From the North Country

その名は海斗クン 2005年11月25日(金)

  本欄の10月5日に紹介した生後3ヵ月半だった柴犬のその後を書いておこう。

飼主を血まみれにし、たかが3ヵ月半と侮った私もその被害にあい、ちょっと制御すれば動物虐待をアナウンスするような大音響の悲鳴を上げていた海斗クンは以後週に1〜2回カフェに通うようになった。

レッスンはこれまで5回ほど行っただろうか。
初めのうち私は両手に皮手袋をはめ、噛まれてもいいように装備を整えていた。
実際、海斗クンは唸り、噛み付こうとし、触るだけで悲鳴を上げ続けていた。
誤解して通報されないように私は人家が少なく交通量が多いコースを選んでレッスンを開始することにした。

海斗クンのような問題を抱えたわんこの場合、飼主には経済的負担を強いて申し訳ないが最初の数回はただ歩くだけのいわゆる“スペンドタイム”(俗にトイレに出すという意味もあるが)となり、私は犬を観察・評価し、犬は私を観察する時間に当てられるが、それでも彼は緊張し猜疑心に満ち溢れ悲鳴を上げることがあった。

カフェに来てもレッスンは行わず、ガーデンなどで他犬や人を観察させる時間を持たせたりした結果、3回目のレッスンの頃から海斗クンに変化が現れ始めた。
私に敬意と愛着を示しレッスンに出かけるのを喜ぶようになってきたのだ。
私の手にはまだ最初の時の傷が残っていたので心情的に打ち解けるまではいかなかったが、ペースには持ち込めるようになった。

あれから1ヵ月半が経った今日、2週間ぶりに海斗クンがやってきた。
「ずいぶん時間が空きましたね」という私に
「去勢手術をして抜糸も終わりました」と飼主さん。
生後5ヶ月だから一般的には去勢はちと早すぎるのだが、既に足を大きく上げてのマーキングや他犬意識が強くなっていたので、海斗クンの性格や今後の暮らしやすさを考えて一刻も早い去勢を私は勧めていた。
獣医としてのスタンスではなく、暮らしやすい犬を育てる飼主の立場を理解しておられる先生も早期の去勢を勧めてくれるようになっていた。

久しぶりの再会に海斗クンは私の胸に飛び込んできてくれた。
まだ乳歯が残っているので甘噛みに付き合っていると痛いのだが、身体の様々な部位を刺激しても嫌な顔一つせず信頼を寄せてくれるのが分かる。
そんな今日はこれまでにない刺激的なレッスンを行ったが反応は別人のようによくなった。

攻撃的な犬のレッスンを私はできるだけ避けるようにしている。
気力や知力・感性・体力に膨大なエネルギーが要求されるからだ。
10月5日のこの欄にもうんざりした表現があからさまに書かれてあるのはそのためだ。
にもかかわらずレッスンを行うようになったのは、3ヵ月半という時期に凶暴振りを示していた犬を放置しておくことの罪悪感と飼主の方の人柄と根気であろうと思う。
私も犬と同じ一つの生き物だ。
たやすく訓練される。

海斗クンの試練はまだまだ続く
近いうちに厳しく叱る場面が必ず訪れるだろうが、その時に逆切れを起こすこともあろう。
ここが腕の見せ所なのだが、その時に私のエネルギーが満タンであるかが再び問われることになる。

こうやって頂き物の泡盛や焼酎・古酒を浴びているときは気力充実なのになぁ。
レッスン前に一杯やらせてくれたらうまくいきそうな気がする!
 

何故マウンティングはダメなのか 2005年11月22日(火)

  「いつも一緒に遊んでいる犬たちで、お互いマウンティングをしながらも楽しそうにしています。どこがいけないのでしょうか?」
そんな質問を受けた。

はじめに断っておかなければならないことがある。
愛犬との暮らし方は多様であり、飼主の性格や考え方も千差万別、同様なことが犬たちにも言える、ということだ。
だからそれぞれの生活の中で問題がなければ、どのような愛犬との暮らし方をしようとも勝手でありユニークであり微笑ましいものである。
例えば多頭飼いの中でマウンティングがあるとか、馴染みの犬たちとの集まりの中でそのようなことがあって、犬も飼主もそれを受け入れているような場合は『いいんじゃないですか、お好きにどうぞ』だ。

