From the North Country

ドッグラン 2005年10月18日(火)

  愛犬をリードから解き放し自由に走らせることは、犬だけでなく飼主にとっても喜びだ。
犬の表情がぱっと明るくなるし、しばらく自由に匂いをかいだり駆け回ったかと思うと、今度は『何か楽しいことしませんか』とばかりに飼主を促すように駆け寄ってくる。
絆を深めたり呼び戻しやマテの訓練にも最適な状況である。
もし、気の合う仲間でも加われば人も犬もリラックスした中で充実した贅沢と感じる時間を過ごすこともできるだろう。

ドッグランを利用する方々はそんな思いを胸に出かけられるのだろうと思う。

しかしながら現実のドッグランでは、無作法な犬に追い回されたり、ボールの取り合いで大喧嘩を始めたり、性欲の対象にされたりと“まともな犬”が所期の目的を達成して満足度を得る確率はそう高くない。

追い回すほうの犬の飼主は他犬や弱い犬の飼主に対する配慮が低くなる傾向がある。
喧嘩っ早い犬と分かっていながらドッグランなどに連れて行く不届き千万な飼主は論外としても、悪気は一切なく『遊ぼうよ!』と陽気だががさつで非常識な犬の飼主は相手のこと思い計り必要ならしばらくリードに係留する配慮が求められるだろう。

もし他犬に慣らそうとの優しい親心で、公園デビューの感覚でドッグランを利用しようとお考えなら、余程信頼のおける管理された場所か、ベテラン訓練士を同行させるか、慣れた仲間と貸切にするかを選んだほうが良い。
安易に闇雲にドッグランで愛犬を遊ばせるということは、どこかの国の無法地帯にノー天気な日本人を送り出し旅をさせるようなものである。
ドッグランを利用するなら、飼主にそこの治安状況を瞬時に判断する能力と緊急避難の心得を身につけておく必要がある。
「失敗しちゃった」では済まされない心(時には肉体)の傷が根強く愛犬に残ることを飼主は知るべきである。

愛犬をノーリードにしコントロールできることは真のヒューマンドッグライフを楽しむ上で絶対的に必要であると思う。
その練習場所のひとつとしてドッグランも挙げることができなくはない。
ただ『ドッグラン』=『楽しい場所』ではなく『非常に危険を伴い、配慮とマナーも要求されるから周囲の状況を絶えず観察し、対処法を身に付け、それでいて楽しむ余裕を持つことができる眼と心を飼主は培い、愛犬に対してマテと呼び戻しの実践を修練する場所であり、これらがうまく進めば楽しい仲間との出会いがある場所』と考えたほうがよい。
まさにカフェのガーデンがそれである。
 

甘かった希望的観測 2005年10月17日(月)

  読みの半分は甘かったようだ。

昨日からお泊まりで、『楽しく暮らせそうだ』と感じていたボーダーが誤算だった。
夜の排便に出すとすんなりオシッコをしたし、夕方にはウンチもしていたので「お休み」と声をかけて電気を消した。
すぐに私は痛みを感じ、炎症を起こしている背中と手の甲にタイガーバームを塗るのを忘れたことに気づいて再び電気をつけたとたん驚愕した。
ボーダーはベッドの周りに大量のウンチをしていた。しかも軟便。
普通、フーンとかクゥーンとか言うだろう。
一切が無言かつ物音一つない中で粛々と行われていたのだ。

翌朝目が覚めるとやはりウンチに加え嘔吐物があった。
何やら紐状の布切れのように見えたが、カフェの物ではなく自宅かどこかで食べていたものだろう。
朝から予期せぬ大掃除となり、お泊まりを受ける側の苦労をしみじみ感じた。
しかし、辛いのはボーダーも同じで、異物を食べていたためかお泊まりによる精神的な緊張かは分からないが肉体的に辛いのは彼女であろう。

