From the North Country

育つことと育てること 2006年11月25日(土)

  暖かでよく晴れた一日だった。
『雪踏み固め作戦』は予想以上に功を奏し、午後になってもガーデンでは犬たちが汚れることなく雪上での遊びを楽しんでいた。
明日の最低気温はプラス3度と言ってたけど、11時過ぎにガーデンに出てみると夜空には星が輝き、足元の雪と氷はカチンカチンだったから、放射冷却がおきているのか明日の午前中まではコンディションを維持できるかもしれない。

「急にリードを引っ張り出すし、人には飛びつくし、雪や枯葉をすぐに食べるんですよねぇ」との相談を受け、
「ラブの6ヶ月といえばそんなものですよね。これからもうしばらくはさらに大変ですよ。」と私は答えながら、
『傾向としては確かにそうだが、もし自分の犬だったら許容するだろうか?』と考え始めていた。

人間の命に比べ犬の寿命はあまりにも短い。
その僅かな時間を私なら仔犬のうちからどこへでも一緒に出かけられるようにしつけて、成長段階に応じた思い出作りに少しでも時間を割きたいと考えてしまう。

我が子は勿論人間の子だったから、育てながら大目に長い目で見て、個性を楽しませてもらいながら成長と共に好きな道に進んでいる過程を今でも見守っている。
子供たちが二十歳を過ぎると『おやじの背中』は見ていてくれたのだなと感じてもいる。

さて、犬は『おやじの背中』を見ることはないけど、家風に応じた行動や感性をもつのは間違いない。
ただ、家風というのはその家の人間が意図した行動様式の中から生まれるのではなく、家人の日頃の振る舞いが相手の目にどう映るかによって決められるものであろう。

だから例えば、愛犬に対して物腰柔らかく接し、大抵のことは大目に見て大切に愛しく育てたとしても、その犬がそのような振る舞いをするのは、(稟性によって大きく左右されるが)一般的にはかなりの年を経てからであり、実際には甘いご主人の優しさにつけ込み、自分を律することなく身勝手なのに愛らしい振る舞いを覚え、家庭では立派な一員となっても社会的に問題を抱えてしまうケースが多いように思う。

『小難しく考えないで、可愛いんだから犬らしく育てればいいじゃん』という考えには大いに同意するけど、同時にその状態に育った犬を『社会的なパートナー』と唱えることの反社会性をチト考えてみるべきではないかとも思う。

決して誤解して欲しくない例え方で恐縮だが、“身体の傷はそのうち癒える。
だが傷ではない『育てられた感性と行動様式』はいつまでも残り続ける”ことを思うとき、私たちは愛犬とどのように向き合えばよいのか折に触れて考えさせられることがある。

いつものように酔いつぶれているから、文章として成立しているのか、はたまた思考回路が正常なのかすら判断できないでいる。
『可愛がり理解するだけでは足りないものが、人と犬が最初に関わった頃からあるのでは?』という内容が伝わったらよしとしよう。
 

それぞれにこだわりがあることを受け入れるのが始まり 2006年11月24日(金)

  予想もしていなかった降雪で客足は遠のいてしまったけど、我が家の愛犬アモとお泊り犬は大喜びでガーデンを駆け回っていた。
明日には暖気が入って天気も晴れマークのようだから、本当は除雪したほうがガーデンのコンディション回復には良かったのだろうが、犬たちの喜びようを見て、私は除雪をやめ踏み固めて融解を遅らせる道を選んだ。

明日の午前中は綺麗に濡れる程度で雪遊びを楽しむことができまするぞ!

『じゃ、午後と日曜日は?』と問われれば
『野暮な話はやめましょう。一寸先は分かりませぬ。とりあえず昼頃まで楽しめるのですぞ』と答えるしかない。
長靴と犬用のタオルさえあればどうにでもなることだ。

さて、お泊り犬ボーダーコリーのハグは土足の建物の床は滑るものだと思い込んで不安に陥り、緊張で足元にはよだれ池ができてしまうので2階の居間で過ごしている。
トイレの時間にガーデンに出すのだが、用が済むとそそくさと2階に駆け上がってニコッとして満足そうだ。

ボーダーの行動には一途な面が多く見られ、ディスクドッグなどアジリティ系には向いているけど、思い込みが強すぎて融通が利かない欠点もある。
因みにハグという名前は『ハグハグする』という今時のナウイ由来ではなく、飼い主が歯医者さんで『歯茎(はぐき)』から取ったハグだそうな。