問題となるのは“社会との関わり”の中においてであり、全く悪気なくマウンティングを常習としている犬が、ドッグランやカフェ・ペットと泊まれる宿などでお気に入りの犬を見つけ、マウントしたらどういうことが考えられるだろうか?
・相手の犬が嫌がる
・恐怖を感じる
・怒り出しあるいは突然攻撃行動も起こす
・飼主が不快感を示す
などは普通に見られることである。

マウントする犬がどんなに性格がよかろうと悪気がなかろうと、そんなことは相手には関係のないことであり、相手のことを考えずにアクションを起こしていることに問題があり、それが分かっていながら見過ごそうとしている飼主に重大なマナー違反というか非常識さがあるのだ。

去勢していないオス犬のマウントを大目に見ようとするのはもってのほかである。
繁殖やショーを含めた多様な飼い方があるから去勢が絶対必要なことでは勿論ない。
だが、繁殖犬としての眼で他犬を見る犬の飼主は限定した中での社会と関わるべきであり、どこでもOKという考えは諦めたほうがよい。
例えばそのような犬とペンションなどに泊まればマーキングや他犬意識に基づく行動が多く見られ憮然とされるだろう。

去勢している犬はどうか?
そのうちの何割かは去勢していない犬と同様の行動が見られるかもしれない。
しかし、絶対的に違う点が少なくとも二つある。
ひとつは眼の色でありもう一つは、思い切った矯正ができるということだ。
つまり本気度の違いであり、去勢されていない犬に異性を意識するなといっても内からこみ上げてくる欲求を抑えるのは酷だが、去勢されていれば毅然と対処できるということだ。

マウンティングとは相手がいないとできない行為であり、それを不特定多数の中で行うことは不快感やトラブルのもとになり、場合によっては相手の身も心も傷つくことになるストーキング以上の実害をもたらしかねないから止めさせたほうがよい。

とはいえ、仔犬だってマウンティングをしている他愛のない行為でもある。
目くじらを立てるつもりはないが、その先を考えなかったり相手に無配慮な行為は慎むべきであろうし、まるで人の子供をみるように『犬だから』と思っていると手痛いしっぺ返しを受け不愉快になりますよ。
 

アフターファイブ 2005年11月20日(日)

  さっきまでクッションで寝ていたお泊まり犬チビ(チワワ)の姿が見えない。
そおっと立ち上がってKの部屋を覗いてみると、ベッドで本を読んでるうちに眠ってしまったらしい彼女の隣りに潜り込んでいた。
叱ればKが起きるだろうからそのままにしておいた。

しばらくして携帯にメールが入った。
『チビめんこいよ』
自分が起き上がればチビも起きてしまい、めんこい姿を私に見せることができないと思ったKからのメールだった。
『さっき覗いたよ』と返信すると
『なんだバレとったか』

1階のカフェで寝ていたレオンベルガーのジェニーが様子を伺いに上がってきてKの部屋に入っていった。
いつものように鼻先でKの頭を突ついてからかおうとした途端、毛布の中に潜んでいたチビがウツボのごとくニュッと飛び出しガウガウやったものだから、驚いたジェニーは慌てて部屋から出て行った。

その騒ぎを聞きつけたラブラドールのウィンピーが居間を駆け出しKの部屋に入っていった。
チビの存在にすぐに気づき距離を置いてうろうろしながらも『お、お前、いいなぁ。そこってベッドだろう。そんなとこで寝ていいのかよぉ!』と羨ましそうな眼で訴えていた。

すると今度は居間からトイプードルのテディの吠え声が聞こえ始めた。
『ねぇねぇ、そっちで何が起こってるのさ?僕を釈放して見せてくれ!』
もう5日目とはいえ初めてのお泊まりでもあり、まだ十分に信用されていないテディは係留中の身。

昨日買ったばかりの毛布で寝ていたチビはしばらくすると暑くなったのだろうか、それとも自分の威厳を鼓舞するためか、ベッドから降りて犬たちがいる場所をうろうろ巡回している。
「オシッコ行くよ」
そう言ってKがチビを連れて行った。