カフェに来てまもなくの排便もゆるかったし、フードが体質に合っていないことも考えられたので、カフェで販売している上質のフードを与え様子を見ることにした。
以後、今日の排便はまだない。
夜には時間をかけてしっかりウンチをさせておこう。

相棒のキャバリア君は予想通り、他犬のまたぐらに頭を突っ込みヒンシュクをかっていた。

まだ初日を終えたばかりのお泊まり生活だから、これからに期待をしている。
両方のわんこ共に痩せ過ぎの体型をしており、体質なのか精神的なものかあるいはフードが体にあっていないのか調べる必要もある。
お返しする時には良好便で体調の良い状態であるよう心を配りたいと思っている。
 

またいつもの持論 2005年10月16日(日)

  眩しいほどの満月が夜空に輝いている。
その美しさにホッとため息を出すと今日一日のひどい疲れから解放される気分だ。

カフェには一度しか来店したことのないボーダーコリーとキャバリアのお泊まりが今日から始まった。
外ではトイレができないと伺っていたボーダーは、ガーデンでオシッコもウンチもしてくれた。こんな大きな体をして室内のペットシーツでされてはたまらないから本当に助かった。
性格はいいようだから楽しく暮らせそうだ。

相棒のキャバリアのほうが犬種特性を考えると暮らしやすいと考えていたが、やはり玉付きわんこは犬種に限らず暮らすうえで厄介なことが多い。
ガーデンでは犬同士の遊びではなく、オスとしてお気に入りの犬を物色しているし、オチンチンの周りは果たせぬ夢の空しい形跡で黄色く汚れがこびりついてしまっている。
ガーデンに出るということは、刑務所暮らしが長い男を合コンに参加させるようなもので、「冷静に」と言っても余程の人格者でない限りできっこない。

繁殖予定のないオス犬を去勢もせず暮らせる飼主の残酷さに対して『わが身に置き換えよ』と言いたい。
そして、ふと、自然界の交尾を許されない弱いオスたちのことを考えた。
きっと彼らは戦わずして無条件降伏したわけではあるまい。
必死で交尾相手を探し、本能に従ってライバルと戦い、敗退したはずである。

どんなに弱い犬にでもそれぞれを愛する飼主がいる。
その飼主がペット社会の中で血みどろの決戦を望んでいるとは到底思えないのに、去勢に関して無関心でいられるのは私には信じ難いことである。
せめて、『今度こそ勝つぞ!』と次のチャンスが得られるようなワンワンワールドの世界で一緒に暮らし、一般ペット社会とはあまり関わらぬことが肝要である。
 

問答 2005年10月15日(土)

  「うちの犬って○○○なんだよねぇ」という話をよく聞くし、光景を目にすることもある。
例えば帽子を被った人を見ると吠えてしまうとか、ボール遊びしているうちにラッコのような遊び方になるとか、服を着せると石のように動かなくなる等、ひょっとしたらすべての飼主が形態は異なるにせよそのような話題を抱えているとも言えるだろう。

ただ、犬がラッコのようにボールと遊んでいたからといって「何とかならないでしょうか?」と相談に訪れる方はいないけれど、吠えてしまうとか雷の音にパニックを起こすという相談は受けることがある。

つまり対人的な不快とか日常生活を平穏に送れない場合には問題行動と認識されているようだ。
犬にしてみればある種の刺激に正直に反応しているだけでそこに善悪があるとは思っていないはずなのだが。

飼主こそが将来の犬との暮らしを見据えた上で、良いこと・悪いこと・求めること・不快なことをしっかり認識して愛犬と付き合うことが寛容と思う。
少なくともワンワンと吠える犬に「おお、よーしよーし。どうした?大丈夫大丈夫」という接し方が未来を暗くすることを知っておかなければならない。

吠える理由はどうあれ、『わめき吠える』状況を即座に静止できる術を身に付けるべきだろう。
そのうえで『うちの子はこういう状況で吠える傾向がある』ことを学び、次に対処する経験とするのが利巧といえる。

問題行動の傾向を知り、その兆候と思えるものはさりげなく排除する育て方はネガティブともいえるが、そこを押さえた上でポジティブに接することが犬育ての原点のように思えて仕方がない。
人は自らが経験しなくても学べる生き物だと思うのだが、愛犬育てにも当てはまるのだろうか?

