From the North Country

親心 2006年08月20日(日)

  この全身を覆うけだるさは甲子園の両チームの選手には申し訳ないが、明らかに名勝負の観戦疲れである。
若い諸君の疲れは未来へのビタミンとなるが、おじさんたちの疲れは単なる消耗でしかない。

スポーツカフェの閉店後、Kとガーデンでジンギスカンをやって多少のスタミナを補充したものの、日中からの精神的な高揚は脳圧を上げ、私の身体を蝕んでいるかも知れない。

だから昨日から忠告しているではないか!
早実選手諸君。
もういい、君たちはよくやった!
君たちはもういつ負けても日本中から健闘に値する賛辞を受けることができ、歴史上に名を残しているのだ。

今日のゲームで君たちの大先輩である王監督の胃はキリキリ痛み出してるかもしれないぞ!
『痛む胃は、もう摘出したし、負けた後のその言葉はそのままお返しする!』などともっともな反論をしないでくれ給え。

どうーかひとつ、どうか見逃してくだせぇませ、お代官様。


さて、駒大選手諸君。
君たちもよくがんばっている。王者に相応しいと改めて思っている。
予選からの毎試合君たちは成長を続け、経済不況に喘ぐ北海道の私たちに勇気と踏ん張りを与えてくれている。
夕張市の破綻は終わりの始まりかも知れないと思えるほど北海道は疲弊している。

道民みんなががんばっている中で、さらなるカンフル剤を打ち込んで欲しい。
心から応援している。

今日のカフェでは実況を聞くに堪えられず、早実の攻撃中にはガーデンの草むしりを始めようとした母さんもいた。
どうかひとつ、そんな草の根の集まりの願いを叶えてくださいませ。

『両チームともここまでやったのだから、もう結果は問うまい』
こんな言葉でこの欄を締められたらいいのだろうが、道民である私はその言葉を口にはしない。

普通なら明日の試合はどちらかの一方的な展開になるだろう。
それが駒大苫小牧であることを信じ続ける。
そしてできればいつもの後攻で試合が始まることを願っている。
 

明日はスポーツカフェ 2006年08月19日(土)

  駒大苫小牧が3年連続で夏の甲子園決勝進出を果たした。
思えば、カフェがオープンして最初の夏の甲子園で初優勝し、2年目もまた優勝と、まったく幸運の年が続いている。
そして3年目の決勝戦にも駒大苫小牧がその勇姿を現すのだから、オープン以来決勝戦の日は“ドッグカフェ”が“スポーツカフェ”に変身する喜びを享受できることになった。

明日の札幌は30度の予想だから、里塚緑ヶ丘はさらに暑くなるはずだ。
犬たちのためにはプールを準備しておこう。
幸いにも、明日の美容室はお休みだからトリミング室のエアコンもフル稼動させてドアを開けておけば、万が一カフェにスタッフ以外の人間、つまりお客様が来られても熱気による室温上昇を抑えることができるだろう。

去年一昨年の決勝戦の日、カフェ周辺はまるで元旦のような空気に包まれ、人っ子一人いなかったのを思い出す。
カフェでもお客様とスタッフは固唾を飲んで、『その時』を迎えようとしていた。
優勝が決まった瞬間ガーデンに飛び出すと、近隣のあちこちの家から大歓声が巻き起こって、ここがゴーストタウンではないことを感じ取り、また連帯感を覚えたものである。

王監督の母校である早実が勝って、監督の快復を願う人々の思いを届け、それを王さんが意気に感じて早期復帰が実現すればマスコミ受けすること間違いないだろう。

が、しかし、よくよく考えていただきたい!
全国の早実および王監督ファンの諸氏。
心して聞きたまえ。

もし、早稲田実業が優勝して王監督に勇気と感動と復帰を願うあなた方の思いを今届けてしまったら、監督は
『俺もがんばるぞ!』
と意気盛んになり、無理をして再び食い物を喉に詰まらせて入院し復帰が遅れる可能性があるのですぞ!

