From the North Country

カフェの内幕 2006年02月01日(水)

  今日から2月。
今月のパスタは“ほうれん草とくるみのクリームチーズパスタ”とか言っていた。
まことに申し訳ありませんが「今月のパスタセットは1050円です」とこれまたカフェがオープンしてから聞いた。
見ると、ちゃんとメニューも書き換えられていて準備の良さに感心させられた。

「5人目のお客様辺りから味が決まって美味しくできるようになったよ」とKは得意顔。
「ほお、それはすばらしい!いつもなら数日かかるのに」
4人目までのお客様、貴重なご意見ありがとうございました。

業務用の冷凍製品を使ってお食事を提供するのは簡単なことだが、カフェのスタッフは手作りにこだわっている。
まるで自分たちが楽しんでいるようだ。
特製カレーはひと口めに甘さとまろやかさを感じさせるが、次第にその辛さとコクの深さにはまり、いつもカレーばかり注文されるファンができている。
女性が食パンを2枚食べることは滅多にないが、刺激的なパニーニ(イタリア風ホットサンド)に姿を変えるとぺろりと食べることができる。
ニョッキなるジャガイモ団子の料理は、カフェをやらなければ私など永遠に知らなかったであろう。

ケーキやぜんざいもスタッフMが丹精込めて作ってくれたもので、本音はどうか分からないけど評判は良いようで、先日など母息子であんこメニューを総なめにしていってくださった方もいた。

私だって怠けてばかりはおられないので、最近はレッスンを積極的に行うようになっている。
40キロ以上もあるゴールデンのノエル君に引っ転ばされそうになりながらも、逆にその体重に支えられて転ばずに済むこともあり、お互い様の状況での訓練が楽しい。
その後に歩く同じくゴールデンのカノンちゃんの体重は20キロ前後だろうか、危なっかしくてしようがない。
私が滑れば一緒に宙に舞い上がりそうで、二人とも訓練のことより自分の足元を気にしながら、端から見れば独立独歩の世界にいるようで滑稽ではないかと恥ずかしくなる。
でも相手に出来るだけ迷惑を及ぼすことなく、気遣いながら歩くことは立派な訓練であると私は思っている。
どちらの飼主も本気で付き合っていただけそうなので、私もじっくり基礎から積み上げていきたいと思っている。

組織ではなく人と人が人生のひとコマひとコマを綴っているのが現在のカフェだから、ご利用の際は過大な期待をせず寛大なお心でお付き合いくださいますよう今後ともよろしくお願いいたします。
 

運転マナーと犬を飼う資質は共通する 2006年01月31日(火)

  2日連続降雪のない、つまり除雪作業なしの穏やかな日を過ごさせてもらい体調は復活した。
今夜もお泊まり犬と我が家の愛犬の散歩を2回にわけ歩いたが身体のどこにも痛みを感じることはなかった。

ただ今日の散歩でここ数年感じていた北海道のドライバーの運転マナーの悪さというか非常識さというか配慮に欠ける無頓着さを何度も味わった。

道路交通法では右左折する場合、その30メートル手前から指示器(ウィンカー)を出すようになっているはずだが、ほとんど9割以上のドライバーは先にブレーキを踏みその後曲がる直前にウィンカーを出すことが常態化し、何のための指示器であるかさえ理解していないようだ。

ウィンカーを出す行為は、前方・後方のドライバーあるいは通行人に自分の車が次にどういう行動を起こそうとしているかを予め伝えることで、お互いが安全に、また無配慮な迷惑をかけないようにする事前通告であるはずだ。
なのに次のようなことは少なくとも札幌では毎日のように何度も経験するのが信じられない。

例1.次の交差点で右折する意思を30メートル手前から伝えてれば、直進したい後続車は車線を予め変えることができるのに、それを直前までしないものだからその真後ろについてしまい苛立ちを感じてしまう。

例2.直線道路を運転中に携帯電話でもかけているかのように他車よりスピードを落としてとろとろ走り、直前になって指示器を出してわき道に曲がってしまう車や、指示器すらも出さずに曲がる車に遭遇する。

例3.雪道で狭くなった道路を愛犬と散歩している時、やって来た車が指示器も出していないので、慌てて道路端に避難していると、いつの間にかわき道を曲がって行って取り越し苦労になったこと。