『宇宙飛行士になるための訓練』という言葉に違和感はないだろうが『宇宙飛行士になるための調教』という言い方はおかしいと感じるだろう。
私は犬たちに対して“調教”という言葉を使うことはない。
その違いがどこにあるか皆さんにも考えていただきたい。
酔いに任せたわけの分からないことを書いていたら深いテーマになってしまった。
 

この休日 2005年10月14日(金)

  定山渓ダム(札幌湖)に少し早めの紅葉を見に行った。
美しさをめでる前に眼前の景色の記憶から頭をよぎったのが「ああ、去年スーと来た所だよね。ここを歩いて、あそこで遊んだんだ」という予期せぬ当惑だった。
日常の生活からはスーと別れた悲しみは殆ど消え、思い出となった小さな出来事に心揺らすことすら楽しみに感じていたはずであった。
それが気晴らしに出かけたドライブ先で突如としてタイムスリップしてしまったのだから二人とも少なからず驚き嬉しくなった。

その後、里塚温泉でのくつろいだ半日を過ごしていると世間は狭く、WHホワイトテリアのミントちゃんの飼主ご家族とバッタリのハプニングもあったが、数週間ぶりの休日を年齢にふさわしい時間の流れで楽しませてもらった。

仕事再開となった今日は、雨天との予報が災いしたのかカフェは曇天にも拘らずのんびりしていた。
緊張したのは先日紹介した生後3ヵ月半の柴犬のレッスンを行った時くらいで、指先を噛まれたものの皮手袋が出血を防いでくれた。
「先日予防注射をしてきました」
「それで?暴れませんでしたか?」
「ええ、大丈夫でした」
この柴犬、カフェでも普通に触れるし外見はいい子に振舞えるのである。
しかし、私は飼主の手や腕に生々しい傷跡があることを見逃してはいない。
その場はうまくやり過ごせたとしても生活し続けるうえでの実情を理解し飼主の訴えに共感してしまう。

ともあれ、今日は休み明けの仕事始めで無理はしないしお泊まり犬もおらず、夜には本当に久しぶりになってしまったヨガの講座を受講し心身ともにリフレッシュできた。
明日から頑張れる体勢は整っているはずだ。
いつものことであるが、我ながらうまい時間の費やし方をしていると思う。
 

ご褒美は人にも必要 2005年10月12日(水)

  気が抜けたような脱力感とその隙間を埋めるように疲れがどっと出てきた。
しばらく続いていたお泊まり犬たちを今夜無事お返しすることができたからだ。
お預かりしているわけだから、どんなに親しいわんこたちでもやはり気を使う。

気を許すあまりの逃亡は織り込み済みだけれど、最もあり得る危険である。
室内で開放している分、予期せぬいたずらや排泄の失敗予防に目を光らせなければならない。
美味しいと思わせる食事を与えたいが、肥満度やウンチの状態アレルギーの有無に配慮が必要だ。
日中は看板犬を努めてもらっているが、訪ねてくる犬によっては危険もあるから即座に相性を見極めて対処しなければならない。

ただ当たり前と言えば当たり前、不思議と言えば不思議なことで、お泊まり犬同士のトラブルは皆無と言っていい。
ある種のコミュニティーが出来上がり、他人といえども仲間なのだろう。
つまり、同じ釜の飯を食う犬たちは犬種や経歴は違えども、私を中心にそれぞれを認め合うことになっている。

