From the North Country

穏やかだと、つい気が緩む 2006年03月04日(土)

  ゴールデンのレオンとノエル君にテレビ局の取材があり、休日のひとときをカフェで過ごす場面を撮影するためにカメラが入った。

天気も良く他に大型犬がたくさんいたけれど、いつものように穏やかな雰囲気の中で撮影もすんなり終わった。
来週の土曜日お昼頃の“わんこ大好き”という番組でローカル放送されると伺っている。

「明日一泊お願いできないでしょうか?」
昨日の夜9時を過ぎてから、Kがガーデンで犬たちと遊んでいたら女性が声をかけてきたそうだ。
私を呼ぶ声にカフェに下りていったが、既に私は酔っており何を話したかよく覚えていないままお泊まりを引き受けた。

今日のお昼頃、コーギー君はやって来た。
愛想がよくそこそこ取り扱いも楽で私はホッとした。
カフェに一度も来ていない犬は原則としてお預かりしないのに、夕べは酔っていたため預かりを引き受け、今日は忙しさにかまけて住所を聞くのも忘れてしまった。

こんなことをしていたら、いずれ手痛い思いをしかねないから、ボーっとしがちな春に向けて気を引き締めてかかろうと思う。
 

尽きないカフェの楽しみ 2006年03月03日(金)

  今月のパスタは“自家製ミートボールの煮込みパスタ”だそうな。
試食の段階では“ソーセージときのこのデミグラスソース煮込み”だったはずだが、今朝になってKにお告げがあったらしく、カフェはオープンしてるのに「ちょっと材料買って来っから」と生協に出かけていった。

「主婦の底力は凄いものがある」といつもながら感心させられる。
あっという間に新作を完成させていた。
さらに、重く感じる方のためにあっさり系の“たらこスパゲッティ”まで準備しているのはさすがである。

さて、一昨日降った雪を排雪せずガーデンの中央に集めたら鍋蓋程度の塊ができ、犬たちは大いに喜んでくれた。
そんな中、ラブラドールのももちゃん(10歳)の変化が楽しい。
ペットロスの緩衝対策として飼主のMさんはラブの仔犬を新たに迎え入れたのだが、ももはしつこい犬が大の苦手である。
ラブの仔犬といえば、しつこい・めげないの典型だから、高齢のももちゃんはさぞ苦労が多く一気に老け込んでしまうのではないかと皆心配していた。

カフェに来たももは私に甘えるようなしぐさを見せ、窮状を訴えるように身体を摺り寄せてはいたが、暮らし始めて5日目のさくらがガーデンに出ようとしたら、心配そうに付き添っていた。
自身はカフェで羽を伸ばしながらも、この小さな生き物に母性が芽生え始めているのかも知れないと思ったら、クスッと笑えた。

Mさんの家はカフェから100メートルも離れてはいない。
「ここがあるから、安心して仔犬を飼うことができました」
Mさんの告白はあながち外交辞令でもなさそうだ。
ももは9歳になっても落ち着きがなく、昨年まで「まだ子供ですか?」と聞かれる有様だったのが、この一年ですっかり落ちつたいい子に変貌したのだから。

これからももちゃんがさくらをどのように受け入れていくのか、さくらはどう成長していくのか、そして毎月のパスタはどう進化していくのか、カフェの楽しみは尽きることはない。
 

もう我が子 2006年03月01日(水)

  我が家の愛犬アモ君の手術が決まった。

恩人であり友人であったN先生が亡くなり、私が先生に紹介して共に暮らし愛されていた愛犬アモ君を我が家に引き取って6週になる。

先生のお母さんが“可愛がり方の変容(誤解・思い込み)”として美味しい食べ物をふんだんに与え続けた為か、アモ君の体重は40数キロになっていた。
医者といえども高齢の母が、たとえ間違った愛情のかけ方ではあると分かっていても、アモ君のためを思って頭を働かせ身体を動かすことが結果的に母親の健康の維持に繋がっている現実を目の当たりにして、注意はするものの完全に止めさせることはできなかった。

『だからせめてもの』との思いで忙しい診療を終えた夜、ダイエットのために先生は遅くまでアモ君とグラウンドでボール遊びをされていた。
それは先生にとっても、疲れた体と疲れた頭を癒すかけがえのない楽しい時間でもあったようだ。