ミックス犬の緋梅(ひめ)も見知らぬ人と犬が苦手だから、人目につかない部屋が好みなのかと思いきや、好奇心が旺盛なものだからカフェでうまく身をかわしながら両者を観察するのが楽しいようだ。
相手の隙を見ては後ろから臭いを嗅いで満足し、振り返られると慌てて何事もなかったような顔をして『私には構わないで』と発している。

お預かり時のフードにチキン肉の缶詰や牛乳を加えると見向きもしない。
仕方なくドライフードに煮干だけを加えるとあっという間に美味しそうに食べてしまった。

よく分からないけどやはりこだわりがあるようだ。

今夜の我が家は人と犬が同じ屋根の下にいるけど、なんだかそれぞれにこだわりがあって、それぞれに自分たちの時間を過ごしているようで、独特な雰囲気があって面白いと感じている。
 

死んでもしばらくは残るものをあなたは持っていますか? 2006年11月22日(水)

  夜9時の時点で2センチほどの積雪があり、なお降り続いて辺りは銀世界に変わった。
気温も午後から急速に下がって氷点下となっている。

このまま根雪になってくれればありがたいが、週間予報ではその可能性はなく、来週には暖気でザクザクドロドロの道路になるらしいから、明朝はどんなに雪が積もっていてもガーデンは除雪せずに大切に踏み固めて、少しでも長持ちさせるようにしなければならないと思っている。

さて今日はカフェの除雪機『ガロアラシ号』のために、柴犬宗一郎の父さんがホンダの自社整備場への運搬と整備で奮闘してくれた。
整備以外に複数の部品交換があったので、請求金額を尋ねると
「宣伝広告費で落としておきますから、いいです。」と大胆且つありがたい返事であった。

しからばコーヒーをサービスするくらいでは申し訳ないので、ホンダハイブリッド除雪機『ガロアラシ号』を、ふた冬使用した者として、その満足度を今夜は紹介することにしよう。

ガロアラシ号はこれまでに何度も紹介した私の亡き友人ガロ産業の社長が、カフェのオープンにと仕入れ値で譲ってくれた思い出の除雪機だ。

発売年の冬を迎える時に私が社長に頼んだものだから、社長はずいぶん無理を押し通してホンダのスタッフをあたふたさせたと今日宗一郎の父さんから伺った。

「クリスマス頃じゃないと納品できません」というスタッフに
「何としても12月1日までに届けさせろ。この展示品を持っていってもいいのか?」とガロ社長は食い下がったという。
3年前の12月1日がカフェのオープンだったからである。

12月7日に「遅くなって済まんな」と言って社長は家族3人でカフェにやって来てくれた。
Kが作ったカレーを「うまい、うまい」と食べた後、除雪機の扱いには慣れている私に、まるで良心的なブリーダーが自分の愛犬の仔犬を手放すときのように大切に扱うよう説明を繰り返してくれた。

その3日後に社長は死んだ。
今日除雪機について納品までの事情を宗一郎の父さんから聞かされた私は、もしガロさんの要求をホンダが意に介さず普通の流れでクリスマス頃に除雪機が納品されていたら、社長は死んでも死にきれなかっただろうし、だからこそ相手を突き動かすような気迫が言葉の端々にほとばしっていたのかもしれないとも思った。

『満足度による宣伝の方はどうなった?』とホンダの宗一郎から叱られそうなので、最後に付け加えておこう。

昔から家庭用の除雪機を職場で使っていた私に言わせれば、「シンジラレナーイ!」の一言である。
小型なのに13馬力なんてどこにもないし、少ない雪の除雪は少ないパワー、多くなるにつれてパワーが自動的にアップすることに人間味を感じ、除雪作業は一人じゃなくて『ガロアラシ号』と一緒にやってるという連帯感と安心感が生まれている。
大雪だった朝、雪の重みでさらに締まった雪を一気に遠くへ飛ばす快感があるから、苦痛であるはずの除雪作業が楽しくなることだってあるのだ。

『今年は我が家にも除雪機を』とお考えの皆さん!
カフェに相談してください。
いいモノをご紹介いたしますよ。
細かな商談については柴犬宗一郎の父さんを見かけたときにお願いします。
これでいいっすか?

