From the North Country

今日は臨時休業? 2006年02月19日(日)

  カフェの駐車場に入りかけた車がしばらく止まっているので見ていたら帰って行く。
「変だな」と思って外へ出てみると、道路とドアにかけてある2枚の営業札がどちらも『closed』になっているではないか!
営業時間は10時から17時までなのに、時は既に午後3時を回っていた。
「どうりで今日は暇だったはずだ」と苦笑い。
『closed』の札さえ気づかずに入店くださった皆様には感謝である。

そんな今日、昨年の12月に交通事故で愛犬のMダックスしじみを亡くしたOさんがカフェを訪ねてくれた。
Oさんの懐には生後100日余りのMダックスの仔犬が大切に抱えられていた。
『きくちゃん』だ。
耳の先っちょがキクラゲみたいにクニュクニュしているので『きくちゃん』である。
11月4日生まれの女の子で、カフェではしばらく控えめで慎重な態度を示していたが、アモ君とお泊まり犬ゴールデンのノエルそれに常連犬ハスキーのチェスが上手に対応してくれたおかげで、1時間ほどですっかり安心してガーデンでも遊ぶようになっていた。

しじみを思い出させる話題に及ぶとOさんは目を潤ませてしまうので、努めてきくちゃんの話に時間を費やしたが、既に悲しみの大部分はきくちゃんがカバーしてくれているようだった。

仔犬の頃からカフェに通ってくれれば、今までのところ皆順調に素直で暮らしやすい犬に育っているから、しじみの後もきくちゃんがきっと継いでくれることだろう。

今日の仔犬はきくちゃんだけではなかった。
チワワの朔太郎に弟分としてやってきた貫太郎も生後3ヶ月のチビ君である。
今はまだ過剰な刺激は与えず、しっかり保護された中で様々な社会を見せることが大切だから、しっかり見守ってあげたい。

今日は日曜日、もしカフェの営業札が朝から『OPEN』になっていたら、きくちゃんと貫太郎には刺激が強すぎたかもしれない。
札を返し忘れたのはスタッフと私のミスではなく、しじみの心遣いだったのかもしれない。
 

ミレー、1週間お疲れ様 2006年02月18日(土)

  1週間のお泊まりだった日本スピッツのミレー君にまもなくお迎えがある。

「決して人に触らせないでください。唸ることなく突然噛み付くことがありますから。」
そんな注意を受けていたから2日ほど慎重になっていたが、普通に犬の扱いを知っている方なら全く問題ない犬であることがわかり、以降はたくさんの方に可愛がっていただいた。

過去に怪我をさせたことがあったらしく慎重になるのは飼主として当然のことだろう。
ただ気になることが2点ある。

ミレー君を見ているとラブやゴールデンのように陽気で遊び心が強く且つ寛大な犬ではないが、普通に人や社会との関わりを楽しむことができる犬というのがわかる。
普通に接している分にはなんら凶暴性はない。
ただ、犬を知らない人が「可愛い!」と駆け寄ってきて、まるで縫いぐるみのようにミレーを抱きしめたり、抱きかかえようとしたら、驚いたミレーが反射的に噛むであろうことは容易に想像できる。普通の犬であり、ましてや日本犬であるのだから。
この場合、周囲に注意を喚起しなかった飼主の責任もあろうが、他人の所有物であるにも拘らず、その所有者に断りもなく抱きついた人間の側により大きな落ち度があると思う。

もう一点はミレー君の要求の強さである。
まるで私を執事のようにこき使おうと吠えていた。
この吠えを放置していることが、飼主の最大の問題点であり、飼主でありながら自分の犬を信用できないばかりか怯える根源だと私には感じられる。

今、飼主の方から電話があり、千歳空港からカフェに向かっているとのことだ。
「大丈夫でしたか?噛まれませんでしたか?」
優しい心遣いなのだろうか、それともミレーはやはり信用されてないのだろうか。
この1週間1度たりともミレーはそのような素振りをカフェで人に対しても犬に対しても見せませんでしたよ。

普通のわがままで気のいいわんこです。
ちょっとだけ信用してみたらどうでしょう。
そして犬の気持ちを代弁する習慣を控え、主導権を持つことをお勧めします。
 

ノーリードは人に見せるものではなく… 2006年02月17日(金)

