From the North Country

アモに教えた乗車マナー 2006年10月01日(日)

  ほとんどの方は愛犬を車に乗せてカフェに来られるが、その車内状況は様々で、まるで愛犬との暮らしぶりが凝縮されているようで見ていて面白い。

いろんなタイプに分類して考察を加えると、きっと興味深い論文ができあがりそうだ。
まあ、それはいずれ論文ではなく乱文で書くとして、今夜は我が家の愛犬アモの乗車マナーの変遷について紹介しよう。

1.今年1月に我が家にやってきた頃のアモの状況

スライドドアを開けるや否や、飛び乗ったり飛び降りたりが当たり前で、7人乗りワンボックスカーの2列目の座席をうろうろし、息は荒くフンフンフンフンと声を出し続ける。
買い物などで私たちが車を離れると、すかさず助手席か運転席に陣取ってフロントガラスからその状況を観察していた。
中でいたずらをしたり吠えることはない。(これはパピーウォーキングの段階でしつけられている)

2.私たちが許したことと教え込んだマナー

A.後部の荷台でもケージでもなく、2列目の座席をアモのために開放した。(事故に遭ったときのことを考えれば決していい方法だとは思わないが、私たちは万が一のことより、しつけやすくコミュニケーションがとりやすいそばに置くことを決断している)
アモはすでに言葉の理解が可能な大人だったから、ヘッドレストにリードで係留する必要はなかった。(仮にそのレベルにすら達していない犬だったら当然係留しただろう)
B.もし教えなければ、犬は車のドアを開ければ飛び乗り・飛び降りるものであるから、乗り降りについて(とりわけ降りるとき)は指示あるいは目での許可がない限り身勝手な行動をとろうとした場合には毅然と対応した。(私は犬の次の行動を必ず予測しているから、うっかりドアを開け閉めして犬が飛び出すようなヘマはしない。当然のことながら敢えて油断したふりをして飛び出させることはあるが、それは訓練の強化のためで、直後に犬は飛び出したことを後悔し、正しい行動を学ぶことになる。)
C.2列目の座席にクッション・滑り止め・お昼寝布団・タオルケットなどを整備し快適な環境を整えた。
D.車から離れた後、前列の席にアモが移動した姿を発見したらその行動を後悔させ続けた。(微妙な表現)
こんな基本的なことに1ヶ月もかけていられないから、10回ほどの状況の中でさっさと片付けた。

ちょっとタイム!

テレビでディープインパクトがフランスのロンシャン競馬場に姿を見せた。
まもなく凱旋門賞レースがスタートするようだ。
この続きは、また。

ディープインパクト3着。残念!
でも良くやった!
因みに私は競馬はやらない。
 

つるべ落とし 2006年09月30日(土)

  夕暮れが早くなって散歩の途中から辺りは暗くなってしまう。
細かな葉をいっぱいに広げ、私たちの目を楽しませてくれた近所のねむの木は、今夕の散歩の時には葉を閉じ始めていた。

最近では懐中電灯を持って夜道を歩く人の姿を見かけなくなったが、これから雪が降って辺りが明るく見えるようになるまでの間、夕方の散歩に懐中電灯は必需品である。
もし散歩途中に愛犬が草むらでウンチでもしてしまったら、街灯の少ないこの地域では“取り残し”の可能性があるからだ。

今年の私の愛用はペンライトになりそう。
普段はワンちゃんたちの耳の中の汚れを見るのに使っているのだが、先日の夜、200メートルほど先にある家に回覧板を届けようとアモをつれて出かけた際、アモがやってしまったのだ。
ちょうど胸ポケットにペンライトが入っていて、その処理はとても簡単にでき助かった。

百円ショップにも売っているだろうから、もう一本買っておいてKのお散歩バックにも入れておこうと思う。
ペンライトならかさばらないし軽くて邪魔にはならないだろう。

夕暮れが早くなりこれから寒くなると、近所の小型犬が散歩する姿はめっきり減ってしまう。
明るいうちに済ませているのならいいけれど、帰宅する頃は既に真っ暗になっているから『冬は歩かない』、なんてことにならないほうがよい。
繊細で過敏な小型室内犬ほど精神的にも肉体的にも図太くなるように接し、そういう体験の場を継続すべきだと思うからだ。

明日はペンライトを携え、散歩は逆コースにして、明るいうちにねむの木の横を通ることにしよう。
 

この国の行方は小さな変化から始まっている? 2006年09月29日(金)

  プロ野球セントラルリーグの今夜から3日間のゲーム、阪神VS中日戦がどんな意義を持ち、日本国の中核で働く能力を持った多くの人間にとってどれほど興味深い試合であるのかをこの国のテレビ局は知らないのだろうか。
道民を愚弄するのもいい加減にして欲しい。

優勝に向けほとんど不可能な数字に僅かな望みを寄せ、それでも挑み続ける選手たちに固唾を呑んで握り拳に祈りをこめる人々を称えるのは“美しい国、日本”の伝統ではなかったのか!