無事生還した今、監督に必要なのは安静と“変わった自分の身体を受け入れる”しばらくの受容時間でありまする。
もし、本当に王監督の身体を気遣うのであれば、明日は心静かに駒大苫小牧が優勝することを祈りなさい。
さすれば『母校はよくがんばったなぁ』程度の興奮で済み、監督の快復も順調に進み、駒大優勝・天下泰平と、すべて丸く収まるのでありまする。
ゆめゆめ早実優勝なぞお考えなさることなきよう、ここに謹んでお願い奉り候。
 

バイバイ眞知子 2006年08月18日(金)

  昨夜の『偲ぶ会』は密葬だったにも関わらず、予想を遥かに超えた弔問が続々とあって、眞知子の生前の功績を垣間見ることができた。
長女は声を振り絞って
「この母の娘であることを誇りに思う」と挨拶した。

そして、今日の『送る会』。
「火葬場に入る交差点を曲がった辺りで、眞知子が育てたアモとウィンピーをつれて待ってるから、窓越しに見るんだよ」
喪主の長女にそう伝えて、私とKは送る会の途中に抜け出しカフェに戻った。

約束の場所でアモとウィンピーを下ろして、眞知子を乗せた車を待ったが、眞知子の遺体は既に火葬場に到着してしまっていた。

釜戸?焼却口?の前で最後の焼香が終わった後に私は駆けつけた。
「故人の愛した犬がいます。ここに連れてきてもいいでしょうか?」と大声で私は尋ねた。
すると担当者は、この気迫に押されたのか
「上司に相談してみます」と言って、事務所に戻りすぐに上司と戻ってきた。

「盲導犬など補助犬は同伴を許可しますが、一般の犬はケージに入れてもらう規則になっております」と上司。
「この犬は落ちてしまいましたが盲導犬の訓練を受けた犬で、私は盲導犬の訓練士です。決してご迷惑はかけません!」と私はきっぱりウソをついた。
ウィンピーは訓練前の適性検査で一発で落ちてしまって、訓練など受けていないのだ。

輪をかけるように、S盲導犬ユーザーは「俺の犬のハーネスを使って盲導犬に見せかけろ」とささやく。

「それなら、承知しました。お連れください。」と上司は、まんまと騙されたふりをしてくれたのがありがたかった。

急いで車に駆け戻り、Kはアモを、私はウィンピーを連れて釜戸の前に立って焼香をした。
アモはKの足元でいつものようにリラックスしていたが、ウィンピーは家族を見つけて大興奮である。

私は全身から噴出す冷や汗を感じながらも興奮するウィンピーを制御し…つまり、眞知子はそんな中で焼却炉に消え去っていった。

『不謹慎な!なに?あの連中?』と思われた“遠くで暮らす親族”がもしおられたら謝るしかないが、生前の眞知子の日常を見事に現すことができ、少なくとも眞知子の子供たちや仲間、いや、私にとって眞知子への最高のはなむけができたし、その場は厳かに進行した。

「拾骨まで…」と上司が口にした途端、
「私たちはこれで引き上げます」と答えて、これ以上の負担を上司にかけないよう犬たちを連れてカフェに戻った。

“無謀なことをするが、取り返しのつかない迷惑はかけず、気配りも忘れない”
それが眞知子と私たちのモットーでもあった。


「おう、俺だ。眞知子死んだんだってか?」
秋田の盲導犬ユーザー“力(ちから)”が、力ない声でさっき私のもとに電話をくれた。

『あいつ(力)に知らせたら、大声で泣きわめくかもしれないし、少なくとも取り乱して葬儀会場が騒然となるに違いないから、しばらくは知らせるな』
というのが、我々の暗黙の了解だった。
そんな純真な人間を生むまでに、眞知子は献身的に視覚障害者とりわけ盲導犬ユーザーの活動に貢献していた。

どこで情報を得たのか知らないが“秋田の力”は意外にも冷静だった。
疲れた遺族を休ませるためにも「今は来るな!」と私は言ったのだが、「明日の夜、行く。俺の心がやすまらねぇ」
と伝えてきた。

