From the North Country

豪華メニュー/ご飯に味噌汁 2006年03月25日(土)

  今日から春休み、甲子園では北海道の高校が2校出場、パ・リーグ日本ハムが札幌ドームで開幕、給料日直後の週末…。カフェにとっては悪条件が重なってのんびりした営業日となった。
朝方までに降った雪は午前中には融け、ガーデンのコンディションに大きな影響はなかった。

久しぶりに我が家の愛犬アモの体重を量ってみた。
36.8キロで当初からみれば4キロ減量したものの、1ヶ月前から変わっていない。
ナチュラルバランスのダイエット用ドライフード160グラム弱・4種類の缶詰をローテーションで大さじ2杯・食パンがあれば1/6枚・すなぎもジャーキー1個それに低脂肪牛乳を少々かけて与えているが、どうやらこの量が現体重を維持するカロリーを賄っているようだ。

手術後まだ一度も散歩に連れ出さず、カフェの看板犬としての運動だけだから消費カロリーは以前より格段に少なくなっている。
それに加えて『大好きな散歩に連れていけないことへの代償の気持ち』がさじ加減に手心を加えてしまっているものだから体重が落ちなくなったのだろう。

幸いにも「術後しばらくは今の体重を維持してください」という先生の指導には従ったことになる。

こうしてアモの食事を書き出してみると、知らず知らずのうちに副食が固定してしまっていることに気づく。
私の経験と考えからして、たとえ身体によいものであっても同じものをいつも与え続けることは長期的に見れば身体にはよくないと思っている。
副食にはできれば季節の魚や野菜も混ぜてあげよう。
ひょっとしたらたまには“ご飯に味噌汁”“玉子かけご飯にいりこ”というのもいいかもしれない。
アモはご馳走と思って大喜びするだろう。

グルメになったり偏食することのない犬種だから、お腹が驚かない程度にちょっとだけ変化をつけて、しばらく続く安静生活に楽しみも付け加えてあげたいと親心が頭をもたげてきた。
 

集合住宅での警戒による留守番吠え 2006年03月24日(金)

  今日の晴れ間と気温が先日来の雪を融かし、表面を乾燥させてようやくガーデンが使えるようになった。
明後日の雨しだいでどう変わるか分からないが、とりあえず明日土曜日の日中は晴天予報だから十分使えそうだ。

「マンション暮らしの柴犬2歳ですが、留守中に階段や通路を歩く人の足音や声に反応して吠えてしまい、苦情が出ています。何とかならないでしょうか」
定休日の昨日、そんな電話が入った。
頭は休み中だし特効薬などないからため息交じりの曖昧な返事しかできなかった。

日中仕事で留守にする人が、警戒心の強い柴犬をマンションで飼うこと自体がそもそも冒険だったように思う。
また、柴犬に限らず集合住宅で犬と暮らす場合、“吠え声が問題になりやすい”という将来の問題を見据えた上で育てることが必要である。

1)この対策には最初の犬種選びが大切なのだが、どういうわけかチワワやMダックス・Mシュナウザーなど警戒心で吠えやすい犬種が人気なものだから対応が難しい。
2)ならば、仔犬のうちから人に対して友好的になるような場面を多く与え、外出を増やして社会性を養っているかと言えばそうではなく、もっぱら座敷犬として世間知らずで内弁慶になるよう育てている。
3)せめて室内で係留されたり、ケージ(ゲージは誤りですぞ)に入って過ごすことが生活の一部になるよう意識して育てているかといえば、こちらもできていない。「繋ぐと吠えるんです」などとわけの分からない理由を持ち出す。
飼主がいる時に繋がれて吠える犬を制御できないなら、留守中どうして吠えるのを止めさせることができよう。
理由はどうあれ「吠えてはいけないのだ」ということを真剣に教え、血統的に吠える犬であってもせめて「奔放に力いっぱい吠えるのだけは許しませんぞ」という決着はどこかでつけておくべきだろう。

そのうえでやむを得ず対症療法的な手段を模索するならいくつかのアドバイスもできよう。
1)帰宅後から就寝までは犬をあまり寝かせず、翌朝出勤前の1時間は長い散歩に連れ出し犬を疲れさせる。
2)窓の外が見えない場所に犬を係留して、快適な寝床・トイレ・飲み水・壊れないおもちゃや骨などを与え、その他の物はリードの長さ以内から排除する。
3)外の音がある程度消されるくらいの音量でラジオなどをかけておく。タイマーをうまく使ってオン・オフが繰り返されれば最初はオンの度に吠えるかもしれないが次第に慣れてくる。
4)インターホンのスイッチは切っておく。
5)吠え声に反応して動くおもちゃを普段から見せておき、吠えてそれが動けば叱られるという経験を積ませておく。