  アモ君のノーリード訓練が順調に進んでいる。

カフェを閉店してから出かける散歩コースの一部は通学路だから歩道の除雪がきちんとなされており、しかも滅多に対向者はいないし、途中に大きな平原がある。
住宅街を抜けてからは四方八方を見回してもウサギ一匹いないのだから、フリーにしたところで誰にも迷惑はかからない。

リードから放すとアモは一瞬走り出すがそれも数メートルほどで、すぐに振り返り私の意図を図っている。
すかさず遊ぶかフリー宣言をすることで次の行動が決まるのだが、アモは身勝手な行動をしなくなって、「おいで」と「マテ」はできるようになった。

遠方からわんこを連れた方が歩いてきても、今の段階ではアモよりも私が必ず先に発見する周到さを示しているが、そろそろその必要性はなくなってきたようだ。
その根拠は平原に出るまでの住宅街での歩行にある。
他犬や猫に出くわす場面は頻繁にあることで、その際にルールを教える機会に恵まれていたからである。

「うちの犬は他犬を見ると吠えかかるから」と、わざわざ道をそれていく方がおられるが、そんなもったいないことを私は行わず、そのチャンスを生かしてどう振舞うべきかを教えている。
勿論、だからといって相手に迷惑を及ぼすような無礼なことはしない技術の裏づけを持ってはいるが。

ただ、これから先はそうは行かない。
アモに必要なことは失敗であるからだ。
つまり、アモをフリーにして彼が私の指示を無視したくなるほどの誘惑が現れ、心赴くままの行動を始めようとした時に「ノー」を教えて、そうならないことを教えておくことが求められているのだ。

「マテ」と「おいで」それに「ノー」を教えておけば怖いものなしだ。
その原点が「えらいね、いい子だ」にあることは今更言うまでもないだろう。

減量も進み、歩きも楽になりつつアモ君は看板犬としての道を確実に歩んでいる。
 

立ち直れそうもない 2006年02月14日(火)

  信じられない!
4時間をかけて書いた力作の今日のこの欄が、酒の勢いで押してしまったキーの一振りで消えてしまったことを。
「立ち直れない」と、以前にも書いた記憶が数度ある。
「立ち直れない」と今夜も書く。
 

マナーとノーリード 2006年02月13日(月)

  便袋は持ち歩いているらしいけど、誰も見てないとそのままウンチを放置したり、わざわざ取ったウンチを人がいないところで捨ててしまう輩が今なお存在するらしい。
犬が集まって遊ぶことを大目に見てもらっている広場などで、自分の犬がウンチをし始めると、それに気づかない振りをして面倒な手続きを回避しようという大ボケ者もいるという。
夜中にノーリードで遊ばせて、犬がウンチをしたのかどうかさえ知らぬが仏を決め込んでいる知能犯もいると聞いた。

里塚緑ヶ丘にカフェをオープンした最初の冬に、この地域で私は驚きを隠しきれないほどの放置便を見たが、この2年の間にそれは激減した。
特に広報したわけでないけれど、カフェを訪ねてくださる方やお預かり犬を散歩させる時の私たちの振る舞いをそれとなくご覧になるうちに、“ご近所の底力”のような正の連鎖が始まったのだと思っている。

愛犬のウンチの処理はそんなに大変で面倒なことではないし、健康チェックには欠かせないものでもあるのだから、さらに広がることを願っている。

一方、ノーリードによる迷惑行為は拡大しているようだ。
「うちの犬は大丈夫ですよー!噛んだりしませんからぁー」
愛想よく尾を振る犬や他犬や人には無関心な放牧犬の飼主が遠くから叫んでいるが、他犬に対し興奮する犬を散歩させている人や犬嫌いの人をはじめとする飼主以外の人に、多大な迷惑と恐怖を与えていることにまで思いが至らないノー天気でお人好しで自分と自分の犬を褒めてもらいたがる飼主が横行しているのが残念だ。

愛犬家が増えるほど似非(エセ)愛犬家も増える傾向にあるのは仕方ないことで、これを解決するには文化として定着するのを待つしかなく、文化を創るために声を上げる必要性があると思う。

