From the North Country

今夜はサッカー談義 2006年02月28日(火)

  「今日のゲームでまた新たな課題が見つかったので、これから修正していかなければならないと思います」
サッカーの国際試合などでよく耳にする選手のコメントである。

なかなか前向きな発言で、ここ数年その言葉を信じ期待を寄せて次の試合の流れを見守っていた。
だが、その後の試合結果はともかく、修正すべき点が殆ど修正されていないことに落胆を隠せないのは私だけだろうか。

具体的な修正点を私なりに分析してみた。

その1.パスを受けトラップした時にボールを吸い付ける技術がなく、ボールが身体から離れたところを相手に奪われている。(トラップの技術と直後の動きを練習せよ)

その2.味方にパスするボールに勢い(スピード)がないから、相手に奪われたり対処の時間を与えてしまっている。(シュートかと思わせるようなパスを普段から用いよ)

その3.プレスをかけられた時、相手の技術より劣るのに個人技で対応しようとしてボールを奪われたり、苦し紛れのパスを出している。(ワンタッチパスやワントラップパスを普段から基本にしていれば、次に起こすべき行動を予測しイマジネーションとスピード感溢れる試合ができるはずで、プレスのない時に体力の温存と冒険的なプレーを図ればいいと思う。)

その4.個人技や体力・スピード・高さに劣る日本にとって組織力としてのサイド攻撃が生命線であるのは理解できるが、時折訪れるチャンスには「切り込め!パスするな!とことんやって自分で決めろ!」と叫んでしまう。その際、「とにかく枠の中に撃て!枠の外では可能性すらないのだぞ!」と叱咤してしまう。

高校で一つ後輩の明石家さんまがサッカーをしている頃とはルールも技術も大きく違っているのは確かだ。
門外漢の私には分からない内情もあるのだろう。
だが、経済界で流行の社外取締役の意義は十分に理解できると思っている。

対外的な形ばかりの社外取締役なぞ何の意味もなさないはずである。
それは犬への訓練にも共通するはずで、多様性のある犬と人との関わりにおいて私が私の訓練を断定した時、私は終わってしまうのであり、厳しい意見と新たな発想があってもおかしくはないと思う。

それらの変化に対して柔軟に対応することと、どんな矢を放たれても微動だにしない自分がいることを今日のサッカー試合を観戦しながら考えた。
 

犬を見るということ 2006年02月27日(月)

  本日のガーデン状況:不良。ぬかるみではなくスケートリンク状態で、四輪駆動の犬も転びまくり。

「秋田犬なのですが噛むんです。レッスンをお願いできないでしょうか」という電話に緊張が走った。
生後3ヶ月ということで安堵したが、日本犬の仔犬の場合、柴犬の海斗君のように甘噛みではなくマジ噛みのケースもあったので慎重に話を伺った。

30分後に連れてきてもらって評価を行ったら、結果はオーライである。
「家にいる時とはぜんぜん態度が違う。こんなにお利口にはしてません」
不服そうな顔をしておられたが、カフェで愛らしく伏せているこの姿も現実であることを知って欲しい。

私が初対面でリードを受け取ってから何を観察し、何をし・何をしなかったかを紹介しておこう。

1.犬にとって初めての場所で緊張気味ではあるが、取り乱していないことを確認し「名前は?」と尋ねた。犬を触ったり優しい言葉をかけたりせず、ただリードを受け取った。

2.リードを軽く引いてガーデンへ出るのを促したが、踏ん張ったのでそのまま軽く引きずるようにガーデンに出た。目的は二つ。そうされた時の犬の反応を見るためと、排泄をさせるため。

3.犬の反応は取り乱すことなくガーデンを歩き、しばらくして私の臭いを嗅ぎちらりと私の目を見た。そこで初めて「シーシーシーシー」と言葉をかけ、動き回ろうとする犬をリードの範囲内で動くよう軽く制御した。
まもなく排尿をしたので褒めてやったが、この犬は神経質でもなく猜疑心が強い犬でもないことが分かった。
ただ、その後、肛門からウンチが覗いて一粒落ちた時の顔の動き、そしてしっかりした踏ん張り姿勢を見せるまでやや時間がかかったこと、そしてウンチの色形の状態から、それなりの緊張を持つ普通の3ヶ月の仔犬であり、食糞癖のある犬だということも分かった。