だが、アモ君の太りすぎた身体にはたとえ楽しい遊びではあったとしても負担がかかりすぎていた。
アモ君の後肢には異変が起きていた。

我が家にやって来た時には、既に左後肢を引きずっていたから前十字靭帯はほぼ切れかかっていたと思われる。
外科が専門でも犬を知らないN先生はそれをヒトにおける内科的手法で抑えておられたのだろう。

そんなことに知識のない私はこの6週で3キロ以上の減量となったアモ君が、身軽になって軽やかに歩けるようになったことを喜んでいた。
そしてその結果が僅かに繋がっていた最後の靭帯繊維を断裂させてしまうことになったらしい。

確定診断を望んだ私は主治医のS先生の助言と紹介を受けて大学病院で検査を受けさせた。
結果はS先生の「恐らく」という診断通りの前十字靭帯断裂であった。

「手術で治ります」という教授の話に私は喜んでいる。
「22例中2例が術後、骨肉種になっています」という教授の説明にKは涙している。

来週月曜日に入院し、火曜日にTPLO方式による手術とのこと。
退院は金曜日で手術費用は25万円との試算。
恐らく抜糸は2週間ほど先で、さらに金具を抜く手術があるという。

1年前にスーを亡くしたKはネガティブな気持ちが拭い去れずに涙を流し、多くの犬たちの生死や手術を見てきた私は『人間のような内視鏡手術や、術後の飼主のQOL(生活の質)に配慮した術部の悌毛がいつになったら配慮されるのか』に思いを馳せ、さらに2階で暮らしながらアモ君のダメージにならない方法を模索している。

アモ君。しばらくはとても辛いだろうけど、雪解けの汚い時期は安静にして、ゴールデンウィークを過ぎたら三人でどこか楽しいとこに行こうよ!
それまでは、禁止にしてた引っ張り合いの遊びを解禁して身体を動かさずに楽しむゲームに付き合ってあげるからね。
 

今夜はサッカー談義 2006年02月28日(火)

  「今日のゲームでまた新たな課題が見つかったので、これから修正していかなければならないと思います」
サッカーの国際試合などでよく耳にする選手のコメントである。

なかなか前向きな発言で、ここ数年その言葉を信じ期待を寄せて次の試合の流れを見守っていた。
だが、その後の試合結果はともかく、修正すべき点が殆ど修正されていないことに落胆を隠せないのは私だけだろうか。

具体的な修正点を私なりに分析してみた。

その1.パスを受けトラップした時にボールを吸い付ける技術がなく、ボールが身体から離れたところを相手に奪われている。(トラップの技術と直後の動きを練習せよ)

その2.味方にパスするボールに勢い(スピード)がないから、相手に奪われたり対処の時間を与えてしまっている。(シュートかと思わせるようなパスを普段から用いよ)

その3.プレスをかけられた時、相手の技術より劣るのに個人技で対応しようとしてボールを奪われたり、苦し紛れのパスを出している。(ワンタッチパスやワントラップパスを普段から基本にしていれば、次に起こすべき行動を予測しイマジネーションとスピード感溢れる試合ができるはずで、プレスのない時に体力の温存と冒険的なプレーを図ればいいと思う。)

その4.個人技や体力・スピード・高さに劣る日本にとって組織力としてのサイド攻撃が生命線であるのは理解できるが、時折訪れるチャンスには「切り込め!パスするな!とことんやって自分で決めろ!」と叫んでしまう。その際、「とにかく枠の中に撃て!枠の外では可能性すらないのだぞ!」と叱咤してしまう。

高校で一つ後輩の明石家さんまがサッカーをしている頃とはルールも技術も大きく違っているのは確かだ。
門外漢の私には分からない内情もあるのだろう。
だが、経済界で流行の社外取締役の意義は十分に理解できると思っている。

対外的な形ばかりの社外取締役なぞ何の意味もなさないはずである。
それは犬への訓練にも共通するはずで、多様性のある犬と人との関わりにおいて私が私の訓練を断定した時、私は終わってしまうのであり、厳しい意見と新たな発想があってもおかしくはないと思う。

それらの変化に対して柔軟に対応することと、どんな矢を放たれても微動だにしない自分がいることを今日のサッカー試合を観戦しながら考えた。
 

犬を見るということ 2006年02月27日(月)

