From the North Country

ニワトリが先か卵が先か? 2006年05月29日(月)

  実は一ヶ月以上ヨガ教室に通っていない。
いろんな事情があるけど、最大の理由は『万障繰り合わせてヨガ教室に通わなければならないほど体調が悪くない』ということに集約される。
つまり、『のど元過ぎれば熱さを薄れ』外食したり旅行に出たり飲んだくれたりと、ヨガの先生には恩知らずなことをしてしまっているのだ。
そろそろ顔を出しておかないと、快く教えてくれなくなるかもしれないと、左肩の痛みを感じながら考えている自分が人間ぽくって笑える。

そもそもヨガというのは無理をせず頑張らず無我で臨むよう先生は仰っていたではないか。
ヨガは漢字で“結”と書くらしい。
身体と精神を結び、呼吸と動きを結びつけるようなことも言われていた。

やめたやめた、どんな言い訳をしても「無理はせずとも継続せよ」という教えを守っていないのは明らかで、屁理屈で誤魔化せそうにもない。
今週は顔を出すぞ!
と宣言した途端、『ヨガに行くのはいいんだけれど、カフェが終わってから教室が終わるまでの時間禁酒してなきゃなんないのが辛いんだよな』
悪魔のささやきが聞こえてきた。

話は変わるが、“ニワトリが先か卵が先か”という論争に決着がついた?らしい。
言われてみればもっともなことで、答えは“卵”ということだ。
動物は生まれた後に進化などの大きな変化をすることはなく、卵子や卵のうちに突然変異などによって変わってしまうものである。

相応しい例えではないけれど、チェルノブイリの放射能やサリドマイドの薬害で汚染された人間は人間として死ぬが、以後生まれてくる子供には何が起きるか分からない恐ろしさと怒りと悲惨さがある。
自然の営みと人災の違いはあれども、変化を受けるのは卵なリ精子の中の遺伝子だから、ニワトリも先祖の生物から分化しその始まりが“卵が先”という結論には納得できる。

では問題。
人は身体や心が病んだからヨガを創造したのか、それとも健康な精神がそれを導き出したのだろうか?
 

虎の穴 2006年05月28日(日)

  風がゴーゴー吹き荒れ、かなり強い雨脚になっている。
前日の予報とおリ日曜日の今日は雨の一日だった。
上半身裸たった昨夜とは打って変わってストーブに一度火を入れた。

「今日は開店休業かな?」
そんな語をしていたら電話が入った。
「先日しつけのことで電話した○○ですけどこれから伺ってもいいでしょうか?」
日曜日のしつけ相談は雨でも降らない限り時間が取れないかもしれないと話していた方だったが、今日なら十分ヒマなので来ていただくことになった。

小樽の盲導犬ユーザーHさんが2頭目の盲導犬を取得することになり、たまたま彼女の家で最終訓練をしていた盲導犬協会指導員のI氏に愛犬の問題を相談したら私を紹介されたらしい。
Tプードルのナポはキャンキャン吠えながらカフェに入ってきた。
生後10ヶ月だというのに体型は立派でトイというよリミニュチュアプードルの大きさだった。

初対面の場合、親和期間を経てからレッスンを行うのが基本であるが、小樽から頻繁に通うのは大変だろうし、何よりも大声で騒ぎ周囲にも迷惑をかけているから制御を開始した。
昔通なら私の制御でキョトンとして我に返るはずが、ナポは火に油を注いたように騒ぎ始めた。
初対面の飼い主を前にそれ以上過激な制御はヒンシュクを買うし、実際逆効果になることが多いので一旦外に連れ出したり事務所に入れて別方向からのアプローチを試みた。

その結果
1.他犬や人に対する攻撃性は表面上現れているが、稟性的な部分では問題なく、恐らくそのように振舞えば自分に有利に物事が運ぶ経験を持っているから頑張って演技している。