4.カフェに戻り他犬との関わりを見ながら、その落ち着きぶりに『飼主がしっかりしないと信頼を勝ち得ないかも』と心配になった。その飼主は離れた所から「オスワリ!オスワリ!」と聞くはずもないどうでもいい命令を口にしていたので私は諌めた。

5.リードを着け外を歩いた。『ダメ!ノー!』というネガティブな言葉は一切使わず、妙な動きは黙って制御し、励ましの言葉をかけ、それでも不安の色が浮かんだときは抱き上げて歩いた。抱き上げられることに抵抗せず、外の環境を観察している姿からは堂々とした日本犬の凛々しさを感じた。歩きながら再び排尿も済ませ、仔犬であることと、肝っ玉の太さを実感した。

6.カフェに戻って水を与え、身体を掻いてやるとそのまま横になって満足そうにしていた。

さて、生後わずか3ヶ月の彼女がどんな性格で今日何を感じ学んだかを考えてみよう。

繰り返しになるが彼女は気高く凛とした日本犬の血を持っている。
だが決してアグレッシブ(攻撃的)ではなく、冷静に人や環境などすべてを観察している。
そんな犬をぬいぐるみのように可愛がったり撫ぜまわしたり、命令魔になることは堪忍袋の尾を切ることを促すようなものである。

彼女は私と接する中で、排泄や運動欲求それに喉の渇きに対する潤いと快適空間など、与えられるべきものを享受し、さらに制御する存在があることに安心感を覚え、励ましを受けたり抱き上げてくれることで冷静に社会を観察でき、カフェにいる犬たちの振る舞いを見て身の程を知り・分をわきまえ、結果的に私に一目を置くようになったのだと思う。
おまけに私は彼女に一切の命令もせず、ただ掻いてやったり座ることや伏せることを自然の流れの中で促しただけだから緊張感は解けていったはずである。

短いこの欄の中でまとめるには(酔いつぶれてしまうという)限界があるから今夜はこの程度にするが、結構重要なことがちりばめられているはずだ。
 

勇み足? 2006年02月26日(日)

  台風のような強風と大雨が昼過ぎから激しく続いていた。
叩きつける雨がガーデンの雪を融かすのを見て、私は雪山を一気に吹き飛ばすことにした。
冬のガーデンとの決別の儀式でもあり、しばらく続くぬかるみを受け入れる意思表示でもある。
30分ほどでガーデンから雪山が消え、氷の下に地面が見える箇所が増えてきた。

ふと気になってパソコンに向かい、昨年はいつ雪山を飛ばしたか調べてみると、なんと3月22日つまりほぼ一ヶ月も先のことだった。
「そうだよなぁ。まだ2月だし、あと1ヵ月半は雪が降るんだよなぁ」
ひょっとしたら勇み足だったかもしれないと不安になってきた。

ガーデンは何の特徴もないただの広場になり、暖気が続けばぬかるみに、寒気が戻ればスケートリンクになってしまう。
「みなさん、ごめんなさい」
先に謝っておいたほうがよさそうだ。

さて、こんな荒天の一日だったがラブ・ゴールデンを中心にたくさんのわんこが遊びに来て楽しい時間を過ごしてくれた。
そこで何人かの飼主の方から受けた質問がある。
「公園などでとても陽気で積極的なわんこ(子犬を含む)が、しつこく遊ぼうと絡んでくるとうちの子が怒ることがあるのですが、良くないことなのでしょうか?」

「あなたの犬が日頃から他犬に対して問題があったり、絡んできた犬を組み伏せたり突然噛んでしまう様なら厳しく叱るべきでしょう。
でも、多くの場合、悪気は一切なく陽気に無頓着に知らない犬に絡んでいくのを放置している相手の飼主側に問題があるといえます。」
私はそう答えた。

天真爛漫でお人好しで積極的で悪気などなく「ひゃー楽しい!」などと、相手の気持ちも考えずに行動するB型人間に似た例えばラブの幼犬などを飼っているB型の飼主は特に注意しなければならないと思う。

「うちの子が楽しそうに遊ぼうとしているのに、話の分からん奴だ」と嫌がる犬を眺めているのではなく、相手の犬がどう感じているかを見ながら、我が子を制御する姿勢が求められる。
「ひゃー楽しそう!」と有頂天になる犬は、デリカシーがない犬とも取れるし、万が一相手にとって恐怖体験であったなら取り返しのつかない責任を負うことにもなるからだ。