私が30年前盲導犬協会に採用されて厳しく教えられたことの一つに運転技術とマナーがあった。
それはイギリス盲導犬協会の訓練部長ケネス・クリーから厳しく指摘されたことの伝承でもあり、現在の協会でも若き訓練士に教え継がれていることでもあるが、
『乗車している視覚障害者に不安を感じさせるようなブレーキは決して踏んではならぬ。それはあなたの状況予測がなっていないから引き起こされるのであり、そんなあなたに犬を訓練する資格などない』
『他車や通行人に対して自らが原因となる無用な行動を起こさせてはならない。そのような配慮が出来ない人間に人を指導する資格などないのだ』というものだった。

私の身体にはその考えが今も染み付いている。
だから人一倍現在のドライバーのマナーの悪さが気に掛かるのかもしれない。
前車の若者がタバコの吸殻を路上に捨てた様を見て、それをわざわざ車から降りて拾わせたYさんなら理解してくれると思う。

ウィンカーは30メートル以上手前から出しなさい。
曲がる場所が特定できなくても、とりあえず先に指示器を出せば後続車にはその意思は伝わるはずで、ブレーキはその後に踏めばよいのだ。

もしあなたが愛犬との暮らしを適切にしたいと思っているなら、あなたの運転マナーが前述の項目に抵触していないか、あるいは他者の運転マナーに疑問を感じているかを検討してください。
 

500回目前の今夜に 2006年01月30日(月)

  ホームページを立ち上げて1年9ヶ月ほどなのに、この欄が499回となっていることを知りちょっと驚いた。
今夜は500回イブ・リーチ・王手・晦日・宵宮・前夜祭である。
パーッとやりたいところだが、今日もカフェは暇で3頭のレッスンを引き受ける余裕ができるほどだったから地味に喜ぼうと思う。

その中の一頭キャバリアの小豆(こまめ)ちゃんこと、こまちゃんが面白かった。
生後6ヶ月目に入ったばかりなのだが、外に連れ出してなかったから世間知らずの無法者。
他犬に対して3〜4ヶ月程度の幼稚な接し方をして「ワン!」と叱られたり、外ですんなりオシッコをすることも出来ないでいた。

レッスン依頼を受けたので歩いてみると、首輪とリードは気にするし、自分の足で外をちゃんと歩くのもおぼつかないでいる。
抱っこして社会を冷静に見せようとすると、鷹のように鋭く尖った爪が私のセーターに刺さり、はずすのに一苦労した。

でもお互い楽しいのだ。
『パピークラスのレッスンもいいものだな』と実感させてもらった。
“ひよっこクラブ”という名前が相応しいと私は感じ、そのつもりで30分の歩行を行ったが、まあなんといろんな行動や反応をするものだと目が離せなかった。
首輪抜け、立ち止まり、こま鼠動き、拾い喰い、臭い取り、飛びつき、きょとんと観察、不安な目、抱っこ抱っこ、その他諸々真っ白いキャンパスに自由に絵を描く子供そのもので犬のしつけの原点に立ち返る機会を与えてもらった。

生後5ヶ月の犬を室内でフリーにしておくことは犬種に限らず、テロリストを合法化するようなもので、多くの場合、善良で無垢な飼主が被害に遭い「こんなはずじゃなかった」と嘆き、叱ってばかりの自分を悪魔とダブらせる悲哀を招く結果になると私は警鐘を鳴らしている。

「じゃあ、どうやって育てればいいの?」
「仔犬を繋げばキャンキャン吠える」
「叱り方はどうすればいいの?」
「こんなに犬って齧るのですか?」
「トイレのしつけは?」
「ごはんは何をどれくらい?」
質問はどんどん膨らんでくるだろう。

もし、生後5ヶ月までの犬の育て方に悩んでおられたり興味がある方はメールをください。
そのニーズが最低催行人員(現在数不明)に達すれば、いつか定休日(木曜)にでも“ひよっこクラブ”の講習会など開催してもいいでしょう。
ただし参加費は相応の額になると予想しておいてください。
日頃のカフェのレッスンのような安売りはいたしません。

恐らくこの講習会は希望者少数で、開催されることはないだろうから気楽に書いているが、『北の国から』500回記念の花火として打ち上げ、散り際を楽しむ今夜の酒の肴にはなった。
 

