From the North Country

この一年ありがとうございました。 2005年12月29日(木)

  今日で今年のカフェの営業は終えました。
この一年ご利用いただいた皆様に心からのお礼を申し上げます。

札幌はひどい雪の一日で、朝から何度も除雪作業に追われた。
おかげでガーデンの中央には雪山も完成し、あとは鬼ごっこが大好きな犬たちのためにワープトンネルを掘るだけになったが、一方では飛ばした雪が強風で戻され、雪だるまのようになった私の身体は犬のオシッコ臭くなってしまった。
そのせいか最終日にやってきてくれた犬たちにはモテモテだった。
こんな嵐の日に訪ねてくれた皆さんにも感謝です。

明日からは残務整理と掃除それにお泊まり犬の管理と称した遊びに興じ、昼からグビリとやることをためらわずに過ごせると期待している。
手始めに今夜は明日のことも考えずに飲み始めたが、頂き物で正月用にとっておいた焼酎・泡盛・日本酒にまで手をつけてしまった。
左にハスキー、背中と右にラブラドールが侍り、うまい酒だ。
一時停酒したこともあった今年だったが、休みの間にこの欄の1月からを読み返してみようと思う。
そして新年に向けての新たな目標がイメージできたら嬉しい。

皆様、ありがとうございました。
よいお年を。
 

笑う門には福来たる、フォー! 2005年12月27日(火)

  想像してください。
一日の仕事を終え、毛布をかるく羽織ってリクライニングシートに横たわった状態で眠りに落ちた心地よさを。
しかも温泉にゆったり浸かった後、美味しいものをたらふく食べ、ビール2杯とロックの焼酎をしこたま飲んだあとにである。

目が覚めたら夜11時を過ぎていた。
いつもの里塚温泉でKと私は恐らく今年最後になるであろうそんなささやかな二人にとっての贅沢な時間を過ごしてきた。

帰宅すると北海道のテレビ局から1枚のファックスが届いており、読むと『来年は戌年であるからユニークなワンちゃんはいないか?』という内容のものであった。
数日前にも他のテレビ局から同様の電話が入っていたから新年番組はこの路線でいく局が多いようだ。

身体中がポカポカの私は先日交通事故で亡くなったMダックスしじみちゃんの一発芸である『アイーン』を思い出し、切なくもほくそ笑んだ。
するとKが別のアイデアをボソッと口走る。
「マウントする犬にさ、帽子と黒皮の服着せてね『レイザーラモン!フォー!』なんてやらせて腰を振らせればいいんじゃない?』
それを聞いた瞬間から私の笑いは止まらなくなってしまい、1時近くになっても寝付かれずこの欄を書くことになった。
今夜はそれだけのことである。

明日は今年最後の営業日。
「頑張るぞ、フォー!」と、身も心も安らいだ私は思い出し笑いがいつまでも止まなくて困っている。
 

冬の楽しみ方;お菓子の家を解体 2005年12月26日(月)

  昨日の夜中にかけまとまった雪が降り、翌朝の除雪作業が避けられない状況となった。
ところが天気予報を見ると翌日は強風の赤マークがついており、除雪機で飛ばしても周辺に雪嵐を巻き起こすだけである。
既に0時。
だが雪は止み、風はなかったので私はガロアラシ号を駆使して主要な場所の除雪を行った。
驚くことに近所の奥さん数人もママさんダンプ(大型のスノースコップ)で除雪作業をしており北国の女の逞しさを見せつけられた。
作業を終えた10分後から強風が吹き荒れ、ゴーゴーと音を立て始めていた。

「26日に鏡開きをします」
先週カフェの営業中に、知り合いがお菓子で作ったクリスマスバージョンの家をプレゼントしてくれた。
コンセントを差し込むと家の中で灯りが点滅し、とても幻想的で美味しそうな家に、お客さんからも歓声が上がった。
そのお菓子の家をクリスマスが終わった26日に解体し、皆で食べようということになって今日を迎えたのである。

立派な家はたちまち無残にも剥ぎ取られ、冬休みに入った子供さんたちも結構食べてくれたしお土産に少し持ち帰って頂いたのに、閉店後には土台の部分がまだ残っていたのは皆さんがあれでも遠慮されたのか、偽装ではなくしっかりした構造で見た目よりもクッキーが豊富に使われていたためだろうか。