とはいえ、B型のラブやゴールデンも、そんな時期をうまく過ぎれば人間味溢れるかけがいのない伴侶となるから私も虜になっているのだが。

アモ君のトイレに付き合い、スケートリンクに水が溜まったようなガーデンで転びそうになった。
適切な時期も考えず、大雨が降ったから急いで雪山をぶっ飛ばし、ゆっくり後悔する私もB型でラブ人間かもしれない。
 

長い目で 2006年02月24日(金)

  バレンタインのプレゼントに買ってあげたムートンの上で、アモ君の尾がパタパタと揺れている。
どんな楽しい夢を見ているのだろうか?

スーが逝って14ヶ月目の月命日の昨日、我が家にやって来てちょうど6週間になったアモ君の健診に行ってきた。
体重は6週間で3.1キロ減の37.3だった。この2週間は殆ど減ってないことになるが、私はそれでも減量が順調に進んでいると思っている。
明らかに無駄な脂肪は適正給餌を行うことで一気に下がるもので、それ以降はしばらく安定し、グラフで言えば横ばいのいわゆる高原状態となって、そこからの推移をしっかり見極めながら管理することが大切であると当初から考えていたからだ。
しばらくは36キロという次の目標が遠く感じられるだろうが、彼の後肢の回復を図るためにもしっかり取り組んでいきたい。

さて、これまで週に1回の割合で都合3回のレッスンを行ったゴールデンのシェーンが気がかりである。
強烈な引っ張りや飛びつきは、少なくとも私がリードを持っている段階では影を潜めつつあるが、意識をリード保持者に向けず自分の世界で生きているように感じられるのだ。

ディストラクションという犬の評価項目がある。
何かに気を取られ、その結果本来の仕事の注意力が散漫になる度合いを評価する分野の用語だが、アニマルディス…やセント(臭いに対する)…などと共にジェネラルディストラクションというのがあって、これは他犬やオシッコの臭いなどのように対象がはっきりしてものに対してではなく、取り立てて特定のものではないけれど気を取られ目が落ち着かず情緒が安定しない状況の程度を評価するものである。
要は、この度合いが高いと『なんか分からんけど犬の気が散ってまともに歩けん!』という状態になる。

多くの場合は社会経験不足が原因で、見るもの聞くものすべてに不安を示して、飼主のことより自分の情動に行動が支配されてしまっている。
だからそのような犬に対する制御は、まずは我に返し、頼れる存在が傍にいることを示すのがよい。
そして過剰刺激になるような訓練コースをはずし、比較的刺激の少ない静かな住宅街の歩行から始める。

しかし、シェーンの場合はこのジェネラル…の他に、過去のどこかで“聞く耳を待たない方が利口な生き方”と学習したのか、自分の世界から心開こうとしない意図を感じることがある。
私の思い込みかもしれないが、彼に必要なことは歩行における問題点の訓練と共に、人に対する信頼とその喜びを与えることではないかと思っている。

時間をかけた取り組みが必要であることを飼主に説明し、今後も継続してレッスンを受けられることを望みたい。
この点においてはアモ君の減量作戦だって同じことですぞ。
頑張りましょう。
 

カフェとフィットネスの共通点 2006年02月22日(水)

  フィットネスの月額会費が、ペアで7400円と格安なのはいいけれど今月は一度も利用していない。
フィットネスといっても私たちが受講するのはヨガやストレッチであって、シェイプアップが目的ではなく単に体調の維持・管理である。

それがお泊まり犬がいて行けなくなったり、サッカーの国際試合が中継されるとそっちを見なきゃならないし、気がついたら既に酒を飲んでしまっているから等々、謂わば屁理屈や言い訳などをするほどモチベーションに低下が表れているのが現状だと反省している。

まさに『喉元過ぎれば熱さ忘れる』の典型で、体調が悪い時には一生懸命通ったのに、ちょっと良くなると御託を並べて足が遠のくという実例である。
今度、体調が悪くなった時にまた行けばいいと思っていると、取り返すのに数倍の時間がかかるし、講師の先生だっていい思いはしないはずだと薄々分かってはいる。

まるでカフェに訪れる多くの問題犬の飼主と同じ行動を私たちはとっているのであり、その意識を私は当事者として後ろめたく思い、経営者としては理解し寛大であらねばならないと自らに照らして思う。