どれもこれもありきたりで消極的な方法である。
警戒心での吠えだから完全に止めさせることはできないけど、せめて「吠えるのは悪いことだ」と普段から自覚させ、遠慮深く申し訳なさそうに1声2声吠える程度に抑えるようにできればしめたものである。

いろんな訓練士がいろんなアイデア(仕掛けによる天罰方式とかネット画像を見て対処するなど)を持っているはずなのでネットなどで調べてみるのもよいと思う。
ただ、外の物音を警戒の対象としないよう楽しいことと結びつければ…などと悠長なことをやっているうちに、マンションを退去するか犬を手放す羽目になるかもしれない。
本当は問題が起こってから対処するのではなく、将来の問題を見越してきちんとしたしつけと飼育を行うことが大切だという基本に行き着く。
 

ありがとう世界一。王ジャパン 2006年03月21日(火)

  今日のドッグカフェはさながらスポーツカフェに変身し、飼主は犬たちに「勝手に遊んでいろ!」状態。
吹き荒れる強風と雪の中でしばらくは遊んでいた犬たちも「中に入れてよ!」と、ついには猛抗議をして入れてもらったものの、いつもと違う雰囲気と人間たちの熱気にたじたじだった。

“春のガーデン開き”を宣言しようとした矢先に、2日間の冬の嵐に襲われ、この冬最高の吹き溜まりは一夜で80センチにも達した。
除雪機ガロアラシ号は唸りを上げながら、重たい雪とガーデンに投入したばかりのゼオライトの一部を吹き飛ばし私をがっかりさせていた。
それまでにも日本代表がアメリカにサヨナラ負けを喫したり、韓国に連敗するなど、鉛色の空のように重苦しい気分が心の中を包み込んでしまった。

イチロー選手は韓国に敗れた夜、体を失くすほどに飲み潰れたというが、私はあの日以来酒がまずくなり量も格段に減ってしまった。
酔いが回らないと必然的にこの欄を書く気にはならないからお休みが続いたというのがいい訳である。

而して今日のWBCでの世界一獲得は、溜まりに溜まった鬱憤を晴らし、閉店後に直行した里塚温泉での癒し効果と相まって、さらに風呂上りのビールを大広間の大型テレビで繰り返し流される映像を肴に飲み干すと、全身から負の魂が揮発し、代わりに充足感が身体を包み込んでくれるような心地よさを感じた。
政治の分野では世界(特にアジアや列強国)に対して主張するにも配慮が必要で、結果的に軟弱な外交状況が続く中、遠慮なく選手たちが戦いそして勝ったことが素直に嬉しい。

『ヤバイヤバイ、気をつけないと優越感と愛国心で簡単に扇動される小市民に成り下がってしまう』との思いがかすめたが、スポーツや科学の中での戦いには大いに熱狂・一喜一憂し、時に鬱積し時に溜飲を下げつつ誤審には寛大であっても偽審には敢然と異議を唱える小市民であり続けたい。
ありがとう!王ジャパン!
 

年輪・少年時代から 2006年03月18日(土)

  確か36年前の今日が中学校の卒業式だったように記憶している。
その数ヶ月前、自分の人生を左右することになる決断をいとも簡単に行っていたことを思い出し、『あの頃とちっとも変わってないな。もう一度あの頃に戻れたとしても同じ道を選んだろうな』と苦笑いしてしまう。

その決断とは言わずもがなの進学高校の選択であり、私は将来のことなど考えず、担任と親の反対を押し切りあの時の生きがいだった吹奏楽を選んで高校を決めたのだ。

以後も進路を決めるにあたって私が重視したのは、あるかどうかも分からない将来ではなく、今を賭けることができる物事に対してであったように思う。

しかし、今を賭けたいと思ったことに対しては努力は惜しまなかった。
札幌(現北海道)盲導犬協会で働くと決めた時も、採用もされていないのに、親には「就職が決まった」と嘘をついてひとり旅立ち、親からもらった10万円を手に札幌で一人暮らしを始めていた。
2ヵ月後、「息子さんはおられますか?面接することにしました」と協会から親元に連絡が入ったときの両親の戸惑いは如何ほどだったろうかと今になれば分かる気がする。

自分ひとりで生きてきたような顔をして飼主に対してもそのように振る舞う犬がおり、その言い分を認めることはないにしても、我が子の進路選択には偉そうなことは言えない前歴を持っているのが恥ずかしい。
子供たちの前途に幸多かれと祈るばかりである。