当てつけたくもなる 2006年01月29日(日)

  朝9時から夜6時まで札幌は晴れマーク一色!
「日曜日は暖かく快晴に恵まれるので、各地で開催されている冬祭りに出かけましょう!」
そんな呼びかけまでついた天気予報だったのに、起きてみれば夜中に降った雪としてはこの冬最高の積雪で、しかも日中は全くの晴れ間なし。
近所の皆さんは朝から総出で雪かきサンデーとなり、私は「メディアや気象予報士に詐欺罪は何故適用されないのか」を考える一日になった。
結論は出なかったが、北朝鮮のニュース番組の威勢のよいおばちゃんの言葉と日本の天気キャスターをダブらせたら腹の虫も収まった。

「4歳になるメスのラブなんですけど、東京の有名な方に訓練にも出したのですがしばらくすると元通りになり、この冬も散歩のとき引き倒されてしまいました。何とかならないでしょうか」
今日のカフェでそんな相談を受けた。
私が気象予報士的訓練士(別名カウボーイトレーナー:翻訳するとインチキ訓練士)だったら「しばらくは発達した低気圧で大荒れでしょうが、次第に回復し、週末にはポカポカ陽気になるでしょう」と相手を喜ばせ、訓練依頼を受けるところだ。

しかし私の一声は「どのくらいの期間でとお考えですか?」とガーデンに目をやり
「あのレオンベルガーはグリーンドームの荒くれ者の異名をとっていましたが、1年ちょっとで信頼できる犬になりました。その隣りの一緒に遊んでいる大きなゴールデン。あの子は他犬を見ると吠え掛かり喧嘩腰になる犬でしたが、やはり1年ほどで皆から愛される犬になりました」と話した。
相談されたご夫婦はカフェやガーデンにいるすべての犬に羨望と優しい眼差しを向けておられたが、それらの犬の過去を聞き、自分たちの犬から比べればすばらしく羨ましい犬が最初からそうだったのではなく、そのように育てられたということに希望を感じられたようだ。

「どうなるかは分かりませんが、親和期間を経た後4〜5回の訓練である程度のことは分かります。問題はその後…」そこで私は言葉を飲み込んだが、『あなた方はどこまで本気でカフェに通い続けるお気持ちですか?最初に話した1年を付き合っていただくなら私も本気でやりますよ』と続けるつもりだった。
だが、そんなことは相手にとっても『こいつは信頼できる奴か』との思いも当然あるし、予算や地理的要件もある。
だから私はいつも言葉を飲み込むのだ。

追い討ちをかけるように「私の訓練には相当厳しい面があります。」と話し『人に対しても』という部分を再び飲み込んだ。
数回で訓練から離脱されるかもしれない方に、そこまで言う必要はないからである。

「今度は犬を連れてきますのでよろしく」と帰られた。
今が荒れ模様でも週末にはポカポカ陽気になればいいですね。そのために頑張ってください。
依頼がある限りお手伝いしますが、正直やってみなきゃ分からんです。
 

築かれる伝統 2006年01月28日(土)

  晴れたり吹雪いたり、まるで季節の変わり目のような一日だったが、まだ2月にさえなってないのだから冬真っ只中の気まぐれな状況と理解しておくのが適当だろう。

ところで私たちは日々生活する中で様々な人々と関わり、多様な考え方や発想があることを思い知らされる。
学校の同級生からアルバイト先の人間、職場の中の人間模様、地域やマンションの管理組合はもとより子供を含めた家族に至るまで対人間関係に苦労したり鮮やかな発想に驚かされたりするものだ。

そしてそれぞれの考えに共通する事柄が社会の常識となり、それを基軸に社会は動いているのだろうが、例えばITのように新興勢力の台頭があると、その中での常識や規範というものは当初明確な基軸を持っておらず、良くも悪しくも新たな社会観念を創造しやすいといえる。

ドッグカフェという新興の社会でも、その意義や利用する際のルールといったものが明確になっているわけではないから今後どのように変化し定着してもおかしくはないが、3年目に入ったカフェはある程度の常識が出来つつあり、犬たちの多様性に対して寛大になっているのは特筆すべきことではないかと思っている。