  本日のガーデン状況:不良。ぬかるみではなくスケートリンク状態で、四輪駆動の犬も転びまくり。

「秋田犬なのですが噛むんです。レッスンをお願いできないでしょうか」という電話に緊張が走った。
生後3ヶ月ということで安堵したが、日本犬の仔犬の場合、柴犬の海斗君のように甘噛みではなくマジ噛みのケースもあったので慎重に話を伺った。

30分後に連れてきてもらって評価を行ったら、結果はオーライである。
「家にいる時とはぜんぜん態度が違う。こんなにお利口にはしてません」
不服そうな顔をしておられたが、カフェで愛らしく伏せているこの姿も現実であることを知って欲しい。

私が初対面でリードを受け取ってから何を観察し、何をし・何をしなかったかを紹介しておこう。

1.犬にとって初めての場所で緊張気味ではあるが、取り乱していないことを確認し「名前は?」と尋ねた。犬を触ったり優しい言葉をかけたりせず、ただリードを受け取った。

2.リードを軽く引いてガーデンへ出るのを促したが、踏ん張ったのでそのまま軽く引きずるようにガーデンに出た。目的は二つ。そうされた時の犬の反応を見るためと、排泄をさせるため。

3.犬の反応は取り乱すことなくガーデンを歩き、しばらくして私の臭いを嗅ぎちらりと私の目を見た。そこで初めて「シーシーシーシー」と言葉をかけ、動き回ろうとする犬をリードの範囲内で動くよう軽く制御した。
まもなく排尿をしたので褒めてやったが、この犬は神経質でもなく猜疑心が強い犬でもないことが分かった。
ただ、その後、肛門からウンチが覗いて一粒落ちた時の顔の動き、そしてしっかりした踏ん張り姿勢を見せるまでやや時間がかかったこと、そしてウンチの色形の状態から、それなりの緊張を持つ普通の3ヶ月の仔犬であり、食糞癖のある犬だということも分かった。

4.カフェに戻り他犬との関わりを見ながら、その落ち着きぶりに『飼主がしっかりしないと信頼を勝ち得ないかも』と心配になった。その飼主は離れた所から「オスワリ!オスワリ!」と聞くはずもないどうでもいい命令を口にしていたので私は諌めた。

5.リードを着け外を歩いた。『ダメ!ノー!』というネガティブな言葉は一切使わず、妙な動きは黙って制御し、励ましの言葉をかけ、それでも不安の色が浮かんだときは抱き上げて歩いた。抱き上げられることに抵抗せず、外の環境を観察している姿からは堂々とした日本犬の凛々しさを感じた。歩きながら再び排尿も済ませ、仔犬であることと、肝っ玉の太さを実感した。

6.カフェに戻って水を与え、身体を掻いてやるとそのまま横になって満足そうにしていた。

さて、生後わずか3ヶ月の彼女がどんな性格で今日何を感じ学んだかを考えてみよう。

繰り返しになるが彼女は気高く凛とした日本犬の血を持っている。
だが決してアグレッシブ(攻撃的)ではなく、冷静に人や環境などすべてを観察している。
そんな犬をぬいぐるみのように可愛がったり撫ぜまわしたり、命令魔になることは堪忍袋の尾を切ることを促すようなものである。

彼女は私と接する中で、排泄や運動欲求それに喉の渇きに対する潤いと快適空間など、与えられるべきものを享受し、さらに制御する存在があることに安心感を覚え、励ましを受けたり抱き上げてくれることで冷静に社会を観察でき、カフェにいる犬たちの振る舞いを見て身の程を知り・分をわきまえ、結果的に私に一目を置くようになったのだと思う。
おまけに私は彼女に一切の命令もせず、ただ掻いてやったり座ることや伏せることを自然の流れの中で促しただけだから緊張感は解けていったはずである。

短いこの欄の中でまとめるには(酔いつぶれてしまうという)限界があるから今夜はこの程度にするが、結構重要なことがちりばめられているはずだ。
 

勇み足? 2006年02月26日(日)

  台風のような強風と大雨が昼過ぎから激しく続いていた。
叩きつける雨がガーデンの雪を融かすのを見て、私は雪山を一気に吹き飛ばすことにした。
冬のガーデンとの決別の儀式でもあり、しばらく続くぬかるみを受け入れる意思表示でもある。
30分ほどでガーデンから雪山が消え、氷の下に地面が見える箇所が増えてきた。

