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今年のGWは総じて天候に恵まれ、気温の低い日もあったが昨日今日と20度を超える陽気にも恵まれたまずまず合格点の週だった。
明るさと暖かさが残るカフェの閉店後、昨日に続いて平岡公園を三人で散歩した。 “犬は必ず繋いで”“リードは2メートル以内の長さで”とあちこちに掲示されている。
公園に入ってすぐのベンチに飼い主の年配の男性が座り、その数メートル先に右後肢を切断したこれまた年配のゴールデンがいた。 ノーリードである。 犬の動きや表情を見て、穏やかであることがすぐに分かったが、私の気持ちは憂鬱になった。
『このような飼い主がいるから、あちこちに立て看板が立てられているのがなぜ理解できないのだろう?』という思いがよぎったからだ。
吠えたり飛びついたりしないどころか、たぶん物静かで他人に愛想がよくて、ただ頭を撫ぜてもらうのが好きな、そんな愛らしいわんこだろうと思う。 しかし、そんな犬の飼い主だからこそ、相手があることをおもんばかって欲しかった。
案の定、私たちがそばを通るとその犬はゆっくりとアモに近づいてきた。周囲には他に散策を楽しんでいる人もいる。
もし、アモが見知らぬ犬に噛み付く性癖を持っていたらどうするのだろう? もし、周囲の人が大の犬嫌いだったらどう言い訳するのだろう? もし、ノーリードの犬が近づいたことに興奮した別の犬の飼い主が制御に困り果てていたら、「あんたの犬もうちの犬のようにちゃんとした犬にしつけなさい」とでも言うのだろうか?
イギリスのリージェンツパークでもたくさんの犬がノーリードで遊んでいる。 “on leash”(リードをつけて)の掲示も小さく表示されている箇所もある。 しかしフリーになった犬たちのほとんどが他犬や他人に愛想を振って近づいてくることはない。 それが普通であり、通行人も他犬に関心を寄せて犬の行動を変化させようとはしない。 いわば住み分けのような雰囲気がある。
そんな意識がまだ遠い日本においては、私が見てきた英国やオランダ・フィンランドのような飼い主の振る舞いをしようとしてもクサイだけだし、フランスのように犬のウンチや喫煙に鈍感で寛大ではないし、アメリカのように大雑把である。
日本では、たまたま社会的に問題のない犬と暮らせた飼い主が、堂々と他人の迷惑も顧みず闊歩しているにすぎない時期なのだろうと思う。 そして「前の犬はおりこうだったのに今度の犬は馬鹿犬で…」などと嘆いているのだろう。
どんな性格の犬であろうとも、社会的にちゃんとしつけられるような飼い主が増えてきて、なお、相手に対する配慮ができ、それに応じた対処がさりげなくできるようになった頃、平岡公園がリージェンツパークのようになって、ひょっとしたら今日のゴールデンや飼い主とも挨拶ができて親しくなれたかもしれない。
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