From the North Country

カフェとフィットネスの共通点 2006年02月22日(水)

  フィットネスの月額会費が、ペアで7400円と格安なのはいいけれど今月は一度も利用していない。
フィットネスといっても私たちが受講するのはヨガやストレッチであって、シェイプアップが目的ではなく単に体調の維持・管理である。

それがお泊まり犬がいて行けなくなったり、サッカーの国際試合が中継されるとそっちを見なきゃならないし、気がついたら既に酒を飲んでしまっているから等々、謂わば屁理屈や言い訳などをするほどモチベーションに低下が表れているのが現状だと反省している。

まさに『喉元過ぎれば熱さ忘れる』の典型で、体調が悪い時には一生懸命通ったのに、ちょっと良くなると御託を並べて足が遠のくという実例である。
今度、体調が悪くなった時にまた行けばいいと思っていると、取り返すのに数倍の時間がかかるし、講師の先生だっていい思いはしないはずだと薄々分かってはいる。

まるでカフェに訪れる多くの問題犬の飼主と同じ行動を私たちはとっているのであり、その意識を私は当事者として後ろめたく思い、経営者としては理解し寛大であらねばならないと自らに照らして思う。

今の体調の良さはこれまで通った成果であり、これを維持するだけでなく、その先にあるものを知るために明日は教室に通おうと心に決めている。
『明日の夜はサッカーはない』という打算が働いているのも事実だが、『もう、あの時の様な思いはしたくない』という気持ちは絶対忘れてはいないから。
 

一審判決 2006年02月21日(火)

  普段、除雪作業というのは雪が降った朝、カフェの開店前に行うものであるが、今日は日中の暖かさでザクザクになった道路に車が埋まらないようにするための除雪だった。
案の定、除雪しなかったカフェのはずれでは数台の通行車両が埋まっていた。

さて、今日のカフェでは愛犬相談が2件あった。
ひとつは家族が愛犬のバセットハウンドに軒並み噛まれるという相談。
もうひとつは室内で人の姿が見えなくなると吠え続けるパピヨンの問題だった。

バセットハウンドの方は現在訓練士に預けているそうだが、そこでの評価と飼主の方の話を伺った限りでは、根本原因は失礼ながら飼主にありそうな気配だ。
勿論家庭犬が人を噛むなど許されるべきことではなく、「噛むからには命を懸けているんだろうな」とその犬に人間社会の道理を示さねばならない。
ただ、この犬の場合には事情を調べたうえで情状酌量の余地が残されているように思え、執行猶予付きの有罪というのが私の一審での判決である。

問題はこのままでは再犯の可能性が高いということである。
何故なら環境が以前と同じ、つまり飼主がこれまで通りの接し方になるだろうから…

この欄は私が泥酔するまでに書き上げなければならない時間との闘いだから詳細は省くが、飼主にいくつかアドバイスしてみよう。
1.『本にそう書いてあるからそのように躾けよう!』という意識を捨て、自然体で付き合い、ダメなものはダメとこのときばかりは動物的に接すること。

2.多くても3歳を過ぎれば犬は大人なのだから、大人の関係で接すれば犬はそれなりの振る舞いをしてくれるものだ。それをいつまで経ってもぬいぐるみや犬っころのような可愛がり方をすれば、犬の精神状態がそこで止まるか若しくは「うぜぇんだよ!」とキレてしまっても不思議ではない。
意味もないのに「よーし、よーし」と頭を撫ぜられれば私だったら「バカにすんな!」と苛立つだろう。
1日中人と関わりを持たされるのも普通の犬はウンザリする。「愛してる愛してる」と相手のことを考えずに振舞うのは愛してないつまり理解してない証拠。

3.基本的な触り方だが、撫ぜる(撫でるとキーを打ち込んでも変換されるが、銅像を「どうどう」と読んでるみたいで私は好きではない)行為は犬によって好き嫌いが多いから注意が必要。犬を触り犬に快を与えたいのなら撫ぜるではなく掻くようにするのがよい。