カフェ今年の営業もあと2日。
吹雪こうが寒かろうが、北国の愛犬家はいろんな楽しみ方を見つけ、犬たちはといえば夏よりも勢いよく駆け回り、喉が渇けば雪を食べたり薄氷の張った食器に強引に口を突っ込み、雪に埋もれて身体を冷やし、抱卵エビのように雪玉をつけては突然驚いたようにそれを噛み砕こうとひっくり返る。
次の新たな発見に向けてあと二日を頑張り、年末年始のお泊まり犬との生活を楽しもうと思う。
 

ラブちゃん、ごめんね。 2005年12月24日(土)

  この1週間カフェで皆さんに可愛がっていただいたビーグルのラブちゃんが今夜元気に飼主の元に帰っていった。
ただし今回は“無事”というわけではなかったことを申し訳なく思っている。

お預かりして3日目頃にはカフェの生活にもすっかり慣れ、他犬との関わりも上手になったので店内ではフリーにする時間が多くなっていた。
ところが帰宅を翌日に控えた昨日、突然「キャンキャーン」という声が聞こえたので見てみるとラブちゃんの左目の数センチ上のところのに長さ2センチ幅2ミリほどの傷がついていた。
どうやらリードで繋がれていた相手の犬とトラブルがあったらしい。
出血もなく傷は浅かったが、指で広げてみると2ミリの幅が倍くらいに広がるため念のため動物病院に連れて行くことにした。

休日の時間外ではあったが快く診察を引き受けてくださり「縫ったほうが治りが早いですよ」という先生の意見に従い局所麻酔で処置をしてもらった。
私と看護師さんでラブちゃんを保定したが、縫合の間じっと我慢してくれたので処置はすぐに終わった。

カフェに戻って、相手の犬に対する恐怖などいわゆるPTSDがないかどうかを観察したが、さすが大らかなビーグルで何事もなかったように振舞ってくれたことに少し安堵した。

お泊まり犬であってもケージ内で預からず、家族の一員として暮らす方法をとっているため、トラブルの可能性はどうしても高くなってしまう。
オープン以来チョコレート事件と併せこれで2度目の失敗である。
「大丈夫、元気そうじゃないですか」
そう言って引き取っていってくださる飼主の寛大さに甘えることなく、これからもできるだけの配慮をしながら今の方法でお泊まり犬を受け入れていきたいと思っている。

ところで、実はもうひとつラブちゃんの飼主に謝らなければならないことがある。
私のちょっとした遊び心から、ラブちゃんに「吠えろ」という命令を教えてしまったことだ。
右手の人差し指を自分の口に当て「吠えろ!」というと、ラブちゃんは最初は遠慮がちに、続いて意を決したかのように「ウォー」と吠えることである。
吠えないことを求めていた飼主さんには迷惑なことだろうが、お泊まりでストレスがかかったラブちゃんにも日に何度か解消する時間を与えたくてつい教えてしまいました。
併せてごめんなさいです。

クリスマスイブの夜に帰宅したラブちゃんが「ウォー」とやってサンタを驚かせないことを祈っています。
 

時は親切な友達 2005年12月23日(金)

  我が家の愛犬スーが逝って今日で1年になる。
今夜はKがこの欄を担当する。

と勝手に書き込んで、酔っ払いのNはお泊り犬3匹がいる居間へとさっさと引き上げていっちまいました。
私はと言えば、昨晩お泊り犬のチワワのるるちゃんにいいだけこき使われて今日はそのせいかどうか持病のアレルギー性鼻炎で鼻の下がカピカピです。
でもって、るるちゃんの代わりに今日は我娘の愛犬、これもチワワのらむが私のベッドで寝ております。
そういえば、今日閉店時にレオンベルガー、ジェニーの飼い主でチワワのちびの飼い主でもあるHさんが「それチワワなの?リカオンでしょ。」って・・・。
確かに腹ペコの野生動物に近い風貌ではあります。でも、ちびはといえばモコモコ二階に上がって行く姿は秋口におなか一杯食べた蝦夷リスですけど。(あ、これHさんに秘密ね。)

「時は何時の日にも親切な友達。過ぎていく昨日を物語に変える。」
ユーミンの歌そのままに、時は優しく悲しみを少しずつ薄めていってくれます。
時と同じく、カフェで毎日繰り広げられる物語が私と長崎の心をいつもいつも温かくしてくれます。
スーはたくさんの方々に囲まれ、愛され本当に幸せでした。
昨年の今日、雪のガーデンで最後のお客様をお見送りしたスーの姿を思いながら、たくさんの有難うを皆様に伝えたくてこれを書きました。
もうすぐ今年も終わりで気ぜわしい毎日と思いますがちょこっと時間を作ってカフェにいらして楽しいひと時をお過ごし下さい。

