From the North Country

眞知子死す! 2006年08月16日(水)

  つい3時間ほど前の今夜8時20分に家族・友人に見守られながら眞知子は逝ってしまった。
来週の今日56歳の誕生日を迎えるはずだった。

彼女の遺志で密葬とするので、関係者の方はこの欄を読んでも矢内家には連絡なきようお願いしたい。

私に連絡が入ったのは午後3時前だった。
平日なのにどういうわけか混み合っていたカフェをスタッフMに任せ、お泊り犬の管理はちょうど来店されていたシベリアンハスキー/チェスのYさんにお願いしてカフェを飛び出した。

容態を見た私は「ありがとう。お前と出会えて本当によかった。ありがとう。」
その先の言葉が涙で続かなかった。

しばらくして「僕はね、脳には死のプログラムが生まれた時既に組み込まれていると思うんだ。これから先お母さんの身体がたとえどんな反応を見せようとも、それは外見上の生体反応で、お母さんの頭の中には自分のこれまでの人生の映像が流れているんだと思う。今頃はどの辺の時代を見てるのかな?」
二人の娘の肩に手を置いて、私はそんな話をしていた。

「私が生まれた頃じゃないかしら」と次女。
「そりゃ、苦痛の始まりだから思い出したくもないんじゃない?それよりか、もしお父さん以外の誰かと一緒になっていたらどうなっていたかのシーンだと思うよ」と長女。
すると叔母である眞知子の妹が「そうだそうだ!あんたがちっちゃい時病気になって眞知子は自転車に乗せて病院に行ったんだよ。坂道を転げ落ちるように自転車を飛ばしたら、ちょうどスピード違反の取締りをしていた警官が飛び出してきたんだ。」
「止まれ!スピード違反です。」という警官に「バカヤロー!危ない!どけっ!」と眞知子は叫んだというのだ。

家族や仲間が集まり、思い出話に花が咲き、眞知子も何故か笑顔を見せたりしていた。

老人介護施設で働く長女は時々呼吸を忘れる眞知子を起こし励まし続けていたが、バイタルメーター(正式名は知らない)を覗き込んだある時点から「お母さんありがとう。もう、がんばらなくていいよ。」といって、その場にいた盲導犬ユーザーSとYに手を握らせた。

それから30分ほどで、眞知子は無言のまま両目と口を3秒から5秒ほどきつく閉じて息を引き取った。

この世に神などあるものか!
世界では宗教の名の下に戦争が続き、ここ数年、私の周りではいい奴ばかりが先に逝ってしまってるではないか!
眞知子の安らかな顔は受け入れるが、彼女の存在を消し去ったことを私は絶対に許さない。
すべての神よ仏よ。もし存在するなら、私はあなたのミスを絶対許さない。

そろそろ酔いつぶれてきたぞ。
眞知子これでいいか?
 

真知子よ 2006年08月15日(火)

  今夜のこの欄は矢内真知子のために書く。

彼女はこの欄でも何度か登場している人妻Mである。
昨年12月に心臓疾患で倒れ、未だに意識が戻らない友人矢内好弘の妻であり、二人の娘の母親であり、北海道盲導犬協会のボランティアであり、盲導犬ユーザーと視覚障害者にとってのマザーテレサであり、10数頭を育てたパピーウォーカーであり、ウィンピーの飼い主であり、私とKにとってかけがいのない友人以上の存在である。

末期ガンに侵されながらも、放射線治療で毛髪が抜け落ちた頭を優しくスタイリッシュに保護するオーガニックの帽子を開発し、大反響を浴びたのは僅か数ヶ月前である。

その真知子が今日緊急入院し、危篤状態になった。

「絶対に行く!大丈夫、絶対に行く!」
そう言って真知子は一昨日の13日に札幌から数百キロ離れた本別という町に出かけた。
毎年、夫好弘と出かけ、たくさんの野菜を親戚の家から持ち帰ってはおすそ分けをしてくれていた。