まだこれから2審での審理が残っているから、予断は許されない。

パピヨンの相談については飼主が優しすぎ、事の重大さに気づいてからでは遅すぎることを理解していないように感じている。

「一人のときはトイレに入っただけで、出てくるまで吠え続けるのでゆっくり用も足せないのです」と仰っていたが、私には笑顔すら出なかった。
何故ならこの犬の将来いや命にすら関わる大きな問題だと思うからである。
マンション暮らしで騒音問題が如何に人間関係を破壊し、結果的に犬を処分する人がどれほど多いかご存知なのだろうか?
分離不安という精神病には病原体があり、顕微鏡を覗いた先に自分の姿が映し出されているのにショックを受け、そこから振り返って自分の優しさと思っていた裏に潜む怖さに気づいても遅いのである。

どちらも頑張ってしつける必要などない。
犬を心から愛し、与えるべきものを与え、相手を認め、そのうえで「冗談じゃない!そんなのダメだ!」と言える権利は人にあることを自覚し、自然に振舞うことが犬と素敵に暮らす原則で、“可愛がる”という言葉に踊らされてはいけないと思う。
酔ってるから正確には書いてないことを忘れないで。
 

春の陽気だね 2006年02月20日(月)

  まあなんと暖かな一日だったことか。
明日は今日以上と気象台は予報しており、これは当たりそうだ。
おかげでガーデンは一気に雪解けが進み地面が出始めた箇所もある。
地面の泥でカフェが汚れるのを先延ばしするためには、中央にある雪山の雪を除雪機で飛ばして補修しなければならず、そうなると大型犬のお山の大将ごっこや小型犬のワープスポットになっていた雪山兼かまくらが消滅する寂しさを感じなければならない。
季節の移ろいとはそんなところにも感じるものなのだなぁと思った。
気温だけは春の暖かさで、路面はいつも犬たちを汚れから守ってくれるパウダースノーというのが、犬飼には有難いのかも知れぬ。

春の陽気に踊らされたのか、お泊まり犬がいなくなって責任感から解放されアモ君との二人だけの散歩が楽しかったせいか分からないが、今夜は何故か30年前にいじっていた楽器を吹きたくなった。
サキソフォーンである。

とはいっても楽器を持っているわけでもなく、吹けば相当に大きな音が出るわけだから、中でも静かな方のソプラノサックスがイメージされた。

パソコンを立ち上げ、インターネットオークションを覗いてみると、新品なのに予想していたより一桁も値段の安い楽器が目白押しである。
「鳴るのか?」
聞いたこともないメーカーでそんな不安も頭をよぎったが、どうせ気まぐれの思いつきでやっているのだからと一気に落札してしまった。

知らん人は知らんかも知らんけれど『コーカサスの風景』という楽曲の一部をどうしても練習してみたくなったのである。

30年以上前、自分たちの演奏会があった。
「長崎、ここのフレーズはソプラノサックスで吹け」と指揮者から言われた。
当時、我が部にはソプラノサックスがなく、演奏会当日に借りることになっていたのだが、届いた楽器は低音部がまともに出ない粗悪な代物で、その音域での満足な演奏ができなかったのが今でも夢に出てくるのである。

楽譜を持っているわけではないし、今の私にどれだけの音が出せるかも分からない。
「タバコの吸いすぎで咳き込んでるのに、肺活量は大丈夫なの?」とKは心配している。

答えは「分からん!」であるけど、ロングトーンという基礎練習から始めてみるさ。
うまくいかない時は安物の楽器のせいにできるし、それなりにやれればKに見直されるかもしれない。
何より私自身はチャレンジした結果を知ることができる。

問題はアモ君だ。
最初は彼が逃げ出すようなことになるだろうけど、それがずっと続けば私に救いはないかもしれない。
そん時きゃ、諦められる値段の安さだったというのが私の救いと言ってやろう。

春の陽気は人を狂わせるようだ。
 

今日は臨時休業? 2006年02月19日(日)

  カフェの駐車場に入りかけた車がしばらく止まっているので見ていたら帰って行く。
「変だな」と思って外へ出てみると、道路とドアにかけてある2枚の営業札がどちらも『closed』になっているではないか!
営業時間は10時から17時までなのに、時は既に午後3時を回っていた。
「どうりで今日は暇だったはずだ」と苦笑い。
『closed』の札さえ気づかずに入店くださった皆様には感謝である。

