨拶した。

そして、今日の『送る会』。
「火葬場に入る交差点を曲がった辺りで、眞知子が育てたアモとウィンピーをつれて待ってるから、窓越しに見るんだよ」
喪主の長女にそう伝えて、私とKは送る会の途中に抜け出しカフェに戻った。

約束の場所でアモとウィンピーを下ろして、眞知子を乗せた車を待ったが、眞知子の遺体は既に火葬場に到着してしまっていた。

釜戸?焼却口?の前で最後の焼香が終わった後に私は駆けつけた。
「故人の愛した犬がいます。ここに連れてきてもいいでしょうか?」と大声で私は尋ねた。
すると担当者は、この気迫に押されたのか
「上司に相談してみます」と言って、事務所に戻りすぐに上司と戻ってきた。

「盲導犬など補助犬は同伴を許可しますが、一般の犬はケージに入れてもらう規則になっております」と上司。
「この犬は落ちてしまいましたが盲導犬の訓練を受けた犬で、私は盲導犬の訓練士です。決してご迷惑はかけません!」と私はきっぱりウソをついた。
ウィンピーは訓練前の適性検査で一発で落ちてしまって、訓練など受けていないのだ。

輪をかけるように、S盲導犬ユーザーは「俺の犬のハーネスを使って盲導犬に見せかけろ」とささやく。

「それなら、承知しました。お連れください。」と上司は、まんまと騙されたふりをしてくれたのがありがたかった。

急いで車に駆け戻り、Kはアモを、私はウィンピーを連れて釜戸の前に立って焼香をした。
アモはKの足元でいつものようにリラックスしていたが、ウィンピーは家族を見つけて大興奮である。

私は全身から噴出す冷や汗を感じながらも興奮するウィンピーを制御し…つまり、眞知子はそんな中で焼却炉に消え去っていった。

『不謹慎な!なに?あの連中?』と思われた“遠くで暮らす親族”がもしおられたら謝るしかないが、生前の眞知子の日常を見事に現すことができ、少なくとも眞知子の子供たちや仲間、いや、私にとって眞知子への最高のはなむけができたし、その場は厳かに進行した。

「拾骨まで…」と上司が口にした途端、
「私たちはこれで引き上げます」と答えて、これ以上の負担を上司にかけないよう犬たちを連れてカフェに戻った。

“無謀なことをするが、取り返しのつかない迷惑はかけず、気配りも忘れない”
それが眞知子と私たちのモットーでもあった。


「おう、俺だ。眞知子死んだんだってか?」
秋田の盲導犬ユーザー“力(ちから)”が、力ない声でさっき私のもとに電話をくれた。

『あいつ(力)に知らせたら、大声で泣きわめくかもしれないし、少なくとも取り乱して葬儀会場が騒然となるに違いないから、しばらくは知らせるな』
というのが、我々の暗黙の了解だった。
そんな純真な人間を生むまでに、眞知子は献身的に視覚障害者とりわけ盲導犬ユーザーの活動に貢献していた。

どこで情報を得たのか知らないが“秋田の力”は意外にも冷静だった。
疲れた遺族を休ませるためにも「今は来るな!」と私は言ったのだが、「明日の夜、行く。俺の心がやすまらねぇ」
と伝えてきた。

「わかったよ。空港に迎えに行くから泊まっていきな。秋田の美味しい酒とモロコシ持って来るんだよ。みんなで待ってるから」

眞知子ならそう言ったかも知れない。
 

眞知子死す! 2006年08月16日(水)

  つい3時間ほど前の今夜8時20分に家族・友人に見守られながら眞知子は逝ってしまった。
来週の今日56歳の誕生日を迎えるはずだった。

彼女の遺志で密葬とするので、関係者の方はこの欄を読んでも矢内家には連絡なきようお願いしたい。

私に連絡が入ったのは午後3時前だった。
平日なのにどういうわけか混み合っていたカフェをスタッフMに任せ、お泊り犬の管理はちょうど来店されていたシベリアンハスキー/チェスのYさんにお願いしてカフェを飛び出した。

容態を見た私は「ありがとう。お前と出会えて本当によかった。ありがとう。」
その先の言葉が涙で続かなかった。

しばらくして「僕はね、脳には死のプログラムが生まれた時既に組み込まれていると思うんだ。これから先お母さんの身体がたとえどんな反応を見せようとも、それは外見上の生体反応で、お母さんの頭の中には自分のこれまでの人生の映像が流れているんだと思う。今頃はどの辺の時代を見てるのかな?」
二人の娘の肩に手を置いて、私はそんな話をしていた。

「私が生まれた頃じゃないかしら」と次女。
「そりゃ、苦痛の始まりだから思い出したくもないんじゃない?それよりか、もしお父さん以外の誰かと一緒になっていたらどうなっていたかのシーンだと思うよ」と長女。
すると叔母である眞知子の妹が「そうだそうだ!あんたがちっちゃい時病気になって眞知子は自転車に乗せて病院に行ったんだよ。坂道を転げ落ちるように自転車を飛ばしたら、ちょうどスピード違反の取締りをしていた警官が飛び出してきたんだ。」
「止まれ!スピード違反です。」という警官に「バカヤロー!危ない!どけっ!」と眞知子は叫んだというのだ。