「こらっ!チビ! マテって言ってるでしょ!足も拭かないで!」
階段をもこもこと駆け上がるチビの後ろでKが叫び、2階で捕獲されたチビは『デヘッ!』と耳を後ろに引いて従順を装い、我が家の夜は更けていった。
 

飼主には内緒です 2005年11月19日(土)

  「家ではドッグフードだけしか与えていません。混ぜ物(副食)は無しです。量は38グラムに限りなく近い37グラムです」
そういわれてお預かりしているトイプードル君に昨日少しだけお肉を入れてしまった。
同じくお泊まり犬のゴンタが大きな眼で『ちょっとだけでかまいませんのでドライフードにお肉でも混ぜていただければ美味しく頂けるのですが…』と訴えるので、焼肉にし細かくきざんだのだが、少し余ってしまいついトイプー君にも出来心で混ぜてしまった。

人というのは弱いものである。
一度禁断の世界へ足を踏み入れるとなかなか抜け出せなくなってしまい、相手がある場合巧みにその弱みにつけ込まれてしまう。

そもそもいくら良質とはいえドライフードだけでは見た目に美味しくなさそうだし、来る日も来る日も同じものじゃ身体にいいものもいずれアレルギー反応が出て受け付けられないものに変わってもおかしくない…などと犬に代わって弁明を始めようとする始末だ。

グルメ犬にする私でもないし、人が食べてる時にお裾分けを与えるような愚かさもない。
ウンチの状態や体型・体質も観察しているつもりでもある。
でも一緒に暮らしていると健康に配慮した上で、ちょっとバリエーションをつけてあげたくなってしまう。

それなのに預かった日のウンチよりも今のほうが量が少ないのは何故だろうと思う。
きっとおやつなどの間食の違いではなかろうか?
カフェでは間食を定期的に与えることはない。
食事で様々な配慮をしているわけだから、間食はその日の運動量や突き詰めれば気まぐれで与えることがある程度だ。
実はそのことが犬たちの期待度を高め、指示を聞き分けおりこうさんに振る舞おうとすることに役立っている。
そしてお利口になればなるほどカフェではノーリードを許されたり、ソファに上がることを黙認されたりと待遇が変化し、まずいことをすればひとつ前の待遇に戻されてしまう。

依頼主の指示に従うことが私たちの仕事なのに、いけない事をした言い訳を書いてしまった。
でも、しつけのできていない犬をフリーにすることはできないし、いい子になった犬にそれなりの待遇を与えずにはおられないのが“私たちのカフェに愛犬を預けるということ”だと理解していただければありがたい。
それがダメなら『断固ドライフードだけですよ!』と念を押していただければ短期間なら可能だと思う。
今回のトイプードルの飼主は私にそれだけの強い念を押さなかったと私は勝手に解釈してしまった。
ここだけの話ですぞ。
 

ひたすら生還を待つ! 2005年11月18日(金)

  昨日突如意識不明に陥った友がいる。

8歳も年上だから彼が私を友と思ってくれているかは分からないが長い付き合いの中で私にとってはかけがいのない友だ。
経営者であり一番働く社員だ。

納品のため訪ねた受注先で誰に気づかれることもなく倒れた。
どれくらいの時間が経っていたかは分からないが、そこの社員に発見されたときには既に心肺は停止しており救急車の中での蘇生もできなかった。

連絡を受けた妻は着の身着のままタクシーに飛び乗ったが財布は勿論小銭すらもっていなかった。
事情を知った新雪交通の運転手は「手持ちがなければ困るだろう」と5千円を握らせてくれたという。

搬送された病院で彼の一命は取り留めたが今日になっても意識は戻っていない。
「容態は安定しています」という医師の説明に「安定なんかして欲しくない!早く起きて!」と彼の妻は心で叫んでいた。
「もう少し眠らせていてもいいけど、いつまでも起きないようだったら頭からビールをぶっ掛けてやれ!」
私はそういうのが精一杯だった。