「わかったよ。空港に迎えに行くから泊まっていきな。秋田の美味しい酒とモロコシ持って来るんだよ。みんなで待ってるから」

眞知子ならそう言ったかも知れない。
 

眞知子死す! 2006年08月16日(水)

  つい3時間ほど前の今夜8時20分に家族・友人に見守られながら眞知子は逝ってしまった。
来週の今日56歳の誕生日を迎えるはずだった。

彼女の遺志で密葬とするので、関係者の方はこの欄を読んでも矢内家には連絡なきようお願いしたい。

私に連絡が入ったのは午後3時前だった。
平日なのにどういうわけか混み合っていたカフェをスタッフMに任せ、お泊り犬の管理はちょうど来店されていたシベリアンハスキー/チェスのYさんにお願いしてカフェを飛び出した。

容態を見た私は「ありがとう。お前と出会えて本当によかった。ありがとう。」
その先の言葉が涙で続かなかった。

しばらくして「僕はね、脳には死のプログラムが生まれた時既に組み込まれていると思うんだ。これから先お母さんの身体がたとえどんな反応を見せようとも、それは外見上の生体反応で、お母さんの頭の中には自分のこれまでの人生の映像が流れているんだと思う。今頃はどの辺の時代を見てるのかな?」
二人の娘の肩に手を置いて、私はそんな話をしていた。

「私が生まれた頃じゃないかしら」と次女。
「そりゃ、苦痛の始まりだから思い出したくもないんじゃない?それよりか、もしお父さん以外の誰かと一緒になっていたらどうなっていたかのシーンだと思うよ」と長女。
すると叔母である眞知子の妹が「そうだそうだ!あんたがちっちゃい時病気になって眞知子は自転車に乗せて病院に行ったんだよ。坂道を転げ落ちるように自転車を飛ばしたら、ちょうどスピード違反の取締りをしていた警官が飛び出してきたんだ。」
「止まれ!スピード違反です。」という警官に「バカヤロー!危ない!どけっ!」と眞知子は叫んだというのだ。

家族や仲間が集まり、思い出話に花が咲き、眞知子も何故か笑顔を見せたりしていた。

老人介護施設で働く長女は時々呼吸を忘れる眞知子を起こし励まし続けていたが、バイタルメーター(正式名は知らない)を覗き込んだある時点から「お母さんありがとう。もう、がんばらなくていいよ。」といって、その場にいた盲導犬ユーザーSとYに手を握らせた。

それから30分ほどで、眞知子は無言のまま両目と口を3秒から5秒ほどきつく閉じて息を引き取った。

この世に神などあるものか!
世界では宗教の名の下に戦争が続き、ここ数年、私の周りではいい奴ばかりが先に逝ってしまってるではないか!
眞知子の安らかな顔は受け入れるが、彼女の存在を消し去ったことを私は絶対に許さない。
すべての神よ仏よ。もし存在するなら、私はあなたのミスを絶対許さない。

そろそろ酔いつぶれてきたぞ。
眞知子これでいいか?
 

真知子よ 2006年08月15日(火)

  今夜のこの欄は矢内真知子のために書く。

彼女はこの欄でも何度か登場している人妻Mである。
昨年12月に心臓疾患で倒れ、未だに意識が戻らない友人矢内好弘の妻であり、二人の娘の母親であり、北海道盲導犬協会のボランティアであり、盲導犬ユーザーと視覚障害者にとってのマザーテレサであり、10数頭を育てたパピーウォーカーであり、ウィンピーの飼い主であり、私とKにとってかけがいのない友人以上の存在である。

末期ガンに侵されながらも、放射線治療で毛髪が抜け落ちた頭を優しくスタイリッシュに保護するオーガニックの帽子を開発し、大反響を浴びたのは僅か数ヶ月前である。

その真知子が今日緊急入院し、危篤状態になった。

「絶対に行く!大丈夫、絶対に行く!」
そう言って真知子は一昨日の13日に札幌から数百キロ離れた本別という町に出かけた。
毎年、夫好弘と出かけ、たくさんの野菜を親戚の家から持ち帰ってはおすそ分けをしてくれていた。

