From the North Country

温厚な私の怒り 2005年09月21日(水)

  苫小牧でラブラドールなど犬4頭を餓死させた飼主が逮捕されたとのニュースが流れた。
報道によるとこの飼主は今年3月にも同様の事件を起こして50万円の罰金刑を受けていたといい、本人は「餌も水も与えていたが、犬がそれを摂取しようとしなかった」と罪状を否認しているということだ。

異臭がするという近所の方の通報で事件が発覚したというから、少なくとも常識的で良心的な飼い主でないことは明らかである。
もし精神などの障害者でないなら叩きのめしてやりたい気持ちだ。

犬は生きる糧を飼主に依存する。
犬だけでなく人間の子供も同様で、未熟な時期の命を依存しているにも拘らず虐待の報道は後を絶たない。
この『依存していること』を過剰に受け止め、将来を考えてのしつけも行わず放任したり溺愛するのも同様に問題であるし、彼らの命まで自分の所有物であるかのようにもてあそぶのも許せない。

妙な発想になってしまってまとめきれるかどうかわからないけど、子を虐待して殺したり、自分でないと対応できないなどと思い込みが強すぎて心中や殺戮を図るくらいなら、人の子も犬も手放してしまえ!
勿論、そのような人間には本来、子や犬を育てる資格はないのだが、結果論的なことを言っても始まらない。
虐待や殺すことを考えるくらいなら、手放すという選択肢のほうがまだマシだ。
冷静でまともな人間なら子や犬の幸せのためあらゆる手立てを考えるだろうが、このような事件を起こす奴等にそのようなアドバイスは少なくともその時点では通用しない。
だから『捨てる』という発想だってセカンドワーストとしてあってよい。

捨て子や捨て犬を根絶するキャンペーンは常人に対しての呼びかけであり、非常人に対しては「殺す前に捨てる勇気を持て!」とそそのかし、実行した奴をボコボコにしたい。

そういえば改定動物愛護法で私の仕事も10月(だったかな)までに届け出をしなければならないはずだが、何の通知も来ないまま放置していた。
やるべきことはやっておこう。

ところで先週私は犬を虐待したことも告白しておかなければならない。
長いお泊り犬のアトム君は家で余程美味しいものを食べていたのか、初日の朝と夕ご飯を与えても「へん!こんなもの食えるか!」とそっぽを向いた。
5分で私はそれを片付け、副食の肉は他犬に与え、残りのフードはアトムの目の前でゴミ箱に捨てた。
アトムは餓死することなく翌日からガツガツ食べるようになった。

よく聞け!苫小牧の犯人!ラブラドールが餓死するまで「このフードはまずい!」と食べないことなどあり得ないのだ!
それでも食べなかったというのなら病気すら見抜けなかった己のマヌケさと犬を飼う資格などない冷酷さと観察力を恥じよ!
自称愛犬家を演じるこんな人間を私は絶対許さない。
 

忙しさの陰で… 2005年09月19日(月)

  「今日何回お皿洗った?」
「もう忘れちゃいました」
カフェのキッチンを預かるKとスタッフはこんな会話を交わしていたという。
こっそりとカフェを抜け出し、私は2台の冷蔵庫の製氷機では間にあわない氷を買いにコンビニへ走ったりもした。
秋晴れの中、今日のカフェはそれほど賑わった。

いつものとおり予め断っておかなければならないが、カフェが賑わうときは売り上げが悪いという悲しい循環があり、“働き損のくたびれ儲け”というのが現実である。
混雑しているからカフェの商品をゆっくり見ることがなく普段よりも物販の売り上げは落ち込み、ドリンクやお食事だけで数時間を過ごされるので結果的に売り上げが伸びないシステムが出来上がっている。

勘違いされないようにこれも予め断っておかなければならないが、私たちはそれを愚痴りながらも楽しんでいるようだ。
理由は良く分からないけど、時間の過ごし方が贅沢で楽しいのだと思う。

