From the North Country

ラブっ子を育てる 2005年09月06日(火)

  台風の接近を前に『今のうち』とばかりに常連の皆さんがカフェを訪ねてくれた。
陽射しが強い時間帯もあったが、そこはもうすでに秋の陽射しで、心地よく「来年またね」と暑さとの決別を宣言した。

1ヶ月ほど前からラブラドールのメイちゃんの訓練をしている。
ラブの仔犬といえばカフェやドッグラン等では要注意犬にあたる。
本人には全く悪気はないのだが、見かける犬・出会う人に体当たりで喜びを表してしまうからで、ラブっ子に見初められた小型犬は逃げ惑った挙句、ラブラドールを恐怖の対象としてインプットしてしまう可能性が高い。

生後4ヶ月と遊び心満載のメイちゃんも、訓練前は小型犬を追い回す勢いがあり、ガーデンに小型犬が入るときにはリードでの捕獲状態となった。
何度かの訓練とガーデンでの私の対応によって、前回あたりから制御が利くようになっていたので、今日は小型犬が何頭かいたにも関わらず早めの釈放となった。

追い回そうとするメイにきつめの声をかけると、その意味を理解するようになっているのがはっきり分かる。

他犬に対してちょっかいを出しすぎる犬の飼い主は、他犬が現れるとリードを手繰り寄せるようにして愛犬の動きを封じ込め、自らが楯になるように覆いかぶさりその場を無事乗り越えようとする光景をよく目の当たりにする。
そんなやり方では何も改善されず、一生同じような対応をしなければならないだろう。

メイに対しては歩行訓練を行う中で、楽しいこと・制限される行動・基礎訓練の基礎を教え、ガーデンでフリーにすることで羽目をはずさせ、その結果に対して厳しく対処することを繰り返し、『何が良くて何が悪いのか』を犬にも分かるように伝えている。

4ヶ月のメイにはきついかもしれないけれど、放置すれば相手の小型犬に恐怖体験を及ぼしかねないのだから、この制御はやむを得ないし、ラブの成長に欠かせない重要な体験をしていると私は確信している。

そして今日のメイは徐々に私たちの期待に応える反応を示しており、密かに私も信頼でき『話の分かる犬』に近づきつつあると感じた。
確かなものにするためには、メイがさらに羽目をはずし私が顔を真っ赤にして叱りつける回数をしばらく積み重ねることが必要だろう。
腹を立てて叱るのではなく、犬を育てるという意味を理解して欲しい。
 

吠え犬に対するひとつの考え方 2005年09月05日(月)

  最近のレッスンで耳にたこが出来るように繰り返していることがある。
私にとってはひとつの方法だが、愛犬家にとって理解できることなのか改めて問うてみたい。

散歩中の愛犬が吠えて困っていたとしよう。

犬が吠えるのは機能的にも本能的にも持ち合わせていることだから私は驚かない。
その犬が吠えるのは、そのことを正当に感じ、飼い主からも認められ、内からこみ上げてくる指示に従っているまでのことだ。

日頃から、どちらかと言えば頼りなく愛玩としての犬として暮らしている方に、神経細やかな犬が組み合わされば犬は吠える傾向が高くなるのは当たり前である。
「ダメよ!これ、ダメよ!」という飼い主の言葉は「ほれ、頑張りなさい。母さんがついてるよ!」という風に犬には聞こえているとも思う。
「母ちゃんと自分は私が頑張って守らなきゃ」とでも感じているようだ。

犬の吠えに対する私の前提はちょっと違い、したがって対処の仕方も変わっている。
まず、吠えるように育てた犬に言い聞かせは通用しないと考えた方がよいと思う。(例外もあるがその率はきわめて低いからここでは省く)
それが通用するならとっくの昔にいい子になっているはずで、それほど多くの方は言い聞かせてきたはずだ。
『犬に言葉が通じるのは当たり前』であるが、それはいい関係が出来てのことで、『話せば分かる』と最初から思っていると痛い目にあう。

このような場合、まず行うべきは言葉が通じない相手にこちらの強い意思をどのように伝えるかである。
極端な例えで恐縮であるが、私がアフガンである武装勢力に拘束されたとしよう。
『殺されるかもしれない!』と感じた私は、パニックを起こし吠えまくることも考えられる。
現地の言葉で『静かにして座りなさい』という言葉をかけられても、相手の興奮した声や意味の分からない言葉に私のパニックはさらに高まり、とうとう相手は銃を空に向けて撃ち、その音で興奮した私は我に返るだろう。(もし、即刻撃ち殺されなければ)