ふと気になってパソコンに向かい、昨年はいつ雪山を飛ばしたか調べてみると、なんと3月22日つまりほぼ一ヶ月も先のことだった。
「そうだよなぁ。まだ2月だし、あと1ヵ月半は雪が降るんだよなぁ」
ひょっとしたら勇み足だったかもしれないと不安になってきた。

ガーデンは何の特徴もないただの広場になり、暖気が続けばぬかるみに、寒気が戻ればスケートリンクになってしまう。
「みなさん、ごめんなさい」
先に謝っておいたほうがよさそうだ。

さて、こんな荒天の一日だったがラブ・ゴールデンを中心にたくさんのわんこが遊びに来て楽しい時間を過ごしてくれた。
そこで何人かの飼主の方から受けた質問がある。
「公園などでとても陽気で積極的なわんこ(子犬を含む)が、しつこく遊ぼうと絡んでくるとうちの子が怒ることがあるのですが、良くないことなのでしょうか?」

「あなたの犬が日頃から他犬に対して問題があったり、絡んできた犬を組み伏せたり突然噛んでしまう様なら厳しく叱るべきでしょう。
でも、多くの場合、悪気は一切なく陽気に無頓着に知らない犬に絡んでいくのを放置している相手の飼主側に問題があるといえます。」
私はそう答えた。

天真爛漫でお人好しで積極的で悪気などなく「ひゃー楽しい!」などと、相手の気持ちも考えずに行動するB型人間に似た例えばラブの幼犬などを飼っているB型の飼主は特に注意しなければならないと思う。

「うちの子が楽しそうに遊ぼうとしているのに、話の分からん奴だ」と嫌がる犬を眺めているのではなく、相手の犬がどう感じているかを見ながら、我が子を制御する姿勢が求められる。
「ひゃー楽しそう!」と有頂天になる犬は、デリカシーがない犬とも取れるし、万が一相手にとって恐怖体験であったなら取り返しのつかない責任を負うことにもなるからだ。

とはいえ、B型のラブやゴールデンも、そんな時期をうまく過ぎれば人間味溢れるかけがいのない伴侶となるから私も虜になっているのだが。

アモ君のトイレに付き合い、スケートリンクに水が溜まったようなガーデンで転びそうになった。
適切な時期も考えず、大雨が降ったから急いで雪山をぶっ飛ばし、ゆっくり後悔する私もB型でラブ人間かもしれない。
 

長い目で 2006年02月24日(金)

  バレンタインのプレゼントに買ってあげたムートンの上で、アモ君の尾がパタパタと揺れている。
どんな楽しい夢を見ているのだろうか?

スーが逝って14ヶ月目の月命日の昨日、我が家にやって来てちょうど6週間になったアモ君の健診に行ってきた。
体重は6週間で3.1キロ減の37.3だった。この2週間は殆ど減ってないことになるが、私はそれでも減量が順調に進んでいると思っている。
明らかに無駄な脂肪は適正給餌を行うことで一気に下がるもので、それ以降はしばらく安定し、グラフで言えば横ばいのいわゆる高原状態となって、そこからの推移をしっかり見極めながら管理することが大切であると当初から考えていたからだ。
しばらくは36キロという次の目標が遠く感じられるだろうが、彼の後肢の回復を図るためにもしっかり取り組んでいきたい。

さて、これまで週に1回の割合で都合3回のレッスンを行ったゴールデンのシェーンが気がかりである。
強烈な引っ張りや飛びつきは、少なくとも私がリードを持っている段階では影を潜めつつあるが、意識をリード保持者に向けず自分の世界で生きているように感じられるのだ。

ディストラクションという犬の評価項目がある。
何かに気を取られ、その結果本来の仕事の注意力が散漫になる度合いを評価する分野の用語だが、アニマルディス…やセント(臭いに対する)…などと共にジェネラルディストラクションというのがあって、これは他犬やオシッコの臭いなどのように対象がはっきりしてものに対してではなく、取り立てて特定のものではないけれど気を取られ目が落ち着かず情緒が安定しない状況の程度を評価するものである。
要は、この度合いが高いと『なんか分からんけど犬の気が散ってまともに歩けん!』という状態になる。