外の雪は静かに降り続いている。
 

つい疑ってしまう 2006年11月21日(火)

  非婚少子化の傾向が続き、様々な施策が講じられている。

その原因として経済的に子育てできないとか育児休暇や支援施設の不足など、社会整備に問題があるように認識されがちだが、私はファミコン世代に育った若者が自分の時間を奪われるのを嫌ったり、さらに進化しているゲーム機や携帯電話をも含めた電子的娯楽が、本来人間の持つ『愛する人と暮したい欲求』を上回っているという一面もあるのではないかと思う。
そしてそれ以上に最も影響を与えているのが環境破壊によるホルモン異常というある種の社会適応反応ではないかとも思っている。

例えば現在長寿を誇る日本でも、戦後世代が摂取し続けた化学物質や環境ホルモン等によって、今後極端なほどの寿命低下が起こるし、途上国で人口が増え続け工業発展が進むとさらなる排出ガスが地球温暖化を加速し、数十年後には住む場所が水没して土地を追われた難民と、受け入れ住民による争いごとや食料不足が現実のものとなる。

日本人の若者の脳は既にそれを察知し、ホルモン調整を行って性欲や母性父性を減衰させ、人口の少ない島国を作り上げて、僅かな資源と食料で生き延びるよう『種の保存』に走っているのではないかと感じているのである。

となれば現在の施策を転換し、若者には『生活の基盤』である農業などの一次産業におけるノウハウや『生活の知恵』ともいえる伝来の技をゲームソフトにして残しておくことも重要であるはずだ。

11月も下旬に入っているのに雨が降り続く札幌の夜に不安を感じて、そんなことを考えてみた。

さらに、10数年ぶりに歯の治療に通い、溜まりに溜まった歯石を取り除いてもらったら、食べカスが歯の間に挟まって気持ち悪い。
虫歯になりかけていた歯は一本だけで、如何に私の管理がよかったかが伺える。

『歯垢はばい菌の集まりだけど、歯石は歯と歯の隙間を埋めてお互いを支えあう役目も果たしているはず』と私は勝手に解釈している。
それを取り除いたから隙間に食べ物が挟まり、そこに虫歯菌が集まりやすくなって、放置しておくと再び虫歯になる危険性が高くなるのではないか?

もし『歯石はそんなばい菌と戦った末に、歯を守るために構築された砦ではないのだろうか?』と、言ったら科学的にギャフンと潰されるだろうし、歯が悪くなることイコール日常生活どころか肉体の死を意味することに繋がりかねないと脅されることだろう。

『じゃ、歯磨きの習慣や歯医者が無かった大昔の人たちが80歳まで生きれたのは何故なのですか?』
と屁理屈だけはすぐに頭をよぎる私。

だけじゃない、他の要素もあるのではないですか?
それを伏せておいて危機感を煽っているという医療のあやまちの可能性はゼロなのでしょうか?
昔80時歳まで生きた人は奇跡であって例外の範疇なのでしょうか?

今の私は勿論、すがりついてでも歯医者で悪いところを治してもらう。
ただ、『本当かな?』って、つい思ってしまうのだ。

どれも本当であり、過大過小評価であるのだろうから、どの辺に重点をおくかを判断するのが個々人に問われているのだと思う。
 

終焉(しゅうえん)ではなく新たな始まり 2006年11月20日(月)

  昨日のこの欄にも登場していただいたG動物病院のM先生のところに、今日はラブラドールの凛ちゃんを連れて行ったというSさんが帰りに立ち寄ってくれた。

凛は月に2回はてんかんの発作を起こしてしまう黒ラブで、Sさんはいつも心痛めていた。
カフェで製造販売している『活性水素水』をスタッフSが自分の愛犬に飲ませ続けると、それまで頻繁に起きていたてんかんの発作がウソのように収まってしまったという話を以前に紹介したが、Sさんもしばらくその水を飲ませ続け、ある程度の効果を確認された後、その器械まで購入されていた。

しかし、その後再び凛の発作は続いてしまったようで『活性水素水』が有効ではない事例がひとつはっきりした。(我が家ではりんごや梨を食べると喉が痒くなって食べられなかったKが、今では問題なく食べれるようになり、『あの水のおかげじゃないか?』と喜んではいるが…)

