From the North Country

こんな“元気なじじい”もあっていい? 2005年09月17日(土)

  昨日は曜日を一日勘違いしていたようだ。
カフェの混み具合からてっきり昨日を土曜日だと思ってしまったらしい。
平日が混みあうことなど滅多にないから頭が自然とそう反応してしまったのだろう。

一旦思い込んでしまったことを誤りと認め、修正できる能力を人は大切にしなければならないし、それは人間性と評価されるべきものでもある。

若い頃は自信に満ち溢れていたため、他人の忠告を聞かず『絶対こうだ!』と思い込み決めつけてしまうことが誰しもあっただろう。

誤ったことにも屁理屈を付けて頑固に言い張る様を“飛んでも黒豆”という言葉で表すことがある。
少し離れたところに黒い物があるのだが、何らかの前後関係(例えばおせち料理をひっくり返してしまったとか)の出来事もあって、それを黒豆だと思い込んでしまう。
他人が「そうは見えない。あれは虫じゃないか?」と忠告しても「いや絶対黒豆だ」と言い張り、しばらくして黒い物が動き出すと、「きっとアリが運んでいるのだ」と正当性を主張する。

終いに黒い物が飛んで行っても「やはりあれは黒豆だった」と、今となっては証明できないことをいいことに自らの主張を曲げない頑固偏屈者を揶揄する言葉である。

幸いにも年を重ねてきた私は、思い込み・物忘れ・物覚えの悪さをここ数年嫌というほど経験しているから、他人にそう言われればそうかもしれないと思い込んでしまう素直さの反面、“振り込め詐欺被害者予備軍”としての注意が必要だ。
『忘却とは忘れ去ることなり』という懐かしい言葉があるが、今の私には『忘却とは忘れようとして思い出せないこと』でもある。

夜中にふと目覚め、「ここは何処だ?」と思われた経験はないだろうか?
頭に生じた不協和を私たちは周囲の状況を見て、冷静に記憶を手繰り寄せ、「そうか夕べは宴会で温泉宿に泊まっているのだ」と苦笑いしてしまうこともある。

ちょっと待て!
それはない!
飛躍しすぎ!

年をとると、つい昨日の曜日を間違えたくらいで、くどく仰々しく巧妙な言い訳をしてしまうようだ。
ああ、クワバラクワバラ
 

自分のペースに犬を引きずり込む 2005年09月16日(金)

  春で言えば名残り雪のような秋の残暑だった。
天気は下り坂になるらしく明夜の名月は見れそうにないから、今夜のおぼろな月と明後日の欠け始める月、それにカフェ周辺の穂をいっぱいに広げたススキで秋の深まりを感じることにしよう。

努めて情緒的に秋を感じようとするのにはちょっとした訳がある。
3連休を前に久々のお泊り犬たちがいて、私なりに神経を使っており気の高ぶりを抑えるには、月夜とススキが旬のものでヒーリング効果があると考えたからである。

玉付きのお泊り犬ラブラドールが他犬に対して強がって見せても私は頭に血が上らずに、他犬とうまく付き合えるように対処できるだろう。
スキを見ては食い物をせしめようとすばやい動きを見せるMダックスに対しても怒りよりも同情を感じるようになるはずだ。
体はデカイけど甘えん坊でわがままな行動をとり、思い通りにならない指示をすると鼻に皺を寄せて不満と反抗的な表情を見せるゴールデンに対しても私は逆ギレすることなく自己抑制できるだろう。

しかし、さっきまで鼻を鳴らし続けていたビーグルに対しては、それ以上のエスカレートをみせないよう注意を与えていたが、仮にビーグル特有の吠え声を上げ始めたら我が家の平穏な生活は破壊され、私は名月とススキの癒し効果もなく温厚とは言えない制御に乗り出したかも知れない。

開け放した窓から爽やかに吹き込む冷たい夜風、心地よいアルコールの巡り、久しぶりに流れるカーペンターズのCDが私と犬たちの居る空間を包み込み、それぞれの犬は眠りにつき始めている。