多くのカフェや宿が時代の潮流と経営のために犬を受け入れ、結果的に『こんなはずじゃなかった』と規制を強化する中、我がカフェは『盲導犬のごとくしつけとマナーができれば社会は広く愛犬を受け入れる』という当初の理念が浸透しているから、顧客とその愛犬の殆どがある程度のレベルに達して自慢できるお店のカラーもできた。
そのうえでと言えばいいのか、だからこそなのかわからないが、私が頑張らなくても、少々のことに対して許容し寛大になってなお、互い十分に楽しめる配慮と顧客同士の適切なコミュニケーションが出来る雰囲気が備わっていることが分かってきた。

今日の天気のように確かなことはいえないけれど、ひょっとしたらカフェには“多様性を受け入れる度量と余裕”というひとつの伝統ができつつあるのかなと嬉しく思った。
 

ダイエット報告 2006年01月27日(金)

  昨日の定休日は我が家に愛犬アモ君がやって来てちょうど2週間になり、減量作戦の効果がどの程度現れているのかチェックする日だった。

40.4キロの体重を半年くらいで36キロ辺りまで落とすことを目標にしていた。
数日前までは「どの位減ったかな」などとその結果を楽しみにしていたものだが、前日からは
「もし減ってなかったらどうしよう?」
「まさか増えてないよね」とKと私はすっかり当事者としての責任を感じる心境になっていた。

減量作戦はまず、アモ君の肥満は彼の盗み食いや食に対する貪欲さにあるのではなく、単に飼主の与えすぎによるものであるという前提で開始された。
その根拠は、アモ君は私たちが食事をしていてもそれを欲しがることもなく、与えたおやつにも好き嫌いがあり、クッキーなどはすぐに吐き出してしまうことにあった。

そこで私たちはカフェの商品である減量用のフードを適正量よりやや減らし、それに缶詰・パン・ふりかけ・牛乳などをトッピングして結果的には適正量になるようにしてこの2週間与えてきた。
ボリュームは少なめだが見た目にはおいしそうで必要栄養素もあり、アモ君もきっちり完食していた。
おやつは与える日もあれば与えない日もあった。
相変わらずクッキー類には興味を示さず、肉系の物は好んで食べ、牛皮のガムは数日かけ暇なときに齧っている。

運動量は以前より多いかどうかはわからないが、看板犬であるから日中寝ている時間は確実に少なくなっているはずだ。
その分、夜7時からはほとんどぐっすり寝ているから睡眠時間は12時間以上あると思う。

さて、体重測定の結果は38.5キログラム。
2週間で1.9キロの減少となっていた。
「アモごめん。ちょっとペースが速すぎたようだね」
私は謝り、昨日からちょい多めに与えることにした。

通常の量のダイエットフードを与えれば初めのうち目に見えて減量できることは予想通りであり、あるレベルからさらに適正体重に落とすことが難しいことを理解している。
だから今回の減量は想定?していたとはいえ、予定より700グラムほど減量オーバーだったのがちょっと嬉しくもあり大きな誤算でもあった。

アモ君の健康を損ねないよう、また抵抗力を維持しながら夏に向けた減量作戦を展開していこうと思っている。
動物病院にあるような大型犬が量れる体重計、どこかで余ってませんか?
アモ君だけじゃなく減量を目指す飼主のグループケアに役立つと考えています。
2台の秤を使って人の体重を引くのは、ご婦人方には抵抗があるようですし…

それにしても、アモ君の減量で最も助かっているのが、彼の自制心である。
“武士は食わねど高楊枝”
「ごっちゃま」と言った後は悠然と自分の時間を過ごしていてくれるのが私たちには救いなのだ。
次の2週間も頑張るんだよ、アモ君。
 

愛犬の死とその次を考える 2006年01月25日(水)

  今日カフェのポストに一通の葉書が投函されていた。
切手が貼られてなかったのでご自分で入れられたようだ。

差出人はOさん。
昨年、交通事故で愛犬のMダックスしじみちゃんを失ったOさんで、そこにはなんとも愛らしい仔ダックスの手書きの絵が紹介されていた。
まだ顔が短いです。
ちょっと内股でお腹はぷっくり…

耳の先っぽがカールしていてキクラゲみたいなので名前は“きくちゃん”だそうな。
次の犬と暮らすことを選択されたようで、心から嬉しくなった。
この欄はとても旧式なシステムで写真の挿入ができないのが残念!
つまりはOさんは次の愛犬を選んだということだ。

犬の寿命が短いことは初めからわかっていること。
それを承知で人々は犬と暮らし始め、いつの日かその時を迎えペットロスを体験する。
その後をいつまでも嘆き悲しむことは、亡くした愛犬への想いを伝え慈しむことになるのだろうが、果たして心はそれで本当に癒されるのだろうか?