時は流れ様々な変遷を遂げてきた私が今夜ソプラノサックスを手にして“コーカサスの風景”を奏で、あの分岐点だった頃を思い出している。
好きでもなかった音楽にひょんなことから足を踏み入れて人生が動き始め、数十年を経てまたその時代を楽しんでいる。

年輪を重ねるとはそういうことかも知れないとふと思った。
 

一歩ずつ春のガーデン 2006年03月17日(金)

  春の陽気に誘われてガーデンの整備を定休日の昨日から始めた。
ドッグフードの配送で毎月汗を流してくれる松岡満(マツオカマン)というローカルな運送業者のドライバーとはすっかり顔なじみで、一生懸命な仕事ぶりに感謝している。
その運転手のトラックがカフェ前に駐車しているのを、外出中の私がたまたま通りかかったときに見つけた。

届けてくれたのは800キロのゼオライトでガーデンの泥沼をカバーする素材であるが、カフェへの坂道を一人で運ぶには重労働である。
急いでUターンした私は運び上げるのを手伝いながら、ふと喜びを感じていた。

あれほど自分の身体に自信を無くしていた私の足腰が動いてくれるのである。
去年の今頃は、痛い痛いと怖がって、尻込みしていた私であるが、Kが勧めてくれたヨガと体質改善の教室に通ったおかげで、私の身体は結構使える状態になったようだ。
 
そして今日、600キロのゼオライトを投入してガーデンの外見はそこそこ出来上がった。
ただ、見てくれは立派でも、実際は殆どが泥沼の土に白いゼオライトのカバーがあるだけのまやかしという現実には変わりはない。
大切なことは、改善しようとした私たちの意志と努力であリ、案の定今日の営業時間中に荒れてしまったガーデンを優しく見つめ、明日はまた今日よリもよい状態にしようと思う気持ちであると勝手に納得している。

もう泥沼状態のガーデンではない。
決してきれいなドッグガーデンともいえないけれど、まるで犬育てのように、この時期にしてはそこそこ30%の状態まで育てることができた。

残念ながら、明後日の日曜日は結構な量の雨予報。
せっかくうまく育てても、犬をダメにするのと同じようにガーデンをダメにするのも簡単である。

『雨降って地固まる』
ガーデン育てと犬育てが共通するなら私は決して諦めはしないが、心配なのは私の気力と体力ではなく、なけなしの支出を迫られる懐具合ではないかと気を揉んでいる。
 

警鐘 2006年03月14日(火)

  「部位が膝だから一週間での抜糸はどうかな?きっと術後の経過を見るのが最大目的で、何本か抜糸して残りはまた数日後ってなことになるんじゃない?」

そんな話をしながら大学病院にいくと、予約時間を45分過ぎてようやく診察室に呼ばれ、「今日は検査なしで抜糸だけです」と、リードを持つ手もおぼつかない学生がアモを連れて行った。

担当教授の診察日ではないから詳しい経過の説明がないのは仕方ないにしても、抜糸するのにさらに20分以上待たされたのには少々うんざリした。
ただ、開業医ではないから臨床実習や最新の研究として適切な指導の下、有効に活用してもらっているなら喜んで納得しよう。

あリがたいことにすべて抜糸されていた。
退院後のアモは一言注意すればエリザベスカラーなしでも術部を舐めることはなかったし、若い上に安静状態をある程度保たせて回復を図ったのも良かったのだろうか。

カフェに戻り、今度は私の仕事が評価される時間である。
ご利用される方々すべてに満足を与えることはできないから、それぞれに評価はまちまちだろう。
『組織の中の一人とは違って開店準備から接客・空調・仕入れ・渉外・メンテナンス・経理等々ほとんどを行わなければならない』などと言い訳には事欠かない材料を持ち合わせているが、今日の夕方は2年前カフェをオープンした頃のように、ゆったリとした時間の中で“愛犬のしつけ方”について二組の飼主にお話をすることができ、初心を思い起こしていた。

相談者に対してお答えするということは、私の知識(日々更新)や経験(日々更新)から導き出される事柄を話すことなのだが、そのことで私の頭の中はさらに 整理され、もしその場に犬がいれば正に臨床の現場として実証あるいは修正することも可能なのである。

因みに今日の相談は、室内でもストーカーのように飼主にまとわリつき、姿が見えなくなると吠えたりケージに入れても同様になる犬と、車内で吠えまくる犬の相談だった。

物腰が柔らかく『犬は褒めてしつけましょう』とか言う最近流行の訓練士や、獣医資格を持ち、時に薬物を併用しながらの行動療法に盲従する魔術師は、とにかく時間をかけるし相談された問題行動が解決したように見せかけること長けている。
時間をかけられたのでは、マンションから苦情が出て退去を迫られている飼主には手放すか薬物使用しか方法はないように強迫しているのと同じであるにもかかわらず。