「ハックショーン!!」
私はことさら大きなくしゃみをして眠りかけの犬たちを飛び起きさせる。
寝るにはまだ早いぞ!朝早くから君たちに起こされたくないからね。
君たちが熟睡できるのは私がパジャマを着てベッドに潜り込んだ時からだ。
「やれやれ、これでようやく安眠できる」
犬たちにそう思わせるのが私のやり方だ。

これからみんなを起こして冷たい空気を思いっきり吸い込み、おぼろ月を見ながらのトイレタイムとしよう。
明日からはお泊り犬が徐々に変わっていくことだろう。
 

『先生』の悩みと喜び 2005年09月14日(水)

  先日の新聞にカフェの記事が出て、新たなお客さんが訪ねてくれている。
「記事を見て遊びに来ました」という方は僅かで、ほとんどが“しつけ相談”であることに現代の愛犬家の苦労を垣間見ることが出来る。

しつけ相談であるから仕方がないけれど、犬の行動に対してネガティブな話ばかりで実は気が滅入りそうになる。
お医者さんのように特効薬や手術で解決できるわけではないし、「ああ、風邪ですね」と通り一遍の処方があるわけでもない。
犬種や性格・家庭環境それに飼主の性格や知識・考え方・本気度などを吟味して対応しないと、『筋の通った綺麗ごと』だけでは解決に結びつかない。
それを言葉だけで理解してもらっているのだから相当な頭の労力とそれなりの時間がかかっている。(これを有料にするシステムが整ってないのが悔やまれる)

しかし、動物病院の先生も『治療半ばなのにそれ以後やってこない』とか『犬の病気の原因は飼い方にありそうだ』など、飼主にズバリと言うに言えないストレスを感じておられるだろう。
人間の子供を預かる教育現場に携わっている方はさらに苦労とストレスがあるはずだ。
家庭環境は複雑多岐だし、ゲンコツ程度の愛の鞭も使えないとなると両手足を縛られたような状態で言葉と心それに自らの行動で教育しなければならないのだから。
言葉が通じる分犬を育てるよりいいかと思えば、通じてしまうから「うざいんだよぉ」と反抗される。
私のように興奮した犬を我に返す方法はうまくやれば使えるかもしれないが、下手をすれば返り討ちにあうか懲戒処分を受けるだろう。

私も滅入るが、もっと滅入っている人もいるようだ。
以下の例えの意味が違っているのを承知の上で書くが、昔、最高の苦労をしながらも最低の生活を強いられていた農民の不満を抑えるために“士農工商”という見せかけの階級があった。
何故か皆さんから先生と呼ばれている私は『私も頑張っているが、もっと頑張っている先生がいる』と考えたいし、これをポジティブというのか無策というのか分からないが『先生と呼ばれるほどの馬鹿じゃなし』と冷めた部分もある。

ともあれ、あと何年やれるか分からない時間の中で、残念ながらいい加減な飼主の愛犬には申し訳ないが、せめて真剣に相談を寄せられる方には精一杯の知識と技術を提供したい。

「新聞を見て大喜びでやって来ました!覚えていますか?」
もう20年近く前にウェンディという盲導犬候補のパピーウォーカーをされたHさんが私の所在を知って駆けつけてくれた。
「もう70になりましたから、パピーウォーカーはできないんですが、長崎さんのおかげでとても楽しい経験をさせていただきました」

いつの日か分からないが何人ものそんな人と喜びを分かち合えたいし、そのような想いを飼主に残せるような素敵な犬に育ってくれるのが私たちの願いである。
 

酒が飲めるゾー 2005年09月12日(月)

  昨日は選挙報道を見ながら飲んだくれてしまった。
毎夜飲んだくれているのだが、その理由をとって付けたように語れるのはやはり後ろめたさが軽減されてありがたい。
来週は十五夜だし秋分の日もある。来月は阪神タイガースの優勝だし、同窓会もある。
♪酒が飲める飲めるゾー酒が飲めるゾー♪

タイガースの優勝といえば次男の誕生日が来月であることを思い出した。
忘れもしない昭和60年10月14日。
21年ぶりの優勝マジック1が出た日に我が子は生まれた。
「猛虎と書いてタケトラと命名するのはどうか」
この提案は冷ややかな眼差しと共にあっさり却下されたが、翌々日の16日にタイガースは見事優勝し私は歓喜の雄叫びを上げ酔いつぶれた。