「おまえも悪よのぉ、越後屋。うわぁっはっは!」
というようなあくどい商売も魅力的だが、誰がオーナーで誰が客だか分からないような雰囲気の中で、世間話や犬談義をアウトドアでしていると満たされた気分になってくるのは仕方のないことどころかうれしい限りなのだ。

ただ、今日は疲れた。
本当に疲れた。
Kは身体が、私は神経が…。
同じ部位でなかったことが幸いかどうかわからない。
しかし、どちらの方が辛いなどと野暮な話を私たちは決してしない。
こんな楽しいカフェを続けるには二人がへこたれてはいけないし、男が女を思いやるのは当然だからだ。

[業務連絡]
Yさん!男は辛いけど“成らぬ堪忍、成すが堪忍”ですゾ。
またいつか傷の舐め合いをしましょう。

さあ、お泊り犬と爽やかな外気溢れるガーデンに出よう。
まずは私の神経を安らがせ、早めに寝てKの疲れを癒そう。
今日のお客さんが一見の客ではなくいずれ常連の仲間入りをされることを願っている。
 

犬育ての原点 2005年09月18日(日)

  夜に入って蒸し暑い十五夜となっている。
外に出てみると天高く、ややおぼろながらも周囲を明るく照らす満月があった。
外気は心地よいのだが、風の街の風が止まっていることとお泊り犬の体温が室温を上げているのかもしれない。

「覚えていますか?」
「えっ?何ていうワンちゃんでしょう?」
午後に入ってようやく雨も上がり、曇り空となったカフェにMダックス2匹を伴った初老のご夫婦が来られた。
「Oです。新聞を見て懐かしく思い出され訪ねてみました。」とご自分の名前を名乗られた瞬間
「えっ?マミーとメリーのパピーウォーカーのOさんですか?」と即座に私は反応していた。

実に20数年ぶりの再開だった。
まだ私が駆け出しの訓練士だった頃に担当していたパピーウォーカーで、犬の名前がすぐに出るくらい記憶に残っている方だった。
野菜や食品を扱う商店を営んでおられ、当時は盲導犬についての理解が低かったけれど、最初のマミーはお店の人気者となり、後に夕張で盲導犬として活躍した。
2頭目のメリーは以前この欄でも紹介したが佐呂間町のKさんの目となり、視覚障害を持つ明るい夫婦の一人息子健吾君の成長を共に支えてきた。
3頭目のナンシーは残念ながらキャリアチェンジとなったが2頭の盲導犬に貢献した実績は評価されるべきものだ。

しばらくは再開の挨拶を交わしたものの、どうやらもうひとつの目的は現在飼っているMダックスのしつけ相談ということだった。
リードを預かってみると2匹のうちの1匹は社会性に大きな問題があり相当苦労されていることがすぐに読んで取れた。
聞くところによると、最初の犬は自宅からお店にいつも一緒に通っていたのに対し、後から来た犬はずっと自宅で育てたのだという。

職場に犬を連れて行くというのはこの上ない社会経験を与えることであり、それこそがパピーウォーキングの目的で結果的に良い犬が育つ可能性が極めて高い。
反面、自宅で箱入り何とかのように育ててしまえば、とりわけMダックスであればおかしなことになってしまうのは明白だ。

狂ったようにパニックになってしまうわんこを制御し、それなりにガーデンの一員にしたが
「あと百回通わないと『マシ』といえる状態にはならないでしょう」と私は告げたがあながち冗談ではなかった。

Oさん自身も犬育ての原点がパピーウォーキングにあり、それに反して育てた我が子に申しわけなさを感じておられるようだった。

「長い間、協会に勤められて本当にご苦労様でしたね」
Oさんの優しい言葉で私はふと20数年前に立ち返り、『この人柄がマミーとメリーという心優しい盲導犬を育て、いつまでも私の記憶に残っている』ことを思い起こさせてくれた。
ただ、悔しいけれど人柄だけでは犬を育てられない現実も垣間見た思いもあり、一人でも多くの心優しい飼主に私の経験を伝えていきたいと改めて感じた。
 