しかるに、今夜私はこの大切な試合を見ることが出来ない札幌に住んでいるのだ。
“美しい国”を唱える人を支持すれば明日からでも中継を見ることが可能なのだろうか?

皮肉なことに今夜のお泊り犬、まろんの飼い主さんも虎キチである。
ネット検索で阪神が4−0で中日をリードしていることが分かっているから、まろんと楽しい時間を過ごせているが、もし負けていたならまろんと遠吠えするしかない。

待てよ!?
まろんのお泊りは3泊の予定だっけ?
もしや飼い主は甲子園で、熱狂?
だとしたら私の心はまろんと同じようにあなたの下にあることを伝えなければ。
あなたの応援は私の応援。
奇跡というのは不可能と思っていたことが起こるから人々に感銘を与えるのです。

何もその奇跡を今年の阪神に起こせと言っているのではなく、その経過をこの目で見届けたいだけなのである。
今夜はささやかな願いを言ってみただけ。

阪神が4−0で快勝とネットは伝える。
テレビ人間から、より作為的で不安定要素の強いネットに傾く人間に変わっていきそうだ。
 

変わり目の秋 2006年09月28日(木)

  一日臨時休業をいただいて2泊3日のニセコ(倶知安町比羅夫)の旅を楽しんできた。

地価高騰率日本一と報道されていたが、行ってみてビックリ!
いつもなら鳥のさえずりを聞きながらのんびり朝の散歩を楽しむ坂道コースを、コンクリートミキサー車や重機を積んだトラックが唸りをあげて走ってくるではないか。

別荘やペンションそれに付随するカフェやバー・フードサービスが点在する地区に、コンドミニアムというコンクリート主体の建築物が続々と建設中であった。
依頼主はほとんどがオーストラリア人。

北米やヨーロッパに行くより時間的にも経済的にも負担が少なく、しかも雪質は最高!という評判と商魂が相まって、比羅夫地区には今やオーストラリア租界が出来つつあるようだ。

金持ちによるコンドミニアム建設と、アウトドアに魅せられた若者の手作りハウスというふたつの流れがオーストラリア人によって進行中のようで、いずれにしても賑やかではあった。
それでも、新築や改築中の家はせいぜい20棟か30棟くらいで、狭い地区の中で行われているから目立つのであり、狭い地区だからこそ一気に地価が上がったのだろう。

で、私とKは騒々しい比羅夫を離れて、正にニセコ町のミルク工房や、撤退することが決まっている東山プリンスホテルなどの草原で我が家の愛犬アモを放牧した。
拾い食いなどという下品なことはしないアモだけど、牧草は大好きだからそれを食む姿は放牧された馬そのもので牧歌的な放牧という言葉がピッタリに感じられるのである。

術後のアモの足は問題なく機能している。
真狩村の河川公園でも細川たかし像の大音量の歌声にたじろぎもしなかったし、マッカリーナ(有名レストラン)横のユリ園では巨体を芝生に擦り付けてのた打ち回っていた。

さて、比羅夫地区。
「せいぜい賑わうのは冬の2ヶ月だけなんだけどねぇ」
26年前からペンションとレストラン・カフェを営業している『if』のオーナー夫妻は疑問を呈し、今後のヒラフがどのように変化するのか静かに見守っている。

コンドミニアム建設作業員のワゴン車のバックドアが開放されたままになっていた。
車内に置いてある昼食のサンドウィッチは、度胸満点のカラスたちによって車外に持ち去られ食われてしまった。
運転席と助手席のヘッドレストにとまって獲物をせしめたカラスたちは、今後の生活の基盤の変化をしっかり学習しているようだった。

カラスたちは本能的に獲物を安全に手に入れる方法を学び、日本人とオーストラリア人は投資のリスクと儲けを秤にかけながらうごめいているみたいだ。

小さな町に再びミニバブルが訪れようとしている。
ヒトとカラスはどちらが利口なのだろうか、楽しみがまた一つ増えた初秋のニセコだった。
 

身体障害者補助犬法 2006年09月25日(月)

  今朝の朝日新聞に身体障害者補助犬(盲導犬・介助犬・聴導犬)についての法律が施行されて3年経つが、社会の理解と法律であることの意識が浸透していない状況が報告されていた。