犬に対して大声を上げて「うるさい!黙れ!」というようなものだが、普通銃声にも匹敵するような大声を出せる方は少ないし、出せばヒンシュクを買う。

パニックを起こしている私には銃声もさることながら、肩を強く叩いたり、水をぶっ掛けたりしてまず興奮している私を我に返すことが必要である。
一旦冷静に戻ったなら、言葉は通じなくてもゼスチャーやボディコンタクトなどで、「そこに座れ」ということを伝えることが出来るだろう。

そこで私は銃を抱えた相手にまずは服従し、相手の意思を確かめようと観察力を働かせることになる。

思わぬ方向に話が展開されたので戸惑ってしまう。
何も、犬と暮らすときに銃を持ったような威圧的な接し方をするべきなどと言っているのではない。むしろデレデレしながらおもちゃの銃を犬から突きつけられて「やあ、こまったこまった。何とか助けてください」とふざけながら暮らすうちに犬を育てていくのが私の流儀であることを押さえておいていただきたい。

つまりここでは、今までの犬育てで失敗し、言い聞かせても吠えることを止めない愛犬を何とか立ち直らせてあげたいと切実に考えている方へのひとつのアドバイスを述べているだけである。

言葉を発すれば却って相手を興奮させるのだから、無言でリードによる制御を飼い主は身に付けることが必要だ。
目的は吠えて興奮している愛犬を我に返すことで叱ることではない。
1度のショックで相手が我に返れば、そのショックは強過ぎたということ。
5度ショックをかけてもまだ吠えていれば、何の意味もなさないショックをかけているということ。
2〜3度のショックで我に返る強さがちょうどよく、その強さは愛犬の興奮度合いによって調整されるべきものである。

以上のことは気持ちをしっかり持ち、なおかつ図に乗って吠え続ける犬に効果的ではあるが、社会経験が不足しているうえに繊細な感受性を備えている犬には注意が必要である。
いずれにせよ、ここで読んだことを早合点して安易に用いることはしないで欲しい。
あくまでも、考え方の一例を述べたに過ぎず、実行するには多くの配慮とテクニックが必要であることを機会があれば学んで欲しい。
もし子犬を迎え入れたばかりの方は、デレデレしながらうまく配慮しつつ育てる方法を学ぶと面白いことを付け加えておく。
 

出会いと別れ 2005年09月04日(日)

  すっかり秋の気配が漂い、半袖では寒く感じるようになってきた。
掛け布団を頭からスッポリ被った状態で目覚めるのが心地よい。

9月最初の日曜日、それが今年は今日4日であり、北海道盲導犬協会のパピーウォーカーが一年間手塩にかけて育ててきた愛犬たちとの別れの日で、盲導犬候補犬となる若き犬たちにとって新たなスタートの日でもある。

今日“委託終了式”を終えた犬たちは今頃、夜の排便に出ている時間であるが、心は家族のお迎えを待っていることであろう。
この状態は1週間程度続く。
一方、犬と別れた元パピーウォーカーはポッカリと空いた隙間を埋めるのに苦労されているに違いない。
こちらの心は修復に時間がかかり、数ヶ月を要することもある。

これから数週間、若き犬たちは盲導犬としての適性検査を受け彼らの進むべき道が決まっていく。
どのような結果になろうとも、パピーウォーカーからの愛情を燦燦と浴びた犬たちは、人に優しく愛される生活を送っていくことだろう。

9月4日はまたKの誕生日でもあり、彼女と私を結び付けてくれた盲目の愛犬ケンピーの2回目の命日でもある。

陽気で人懐っこいケンピーは盲目となった後、動くことをやめ感情を表現することを控えてしまっていた。
視覚障害が専門だった私は、そんなケンピーの歩行に対する不安を取り除き、安全を確保しながら以前のような明るさを取り戻すことに力を尽くした。
それは私にとっても楽しい日々で、刻々と変化していくケンピーの心模様が手に取るように分かり、深い信頼とKの愛情によって彼は見事に第2の人生を受け入れ、見えていた頃にも増して言葉と感情を理解するようになってくれた。

9月。
秋の爽やかな風を感じるたび、“人と犬の出会いと別れ”をパピーウォーカーそしてケンピーの命日が思い起こさせてくれる。
 

訓練を依頼される前に 2005年09月03日(土)

  「呼び戻しの訓練をしていただけませんか?」

初めてカフェにこられた方からこのような相談を受けることがある。
ホームページでレッスンについてきちんと説明していない私に責任があるからつい口篭ってしまう。
今夜はそこらへんをちょこっと説明しておこう。

