From the North Country

読書しないと老化は進む 2005年09月26日(月)

  最近本を読まなくなったし、新聞も殆ど飛ばし読みになっている。
情けなく恥じ入ってしまうばかりだ。

私の親父は読書好きで歴史小説や話題の新刊書をよく読んでいたし、現代用語の基礎知識も書棚に並べてあった。
でも晩年はきっと行き詰ってしまっていたと思う。
世界経済やコンピューター関連の用語それに若者言葉が加われば今の私だって混乱し敬遠したくなる。

ソビエト連邦は幾つの国に別れ、その国名と所在を示し西側に属するのかそれとも東側かと聞かれても正直分からない。
中国は共産主義国家であるはずで経済特区までは理解できるにしても、国家全体がアメリカの資本主義草創期ような、まるでJスタインベックの『怒りの葡萄』の時代の政策を政府が行っているのは何故なのだろう?

団塊の世代がこれからの商売のターゲットになるはずなのに、より簡単で理解しやすいコンピューターの普及をコンピューターが割り出せないのは七不思議のひとつであり「その程度のものか」と思ってしまう。

一般家庭犬の訓練をする前にそれらに関する書籍を読んでみたけれど、結局古典的訓練法を基礎にしてそれに自分の経験をプラスし、且つ時代と生活スタイルを加味した私流の訓練の域を出るものではない。
科学的な分析は将来のために必要であるが、使い方によってはそれが一人歩きして大きな混乱をもたらす場合もある。

そんな本を読んだあたりから私は次の本を読むのをためらうようになった気がする。
勿論、老眼が目の疲れを誘い集中力を減衰していたこともある。

面白い本を見つけた喜びは何にも変えがたいものがあるが、どうやらその喜びを私は放棄してしまったようだ。
気がつくと昔からの愛読書にばかり目を通している。
『これは面白い』という本の情報が信頼できる方から届いたら再び読書にチャレンジできるかもしれない。

この他力本願こそが私の老化を促進するのだろうと不安になり、今日のこの欄を一生懸命タイプした。
 

再会とパックスの別れに酔う 2005年09月25日(日)

  いつの間にか夏はすっかり過ぎ去り、強い陽射しですら心地よい日々となっている。
先週末から今日までの9日間で3連休が2度あったため、たくさんのワンちゃんがカフェを訪ねてくれた。
対応が十分ではなかったことをお詫びしなければらないが、それでも多くの方々に喜んでいただけたと皆さんのご協力と寛大さに感謝いたします。

昨日の夕方人妻Mから、高齢のため引退していた秋田のSさんの元盲導犬パックスが死亡し、荼毘に立ち会うためSさんが来ており、おまけに旧名厚田村のY夫妻も来るから飲みに来いという電話が入った。
溜まった疲れとお泊り犬の管理もあるため、一度は断って電話を切ったがどうも胸がスッキリしない。

しばらくして、最も手のかかったお泊り犬の引取りがあったので気分的に楽になり、Kに事情を話すと「行ってこい!」と快く残りの仕事を引き受けて送り出してくれた。

Sさんとは数ヶ月ぶり、Yさんの奥さんとは4年ぶりの再会となった。
「あら〜久しぶり、長崎さん!太ったんじゃない?」という挨拶に始まり、「秋鮭漁のシーズンなのに海流の関係なのか厚田ではハマチが獲れてるんだよ。」と水揚げしたばかりのハマチをご馳走してくれた。
このY夫妻のことはいずれ改めて紹介するとして、まずはパックスの心からの冥福とSさんへのお悔やみを申し上げておこう。

しかし、私がMの家に着いてからは大宴会となり、昼間のうちに涙を流しお別れをしてきたSさんを巻き込んで昔話が大いに盛り上がった。

Sさんはパックスを引退させた時点で、それが永遠の別れであることを覚悟し、もがき・苦しみ、しかし自分が生活するうえで次の盲導犬が必要不可欠であることに思い至っていた。
去年パックスを手放したあの時に、充分過ぎるほどのパックスとの別れの悲しみは終わっていたのである。
いずれ死が訪れ、それまでの過程とその瞬間がやすらかであれ、と願う気持ちだけはずっと持ち続けていたが、それが現実となった昨日は、勿論荼毘に付している時間こそ様々な思いが去来したであろうけれど、Sさんにとってのひとつの区切りがつきホッとした部分もあったのであろう。