今の体調の良さはこれまで通った成果であり、これを維持するだけでなく、その先にあるものを知るために明日は教室に通おうと心に決めている。
『明日の夜はサッカーはない』という打算が働いているのも事実だが、『もう、あの時の様な思いはしたくない』という気持ちは絶対忘れてはいないから。
 

一審判決 2006年02月21日(火)

  普段、除雪作業というのは雪が降った朝、カフェの開店前に行うものであるが、今日は日中の暖かさでザクザクになった道路に車が埋まらないようにするための除雪だった。
案の定、除雪しなかったカフェのはずれでは数台の通行車両が埋まっていた。

さて、今日のカフェでは愛犬相談が2件あった。
ひとつは家族が愛犬のバセットハウンドに軒並み噛まれるという相談。
もうひとつは室内で人の姿が見えなくなると吠え続けるパピヨンの問題だった。

バセットハウンドの方は現在訓練士に預けているそうだが、そこでの評価と飼主の方の話を伺った限りでは、根本原因は失礼ながら飼主にありそうな気配だ。
勿論家庭犬が人を噛むなど許されるべきことではなく、「噛むからには命を懸けているんだろうな」とその犬に人間社会の道理を示さねばならない。
ただ、この犬の場合には事情を調べたうえで情状酌量の余地が残されているように思え、執行猶予付きの有罪というのが私の一審での判決である。

問題はこのままでは再犯の可能性が高いということである。
何故なら環境が以前と同じ、つまり飼主がこれまで通りの接し方になるだろうから…

この欄は私が泥酔するまでに書き上げなければならない時間との闘いだから詳細は省くが、飼主にいくつかアドバイスしてみよう。
1.『本にそう書いてあるからそのように躾けよう!』という意識を捨て、自然体で付き合い、ダメなものはダメとこのときばかりは動物的に接すること。

2.多くても3歳を過ぎれば犬は大人なのだから、大人の関係で接すれば犬はそれなりの振る舞いをしてくれるものだ。それをいつまで経ってもぬいぐるみや犬っころのような可愛がり方をすれば、犬の精神状態がそこで止まるか若しくは「うぜぇんだよ!」とキレてしまっても不思議ではない。
意味もないのに「よーし、よーし」と頭を撫ぜられれば私だったら「バカにすんな!」と苛立つだろう。
1日中人と関わりを持たされるのも普通の犬はウンザリする。「愛してる愛してる」と相手のことを考えずに振舞うのは愛してないつまり理解してない証拠。

3.基本的な触り方だが、撫ぜる(撫でるとキーを打ち込んでも変換されるが、銅像を「どうどう」と読んでるみたいで私は好きではない)行為は犬によって好き嫌いが多いから注意が必要。犬を触り犬に快を与えたいのなら撫ぜるではなく掻くようにするのがよい。

まだこれから2審での審理が残っているから、予断は許されない。

パピヨンの相談については飼主が優しすぎ、事の重大さに気づいてからでは遅すぎることを理解していないように感じている。

「一人のときはトイレに入っただけで、出てくるまで吠え続けるのでゆっくり用も足せないのです」と仰っていたが、私には笑顔すら出なかった。
何故ならこの犬の将来いや命にすら関わる大きな問題だと思うからである。
マンション暮らしで騒音問題が如何に人間関係を破壊し、結果的に犬を処分する人がどれほど多いかご存知なのだろうか?
分離不安という精神病には病原体があり、顕微鏡を覗いた先に自分の姿が映し出されているのにショックを受け、そこから振り返って自分の優しさと思っていた裏に潜む怖さに気づいても遅いのである。

どちらも頑張ってしつける必要などない。
犬を心から愛し、与えるべきものを与え、相手を認め、そのうえで「冗談じゃない!そんなのダメだ!」と言える権利は人にあることを自覚し、自然に振舞うことが犬と素敵に暮らす原則で、“可愛がる”という言葉に踊らされてはいけないと思う。
酔ってるから正確には書いてないことを忘れないで。
 

春の陽気だね 2006年02月20日(月)