2.逆切れし家族に噛み付くらしいし、現に私にもそのような素振リを見せたが、これも生得的なものというより、意図的に頑張っているから解決可能。

3.吠えたり声を出すことについては、犬種特性や遺伝的な警戒心があるようだが、継続的な吠えはやはり意図的に頑張っていることが明らかでこれも解決可能。

4.物事に対して過剰な反応が多く、自分でどう対処していいのかわからずパニックになる傾向がある。

という評価を私は下した。
つまりは、ナポの本質的な部分においておおむね問題はないのに、社会経験を積ませることなく・分をわきまえることも身の程を知ることも教えられず、春になったからといって外に連れ出され不安を抱えていることに根源がある。

残酷にも、教育を受けていない井の中の蛙を大海に放り出したようなもので、ナポは必死で自分の身を守ろうとしているのである。

解決方法は簡単ではなく、育て直しが遠回りでも最善の方法だろうと思う。
具体的には?
私のカフェに通い、私を信じ任せろということしか私には言い様がない。
なぜなら、犬が安全に学び、飼い主が犬との接し方を真に身に着ける場を私は此処しか知らないからである。

図に乗った言い方をしてしまったが、いろんなワンコと飼い主の方が一般的なカフェを楽しむ場としてこの店を連営している一方、私のカフェには音のアニメにあったタイガーマスクの『虎の穴』のような一面があることをこの欄をお読みの方はすでにご存知かとも思う。
 

大きなことは言えないけれど 2006年05月27日(土)

  好天だった日中の熱が室内に蓄えられているのか、アルコールによる内燃機関の燃焼熱なのか分からないが、久しぶりに上半身裸でパソコンに向き合っている。
秋田の盲導犬ユーザーから今朝送られてきた生じゆんさいを、Kが軽くゆがいてすばやく氷水で冷やし、三杯酢におろしショウガをほんの少し加えて料理してくれた。
絶品の酒の肴である。

最近、身体が大量のアルコールを要求しなくなっているようだ。
頂き物の25度の4合瓶が2日経ってもまだ残っている。
じゅんさいやウドの酢味噌和えなど、好物の料理を味わいながら酒をたしなみ、時々大酒を食らうというように徐々に変化し、そのうち大酒から卒業していくのだろうなと思った。

今夜から柴犬のハナちゃんがお泊りである。
自分から他犬の臭いを嗅ぐのは好きなのだが、他犬にそれをやられると大声を出して威嚇するらしい。
飼い主の方はそれが元でトラブルを起こさないかと心配しておられた。

今日のところはお預かりしてから全く問題はなく、ハナちゃんも無用なトラブルはできれば避けたいと思っていてくれる。
我が家の愛犬アモもさリげなく振る舞いどんな犬とも付き合える特技を持っているので、ハナちゃんも徐々に気を許している。

日曜日にもしカフェが混みはじめたら、事務所に避難したほうがハナちゃんも気が休まるだろうが、幸いにも明日は雨の予報だから取り越し苦労になればありがたい。

ところで最近、生後4ヶ月以下の仔犬を連れて来られたリ相談に訪れる方が増えていてちょっとうれしい。
このあたりからカフェに通ってくれれば、まずいい子に育つのは間違いないだろうし、少なくとも大きな問題を抱えることはないばずだ。
柴犬の海斗君や秋田犬のももちゃんなど問題のあった日本犬が順調に育っているのも私の自信に繋がっている。

やはり犬育ての基本は安全に社会経験をさせることであり、分をわきまえさせた上で楽しみや喜びを共有することである。
スフレやフセは便宜上のもので、マテとオイテは生活に必要だから教えなければならないが、お手やゴロンなどはどうでもいい事柄である。

ハナちゃんも仔犬の頃に出会っていれば、飼い主の方の心配も減っていただろうし安心して預けることができただろう。
そういう意味において本当の『仔犬の育て方』というバイブルのような本が未だ存在していないのかもしれない。

大酒飲みの酒量が年とともに減るように、犬の問題行動も年齢とともに減少するものだから、『ちゃんと育てていれば若いうちから楽しく暮らせたのですよ』…などと酒飲みの私が言える立場ではないか。
 

リフレッシュ 2006年05月26日(金)

  予定よりも早くパソコンが退院してきた。
液晶画面が取替えられ・キーボードもピカピカで新品同様になって戻ってきた。
日立のサポート最高!