今朝、そこで収穫した野菜と共に届いたのが彼女の愛犬ウィンピーと緊急入院の知らせだった。

夕方カフェを閉めて、Kにはお泊り犬の管理をお願いし、私は病院へ車を飛ばした。
真知子の身体は痩せ細り、痙攣が真知子を襲っていた。
がんばれ!という言葉を私は死期の迫った動物に滅多に使うことは無い。
本人は誰よりもがんばってきていることを充分すぎるほど知っているからなのだが、今夜だけは心から「がんばれ!まだ死ぬな!」と意識の無い彼女を励ました。

来週26日から盲導犬協会で年に一度の研修会が開かれ、今年も真知子は彼女を慕うユーザーから様々な依頼を既に受けており、その依頼のひとつに『私のカフェでひと時を過ごしたい』というツアーも繰り込まれていた。

私にとって真知子は驚くべき存在だった。
どんな時にも困ったことがあれば真知子に電話さえすれば解決できた。
真知子の「わかったよ」
その一言ですべてのことが翌日には解決されていたのだ。
私とKが結びついた時も、一番の理解と応援をしてくれたのも真知子だった。
「分かったよ」と発する彼女の言葉で私たちはどんなに無謀な計画も実現することができた。

真知子、おまえが今夜死んでも俺はもう行けないぞ。
既に酒を飲んでるからな。
危篤状態になって初めて人前でお前の手を握り締めることができたな。
それでよかったと思うし、元気になったお前に俺はそんなことはしないからな。

だが真知子。
なんとか生還してくれ!
好弘、いつまでも寝てないでお前の妻を何とかしろ!
 

長崎塾 2006年08月14日(月)

  お盆真っ只中の今日のカフェには富良野や東京から帰省された方や、里塚霊園にお墓参りのついでに立ち寄られる方が数組おられた。
お泊り犬は手頃な3頭で、穏やかで爽やかな風が流れる快適な夜を過ごしている。

この1週間毎日カフェに来てくれるのは、なんとハクセキレイの幼鳥、名づけて“せっちゃん”。
人を恐れず私の手元までやってくる姿は愛らしいが、野鳥との付き合いであるから複雑な思いがある。

さて、もうご覧になったかと思うが、ホームページを再開するに当たって各ページの内容をいじり、『長崎塾』という新しいページを加えてみた。

『長崎塾』では、未だ完成しているわけではない『犬を育て犬と育つ』(仮題)というこれまでに書き溜めた原稿があるのだが、この3年ほとんど筆を加えずにいた。
しかし今回、サーバーが突然ダウンしたように私もいつ壊れるか分からないので、内容には不備がたくさんあるのを承知のうえでひとまず公開しようと決心した。

もし私が今でも盲導犬協会で働く現役の人間であったら、協力者への恩返しも兼ねて無償で公開すべきなのだが、今の私は個人事業主として生活を営んでおり、心苦しいけれど全文購読を希望される場合には有償とさせてもらったことをご容赦いただきたい。

ただ、そのことでこの原稿のことが私の頭の片隅に残り、さらに項目を増やしたり推敲する意欲がでてくるのではないかとも思っている。
いつの日か完成させたいが、中身はエッセイであったりマニュアルであったりしてるものだから収拾がつかない状態で、新しいジャンルでもできないかぎり公に日の目を見ることはないだろう。

この『北の国から』のほうが奔放な私見を継続して展開しているので『長崎塾』という名前が相応しいのかもしれないと、ふと考えた。
 

まだ戸惑っている 2006年08月13日(日)

  まるで昨日の涼しい秋風が合図でもあったかのように今日のガーデンにはたくさんのトンボが飛び交っていた。

残念ながらお盆入りしたカフェで混み合っていたのはトンボくらいで、ガーデンは32度を超える真夏に戻ったにもかかわらず、営業的には秋風が吹いていた。
それでも何とか食べていけるものだから、私たち初老夫婦にとっては今日のような一日はとてもありがたく感じられた。