  まあなんと暖かな一日だったことか。
明日は今日以上と気象台は予報しており、これは当たりそうだ。
おかげでガーデンは一気に雪解けが進み地面が出始めた箇所もある。
地面の泥でカフェが汚れるのを先延ばしするためには、中央にある雪山の雪を除雪機で飛ばして補修しなければならず、そうなると大型犬のお山の大将ごっこや小型犬のワープスポットになっていた雪山兼かまくらが消滅する寂しさを感じなければならない。
季節の移ろいとはそんなところにも感じるものなのだなぁと思った。
気温だけは春の暖かさで、路面はいつも犬たちを汚れから守ってくれるパウダースノーというのが、犬飼には有難いのかも知れぬ。

春の陽気に踊らされたのか、お泊まり犬がいなくなって責任感から解放されアモ君との二人だけの散歩が楽しかったせいか分からないが、今夜は何故か30年前にいじっていた楽器を吹きたくなった。
サキソフォーンである。

とはいっても楽器を持っているわけでもなく、吹けば相当に大きな音が出るわけだから、中でも静かな方のソプラノサックスがイメージされた。

パソコンを立ち上げ、インターネットオークションを覗いてみると、新品なのに予想していたより一桁も値段の安い楽器が目白押しである。
「鳴るのか?」
聞いたこともないメーカーでそんな不安も頭をよぎったが、どうせ気まぐれの思いつきでやっているのだからと一気に落札してしまった。

知らん人は知らんかも知らんけれど『コーカサスの風景』という楽曲の一部をどうしても練習してみたくなったのである。

30年以上前、自分たちの演奏会があった。
「長崎、ここのフレーズはソプラノサックスで吹け」と指揮者から言われた。
当時、我が部にはソプラノサックスがなく、演奏会当日に借りることになっていたのだが、届いた楽器は低音部がまともに出ない粗悪な代物で、その音域での満足な演奏ができなかったのが今でも夢に出てくるのである。

楽譜を持っているわけではないし、今の私にどれだけの音が出せるかも分からない。
「タバコの吸いすぎで咳き込んでるのに、肺活量は大丈夫なの?」とKは心配している。

答えは「分からん!」であるけど、ロングトーンという基礎練習から始めてみるさ。
うまくいかない時は安物の楽器のせいにできるし、それなりにやれればKに見直されるかもしれない。
何より私自身はチャレンジした結果を知ることができる。

問題はアモ君だ。
最初は彼が逃げ出すようなことになるだろうけど、それがずっと続けば私に救いはないかもしれない。
そん時きゃ、諦められる値段の安さだったというのが私の救いと言ってやろう。

春の陽気は人を狂わせるようだ。
 

今日は臨時休業? 2006年02月19日(日)

  カフェの駐車場に入りかけた車がしばらく止まっているので見ていたら帰って行く。
「変だな」と思って外へ出てみると、道路とドアにかけてある2枚の営業札がどちらも『closed』になっているではないか!
営業時間は10時から17時までなのに、時は既に午後3時を回っていた。
「どうりで今日は暇だったはずだ」と苦笑い。
『closed』の札さえ気づかずに入店くださった皆様には感謝である。

そんな今日、昨年の12月に交通事故で愛犬のMダックスしじみを亡くしたOさんがカフェを訪ねてくれた。
Oさんの懐には生後100日余りのMダックスの仔犬が大切に抱えられていた。
『きくちゃん』だ。
耳の先っちょがキクラゲみたいにクニュクニュしているので『きくちゃん』である。
11月4日生まれの女の子で、カフェではしばらく控えめで慎重な態度を示していたが、アモ君とお泊まり犬ゴールデンのノエルそれに常連犬ハスキーのチェスが上手に対応してくれたおかげで、1時間ほどですっかり安心してガーデンでも遊ぶようになっていた。

しじみを思い出させる話題に及ぶとOさんは目を潤ませてしまうので、努めてきくちゃんの話に時間を費やしたが、既に悲しみの大部分はきくちゃんがカバーしてくれているようだった。

仔犬の頃からカフェに通ってくれれば、今までのところ皆順調に素直で暮らしやすい犬に育っているから、しじみの後もきくちゃんがきっと継いでくれることだろう。

今日の仔犬はきくちゃんだけではなかった。
チワワの朔太郎に弟分としてやってきた貫太郎も生後3ヶ月のチビ君である。
今はまだ過剰な刺激は与えず、しっかり保護された中で様々な社会を見せることが大切だから、しっかり見守ってあげたい。