この欄をお休みした10日の間にも様々な出来事はあったが、日頃から『日々、酒とともにこれを忘るる』ことが信条というか性癖となっているので『忘れようとして思い出せない』のが正直なところである。

で、覚えているのが一昨目昨日とニセコでくっろいできたことぐらいなのが寂しいけど、これが今日の活力になっているのは否めない。

楽しかったですぞ。
羊蹄山はくっきりだし、若菜が目に映え、鳥のさえずりとコゲラめドラミングにうきうきして散歩を楽しみ、硫黄の臭いに覆われた露天風呂で眠りこけ、ウニ・力二・イクラの三色丼は悔しいけど食べ残すくらいのボリュームでお酒もしこたまいただけた。
好奇心の強いウグイスなんぞは私の口笛に呼応していろんな鳴き声も開かせてくれた。

昔通こんな環境を経験して現実社会に戻ってきた人は心優しくなるのだろうに、私の場合、休暇の心地よさと現実とのギャップがあって日常を批判的に捉えてしまう傾向が強いようだ。
これからは『心静かにして穏やかに振舞えたらいいな』と少しは考えている。

今夜、まずはパソコンと私たちのリフレッシュが終えたことを伝えておこう。
 

明日から入院 2006年05月16日(火)

  まずはお知らせから。

その1.来週24日の水曜日は臨時休業とし、翌日の定休日とあわせ連休とさせていただきます。

その2.明日から2週間ほど入院することになり、この欄はしばらくお休みするかも知れません。
いや、私ではなくパソコンの話。
購入して9ヶ月なのに液晶画面に線が入って見づらくなったので保証期間内に修理してもらうことになりました。
今年の1月には内臓バッテリーに異常があり交換してもらったばかり。
故障はあるもののカスタマーサービスは行き届いており、丁寧で迅速であるのはあリがたい。

「私のパソコン便えば?」
Kが余計な申し出をしてくれたので、ひょっとしたらこの欄を書くこともあるかもしれないが、彼女のパソコンは光回線と有線でつながっているので持ち運びができず、もし私が彼女の部屋で書くことになれぼ、タバコの煙ですぐに追い出すであろうことに彼女は気づいていない。
メールにしても、彼女のパソコンで私のをチェックすれば、怪しげな迷惑メールが毎日何十通も送られてくるから、私立探偵を雇って私の素行を調査したくなるに違いない。
Kと全く離れている時間は日に30分もないはずなのに・・・

というわけで来週24日の水曜日は臨時休業し、この欄やメールからしばらく離れることになりそうです。

さて、すっかリカフェの常連になっていたゴールデンのノエルが奈良へ転勤することになり、引越し先での片づけが終わるまで明日から預かることになったが、その手続きの中で新たな発見があった。

航空貨物(飼い主は搭乗せず犬だけの輸送)の場合、航空会社でケージ/クレートの貸し出しサービスがあったのに、これは各社とも昨年で打ち切られていた。
理由は『貸し出しのケージを利用したため、病気(感染症)になってしまった』というクレームがあったからだという。
「毎回消毒はしてるんですけどねぇ」と担当者は、暗に飼い主の過剰反応に不満な様子だった。

私もどちらかといえばこの担当者に同情するスタンスではある。
その犬がどんな病気になったか知らないげど、命にかかわるような感染症なら飼い主のワクチネーション意識で対処できたはずだし、コクシジュウムやノミ・ダニ程度なら貨物取り扱い業者は消毒を徹底すればよく、サービス自体をなくしてしまうことはないだろう。