私たちの世代の身体は戦後の様々な化学汚染で満たされている。
長寿社会というのは汚染される前に育った戦前の人々の現在の寿命であり、たとえ植物状態になっても簡単には死なせてくれない医療の発達が支えていることも考えなくてはいけない。
誰か問題提起する先生が書いていたが、身の回りを見て戦後生まれの寿命は40数歳であることは否定できるものではないと改めて思う。

来年還暦を迎える友の死を容認しているのでは決してない。
それは彼を取り巻くすべての人間の思うところであり、私たちは彼が生還してから“元気にしているときにどう生きればいいと思ったか?”を根掘り葉掘り聞き出したいと思っている。

彼には絶対生還して欲しい。
家族が時間にとらわれることなく看病でき、彼が戻ったときに会社が存続していなければ申し訳ないと友人たちは奔走している。
私にできることは彼の愛犬ウィンピーを預かる事くらいだ。
ICUにウィンピーを連れて行って彼の頭を掻きむしさせれば悲鳴を上げて飛び起きるような気がしてならない。
何か他にできることはないだろうか?
彼を知る皆が今そう考えている。
 

団塊の世代へ 2005年11月15日(火)

  札幌における11月の太陽は昼時であっても危ういほど南に傾き申し訳なさそうな陽光をみせているが、凛として冷たく冴え渡る今夜の月は、おぼろであるにもかかわらず天高くガーデンを神秘的に照らしている。

2007年問題というのがある。
これまで戦後社会を支えてきたいわゆる団塊の世代が定年を迎え、国内企業のなかで熟練・匠の技術を持った人々が一線から離れてしまうことに関わる憂いである。

“一人の人間がいなくなったから困るような組織であってはならない”というのが経営の鉄則であり“俺がいるから組織は機能している”と思えるのが働くものの誇りである。
そして現実は経営する側も働く側も、例えばそれぞれの個人に突発的な死があったとしても組織が必要とされていれば徐々に形態を変えつつではあろうが継続するもので、本人が思っていたほど己の存在と絶対性というのははかないものであると気づく。

組織が小さければ小さいほど細部にわたる経営上の人間関係は深まり、理解ある経営者に恵まれれば勤労意欲が使命感に昇華することもある。

個人事業を営むものが政治的宗教的思想的な発言を慎まなければ経営に深刻な影響を与えることぐらいは承知したうえでちょっと書いてみようと思う。

流れ伝え聞くニュースのなかで「ん?」と素直に受け入れられない事柄がないだろうか?
「ふぅん」と思いながらもどこか引っかかることがないだろうか?

MファンドやIT関連のニュースが多い。
停滞した経済を打開し既得権益にしがみつく亡者の足元を揺るがすような行動には庶民として『してやったり』と胸のすく思いもありちょっとした可能性を感じることもあるが、ヒトとして肉体的な労働やプロジェクトX的な苦悩の果てに勝ち得た結果ではなく、頭脳と法の網をかいくぐって得る巨万の富による力の行使には素直に受け入れられない不快感を感じるのは私だけだろうか。

昔、T商事による不法な商取引の結果、会長が無残な刺殺を受ける事件があったが、若きIT関連の人々をニュースで見るたび懸念される。

鉄道に関わる運転士が運転席に我が子を入れて4分間運転したことが通報されて懲戒解雇。
運転席からの風景を撮影していた運転手もしかり。
これらは私にとってJRの脱線事故による過剰反応と思われて仕方がない。

このことに異論(正論)がありそれらに反論できないことがたくさんあるのだが、それでも人として心に引っかかる部分があるのは何故だろうか?

理屈や言葉では分かっていても、すぐには受け入れられず引っかかる部分を現代人は分析し大切に自分なりに考えて欲しいと思う。

そして、まさにそのことを若き日に感じ、行動に移してきたのが団塊の世代の人々ではなかっただろうか?
あなた方はその後の人生の中で快適さと引き換えに当時の魂を売り渡してはいませんか?
団塊の世代の人々よ、引退したからといって今流の個人・快楽主義に走ることなかれ!
余裕という力を持ってあの頃感じた人間回帰を訴えて欲しいと願う。

北国の冬にも満月は清々と真上で輝いていることを今夜は伝えたい。
 

ああ柴犬 2005年11月14日(月)