盲導犬訓練士だった頃、私はユーザーに心を込め自信をもって伝えた。
「もし、あなたが愛犬を失って歩けなくなったら、あなたの盲導犬だった○○は死んでも気にかけていると思います。誰があなたを誘導するのですか?それを一番心配してるのは○○なんだよ。以前のように閉じこもってしまう生活なんて誰も望んではいない。あなたは自分の足で歩いて○○を弔ってください」と。

一般家庭犬に盲導犬とユーザーの繋がりを重ね合わせることはできないだろうが、愛犬に寄せる想いに違いはないことも確かだ。
次の犬と暮らす10年先の目処があれば、私は次の犬と暮らすことを勧めるだろう。
その方が自分と過去の犬との暮らしをより確かなものにしてくれると思うからだ。

酒の入ったこの欄で深く論じるのは適当ではないから、今夜はこの辺で抑えておこう。
ただ、10年先を思うとお悔やみだらけになるカフェの常連さんたちにかける言葉だけは準備しておいた方がよいと思って書き出しただけのことである。
そしてもう一つ、スーの子供である盲導犬だったフルートが24日に亡くなったこともご報告する。
傍にいた人間でさえ気づかなかった大往生であったらしい。
 

今日のカフェ 2006年01月24日(火)

  大阪から黒柴の蜜柑が里帰りした。
仲間たちが集まりカフェではちょっとした同窓会が開かれていた。
集まった柴犬達はカフェ公認の安心犬だから、日頃私が緊張するタイプの犬ではないどころか、個性豊かで信頼できる気質を持ち、何より柴を知る女性の飼主に一目おく健気で凛とした愛嬌のある犬達だった。

羽目をはずしていたのはボロニーズのトキ君で、幼馴染の蜜柑との再会が余程嬉しかったのか、最近滅多に見せることのないトキパンチを連発し、身体いっぱいの喜びを表していた。
当の蜜柑は雪に覆われたガーデンで駆け回り、それでも自らがオーバーヒートしない気候を堪能しながらトキ君に飽きることなくつき合っていた。

さすがに3頭のボクサーやラブラドールのウィンピーが肉弾戦を繰り広げる最前線には参加できなかったが、それぞれのタイプの中で充実したひと時を過ごしていただけたと思っている。
もし昨日のブルテリア君が今日来ていれば、さながら大晦日のKー1が再現されて楽しかっただろうと密かに残念に思った。

また、我が家の愛犬アモ君に面会があり、しんみりした時間も流れた。
アモ君の飼主だった故N先生の二人のお姉さんが来店され、アモ君の姿にN先生を投影されたかのように涙しておられたのが印象的だった。
地域医療に貢献し、数々の実績を積み上げられ53歳で他界した医者の葬儀に紹介された枕言葉が「先生は愛犬をこよなく愛し…」という言葉だったのが思い起こされる。

様々な想いが感じられるカフェ三年目の出だしである。
 

今夜はタブーを書いてみた 2006年01月23日(月)

  先日、“札幌の副都心”と勝手に名づけられている新札幌のデパートにKと買い物に行った。車で10数分の距離である。
平日の夜だったが、北海道の景気回復の程度を如実に表している閑散とした空間がそこにあった。
そもそも札幌の中心部でさえ、バブル期においても人でごった返している様を目にすることは滅多になかったから、それが正常な平日の夜の姿なのだろうと思う。

大都市と呼ばれる札幌ではあるが人口10万から25万程度の10の区が寄り合って都市の体をなしており、確かに中央区は企業が集中して道内経済の中心となっているが、サラリーマン以外の生活者の主な購買範囲は居住地域周辺である。
高齢化が進む中、働く者・通う者以外の市民はほんのたまにしか中心部に出かけることはないだろう。