結局私たち(いや私だけか?)は酔いつぶれパックスのエピソードやYさんの盲導犬の思い出話に花が咲いた。

どこをどう帰ってきたのか私に記憶はないが、おそらく徒歩・地下鉄・タクシーを乗り継いで私は我が家に戻っていた。
地下鉄は寝過ごして終点まで乗ったような記憶がチラとある。
 

実はいい子なラッキー君 2005年09月23日(金)

  今夜お泊りのMダックスラッキー君の行動に対する私の対応、さらにそれに対しての彼のささやかな変化が誰かの役に立つかもしれないと思って今夜のこの欄を書いてみよう。

ラッキーは他犬が接近すると鼻に皺を寄せたあとためらうことなく噛み付いてしまう。
相手が小型犬の場合はそうでないこともあるが、その見分けが何処にあるかなどは私には意味を成さない。

「うちの犬は大型犬がダメなんです」「オス犬が相手だとどうも…」などと言われることはあるけれど、私なら『理由はともあれ、相手に噛み付く行為は許されない。何故なら相手にも言い分はあるだろうし、それぞれの犬を愛する飼主がいる』と考えるからで、相手が気に食わなかろうが相手に落ち度があろうが、攻撃を仕掛けている犬に制御を行う。

さて、ラッキー君は接近したラブラドールに噛み付こうとした。
もっとも身近にあった私の足がラッキーの口先に飛んだ瞬間、ラッキーは逆切れして私の足を執拗に攻撃した。
すかさずリードショックを行うと、キャンキャンと鳴いて大人しくなった。
実はここがラッキーの見所ありと私に思わせた瞬間だった。

病的で矯正が難しい犬はここでさらにパニックになるから即座に別の対応を行わなければならないのだが、ラッキーは「ウヘェーこりゃかなわんわ」と愛らしいキャラを持ったいい子だった。
これまでの習慣でしばらくは鼻に皺を寄せて攻撃的な態度をみせるのだが、ここをうまく制御すれば“妙に頑張らない愛犬”が誕生する。

リードに繋がれたラッキーはまた、私たちが食事をしている時にせがむような意味合いをこめて声を出し続けた。
普通の飼主なら「ああ、よしよし。ほれ、放せって言ってるんだわ。ダメよラッキー、ダメよ」と叱るでもないなだめの言葉かけて、明日からも同じような生活を行うことになる。

様々な前後関係があるのだが、何度かするどくたしなめた私に対して、今夜のラッキーは『こいつらにいつもの手は通用しない』と思ったのだろう、変わり身の速さであの手この手を使って私の懐柔を促そうとしている。
ただ、その方法の中に吠えることと反抗的な態度はなく、愛らしく人の心をくすぐるような所作があって
『これなら私も乗ってあげていい』と思い始めている。

愛犬のキャラを否定することなく、楽しい暮らしと社会生活が営めるように導くのは飼主の役目であろう。
そんな風にまとめようとしたらKがフードプロセッサーを使ったとたん激しく吠え始めて、道のりの長さを感じた。
 

温厚な私の怒り 2005年09月21日(水)

  苫小牧でラブラドールなど犬4頭を餓死させた飼主が逮捕されたとのニュースが流れた。
報道によるとこの飼主は今年3月にも同様の事件を起こして50万円の罰金刑を受けていたといい、本人は「餌も水も与えていたが、犬がそれを摂取しようとしなかった」と罪状を否認しているということだ。

異臭がするという近所の方の通報で事件が発覚したというから、少なくとも常識的で良心的な飼い主でないことは明らかである。
もし精神などの障害者でないなら叩きのめしてやりたい気持ちだ。

犬は生きる糧を飼主に依存する。
犬だけでなく人間の子供も同様で、未熟な時期の命を依存しているにも拘らず虐待の報道は後を絶たない。
この『依存していること』を過剰に受け止め、将来を考えてのしつけも行わず放任したり溺愛するのも同様に問題であるし、彼らの命まで自分の所有物であるかのようにもてあそぶのも許せない。