居間が静かです。3匹と酔いどれおじさんを見に行くことにしましょうか。

「書いたよ。誤字脱字チェックして」
Kの言葉に、飲んだくれながら椎名誠の世界にいた私は我に返りここへやってきた。
心の底にある想いは十分分かっているが、スーを失って1年の時を経たKが書いた言葉を読み返し、『時間と受容』というものを改めて認識した。
理不尽なことへの屈服ではなく、避けて通ることの出来ない『死』に対する受容についてだ。

精一杯の明るさを見せてくれたKと、この1年でそこにまで導いてくださったカフェのお客様に心からの感謝を惜しみません。
ありがとうございました。
 

年も押し詰まった夜に昔を思い出した 2005年12月21日(水)

  まずはお知らせから。
年末のカフェは28日(水)まで営業し、年始は3日(火)からの営業となります。

29日から2日まで私とKはお休みできるかといえば…残念!
お泊まり犬たちがいるため、彼らと遊びながらガーデンの雪山作りに励むことになりそうで、お正月休みは1月5日の最初の定休日だけというのがちょっと寂しい。
その5日にもまだワンちゃんはいるが、シーズーのゴン太だから家族の一員と同じで気楽に行動できるのがよい。

この30年の間、お正月三が日が休みだったのはせいぜい3年くらいじゃなかっただろうか。
盲導犬協会に勤めていた25年のほとんどは、年末年始の勤務を志願していた。
大晦日の夜、犬舎の詰所で犬たちと年を越すのが好きだったし、元旦の朝、出勤してきた他の職員と犬舎管理を終え、おせちを肴にお神酒を飲んでから静まり返った街で訓練するのがとても楽しかった。
心を新たにして、足元にいる訓練犬に「いい盲導犬になるんだぞ」といつも語りかけていた。

現在の協会は職員数も増えているから、正月の出勤者も複数いるが、昔はたった一人で数十頭の犬たちの管理をしていたことを今思い出した。
目が回ったけど、楽しかったなぁ。
電話が鳴っても遠くにいた私が受話器をとる前に切れてしまったり、元旦早々職員・犬たちへの差し入れや寄付金を持ってきてくださる方がいて心温まった。
その頃の犬たちの排便所はフェンスではなく板塀に囲まれていて、来客があってもお互い見ることはできなかったが、板塀にある節穴に目を擦り付けて外を見る犬が可笑しかった。
犬は嗅覚が一番というが、やはり身近な情報は目で確認するんだなといじらしくなったものだ。

まさか退職してからもそんな犬たちとの年末年始を過ごす生活が続くとは思いもしなかったけれど、何かの因果なのだろう。
カフェで3回目の年末を迎える。
慣れが出て失敗もあるかもしれないし、余裕が出て昨年よりもっと楽しめるかもしれない。
今年もあと僅かとなった。
 

グッドとノー。あなたはどっち? 2005年12月19日(月)

  北海道での冬の必需品のひとつに冷蔵庫がある。
ビールが凍らないようにするため、というのがオチらしいが実際外にビールを置くと破裂する夜もあるだろう。
我が家に限らず車庫がある家ではそれ自体が巨大な冷蔵庫だから越冬物の保存には不自由はなくそれこそいくらでも置けるというのが北海道の冬の暮らしである。

さて、夕べのこの欄のことを引き続き書こうとしているが、スタート時点で泥酔状態なのが心配だ。
今夜は8時から“体質改善体操”という人気のクラスでレッスンを受けたものだから、カフェの閉店後も飲酒できず、帰宅して一気にあおることになってしまいその反動が今に来ている。

大切なことを書いていたはずなので、薄れ行く意識の中で髪を掻き乱しながらちょっとだけ書いておこう。

『その場がよければそれでいい』という接し方なら馴化という方法は訓練としても許される範疇にあり、トリミングや動物病院での外来その他諸々の場面で有効であろう。
だが他人には相談しづらい苦労で本当は解決したいと願う問題を抱えている飼主はゴマンといるはずだ。

それがうまくいかない原因のひとつは、人間関係のことなら社会的なことを考慮し自分を見つめなおし信念を貫くか耐え忍ぶかを考えるものだが、そんな習慣が身に染み付いてしまった人は、心許したい愛犬に対してまでお伺いを立てるようになっていることが考えられる。

これから述べることに安易な同意は求めないし同意することの安易さを確かめる必要があるとすら思っているが、私がずうっと長く犬たちと接してきた経験における現在の心境は、残念ながら『グッド!』でなく究極においての『ノー!』を教え込むことであるといわざるを得ない。