  これまでにも何度か柴犬のことについて書いてきたが、このままではイギリスのピットブルのように、いずれ日本で柴犬の飼育禁止令がでてしまうのではないかと思われるほど噛み付かれる飼主が多く、従って相談も多くなっている。

この問題について改めて私の思うところを述べておきたい。
まず、柴犬の名誉のために書くが彼らは最近になって闘争的・反抗的になったわけではなく、元来日本犬の傾向として西洋犬のように、わけもなく他人に愛想よく従順であることを潔しとせず、武士は食わねど高楊枝というような凛とした気高さがあり、この精神を侮辱する者や力ずくで屈服させようとするものに対してはその身を賭してでも尊厳を貫く魂を持っている。
にもかかわらず、ペットブームの中で西洋の愛玩犬や家庭犬のような犬との暮らし方を望んでいる方が犬種特性も見極めず柴犬を買い求め、用もないのにどうでもいい命令に従わせようとしたり、忠実なことをしたわけでもないのに目が合っただけで「よしよし」と頭を撫ぜたり、一人横になって自分の世界にいる犬をまるで猫やぬいぐるみのように触ったりすることで、日々イラつかせ柴犬の精神を陵辱していることに無頓着でいる。
もしこの国でかの時代のサムライ魂を見たければ私なら迷わず「日本犬を見よ!」と答えるほど彼らは切ないほどに自我を持っているというのに。

柴犬に代表されるような日本犬と暮らすには、礼をわきまえ、共に汗を流し、敬われるほど一途であり、情に厚く心配りができるような自己研鑽が求められる。
配達途中の雪山で遭難した郵便局員を飼い犬の柴が助けたり、亡くなった主人の傍にいつまでも寄り添う日本犬の話は数多くあるが、きっと彼らの主人は愛犬に対して前記のような敬愛を受ける暮らしをしていたのだろうと思う。

別に抽象的・情緒的なことを書いているのではない。
柴犬と暮らす場合は、礼をわきまえ=柴の特徴を知った上で正当に求めるべき礼儀を教え、共に汗を流し=生活の中に犬がいることを当然と受け止め、犬にも人の生活をしっかり見せ、共に散歩し遊びちょっと苦労する冒険のような体験を重ね、敬われる=命令魔になるのではなく自分の生活を愛犬と共に行うには絶対指示に従わせねばならぬ時があり、その意義がお互いに通じ合うほど場数を踏み、情に厚く=共有しあえた時間と多少のミスはあったかもしれないが、うまく達成できたことに対して「よくやった」の心からの言葉をさりげなく伝えれる情感、そして心配り=愛犬に対してのブラッシングや手足の手入れもあろうが、周囲に対して『我が犬は最高なれど、それは主人である私に対してであり、我が犬はあくまでも凛とした日本犬であるから慣れ慣れしくするのもされるのも潔しとはしない』ということを自覚し配慮しておくことである。

気がつくと夜中の1時半をとうに過ぎてしまっている。
すでに問題を抱えてしまった柴犬の対策を書きたかったがこの続きはいずれ。
 

冬を楽しもう! 2005年11月13日(日)

  夕べは『あずましいカフェをめざす』などと書いておきながら、今日の午後のカフェはあずましくない状況になってしまい申し訳ありませんでした。
暖かい時期はガーデンがオープンカフェとして活用できたが、こう寒くなるとたとえわんこたちは楽しそうに駆け回っていても、季節の変わり目で温度計よりも体感温度ははるかに低く感じる中、長い間外で耐えていただいた飼主の皆様には心から感謝いたします。

『じゃぁ今後改善の見通しはあるのか』と問われれば「ない」としか言えない現状であり、可能性としてはイグルーかパオ、いやワカサギ釣り用のテントがいいところではないかと思っている。
つまり最も現実的で効果的な方法は皆様の自主防衛であり『土日祝日のカフェはたまーに込み合っていることがあるから、外にほっぽりだされてもいいように完全防寒の装備を車に積んで行こう』という周到さと気合である!と頭を下げたい。

勿論、混雑している=あずましくないというわけではないから、今後とも様々なニーズにできるだけ対応させていただけるようご利用をお願いします。

外はどうしても苦手という飼主やわんちゃんには平日がお勧め。
情けない話だがとりわけ午前中は閑散としており、あずましいですぞ。(注、北海道では普通あずましいという表現は使用せず、あずましくないという用い方が一般的)

まもなく本格的な冬を迎えるが、雪と寒さをどう楽しむかが北海道の醍醐味でもある。
 

あずましいカフェをめざして 2005年11月12日(土)

  お泊まりわんこがそれぞれの家庭に引き取られたとなるや、私とKは里塚温泉へ一直線!

