From the North Country

Mさんとテレビで再会 2006年01月22日(日)

  今夜のテレビ番組、動物奇想天外で懐かしい人に出会えた。
老犬となったカプちゃんことカプリーヌの元ユーザーMさんだ。

彼女がまだ盲学校の小学部に通っていた頃から協会との繋がりがあった。
生まれながらにして視覚に障害があったMさん(旧姓Kさん)の両親は、同じ障害を持つ方々のお役に立てるよう、また将来、娘に盲導犬が必要になった場合に備え犬好きな子供になるよう、当時パピーウォーカーをされていたのだと思う。

時は流れ、彼女から盲導犬申し込みについての電話を受けた私は北広島市の家を訪ねた。
既に結婚され小さな子供さんが2人(だったかな?)いて、とても幸せそうだった。
面接をして驚いたのはその頭の良さと概念形成の確かさだった。
先天視覚障害の場合、三重苦のヘレンケラー程ではないにしても、道路や地図・方角といった概念を獲得するには大変な努力と教育それに知力が必要であるのだが、彼女は見事にそれを習得していただけでなく、社会生活全般に渡って障害を全く感じさせないスーパーウーマンであった。
彼女の知性でありご両親の育て方でもあったのだろう。

盲導犬を得て彼女は毎日子供たちを保育園に送り迎えしていたが、まるでウズラの親子のようにピョコピョコと一列に駆けて行くその微笑ましい姿を私は今でも忘れることが出来ない。

その後、ご主人の仕事の関係で釧路・中札内・函館と数年おきに転勤があり、その都度フォローアップを行ったが、一度説明し実際に歩けば、彼女の頭にはすっかりその地域の地図が出来上がってしまうことに私はもはや驚くことはなかった。
説明するために何度も歩かないと理解できない私とは雲泥の差だ。

今夜の番組を見ると彼女はまだ函館のあの地にいるようだ。
少しシワが出てきたようにも見えたが、彼女のシワは笑顔ジワだから素敵だ。
ちなみに加藤晴彦くんと歩いていた私のお腹は殆ど出ていなかったでしょう?
スマートな時代もあったのです。

悲しい別れと涙の再会が画面には映し出されていたが、盲導犬が彼女の生活に欠かせないのは間違いない。
カプちゃんは引退し次のイーラが後を継ぎ、この先もまだ何頭かの盲導犬が必要だろう。
別れの辛さを乗り越えこれからも是非元気で頑張って欲しい。
Mさん、そしてユーザーの皆さん陰ながら応援してますよ。
 

旅の途中 2006年01月21日(土)

  なにも怠け心でこの欄を数日休んだわけではない。
毎夜半分まで書いていたのだが、途中で眠りこけた挙句そのままシャットダウンする日々が続いていただけである。
飲みすぎていたのかもしれないし、除雪作業の疲れがそんなところに表れていたのかもしれない。
それほど雪の多い数日だった。
果たして今夜がどうなるのか分からないが、夕べまでと同じように書き始めている。

我が家の愛犬となったアモ君の血液検査の結果が今朝届き、総じて問題のない健康状態が確認された。
総コレステロールなど現在進めている減量がうまくいけば改善される点に多少高い値はあったが、4年前に血液検査を受けた私などの数値から比べれば良好値であることは間違いない。
問題は、我が家にやって来て1週間のアモ君の体重が如何程になっているのか確認の術が無いことで、その都度動物病院へ行かなければならないとすれば忙しい先生に申し訳ない気がするのである。
アモ君を私が持ち上げて自宅の体重計に乗れば、計量範囲の100キロを超えるのは間違いないであろうから、先生には当分付き合っていただく他はないのが心苦しいのだ。

それにしても、カフェにやってくる犬たちの体型がみすぼらしく見え、「あら、どうしたんですか?そんなに痩せちゃって!」という言葉が挨拶代わりになってしまう自分が怖く感じる。
慣れるということは恐ろしいものである。

あなたはあなたの愛犬との日々に慣れ、初期に夢見た愛犬との暮らしからかけ離れた今を見過ごしてはいませんか?
いいえ、私はアモ君のダイエットにじっくり取り組んでおりますし、散歩のときKが軽石のごとく引きずられるのを腹の底から可笑しく感じられながらも、「わきまえよ!」とアモ君に伝えて暮らしやすい犬を育てる愛犬塾の道を歩んでおります。
その先にある愛犬との豊かな生活をKも私も過去に経験しているから、今、何をどのように進めればいいかが何となく分かるのが私たちの大切な宝で楽しみでもある。
 