本当に訓練を理解している人に伝えたいのはやはり『ノー』である。
我が子とノーマルに暮らすため、我が子の命を守るための『ノー』は、愛犬自らが起こす行動のその先の結末を知らない無垢な状況から彼らを守り、『エンド』ではなく『つづく』という余地を残してくれるだろう。

改めて言う。
犬たちにお手やマテを教えたり、引っ張る犬にゆっくり歩くことなど犬たちの困った行動を改善させるために何らかの行動を教えたいなら『グッド』を用いなさい。
しかし、共に暮らすことをトータルに考え、命すら守ることを願うなら『ノー!』が最終警告であり次の指示に従うことが絶対であることを教えておくべきでなのである。

ノンちゃんがやってるカフェのトリミングは馴化のテストケースであり、その部門での成功例でもあるが、生活部門での問題には別な取り組が求められていることを知っておこう。
 

馴化もあるし訓練もある 2005年12月18日(日)

  豪雪地域の方には不謹慎だと叱られるかもしれないが、ガーデンに雪は少ししか降らなかったので雪山を今日も作ることが出来なかった。
気温はPM11時現在でマイナス9度弱だから寒さは十分冬らしくなっているのだから、今年の札幌は十勝地方のような内陸性の気候になっているのかもしれない。

さて、先日カフェの事務所というか穴倉みたいな倉庫にある私のデスクでパソコンをいじっている時、隣りのトリミング室から聞こえてくるトリマーのノンちゃんの声に考えさせられることがあった。
トリミングの相手はMダックスだったが、少しでも嫌なことをされると今にも噛み付きそうな猛烈な威嚇を繰り返していた。
それに対してノンちゃんは「はいはい、じっとしてて」とか「危ない!動いたら怪我するよ」と諌めるように穏やかな言葉をかけていた。
考えさせられたのはその結果についてである。

『ガウガウ!』という噛み付きに至る声が出たなら私はノンちゃんを守るべくすぐに飛び出す準備をしていたが、結果はそのままトリミング完了となった。

「結構嫌がってましたね。でも後半はだいぶ良くなりましたよ」
ノンちゃんはそう飼主に説明して愛犬を手渡した。
訓練士でもあり経営者でもある私は「それもありかな」と考えたのだ。

ノンちゃんの手法は最近流行の叱らない訓練士が用いる、いわゆる馴化である。
例えば、トリミングに限っていえば“身体を拘束されるのが嫌い”な犬に反抗心があったとしても、それなりに穏やかに付き合うことで『大したことではない』という意識を芽生えさせ、次第に『気持ちいいじゃん』という方向に向けさせていることである。
そしてこれを地道に繰り返し体験させることで、反抗していた犬は柔順になり、長い時間をかけることで結果的にその他のことに対してもおりこうさんなワンちゃんになるという考え方である。

これに対して私のような訓練士は別の考えを持っている。
1.犬種や血統あるいは個体によっては命を駆けても自己を主張する犬もいるから、まずはそれを見極め、そのような犬であるなら前記の方法を支持してうまく付き合う方法と社会に対する注意点を教えるか処分することを勧めるだろう。
2.前記の方法では特定の店でのトリミングにおいて扱いやすくなるのであり、実は“いい気になって”あるいは“社会性の欠如”が起因して“人に対する反抗や攻撃性”が表れている犬に対しての根本解決にはなっておらず、長い時間をかけて叱らない訓練をしたつもりが実は犬の老化によって大人しくなっただけのことで、共に暮らした時間の大半は反抗的で攻撃的だったという結果は多い。
3.だから訓練士は“飼主からのひとつひとつの問題ごと”に耳を傾けながらも目を奪われることなく、事の本質を見抜き、訓練しアドバイスすることが求められているのだと思う。

今夜はここで泥酔なので明日にでも読み返して続きが書ければいいなあ。
 

どなたか奇跡の起こし方を知りませんか? 2005年12月17日(土)

  ちょうど一ヶ月前の今朝、納品先の通路で倒れたYさんの意識は未だ戻らないようだ。
ベッドにいるYさんはすやすやと眠り、時に大きなため息をつくこともある。
耳に付けられたイヤホーンからは大好きな音楽が流れている。

「身体中にいっぱい管付けられて生かされるなんて真っ平だ」と元気な時に言っていたYさんだが、ついているのは流動食と点滴用の管程度だし、自発呼吸もしており、本人にその気があったかどうかは別にしてニコチンもアルコールも体内からすっかり浄化されてしまったものだから健康状態は良好で不平不満は言ってられないはずだ。