実はこの二日間、ホームページ再開の準備などで睡眠時間が不足しており、とりわけ夕食後の習慣となっていた“惰眠”(だみん)がなかったことに、私とKの身体は不満を持っているようなのだ。
勿論、パソコンをいじっていたのはIさんで私たちはただ付き合っていただけなのだが、起きていたことに変わりはなく、自分たちの身体に寝不足の正当性を説明できるわけではない。

今夕はお泊り犬もなく、いたって“じょんのび”気分で快適である。
が、しかし、夕食後には「寝るぞ!」と宣言したものの二人とも頭が冴えてしまって眠れないでいた。
パソコンと同じように、人の心も複雑なようだ。

しばらくこの欄と『最新情報』の欄が迷走してしまうことをお許しいただきたい。

私とKの頭の整理がパソコンのスピードに追いつかないから仕方ないのである。

お盆という時期に重なったのがせめてもの救いで、この間にKと私が現在の設定に違和感を感じなくなるよう努力したいと思っている。
仏の心でご容赦を…。
 

Coming Soon! 2006年08月12日(土)

  大変お待たせいたしました。

HPと『北の国から』の再開準備がほぼ整いました。
さっきまでの準備作業に全面的に関わっていただいた“影の管理者”Iさんご夫妻にはお礼の言葉もありません。
ただただ感謝です。

お願いとお知らせ

1.カフェまたは私個人へのメールアドレスを登録されている方はnagasaki@sapporo-dogscafe.com にアドレス変更してください。今月末をもってこれまでのアカウントは使用できなくなります。

2.『北の国から』は、私のこだわりもあってブログ形式ではなく、写真の貼り付けや文字装飾など一切できないこれまでどおりのCGI形式とさせていただきます。

3.その代わりといってはナンですが『最新情報』のコーナーをブログ形式にし、映像などでお伝えしたい事柄や、臨時休業・ガーデンの様子などを発信するようにしました。(リアクションはお受けできない設定にしましたが…)
そしてこのコーナーはKが担当しますので、新鮮な息吹を感じることができるのではないかと私自身も大いに楽しみにしています。
残念ながらスタートからつまずき、現在のところ“Coming Soon"つまり工事中すなわち「まだできとらん!」状態です。

ところで、『北の国から』の失われた過去の記事は小樽市のSさんや釧路市のIさんがプリントやデータで保存していてくれてました。
現在、これらを用いて修復作業中です。
「SさんIさん本当にありがとうございました」
心からのメッセージです。

今後修復できなかった過去ログについての情報を皆さんに求めることもあるかと思います。
その節はよろしくお願い申し上げます。

「北の国からを休んでる間に、書きたいことが溜まってきたんじゃないの?」とK。
「なぁもだ」と答える私だけれど、空白期間の出来事や穴埋めの話題は、それなりのものもあるかもしれない。
いずれ振り返ってみたい。

ともあれ今日の日を迎えることができた。

『感謝の気持ちをどうすれば伝えることができるのか?』
この一ヶ月はそんな日々だったように思う。

今はただ、「ありがとう!」としか言えない。
“失ったからこそ得られるものがある”ことをこの歳になって改めて知った。
 

北の国から 2006年07月18日(火)

  2年と2ヶ月、590話前後書き綴ってきた『北の国から』が14日夜突如消えた。
当然酔っ払っていたし、「また何かやっちまったか!」と自分のキー操作をチェックしたが、どう間違えてもすべてのログを消去するようなボタンは最初から存在していない。

全身から血の気が引くのを感じ、それと共にとても冷静になっていく自分に少なからず驚いた。
「死ぬって云うのはこういうことなんだ」
すべてが消去されたことをKに伝えた後、そう私はつぶやいていた。
『死』とは勿論肉体の死ではなく『社会的な死』である。
『北の国から』には私の半生で得た経験・知識・感性それらに基づく主張そして心に残る出会いなどをちりばめてきたつもりである。
その中には私自身も読み返すことで記憶によみがえる事柄が多々あったし、いつか誰かに読まれることで共感が得られ記憶のリレーができると期待した思いもあった。
それらがすべて消えたときを『社会的な死』と感じることに異議は無かろう。