恐らく相談者の数パーセントの犬はそれでも解決が図られるし、数十パーセントの犬も”その問題行動に限って”解決したことになるであろう。
しかし、”解決された犬”を含めた相当数(曖昧だが80いや90%以上)の飼主が今後、別の問題を自覚するようになるはずだ。(例えば引っ張り・他犬への吠え・飛びつき・自傷行為・トイレの失敗・マーキング・逆切れ…枚挙にいとまはないし何が起きても不思議ではない。
ハァーハァーと車酔いをしている犬を叱っても治るはずはないし、『食事の前にダラダラよだれをこぼすな!』とぼやいても仕方がないことだから、医療を併用することも妥協することも必要である。
また、犬と暮らす適性に欠けている人が犬と暮らしている場合も多いから、誤魔化しの対処の仕方が必要なこともあろう。
だが、せめて後者の人々には犬と暮らし始めて、自分が・世界が・生き方が変わったと自覚できるチャンスを正直に与えるべきであると思う。
“犬を育て犬と育つ"
つまり、犬を育てていたつもりが実は自分が育てられていた、という誰にでも味わえる現在にも存在する数少ないアドベンチャーに真正面から立ち向かうことを示すのも、私たち犬を知るプロフェッショナルの務めであると思う。
ケースバイケースのテーマであるが、傾向として“自ら手をかけず、深部に踏み込まず、綺麗ごとで包み込む"風潮とそれに加担するまことしやかなシステムがあることに警鐘を打ち鳴らしたい。
 

最高の北海道の春は最悪な状況から始まる 2006年03月12日(日)

  ガーデンは使える状態ではないと昨日告白しておいたが、“それを知らずに"あるいは「何するものぞ!」というわんこと飼主が集まって駆け回ったものだから、いつでも田植えができるまでに掘り起こされ融けた雪が水分を補給し、それはそれは大変な状況になってしまった。

去年より1ヶ月も早い春の訪れにみんな半信半疑で、明日の真冬日予報も受け入れているが、知りたいのは今後まだ大雪があるかどうかで、それによって準備作業が変わってくるのである。

しかし、天気のことだから『確かなこと』はなく、今後も一喜一憂しながら過ごすことになる。
まるで犬たちと暮らし始めた頃と同じではないか!
天気予報の不確実さは、犬と暮らし始めた頃の予想だにもしない出来事に驚かされ続けた『あの頃』を私たちに思い出させる。
そして苦労に苦労を重ねた末に得た信頼感を知った犬の飼主だけが、『この気象予報士はどんな根拠があって曖昧な予報を自信ありげにしているのだ』と憤ってしまうようだ。

『犬はしつけられるからそんなことを言えるが、天気はそうはいかない』と予報士は言うだろうし、『犬だって多様な刺激に対して多用な反応をするから、それを見抜く目は気象予報士も犬の飼主も同じで、予報士には犬の飼主ほどの切実感が足りないのではないのか』と犬の飼主は主張するだろう。

この季節に『そんなことどうでもいい』と私は意に介さず黙々とガーデンの水を排水し、荒れた地盤を均すのを日課にしている。

北海道の春の走りに快適な状況は望み得ない時代であるから。
 

ガーデン・アモ・ソニア 2006年03月11日(土)

  ガーデンのコンディションは最悪。
事実上の立ち入り禁止で、せっかくの週末もわんこたちを歓迎できる状況ではないことを正直に伝えておこう。
しばらくは純ドッグカフェとしてご利用くださるか、ムツゴロウのいる有明海で遊ぶつもりでご来店ください。
なお、タライ船は用意しておりませんのであしからず。

アモが傷跡を気にする素振りを見せたので、患部をガーゼで覆い包帯を巻きその上からKさんが仕立ててくれた服を着せることにした。
勿論、数十分でも目を離すときはカラーをしている。
足の状態は昨日と変わらず、術前と同じように左後肢を着いたり上げたりしているが、痛みを訴えることはこれも術前と同じくない。
つまり昨日今日の段階では、術前術後に変化は見られないという状況だが、焦らずしっかり養生して回復を待ちたい。