そんな今日、昨年の12月に交通事故で愛犬のMダックスしじみを亡くしたOさんがカフェを訪ねてくれた。
Oさんの懐には生後100日余りのMダックスの仔犬が大切に抱えられていた。
『きくちゃん』だ。
耳の先っちょがキクラゲみたいにクニュクニュしているので『きくちゃん』である。
11月4日生まれの女の子で、カフェではしばらく控えめで慎重な態度を示していたが、アモ君とお泊まり犬ゴールデンのノエルそれに常連犬ハスキーのチェスが上手に対応してくれたおかげで、1時間ほどですっかり安心してガーデンでも遊ぶようになっていた。

しじみを思い出させる話題に及ぶとOさんは目を潤ませてしまうので、努めてきくちゃんの話に時間を費やしたが、既に悲しみの大部分はきくちゃんがカバーしてくれているようだった。

仔犬の頃からカフェに通ってくれれば、今までのところ皆順調に素直で暮らしやすい犬に育っているから、しじみの後もきくちゃんがきっと継いでくれることだろう。

今日の仔犬はきくちゃんだけではなかった。
チワワの朔太郎に弟分としてやってきた貫太郎も生後3ヶ月のチビ君である。
今はまだ過剰な刺激は与えず、しっかり保護された中で様々な社会を見せることが大切だから、しっかり見守ってあげたい。

今日は日曜日、もしカフェの営業札が朝から『OPEN』になっていたら、きくちゃんと貫太郎には刺激が強すぎたかもしれない。
札を返し忘れたのはスタッフと私のミスではなく、しじみの心遣いだったのかもしれない。
 

ミレー、1週間お疲れ様 2006年02月18日(土)

  1週間のお泊まりだった日本スピッツのミレー君にまもなくお迎えがある。

「決して人に触らせないでください。唸ることなく突然噛み付くことがありますから。」
そんな注意を受けていたから2日ほど慎重になっていたが、普通に犬の扱いを知っている方なら全く問題ない犬であることがわかり、以降はたくさんの方に可愛がっていただいた。

過去に怪我をさせたことがあったらしく慎重になるのは飼主として当然のことだろう。
ただ気になることが2点ある。

ミレー君を見ているとラブやゴールデンのように陽気で遊び心が強く且つ寛大な犬ではないが、普通に人や社会との関わりを楽しむことができる犬というのがわかる。
普通に接している分にはなんら凶暴性はない。
ただ、犬を知らない人が「可愛い!」と駆け寄ってきて、まるで縫いぐるみのようにミレーを抱きしめたり、抱きかかえようとしたら、驚いたミレーが反射的に噛むであろうことは容易に想像できる。普通の犬であり、ましてや日本犬であるのだから。
この場合、周囲に注意を喚起しなかった飼主の責任もあろうが、他人の所有物であるにも拘らず、その所有者に断りもなく抱きついた人間の側により大きな落ち度があると思う。

もう一点はミレー君の要求の強さである。
まるで私を執事のようにこき使おうと吠えていた。
この吠えを放置していることが、飼主の最大の問題点であり、飼主でありながら自分の犬を信用できないばかりか怯える根源だと私には感じられる。

今、飼主の方から電話があり、千歳空港からカフェに向かっているとのことだ。
「大丈夫でしたか?噛まれませんでしたか?」
優しい心遣いなのだろうか、それともミレーはやはり信用されてないのだろうか。
この1週間1度たりともミレーはそのような素振りをカフェで人に対しても犬に対しても見せませんでしたよ。

普通のわがままで気のいいわんこです。
ちょっとだけ信用してみたらどうでしょう。
そして犬の気持ちを代弁する習慣を控え、主導権を持つことをお勧めします。
 

ノーリードは人に見せるものではなく… 2006年02月17日(金)

  アモ君のノーリード訓練が順調に進んでいる。

カフェを閉店してから出かける散歩コースの一部は通学路だから歩道の除雪がきちんとなされており、しかも滅多に対向者はいないし、途中に大きな平原がある。
住宅街を抜けてからは四方八方を見回してもウサギ一匹いないのだから、フリーにしたところで誰にも迷惑はかからない。

リードから放すとアモは一瞬走り出すがそれも数メートルほどで、すぐに振り返り私の意図を図っている。
すかさず遊ぶかフリー宣言をすることで次の行動が決まるのだが、アモは身勝手な行動をしなくなって、「おいで」と「マテ」はできるようになった。