つまり、札幌は200万都市化に備えた計画を考えるより、それぞれ20万人程度の10の斬新な特徴ある町づくりを目指した方がよいのではないかと思う。
デパートが立ち並んでもいいが、背伸びせず安定経営ができる店にすべきで、バブルなどに踊らされ札びら切って天狗になり、終いには地域を破壊して退散するようなどこかの二の舞は御免である。
せめて50年の計に立って、文化と呼べるものを根付かせて欲しい。

オリンピック誘致に上田市長は慎重な立場を取っているが当然のことだろう。
「ええーい、ままよ!」と立候補して、功罪を歴史に委ねるようなこれまでのやり方を踏襲するのは、見栄えもいいし、都市を消滅させるわけでもないだろうから容易なことだ。
冬季オリンピックが札幌の基盤整備にスピードを与えたのも否定できない。
が、利権に蠢く人々の声に押される夏季オリンピックは、どこか金も歴史もあってステータスにこだわる都市に任せておけばいいと思う。
札幌はもしチャンスがあれば冬季を誘致すればいいのだ。

身の程を知り、分をわきまえるのが人にも犬にも言えるが、人の若者はその壁にぶち当たってでもチャレンジし続ける資格を有している。
勿論、今夜逮捕された若者のような亡者ぶりは許されないが、活力は見上げたものだ。
だが、私たち民衆の一攫千金は夢だけにして、少しの冒険と着実な歩みを進めたい。
大きな借金をせず、しっかりと子供と愛犬を育て、環境と政治に目を向け、日々の生活を楽しみながらそこそこの金を稼ぎ、メディアに踊らされず、地域に根ざした文化を育て、自給とバーター貿易に近い自足を得、不戦を誓う心で地味に生きていけたらまずはいいのではないか。

気がついたら日付が変わり、外は大雪になっている。
今日のカフェがあまりにも暇だったものだから書くこともなく、酒の勢いでこの欄にはタブーな“社会”を考えてみた。
 

Mさんとテレビで再会 2006年01月22日(日)

  今夜のテレビ番組、動物奇想天外で懐かしい人に出会えた。
老犬となったカプちゃんことカプリーヌの元ユーザーMさんだ。

彼女がまだ盲学校の小学部に通っていた頃から協会との繋がりがあった。
生まれながらにして視覚に障害があったMさん(旧姓Kさん)の両親は、同じ障害を持つ方々のお役に立てるよう、また将来、娘に盲導犬が必要になった場合に備え犬好きな子供になるよう、当時パピーウォーカーをされていたのだと思う。

時は流れ、彼女から盲導犬申し込みについての電話を受けた私は北広島市の家を訪ねた。
既に結婚され小さな子供さんが2人(だったかな?)いて、とても幸せそうだった。
面接をして驚いたのはその頭の良さと概念形成の確かさだった。
先天視覚障害の場合、三重苦のヘレンケラー程ではないにしても、道路や地図・方角といった概念を獲得するには大変な努力と教育それに知力が必要であるのだが、彼女は見事にそれを習得していただけでなく、社会生活全般に渡って障害を全く感じさせないスーパーウーマンであった。
彼女の知性でありご両親の育て方でもあったのだろう。

盲導犬を得て彼女は毎日子供たちを保育園に送り迎えしていたが、まるでウズラの親子のようにピョコピョコと一列に駆けて行くその微笑ましい姿を私は今でも忘れることが出来ない。

その後、ご主人の仕事の関係で釧路・中札内・函館と数年おきに転勤があり、その都度フォローアップを行ったが、一度説明し実際に歩けば、彼女の頭にはすっかりその地域の地図が出来上がってしまうことに私はもはや驚くことはなかった。
説明するために何度も歩かないと理解できない私とは雲泥の差だ。

今夜の番組を見ると彼女はまだ函館のあの地にいるようだ。
少しシワが出てきたようにも見えたが、彼女のシワは笑顔ジワだから素敵だ。
ちなみに加藤晴彦くんと歩いていた私のお腹は殆ど出ていなかったでしょう?
スマートな時代もあったのです。

悲しい別れと涙の再会が画面には映し出されていたが、盲導犬が彼女の生活に欠かせないのは間違いない。
カプちゃんは引退し次のイーラが後を継ぎ、この先もまだ何頭かの盲導犬が必要だろう。
別れの辛さを乗り越えこれからも是非元気で頑張って欲しい。
Mさん、そしてユーザーの皆さん陰ながら応援してますよ。
 


- Web Diary ver 1.26 -