で、動物病院で発作を抑える治療を並行し、飲み薬と検査に毎月1万円程度の費用がかかっていたらしい。

「それが今日M先生に診てもらい、お話を伺ったらなんだかビックリというかすっきりした気分になりました」とSさん。

Sさんから伺ったM先生の話を総合すると
『犬のてんかんは完治するというものでもないし、ある種の障害という捉え方をすれば、凛ちゃんの個性でもあるわけですよね。
検査やお薬にお金をかけようとすればいくらでもできるけど、それで完全に治せるわけでもないわけです。
高い治療をし続けてやれないという理由で、自分を責めれば心以外に家計などにも負担が大きくなり、別の問題だって浮上してくるでしょう。
個性だと受け止め、それなりにできることをして目をそらさず向き合って暮していけばいいんじゃないですか』

結局M先生とこでの1ヶ月の薬代は1800円で、私の勝手な解釈も加えた内容であるから、M先生には叱られるかもしれないし褒められるかもしれない。

ある状況に対して安易に『あきらめろ』と言ってるのではない。
『確かなことにまで反発して、いつまでもくよくよし、医療や神頼みで心痛めるのではなく、現実を受け入れた中でこそ新たなスタートを切ることができ、新世界の境地を開くことができる』と真理を述べているのである。

豊富な知識を持ち、社会の理不尽さに対する反骨心が加味され、それに人の心を理解し、さらにその先の可能性を知っているからこそ発せられる言葉なのだ。

2000年3月。私が盲導犬協会で指導部長をしていた時、日本糖尿病眼学会の当時の会長をされていたT先生から
「長崎さん、あなたの考えを是非学会で発表して欲しい」との依頼を受け、札幌で開催された総会で辛口の講演をしたことがあった。

「医学的に回復不可能な眼疾患の患者に対し、先生方の思わせぶりな発言での医療の延長が、結果的に本人の社会復帰を遅らせ、失業による経済的な破綻に始まる家庭の崩壊を招いている現状を知って欲しい。
先生方の病院では人生を悲観した自殺者を増やしたくないだろうから、告知を躊躇する気持ちは充分承知しております。
だけど告知の場面あるいは後のケアを担当できる私たちの仲間である専門員が全国にいます。
どうか、失明が人生の終わりではなく、変化した新たな人生の始まりであることを理解してください。
医療の終わりが人生の終焉ではなく、新たな始まりであることを知ってください。
あなた方が理解できないことを患者に伝えることなどできないのです。
医療と視覚障害リハビリはもっと連携すべきであります」
と、数字や具体的な方法論を示したが、心の底を巡っていたのは科学的発表の場に相応しくない人間論であったかもしれない。

「よくぞ言ってくれた」
講演後に駆け寄ってくれた先生と、「あいつ何を言ってるんだ?」という先生の姿を同時にあの時見た。
あれから6年が過ぎている。
どこかが少しでも変わってくれただろうか。

M先生が同意してくれるかどうか確認はしていないが、私と立場こそ違え、そんな思いを発信しているように思える。
 

忘れかけているもの 2006年11月19日(日)

  北海道のさらに田舎町で、実に北海道らしい出来事があったのでお伝えしたい。

主役はゴールデンのムーンとトムの母Kさん。

カフェからそう遠くないハイジ牧場のすぐ近くでご主人手作りの家を建てて住んでいるKさんご夫妻だが、その建築作業は数年経った現在も続けられ「今年はお風呂を作ったよ」などと至ってのん気なものである。

そのKさんが今週もカフェにやって来て
「いやぁ、もうビックリしたさ」と話を聞かせてくれた。

先日、仕事から帰宅途中、家の近くで犬が車に轢かれるのを目撃したKさんは、そのまま立ち去る車には目もくれずに停車し、横たわったシェルティーに駆け寄り、後続の車や前から来る車に大きく手を振りながら悲鳴のような声を上げて、再び轢かれないようにしたという。
「もう動転してたから、何がなんだかよく覚えてないんだけど、すぐにG動物病院に電話したんだ。
したらM先生が出て、内臓が出てたらどうのこうのって言ってんだよね。その電話をしてる最中にも車が走ってきたりするもんだから、ぎゃー!やめてー!来ないでー!って私悲鳴上げてたからそれだけで状況が伝わったんじゃない?」