多くの場合は社会経験不足が原因で、見るもの聞くものすべてに不安を示して、飼主のことより自分の情動に行動が支配されてしまっている。
だからそのような犬に対する制御は、まずは我に返し、頼れる存在が傍にいることを示すのがよい。
そして過剰刺激になるような訓練コースをはずし、比較的刺激の少ない静かな住宅街の歩行から始める。

しかし、シェーンの場合はこのジェネラル…の他に、過去のどこかで“聞く耳を待たない方が利口な生き方”と学習したのか、自分の世界から心開こうとしない意図を感じることがある。
私の思い込みかもしれないが、彼に必要なことは歩行における問題点の訓練と共に、人に対する信頼とその喜びを与えることではないかと思っている。

時間をかけた取り組みが必要であることを飼主に説明し、今後も継続してレッスンを受けられることを望みたい。
この点においてはアモ君の減量作戦だって同じことですぞ。
頑張りましょう。
 

カフェとフィットネスの共通点 2006年02月22日(水)

  フィットネスの月額会費が、ペアで7400円と格安なのはいいけれど今月は一度も利用していない。
フィットネスといっても私たちが受講するのはヨガやストレッチであって、シェイプアップが目的ではなく単に体調の維持・管理である。

それがお泊まり犬がいて行けなくなったり、サッカーの国際試合が中継されるとそっちを見なきゃならないし、気がついたら既に酒を飲んでしまっているから等々、謂わば屁理屈や言い訳などをするほどモチベーションに低下が表れているのが現状だと反省している。

まさに『喉元過ぎれば熱さ忘れる』の典型で、体調が悪い時には一生懸命通ったのに、ちょっと良くなると御託を並べて足が遠のくという実例である。
今度、体調が悪くなった時にまた行けばいいと思っていると、取り返すのに数倍の時間がかかるし、講師の先生だっていい思いはしないはずだと薄々分かってはいる。

まるでカフェに訪れる多くの問題犬の飼主と同じ行動を私たちはとっているのであり、その意識を私は当事者として後ろめたく思い、経営者としては理解し寛大であらねばならないと自らに照らして思う。

今の体調の良さはこれまで通った成果であり、これを維持するだけでなく、その先にあるものを知るために明日は教室に通おうと心に決めている。
『明日の夜はサッカーはない』という打算が働いているのも事実だが、『もう、あの時の様な思いはしたくない』という気持ちは絶対忘れてはいないから。
 

一審判決 2006年02月21日(火)

  普段、除雪作業というのは雪が降った朝、カフェの開店前に行うものであるが、今日は日中の暖かさでザクザクになった道路に車が埋まらないようにするための除雪だった。
案の定、除雪しなかったカフェのはずれでは数台の通行車両が埋まっていた。

さて、今日のカフェでは愛犬相談が2件あった。
ひとつは家族が愛犬のバセットハウンドに軒並み噛まれるという相談。
もうひとつは室内で人の姿が見えなくなると吠え続けるパピヨンの問題だった。

バセットハウンドの方は現在訓練士に預けているそうだが、そこでの評価と飼主の方の話を伺った限りでは、根本原因は失礼ながら飼主にありそうな気配だ。
勿論家庭犬が人を噛むなど許されるべきことではなく、「噛むからには命を懸けているんだろうな」とその犬に人間社会の道理を示さねばならない。
ただ、この犬の場合には事情を調べたうえで情状酌量の余地が残されているように思え、執行猶予付きの有罪というのが私の一審での判決である。

問題はこのままでは再犯の可能性が高いということである。
何故なら環境が以前と同じ、つまり飼主がこれまで通りの接し方になるだろうから…

この欄は私が泥酔するまでに書き上げなければならない時間との闘いだから詳細は省くが、飼主にいくつかアドバイスしてみよう。
1.『本にそう書いてあるからそのように躾けよう!』という意識を捨て、自然体で付き合い、ダメなものはダメとこのときばかりは動物的に接すること。

2.多くても3歳を過ぎれば犬は大人なのだから、大人の関係で接すれば犬はそれなりの振る舞いをしてくれるものだ。それをいつまで経ってもぬいぐるみや犬っころのような可愛がり方をすれば、犬の精神状態がそこで止まるか若しくは「うぜぇんだよ!」とキレてしまっても不思議ではない。
意味もないのに「よーし、よーし」と頭を撫ぜられれば私だったら「バカにすんな!」と苛立つだろう。
1日中人と関わりを持たされるのも普通の犬はウンザリする。「愛してる愛してる」と相手のことを考えずに振舞うのは愛してないつまり理解してない証拠。