待てよ、今年は昭和で言えば80年だから息子は二十歳ということか。
時にこの欄は役に立つこともある。

「そうか、オヤジは俺が二十歳になったことを覚えていてくれたのか…」
離れて住む我が息子はそう感慨深げにつぶやくに違いない。
そのためには今から何かプレゼントを考えておかなければなるまい。
「ふぅむ」と私は考え込んだが、息子が喜ぶものといえば“お金と釣り”に決まっている。
前者で満足させるほどのものは提供できないから、釣行で不足分を補うのが賢い選択だろう。

酒とタイガースの優勝マジックが親子の断絶を未然に防いでくれるかもしれないことに今夜は感謝し祝杯をあげることにしよう。
そして来月は二十歳になった息子と
♪酒が飲める飲めるゾー酒が飲めるゾー♪
 

思い込んでいませんか? 2005年09月10日(土)

  「うちの子は大型犬が苦手で」
「うちは黒ラブがダメ」
「小型犬を見ると追い回すんです」

そんな話をよく耳にする。
だからといって大型犬や黒ラブを見て吠えたり、小型犬を追い回した言い訳にするのはちょっとおかしいと思う。

確かに過去のどこかで何かがあってそれぞれの状況になったのだろうが、飼い主までその気になって思い込んだり決めつけたりして、わが子の代弁をしてしまうのはやはりおかしいと思う。

苦手な犬を見て尻込みしてしまうなら事は慎重に進めなければならないが、吠え立てたり追い回したりする犬ならまずきちんと制御をすれば大方の場合、それなりの解決を見ることが出来るものだ。
『それなり』というのは、苦手の体型や色に対して不安を持った犬たちとうまく遊べるようになるというのではなく、少なくとも同じ空間にいて吠えたり追い回すことなく相手を受け入れるということだ。

制御という発想もなく、犬の行動を見てよき理解者になったり代弁者になることは、家庭内でのお遊びなら楽しいものと大いに賛同するが、社会に出て“相手がある”場合にも同様の気持ちでいたとしたらそれは大きな過ちだと思う。
愛犬は良かれ悪しかれ飼い主とその環境に影響を受けて育つものだ。
今一度愛犬を客観的に見て、受け入れるべき行動と改善するべき行動をふるいにかけてみては如何だろう。

その結果に対する相談やアドバイスはカフェで受けることが出来、5割以上の確率で改善されると思う。
 

記者の取材から 2005年09月09日(金)

  台風14号はカフェ周辺では被害をもたらすことなく比較的穏やかに通り過ぎて行ってくれた。
今日からの週間予報は晴れマークが続いてちょっとうれしくなる。

先日、北海道新聞社の記者が取材に来られた。
「犬の飼い主のマナーについてお伺いしたのですが」と問いかける彼女の目には怒りに似た輝きがあった。
「犬は好きですか?」
「嫌いではありませんが飼ってはいません」
「それはいい。いい立場での記事が書けそうですね」
そんな話を前置きにした時点で、彼女は冷静な記者の目になり取材は進められた。

彼女がこのテーマを選んだ理由は、居住地域の公園で平気で犬のブラッシングを行い、その毛を放置する飼い主がいることに怒りを覚えたのが端緒らしい。

自宅以外の場所で愛犬のブラッシングをした経験があり、殆どの毛は持ち帰るが一部の毛は…という私はやや劣勢に立ったが、
「私も見かけます。公園を散歩していたら明らかに犬の毛と思われるものがバサッと放置してありますね。あれはいけません!仮に公園でブラッシングしたときはウンチと同じように持ち帰るべきです。ウンチといえば、カフェを始めた年のこの地域も放置ウンチがたくさんありました。一年経ってずいぶん減ってきたことを嬉しく思います」