「冷たい身体じゃなく温かい身体のパパがいてくれるほうがずっといい」
倒れてから数日後の家族の言葉が優しく前向きで今も忘れられない。
医学的にどうなのかは知らないが、そばにいると「ああ、よく寝た」と大あくびをして起き上がりそうな感じがするし、実際、寝ている時と起きている時があり、起きている時には目を明けて辺りを見ているようだ。

このような病状で、これまで幾度となく奇跡が起こったニュースを私たちは目にしているが、Yさんの家族はもっと前向きに捉えることで邪念を跳ね返そうとしており、その言葉に共感しつつ時に胸が痛む。
「20年間植物状態だった人が意識を取り戻したってニュースがあるでしょ?あれは20年も経ってるからニュースになるのであって、もっと短い期間で回復している人はニュースにならないほどたくさんいるということなんだ」

私が協会を辞めて1年半風来坊をしていたことを羨ましがっていたYさんだから、この際負けじと人生の休息を楽しんでいるのかもしれないが『もう1ヶ月経ちましたよ。外は雪ですよ』と耳元で囁いてみたくなる。
たくさんの人の熱い思いが集まれば奇跡が起きるというわけではないから、Yさん家族の愛情にちょっとだけぶら下がりながら私は私なりに折々の機会を通じてYさんを想い・忘れよう。
奇跡はそんな繰り返しの中で起きるかもしれないから…
 

札幌の喫茶店文化 2005年12月16日(金)

  大雪が日本列島を襲っている。
北海道も例外ではないのだが、ここ札幌だけはある程度まとまった雪は一度しかなく、その雪も今ではほとんど昇華して路面は乾燥またはアイスバーンとなっている。

ただこんなことを書けるのは今夜までらしい。
明日の午後からいよいよ札幌にも大雪が降ると気象予報士は声高に注意を呼びかけている。
この冬、何度も聞いた注意報だが今度は当たるそうだ。
心して備えたいが、書き入れ時の土日が吹雪というのは何とも痛ましい(北海道弁でもったいないの意)限りである。

出来ては消えるドッグカフェ。そんな構図が札幌でも続いている。
もともと喫茶店というのが札幌ではさほど利用されるサービス業ではない。
宮越屋というコーヒーショップがレトロでゆったりした倉庫作りの店内イメージを強調して成長しており、私もお気に入りで何度も利用しているが、関西のように時にファミレス、時にコンビニ、時にホテルのロビー、時に隣りのおばちゃん家という感覚で気軽にカフェを使うという文化は札幌にはない。

基本料金(コーヒーの値段)が高いからか、はたまた利用が少ないから高くなるのかの問題ではないように思う。
突き詰めればそこに行き着くのだろうが、私はそれだけではない文化の違いを感じる。

関西では「おはよう、おばちゃん」というサテンか、我関せずのパブリックな喫茶店が主流だと思うが、そこには何よりも雰囲気を重視する気風はない。
一方、札幌では「おはよう、おばちゃん」を心がける店もあり利用する客もいるが、絶対人口が少ないから客足は伸びず苦戦しており、パブリックなカフェに対しては気品と雰囲気を重視し、滅多に利用するわけでもないのにとっておきのカフェを知っておこうという飾り心があるように思う。

さて、ドッグカフェなるものに札幌の人々は何を求めているのか?
元来喫茶店を利用する文化のない風土に根付くのは難しいことであり、カフェだけを主体に営業するから消えてなくなるのであり、顧客のニーズを知り自らが提示できる付加価値をアピールすれば札幌でドッグカフェは生き残れるだろうと思う。

「冗談じゃない!そんな面倒臭いことできるか。」
盲導犬の訓練から転進し、出来る範囲でこの事業に協力する理解者を広め、家庭犬のアドバイスに尽力している私の言葉に出せない本音であり、関西のカフェ文化ならば批判され叩きのめされているかもしれない今のカフェを里塚緑ヶ丘で営み、勝手なカラーを打ち出してなお支持して下さる方もいるのが札幌(北海道)であることを感謝している。

このことに関しては関西の方から反論もありそうだが、何よりも文脈が通じているのか酔った私には検証不能だ。
要は、喫茶店が根付いていない札幌でもドッグカフェがあり、週末が吹雪でも「頑張るぞ、おお!」と言いたかっただけだ。
 


- Web Diary ver 1.26 -