こんな“元気なじじい”もあっていい? 2005年09月17日(土)

  昨日は曜日を一日勘違いしていたようだ。
カフェの混み具合からてっきり昨日を土曜日だと思ってしまったらしい。
平日が混みあうことなど滅多にないから頭が自然とそう反応してしまったのだろう。

一旦思い込んでしまったことを誤りと認め、修正できる能力を人は大切にしなければならないし、それは人間性と評価されるべきものでもある。

若い頃は自信に満ち溢れていたため、他人の忠告を聞かず『絶対こうだ!』と思い込み決めつけてしまうことが誰しもあっただろう。

誤ったことにも屁理屈を付けて頑固に言い張る様を“飛んでも黒豆”という言葉で表すことがある。
少し離れたところに黒い物があるのだが、何らかの前後関係(例えばおせち料理をひっくり返してしまったとか)の出来事もあって、それを黒豆だと思い込んでしまう。
他人が「そうは見えない。あれは虫じゃないか?」と忠告しても「いや絶対黒豆だ」と言い張り、しばらくして黒い物が動き出すと、「きっとアリが運んでいるのだ」と正当性を主張する。

終いに黒い物が飛んで行っても「やはりあれは黒豆だった」と、今となっては証明できないことをいいことに自らの主張を曲げない頑固偏屈者を揶揄する言葉である。

幸いにも年を重ねてきた私は、思い込み・物忘れ・物覚えの悪さをここ数年嫌というほど経験しているから、他人にそう言われればそうかもしれないと思い込んでしまう素直さの反面、“振り込め詐欺被害者予備軍”としての注意が必要だ。
『忘却とは忘れ去ることなり』という懐かしい言葉があるが、今の私には『忘却とは忘れようとして思い出せないこと』でもある。

夜中にふと目覚め、「ここは何処だ?」と思われた経験はないだろうか?
頭に生じた不協和を私たちは周囲の状況を見て、冷静に記憶を手繰り寄せ、「そうか夕べは宴会で温泉宿に泊まっているのだ」と苦笑いしてしまうこともある。

ちょっと待て!
それはない!
飛躍しすぎ!

年をとると、つい昨日の曜日を間違えたくらいで、くどく仰々しく巧妙な言い訳をしてしまうようだ。
ああ、クワバラクワバラ
 

自分のペースに犬を引きずり込む 2005年09月16日(金)

  春で言えば名残り雪のような秋の残暑だった。
天気は下り坂になるらしく明夜の名月は見れそうにないから、今夜のおぼろな月と明後日の欠け始める月、それにカフェ周辺の穂をいっぱいに広げたススキで秋の深まりを感じることにしよう。

努めて情緒的に秋を感じようとするのにはちょっとした訳がある。
3連休を前に久々のお泊り犬たちがいて、私なりに神経を使っており気の高ぶりを抑えるには、月夜とススキが旬のものでヒーリング効果があると考えたからである。

玉付きのお泊り犬ラブラドールが他犬に対して強がって見せても私は頭に血が上らずに、他犬とうまく付き合えるように対処できるだろう。
スキを見ては食い物をせしめようとすばやい動きを見せるMダックスに対しても怒りよりも同情を感じるようになるはずだ。
体はデカイけど甘えん坊でわがままな行動をとり、思い通りにならない指示をすると鼻に皺を寄せて不満と反抗的な表情を見せるゴールデンに対しても私は逆ギレすることなく自己抑制できるだろう。

しかし、さっきまで鼻を鳴らし続けていたビーグルに対しては、それ以上のエスカレートをみせないよう注意を与えていたが、仮にビーグル特有の吠え声を上げ始めたら我が家の平穏な生活は破壊され、私は名月とススキの癒し効果もなく温厚とは言えない制御に乗り出したかも知れない。

開け放した窓から爽やかに吹き込む冷たい夜風、心地よいアルコールの巡り、久しぶりに流れるカーペンターズのCDが私と犬たちの居る空間を包み込み、それぞれの犬は眠りにつき始めている。