「カフェが出来てこの地域の放置ウンチが減ったのですか?」
記者は私の思惑通り公園でのブラッシングの件から話題を転換してくれた。

「去年の春よりずっと放置ウンチは少なくなりました。まだ不届き者はいますが、カフェに来店される飼い主のマナーや訓練中の犬たちを見て、『ウンチは処理すべきもの』であり、その『処理方法』をこっそり見て実行される方が増え、それがさらに好循環を与えているのではないでしょうか。そんなことより、犬の飼い主のマナーというのはカフェをやってもっと他のことに感じることがあります」
私はさらに話題を転換し、自宅外でのブラッシングの話題を遠ざけた。

「ほほお、どんなことでしょうか?」
彼女は私の誘いにうまく乗ってくれたのだが、この話題になると今度は私の話が留まることを知らなかった。

・公園デビューの際に先住犬の飼い主が愛犬を繋ぐなどの配慮もせず、我物顔で新入りのわんこを恐怖に陥れること
・ドッグカフェやペットと泊まれるペンションなどでは、排尿やマーキングをしやすくなることに無配慮で『何でもあり』の振る舞いをし、その上飼い主が無頓着であること
・少なくとも不特定多数が利用するカフェなどで、人の食器やテーブルを犬が舐めたり、人の食べ物を平気で犬に与える飼い主がいること

立て板に水のごとくそんな話を続けていたら、記者は一旦頭の整理が必要と判断し、改めて考えた上で連絡をすると言い残して帰って行った。
どんな方向性で今後取材するのか楽しみにしている。

ところで、社会に対して申し訳ないと思っていることに対してささやかな言い分を書かせていただきたい。
・カフェの抜け毛はその殆どを集めてゴミ箱に捨てているが完全ではない。ただ、カラスやスズメなどの鳥たちが口一杯に咥えて飛び立つ場面をよく目にしている。
・散歩中のウンチは勿論しっかり持ち帰って処理している。オシッコも人家周辺ではさせないようにしているけど、空き地や電柱では『雨風・陽光それに自然界のバクテリアが処理してくれる』と甘んじている。
「いいべや!北海道なんだから」
千本の矢が飛んできそうで怖い。
 

立ち向かうのではなく受け入れることも必要 2005年09月07日(水)

  日中は前線の影響で雨が降り続き、夕方になって台風14号で風雨が強まってきた。
日付が変わる前の現在は、時折強い風雨はあるものの暴風雨という状況ではない。
朝からラティスを片付け、フラワーポットやその他飛ばされそうなものは一通りまとめておいたので大きな被害は出ないだろうと期待している。
それにしても、空気が生ぬるく気持ち悪い。
『気持ち悪いですか?私にとっては普通なのですが湿気が多いとみんなに嫌われます。気持ち悪いですか?』
南の国の風にはそんな泣き言を言われ、ちょっと気の毒になるがやはり北国には似つかわしくない。

瀬棚付近に台風が上陸とのテロップが流れた。
雨にさらされ続けた一日だったが、明日が定休日であることが幸いだ。
貯水率100%のガーデンは明日のうちに排水することが出来るし、Kに言わせれば「台風のときや危機的な状況のとき生き生きした表情になるよね」と評される私は冷静に対処する準備は出来ている。

「こんな大雨の日にお客さんが何組来られるか賭けしない?」
不届きなスタッフがそんなことを言い始めた。
しかし、開店してから一度も経験のない“来客ゼロ”を予感していた私には、『何組来店するか?』という前提の賭けはうれしく感じるものがあり、経営的には問題があったが最高値を予想したスタッフが勝利を収めたことに私は安堵した。

人生、日々の出来事に一喜一憂しつつも大局を見据えておけば、うろたえることなく生きていけると思うのだが如何なものか同輩諸氏。
 

ラブっ子を育てる 2005年09月06日(火)

  台風の接近を前に『今のうち』とばかりに常連の皆さんがカフェを訪ねてくれた。
陽射しが強い時間帯もあったが、そこはもうすでに秋の陽射しで、心地よく「来年またね」と暑さとの決別を宣言した。

1ヶ月ほど前からラブラドールのメイちゃんの訓練をしている。
ラブの仔犬といえばカフェやドッグラン等では要注意犬にあたる。
本人には全く悪気はないのだが、見かける犬・出会う人に体当たりで喜びを表してしまうからで、ラブっ子に見初められた小型犬は逃げ惑った挙句、ラブラドールを恐怖の対象としてインプットしてしまう可能性が高い。