「で、犬はまだ生きてたの?」と私。
「うん。他の車から男の人が降りてきて手伝ってくれたんだ」
「触ろうとしたら怒らなかった?」
「最初、鼻にしわを寄せてウーって言うから、大丈夫だよ、ちゃんと助けてやるからねって言い聞かせたら大人しくなったの。」

「で、助かったの?」と私。
「あのね、私夢中で運転してたから後ろの様子なんて見てなかったでしょ。G動物病院に着いたら先生も駆け出してきてバックドアを開けたんだよね。」
「うん」
「したら、ちょこんってオスワリしてんの」

まずは一安心だったが、そこからがまた面白かった。

「首輪ついてたの?」
「え?あ、いやあ、私の地区知ってるでしょ。あの辺じゃ犬に首輪つけないし、トイレだって勝手に外に出して、犬も適当にその辺走り回って帰って来るんだもん。」
「じゃ、その犬知ってる犬だった?」
「うん、見たことはあるけど、誰の犬かは知らない。こないだだって、よく見る犬が放れてたんだ。遊んでるんだなって後ろ見たら自転車に男の人が乗ってて、ああこの人が飼い主なんだって初めて分かったくらいだから。」

「で、どうなったの?」
「うん。私、治療費がどのくらいかかるか心配になってきたんだ。普通なら数万円でしょ。でもG動物病院だから6千円くらいかなって。」
「それでいくらだった?」
「タダ。凄いでしょ?」
「さすがだね、M先生。で、シェルティーはどうなったの?」
「捨て犬じゃないですよねって先生に訊いたら、『口を開けたりどこをどう触っても、嫌がりもしないからこの子は飼い犬です。Kさんとこの地区の犬なんでしょ?じゃ、治療したあとであの辺に返しておくから、あとは自分で家に帰るでしょ。』っていうから、戻ったんじゃない」

なんと大らかな土地柄だろうか。
いろんな批判もあるだろうし、もしその地区に盲導犬がいるなら意識改革を訴えなければならないだろう。
でも、必死になって助けたKさんも「そりゃそうだ」と納得した結論であり「まだ戻ってなければ回覧板で連絡がくるからいいんじゃない」と、あっけらかんとしている。

犬を飼ううえでの決まり事は必要だし、犬に対する愛情も深くあって欲しい。
また、物事をいい加減に処理すると後々ややこしい問題が持ち上がってもくることも知っている。
しかし近時、何事においてもがんじがらめに社会規範を設けて押し付けようとする風潮があるが、私には一見正しく聞こえる屁理屈が、責任逃れと結果的に自分の首を縛り上げ、人間本来の心の豊かさを奪っていると思っている。

規律社会では『見てみぬふりをすることもわが身を守ることに繋がる』知恵であろうが、多くの助けられる命がそのことによって見捨てられてもいるはずだ。

これ以上のことは言うまい。
今夜はKさんやM先生と知り合っていて本当によかったと思っている。
 

夢中になる 2006年11月18日(土)

  「11時にレッスンお願いできますでしょうか?」
今朝カフェに電話があり
「あ、大丈夫ですよ。お待ちしてます」と何故か迂闊に答えてしまった私。

ところが、正確な時間に来られた黒ラブ/クロ坊のご両親には
「スミマセーン。パレード…、日ハムのパレードがあるのを電話のときには忘れてました。4丁目の紙吹雪が終わるまで…。あ!新庄だ!また何か投げるつもりだ!」
テレビで実況される北海道日本ハムファイターズ日本一の駅前通りパレードの映像に釘付けになって、私はクロ坊のリードを持ったままレッスン開始を申し訳なく遅らせてしまった。

「もうパレードは駅前を出発したの?新庄はどの車に乗ってる?小笠原は西側?東側?オープンカーには誰が乗ってるの?」
見物のため勝手に店を休みおったスタッフMが、パレードの沿道で寒さに震えながらKと携帯電話で情報を欲しがり、Kはテレビ中継を見ながら「今出たよ!」などと最新情報を流していた。

