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今夜は我が家の愛犬スーの三回忌。 あの夜のことはたとえアルチューハイマーの私であっても、過去のこの欄を読み直すまでもなく鮮明に覚えている。
あの日は本来なら定休日であるはずの木曜だったが祝日と重なりカフェは通常の営業を行っていた。 私とKは手を振り、スーはゆっくり尾を振って最後のお客様をいつものように三人でお見送りした。 それから数分してカフェの片付けの途中、突如スーは倒れ、Kに抱かれながら息を引き取った。
まだカフェを始めて1年の時だった。 どんな生活が始まるのか不安だった私たちだったのに、とにかくいいお客様に恵まれていて、毎日が楽しくてしようがなかった。 「このカフェをやってよかったね」 Kと私の偽りない心境だった。
看板犬だったスーが“暮し易い家庭犬”を標榜するカフェの具体的な姿として当時のお客様に与えたインパクトも確かなものだったのだろうと今になって改めて感じる。 私たちにとって当たり前の愛犬との暮らしをカフェでお見せすることで、以後どれだけの素敵な愛犬家が育ったことかスーには是非伝えてあげたい事柄である。
なのにスーの教えを私が守っていないことは知っているつもりだ。 スーの教えとは『私たち愛犬はいつもあなたを見て振舞っているのです。』という短いものである。
飼い主が愛犬の外見上の容姿振る舞いに翻弄されて接してくれることは嬉しいけれど、それは本当の犬としての愛犬たちを軽視することであり、反対に『犬というものはきっちりしつけなければただの動物である』という威圧的な接し方は、表面上の動きは評価されても実質は虚無的である。 この考えをご理解いただけるだろうか。
酔っているからきちんと問うわけにも行かないが、要は犬は飼い主が感じるほど動物的ではないし、訓練士が主張するほど人間的ではないのだろう。 ただ、人間的に接することでより人間的に自在に変化するし、ツールととらえればそのような反応をする。
そして多くの犬たちは生き物としてではなく、犬として心の繋がりを求めているように思う。 無理!絶対無理!酔ってるから無責任で意味不明のことを…おやすみなさい。
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