今朝、そこで収穫した野菜と共に届いたのが彼女の愛犬ウィンピーと緊急入院の知らせだった。

夕方カフェを閉めて、Kにはお泊り犬の管理をお願いし、私は病院へ車を飛ばした。
真知子の身体は痩せ細り、痙攣が真知子を襲っていた。
がんばれ!という言葉を私は死期の迫った動物に滅多に使うことは無い。
本人は誰よりもがんばってきていることを充分すぎるほど知っているからなのだが、今夜だけは心から「がんばれ!まだ死ぬな!」と意識の無い彼女を励ました。

来週26日から盲導犬協会で年に一度の研修会が開かれ、今年も真知子は彼女を慕うユーザーから様々な依頼を既に受けており、その依頼のひとつに『私のカフェでひと時を過ごしたい』というツアーも繰り込まれていた。

私にとって真知子は驚くべき存在だった。
どんな時にも困ったことがあれば真知子に電話さえすれば解決できた。
真知子の「わかったよ」
その一言ですべてのことが翌日には解決されていたのだ。
私とKが結びついた時も、一番の理解と応援をしてくれたのも真知子だった。
「分かったよ」と発する彼女の言葉で私たちはどんなに無謀な計画も実現することができた。

真知子、おまえが今夜死んでも俺はもう行けないぞ。
既に酒を飲んでるからな。
危篤状態になって初めて人前でお前の手を握り締めることができたな。
それでよかったと思うし、元気になったお前に俺はそんなことはしないからな。

だが真知子。
なんとか生還してくれ!
好弘、いつまでも寝てないでお前の妻を何とかしろ!
 

長崎塾 2006年08月14日(月)

  お盆真っ只中の今日のカフェには富良野や東京から帰省された方や、里塚霊園にお墓参りのついでに立ち寄られる方が数組おられた。
お泊り犬は手頃な3頭で、穏やかで爽やかな風が流れる快適な夜を過ごしている。

この1週間毎日カフェに来てくれるのは、なんとハクセキレイの幼鳥、名づけて“せっちゃん”。
人を恐れず私の手元までやってくる姿は愛らしいが、野鳥との付き合いであるから複雑な思いがある。

さて、もうご覧になったかと思うが、ホームページを再開するに当たって各ページの内容をいじり、『長崎塾』という新しいページを加えてみた。

『長崎塾』では、未だ完成しているわけではない『犬を育て犬と育つ』(仮題)というこれまでに書き溜めた原稿があるのだが、この3年ほとんど筆を加えずにいた。
しかし今回、サーバーが突然ダウンしたように私もいつ壊れるか分からないので、内容には不備がたくさんあるのを承知のうえでひとまず公開しようと決心した。

もし私が今でも盲導犬協会で働く現役の人間であったら、協力者への恩返しも兼ねて無償で公開すべきなのだが、今の私は個人事業主として生活を営んでおり、心苦しいけれど全文購読を希望される場合には有償とさせてもらったことをご容赦いただきたい。

ただ、そのことでこの原稿のことが私の頭の片隅に残り、さらに項目を増やしたり推敲する意欲がでてくるのではないかとも思っている。
いつの日か完成させたいが、中身はエッセイであったりマニュアルであったりしてるものだから収拾がつかない状態で、新しいジャンルでもできないかぎり公に日の目を見ることはないだろう。

この『北の国から』のほうが奔放な私見を継続して展開しているので『長崎塾』という名前が相応しいのかもしれないと、ふと考えた。
 

まだ戸惑っている 2006年08月13日(日)

  まるで昨日の涼しい秋風が合図でもあったかのように今日のガーデンにはたくさんのトンボが飛び交っていた。

残念ながらお盆入りしたカフェで混み合っていたのはトンボくらいで、ガーデンは32度を超える真夏に戻ったにもかかわらず、営業的には秋風が吹いていた。
それでも何とか食べていけるものだから、私たち初老夫婦にとっては今日のような一日はとてもありがたく感じられた。