スタッフMがいないとカフェは混み合うというジンクスがあって、今日も今月のパスタ『日ハム優勝おめでとうパスタ』がおかげさまで大人気だった。

「明日、Mが風邪ひいた」って言ったらどうする?と調理をしながら尋ねるK。
「許せないですよね」と忙しさにてんてこ舞いのスタッフAちゃん。

私は想像以上に舞い散る紙吹雪の中継に満足しながらクロ坊のレッスンに出かけ、幸せな一日をおくらせていただくことができた。

そして一息ついた頃に見た今夜のテレビ番組、『東京タワー〜オカンとボクと、時々オトン』
ありきたりのストーリーなのだけれど、何故か今日のこの一日をとても満足に終わらせてもらえた。

私の娘が子供だった頃に「この人は凄い」と言ってた当時無名の名前を私は記憶している。
“大泉洋”“ラーメンズ”“cocco”だったと思う。
「オトン、この人たちは凄いよ」と話しかけてくれた頃の娘を思い出して愛しく思ったのだろうか。
最近コマーシャルで見かけるようになった『ラーメンズ』のふたり。
北海道のローカル俳優、大泉洋が主演した今夜のドラマ。
『COCCO』というのはよく知らないけれど地味に売れているらしい。

まもなくオープンして4年目を迎えるカフェであるが、いつまでも人間的であり続けたいと今夜はやけに思った。
 

いろんな方との関わりが楽しい 2006年11月15日(水)

  ひょっとしたらここに書くことでご迷惑がかかるやもしれないとの判断から曖昧な表現になって恐縮だが、昨日のこの欄を見て、
「私も痛み止めを飲むと胃が荒れるんですよね」
そう言って○○師でもある○さんが座薬を持ってきてくださった。
「なるほど、そういう方法もあったよな」とありがたく受け取り「明日あたりもう一度歯科医院で診てもらった方がいいですよ」というアドバイスに感謝している。

既に明日の予約を入れてあったので素直に出かける気持ちが固まったのに、夜になってKの一言がどうも気になっている。
「抜歯の次は切開?」ザワザワ…

さて、今日のカフェには情報が2題。

1題目は『ひょっこり来られた若きセールスウーマンからの提案というより相談。』
「こんな装丁の写真本なのですが、これを愛犬の写真にすることでそれぞれの飼い主の方の思い出作りにならないでしょうか?」
そう言って彼女が差し出したのが“よさこいソーラン”の写真集。
装丁はしっかりしていて見栄えはとてもよい。

愛犬の写真をたくさん撮っている方はおられるけど、それをアルバムにきちんと整理されている方は少ないだろうし、ましてやまるで書店で販売されているような写真集のように製本されることはまずないだろう。
せいぜいデジカメで撮ったものをHPのアルバムで公開している程度だと思う。

そう感じた私は興味を示し、具体的な内容を尋ねた。
「それが…まだ」
彼女の頭の中ではまだ構想段階で、はっきりしたビジョンが描かれてないようだったが、私が質問を重ねるうちに目標が出てきたようだ。

B5サイズで世界にひとつの写真集であり、プロカメラマンが新たに撮るのではなく、飼い主が撮り溜めた写真の中からお気に入りの22枚を選んで、それを写真集にする。
だから料金はリーズナブルだし2冊目以降の値段が安いのに驚かれる。

愛犬のこれまでを一冊にまとめ、これからをまたいつの日にか写真集にすれば思い出深いだろう、そして見本になるものを作ってここにおいてくれれば説明しやすいとアドバイスした。
彼女は手応えと次の準備をイメージして帰っていった。

興味ある方は資料があるのでカフェでお尋ねいただきたい。

2題目は『奇遇な再開とワンちゃんのおせち料理。』

私が盲導犬協会にいた頃、いろんなホテルから“視覚障害者に対する接客マナー”の講習依頼があってホテルスタッフに対して講習と実習を行っていたのだが、その当時のある一流ホテルの担当者がカフェのすぐそばに住んでおられるようだ。

ポメラニアンのココちゃんを連れてその方が今日何度目かの来店をしてくれた。
「実は長崎さん。あなたが協会にいた頃、私は何度かお会いしてるんですよね」とSさん。
記憶力の悪い私はドキッと身震いした。

ところが、どいうわけか話を伺ううちに数年前受け取った名刺と当時の場面が思い出されてきたのだ。
Sさん、ホテルマンのSさんが鮮明に思い起こされた。

昨日に続いて長くなりそうなので以後簡潔にまとめよう。

Sさんが勤務する、あの“センチュリーロイヤルホテル”で、なんと今年の暮れに『ワンちゃんのおせち料理』を限定で販売するというのだ。
しかもメインディッシュには地消地産の候補でもあるエゾシカ肉が使われているという。