3.基本的な触り方だが、撫ぜる(撫でるとキーを打ち込んでも変換されるが、銅像を「どうどう」と読んでるみたいで私は好きではない)行為は犬によって好き嫌いが多いから注意が必要。犬を触り犬に快を与えたいのなら撫ぜるではなく掻くようにするのがよい。

まだこれから2審での審理が残っているから、予断は許されない。

パピヨンの相談については飼主が優しすぎ、事の重大さに気づいてからでは遅すぎることを理解していないように感じている。

「一人のときはトイレに入っただけで、出てくるまで吠え続けるのでゆっくり用も足せないのです」と仰っていたが、私には笑顔すら出なかった。
何故ならこの犬の将来いや命にすら関わる大きな問題だと思うからである。
マンション暮らしで騒音問題が如何に人間関係を破壊し、結果的に犬を処分する人がどれほど多いかご存知なのだろうか?
分離不安という精神病には病原体があり、顕微鏡を覗いた先に自分の姿が映し出されているのにショックを受け、そこから振り返って自分の優しさと思っていた裏に潜む怖さに気づいても遅いのである。

どちらも頑張ってしつける必要などない。
犬を心から愛し、与えるべきものを与え、相手を認め、そのうえで「冗談じゃない!そんなのダメだ!」と言える権利は人にあることを自覚し、自然に振舞うことが犬と素敵に暮らす原則で、“可愛がる”という言葉に踊らされてはいけないと思う。
酔ってるから正確には書いてないことを忘れないで。
 

春の陽気だね 2006年02月20日(月)

  まあなんと暖かな一日だったことか。
明日は今日以上と気象台は予報しており、これは当たりそうだ。
おかげでガーデンは一気に雪解けが進み地面が出始めた箇所もある。
地面の泥でカフェが汚れるのを先延ばしするためには、中央にある雪山の雪を除雪機で飛ばして補修しなければならず、そうなると大型犬のお山の大将ごっこや小型犬のワープスポットになっていた雪山兼かまくらが消滅する寂しさを感じなければならない。
季節の移ろいとはそんなところにも感じるものなのだなぁと思った。
気温だけは春の暖かさで、路面はいつも犬たちを汚れから守ってくれるパウダースノーというのが、犬飼には有難いのかも知れぬ。

春の陽気に踊らされたのか、お泊まり犬がいなくなって責任感から解放されアモ君との二人だけの散歩が楽しかったせいか分からないが、今夜は何故か30年前にいじっていた楽器を吹きたくなった。
サキソフォーンである。

とはいっても楽器を持っているわけでもなく、吹けば相当に大きな音が出るわけだから、中でも静かな方のソプラノサックスがイメージされた。

パソコンを立ち上げ、インターネットオークションを覗いてみると、新品なのに予想していたより一桁も値段の安い楽器が目白押しである。
「鳴るのか?」
聞いたこともないメーカーでそんな不安も頭をよぎったが、どうせ気まぐれの思いつきでやっているのだからと一気に落札してしまった。

知らん人は知らんかも知らんけれど『コーカサスの風景』という楽曲の一部をどうしても練習してみたくなったのである。

30年以上前、自分たちの演奏会があった。
「長崎、ここのフレーズはソプラノサックスで吹け」と指揮者から言われた。
当時、我が部にはソプラノサックスがなく、演奏会当日に借りることになっていたのだが、届いた楽器は低音部がまともに出ない粗悪な代物で、その音域での満足な演奏ができなかったのが今でも夢に出てくるのである。

楽譜を持っているわけではないし、今の私にどれだけの音が出せるかも分からない。
「タバコの吸いすぎで咳き込んでるのに、肺活量は大丈夫なの?」とKは心配している。

答えは「分からん!」であるけど、ロングトーンという基礎練習から始めてみるさ。
うまくいかない時は安物の楽器のせいにできるし、それなりにやれればKに見直されるかもしれない。
何より私自身はチャレンジした結果を知ることができる。

問題はアモ君だ。
最初は彼が逃げ出すようなことになるだろうけど、それがずっと続けば私に救いはないかもしれない。
そん時きゃ、諦められる値段の安さだったというのが私の救いと言ってやろう。

春の陽気は人を狂わせるようだ。
 


- Web Diary ver 1.26 -