遠方からわんこを連れた方が歩いてきても、今の段階ではアモよりも私が必ず先に発見する周到さを示しているが、そろそろその必要性はなくなってきたようだ。
その根拠は平原に出るまでの住宅街での歩行にある。
他犬や猫に出くわす場面は頻繁にあることで、その際にルールを教える機会に恵まれていたからである。

「うちの犬は他犬を見ると吠えかかるから」と、わざわざ道をそれていく方がおられるが、そんなもったいないことを私は行わず、そのチャンスを生かしてどう振舞うべきかを教えている。
勿論、だからといって相手に迷惑を及ぼすような無礼なことはしない技術の裏づけを持ってはいるが。

ただ、これから先はそうは行かない。
アモに必要なことは失敗であるからだ。
つまり、アモをフリーにして彼が私の指示を無視したくなるほどの誘惑が現れ、心赴くままの行動を始めようとした時に「ノー」を教えて、そうならないことを教えておくことが求められているのだ。

「マテ」と「おいで」それに「ノー」を教えておけば怖いものなしだ。
その原点が「えらいね、いい子だ」にあることは今更言うまでもないだろう。

減量も進み、歩きも楽になりつつアモ君は看板犬としての道を確実に歩んでいる。
 

立ち直れそうもない 2006年02月14日(火)

  信じられない!
4時間をかけて書いた力作の今日のこの欄が、酒の勢いで押してしまったキーの一振りで消えてしまったことを。
「立ち直れない」と、以前にも書いた記憶が数度ある。
「立ち直れない」と今夜も書く。
 

マナーとノーリード 2006年02月13日(月)

  便袋は持ち歩いているらしいけど、誰も見てないとそのままウンチを放置したり、わざわざ取ったウンチを人がいないところで捨ててしまう輩が今なお存在するらしい。
犬が集まって遊ぶことを大目に見てもらっている広場などで、自分の犬がウンチをし始めると、それに気づかない振りをして面倒な手続きを回避しようという大ボケ者もいるという。
夜中にノーリードで遊ばせて、犬がウンチをしたのかどうかさえ知らぬが仏を決め込んでいる知能犯もいると聞いた。

里塚緑ヶ丘にカフェをオープンした最初の冬に、この地域で私は驚きを隠しきれないほどの放置便を見たが、この2年の間にそれは激減した。
特に広報したわけでないけれど、カフェを訪ねてくださる方やお預かり犬を散歩させる時の私たちの振る舞いをそれとなくご覧になるうちに、“ご近所の底力”のような正の連鎖が始まったのだと思っている。

愛犬のウンチの処理はそんなに大変で面倒なことではないし、健康チェックには欠かせないものでもあるのだから、さらに広がることを願っている。

一方、ノーリードによる迷惑行為は拡大しているようだ。
「うちの犬は大丈夫ですよー!噛んだりしませんからぁー」
愛想よく尾を振る犬や他犬や人には無関心な放牧犬の飼主が遠くから叫んでいるが、他犬に対し興奮する犬を散歩させている人や犬嫌いの人をはじめとする飼主以外の人に、多大な迷惑と恐怖を与えていることにまで思いが至らないノー天気でお人好しで自分と自分の犬を褒めてもらいたがる飼主が横行しているのが残念だ。

愛犬家が増えるほど似非(エセ)愛犬家も増える傾向にあるのは仕方ないことで、これを解決するには文化として定着するのを待つしかなく、文化を創るために声を上げる必要性があると思う。

敢えて告白するが、昨日から我が家の愛犬アモ君のノーリード研修を始めた。
以前にも書いたがノーリードの鉄則は人や他犬がいない場所で行うというものだから、人目に触れることのない二人だけの関係の構築である。
お互いの気綱を確認し、いつでも飼主を小馬鹿にして逃走できる状況を愛犬に与え、そのうえで自由に動ける空間を認識させ、遠隔での確実なマテを教え、呼び戻しを絶対的なものに習慣付け、トータルでそれらすべてが楽しく守るべきルールのうえに成り立っていることを教えておくのが狙いである。

それができれば私たちは何処にでもアモを連れて行くことができるし、彼の命を守ることができると信じている。
手応えは上々なのだが、フイに猫や犬が現れた時などにでも楽々対処できるようにするには、もう少しの時間が必要である。
そしてこの訓練は無人の場所で行うのだから誰も見ることができないし、誰に見せるためのものでない。
人に自慢するためにやっているのではなく、そのような環境になった時にお互いを解放して楽しむためと、万一の時の安全確保に備えているだけのことである。
 