“お犬様”のためにケーキやお食事をカフェで食べさせることに私は反対の立場であるが、正月や記念日だからといって人のものを自宅で食べさせるよりは、犬用に作られたものの方がよいもと考えているから、この商品をカフェで扱うことに決めた。

『センチュリーロイヤルホテル特製ワンちゃんおせち料理』は東急デパートで予約を受け付けているようだが、我がカフェでも同じ『5750円』で予約販売すことにする予定だ。

奇遇な出会いから始まったことだが詳しいことはカフェでお尋ねあれ。
年末に取りに来ていただくのが原則だが、もしかしたら、大晦日に私自らガソリン代を上乗せして配達できるかもしれませんので。
 

何事にも共通する道理 2006年11月14日(火)

  土曜日の早朝から歯茎が病みだし、1件目の歯医者に行って処方された薬を飲んでもその後の痛みが尋常ではなかったので、私は以前に膝を痛めたときに貰っていた薬を飲んで日曜日の痛みをクリアした。

そして月曜日に2件目の歯医者に通った。
「レントゲンで診ると現在病んでる下顎の歯茎の中には、口腔外科で手術を受けなければならないような横に生えた厄介な親知らずがあります。
しかし、それが今の問題を起こしているとは思えません。
おそらく上の親知らずが加齢と共に下がってきて、下の歯茎を刺激して炎症を起こさせているのでしょう。
軽く咬んでみてください。ほら痛いでしょう?
やはり上の親知らずが当たってしまっています。
炎症を起こしている下の歯茎には薬物療法を行い、その原因となっている上顎の親知らずは抜きましょう」という先生の明快な説明に納得できないわけがない。

抜歯など予想だにしていなかった私でも「は、はい。」と即座に答えていた。

が、人生初めての抜歯までの待ち時間が私を不安にさせ、いろんな抜歯回避案を思い起こさせた。
「せ、先生!歯はできるだけ抜かないほうがいいんですよね?」
「そうですね。でもその親知らずは何の役にも立ってないどころか、結果的に悪さを始めてますからね」
「そうですよねぇ…。…でも先生!抜いてしまうと隣の歯がいずれグラグラしてきませんか?」
「大丈夫ですよ。しっかりしてますから影響ありません」
「せ、先生!ひょっとしたら歯茎が炎症で腫れているから上の親知らずがタマタマ当たってるんじゃないでしょうか?」
「いや、今回が初めてじゃないでしょう?これまでにも時々そこら辺が腫れたりしませんでしたか?」

『確かに。あの時は酒で治すことができていた。』と思いつつ、まるで私が去勢を勧める犬の飼い主の反論を自分で言っているような気がして面白くなっていた。

というわけで去勢いや抜歯を受けて36時間が過ぎた。
頬から顎にかけて腫れがあり、痛みで食欲もなく口内には血の味が続いて自分の血で水分補給しているようだ。
仕方なく痛み止めを服用すると胃が荒れはじめ上顎と下唇がヒリヒリ痛んでいる。

こんなことを書きながらも、妙なことにさらに犬のしつけについて考えている自分が可笑しい。

散歩中に他犬や人を見てはワンワン吠え立てる犬がいる。
あまりにも迷惑をかけているし、実際他犬とすれ違いそうになると咬みつかんばかりの勢いだから、つい横道へそれて誰とも出くわさないような道を選びながら散歩している。(歯の痛みに共通)

そこで盲導犬訓練士でもある私に相談が入る。
『今お困りの散歩中の吠えは99%治すことができます。』と私は答えるだろう。
私が99%なんて言葉を使うことはまずないけれど、リードをつけた上での散歩中の吠えについては本来そのくらいの確立で治せるものである。
ご多分に漏れず、飼い主の意識が変わらないとこの確率を維持することはできないが。

『犬には吠える機能が備わっています。でも散歩中闇雲に吠えるのは、そうするように飼い主が学習させているからです。(親知らずが下の歯茎に刺激を与えている)』と私は答える。

『実はそのような犬には散歩中の吠えだけじゃなく他にも問題があるでしょう?』と問うてみたい。そして
『散歩中の吠えが表面化してますが、その原因は犬よりもむしろあなたにあります。だけど親知らずのようにあなたを排除するわけにはいかないので、どうですか、元凶であるあなたが炎症部分を治療する立場になってみませんか?』と投げかける。