敢えて告白するが、昨日から我が家の愛犬アモ君のノーリード研修を始めた。
以前にも書いたがノーリードの鉄則は人や他犬がいない場所で行うというものだから、人目に触れることのない二人だけの関係の構築である。
お互いの気綱を確認し、いつでも飼主を小馬鹿にして逃走できる状況を愛犬に与え、そのうえで自由に動ける空間を認識させ、遠隔での確実なマテを教え、呼び戻しを絶対的なものに習慣付け、トータルでそれらすべてが楽しく守るべきルールのうえに成り立っていることを教えておくのが狙いである。

それができれば私たちは何処にでもアモを連れて行くことができるし、彼の命を守ることができると信じている。
手応えは上々なのだが、フイに猫や犬が現れた時などにでも楽々対処できるようにするには、もう少しの時間が必要である。
そしてこの訓練は無人の場所で行うのだから誰も見ることができないし、誰に見せるためのものでない。
人に自慢するためにやっているのではなく、そのような環境になった時にお互いを解放して楽しむためと、万一の時の安全確保に備えているだけのことである。
 

戦い済んで日が暮れて 2006年02月12日(日)

  札幌雪祭りも今日で閉幕。
「みんな見学に出かけたのかな」と午前中のカフェは閑散としていたが、昼頃からどっと賑わってきた。

『もう座る席がない。しばらく誰も来ませんように』と念じると不思議なものでそれ以上のお客様は現れず、席が空いたころに次の方が来られるという好循環だったのが何よりである。

居候犬ウィンピーが1ヶ月ぶりにY家に引き取られ、再会の時のその喜びぶりたるや、あの遊び好きなわんこが他の犬には目もくれず、『ここで目を離してまた置いていかれてはたまったものじゃない』と娘たちに纏わりついていた。
幸せに暮らして欲しいと願う。

お泊まり犬ゴールデンのシェーン君にもお迎えがあったが、彼はひとしきりの喜びを示したあとは再びガーデンで遊び始めていた。
リード2本を引きちぎり、1本を噛み切られてしまったから割に合わないお泊まり犬だった。
それでも若いゴールデンのパワーと、全身を委ねうっとりしてくる性格は、この犬種への思い入れを一層深くさせてくれた。

日中お預かりの分離不安犬金太君は10歳になるビーグルである。
「どうしても」とお願いされて、7時間ほどカフェでお留守番していたけど、そのうち20分くらいしか正常で安定した呼吸をしておらず、それ以外の時間は静かなカフェに「ハーハーハッハッハッハ」という不安呼吸音を響かせていた。
吠えっぱなしの初回のお預かりから見ればずいぶん進歩したとはいえ、これが夏だったらいつ心臓発作が起きても不思議ではなく、静かな呼吸になったときは「死んじまったか?」と逆に不安になった。

今夜は物静かな日本スピッツのミレー君だけのお泊まりで、日中との対照がより静かな夜を感じさせてくれている。
 

惜しい! 2006年02月11日(土)

  カフェに遊びに来るワンちゃん、お泊まりのワンちゃんは基本的にいい子が多く、その点は特にありがたく思っている。

今日のようにどデカイグレートデンがやってくると最初緊張するけど、ほのぼのとした性格であることが分かればとても愛しく思われるし、その犬が我らが愛犬ジェニーの荒くれ者時代の同僚であると聞けば、尚更憎めない奴に見えてくるのが不思議だ。

レッスンで週末にやってくる黒ラブのマールは、飼主の手を焼かせているからレッスンを受けているのだろうが、私にとってはとてもいい子である。
マールは犬だから自分のやりたい行動をとろうとするのは当然で、その良し悪しをどう評価するのかがリードを持つ人間に委ねられているはずだ。
そのリードを持って「えらいねぇ」といえば思うように動いてくれる優れもので、歩くのがとても楽しく2回目のレッスンとは思えない親近感がある。

お泊まり犬のシェーン君は癒し系の生後11ヶ月のゴールデンでとても愛らしい仕草と性格を見せてくれるし、今夜からお泊まりのスピッツもいいキャラをしている。

しかしどの犬も暮らしやすさに直結するあと一つが教えられていないのがとても残念である。
「それはダメ」
「引っ張らないの」
「吠えて要求しちゃダメ」
「マテ」
「妙な興奮はしないで」
以上が主な課題であろう。