ちょっと遅い一年の計 2006年01月16日(月)

  ガーデンの表面の雪が昼間の暖気で解け、夕方から再び凍るので滑りやすくなっている。
近くの民家の三角屋根からはスルスルと雪が滑り落ちている。
春が近いのかと期待を寄せたくもあるが、少なくともあと3ヶ月は雪と付き合わねばならない。
今年の寒い冬の特徴は除雪をしていてとりわけ感じる。
例年なら初冬に降った雪が解け、再び結氷して地面との間に氷の層ができその上に以後の雪が積もっていくから、除雪機を使っても土を掘り起こすことは滅多にない。
しかし去年からの寒さは表土を凍らせることなく積雪があるものだから、深めに除雪すると土まで飛ばしてしまうのだ。

犬たちの雪球が例年より少なく感じるのは降雪が少ないのと、カフェに来る犬たちがすっかり落ち着いてしまい豪快な遊びを見せなくなったことに由来する。
したがってカフェでは元気印の新たなわんこ達を迎え入れねば活力がなくなってしまう懸念があり、今年の雪のように、掘れば土が飛び出すわんこではなく氷の鎧を纏った骨太のわんこ達にめぐり合いたいと思い始めている。

そしてそれらの犬がまた落ち着くまでじっくり見ていられたら嬉しい。
盲導犬は7ヶ月で仕上げなければならなかったけど、1年半をかけて付き合ってみたい。
周りの犬たちがきっと助けてくれるだろうし、それぞれが協力し合って名曲を奏でるアンサンブルのようになれば最高である。

アモ君にも今年中に成長して欲しいし、年が明けて16日経った今頃になって今年の目標をひとつ描くことができたと感じた。
 

犬種特性と私の知識・経験を生かす道 2006年01月15日(日)

  昨日より陽射しがあったため予報気温は低くても暖かく感じられた一日だった。
カフェデビュー3日目のアモ君は疲れが出たのか閉店後にはいびきをかいて寝ている。
他犬との関わりにおいては順調な滑り出しを見せてくれてホッとしている。

アモ君のように飼主や生活環境が変わることをすんなり受け入れてくれるとありがたいが、一般的な犬がそうとは限らない。
とりわけ成犬となった日本犬はいつまでも以前の飼主と家にこだわる傾向があり、西洋犬の方が変化に順応しやすいといえる。

以前、イギリスの盲導犬協会で秋田犬を訓練していて、とても頭がよくすばらしい盲導犬になるだろう」と担当者は言っていたが、私には絶対無理なことは分かっていた。
盲導犬のようにパピーウォー力ーから訓練士そして指導員さらには視覚障害者と主人が入れ替わるシステムに日本犬が順応する可能性は低いと考えていたからだ。
案の定、その犬は音導犬にはならなかったそうだが、様々な犬種で盲導犬の適性を試行する姿勢には感銘を受けた。

私のように犬種において経験より知識の方が先んじていると「盲導犬にはどのような犬種が使われているのですか?」という質問に対して「ラブラドールのほかシェパードやボクサー、エアデールテリアが使われていて、ここ20年ほどはゴールデンやラブラドールとのクロス、それにボーダーコリーのクロス、スタンダードプードルのクロスやフラットコーテッドなど様々な犬種が試行されています」とオウム返しで答えることがある。

その答えは確かに正解ではあるのだが、具体的な説明がされていないことに気づく。

当初、盲導犬にはGシェパードが多用されていた。
それは近代盲導犬訓練が第一次大戦における失明軍人に対してドイツで盛んに行われたことに由来する。
イギリスやアメリカに盲導犬が導入されてもしばらくはGシェパードが主流だった。
もし、Gシェパードでなんらの問題がなければ現在でもこの犬種が使用されているはずであるが、実際には強い制御カがユーザーに求められることや軍用犬の威圧的なイメージが強く、社会に好意的に受け入れられるのを阻害する一面もあった。

そこで登場したのがラブラドールで、作業意欲は高く、見てくれも悪くないと世界に広まった。
しかし、能力も高く友好的で見てくれも悪くないラブだったが、障害者の高齢化や女性の進出によってもう少し動作や感受性がおっとリとした盲導犬が求められるようになり、さらに登場したのがのんびりタイプのゴールデンだった。
ゴールデンそのものが盲導犬に使われることもあるが、そのおっとりさと頑固さが時に問題となり、働き者のラブラドールとクロスされるようになった。