カフェには時々ユニークなワンちゃんがやってくるが、先日来訪ねてくれるのが黒ラブのソニア。
黒ラブといっても現在は白ラブ。
奥さんの話によると、ご主人思いだったソニアのご主人が亡くなってから僅かの間にみるみる白くなってしまったという。
テレビで紹介されていたという話は聞いていたが、実物を見ると本当に白く、最近になってやや黒が戻り始めたという一部にそのような変化が見える。
感受性豊かな側面も垣間見えたので機会があれば改めて紹介することもあるだろう。
昨日、彼女の話が書かれた本“SONIA”を一冊寄贈していただいた。
売り上げの一部は北海道盲導犬協会に寄付されるので、書店でお見かけの節はよろしく。
 

アモの退院。しばらく辛いけど頑張ろう! 2006年03月10日(金)

  開店前の準備をスタッフに任せ、Kと私はアモを引き取りに行った。
月曜日に入院して4日ぶりの対面となるから、アモは大喜びするだろう。手術したばかりの膝に負担をかけるような接し方は厳禁なので二人とも淡々と振る舞いアモを迎えた。
やはりアモの左体側の1/3は剃毛され、手術痕よりも痛々しく感じられた。
エリザベスカラーのつなぎ部分は粘着テープで止められ、ホックが容易にはずれないようになっている。
「とにかく安静に」と先生に言われたが、車に乗せる段階でカラーで足元が見えないアモをつまづかせてしまったのはミスだった。

カフェに着き、カラーをはずして車から降ろした。
術後とはいえ看板犬のアモは仕事に励もうとするので、やむなく事務所で勾留した。
患部を気にする素振りを見せないのはアモらしいが油断はできない。
数日で痒みが出てくるだろうし、目を離すときや夜間はカラーは必要だ。(勿論先生からは絶対はずさないように言われているが、幸い我々はいつもアモと一緒にいるから必要に応じて対処している)

ただ、やはり自宅では人の動きに合わせてアモが立ち上がる場面もあり、アモも「どうしてフリーにしてくれないの?」という目をしているのが辛い。
術部の早期回復を考えれば入院を続けて安静を保つのが最良。しかし、そのことを犬に言い聞かせることもできないし、結果的に過剰なストレスが問題行動を引き起こしたり治りを遅くするかもしれない。
だから精神が安定する自宅で療養するのだが、もし本当に絶対安静が必要なら先生は退院を許可するはずがないから、ちょっとだけ余分に歩くことがあっても『先生の想定の範囲内』などと勝手に解釈している。

夜になっても私たちは2階ではなく1階のカフェにいる。
サマーベッドの上で寝袋に包まったKが「キャンプみたいでたまにはいいね」と隣りで寝ているアモをさすりながら言った。
ともあれ我が家にアモが戻ってきた。
 

酔っ払いだって考えることもあるのだ 2006年03月08日(水)

  誰もが主人公になる『自分史』というのがある。

文字として書き上げたものでなくとも、現実に存在し歩んできた道は誰にも確かに存在するはずだ。
もし、死ぬ前に人生のひとコマひとコマを積み上げてきた過去をダイジェストででも見ることができればそれは最後の贈り物として最高(人によっては最低)のものになるだろう。
楽しい思い出や悲しい出来事、ひょっとしたら自分では気づいていない視線や、知らないうちに他人に影響を与えてその人の行動を変えてしまった事だってあるかもしれない。
第三者的に映しだされた映像にはそのようなことまでも描かれているし、隅っこには貝殻が映っていることもあれば、遠くの土手を犬が駆けていることだってあるだろう。

このように脳には生まれた時点で死の瞬間に対応するプログラムが内蔵されているという説がある。

無信教で映画好きな私からすれば『それも面白そう』と思うのは不道徳だろうか。

何故こんなことを書いたかといえば、酔ってしまったのが最大理由で、次に続くのが最近の卑劣な犯罪と宗教が主因の世界の紛争殺人に異議があるからだ。

議論を展開すれば、この時間にはいつも酔っ払いである人間に分がないのは分かっているからそれは回避するけれど、せめて創造主の神がいるなら、殺人を犯す人間に、殺した相手が死ぬ瞬間に脳裏に流れる『これまでの映像』を共有するプログラムを組むべきであったと抗議したい。
目を背けることなく『正当だった』とどう正当化できるのかを問うてみたい。
また、宗教が、その名の下に殺しあうなど犬も食わない愚劣で尊厳のないまやかしの道具とされていることに、それぞれの崇められる使者が嘆いているだろうと同情するしかない。

サービス業を営む中で、政治と宗教の話はタブーとされている。
「なあに、のめり込んじゃいない。今感じたことを書いたまでだ」
救いを求めたいのはこちとらの方である。

「ふぅーん、それでその先は?」
Kが私に尋ねた。
『この先をまだ書けというのか!』
酩酊寸前の私は「つづく」と答えるしかなかったが、この話はこれでおしまい。
 


- Web Diary ver 1.26 -