人類の圧倒的多数は健常者と呼ばれる五体満足な人間たちであるとあなたが感じていることに私も同意しよう。
その代わりと言っては語弊もあるが
・人は年を取り、ほとんどの場合行動が鈍くなったり耳が遠くなったり見えづらくなったり記憶が定かでなくなったりするものである。
・あなたの身辺に事故や病気で多少なりとも不自由な状況を抱えている人はいないだろうか?
・健常であるあなたの身体と生活は必然的永続的に保障されているとお考えだろうか?
という私の指摘にも同意していただければありがたい。

次に、同意していただきたいことは
・自分が辛く苦しいとき、理解や配慮をしてもらえたなら、たとえ問題の本質が解決されなかったとしても勇気と感謝の念が沸き起こるものであるということ。
・そしてそんなことを感じ・考えるのは人間であるということ。

慈善やゆとりあるときの配慮ではなく、普通、病人やお年寄り・不自由な制約を受けている人が身近にいることって今や当たり前じゃないですか?

ノーマライゼーションっていうのは、健常者の周りに年寄りや私のようなアルチューハイマー的人間や障害者が混在しているのが正常な社会であり、臭い物に蓋をして刹那的世界を築き上げることの無意味さへの批判でもある。

私が秋田県で初めて盲導犬を訓練し、バスの乗車訓練を行ったとき、
「犬は困ります」という運転手に対して
「盲導犬だべ!乗せてやれ!」
「そうだ!そうだ!」という乗客の応援を忘れることは一生ない。

だが、今の時代でもそのような応援が必要なのだとしたら悲しく切ない。

理解途中のあなたにはこれらの意識を計るバロメーターを提示しよう。

あるマンションに住む視覚障害者が盲導犬を申し込むことになった。
すると「社会福祉のためマンションの規約を変えてペット可にする提案をします」という人が現れた。
あなたは賛同なさいますか?
そんな風に言う“理解者”がいたとしたら、私はこの国の行く末を明日からも案じ続けなければならないことを理解して欲しいのである。
 

断ち切るときはスッキリと 2006年09月24日(日)

  9月の24日に冷房を入れなければならないとはスゴイ今年の札幌である。
残暑が厳しいのかそれとも暖冬なのだろうか。

真知子とその娘たちから託されたウィンピーを昨日無事に新しい家庭に送り出すことができた。
私たちの詳しい心の内はKが“最新情報”に寄せているが、ラブラドールの環境適応能力は実に多彩で臨機応変であることを再確認させられる。
盲導犬を取得するための期間が初心者なら4週間で、経験者となれば2週間で済むのも合理的であるというのが理解していただけるであろう。

難しいのは手放す側の人の心の整理かも知れない。
まるで、さだまさしの『親父の一番長い日』の詩の世界そのもので、彼のバックを務める友人はこうも言っている。
「すき焼きをやってるとき、鍋の隅っこで自分だけの麩(ふ)を大切に煮詰めたことがありますか?
食べ頃かなと思ってもまだ手を出さず、コテコテになるまでじっくり愛しい思いで何度もひっくり返すんです。
それなのにそれを横取りされたとしたら?
娘を嫁に出す父親というものは…」
ウィンピーにしてみれば「俺は麩(ふ)か!」と抗議するだろうし、たとえ方が適切かどうかは別にして心境をそのように語っている。

酔いが速く回った今夜、くどい話はもうやめてウィンピーの幸せを祈ろう。
でないと、10月までエアコンに未練を残そうとする今年の夏と同じになっちまう。
 

野良公コボちゃんその2 2006年09月23日(土)

  夕べの続き…

獣医でもあるSにコボちゃんの健康診断をしてもらうとフィラリアに感染していた。
腹水は溜まっていなかったが、すでに咳が出ていたしフィラリアと関連するのかどうか分からないが、くしゃみをするたびに青鼻を垂らして健康状態はいいとはいえなかった。
手術で成虫を取り出すにも、ヒ素で駆虫するにも負担が多すぎると判断し『まあ、生きてるうちの面倒はみてやろう』ということにした。

雪が降ってもコボちゃんは決して室内生活を好まなかった。
根っからの外犬なのだろう、試しに室内に入れると「ハァーハァー」と息を荒くして外に出たがった。

「やっぱり面倒をみているんですね」
数ヵ月後、再び取材にやってきた撮影クルーはうれしそうにそう言ったが、私は内心『あんたたちは無責任だぞ』と言いたかった。

コボちゃんは協会の門を入った管理人室の外で暮らすようになった。
豊平川に出るための近道として協会敷地を通る人がいると番犬のように吠えていたが、触りに来ると誰にでも愛想よく人気者だった。