実はこの二日間、ホームページ再開の準備などで睡眠時間が不足しており、とりわけ夕食後の習慣となっていた“惰眠”(だみん)がなかったことに、私とKの身体は不満を持っているようなのだ。
勿論、パソコンをいじっていたのはIさんで私たちはただ付き合っていただけなのだが、起きていたことに変わりはなく、自分たちの身体に寝不足の正当性を説明できるわけではない。

今夕はお泊り犬もなく、いたって“じょんのび”気分で快適である。
が、しかし、夕食後には「寝るぞ!」と宣言したものの二人とも頭が冴えてしまって眠れないでいた。
パソコンと同じように、人の心も複雑なようだ。

しばらくこの欄と『最新情報』の欄が迷走してしまうことをお許しいただきたい。

私とKの頭の整理がパソコンのスピードに追いつかないから仕方ないのである。

お盆という時期に重なったのがせめてもの救いで、この間にKと私が現在の設定に違和感を感じなくなるよう努力したいと思っている。
仏の心でご容赦を…。
 

Coming Soon! 2006年08月12日(土)

  大変お待たせいたしました。

HPと『北の国から』の再開準備がほぼ整いました。
さっきまでの準備作業に全面的に関わっていただいた“影の管理者”Iさんご夫妻にはお礼の言葉もありません。
ただただ感謝です。

お願いとお知らせ

1.カフェまたは私個人へのメールアドレスを登録されている方はnagasaki@sapporo-dogscafe.com にアドレス変更してください。今月末をもってこれまでのアカウントは使用できなくなります。

2.『北の国から』は、私のこだわりもあってブログ形式ではなく、写真の貼り付けや文字装飾など一切できないこれまでどおりのCGI形式とさせていただきます。

3.その代わりといってはナンですが『最新情報』のコーナーをブログ形式にし、映像などでお伝えしたい事柄や、臨時休業・ガーデンの様子などを発信するようにしました。(リアクションはお受けできない設定にしましたが…)
そしてこのコーナーはKが担当しますので、新鮮な息吹を感じることができるのではないかと私自身も大いに楽しみにしています。
残念ながらスタートからつまずき、現在のところ“Coming Soon"つまり工事中すなわち「まだできとらん!」状態です。

ところで、『北の国から』の失われた過去の記事は小樽市のSさんや釧路市のIさんがプリントやデータで保存していてくれてました。
現在、これらを用いて修復作業中です。
「SさんIさん本当にありがとうございました」
心からのメッセージです。

今後修復できなかった過去ログについての情報を皆さんに求めることもあるかと思います。
その節はよろしくお願い申し上げます。

「北の国からを休んでる間に、書きたいことが溜まってきたんじゃないの?」とK。
「なぁもだ」と答える私だけれど、空白期間の出来事や穴埋めの話題は、それなりのものもあるかもしれない。
いずれ振り返ってみたい。

ともあれ今日の日を迎えることができた。

『感謝の気持ちをどうすれば伝えることができるのか?』
この一ヶ月はそんな日々だったように思う。

今はただ、「ありがとう!」としか言えない。
“失ったからこそ得られるものがある”ことをこの歳になって改めて知った。
 

北の国から 2006年07月18日(火)

  2年と2ヶ月、590話前後書き綴ってきた『北の国から』が14日夜突如消えた。
当然酔っ払っていたし、「また何かやっちまったか!」と自分のキー操作をチェックしたが、どう間違えてもすべてのログを消去するようなボタンは最初から存在していない。