純血種指向が高かった一時期は作業意欲の面でボクサーやエアデールなど多犬種が競って使われたが、それぞれの犬種には受け入れのしにくさや友好性において問題が多く、純血種といえども犬種特性に目を向けるべきという当たリ前のことが重視されるようになった。
ラブにボーダーをかけてみたが、当然結果はよくなかった。

アレルギー体質の視覚障害者にラブとスタンダードプードルをかけて抜け毛のないラブラドゥードルというクロスを作って成功した例がいくつかあるが、性能の面ではさらに検証すべきだと思っている。

ともあれ、それぞれの作業や用途によって犬種選びは大きな要素となり、決めつけるというのでなく傾向を知ることをおろそかにすることはできない。

もしこれから犬を飼いたい方には、目的や家庭環境・飼主の性格を見てアドバイスできるだろう。
そんなコンサルティングな仕事があってもいいと思っている。
 

ドッグカフェのアモです。以後よろしゅうお頼う・・・ 2006年01月13日(金)

  体重40.4キ口グラム
ここ2週間の減量で首の見分けがつくようになったそうだ。
後肢の膝のお皿が外れたり入ったリしてるから、立ち上がったときビッコをひくが、減量で負担を減らせば今のところ手術の必要はないらしい。
聴診による心肺機能は異常なし。
血液検査は結果待ち。
2001年4月18日生まれ
母ゴールデン・父ラブラドールのF1で8人兄弟の去勢済みオス犬。
盲導犬候補生だったが「ワン!」とやってしまうのであえなくキャリアチェンジ。

その名もアモ君が昨日から我が家の一員になり、本日めでた<カフェ看板犬Debut!
ふつつかな息子ですが、盲導犬育成25年のキャリアに賭け、ご迷惑をかけることを最小限に食い止めつつ、まっとうに育て上げますので今しばらく寛大な心で見守っていただければありがたく存じます。

〈今日の失敗>
1.駐車場にお客さんの車が入ったとき、ワンと一声吠えた。
2.気がついたらお客さんのシートの隣りにトトロのごとく鎮座していた。
3.夜の散歩でノーリードで雲山に登らせてあげようとしたのに、身体を支えきれず40センチのところからずるずると下まで滑り落ちた。
〈今日の成果>
1.家族を噛むという相談に訪れた方の柴犬がアモの背中にまでジャンプして挑発しても、怒らず挑発にも乗らずうまくあしらっていた。
2.基本的に室内でも外でもフリーにして大丈夫との感触を得た。

まあ、アモが生まれた時から成長段階まで私は関わっているので、お互い他人とは思えないのは幸いである。
でもまさか、この子が我が家の一員になろうとは思っても見なかった。
そうとなりゃ、もっとちゃんとアドバイスしとけばよかったとこれから後の祭りを楽しむことにしよう。
 

またひとつの節目 2006年01月11日(水)

  我が家の愛犬スーが亡くなってから1年と19日になる。
「次の犬はどうするんですか?」という質問を度々受けていたが、心の整理はそれなりについたものの、犬のいない生活に慣れつつあった私たちは「わかりません。」と言葉を濁すしかなかった。

ただ、現在のような“有期展示式生体販売"(閉塞的環境において飼育され、期限が過ぎれば廃棄されることすら知らない無垢な仔犬の眼差しを逆利用し、人の良心につけ込んで大儲けする不埒な商売)という身の毛もよだつシステムをとっているペットショップで購入することなど毛頭あり得ないことだけは確かだった。

そして今夜、ひょんなことから我が家に相棒がやってくることになったのを報告する時が来た。
昨年11月4日に急逝したN先生の愛犬アモ君を引き取ることになったのである。

アモ君は元々盲導犬の候補生で、生まれた時から私がパピーウォーキングのスーパーバイザーとして担当し、友人の人妻Mがパピーウォーカーを務めたが、結果的に盲導犬の訓練を受けることなくキャリアチェンジになり故N先生が家庭犬として引き取った経歴を持つわんこである。
今年4月で5歳になるラブラドールとゴールデンの間に生まれたいわゆるF1で、なんと我が家の愛犬スーの甥っ子でもある。