それぞれは犬だから、放任すればそのような行動をとるのが当たり前。
それに対してちゃんと教えるのが飼主の役目で、それを成し遂げたときどんなにすばらしい暮らしが待っているかを信じて育てていただきたいと思う。

お預かりする私たちは一緒に暮らす時間をできれば楽しくしたいから我が家のマナーを犬たちに教えるが、お泊まり期間という短い日数にも関わらず、彼らは2日目からそれに反応をみせてくれる。
だから自宅でできないわけはないはずなのだが、愛犬の愛らしさに心奪われ「ま、いいか」と妥協してしまう気持ちが分からないわけではない。

皆さん惜しいところまで来ているのに、あと一歩のところを踏み出せていないのがもったいないと感じる昨今である。
 

アモ君の減量と私の思惑 2006年02月10日(金)

  昨日、動物病院でアモ君の体重測定をしてきた。
我が家にやって来てちょうど4週間で、2週ごとに体重をチェックして減量がうまくいっているかを確認することにしている。
やってきたときの体重は40.4キロだった。

最初の2週で2キロも落ちてしまったので、その後はちょっとトッピングとフードを増やした結果、今回は1キロ減量の37.5キロと順調にダイエットが進んでいた。
先生に言わせれば30台前半が適正なのであろうが、私たちは35キロを目標にしている。
Kいわく「それ以下だとキャラが変わってしまいそう」だからである。

太さと大らかさというのはどこか因果関係がありそうに思うのは私だけだろうか?
太っている人は大らかな傾向にあり、神経質だから痩せぎみというのは勝手なイメージなのだろうか?
その逆に、太めに育てれば犬はそうでないより大らかになる傾向は否定されるのだろうか?

肥満傾向が健康を損ねるという前提はこの際置いといて、性格だけに及ぼす影響というのは恐らく科学されているとは思うのだが…

なにもアモ君の減量に疑問を感じ、擁護しようと思っているわけではない。
後肢に負担がかかり、歩行に差し障りがあるわけだからその負担を取り除き次の処置を考えるのは私たちの責任で今後もしっかりやっていこうと思っている。

ただひょっとしたら、肥満による思わぬ好結果について考えるうち、喫煙や飲酒による弊害の総攻撃を受けている私に何かしら水鉄砲くらいの反撃できる小さな小さな光明が見えてこないかともがいてみただけのことである。
「ダメ、ダメ」流しでKは全否定している。
 

多頭飼いの傾向とプロセス 2006年02月07日(火)

  これまで何度か犬の多頭飼いによる弊害というか難しさというか傾向を書いて注意を促してきた。

一言で言えば、元来犬は群れを形成する動物だから、数が増えれば順位付けの本能がより顕在化し、グループ外の犬に対して初期行動が排他的になる傾向がありますよ、ということだった。

どういうことかというと、ブリーダーや愛好家などワンワン集団と暮らし、犬の生態や習性を理解している方は別にして、ごく普通に愛犬を家族の一員に迎え入れ、近所の犬や人ともお付き合いし、たまには公園やドッグラン・カフェなどで楽しみたいと考えていた方が複数の犬を安易に迎え入れると、とりわけ後から来た若い犬は育てやすかったけど対外的に問題がある犬になりやすいということだ。

そして私は現在、その傾向に至る貴重なプロセスを我が家の愛犬アモと居候犬ウィンピーから見出すことができている。

アモは4月で5歳になる見た目も精神的にもどっしりした犬である。
居候して4週目に入るウィンピーは1歳数ヶ月の元気で明るく荒っぽい遊びが好きで人懐っこい性格の犬だが、性格は形成途上ともいえる。

この3週間、私は特に意識することもなくこの2頭の散歩を一緒に行い、ガーデンではとりわけウィンピーがアモに遊ぼう攻撃を仕掛け、アモは迷惑なときもあったがそれに付き合っていた。
遊びがアモの大好きな引っ張り合いに及ぶとアモは力強さを見せ、威嚇ではなく場を高揚させる唸り声も出して盛り上がっていたが、最後に口から放すのは決まってウィンピーだった。