妙な発想になってしまってまとめきれるかどうかわからないけど、子を虐待して殺したり、自分でないと対応できないなどと思い込みが強すぎて心中や殺戮を図るくらいなら、人の子も犬も手放してしまえ!
勿論、そのような人間には本来、子や犬を育てる資格はないのだが、結果論的なことを言っても始まらない。
虐待や殺すことを考えるくらいなら、手放すという選択肢のほうがまだマシだ。
冷静でまともな人間なら子や犬の幸せのためあらゆる手立てを考えるだろうが、このような事件を起こす奴等にそのようなアドバイスは少なくともその時点では通用しない。
だから『捨てる』という発想だってセカンドワーストとしてあってよい。

捨て子や捨て犬を根絶するキャンペーンは常人に対しての呼びかけであり、非常人に対しては「殺す前に捨てる勇気を持て!」とそそのかし、実行した奴をボコボコにしたい。

そういえば改定動物愛護法で私の仕事も10月(だったかな)までに届け出をしなければならないはずだが、何の通知も来ないまま放置していた。
やるべきことはやっておこう。

ところで先週私は犬を虐待したことも告白しておかなければならない。
長いお泊り犬のアトム君は家で余程美味しいものを食べていたのか、初日の朝と夕ご飯を与えても「へん!こんなもの食えるか!」とそっぽを向いた。
5分で私はそれを片付け、副食の肉は他犬に与え、残りのフードはアトムの目の前でゴミ箱に捨てた。
アトムは餓死することなく翌日からガツガツ食べるようになった。

よく聞け!苫小牧の犯人!ラブラドールが餓死するまで「このフードはまずい!」と食べないことなどあり得ないのだ!
それでも食べなかったというのなら病気すら見抜けなかった己のマヌケさと犬を飼う資格などない冷酷さと観察力を恥じよ!
自称愛犬家を演じるこんな人間を私は絶対許さない。
 

忙しさの陰で… 2005年09月19日(月)

  「今日何回お皿洗った?」
「もう忘れちゃいました」
カフェのキッチンを預かるKとスタッフはこんな会話を交わしていたという。
こっそりとカフェを抜け出し、私は2台の冷蔵庫の製氷機では間にあわない氷を買いにコンビニへ走ったりもした。
秋晴れの中、今日のカフェはそれほど賑わった。

いつものとおり予め断っておかなければならないが、カフェが賑わうときは売り上げが悪いという悲しい循環があり、“働き損のくたびれ儲け”というのが現実である。
混雑しているからカフェの商品をゆっくり見ることがなく普段よりも物販の売り上げは落ち込み、ドリンクやお食事だけで数時間を過ごされるので結果的に売り上げが伸びないシステムが出来上がっている。

勘違いされないようにこれも予め断っておかなければならないが、私たちはそれを愚痴りながらも楽しんでいるようだ。
理由は良く分からないけど、時間の過ごし方が贅沢で楽しいのだと思う。

「おまえも悪よのぉ、越後屋。うわぁっはっは!」
というようなあくどい商売も魅力的だが、誰がオーナーで誰が客だか分からないような雰囲気の中で、世間話や犬談義をアウトドアでしていると満たされた気分になってくるのは仕方のないことどころかうれしい限りなのだ。

ただ、今日は疲れた。
本当に疲れた。
Kは身体が、私は神経が…。
同じ部位でなかったことが幸いかどうかわからない。
しかし、どちらの方が辛いなどと野暮な話を私たちは決してしない。
こんな楽しいカフェを続けるには二人がへこたれてはいけないし、男が女を思いやるのは当然だからだ。

[業務連絡]
Yさん!男は辛いけど“成らぬ堪忍、成すが堪忍”ですゾ。
またいつか傷の舐め合いをしましょう。

さあ、お泊り犬と爽やかな外気溢れるガーデンに出よう。
まずは私の神経を安らがせ、早めに寝てKの疲れを癒そう。
今日のお客さんが一見の客ではなくいずれ常連の仲間入りをされることを願っている。
 