現代は消費者が保護される時代で、それはそれなりに大切で当然のことだと思う。
ナショナルのストーブは今でも“重要なお知らせ”をメッセージし続けているし、雪印は一部廃業もして責任を明確にしている。
私のパソコンもすぐに無料修理してくれるのもありがたい。

しかし、ライブドアの株主が補償を求めるのには全く同情しない。
「おまえら汗(脂汗を除く)を流さず株で金儲けの道を選んだのだろ?儲けた時は喜び、損したときは苦しむ道を選ぶ決断を過去のどこかでしたのだろ?たとえ嘘の情報があったとしてもバクチすることにしたのだろ?株とかサラ金の怖さは事前に知らされていただろ?」

小学校ですらバーチャル株取引を進めている国だから、私のような考えを持つ人間は今後異端児扱いされるようになるだろうことは承知している。

どんなことが常識になるか先のことは分からないけど、間違いなく過渡期に生きる人間として、良心を貫き自分に正直に生きていけたらいいと思う。
そういえば、死んだ爺さんもそんなこと言ってたけど、科学の進歩に人間性が伴っていたのがこれまでで、これからは意識しないと人間性が置いてけぼりをくらいかねない時代なのだろう。

犬の目が私たちに真実を伝えてくれている。
 

梅まつり 2006年05月15日(月)

  外は快晴、気温は25度、カフェはヒマと三拍子が揃ったのでKと私はカフェをスタッフに任せて平岡公園の梅林に出かけた。
平日だというのに臨時駐車場まで一杯で、たくさんの人々で賑わい、白梅7分咲・紅梅3分咲の梅林は見事な美しさを見せてくれた。

だが、今日の目的は花見ではなく梅ソフトと梅ドラを味わうことで、ついでに焼きそばや芋団子・札幌ポテト・海鮮串?・しお爺のコロッケをそそくさと買い込んで40分ほどでカフェに戻ってきた。
そしてスタッフは入れ替わりで梅林へ出かけていくというのどかな職場であった。

目当ての梅ソフト糖ドラは美味しかったが、それ以外は祭りの屋台で売られている物のほうがまだマシという感じで少々ガッカリ。
明日も札幌は25度を越える快晴だそうだから、梅ソフトを食べたい。
車で5分だけど、ソフトを融かさずに持ち帰るのは極めて難しいから、またカフェがヒマだったら出かけてみようと思う。

梅林に行くときはいつもアモも一緒なので、「今日はどうして連れて行かないのだ!」と不満そうだった。
「今年から梅祭リ期間中、売店周囲の芝は犬の立ち人リ禁止だから…」と苦しい言い訳をした。

さて、実際出かけてみるとワンちゃんたちがたくさんいて、それなりにルールは守って芝には入っていなかったし、ほとんどの飼い主もマナーに気を配っていた。
が、私は主催者にはまだ市民からの苦情が続くだろうと感じた。
理由はひとつ。
一部の飼い主の配慮が欠けている点である。

公園のあちこちに“リードは2メートル以内”と表示されていることの真意が、とりわけ小型犬の飼い主の一部には分かっていないらしい。
“犬が苦手な人が当然いるから、たとえ愛想のよい犬だろうと飼い主は犬が見知らぬ人に接近・接触し不安や不快感を与えることのないよう配慮しろ”という意味であり、混み合った場所では2メートルという数字は長すぎて意味を成さず、相手があることに対する飼い主の配慮を求めているのである。