全身から血の気が引くのを感じ、それと共にとても冷静になっていく自分に少なからず驚いた。
「死ぬって云うのはこういうことなんだ」
すべてが消去されたことをKに伝えた後、そう私はつぶやいていた。
『死』とは勿論肉体の死ではなく『社会的な死』である。
『北の国から』には私の半生で得た経験・知識・感性それらに基づく主張そして心に残る出会いなどをちりばめてきたつもりである。
その中には私自身も読み返すことで記憶によみがえる事柄が多々あったし、いつか誰かに読まれることで共感が得られ記憶のリレーができると期待した思いもあった。
それらがすべて消えたときを『社会的な死』と感じることに異議は無かろう。

サーバーのトラブルが原因だったようだ。
「残念ですが復元の見込みはありません。(…中略)残念ですが規約にもある通りバックアップをとっておくのは当然利用者の責任です。」

喪失感とショックそれに年代的に理解不能な専門用語とIT技術のことで説明されても戸惑うばかりでしばらくは立ち直れそうもない。
今夜この欄がアップされるかどうかすらわからないけど、「北の国からはどうなった?」というお問い合わせが多いので、まずはこういう形でご報告させていただきます。

身体は何とか生きているしカフェの営業も続けているので、少しでも元気が出てきたらサーバーやプロバイダーを替えて再出発という方向がいいのだろうが、現在のところ踏み出す気力と知識が乏しく、ネット上ではしばらくお別れになりそうだ。

今日までご愛読いただきありがとうございました。
今はこのご挨拶が精一杯である。
 

ははは、ごめんなさいで済めば警察はいらない 2006年07月11日(火)

  腰にはコルセット、両膝にはサポーターそれに数年前整形外科にかかった時に貰った炎症止め・筋肉をほぐす薬・胃薬の三点セットを飲んで今日に臨んだ。

そしてチョコラブ/ブランのレッスンは人ごみを求めて車で生協付近に出かけた。

知り合いを発見した時や声をかけてくれる人に興奮して飛びつくというブランだが、私と歩く時はまるで盲導犬協会の老犬ホームの犬たちと散歩しているように、のんびりゆったり歩いてしまうから訓練にならず、より多くの人と出会う場面を求めたのである。
結果はいつもと同じおりこうさんだったが、ブランの興奮は思わぬところで表れた。

カフェに戻ると今月からトリマーとして働いているY(20代女性)に大いなる興奮を示し飛び跳ねているのだった。
Kからその事態を伝えられた私はすぐに制御してブランを平常に戻したが、その時の状況ははっきりと焼きついている。

飼い主は「あらら、やめなさい。ごめんなさい。」
飛びつかれているトリマーは客商売ゆえの遠慮もあるのか制御することもなく「あらら、どうしたの。そんなに…ハハハ」
と、両者共にブランの興奮に結果的に同調するかのような態度しかとれていなかった。

そしてそれはとても普通の光景だと思った。

しかし、そこが訓練士の感性と違うところでもある。
人に興奮して飛びつくのを、心底困った問題と捉えているなら、トリマーに飛びつかせておきながら相手に自分の犬の欠点を説明しながら謝るような余裕など持ってはいけないのだ。

例えば交通量の多い通学路の歩道を散歩していたとしよう。
犬好きな子供がブランに声をかけ、喜んだブランがその子供に飛びついたはずみに車道に倒れこんだとしたら大変なことになってしまうはずだ。
「あらら、やめなさい。ごめんなさい」では済まないはずである。

飼い主はブランがそんなことをしないように訓練をお願いしているのかもしれないが、私の考えは違うところにある。
4ヶ月間毎日訓練すれば確実に直すことができるけれど、そんなに時間とお金をかけるより、自らが制御できれば明日からでもちゃんと歩けるのである。

イメージしてください。
室内で犬がいたずらをしていたとしよう。
もしその犬が電気コードをかじっていたら、「あらら、やめなさい。ダメですよ」と悠長なことを言うだろうか?
普通なら「ひゃー!ダメ!止めろ!危ない!」と鬼気迫る対処をするはずで、それでそんな問題行動は一発で解消されるはずである。
現に私の元に「電気コードをかじるから毎日感電してしまって困っています」という相談などひとつも舞い込まない。