犬育ての原点 2005年09月18日(日)

  夜に入って蒸し暑い十五夜となっている。
外に出てみると天高く、ややおぼろながらも周囲を明るく照らす満月があった。
外気は心地よいのだが、風の街の風が止まっていることとお泊り犬の体温が室温を上げているのかもしれない。

「覚えていますか?」
「えっ?何ていうワンちゃんでしょう?」
午後に入ってようやく雨も上がり、曇り空となったカフェにMダックス2匹を伴った初老のご夫婦が来られた。
「Oです。新聞を見て懐かしく思い出され訪ねてみました。」とご自分の名前を名乗られた瞬間
「えっ?マミーとメリーのパピーウォーカーのOさんですか?」と即座に私は反応していた。

実に20数年ぶりの再開だった。
まだ私が駆け出しの訓練士だった頃に担当していたパピーウォーカーで、犬の名前がすぐに出るくらい記憶に残っている方だった。
野菜や食品を扱う商店を営んでおられ、当時は盲導犬についての理解が低かったけれど、最初のマミーはお店の人気者となり、後に夕張で盲導犬として活躍した。
2頭目のメリーは以前この欄でも紹介したが佐呂間町のKさんの目となり、視覚障害を持つ明るい夫婦の一人息子健吾君の成長を共に支えてきた。
3頭目のナンシーは残念ながらキャリアチェンジとなったが2頭の盲導犬に貢献した実績は評価されるべきものだ。

しばらくは再開の挨拶を交わしたものの、どうやらもうひとつの目的は現在飼っているMダックスのしつけ相談ということだった。
リードを預かってみると2匹のうちの1匹は社会性に大きな問題があり相当苦労されていることがすぐに読んで取れた。
聞くところによると、最初の犬は自宅からお店にいつも一緒に通っていたのに対し、後から来た犬はずっと自宅で育てたのだという。

職場に犬を連れて行くというのはこの上ない社会経験を与えることであり、それこそがパピーウォーキングの目的で結果的に良い犬が育つ可能性が極めて高い。
反面、自宅で箱入り何とかのように育ててしまえば、とりわけMダックスであればおかしなことになってしまうのは明白だ。

狂ったようにパニックになってしまうわんこを制御し、それなりにガーデンの一員にしたが
「あと百回通わないと『マシ』といえる状態にはならないでしょう」と私は告げたがあながち冗談ではなかった。

Oさん自身も犬育ての原点がパピーウォーキングにあり、それに反して育てた我が子に申しわけなさを感じておられるようだった。

「長い間、協会に勤められて本当にご苦労様でしたね」
Oさんの優しい言葉で私はふと20数年前に立ち返り、『この人柄がマミーとメリーという心優しい盲導犬を育て、いつまでも私の記憶に残っている』ことを思い起こさせてくれた。
ただ、悔しいけれど人柄だけでは犬を育てられない現実も垣間見た思いもあり、一人でも多くの心優しい飼主に私の経験を伝えていきたいと改めて感じた。
 

こんな“元気なじじい”もあっていい? 2005年09月17日(土)

  昨日は曜日を一日勘違いしていたようだ。
カフェの混み具合からてっきり昨日を土曜日だと思ってしまったらしい。
平日が混みあうことなど滅多にないから頭が自然とそう反応してしまったのだろう。

一旦思い込んでしまったことを誤りと認め、修正できる能力を人は大切にしなければならないし、それは人間性と評価されるべきものでもある。

若い頃は自信に満ち溢れていたため、他人の忠告を聞かず『絶対こうだ!』と思い込み決めつけてしまうことが誰しもあっただろう。

誤ったことにも屁理屈を付けて頑固に言い張る様を“飛んでも黒豆”という言葉で表すことがある。
少し離れたところに黒い物があるのだが、何らかの前後関係(例えばおせち料理をひっくり返してしまったとか)の出来事もあって、それを黒豆だと思い込んでしまう。
他人が「そうは見えない。あれは虫じゃないか?」と忠告しても「いや絶対黒豆だ」と言い張り、しばらくして黒い物が動き出すと、「きっとアリが運んでいるのだ」と正当性を主張する。