「ハックショーン!!」
私はことさら大きなくしゃみをして眠りかけの犬たちを飛び起きさせる。
寝るにはまだ早いぞ!朝早くから君たちに起こされたくないからね。
君たちが熟睡できるのは私がパジャマを着てベッドに潜り込んだ時からだ。
「やれやれ、これでようやく安眠できる」
犬たちにそう思わせるのが私のやり方だ。

これからみんなを起こして冷たい空気を思いっきり吸い込み、おぼろ月を見ながらのトイレタイムとしよう。
明日からはお泊り犬が徐々に変わっていくことだろう。
 

『先生』の悩みと喜び 2005年09月14日(水)

  先日の新聞にカフェの記事が出て、新たなお客さんが訪ねてくれている。
「記事を見て遊びに来ました」という方は僅かで、ほとんどが“しつけ相談”であることに現代の愛犬家の苦労を垣間見ることが出来る。

しつけ相談であるから仕方がないけれど、犬の行動に対してネガティブな話ばかりで実は気が滅入りそうになる。
お医者さんのように特効薬や手術で解決できるわけではないし、「ああ、風邪ですね」と通り一遍の処方があるわけでもない。
犬種や性格・家庭環境それに飼主の性格や知識・考え方・本気度などを吟味して対応しないと、『筋の通った綺麗ごと』だけでは解決に結びつかない。
それを言葉だけで理解してもらっているのだから相当な頭の労力とそれなりの時間がかかっている。(これを有料にするシステムが整ってないのが悔やまれる)

しかし、動物病院の先生も『治療半ばなのにそれ以後やってこない』とか『犬の病気の原因は飼い方にありそうだ』など、飼主にズバリと言うに言えないストレスを感じておられるだろう。
人間の子供を預かる教育現場に携わっている方はさらに苦労とストレスがあるはずだ。
家庭環境は複雑多岐だし、ゲンコツ程度の愛の鞭も使えないとなると両手足を縛られたような状態で言葉と心それに自らの行動で教育しなければならないのだから。
言葉が通じる分犬を育てるよりいいかと思えば、通じてしまうから「うざいんだよぉ」と反抗される。
私のように興奮した犬を我に返す方法はうまくやれば使えるかもしれないが、下手をすれば返り討ちにあうか懲戒処分を受けるだろう。

私も滅入るが、もっと滅入っている人もいるようだ。
以下の例えの意味が違っているのを承知の上で書くが、昔、最高の苦労をしながらも最低の生活を強いられていた農民の不満を抑えるために“士農工商”という見せかけの階級があった。
何故か皆さんから先生と呼ばれている私は『私も頑張っているが、もっと頑張っている先生がいる』と考えたいし、これをポジティブというのか無策というのか分からないが『先生と呼ばれるほどの馬鹿じゃなし』と冷めた部分もある。

ともあれ、あと何年やれるか分からない時間の中で、残念ながらいい加減な飼主の愛犬には申し訳ないが、せめて真剣に相談を寄せられる方には精一杯の知識と技術を提供したい。

「新聞を見て大喜びでやって来ました!覚えていますか?」
もう20年近く前にウェンディという盲導犬候補のパピーウォーカーをされたHさんが私の所在を知って駆けつけてくれた。
「もう70になりましたから、パピーウォーカーはできないんですが、長崎さんのおかげでとても楽しい経験をさせていただきました」

いつの日か分からないが何人ものそんな人と喜びを分かち合えたいし、そのような想いを飼主に残せるような素敵な犬に育ってくれるのが私たちの願いである。
 

酒が飲めるゾー 2005年09月12日(月)

  昨日は選挙報道を見ながら飲んだくれてしまった。
毎夜飲んだくれているのだが、その理由をとって付けたように語れるのはやはり後ろめたさが軽減されてありがたい。
来週は十五夜だし秋分の日もある。来月は阪神タイガースの優勝だし、同窓会もある。
♪酒が飲める飲めるゾー酒が飲めるゾー♪