1.訓練依頼の前にお願いしたいこと
カフェで吠える・散歩中に吠えるなどは数回のレッスンで割りと容易に改善することが出来る。
また、悪貨(失礼)に良貨が駆逐されては困るから、吠える犬には飼い主の了解を得て勝手に制御することもある。
これらはカフェの風紀を乱さないための私なりの努力であり、無分別に行っているわけではない。

一方で「来客に対して吠えて困る」「散歩のとき引っ張りまわす」「ボールを咥えて放さない」「暮らしやすい犬にして欲しい」など様々な訓練依頼を受けることがあるが、これら一般的な訓練には“親和ができ、犬を知り、さらに飼い主を理解”したうえでないと出来ないことが多い。
だから、出来るならば何度かカフェに通っていただき、それから相談していただくのがベストだ。

2、訓練するにも段階がある
『カフェのようなところでは吠えるし、喜びすぎて周囲に迷惑をかけるかもしれない』
もしそれがそれだけの問題なら対処も容易であり、医療に例えれば、単純な怪我や病気としてその部位を治療すれば事足りだろう。

しかし、人間の医療においても次のようなことが少なくない。
「いつかわからないけど足の指を怪我していて気づいたら腐り始めていたんです」
このような場合、局部の治療だけに目を向ける医者はまずいない。
血液検査で血糖値と腎臓の働きを調べそれに眼科の受診を勧め、ひとつに糖尿病を疑うはずだ。

つまり、「来客に対して吠えて困る」という飼い主の相談に対してさらに話を進めるうち「いたずらで困っている」「叱れば逆切れする」「旦那は晩酌のときつまみを与えている」「すぐに奥さんの膝の上に上りたがる」などの症状がある場合は、『吠える』という現象にだけ目を奪われるのではなく、『育て方・しつけ方あるいは血統素因』が原因の続発性疾患を疑うのが基本である。

単に吠えることにだけ目を向けるなら『友人に協力してもらい、来客となってドアを開けて犬におやつを与えることを繰り返すと、犬は、来客→不審者→吠える、から来客→おやつ→喜ぶ、と変化します』などという馬鹿げた一時的な訓練の発想に惑わされてしまうだろう。
しかし続発性疾患の犬の根源に目を向けず、対症療法的な単発の治療を行うことに何の意味があるのだろうか。
あるとすれば、犬にひとつのことが出来るようにして、それを褒めちぎり、そこからさらに発展させる訓練手法であるが、それは問題行動の解決というより初歩からの訓練にふさわしいやり方だと思う。

勿論、ひとつひとつの相談に対処法を与えることは容易であり、私が最近のハウスリフォームにみられる悪徳業者ならもう少し儲けしているだろうが顧客満足度は低くなっていることだろう。

さて、冒頭の『呼び戻し』に目をやると、『呼び戻しが出来ないから呼び戻しの訓練をする』というのは糖尿病であるのに傷の治療だけをすることであり、国体でも勝てないのにオリンピックに出せということであり、呼び戻しが出来ないのにノーリードの訓練をすることであり、つまり呼び戻しの訓練は歩行訓練・服従訓練の頂点に立つもので、基礎が出来ていないとそうそう簡単には教えられるものではないということだ。
基礎訓練から段階を経て、あるいは並行して教えていく項目である。

筋が通ったことを書いているのか、もはや自分で判断できないほど酩酊状態になってきた。
ここに書いたことを鵜呑みにしないよう注意されたい。
 

気力、回復せず 2005年09月02日(金)

  昨日の定体日は午前中に用事を済ませ、年後から里塚温泉浸り。
ゆっくりと温泉に入り、ビールと昼食を頂いてから仮眠室で昼寝をし、目が覚めて2度目の温泉を楽しんだ後リクライニングソファーで新聞に目を通し本を読んだ。
テレビの娯楽番組を見終えた頃には夜の8時となり、今度は酒と晩御飯で満足し、最後の汗を流してから帰宅した。そしてまもなく朝までの深い眠りにつくのである。

何度がこのような休日を過ごすことを繰り返し、私たちは結構ハマッテしまっているのだが、だからといって翌日はスッキリ勤労モードになるかといえばそうではなく、デレデレした生活にいつまでも未練を感じてしまうタイプである。
そうやって今日を過ごし、夜にヨガのクラスから戻ったら疲れと無気力はピークに達している。

だから今夜もおやすみなさい。
明日は爽やかな秋の一日であるらしい。
 

ああ! 2005年08月30日(火)