職員も家から赤い屋根の可愛い犬小屋を持ってきたり、夏には毛玉ができたふさふさでボロボロの毛をカットしてライオンのような笑える姿にさせられたりもしていた。

夕方の散歩に連れ出すこともあったが、夕食後勝手に逃亡して夜にはハウスに戻っていることのほうが多かったかもしれない。
中途半端で無責任な飼い方だった。
幸いにも民家からはかなり離れた環境だったので苦情は来なかった。

9月の今頃は、パピーウォーカーから犬を引き上げての適性検査が行われているが、あの頃コボちゃんはいい働きをしてくれていた。
他犬意識を計るテスト中には吠えてくれたし、かといって凶暴な振る舞いはせず愛嬌を示してテスト犬を誘惑してくれたのだ。

何回目の冬を迎えた頃だっただろうか。
ついにそのときがやってきた。
数日前から元気がなくなり、私の宿直の夜、容態が悪化したので宿直室に入れると急に力を出してやはり寒い外に出たがった。
最期まで外犬であり続け、翌朝カチンカチンに凍っていた。

その後、藻岩下地区を訓練していて私は何度足を止め微笑んだか分からない。
そこここの家にどうみてもコボちゃんの子供としか思えないような愛らしいワンコが飼われていたのである。
『あいつ、夕食後に逃亡してそんなことしてたのか』

寒くなり始めると思い出す、私の無責任でいい加減な過去の時間である。
 

野良公コボちゃん 2006年09月22日(金)

  大雪山の黒岳で初冠雪があったらしい。
カフェのエアコンを使わなくなって1週間も経ってないのに、そろそろストーブの点検をしなければならないようだ。

寒い冬を迎える頃に思い出すワンコがいる。

『どうぶつ奇想天外』という番組の取材で、私が訓練する場面を協会近くで撮影していた時、道路の端を青鼻を垂らしながらさまよい歩くむくむくした毛皮を纏った小柄な野良犬がいた。
「近寄らないでくれよ」
そう思いながら私は無事通り過ぎたが、撮影クルーの目にはそのワンコの愛らしさがしっかり目にとまっていたようだ。

翌朝の取材で老犬ホームに併設された広場に行くと、なんとそこにはクルーと一緒にその野良公が入ってるではないか。

「病気かも分からない犬を、こんなところに勝手に入れるなんて!」
私の抗議にクルーは
「あ、すみません。すぐに外に出します」といって出しはしたものの、既に私にはその先の予感があって
『面倒をみることになるかもしれない』と感じていた。

案の定、さまよい疲れた野良公は協会の敷地から離れようとはしなかった。
石をぶつけて追い出すわけにもいかず、数日様子を見ていたが、ついに職員の誰か(私だったかもしれない)が食事を与えてしまった。

しばらくするとそこは野良だから日中は何処かへいなくなった。
私の心のどこかで『無事誰かに拾われるか、目に触れない場所で死ぬか、捕獲されてくれ』などと思ったかもしれない。
が、訓練途中で時々見かけるこの野良公は、交通量の多い道路を平然と横断し、藻岩下町内を徘徊していた。

そのうち協会敷地内で暮らす時間が多くなり、近所の誰の目にも『あの犬は盲導犬協会の犬?』と、見られていると私は感じるようになってしまったし、何にも増して可愛かった。

「訓練中、一般の犬を見て気をとられてしまっては盲導犬として失格である。よって、この野良公を練習台にするためにここで飼う!」
私の心と屁理屈それに将来起こりうる問題を見透かしたかのような職員の視線に耐えながら、私はそう宣言して犬小屋を準備した。
名前は皆が勝手にそれぞれ呼んでいたコロであったりボロだったりで、私はそれを合わせたコボとかコボロと呼んでいた。

ああ、眠い!この続きはまた明日。
 

集合住宅での飼育問題 2006年09月20日(水)

  先日サモエドのラブの父さんから次のような話を伺った。
マンションで犬を飼う人が増え始め、いろんな苦情が出て問題となっていたので、管理組合の話し合いによって取り決めが行われた。
『今後は1世帯に1頭までとしサイズは50センチ以下とする。』

はて?それで問題は解決できるだろうかとふと考えさせられた。

このマンションでの苦情の中味を正確には知らないが、一般的には次のようなものだろう。
・室内での吠え声がうるさい
・犬を叱る飼い主の声がうるさい
・住人に飛びついたり吠えかかる
・エレベーターや通路などでオシッコをしている
・そのことに気づかなかったり、見て見ぬふりをする飼い主がいる
・抜け毛が散乱している
・エレベーターに(大きな)犬がいると乗れない
・マンションの周辺が臭い