タイガースの優勝といえば次男の誕生日が来月であることを思い出した。
忘れもしない昭和60年10月14日。
21年ぶりの優勝マジック1が出た日に我が子は生まれた。
「猛虎と書いてタケトラと命名するのはどうか」
この提案は冷ややかな眼差しと共にあっさり却下されたが、翌々日の16日にタイガースは見事優勝し私は歓喜の雄叫びを上げ酔いつぶれた。

待てよ、今年は昭和で言えば80年だから息子は二十歳ということか。
時にこの欄は役に立つこともある。

「そうか、オヤジは俺が二十歳になったことを覚えていてくれたのか…」
離れて住む我が息子はそう感慨深げにつぶやくに違いない。
そのためには今から何かプレゼントを考えておかなければなるまい。
「ふぅむ」と私は考え込んだが、息子が喜ぶものといえば“お金と釣り”に決まっている。
前者で満足させるほどのものは提供できないから、釣行で不足分を補うのが賢い選択だろう。

酒とタイガースの優勝マジックが親子の断絶を未然に防いでくれるかもしれないことに今夜は感謝し祝杯をあげることにしよう。
そして来月は二十歳になった息子と
♪酒が飲める飲めるゾー酒が飲めるゾー♪
 

思い込んでいませんか? 2005年09月10日(土)

  「うちの子は大型犬が苦手で」
「うちは黒ラブがダメ」
「小型犬を見ると追い回すんです」

そんな話をよく耳にする。
だからといって大型犬や黒ラブを見て吠えたり、小型犬を追い回した言い訳にするのはちょっとおかしいと思う。

確かに過去のどこかで何かがあってそれぞれの状況になったのだろうが、飼い主までその気になって思い込んだり決めつけたりして、わが子の代弁をしてしまうのはやはりおかしいと思う。

苦手な犬を見て尻込みしてしまうなら事は慎重に進めなければならないが、吠え立てたり追い回したりする犬ならまずきちんと制御をすれば大方の場合、それなりの解決を見ることが出来るものだ。
『それなり』というのは、苦手の体型や色に対して不安を持った犬たちとうまく遊べるようになるというのではなく、少なくとも同じ空間にいて吠えたり追い回すことなく相手を受け入れるということだ。

制御という発想もなく、犬の行動を見てよき理解者になったり代弁者になることは、家庭内でのお遊びなら楽しいものと大いに賛同するが、社会に出て“相手がある”場合にも同様の気持ちでいたとしたらそれは大きな過ちだと思う。
愛犬は良かれ悪しかれ飼い主とその環境に影響を受けて育つものだ。
今一度愛犬を客観的に見て、受け入れるべき行動と改善するべき行動をふるいにかけてみては如何だろう。

その結果に対する相談やアドバイスはカフェで受けることが出来、5割以上の確率で改善されると思う。
 

記者の取材から 2005年09月09日(金)

  台風14号はカフェ周辺では被害をもたらすことなく比較的穏やかに通り過ぎて行ってくれた。
今日からの週間予報は晴れマークが続いてちょっとうれしくなる。

先日、北海道新聞社の記者が取材に来られた。
「犬の飼い主のマナーについてお伺いしたのですが」と問いかける彼女の目には怒りに似た輝きがあった。
「犬は好きですか?」
「嫌いではありませんが飼ってはいません」
「それはいい。いい立場での記事が書けそうですね」
そんな話を前置きにした時点で、彼女は冷静な記者の目になり取材は進められた。

彼女がこのテーマを選んだ理由は、居住地域の公園で平気で犬のブラッシングを行い、その毛を放置する飼い主がいることに怒りを覚えたのが端緒らしい。

自宅以外の場所で愛犬のブラッシングをした経験があり、殆どの毛は持ち帰るが一部の毛は…という私はやや劣勢に立ったが、
「私も見かけます。公園を散歩していたら明らかに犬の毛と思われるものがバサッと放置してありますね。あれはいけません!仮に公園でブラッシングしたときはウンチと同じように持ち帰るべきです。ウンチといえば、カフェを始めた年のこの地域も放置ウンチがたくさんありました。一年経ってずいぶん減ってきたことを嬉しく思います」