終いに黒い物が飛んで行っても「やはりあれは黒豆だった」と、今となっては証明できないことをいいことに自らの主張を曲げない頑固偏屈者を揶揄する言葉である。

幸いにも年を重ねてきた私は、思い込み・物忘れ・物覚えの悪さをここ数年嫌というほど経験しているから、他人にそう言われればそうかもしれないと思い込んでしまう素直さの反面、“振り込め詐欺被害者予備軍”としての注意が必要だ。
『忘却とは忘れ去ることなり』という懐かしい言葉があるが、今の私には『忘却とは忘れようとして思い出せないこと』でもある。

夜中にふと目覚め、「ここは何処だ?」と思われた経験はないだろうか?
頭に生じた不協和を私たちは周囲の状況を見て、冷静に記憶を手繰り寄せ、「そうか夕べは宴会で温泉宿に泊まっているのだ」と苦笑いしてしまうこともある。

ちょっと待て!
それはない!
飛躍しすぎ!

年をとると、つい昨日の曜日を間違えたくらいで、くどく仰々しく巧妙な言い訳をしてしまうようだ。
ああ、クワバラクワバラ
 

自分のペースに犬を引きずり込む 2005年09月16日(金)

  春で言えば名残り雪のような秋の残暑だった。
天気は下り坂になるらしく明夜の名月は見れそうにないから、今夜のおぼろな月と明後日の欠け始める月、それにカフェ周辺の穂をいっぱいに広げたススキで秋の深まりを感じることにしよう。

努めて情緒的に秋を感じようとするのにはちょっとした訳がある。
3連休を前に久々のお泊り犬たちがいて、私なりに神経を使っており気の高ぶりを抑えるには、月夜とススキが旬のものでヒーリング効果があると考えたからである。

玉付きのお泊り犬ラブラドールが他犬に対して強がって見せても私は頭に血が上らずに、他犬とうまく付き合えるように対処できるだろう。
スキを見ては食い物をせしめようとすばやい動きを見せるMダックスに対しても怒りよりも同情を感じるようになるはずだ。
体はデカイけど甘えん坊でわがままな行動をとり、思い通りにならない指示をすると鼻に皺を寄せて不満と反抗的な表情を見せるゴールデンに対しても私は逆ギレすることなく自己抑制できるだろう。

しかし、さっきまで鼻を鳴らし続けていたビーグルに対しては、それ以上のエスカレートをみせないよう注意を与えていたが、仮にビーグル特有の吠え声を上げ始めたら我が家の平穏な生活は破壊され、私は名月とススキの癒し効果もなく温厚とは言えない制御に乗り出したかも知れない。

開け放した窓から爽やかに吹き込む冷たい夜風、心地よいアルコールの巡り、久しぶりに流れるカーペンターズのCDが私と犬たちの居る空間を包み込み、それぞれの犬は眠りにつき始めている。

「ハックショーン!!」
私はことさら大きなくしゃみをして眠りかけの犬たちを飛び起きさせる。
寝るにはまだ早いぞ!朝早くから君たちに起こされたくないからね。
君たちが熟睡できるのは私がパジャマを着てベッドに潜り込んだ時からだ。
「やれやれ、これでようやく安眠できる」
犬たちにそう思わせるのが私のやり方だ。

これからみんなを起こして冷たい空気を思いっきり吸い込み、おぼろ月を見ながらのトイレタイムとしよう。
明日からはお泊り犬が徐々に変わっていくことだろう。
 

『先生』の悩みと喜び 2005年09月14日(水)

  先日の新聞にカフェの記事が出て、新たなお客さんが訪ねてくれている。
「記事を見て遊びに来ました」という方は僅かで、ほとんどが“しつけ相談”であることに現代の愛犬家の苦労を垣間見ることが出来る。