生後4ヶ月と遊び心満載のメイちゃんも、訓練前は小型犬を追い回す勢いがあり、ガーデンに小型犬が入るときにはリードでの捕獲状態となった。
何度かの訓練とガーデンでの私の対応によって、前回あたりから制御が利くようになっていたので、今日は小型犬が何頭かいたにも関わらず早めの釈放となった。

追い回そうとするメイにきつめの声をかけると、その意味を理解するようになっているのがはっきり分かる。

他犬に対してちょっかいを出しすぎる犬の飼い主は、他犬が現れるとリードを手繰り寄せるようにして愛犬の動きを封じ込め、自らが楯になるように覆いかぶさりその場を無事乗り越えようとする光景をよく目の当たりにする。
そんなやり方では何も改善されず、一生同じような対応をしなければならないだろう。

メイに対しては歩行訓練を行う中で、楽しいこと・制限される行動・基礎訓練の基礎を教え、ガーデンでフリーにすることで羽目をはずさせ、その結果に対して厳しく対処することを繰り返し、『何が良くて何が悪いのか』を犬にも分かるように伝えている。

4ヶ月のメイにはきついかもしれないけれど、放置すれば相手の小型犬に恐怖体験を及ぼしかねないのだから、この制御はやむを得ないし、ラブの成長に欠かせない重要な体験をしていると私は確信している。

そして今日のメイは徐々に私たちの期待に応える反応を示しており、密かに私も信頼でき『話の分かる犬』に近づきつつあると感じた。
確かなものにするためには、メイがさらに羽目をはずし私が顔を真っ赤にして叱りつける回数をしばらく積み重ねることが必要だろう。
腹を立てて叱るのではなく、犬を育てるという意味を理解して欲しい。
 

吠え犬に対するひとつの考え方 2005年09月05日(月)

  最近のレッスンで耳にたこが出来るように繰り返していることがある。
私にとってはひとつの方法だが、愛犬家にとって理解できることなのか改めて問うてみたい。

散歩中の愛犬が吠えて困っていたとしよう。

犬が吠えるのは機能的にも本能的にも持ち合わせていることだから私は驚かない。
その犬が吠えるのは、そのことを正当に感じ、飼い主からも認められ、内からこみ上げてくる指示に従っているまでのことだ。

日頃から、どちらかと言えば頼りなく愛玩としての犬として暮らしている方に、神経細やかな犬が組み合わされば犬は吠える傾向が高くなるのは当たり前である。
「ダメよ!これ、ダメよ!」という飼い主の言葉は「ほれ、頑張りなさい。母さんがついてるよ!」という風に犬には聞こえているとも思う。
「母ちゃんと自分は私が頑張って守らなきゃ」とでも感じているようだ。

犬の吠えに対する私の前提はちょっと違い、したがって対処の仕方も変わっている。
まず、吠えるように育てた犬に言い聞かせは通用しないと考えた方がよいと思う。(例外もあるがその率はきわめて低いからここでは省く)
それが通用するならとっくの昔にいい子になっているはずで、それほど多くの方は言い聞かせてきたはずだ。
『犬に言葉が通じるのは当たり前』であるが、それはいい関係が出来てのことで、『話せば分かる』と最初から思っていると痛い目にあう。

このような場合、まず行うべきは言葉が通じない相手にこちらの強い意思をどのように伝えるかである。
極端な例えで恐縮であるが、私がアフガンである武装勢力に拘束されたとしよう。
『殺されるかもしれない!』と感じた私は、パニックを起こし吠えまくることも考えられる。
現地の言葉で『静かにして座りなさい』という言葉をかけられても、相手の興奮した声や意味の分からない言葉に私のパニックはさらに高まり、とうとう相手は銃を空に向けて撃ち、その音で興奮した私は我に返るだろう。(もし、即刻撃ち殺されなければ)