  何度目の失敗だろうか?
今日のこの欄は久しぶりに訓練の極意について熱意と時間をかけて書き続けた。
出来もよかったから私は自信を持ってKに読んで聞かせ「凄いね、今日のはとてもわかりやすく凄いよかった」とのお墨付きももらった。
なのに、私は三度四度目の書き込みの失敗をしてしまった。

しばらく立ち直れそうもない。
さようなら。
 

元気なじじい 2005年08月29日(月)

  元気なじじいになりたいな。元気なじじいで暮らしたい。うんことシッコは、自分でしたい。
元気なじじいになりたいな。元気なじじいで暮らしたい。月に一度は女と過ごしたい。

元気なじじいになりたいな。元気なじーさんと呼ばれたい。盆と正月ロックを歌いたい。
元気なじじい、元気なじじい、
元気なじじい、元気なじじい。
ババアは、元気に決まってる。

元気なじじい、元気なじじい、
元気なじじい、元気なじじい。
ババアに負けるな、じじい。

元気なじじい、元気なじじい、
元気なじじい、元気なじじい。
じじいは、死んでも歌ってる。

昨日紹介したジャマーバンドの『元気なじじい』の歌詞だ。
後半に期待を持たせながら、前半ほどの“深み”が欠けている歌詞だがメロディーラインとあわせて聴けば初期の歌としては及第点でマイフェイバリットである。

以前にも紹介したがこの曲を歌っている金司は大学の後輩で、私は彼の下宿を自分の部屋のようにして1年を過ごした。例のルバング島から帰還した小野田少尉の甥っ子でもあったが、いろんな変遷を遂げながらも和歌山に根付き一本筋が通った面白い奴だ。

ともあれ、この国で元気なのが若者たちではなくじじいとババアであるのに多少の不安はあるが、元気な姿を示し続けることでその姿を見てきた若者の将来の奮起を期待したい。
今夜はこんなところで失礼。
 

仲間に感謝 2005年08月28日(日)

  8月最後の日曜日に犬たちのためのプールを準備した。
お盆以来必要なかったのに今朝の暑さは結構なものだったからだ。
ところが悲しいことに利用するわんこたちがいない。

そんなヒマな午前中だったがこれが幸いすることだってあるのだ。
数少ないお客さんの中に、パソコンが趣味というSさんがいてくれた。
先日もアドバイスをいただいたが、パソコンがよう分からん私にはチンプンカンプンな話ばかりで、ならばと丁重に小汚い事務所にお招きしてちょちょいと私のパソコンをいじってもらった。

お見事!
焼酎をぶっかぶり命果てた旧パソコンから取り出したハードディスクがSさんのゴッドハンドで新パソコンにアドレス帳を蘇らせたのである。
そうなると私の欲望は尽きない。
「もしかして、前のパソコンにインストールしたアプリケーションも移せるんじゃ?」
「それはダメです」
あっさりと却下されたが、私は過去のほとんどを取り戻すことができ、より快適な環境でパソコンを利用できるようになった。
何より“使える仲間”をまた増やすことができて心強いばかりである。

若い頃は何でも自分でやらないと安心できない性格だったから無理をしたけれど、盲導犬協会を退職してからはすっかり生き方が変わってきた。
・人に甘え、立ってるものは親でも使え
・甘い汁は美味しく吸ってやるのが礼儀だ
・人のふんどしもたまにはいい

見渡すと私の周りには実にたくさんの仲間がいる。
ひとつの町ができ、ひょっとしたら自給自足の小さな独立共和国ができるくらい人材が豊富である。
一昨年死んだガロ社長が生きていたら初代大統領になってじじいとおばばの“じじばば共和国”建国に奔走してくれただろうと妙なことを思い出した。
国歌は私の後輩がやってるロックグループ・ジャマーバンドの『元気なじじい』でその歌詞にはこうある。
「元気なじじい(3回リフレイン)ばばあは〜元気に決まってる!」
この歌詞は明日にでも全部を紹介したいし、ご希望ならCDがあるのでカフェでガンガンお聴きかせすることもできる。

何を書いているのだろう。
アルコールが脳に妙な刺激を与えてしまったようだ。

ところで、今日のカフェは午後から開店以来かもしれないほどのわんこたちで賑わい、3時頃までは小型犬で溢れ以降は大型犬のオンパレードとなって私が準備したプールは湘南の海水浴場を思わせる混雑振り(5頭で満杯)だった。
 

日々修行 2005年08月27日(土)