戦い済んで日が暮れて 2006年02月12日(日)

  札幌雪祭りも今日で閉幕。
「みんな見学に出かけたのかな」と午前中のカフェは閑散としていたが、昼頃からどっと賑わってきた。

『もう座る席がない。しばらく誰も来ませんように』と念じると不思議なものでそれ以上のお客様は現れず、席が空いたころに次の方が来られるという好循環だったのが何よりである。

居候犬ウィンピーが1ヶ月ぶりにY家に引き取られ、再会の時のその喜びぶりたるや、あの遊び好きなわんこが他の犬には目もくれず、『ここで目を離してまた置いていかれてはたまったものじゃない』と娘たちに纏わりついていた。
幸せに暮らして欲しいと願う。

お泊まり犬ゴールデンのシェーン君にもお迎えがあったが、彼はひとしきりの喜びを示したあとは再びガーデンで遊び始めていた。
リード2本を引きちぎり、1本を噛み切られてしまったから割に合わないお泊まり犬だった。
それでも若いゴールデンのパワーと、全身を委ねうっとりしてくる性格は、この犬種への思い入れを一層深くさせてくれた。

日中お預かりの分離不安犬金太君は10歳になるビーグルである。
「どうしても」とお願いされて、7時間ほどカフェでお留守番していたけど、そのうち20分くらいしか正常で安定した呼吸をしておらず、それ以外の時間は静かなカフェに「ハーハーハッハッハッハ」という不安呼吸音を響かせていた。
吠えっぱなしの初回のお預かりから見ればずいぶん進歩したとはいえ、これが夏だったらいつ心臓発作が起きても不思議ではなく、静かな呼吸になったときは「死んじまったか?」と逆に不安になった。

今夜は物静かな日本スピッツのミレー君だけのお泊まりで、日中との対照がより静かな夜を感じさせてくれている。
 

惜しい! 2006年02月11日(土)

  カフェに遊びに来るワンちゃん、お泊まりのワンちゃんは基本的にいい子が多く、その点は特にありがたく思っている。

今日のようにどデカイグレートデンがやってくると最初緊張するけど、ほのぼのとした性格であることが分かればとても愛しく思われるし、その犬が我らが愛犬ジェニーの荒くれ者時代の同僚であると聞けば、尚更憎めない奴に見えてくるのが不思議だ。

レッスンで週末にやってくる黒ラブのマールは、飼主の手を焼かせているからレッスンを受けているのだろうが、私にとってはとてもいい子である。
マールは犬だから自分のやりたい行動をとろうとするのは当然で、その良し悪しをどう評価するのかがリードを持つ人間に委ねられているはずだ。
そのリードを持って「えらいねぇ」といえば思うように動いてくれる優れもので、歩くのがとても楽しく2回目のレッスンとは思えない親近感がある。

お泊まり犬のシェーン君は癒し系の生後11ヶ月のゴールデンでとても愛らしい仕草と性格を見せてくれるし、今夜からお泊まりのスピッツもいいキャラをしている。

しかしどの犬も暮らしやすさに直結するあと一つが教えられていないのがとても残念である。
「それはダメ」
「引っ張らないの」
「吠えて要求しちゃダメ」
「マテ」
「妙な興奮はしないで」
以上が主な課題であろう。

それぞれは犬だから、放任すればそのような行動をとるのが当たり前。
それに対してちゃんと教えるのが飼主の役目で、それを成し遂げたときどんなにすばらしい暮らしが待っているかを信じて育てていただきたいと思う。

お預かりする私たちは一緒に暮らす時間をできれば楽しくしたいから我が家のマナーを犬たちに教えるが、お泊まり期間という短い日数にも関わらず、彼らは2日目からそれに反応をみせてくれる。
だから自宅でできないわけはないはずなのだが、愛犬の愛らしさに心奪われ「ま、いいか」と妥協してしまう気持ちが分からないわけではない。

皆さん惜しいところまで来ているのに、あと一歩のところを踏み出せていないのがもったいないと感じる昨今である。
 


- Web Diary ver 1.26 -