犬に対して大声を上げて「うるさい!黙れ!」というようなものだが、普通銃声にも匹敵するような大声を出せる方は少ないし、出せばヒンシュクを買う。

パニックを起こしている私には銃声もさることながら、肩を強く叩いたり、水をぶっ掛けたりしてまず興奮している私を我に返すことが必要である。
一旦冷静に戻ったなら、言葉は通じなくてもゼスチャーやボディコンタクトなどで、「そこに座れ」ということを伝えることが出来るだろう。

そこで私は銃を抱えた相手にまずは服従し、相手の意思を確かめようと観察力を働かせることになる。

思わぬ方向に話が展開されたので戸惑ってしまう。
何も、犬と暮らすときに銃を持ったような威圧的な接し方をするべきなどと言っているのではない。むしろデレデレしながらおもちゃの銃を犬から突きつけられて「やあ、こまったこまった。何とか助けてください」とふざけながら暮らすうちに犬を育てていくのが私の流儀であることを押さえておいていただきたい。

つまりここでは、今までの犬育てで失敗し、言い聞かせても吠えることを止めない愛犬を何とか立ち直らせてあげたいと切実に考えている方へのひとつのアドバイスを述べているだけである。

言葉を発すれば却って相手を興奮させるのだから、無言でリードによる制御を飼い主は身に付けることが必要だ。
目的は吠えて興奮している愛犬を我に返すことで叱ることではない。
1度のショックで相手が我に返れば、そのショックは強過ぎたということ。
5度ショックをかけてもまだ吠えていれば、何の意味もなさないショックをかけているということ。
2〜3度のショックで我に返る強さがちょうどよく、その強さは愛犬の興奮度合いによって調整されるべきものである。

以上のことは気持ちをしっかり持ち、なおかつ図に乗って吠え続ける犬に効果的ではあるが、社会経験が不足しているうえに繊細な感受性を備えている犬には注意が必要である。
いずれにせよ、ここで読んだことを早合点して安易に用いることはしないで欲しい。
あくまでも、考え方の一例を述べたに過ぎず、実行するには多くの配慮とテクニックが必要であることを機会があれば学んで欲しい。
もし子犬を迎え入れたばかりの方は、デレデレしながらうまく配慮しつつ育てる方法を学ぶと面白いことを付け加えておく。
 

出会いと別れ 2005年09月04日(日)

  すっかり秋の気配が漂い、半袖では寒く感じるようになってきた。
掛け布団を頭からスッポリ被った状態で目覚めるのが心地よい。

9月最初の日曜日、それが今年は今日4日であり、北海道盲導犬協会のパピーウォーカーが一年間手塩にかけて育ててきた愛犬たちとの別れの日で、盲導犬候補犬となる若き犬たちにとって新たなスタートの日でもある。

今日“委託終了式”を終えた犬たちは今頃、夜の排便に出ている時間であるが、心は家族のお迎えを待っていることであろう。
この状態は1週間程度続く。
一方、犬と別れた元パピーウォーカーはポッカリと空いた隙間を埋めるのに苦労されているに違いない。
こちらの心は修復に時間がかかり、数ヶ月を要することもある。

これから数週間、若き犬たちは盲導犬としての適性検査を受け彼らの進むべき道が決まっていく。
どのような結果になろうとも、パピーウォーカーからの愛情を燦燦と浴びた犬たちは、人に優しく愛される生活を送っていくことだろう。

9月4日はまたKの誕生日でもあり、彼女と私を結び付けてくれた盲目の愛犬ケンピーの2回目の命日でもある。

陽気で人懐っこいケンピーは盲目となった後、動くことをやめ感情を表現することを控えてしまっていた。
視覚障害が専門だった私は、そんなケンピーの歩行に対する不安を取り除き、安全を確保しながら以前のような明るさを取り戻すことに力を尽くした。
それは私にとっても楽しい日々で、刻々と変化していくケンピーの心模様が手に取るように分かり、深い信頼とKの愛情によって彼は見事に第2の人生を受け入れ、見えていた頃にも増して言葉と感情を理解するようになってくれた。

9月。
秋の爽やかな風を感じるたび、“人と犬の出会いと別れ”をパピーウォーカーそしてケンピーの命日が思い起こさせてくれる。
 


- Web Diary ver 1.26 -