サーバーのトラブルが原因だったようだ。
「残念ですが復元の見込みはありません。(…中略)残念ですが規約にもある通りバックアップをとっておくのは当然利用者の責任です。」

喪失感とショックそれに年代的に理解不能な専門用語とIT技術のことで説明されても戸惑うばかりでしばらくは立ち直れそうもない。
今夜この欄がアップされるかどうかすらわからないけど、「北の国からはどうなった?」というお問い合わせが多いので、まずはこういう形でご報告させていただきます。

身体は何とか生きているしカフェの営業も続けているので、少しでも元気が出てきたらサーバーやプロバイダーを替えて再出発という方向がいいのだろうが、現在のところ踏み出す気力と知識が乏しく、ネット上ではしばらくお別れになりそうだ。

今日までご愛読いただきありがとうございました。
今はこのご挨拶が精一杯である。
 

ははは、ごめんなさいで済めば警察はいらない 2006年07月11日(火)

  腰にはコルセット、両膝にはサポーターそれに数年前整形外科にかかった時に貰った炎症止め・筋肉をほぐす薬・胃薬の三点セットを飲んで今日に臨んだ。

そしてチョコラブ/ブランのレッスンは人ごみを求めて車で生協付近に出かけた。

知り合いを発見した時や声をかけてくれる人に興奮して飛びつくというブランだが、私と歩く時はまるで盲導犬協会の老犬ホームの犬たちと散歩しているように、のんびりゆったり歩いてしまうから訓練にならず、より多くの人と出会う場面を求めたのである。
結果はいつもと同じおりこうさんだったが、ブランの興奮は思わぬところで表れた。

カフェに戻ると今月からトリマーとして働いているY(20代女性)に大いなる興奮を示し飛び跳ねているのだった。
Kからその事態を伝えられた私はすぐに制御してブランを平常に戻したが、その時の状況ははっきりと焼きついている。

飼い主は「あらら、やめなさい。ごめんなさい。」
飛びつかれているトリマーは客商売ゆえの遠慮もあるのか制御することもなく「あらら、どうしたの。そんなに…ハハハ」
と、両者共にブランの興奮に結果的に同調するかのような態度しかとれていなかった。

そしてそれはとても普通の光景だと思った。

しかし、そこが訓練士の感性と違うところでもある。
人に興奮して飛びつくのを、心底困った問題と捉えているなら、トリマーに飛びつかせておきながら相手に自分の犬の欠点を説明しながら謝るような余裕など持ってはいけないのだ。

例えば交通量の多い通学路の歩道を散歩していたとしよう。
犬好きな子供がブランに声をかけ、喜んだブランがその子供に飛びついたはずみに車道に倒れこんだとしたら大変なことになってしまうはずだ。
「あらら、やめなさい。ごめんなさい」では済まないはずである。

飼い主はブランがそんなことをしないように訓練をお願いしているのかもしれないが、私の考えは違うところにある。
4ヶ月間毎日訓練すれば確実に直すことができるけれど、そんなに時間とお金をかけるより、自らが制御できれば明日からでもちゃんと歩けるのである。

イメージしてください。
室内で犬がいたずらをしていたとしよう。
もしその犬が電気コードをかじっていたら、「あらら、やめなさい。ダメですよ」と悠長なことを言うだろうか?
普通なら「ひゃー!ダメ!止めろ!危ない!」と鬼気迫る対処をするはずで、それでそんな問題行動は一発で解消されるはずである。
現に私の元に「電気コードをかじるから毎日感電してしまって困っています」という相談などひとつも舞い込まない。

犬をしつけるときに「叩いていいんですか?どこを叩けばいいんですか?顔ですか?お尻ですか?どのくらいの力ですか?」と問う人もいるけど、犬と暮らすということはそんなレベルではないことに思いを馳せて欲しい。
 


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