ここで注意すべきは『犬って凄いな』と思うことではなく、コミュニティー以外の犬たちに対してより排他的になる生き物だから、それは私の望むことではないということを犬たちに毅然と伝えることであり、その兆候を発見したときに対処しなければならないことも、お泊まり犬を受け入れる際に神経を使うことなのである。

まあ、そんなこんなのお泊まり犬から開放され、今夜はどっと疲れがでて且つ自由な夜となった。
誰しもそうであるように個人的な心配事も背負っているから、奔放とまではいかないけれど、今夜と明日の定休日はKと私にいろんなご褒美が許されるはずだ。

私たちにとってのご褒美は里塚温泉で充分である。
明日は天気もよさそうだからそれにドライブでもプラスすれば最高の休日になるだろう。
 

飲み会の前に 2005年10月11日(火)

  今日ひょっこりと秋田の力がカフェに現れた。
いろいろ事情があったようだが私に会うのも大きな目的で、今夜一緒に飲むことになり、その前に慌ててこの欄を書いている。

さて、力を案内してきたのがパピーウォーカーのM氏と人妻MでM氏は黒ラブのごんたを伴い、人妻Mはウィンピーを連れていた。
彼女は盲導犬の適性にはずれキャリアチェンジとなったウィンピーを引き取り、再教育して姉妹の家で暮らしせるようにしたいらしい。

1ヶ月以上の盲導犬協会での生活がウィンピーには負担だったようで、一目見てその緊張感とストレスによる表情の変わりように驚かされた。
しばらく様子を見て、刺激を与えたり散歩に連れ出してみた私なりの結論は、「出所した人間ならしばらくは旨いものと温泉にでも入って休養したいと感じるだろう」というもので、実際のところ1ヶ月のストレスを受けたのなら最低2ヶ月は回復に必要だろうと思った。
警戒心と緊張感が強い犬は盲導犬には不適格だから、次の生活を考えたならもう少し早く結論を出してあげればよかったのにと感じる。

カフェでのウィンピーはいつものようなリラックスはできず、絶えず人妻Mの傍から離れたくない様子だった。
時間を費やすというか時の流れが今は必要だから、気楽にのんびり多少は羽目をはずすことも受け入れるしかないだろう。

もう一頭のごんた君は生後4ヶ月というラブの元気さを発散していた。
カフェをやって気づいたことは、盲導犬のパピーのほうが一般のラブよりも活発で制御が大変なことである。
すさまじい動きに全く悪気は無いのだが、他犬には大いに迷惑となる。
この活動性は将来頭の良い犬になる前に引き起こされる脳内の化学変化による爆発だろうと私は思っている。

時間となった。
酒による脳内の大爆発を力と共に起こしてこよう。
 

悲しいけれど愛情だけでは… 2005年10月09日(日)

  カフェを訪ねてくださる飼主の、愛犬に対する思いには人としての優しさを感じさせてくれることが少なくない。
その思いに愛犬が応え、羨ましいほどの繋がりをみせてくれる時、心はほのぼのとし温かくなる。
しかし、飼主の愛情が如何に優れていてもそれに反する態度を示す犬は意外と多く、どうやら飼主の優しさだけが愛犬との楽しい生活を保証するものではないようだ。

いいわんことめぐり合えた時は、愛情だけでうまくいくことも大いにあり得るが、そんな曖昧なことで自分たちの生活を賭けるわけにもいくまい。

今日のカフェにも優しいご夫婦が困った犬を伴って来店されていた。
「前犬のポメラニアンには手を焼いていたのですが、この子は大人しかったものだから、いい子に育つと思ってました。それが…」
物腰が優しいだけに気の毒だったが、せめて前犬の失敗を活かしておけばよかったのにと残念に思った。

小型室内犬であるがために仔犬の頃はか弱そうに見えて必要以上に寵愛され、世間を知らないまま成長を続け、家族の懐や膝の上が安住の場所となる。
自宅内が自分の(安全な)世界と認識し、来客などの侵入者を排除しようとの意識が芽生えるのは自然な流れだろう。