なのに「うちの子はおとなしく、迷惑はかけません」とか「どうです?私の犬は可愛くておりこうでしょ!」とばかりにリードを長くした無頓着な人が多すぎるよう
に思う。
おまけに、リードをつけていながら吠え続ける犬を制御しようという意識すらない飼い主は、人前に出るべきではなく家庭で愛大家を装っていれぼよいのだ。
誤解のないよう付け加えると、吠える犬がいても当たり前で、しつけや社会経験を前提にあるいは少なくとも問題意識をもって、配慮しながらお祭りに行くことはとても大切なことだ。だが「うちの犬は吠えるんだよね」と決め込み、他人の迷惑も顧みず何らの努力もせず立ち話をしている飼い主にはほとほと呆れてしまうのは私だけだろうか?
間われているのは犬の性格がどうのこうのではなく、飼い主の品性なのだと思う。

無人の場所ならたとえ生活道路でも平気でノーリードにして遊びまわる私だ。
堅いことを言ってるのではない。
せめて隣にいる相手のことを考え、社会に受け入れられる飼い主になり、うっとうしい看板が公園から消えるように団結しよう!。
 

ウンチしなさい! 2006年05月13日(土)

  夜に入ってストーブの火を入れた。
久しぶりに今夜はお泊り犬がいて、夜の排尿便に連れ出した時間には小雨交じりの強風が吹き、フェンスに吊り下げたフラワーポットのビオラが可愛そうに思えた。

そんな中でも、Mシュナウザーのモカはさっさとおしっこを済ませてくれたが、ウンチのほうはさっぱリしてくれない。
午前中にしたきりだから、寝る前にはしてもらわないと困るので、私はダウンジャケットを羽織って長期戦に備えた。
すぐにドアのほうに駆け寄ってしまうから、モカにはリードをつけてガーデンでの排便を促した。

多くの方はあまりご存知ではないが、自分の犬はともかく、他人の犬をしかも環境に慣れていない犬の排泄を決まった場所できちんとさせるには、根気はもちろん犬の習性や心理を知らないとできるものではない。

恐らく、普通の方が他人の犬を預かって外でトイレを済ませる場合、散歩に連れ出してその間にさせるのが一般的であろう。
だが、私たちにはそのような考えは毛頭ないといえる。

散歩は散歩であり、トイレはトイレであって「シッコとウンチをしなさい」といえばさっさと済ませることを教えておくのが犬と暮らす基本のひとつと考えているか
らだ。
犬の意見を聞いてトイレのための散歩に出かけたり、排泄意識が高まりやすい草むらに連れ出すことはなく「この辺でしなさい」と教えることが犬との顧係をしっかり作る基礎になっていると経験で知っている。

・排泄姿勢は無防備な状況となるから神経質になる
・本能的に排泄したい場所を選びたがる
・排泄は指示されてするものでなく、したくなったらする
・擦泄前には匂い取りや動きの儀式がある

犬の本能や習性があることは十分承知しているが、犬というものは人間と同じように本能や習性だけで生活させておくよりも、ある程度の規律とマナーを決めておいたほうが共存しやすく、またそれらを容易に受け入れることができる動物である。
ある意味で成犬の排泄管理は飼い主との関係のバロメータ一でもある。

シーシー・ベンベンあるいはウンチウンチといえば、ある程度たまっているときにはすんなり、どこでもさせることができるようにきちんと教えることは大切なことだ。

モカは私の言葉かけ「ウンナは?ウンチしなさい」の意味を理解している。
ただ、小雨と強風の中にいるのが嫌で「中に入ろうよっぉ」と主張しているのだ。
モカの頭に『今の状況』だけがあり、私の頭には『このままウンチをしないでいたら、明日の朝までには室内で失敗する可能性があると先の予見』がある。

リードで動きの制御を行い、言葉がけで安心感を醸しながらも指示を伝え、排便にいたる動きを誘導することでついにモカは一切れのウンチをした。

この間10分ほどだったが、これは実に大きな成果なのだ。
恐らくモカのウンチは出し切れていないだろうが、彼は様々な不安を乗り越え、自分の感情よりも人の指示を受け入れ、その結果すぐに褒められ目的の室内に戻ることができたのである。
人とのつながりがまた一歩できたのである。