明日から我が家の一員となり、カフェの看板犬になるよう育てますので皆さんも温かく見守ってくださいますようお願い申し上げます。

心配なのは話によると既に体重が40キロを超えると思われ、健康状態にも不安があることで、明日動物病院で一通りの検査を受けた上で今後の健康管理を考えようと思っている。
ひょっとしたら明日からのこの欄は『アモ君のダイエット報告』になるかもしれない。

何かのきっかけがなかったら私たちは次の愛犬と暮らすことはなかっただろうと思う。
そのきっかけがN先生の急逝というのが辛いことではあるけれど、振り返れば誰しもそうであるように私の人生も様々な人との出会いで節目節目を形成している。
拒絶することも勿論可能であるが、今回はそれを受け入れようとKと私の心は
反応したのだ。

また一つの節目が訪れ、人生が形成されていく。
『天国のN先生、そしてスー。これでいいですね。アモ君は私たちが引き受けますからね』

この欄をアップして今夜最後のメールをチェックをしたら、昨夜のこの欄の表記に誤りがあるとのご指摘を戴いた。
ガーデン完成に至る最後のトンネルを掘ったのはミックス犬緋梅(ヒメ)の父さんではなく、ハスキーのチェス君の父さんだったようです。
チェス君の父さんには失礼しました。いつもお心遣いいただき感謝しております
が、カフェに来る父さんは皆さん優しく同じように見えてしまいました。

以下3行引用
(緋梅)おやじ曰く、「俺じゃねえよ…きっとチェス君のパパじゃないのか・・・」と言っておりますのでご報告…と思いメールした次第です。
緋梅オヤジはそんなにまめではあリません・・・。とは本人の弁です。

ということでしたが、緋梅オヤジは私の見る限り、少なくとも奥さんと緋梅に対してはまめで献身的な節目を体験した人だと思っている。
 

人間模様 2006年01月10日(火)

  滅多に一人では出掛けることのない私に、立て続けに麻雀の誘いがあり存分に楽しんできた。
ひとつは協会時代の仲間で、もうひとつはその頃通っていた居酒屋のマスターと飲み仲間からの誘いであり、麻雀もさることながら飲むことが主体となる集いだった。

どんなに酔いつぶれて記憶を無くしたにせよ、次の朝にはちゃんとパジャマを着て自宅のベッドで寝ていることが特技となった私は、心行くまで酒と話を楽しむことができた。
居酒屋の常連の薬局の先生が10年以上前「これ、いいですよ」と勧めてくれた“ヘパリーゼ"という薬さえ予め一錠飲んでいれば次の日悪酔いすることもないのも体験済みで安心感があった。

ところがここ数国の大雪で除雪作業をしてから麻雀に出かけることになった私は、翌日両腕の張りと痛みを感じていた。
「久しぶりだったからね」とK。
「うん、それに大雪だったし」と私。
「そうじゃなくて、マージャン。ジャラジャラやって腕が痛くなったんでしょ?」
女は何も分かっちゃいない!
ヘパリーゼを飲み忘れた協会職員との麻雀の翌日、小樽樽生ビールと日本酒久保田それに焼酎吉兆に私は悪酔いして使い物にならなかった。
前日の大雪でガーデンには雪山を作っておいたが、トンネルを掘る元気もなかった。
すると三人嬢の一人“おんなムツゴロウ"(犬に顔中どころか口の中まで舐めさせて恍惚となる女性の総称?)のYさんが装備を整えて颯爽とカフェにやって来た。
「んちわっス!穴掘ってもいいっスか!」といつものように挨拶代わりの敬礼をしてくれた。
昨年に統きYさんが鎌:倉ならぬトンネルを楽しそうに掘リ始めてくれたので二日酔いの私は大助かリだった。

「こんな賑やかなところで勉強できるんですか?」
朝からカフェで受験勉強をしている息子さんの邪魔にならないようNさんに小声で聞いた。
「ええ、まあ、そうじゃないんですか。家よりずっと静かだから」
ECCの教室を経営されているNさんのおっとりとした話しぶりからはとても想像できない野性味が感じられうれしくなった。
そういえば前日も来られていたし、見ると息子は凄い集中力で勉強していた。

しばらくしてガーデンを見ると、雪まみれになったYさんと、いつのまにか別方向から穴を掘り進めていたNさんの息子がトンネルの貫通を祝うハイタッチをしていた。

そして昨日、どうしても三方向にトンネルが欲しかった私は、固い雪をさらに別方向から掘り進めるうち手首を痛め中断していたのだが、気がつくと後を引き継いでくれたミックス犬緋梅(ヒメ)ちゃんの父さんが貫通させてガーデンの雪山は見事完成した。