仔犬の頃の感染症にはそれなりの配慮も必要だが、飼主の役目は犬体の安全にのみ向けられるべきではなく、人と暮らす上での基本ルールを並行して早期のうちから学ばせるという意識が一般的に認められるようになって欲しい。
微力ではあるけれど、その一助となりたい。
 

自力と他力の使い分け 2005年10月08日(土)

  「あんなこと書いて大丈夫ですか?読むほうは面白かったけど」
前回のこの欄に書いたことを心配して何人かの方が忠告してくださった。
「じょぶじょぶ、大丈夫」
私はニコッとしてそう答える。

夕べからの雨とスッキリしない空模様で3連休初日の来客は少なかった。
「ガーデンのコンディションも悪いし、今日は暇でありますように」と経営者にあるまじき言葉を朝から口にしていた。
『今日はお泊り犬で日銭は稼げる』という将来を見据えない甘い生き方がその根底にあり、一方でこのカフェの将来を危ぶむ気持ちもあった。

でもその祈りが通じたおかげで、勇ましく吠え立てながらやって来た初来店の黒ラブに、せっかくの休日の午後を楽しんでいた時間がぶち壊される被害を受けた方も少なくてすんだ。

そのラブはハルティ(ジェントルリーダーも原理は同じ)という牛馬に用いられる鼻先?制御の原理を用いた他力本願の口輪をしていた。
紐が接触する鼻の頭は禿げてしまっており、マズルコントロールが必然的になされるから、引っ張ることは無かったけれどメンタル面までは制御できないから吠えまくっていた。
そもそも引っ張り防止や無駄吠え防止などの創作道具はいろいろあるけれど、飼主がきちんと対処しないと根源的な問題は解決しない場合が多い。
一つの問題行動を解決しようとしてその部分にだけ有効な小道具を使っても、結局は他の面にポコンと膨らみ(新たな問題行動)が生まれるだけだろう。

この勇ましいラブのリードをハルティから首輪に付け替え、ちょこちょこっと私が制御した途端、まるで石炭がダイヤモンドに変わったような輝きを見せ始め、私自身いや驚いた驚いた。
いつも書いているように私の制御というのは叱るのではなく我に返すということであるから、このラブもキョトンとしていたが、そのうち『頑張らなくてよい』気楽さが気に入ったようにとてもリラックスするようになった。

初対面の印象が悪い分、『いい子だ』と思うにはギャップがあるが、それを乗り越えて私に『いい子だ』と思わせたのだからいい子なのだろう。
「問題は飼主にある」と言ったら、また皆さんを心配させることになるので、「飼主の方がちょっと学べばもっともっといい子になる」と言い換えておこう。

「凄い!うちの犬じゃないみたい」と感心してくれるのはありがたいけど、飼主にそうなる方法を分かりやすく伝授する話術と技術を身に付けていないのが悔しいし、犬に教えるより人に教えるほうがずっと難しいと感じる。

夜、生協に買い物に行ったKが、「ずいぶん空いてたよ」と驚いていた。
暇だったのはカフェだけではなかったようでホッとした。
 

心の叫び 2005年10月05日(水)

  今日は数日来の疲れもあり落ち込みのひどい一日だった。
秋晴れの爽やかな日でもあったので、私はガーデンの草刈に励み、数少ない常連の方と午前中はとてもリラックスしていた。

午後に入ると、問題犬チワワの茶々丸クンがやってきた。
気に食わないと飼主まで血に染めさせてしまうワンちゃんなのだが、飼主の方は本気で“茶々丸改造計画”の拠点としてカフェを選ばれたようだ。
血統的な要素が茶々丸の攻撃的・反抗的な性格を形成しているので、改造にはかなりの時間がかかることを初回来店時にお話しておいた。
ここでめげてしまう飼主が大半なので、以後来店は無いかと思っていたら週に何回も来店され私自身驚くと共にその本気度を感じ始めている。