家族や仲間が集まり、思い出話に花が咲き、眞知子も何故か笑顔を見せたりしていた。

老人介護施設で働く長女は時々呼吸を忘れる眞知子を起こし励まし続けていたが、バイタルメーター(正式名は知らない)を覗き込んだある時点から「お母さんありがとう。もう、がんばらなくていいよ。」といって、その場にいた盲導犬ユーザーSとYに手を握らせた。

それから30分ほどで、眞知子は無言のまま両目と口を3秒から5秒ほどきつく閉じて息を引き取った。

この世に神などあるものか!
世界では宗教の名の下に戦争が続き、ここ数年、私の周りではいい奴ばかりが先に逝ってしまってるではないか!
眞知子の安らかな顔は受け入れるが、彼女の存在を消し去ったことを私は絶対に許さない。
すべての神よ仏よ。もし存在するなら、私はあなたのミスを絶対許さない。

そろそろ酔いつぶれてきたぞ。
眞知子これでいいか?
 

真知子よ 2006年08月15日(火)

  今夜のこの欄は矢内真知子のために書く。

彼女はこの欄でも何度か登場している人妻Mである。
昨年12月に心臓疾患で倒れ、未だに意識が戻らない友人矢内好弘の妻であり、二人の娘の母親であり、北海道盲導犬協会のボランティアであり、盲導犬ユーザーと視覚障害者にとってのマザーテレサであり、10数頭を育てたパピーウォーカーであり、ウィンピーの飼い主であり、私とKにとってかけがいのない友人以上の存在である。

末期ガンに侵されながらも、放射線治療で毛髪が抜け落ちた頭を優しくスタイリッシュに保護するオーガニックの帽子を開発し、大反響を浴びたのは僅か数ヶ月前である。

その真知子が今日緊急入院し、危篤状態になった。

「絶対に行く!大丈夫、絶対に行く!」
そう言って真知子は一昨日の13日に札幌から数百キロ離れた本別という町に出かけた。
毎年、夫好弘と出かけ、たくさんの野菜を親戚の家から持ち帰ってはおすそ分けをしてくれていた。

今朝、そこで収穫した野菜と共に届いたのが彼女の愛犬ウィンピーと緊急入院の知らせだった。

夕方カフェを閉めて、Kにはお泊り犬の管理をお願いし、私は病院へ車を飛ばした。
真知子の身体は痩せ細り、痙攣が真知子を襲っていた。
がんばれ!という言葉を私は死期の迫った動物に滅多に使うことは無い。
本人は誰よりもがんばってきていることを充分すぎるほど知っているからなのだが、今夜だけは心から「がんばれ!まだ死ぬな!」と意識の無い彼女を励ました。

来週26日から盲導犬協会で年に一度の研修会が開かれ、今年も真知子は彼女を慕うユーザーから様々な依頼を既に受けており、その依頼のひとつに『私のカフェでひと時を過ごしたい』というツアーも繰り込まれていた。

私にとって真知子は驚くべき存在だった。
どんな時にも困ったことがあれば真知子に電話さえすれば解決できた。
真知子の「わかったよ」
その一言ですべてのことが翌日には解決されていたのだ。
私とKが結びついた時も、一番の理解と応援をしてくれたのも真知子だった。
「分かったよ」と発する彼女の言葉で私たちはどんなに無謀な計画も実現することができた。

真知子、おまえが今夜死んでも俺はもう行けないぞ。
既に酒を飲んでるからな。
危篤状態になって初めて人前でお前の手を握り締めることができたな。
それでよかったと思うし、元気になったお前に俺はそんなことはしないからな。

だが真知子。
なんとか生還してくれ!
好弘、いつまでも寝てないでお前の妻を何とかしろ!
 

長崎塾 2006年08月14日(月)

  お盆真っ只中の今日のカフェには富良野や東京から帰省された方や、里塚霊園にお墓参りのついでに立ち寄られる方が数組おられた。
お泊り犬は手頃な3頭で、穏やかで爽やかな風が流れる快適な夜を過ごしている。

この1週間毎日カフェに来てくれるのは、なんとハクセキレイの幼鳥、名づけて“せっちゃん”。
人を恐れず私の手元までやってくる姿は愛らしいが、野鳥との付き合いであるから複雑な思いがある。

さて、もうご覧になったかと思うが、ホームページを再開するに当たって各ページの内容をいじり、『長崎塾』という新しいページを加えてみた。

『長崎塾』では、未だ完成しているわけではない『犬を育て犬と育つ』(仮題)というこれまでに書き溜めた原稿があるのだが、この3年ほとんど筆を加えずにいた。
しかし今回、サーバーが突然ダウンしたように私もいつ壊れるか分からないので、内容には不備がたくさんあるのを承知のうえでひとまず公開しようと決心した。

もし私が今でも盲導犬協会で働く現役の人間であったら、協力者への恩返しも兼ねて無償で公開すべきなのだが、今の私は個人事業主として生活を営んでおり、心苦しいけれど全文購読を希望される場合には有償とさせてもらったことをご容赦いただきたい。

ただ、そのことでこの原稿のことが私の頭の片隅に残り、さらに項目を増やしたり推敲する意欲がでてくるのではないかとも思っている。
いつの日か完成させたいが、中身はエッセイであったりマニュアルであったりしてるものだから収拾がつかない状態で、新しいジャンルでもできないかぎり公に日の目を見ることはないだろう。

この『北の国から』のほうが奔放な私見を継続して展開しているので『長崎塾』という名前が相応しいのかもしれないと、ふと考えた。
 


- Web Diary ver 1.26 -