「カフェが出来てこの地域の放置ウンチが減ったのですか?」
記者は私の思惑通り公園でのブラッシングの件から話題を転換してくれた。

「去年の春よりずっと放置ウンチは少なくなりました。まだ不届き者はいますが、カフェに来店される飼い主のマナーや訓練中の犬たちを見て、『ウンチは処理すべきもの』であり、その『処理方法』をこっそり見て実行される方が増え、それがさらに好循環を与えているのではないでしょうか。そんなことより、犬の飼い主のマナーというのはカフェをやってもっと他のことに感じることがあります」
私はさらに話題を転換し、自宅外でのブラッシングの話題を遠ざけた。

「ほほお、どんなことでしょうか?」
彼女は私の誘いにうまく乗ってくれたのだが、この話題になると今度は私の話が留まることを知らなかった。

・公園デビューの際に先住犬の飼い主が愛犬を繋ぐなどの配慮もせず、我物顔で新入りのわんこを恐怖に陥れること
・ドッグカフェやペットと泊まれるペンションなどでは、排尿やマーキングをしやすくなることに無配慮で『何でもあり』の振る舞いをし、その上飼い主が無頓着であること
・少なくとも不特定多数が利用するカフェなどで、人の食器やテーブルを犬が舐めたり、人の食べ物を平気で犬に与える飼い主がいること

立て板に水のごとくそんな話を続けていたら、記者は一旦頭の整理が必要と判断し、改めて考えた上で連絡をすると言い残して帰って行った。
どんな方向性で今後取材するのか楽しみにしている。

ところで、社会に対して申し訳ないと思っていることに対してささやかな言い分を書かせていただきたい。
・カフェの抜け毛はその殆どを集めてゴミ箱に捨てているが完全ではない。ただ、カラスやスズメなどの鳥たちが口一杯に咥えて飛び立つ場面をよく目にしている。
・散歩中のウンチは勿論しっかり持ち帰って処理している。オシッコも人家周辺ではさせないようにしているけど、空き地や電柱では『雨風・陽光それに自然界のバクテリアが処理してくれる』と甘んじている。
「いいべや!北海道なんだから」
千本の矢が飛んできそうで怖い。
 

立ち向かうのではなく受け入れることも必要 2005年09月07日(水)

  日中は前線の影響で雨が降り続き、夕方になって台風14号で風雨が強まってきた。
日付が変わる前の現在は、時折強い風雨はあるものの暴風雨という状況ではない。
朝からラティスを片付け、フラワーポットやその他飛ばされそうなものは一通りまとめておいたので大きな被害は出ないだろうと期待している。
それにしても、空気が生ぬるく気持ち悪い。
『気持ち悪いですか?私にとっては普通なのですが湿気が多いとみんなに嫌われます。気持ち悪いですか?』
南の国の風にはそんな泣き言を言われ、ちょっと気の毒になるがやはり北国には似つかわしくない。

瀬棚付近に台風が上陸とのテロップが流れた。
雨にさらされ続けた一日だったが、明日が定休日であることが幸いだ。
貯水率100%のガーデンは明日のうちに排水することが出来るし、Kに言わせれば「台風のときや危機的な状況のとき生き生きした表情になるよね」と評される私は冷静に対処する準備は出来ている。

「こんな大雨の日にお客さんが何組来られるか賭けしない?」
不届きなスタッフがそんなことを言い始めた。
しかし、開店してから一度も経験のない“来客ゼロ”を予感していた私には、『何組来店するか?』という前提の賭けはうれしく感じるものがあり、経営的には問題があったが最高値を予想したスタッフが勝利を収めたことに私は安堵した。

人生、日々の出来事に一喜一憂しつつも大局を見据えておけば、うろたえることなく生きていけると思うのだが如何なものか同輩諸氏。
 


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