そんな時間も束の間、次にやってきたのは生後3ヵ月半の柴犬だった。
1時間ほどガーデンでの様子を見ていたら、飼主から「本気で噛んでくるんです。どうすればいいでしょうか」という相談。
『さもありなん』と思わせるほどの闘魂溢れたガイである。
レッスン依頼をしぶしぶ受け、『たかが3ヶ月半』と大いに油断し、噛まれることの事前の準備もしていた私を奴は本気で噛んできおった。
右手に負傷を負いつつ手篭めにすると、近隣諸国に届きそうなくらいの悲鳴を上げ、その声だけは『か弱い僕に何をする!動物虐待で訴えてやるぞ!』と叫んでいた。

ショートレッスンを行いながら、この犬の将来の危険に思いを馳せた。
柴犬のブリーディングを行っている君たち。
家庭犬としての柴犬を繁殖させるなら、親犬の稟性の中に、人に対する一点の攻撃性も無い犬しか繁殖に用いるな!
もし、柴犬保存会(ありそうな会ですな)のように、日本古来の勇猛果敢な柴犬を継承したいと考えているならその子孫を、愛玩犬として暮らそうと考えて購入する善意の一般人に及ばないよう専門的な人々で受け継ぐ配慮をしろ!
そんな怒りが沸々と湧き起こっていた。

気を沈めカフェに戻った私は飼主に告げた。
「このままほうっておくと大変なことになりますよ!」
カフェではこのパロディに笑いが起きたが、恐らくこのままだと家族は勿論、他人や他犬に大怪我をさせる犬になってしまうだろう。
そうなればこの柴犬の命すら危うくなり、それなりに付き合うのときちんと対処することのどっちが動物愛護に繋がるのか、法律の適用基準を明確にしてもらわねばならないと思った。

行政は『訓練が行き過ぎている』という通報を受ければ訓練した人間を処罰し、『噛まれた時点で報告してもらえればその犬を殺処分できたのに』と訓練者に同情するだろう。
『こんな犬でも運命でめぐり合った犬だから何とかしてあげたい』という飼主の思い入れと『ならばできるだけのことで何とかしてみよう』という訓練者の葛藤は、二の次とされてしまうに違いない。

『余計なかかわりは持たないほうがいいと』半分思っていたら次の来客。(今日の話は長くなりそう)

遠慮がちに申し訳なさそうに、「5ヶ月前に駐車場に捨てられていた犬を飼いました。獣医さんに聞くと柴犬と北海道犬の雑種ということですが、とても困っています」
(最悪!…)私の憂鬱は頂点に達した。

連れてきた犬は恐怖におののき、地面に這いつくばって抵抗していた。
胃がきりきりしながらも私は作り笑顔を浮かべ、ガーデンに招き入れた。
捨てられた過去の経験、その間にあった恐怖体験、空腹と絶望、今となっては想像の域を超えることはできないけれど、決して消えることの無い記憶に支配された犬がそこにいた。

でも、柴犬と北海道犬のミックス?
いい加減なことを言う獣医もいるもんだ。
純粋な雑種で洋犬の血も入っており、混じった犬種を特定するなんて不可能、少なくとも柴と北海道犬の混血ではないじゃないか。

レッスンを行いアセスメントの結果を私は告げた。
「この犬は何とかなりそうです。しばらく通えますか?」
「はい!」という飼主の声を掻き消すように「えぇー!いいなぁ!」という声が先の柴犬の飼主から聞こえてきた。
『まだいたのか!』
商売人として禁句の言葉が口から出そうになった。

両者ともカフェを気に入ってくれたようで、しばらくは通われるらしい。
満更でもないが、そんな犬ばかりじゃ嫌ですからね。
うちは駆け込み寺じゃなくドッグカフェですぞ!
たまたま今日は空いていたから受けただけですぞ!
心の中でそう叫んでいた。
 


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