ラブ父さんのマンションでの決め事を見ると、恐らく多頭飼いと大型犬の世帯に問題が多く、あるいは大型犬を怖がる人がいたのかもしれない。

集合住宅ではそれぞれに考え方の異なる人も多く、意見を集約するのは大変な作業だったろう。

もし、専門家の意見も聞いてみようということになって私に声がかかったとしたら…を想像してみた。

1.犬を飼育していない世帯だけを集めて無記名アンケートを取り、苦情を集約する。
2.その際、多世帯が暮らす集合住宅での特質を再確認し、管理規約で犬の飼育は許されているという前提での、妥協点の限界ともう少し上の希望を集約する。
3.忍耐できる猶予期間と許容できる管理費からの出費額を話し合う。
4.飼育世帯を戸別訪問し、愛犬の状況と飼い主の問題意識および相談を集約するとともに、無記名による『今回の問題が起きた原因・管理組合として改善して欲しい要望』などのアンケートを実施する。
5.飼育世帯を集めて、問題行動を相談された飼い主の犬をその場で制御し、その理論と方法を伝え、ちょっとした信頼を勝ち取っておく。
6.集合住宅での犬との暮らし方について、集約できる決まりごとやマナーなどの項目をまとめる。
7.例えば、飼育家庭での清掃・消臭活動や、通学・下校時のお散歩ボランティアの可能性について確認しておく。
8.飼育家庭における管理費負担増についての意見や許容額について確認する。
9.日中留守になる飼育家庭の問題について話し合う。
10.飼育家庭に対して集約された問題点の解決に向けた講義を行い、必要に応じレッスンおよび講習会を行う。
11.非飼育世帯にこれまでの経緯を説明し、現状の感想や意見を聞き、継続を希望するか否かを問う。
12.全体会合を開くとともに、別マンションの飼育世帯および非飼育世帯である人にも参加を求め、意見を出してもらう。
13.獣医師による講演と、飼育に関する各種社会資源について説明する。
14.犬の資質や家庭環境による限界について意見交換し、次の方策を探る。

ああ、面倒臭さ。
みんなそれなりに、よくやってると敬服するしかない。
 

アモのリハビリ報告 2006年09月19日(火)

  台風13号が接近し、夜に入って風雨が強まるだけでなく室内が生暖かく感じられるようになってきた。
『大気は動いているのだな』と南からの空気を実感し、『どうせなら綺麗な空気であって欲しい』と思った。

さて右後肢の手術から2ヵ月半が過ぎた我が家の愛犬アモのリハビリは順調に進んでいる。
40分くらい毎日散歩もできるようになったし、いびつな歩き方だったのがかなり姿勢良く歩けるようにもなった。
歩行後に術部を触っても熱感がないので、半年以上飲ませてきた鎮痛消炎剤を一時的に止めてみている。

来週月曜が検査日だから、それまでは用心した方がいいのだろうけど、アモの動きを見ているとかなり安心できる程度に回復しているのがわかる。
レオンベルガーのジェニーとの遊びもようやく解禁され、「アモ君ってこんな乱暴な遊びをする子だったんですね」なんて言われるようにもなってきた。

遊び始めると頻繁にくしゃみを繰り返すのは、亡くなったスーそっくりだ。
血の繋がりがこんな動作にまで現れるとは面白いものである。

この半年ほとんどの時間を安静に保つため、散歩もさせず、大きな動作をすると叱りつけてもいたから、アモには言いたいことが山ほどあっただろう。
でも、Kとふたりで息を切らせながらアモを2階まで抱き上げたり、夏の夕方には毎日カフェの前で1時間近く夕涼みにつきあったり、術部を触っては「ここが痛くなるからね」と言い聞かせていたから、そこらの事情は理解してくれてもいたと思う。

まだ急斜面を上り下りさせるには早すぎるし、大好きなサッカーボールを全力で追いかけることも許されないけど、萎えかけた筋肉に徐々に負担をかけて鍛えることが必要な時期までたどり着けたことがうれしい。

なによりこの半年で、アモは『黙って横になる』気楽さを感じ取ってくれるようになり、普段はおっとりで遊ぶ時はそれなりに大胆になってくれたのは怪我の功名といえるかもしれない。
そういえば、アモと同じTPLOの手術を受けるといっていたロットワイラーは順調に回復しているだろうか。
 


- Web Diary ver 1.26 -