右手首を擦る私に、Kは「リストバンド洗濯してありますからね」と声をかけてくれた。
ありがとう。
でも、もし君が麻雀を知っていたら『気合を入れて、勝負!って叫びながら牌を打ち下ろし、途端にロン!って言われて手首を捻挫したんじゃない』と見事推理したかもしれない。
 

私たちにできることって何だろう? 2006年01月06日(金)

  12月27日以来のお泊まり犬のいない静かでちょっと寂しい夜を迎えている。

秋田新潟など豪雪地域の方仁はお見舞い中し上げると共に、冬休み中の若者たちがチームを組んで雪堀り(北海道では雪かきというが身の丈以上の豪雪地域ではそういうらしい)ボランティアとして、いつ押し潰されるか分からず不安を抱えながらも、高齢や障害のため自力で対処できない方々を助けてあげて欲しいと思う。
地震やナホトカ号の原油流出事故の時のように行政やJRなど交通機関も支援の若者たちが入りやすくなるよう協力して欲しい。
それほどの非常事態だと雪国こ住む私は感じている。

幸いにもこの冬の里塚緑ヶ丘は雪が少なく大した除雪もしてないが、たとえいずれ帳尻を合わせるかのような大雪が来ても気温さえ低ければ雪の重さは家を押し潰すほどのものではないはずである。
それに比べて本州の雪は重く締まっており、テレビで流れる“屋根は大雪なのに道路は濡れている"映像が一層の大変さを物語っている。

話が個人的になるが、外飼いの犬たちは埋もれてしまわないよう配慮されていると思いつつ、北秋田の鷹巣や田沢湖町に住む盲導犬ユーザーは何とか頑っているのだろうかと心配している。

雪国に住む盲導犬ユーザーには最初の冬にフォローアップのため指導員が派遣され様々なアドバイスを行うことになっている。
通常、北陸・東北地方は2月に行われるが現在までの状況から見て既にフォローは終わっていることだろう。
そして更なる大雪の中、ユーザーと犬たちは無事暮らしているのかを心配してしまう。

盲導犬協会のことだから電話で連絡を取りながら、必要なら2次3次のフォローを行っているはずだが、現場を離れた私にできることはユーザーと犬たちへの気遣いと予算オーバーで苦労する北海道盲導犬協会への更なる寄付と財政支援を訴えることくらいである。

しかし単純にフォローアッブに掛かる経費の問題ではないことに根の深さも同時に知っていただきたい。
フォローに出向くのはお金で解決できるが、その間出張する指導員は担当している犬たちの訓練ができず、次の盲導犬の育成(国際規定では最低80時間以上の訓練)にまで影響を与えてしまうのだ。
根本解決のためには人的余裕を持てるような組織になれる財政的裏付けも必要であろう。

日本における盲導犬の歴史は浅かったが、それでも数年先にはこの事業を担ってきた職員が定年を迎えるまでの歴史を築いてきた。
例えばその人たちにフォローアップを委嘱することでこれらの問題を解決する手立てになるかもしれない。

いずれにせよ当面は様々な支援が必要であるのだが、冒頭に述べた若者のボランティアチームが結成され行動できないのと同様に、行政や我々人間のやることはテキパキでなくよーく見極めた上でという冷静さが大人感覚であると信じられている。
大人感覚は憲法改正に向けてこそ求められる事案であり、即断即決が必要な事案について行動できるシステムが欠落していることが残念だ。

お泊まリ犬がいないと普通以上に飲みすぎてしまう。
 

もう、ごはんがないですよ! 2006年01月04日(水)

  大晦日の夜、インターフォンが鳴って玄関に出るとご婦人とビーグルの来客だった。
「以前にも預かっていただいたのですが、実は近く不幸がありそうなのでその時は預かっていただけないでしょうか?」という伺いだった。
「ワンちゃんのお名前は?」
「モモカ」です。