でもなんか違う。

カフェの後片付けをして夜の7時前に着いて夕食を済ませ、温泉で入念に身体を洗い、恥ずかしげもなくヨガのポーズをとってほぐしてみたものの、湯上りのあとわずか30分ほどで「帰ろうか?」と二人の意見は一致して家でのんびりすることになった。

あずましくないのだ。
土曜日の夜とあって温泉はそこそこ混んでおり、いつもなら平日の昼前に行って夜遅くまでの時間を、思い思いにうだうだと過ごし、飲み食いし、本を読んではうたた寝して過ごし、思い出したようにまた温泉に入るという快適パターンでやってきたのに今夜は勝手が違いあずましくない、つまり標準語でくつろいでのんびりできる状況ではなかったのだ。

そうとなれば間違いなく快適でうだうだ過ごせる場所は今の私とKにとっては自宅となる。

ところで、女にとってはどうか知らないけれど、多くの男は自宅がとてもくつろげる場所とは言えないのではないだろうか?
若い頃は外に興味や楽しみがあるものだし、3、40代になって仕事が大変になると家は単なる休養のための中継地点となり、定年間近になっていそいそと帰宅しても明らかに自分の存在そのものに違和感というかもっとはっきり言えば“迷惑”を訴える家族の空気を感じさせられる羽目になる。
つまり男にとっての自宅とは、ゆっくりのんびりできるという幻想を抱く空間であり、そうしたいと思うようになった頃には遠のいていき、強引に貫けば弾き飛ばされるか壊れてしまう、まるで虹のようなシャボン玉のようなものと定義することができる。
そして恐らく女にとっての自宅とは“亭主のいない快適空間”…なんて書いたら批判と快哉のどちらが多いだろう?

おかげさまで我が家では自宅が二人にとっての快適空間となっていることが嬉しく、その快適さのお裾分けがカフェの営業である、なんて一度言ってみたかったが勿論お裾分けをいただき、『おかげさまで』成り立っているのがカフェである。

私たちが平日の温泉で享受しているような快適さを、カフェを訪ねてくださる方にもワンちゃんを介して提供できたらいいなと思う。
 

カフェデビューの適齢期 2005年11月11日(金)

  『そろそろお引取り願えませんか?』と丁重な冬将軍の先兵の申し出に対し、腰が重く居座り続けていた暖かい秋に先兵が業を煮やしせめぎあいを繰り広げているような昨今の気候だ。

そんな不順な天候の中、初めてカフェを訪ねてくれた生後5ヶ月と6ヶ月のポメラニアンとMダックスがいた。
ポメの方は人に対して愛想が良いけれど他犬には吠えや唸りが見受けられ、Mダックスはお母さんと自分の世界に引きこもっているようだ。

「いい時期に来られましたね」
その意味が何処まで飼主の方に通じたかは分からないけど、私はそう話した。

ポメにせよMダックスにせよ、可愛い二人のわんこには将来の懸念が私にははっきり見て取れた。
今後の成長の中で、室内犬として暮らすうち身の程を忘れ分をわきまえることもなく、それでも愛され可愛がられることでそれぞれの犬たちは片や吠えるだけでなく他犬に対して立ち向かうほどの虚勢を張るだろうし、片や家族以外との接触にバリアを張ってしまうだろうと思えたのである。

いい時期にカフェに来られたことで最初は緊張していたものの時間の経過と共に慣れ始め、少なくとも大型犬に対して眼が慣れ今後の展開に良い刺激となったはずだ。

大人になり問題が顕在化してから対処するよりこの時期から適度の刺激を与えながら楽しく育てるほうが人も犬も楽しく学べる。
 


- Web Diary ver 1.26 -