他犬とウィンピーの遊びがエスカレートすると、何をするわけでもなさそうな態度でアモが間に割って入るという行動も確認していた。
引っ張り合いの遊びの中で、ウィンピーにも唸るという反応が出始めていた。

4週目に入って、それまで他犬に対しやや緊張しながらも基本的に『遊ぼう!』というウィンピーの心情に変化が見られ始めた。
しつこく一方的に臭いをかぐ犬や、お互いをよく知らない段階で“遊ぼう攻撃”を仕掛けてくる犬に『無礼は許しませんぞ!』という態度を示し始めたのである。

今夜、散歩に変化をつけてウィンピーの行動を観察してみた。
そこにはアモのことをすっかり慕い、頼り、距離を引き離されたりすると動揺するウィンピーの姿があった。
散歩なのに臭い取りやオシッコひとつせず、離れたアモとKの姿を追い求め、それでもリードを引っ張ってはいけないことを知っているから、遠慮がちに切ない声を出し続ける群れの弱者としての態度があった。

2頭目以降の犬は先住犬が相手をしてくれるし、後輩犬は様々なルールを先住犬を観察して覚えるから飼う側にとってはとても楽に思える。
しかしそこに落とし穴があることを私たちは忘れてはならない。
最初の犬に対して人は手をかけ苦労しながら様々なことを教えてきたプロセスこそが大切であったこと、犬にしてみれば飼主と共に壁を乗り越えてきたうえに成り立つ信頼関係ができたこと、そして2頭以上の犬と暮らすと群れの一員としての本能が芽生える傾向にあることを。

ペットロス予防など一般家庭での多頭飼いの利点も大いにあることを承知しているが、せめて散歩は別個に行い、群れ意識を薄め個人との付き合いを見せておくことが今流の家庭犬に必要なことだと思い、また普通の人ではどうしようもない状況も想定に入れる覚悟も必要であろう。
 

犬の代弁者にはなれるけど 2006年02月06日(月)

  ほぼ一ヶ月ぶりに里塚温泉で疲れを癒してきた。
いつも年配の方ばかりの温泉なのに、本日はさらに『シルバーデー』と銘打っているものだから、とてものどかでまったりとした時間を過ごすことができた。
久しぶりに晴れた札幌だったが、除雪疲れかカフェの客足は遠のいていた。

最近の犬たちを見ていると、ペットブームが去ったのか落ち着きを取り戻したのかあるいは定着したのかはっきり分からないが、ブリーダーに本来の良心が戻って数よりも質を高めようとする意識が見え始めている。
吠えるダックスやチワワはいても凶暴でどうしようもない犬たちは減少しているように感じるからだ。

問題を抱えた犬たちの行動を見ていると、犬の問題ではなく明らかに飼主がそのような仕草を引き起こすような態度を良心的で無意識なのだろうが取っているのが分かる。
何故他犬に対し、むやみに吠え掛かる愛犬を抱き上げるのだろうか?
それは気弱な犬が、依存する飼主を後ろ盾に吠え掛かるという行動を肯定するだけでなく、合体してより強い自分になったとの意識を芽生えさせ、吠え立てる行動を強化していることに他ならないことを知能ある人間として理解すべき事柄であるはずなのに。

理由は明らかだ。
“実の我が子とは違い、巣立たない我が子”という位置づけで、つまり永遠にわが子であり、守らなければ壊れてしまいそうな愛しい我が子と感じているからである。

断っておくがそのような接し方を私は決して排除しないし多様な接し方として楽しんでもいる。
同様に“良かれと思い、これが自分流の愛情だ”とのオーラが出ている人には余程の迷惑を被らない限り口出しもしない。
ただ、それに起因する問題行動について相談されるとため息をついてしまう。
『いいとこ取りは虫が良すぎませんか?』と。

私たちが頑張った報酬は一ヶ月ぶりの温泉でとても満足しているけど、日々奔放に生きてきた結果ではなく、ちょっとの我慢のうえに成り立っていることを知っているつもりだ。
犬だけが表示した意思をいつも満たされていいとは思わない。
 


- Web Diary ver 1.26 -