ワンちゃんの姿を見、名前を聞いて『ああ、以前来客があるんだけど、この子がいるといろんな問題を起こすから』とお預かりしたワンちゃんであることを思い出した。

その不幸は予想通り起こったらしく、翌元旦の夜モモカはやってきた。

私が身構えていたよりモモカは静かで大入しく、私が身構えていたとおリ食べ物に執着しフリーにすると室内を物色しテーブルにまで手をかけようとしていた。
そして予想通リ、係留したり思うようにならないときは吠え、普通に言葉で叱ってもその言葉は脳にまで達しないから実カ行使に移ると、予想に反して過敏に「ごめんなさい」と反応するものの少し時間が経つと再び予想通りに同じ事を繰り返すとても分かりやすいワンちゃんだった。

散歩の目的も臭い取りと拾い食いそれに排尿便で、フレキシブルリードで半分フリーにするとこま鼠のように道路を駆け回り雪山によじ登るが、昔通のリードでコントロールをするとそこそこうまく歩く術も身に付けているようだ。

人間が食事の準傭を始めるとキッチンヘ行って拾い食いとシンクに手をかけてくすねることを常習としているらしく、食べ始めると「よこせ」と公然と要求してくる。
すべては私の一喝で借りてきた猫のように大人しくなるのだから、なぜ昔段からそのように接することができないのか私には不可解なことが多い。
なにも『人が食べてるものを一切ワンちゃんにやるな』と言ってるのではなく、『人が食べてるときに与えるな』というのが最低ラインであり、続いて与えていいものと悪いものを選別し、味付けを落とし、量を加減するというのが飼主としてのせめてもの”悪の掟”であろう。

目が届かないときには居心地のいい環境を整えてから係留するかケージに入れ、その際吠えるようなことがあれば厳しく諌めるということは仔犬時代に決着されていなければならないことでもある。

モモカちゃんは私の横で係留され、二重に重ねられた布団の上でスヤスヤと眠っている。
9時前に寝てしまい早朝から起こされないように私はちゃぶ台を何度か叩いてみたがノンレム状態で本気モードで寝ているようだ。

三が日は葬儀場も火葬場も休みなのだろうか?
大晦日に預かった際のドッグフードが今夜でなくなってしまった。
「ちやんとお迎えに来てくれるとしても明日の朝ごはんどうする?」
 

一切記憶にございません 2006年01月03日(火)

  今年ものっけからアルチューハイマーで迷惑をかけてしまった。

正月休みの昨日、昼前からYHKの三人娘が愛犬を連れてやってきて、ガーデンでバーベキューパーティーを始めた。
雪が降り出していたがルーフテントの下で彼女たちは楽しそうに時を過ごしていた。

お泊まリ犬の番兵をしていた私はカフェでぐびリぐびりと日本酒を飲みながら本を読んだり、犬たちと戯れたりしていたのだが、夕方になって彼女たちがカフェに入り、皆で話をしながら飲み始めると、いつのまにか私のピッチは上がリ、ついに夜8時以降の記憶は消え、気がついたらいつもどおリの朝の目覚めをベッドで迎えていた。

私自身は身体の節々が痛い感じはあったが、『夕べはみんなと夜まで飲んで、それで三人は帰っていったんだ』というまとめをしていた。
ところが、今朝になってKが話すこと話すことに全くの記憶がなく「そんなことが本当に昨日あったのか?」と驚きの連続だった。

「ラッセル捕まえててよ。お客さんと一緒に外に飛び出しちゃうから」とK。
「そんなことしないよ、ラッセルは」と私。
「何言ってるの、昨日飛び出していったじゃない」
「えっ?」
「えっ?て、覚えてないの?」
「何を?」
「三人が帰るときラッセルが外に飛び出して、下の道にまで行ってあなたが追っかけ、捕まえてきたじゃない」
「えっ!」
そんなことまでしたのに私には一切の記憶が残っていなかった。
「どうりで身体の節々が痛むはずだ。」と私が言うと
「それは違います!身体が痛いのはカフェの床で1時間以上も寝てたからでしょ」
「えっ?そんなこともしてたの?」
「ジェニーとムーンが添い寝してましたよ。それでそんなところに寝ていいの?って私が言ったら三人娘何て言ったと思う?「ほっとこ」だって。それでほっといたの」

みんなが帰ってからも私は飲み続けたそうな。
見ると2本目の一升瓶が4分の1ほどしか残っていなかった。
それでも私はちゃんと歯磨きをしパジャマに着替えて寝たというのだからアルチューハイマー恐るべし!

そして今日からカフェは2006年の営業を始めた。
今月のパスタはお正月料理の後にぴったりの“ジャコと野沢菜のピリ幸パスタ”です。
 


- Web Diary ver 1.26 -