犬をしつけるときに「叩いていいんですか?どこを叩けばいいんですか?顔ですか?お尻ですか?どのくらいの力ですか?」と問う人もいるけど、犬と暮らすということはそんなレベルではないことに思いを馳せて欲しい。
 

さあ今夜は寝るぞ! 2006年07月10日(月)

  フランスが圧倒的に押していたのに最後はPK戦でイタリアが優勝し幕を閉じたワールドカップ。
ファールを受けてもアピールせず何事もなかったように次のプレーへ立ち上がり、華麗なステップとパスワークで駆け回る選手たちの姿を見てそのレベルの違いは素人にも十分伝わった。
ともあれ今夜からはゆっくり眠ることができる。

ゆっくり眠れるのを喜んでいるのはお泊り犬のほうかも知れない。
日中はカフェで看板犬を勤めて、閉店後の散歩と夕食を済ませるや倒れこむように眠りに落ちているのに、夜中にゴソッと私が起きだしてサッカー中継を見ながら騒ぐものだから慢性的な睡眠不足になってうんざりしていたようだ。

ゴールデンの宙子(そら)海子(うみ)とウェルッシュコーギーの風子(ふう)の三頭にはそれぞれのこだわりがあって面白い。

そらは散歩の時、私の左側を歩かないと落ち着かない。
三頭で歩くのだから状況によってはそらだけを右側に持って歩く場面も出てくるのだが、潜り込むように左側にやってきて「これが私の定位置です」と主張する。

うみは水のがぶ飲みが好きなようだ。
日中いつでも飲めるように水は置いてあるのに、それは必要最小限に抑え、食後一気に食器一杯近くを飲み干す。
満腹感を生み出す工夫なのか、風呂上りのビールの旨さを引き出すのと同じように我慢をしているのだろうか?

コーギーのふうは身体や足を拭かれる時に「ウゥーウゥー」と唸り声を出す。
怒っているのかといえばそうでもなさそうで、前足を拭き終えると「ウゥーウゥー」と言いながら自ら後ろ足を上げてくれる。
あの短い足をひょいと上げるものだから可笑しくて可愛くて仕方がない。

足拭きといえばそらは拭く順番にもこだわりがあるようで、迂闊に私が両前足から先に拭こうとするとつんのめることがある。
「違うでしょ!右前を拭いたら次は右後ろ。それからくるっとまわって左前足で最後に左後ろが我が家のやり方です」と普段通りのやり方を教えてくれる。

日付が変わってしまった。
背中を下に股を開いてスヤスヤ寝ているふうの安眠を妨げないよう今夜は早めに寝ることにしよう。
 

あれから4年目のワールドカップファイナル 2006年07月09日(日)

  寝不足の1ヶ月も今夜が最後。
ワールドカップもいよいよ大詰めを迎えた。

それにしても今のように気ままに生活リズムが選べることの喜びは、申し訳ないほど贅沢で、ありがたく思っている。
協会で働いていた頃の7月といえば、ほとんど毎年十二指腸潰瘍で左腹部にキリキリとした痛みを覚えていて、8月下旬の僅かな休みに検査・治療を受けるまでそれを我慢していた。
特に私が神経質な性格だったせいかもしれないが、先輩指導員からきめ細かな対応を22歳の頃から叩き込まれた影響が強いと感じている。

5月から8月というのは、手塩にかけて訓練した犬たちを視覚障害者に貸与するための“共同訓練”と呼ばれる期間である。
札幌の訓練所で行うこともあれば、利用者の地元に数週間出かけて訓練することもある。
限られた時間の中で教えるべきことを確実に身につけてもらうには、様々な配慮・的確な評価・瞬時の決断が不可欠で、さらに細かいことを言えば、十分な知識・観察力・応用力・信頼関係構築能力・指導力なども当たり前に要求される。
そして根底にあるのは、視覚障害に対する理解と個々の訓練生の悩みを共感し、解決の糸口を導き出そうとする努力で、真剣にのめり込んだら体重は落ちるし胃に穴が開くこと請け合いである。