しつけ相談であるから仕方がないけれど、犬の行動に対してネガティブな話ばかりで実は気が滅入りそうになる。
お医者さんのように特効薬や手術で解決できるわけではないし、「ああ、風邪ですね」と通り一遍の処方があるわけでもない。
犬種や性格・家庭環境それに飼主の性格や知識・考え方・本気度などを吟味して対応しないと、『筋の通った綺麗ごと』だけでは解決に結びつかない。
それを言葉だけで理解してもらっているのだから相当な頭の労力とそれなりの時間がかかっている。(これを有料にするシステムが整ってないのが悔やまれる)

しかし、動物病院の先生も『治療半ばなのにそれ以後やってこない』とか『犬の病気の原因は飼い方にありそうだ』など、飼主にズバリと言うに言えないストレスを感じておられるだろう。
人間の子供を預かる教育現場に携わっている方はさらに苦労とストレスがあるはずだ。
家庭環境は複雑多岐だし、ゲンコツ程度の愛の鞭も使えないとなると両手足を縛られたような状態で言葉と心それに自らの行動で教育しなければならないのだから。
言葉が通じる分犬を育てるよりいいかと思えば、通じてしまうから「うざいんだよぉ」と反抗される。
私のように興奮した犬を我に返す方法はうまくやれば使えるかもしれないが、下手をすれば返り討ちにあうか懲戒処分を受けるだろう。

私も滅入るが、もっと滅入っている人もいるようだ。
以下の例えの意味が違っているのを承知の上で書くが、昔、最高の苦労をしながらも最低の生活を強いられていた農民の不満を抑えるために“士農工商”という見せかけの階級があった。
何故か皆さんから先生と呼ばれている私は『私も頑張っているが、もっと頑張っている先生がいる』と考えたいし、これをポジティブというのか無策というのか分からないが『先生と呼ばれるほどの馬鹿じゃなし』と冷めた部分もある。

ともあれ、あと何年やれるか分からない時間の中で、残念ながらいい加減な飼主の愛犬には申し訳ないが、せめて真剣に相談を寄せられる方には精一杯の知識と技術を提供したい。

「新聞を見て大喜びでやって来ました!覚えていますか?」
もう20年近く前にウェンディという盲導犬候補のパピーウォーカーをされたHさんが私の所在を知って駆けつけてくれた。
「もう70になりましたから、パピーウォーカーはできないんですが、長崎さんのおかげでとても楽しい経験をさせていただきました」

いつの日か分からないが何人ものそんな人と喜びを分かち合えたいし、そのような想いを飼主に残せるような素敵な犬に育ってくれるのが私たちの願いである。
 

酒が飲めるゾー 2005年09月12日(月)

  昨日は選挙報道を見ながら飲んだくれてしまった。
毎夜飲んだくれているのだが、その理由をとって付けたように語れるのはやはり後ろめたさが軽減されてありがたい。
来週は十五夜だし秋分の日もある。来月は阪神タイガースの優勝だし、同窓会もある。
♪酒が飲める飲めるゾー酒が飲めるゾー♪

タイガースの優勝といえば次男の誕生日が来月であることを思い出した。
忘れもしない昭和60年10月14日。
21年ぶりの優勝マジック1が出た日に我が子は生まれた。
「猛虎と書いてタケトラと命名するのはどうか」
この提案は冷ややかな眼差しと共にあっさり却下されたが、翌々日の16日にタイガースは見事優勝し私は歓喜の雄叫びを上げ酔いつぶれた。

待てよ、今年は昭和で言えば80年だから息子は二十歳ということか。
時にこの欄は役に立つこともある。

「そうか、オヤジは俺が二十歳になったことを覚えていてくれたのか…」
離れて住む我が息子はそう感慨深げにつぶやくに違いない。
そのためには今から何かプレゼントを考えておかなければなるまい。
「ふぅむ」と私は考え込んだが、息子が喜ぶものといえば“お金と釣り”に決まっている。
前者で満足させるほどのものは提供できないから、釣行で不足分を補うのが賢い選択だろう。

酒とタイガースの優勝マジックが親子の断絶を未然に防いでくれるかもしれないことに今夜は感謝し祝杯をあげることにしよう。
そして来月は二十歳になった息子と
♪酒が飲める飲めるゾー酒が飲めるゾー♪
 


- Web Diary ver 1.26 -