Kが言っていた。
「子供たちが言うんだよね。ワンちゃんはいいなあ、オシッコしただけであんなに褒めてもらえるんだから…って」

シッコやウンチのことと思って軽んずることなかれ。
日々の営みの中にこそ大切な要素がいっぱいある。
 

ささやかな贅沢 2006年05月12日(金)

  昨日、定休日を利用して三人でドライブに出かけてきた。
早来町に美味しいパスタのお店があると伺って出発したのだが、天気もよく、途中で見つけた“水芭蕉の遊歩道”という看板にわくわくして散策を楽しんだ。
人っ子一人いない自然の中で、我が家の愛犬アモは有頂天になって動き回り、好奇心の強いウグイスの鳴き声を私が真似ると、本物のウグイスまですぐそばに来て歌合戦に応じてくれた。
湿地の一面に佇む水芭蕉の奥ゆかしさと、静かに流れる雪解け水の音に加え、小鳥たちのさえずりが渾然一体となって私たちは本当に幸せなひと時を過ごすことができた。

素敵な景色も味わえるピノピアノのイタリアンも楽しませてもらった。
鶴の湯という温泉で肩までじっくり浸かって「あ〜」と押しつぶすような心地よい唸り声もあげることができた。
どちらの場合もアモは日陰に止めた車の中で留守番だったが、「お待たせ」の声に「あぁ戻ったんですか」と平然としている。

近くを通りかかったので、知り合いの地球(ガイア)動物病院のM先生に我が家のアモを紹介しに立ち寄った。
散歩の時のアモは猫を見るとうれしそうに興奮するが、M先生の広大な敷地ではノーリードなのに目の前の猫に知らん顔している。

その後、アオサギが餌をついばむ水路周辺を散策して帰路に着いたが、車内でアモの顔を見たKが「あ!ダニだ!」と気づいて2匹を退治した。
草むらにはほとんど入ってないのに、もうダニが活動する季節になったことを実感した。

梅の花がほころび、桜が咲き、世間ではGWが終わった後に、私たち三人もささやかな休日の贅沢を楽しませてもらった。
 

さあ愛犬と出かけよう! 2006年05月09日(火)

  GWが終わってなんとなく落ち着きが出てきた。
梅公園ではようやく一本の木に何輪かの花がつき始め、山桜は満開でソメイヨシノも昨日開花宣言があった。
ただ、暖かいからセーターは必要ではないが、ワークシャツだけでは寒気を感じるといった状況だ。

さて、暖かくなってこれからドッグカフェなどへ出かけてみようと考えている方も多いはずだ。
そこでご利用時の注意点をQ&A方式でいくつか紹介しよう。

Q1.ドッグカフェでは特別な料金がかかるのでしょうか?

A.ワンちゃんの入店料無料の店から、私のカフェのように200円の店、ワンドリンクがついて500円というお店などいろいろですが、店内の飲食品は普通の値段のお店がほとんで、ボッタくられるという心配はありません。

Q2.どんなわんこでも入れるのでしょうか?

A.基準はお店によって様々ですが、あからさまに攻撃的なわんこや、吠え立てるわんこ、トイレのしつけすらできていないわんこは、正直嫌な印象を店員に与えます。しかし、あらかじめ申し出ることでうまく受け入れてくれる場合もあります。
外飼いのわんこ・発情期の影響を与えるわんこ・マウントを常習にするわんこ・病気や手入れのできてないわんこなどは基本的に無理でしょうが、まずは相談してみましょう。

Q3.ペットシーツなどを持参すべきでしょうか?

A.私のカフェでは不要です。食事をする場所で、排泄用具を準備されても困ります。排泄の失敗はやむを得ないこともあるので、その際は速やかに申し出ていただければ処理します。
飲み水や敷物・ウンチ袋などは臨機応変なので、車に準備しておけばよいでしょう。

Q4.どんなマナーが飼い主に必要でしょうか?