それだけに自由に歩く姿を目の当たりにした時の達成感は強く、直接的な“感謝”という報酬を受けた喜びは何物にも替えがたかった。(ただ、私の胃が悪くなったのは、共同訓練の時に訓練生と意気投合して毎晩大酒を飲んでいたせいである、という説もあり今となっては真偽のほどは定かではない)

退職して4年。
相変わらず膝や腰を痛めてはいるが、胃が病むことはなくなった。
気にかかる事といえば、毎月の支払いや生活費のこと位で、それさえも『人間、滅多なことでは死にはしない』という境地に立てばなんでもないことである。

協会の現場で働く諸君、「先にリタイアして悪いな。でも今やってる努力は必ず自分の力となって返ってきて、この先きっといいことがあるから精一杯頑張れ!」と伝えておこう。

なんてたって明日を気にすることなく犬たちに囲まれてワールドカップの決勝戦を見る事ができるのだじょ。
 

ぎっくり腰 2006年07月08日(土)

  椎間板ヘルニアで入院されたAさんの愛犬を預かっている私がぎっくり腰を起こしてしまったようだ。

昨日ガーデンの草刈に励み、夜には我が家の愛犬アモをKとふたりで2階まで運び上げたのが腰に負担をかけていたのだろうか?
今日の午前中そんなに重くない古い絨毯を運び、下ろしたときに鈍い痛みが走り、以後やばい状態になってしまった。

すぐにシップをしコルセットを腰に巻いて応急処置をした。
カフェの閉店後にはお泊り犬の散歩を済ませ、ゆっくりと風呂に浸かってシップを取替え、痛み止めのアルコールをしこたま処方して自然治癒力を高め(阻害?し)ている。

おかげで今夜もアモをKとふたりで2階まで運ぶことができた。
それにしても椎間板ヘルニアで入院し3週間近く経った今でも、まだ数メートルしか歩けないAさんの辛さの一端を身をもって感じとり『弱気にならないで!長い人生の辛抱の時間だよ』と声をかけたくなった。

人って不思議な一面を持っている。
先日、ラブラドールの仔犬を飼ったご夫婦が困り果ててカフェに来られた話を紹介し、私は“秘伝の書”をお貸ししたことをこの欄でも書いたが、数日前礼状が届いていた。
“秘伝の書”の通りやったら、とてもうまくいった!
という内容ではなく、カフェで皆さんが話してくれた『ラブの仔を育てるということは、かくも大変なことなのです』という言葉に安堵したというのだった。

知らないでラブの仔を飼った飼い主は『うちの子はどこか異常で、悪魔の子を授かったのではなかろうか』と不安を抱くものである。
それが“悪魔の子”でもなく“自分たちの育て方の誤り”でもないことを知らされ、まずは心底安堵したのだろう。

愛犬は正常で自分たちにも罪がないことを知った飼い主には、その仔犬と正対してぶつかり合いながら子育てができるようになる。

さてAさん。
自分の意思に関わらず、身体を動かせば悲鳴を上げたくなるような激痛にあなたも私も襲われています。
この痛みに対抗などできるはずもないことを今味わわされています。
がんばるのしばらく止めませんか?
努力で治る痛みではないようですよ。
私たちの頑張りが足りないわけではないようですよ。

いつか必ず笑えるときが来る。
このパソコンから離れトイレに立ち上がる私の腰に激痛が走ることは間違いないけど、それはいつまでも続かないこと。
『そんなもんだ』と分かったら、しばらく続くこの時間を受け入れ、周囲に依存しよう。
明日の私は使い物にならない気がする。
それも受け入れよう。
支えてくれる人がいるから…
 


- Web Diary ver 1.26 -