今日は日曜日、もしカフェの営業札が朝から『OPEN』になっていたら、きくちゃんと貫太郎には刺激が強すぎたかもしれない。
札を返し忘れたのはスタッフと私のミスではなく、しじみの心遣いだったのかもしれない。
 

ミレー、1週間お疲れ様 2006年02月18日(土)

  1週間のお泊まりだった日本スピッツのミレー君にまもなくお迎えがある。

「決して人に触らせないでください。唸ることなく突然噛み付くことがありますから。」
そんな注意を受けていたから2日ほど慎重になっていたが、普通に犬の扱いを知っている方なら全く問題ない犬であることがわかり、以降はたくさんの方に可愛がっていただいた。

過去に怪我をさせたことがあったらしく慎重になるのは飼主として当然のことだろう。
ただ気になることが2点ある。

ミレー君を見ているとラブやゴールデンのように陽気で遊び心が強く且つ寛大な犬ではないが、普通に人や社会との関わりを楽しむことができる犬というのがわかる。
普通に接している分にはなんら凶暴性はない。
ただ、犬を知らない人が「可愛い!」と駆け寄ってきて、まるで縫いぐるみのようにミレーを抱きしめたり、抱きかかえようとしたら、驚いたミレーが反射的に噛むであろうことは容易に想像できる。普通の犬であり、ましてや日本犬であるのだから。
この場合、周囲に注意を喚起しなかった飼主の責任もあろうが、他人の所有物であるにも拘らず、その所有者に断りもなく抱きついた人間の側により大きな落ち度があると思う。

もう一点はミレー君の要求の強さである。
まるで私を執事のようにこき使おうと吠えていた。
この吠えを放置していることが、飼主の最大の問題点であり、飼主でありながら自分の犬を信用できないばかりか怯える根源だと私には感じられる。

今、飼主の方から電話があり、千歳空港からカフェに向かっているとのことだ。
「大丈夫でしたか?噛まれませんでしたか?」
優しい心遣いなのだろうか、それともミレーはやはり信用されてないのだろうか。
この1週間1度たりともミレーはそのような素振りをカフェで人に対しても犬に対しても見せませんでしたよ。

普通のわがままで気のいいわんこです。
ちょっとだけ信用してみたらどうでしょう。
そして犬の気持ちを代弁する習慣を控え、主導権を持つことをお勧めします。
 

ノーリードは人に見せるものではなく… 2006年02月17日(金)

  アモ君のノーリード訓練が順調に進んでいる。

カフェを閉店してから出かける散歩コースの一部は通学路だから歩道の除雪がきちんとなされており、しかも滅多に対向者はいないし、途中に大きな平原がある。
住宅街を抜けてからは四方八方を見回してもウサギ一匹いないのだから、フリーにしたところで誰にも迷惑はかからない。

リードから放すとアモは一瞬走り出すがそれも数メートルほどで、すぐに振り返り私の意図を図っている。
すかさず遊ぶかフリー宣言をすることで次の行動が決まるのだが、アモは身勝手な行動をしなくなって、「おいで」と「マテ」はできるようになった。

遠方からわんこを連れた方が歩いてきても、今の段階ではアモよりも私が必ず先に発見する周到さを示しているが、そろそろその必要性はなくなってきたようだ。
その根拠は平原に出るまでの住宅街での歩行にある。
他犬や猫に出くわす場面は頻繁にあることで、その際にルールを教える機会に恵まれていたからである。

「うちの犬は他犬を見ると吠えかかるから」と、わざわざ道をそれていく方がおられるが、そんなもったいないことを私は行わず、そのチャンスを生かしてどう振舞うべきかを教えている。
勿論、だからといって相手に迷惑を及ぼすような無礼なことはしない技術の裏づけを持ってはいるが。

ただ、これから先はそうは行かない。
アモに必要なことは失敗であるからだ。
つまり、アモをフリーにして彼が私の指示を無視したくなるほどの誘惑が現れ、心赴くままの行動を始めようとした時に「ノー」を教えて、そうならないことを教えておくことが求められているのだ。

「マテ」と「おいで」それに「ノー」を教えておけば怖いものなしだ。
その原点が「えらいね、いい子だ」にあることは今更言うまでもないだろう。

減量も進み、歩きも楽になりつつアモ君は看板犬としての道を確実に歩んでいる。
 


- Web Diary ver 1.26 -