A.カフェによって大きな違いがあることを知っておきましょう。
例えばわんこが座席に上がることや、わんこに食べ物を与えることは私のカフェでは嫌な印象を周囲の人間に与えていますし、オーナー自らがわんこにおやつを与える店やわんこの食事を売り物にしている店もあります。
それだけ今のカフェは中途半端な時期にあるといえるのでしょう。
マーキングをするような犬にはマナーベルトは最低条件ですし、他犬や他人に影響を与えるような動きをするわんこはオンリードが基本でしょう。
マナーについてはそれぞれのカフェで率直に尋ねてみると、様々な発見ができて楽しいものです。

経験として、あるいは楽しむため、学ぶため、いろんな活用法がドッグカフェにはあるだろうが、私たちもまたどのように利用していただけるか模索している。
 

まだ配慮が足りない 2006年05月08日(月)

  今年のGWは総じて天候に恵まれ、気温の低い日もあったが昨日今日と20度を超える陽気にも恵まれたまずまず合格点の週だった。

明るさと暖かさが残るカフェの閉店後、昨日に続いて平岡公園を三人で散歩した。
“犬は必ず繋いで”“リードは2メートル以内の長さで”とあちこちに掲示されている。

公園に入ってすぐのベンチに飼い主の年配の男性が座り、その数メートル先に右後肢を切断したこれまた年配のゴールデンがいた。
ノーリードである。
犬の動きや表情を見て、穏やかであることがすぐに分かったが、私の気持ちは憂鬱になった。

『このような飼い主がいるから、あちこちに立て看板が立てられているのがなぜ理解できないのだろう?』という思いがよぎったからだ。

吠えたり飛びついたりしないどころか、たぶん物静かで他人に愛想がよくて、ただ頭を撫ぜてもらうのが好きな、そんな愛らしいわんこだろうと思う。
しかし、そんな犬の飼い主だからこそ、相手があることをおもんばかって欲しかった。

案の定、私たちがそばを通るとその犬はゆっくりとアモに近づいてきた。周囲には他に散策を楽しんでいる人もいる。

もし、アモが見知らぬ犬に噛み付く性癖を持っていたらどうするのだろう?
もし、周囲の人が大の犬嫌いだったらどう言い訳するのだろう?
もし、ノーリードの犬が近づいたことに興奮した別の犬の飼い主が制御に困り果てていたら、「あんたの犬もうちの犬のようにちゃんとした犬にしつけなさい」とでも言うのだろうか?

イギリスのリージェンツパークでもたくさんの犬がノーリードで遊んでいる。
“on leash”(リードをつけて)の掲示も小さく表示されている箇所もある。
しかしフリーになった犬たちのほとんどが他犬や他人に愛想を振って近づいてくることはない。
それが普通であり、通行人も他犬に関心を寄せて犬の行動を変化させようとはしない。
いわば住み分けのような雰囲気がある。

そんな意識がまだ遠い日本においては、私が見てきた英国やオランダ・フィンランドのような飼い主の振る舞いをしようとしてもクサイだけだし、フランスのように犬のウンチや喫煙に鈍感で寛大ではないし、アメリカのように大雑把である。

日本では、たまたま社会的に問題のない犬と暮らせた飼い主が、堂々と他人の迷惑も顧みず闊歩しているにすぎない時期なのだろうと思う。
そして「前の犬はおりこうだったのに今度の犬は馬鹿犬で…」などと嘆いているのだろう。

どんな性格の犬であろうとも、社会的にちゃんとしつけられるような飼い主が増えてきて、なお、相手に対する配慮ができ、それに応じた対処がさりげなくできるようになった頃、平岡公園がリージェンツパークのようになって、ひょっとしたら今日のゴールデンや飼い主とも挨拶ができて親しくなれたかもしれない。
 


- Web Diary ver 1.26 -