私の指導によってひょっとしたらあなたの愛犬は心のどこかがまるで今の私の顔のように腫れ上がるかもしれない。
あなた自身が疑問に感じ始めるかもしれない。
それはとても大切なことだと思う。世界が変わる瞬間だから。

抜歯した後36時間の私は今も辛い。
『ひょっとしたら重大なポイントを先生は見逃していたのでは』と思うほど辛い。
でもあの状況から抜け出すために自分が「はい」と答えた意味は理解しているつもりだ。

散歩中吠える犬にはまずはハーネスではなく首輪が必要で、叱るのではなく制御が基本である。
『北の国から』を最初から読んでいただいてる方とカフェに通っていただいてる方には理解していただけると思っている。

誰もどこも痛まず、楽しく美味しいだけの見せかけの訓練が全盛の時勢ではあるけれど、私は飼い主がこれまでの接し方を心痛んで反省し、そのツボを刺激することで他の問題が一気に解決してしまう常道をこれからも模索し発信し続けていきたいと思う。

もっと細かく具体的に書く要素もあったが長くなったし、禁酒の夕べを守った反動で飲みすぎた私のつぶやきを今夜はしたためてみた。
 

歯が痛い 2006年11月12日(日)

  朝5時に歯の痛みで目が覚めた。
口内を消毒して再び寝ようとしたが結局うとうとしただけで2時間が過ぎ、痛みはさらにひどくなっていた。

「11時半の予約が取れたからね。絶対行くんだよ。」
Kの迫力と歯の痛みで私に反論する余地はなく、10数年ぶりの歯医者通いとなった。

今時の歯医者さんは凄かった。
問診表にはいつからどこがどう痛むのか、治療は保険か自由診療を含めるのか、痛いところだけの治療かすべてをチェックするのか、過去の受診経過と結果はどうだったのか…。
昔なら問答無用で歯石の除去をする先生とモゴモゴ話をしながら相談していたことが事前に紙一枚に記入する仕組みになっているから良心的で安心なシステムだとは思うが、老眼で文字がよく見えない私は、10分くらいかけて読み、『すべて保険診療』に丸をつけ『どこまで治療するか』との欄にはその他の項目に『状況を見て』と書いた。

予約制だからすぐに呼ばれ、案内されるままに着席すると治療台には小型液晶テレビが備え付けられていて驚いた。
「やっぱり痛いんだ。だから気分を少しでも落ち着かせるような舞台装置を充実させてるんだ」
痛みに弱い私はかえって不安になった。

「歯のレントゲンを取らせていただいてよろしいでしょうか?」
丁寧な言葉遣いに緊張が走る。
「も、もちろんですとも!」
少しでも丁寧な扱いで痛みなく治療して欲しい私は、その場に相応しくないほどの高い声を出して従順なしもべとなっていた。

ターミネーターの映画に出てくるような機械が私の顔の周りをゆっくり回転していた。
「変死体で発見されても飛行機が墜落してぐちゃぐちゃになっても、これで歯形から私だと特定できる資料作りが今行われているんだ」
妙な緊張がやはり走っていた。

いよいよ診察と治療が始まった。
暗号のような「1はなんとか、3は○○、8はクラウン」というようなやり取りを先生と看護師さんが行う瞬間、私は小学校の頃の歯科検診を懐かしく思い出してしまった。

消毒の綿花が歯茎に刺激を与えたから、「いよいよだな」と覚悟を決めた私に先生は言い放った。
「はい、今日はこれで終わりです。炎症を抑える抗生物質と痛み止めそれにうがい薬を出しておきますね」

「うれしい」気持ちと「これでいいの?」との思いが複雑に交差した。

帰宅してポタージュスープを昼食代わりに飲み、処方された抗生物質と頓服を服用した。

以後、4時間おきに私の歯は痛み出し、残り少なくなった頓服の量では月曜日までもたないから「どうしようか?」とたじろいでいる。

「次の予約はいつがよろしいですか?」
その質問には「また連絡しますね」と答えてきた私であるが、さて、どうすればいいのだろう?
既に夜中の1時半を回っているから今薬を飲めば明日の朝6時くらいまでは安眠できそうなのだが・・・
 


- Web Diary ver 1.26 -