  昨日とはうって変わり、残暑厳しい夕方の暑さだった。
風の街から風が消えたため日中の暑さが室内に篭もっているのだろう。
夜9時を過ぎてガーデンに出てみると、ひんやりとした空気であるのに驚かされた。
老眼となった私の眼にさえ美しい星空が映し出され二重の喜びを感じることができた。

「家では暴れて爪を切らせてくれないんです。以前に失敗して血を出したことがあったから」
「カットは勿論シャンプーの時も動き回って…」
そんな状況だからということでカフェの美容室をご利用していただいてる方が結構おられ、それはそれで大変ありがたいところである。
ところがガラス越しに見えるトリミング室で愛犬が大人しく爪を切らせている様子を見て、
「何であんなに大人しいんだろう?」と思われるようだ。
動物病院の診察台の上でも普段とは違った観念した態度を見せている場合が多い。

何故だろう?
1.未知あるいは不慣れな環境の中で、『どう対処すればよいのか戸惑っており、妙に暴れるとどうなるのかわからない状況にひとまずは静観を決め込んでいるものと思われる。
2.ちょっとはもがいて見せるのだが、保定(動かないように犬を支える技術)の巧みさで諦めている。
3.甘く優しい飼い主に対し拘束されることに駄々をこねていた犬が、慣れていない人の前では我に返るだけでなく何をされるか理解した上でマジモードに入っている。
ことなどが考えられる。
中には思いっきり暴れる犬もいるから、仕方なく私が保定することもあるがその率はきわめて低い。

1ヶ月ほど前から週1回レッスンを行っているJラッセルの岳クンと今日歩いてみて、トリミング室のそんな犬たちのことを考えた。

まだ数回の訓練しか行ってないのに上達が早く、私にとっては扱いやすいワンちゃんだ。
ただ、どう振舞えばよいのかちゃんと理解し楽しんでいるのに、飼い主との歩行だと自分の欲求を素直に表現するというか甘えが出てハチャメチャになる時があるようだ。

カフェの駐車場に着いた時、岳クンの興奮は最高に達しリードを思いっきり引っ張って入り口に向かおうとする。
飼い主の方は私がやるような制御を試みているのだが一向に我に返る素振りはない。
無言でリードを預かり、飼い主と同じような制御をちょっと私が行うだけで岳クンは大人しく落ち着きを見せるようになる。
自慢をしているのではなくて“その違いは何処にあり、どうすれば数回のうちに飼い主に理解してもらえるのか”真剣に苦悩しているのである。

数ヶ月に渡って日々訓練すれば、誰が持っても歩きやすく暮らしやすい犬にすることはできるが、それでは経費が飼い主に掛かり過ぎるから、私が目指しているのは数回の訓練で犬をその気にさせ飼い主自身がそれを成し遂げ、次の犬と暮らし始めた時も順調に育てる技術と知識を会得することであり、さらにおこがましいけれどマナーと常識をわきまえていただくことである。
つまり私は訓練士的な飼い主を養成しようとしているのだろう。

この欄を書きながら自分の心の底にある想いをまとめようとするのは筋違いではあるが、犬の飼い主がある程度の訓練士的要素を身に着けていたら事は簡単であるはずだ。
だとすれば話は簡単であり、私は盲導犬訓練士を養成するGuide Dog Tutorという資格と経歴を持っている。

1.短期のうちに訓練士は養成できない
2.多くの犬を見ることが必要である
3.講義を受ける必要がある
4.失敗しながらも訓練経験を学ぶ必要がある
5.自分が行ったことに対するフィードバックを受ける必要がある

これらの一部はカフェに通い続ければクリアできる事柄であるが私の苦悩は続くだろう。
何故なら飼い主を短期的にそこそこの飼い主(訓練士)に育てる術があるとしたらそれをまだ会得していないからだ。

今夜私が感じた素敵な空気と星空の二重の喜びのような気持ちを愛犬と暮らす方々にも味わえていただけるよう今後も修行を積み重ねたいと思う。
 

中長期的視野にたって頑張ろう 2005年08月26日(金)

  定休日を挟みニセコで二泊ののんびり楽しい時間を過ごしてきた。
しばらく休みがなかったので気分転換には最高だったが、身体を休めるまではいかず今朝10時過ぎにカフェに戻り雑務と通常の仕事を終えて夜のヨガ教室に参加してきたら、さすがに疲れが出てきた。
心地よい疲れで、酔いの回り具合もけだるくとろけるような甘い脱力感を覚えさせるものだ。

「季節は2週間ごとに変わっていきます。自律神経もそれに合わせて変化を開始します。今日のように長袖が必要な寒い日は身体も2週間後の秋に向けて確実に変化しているのです。」
ヨガの先生はそう言って、全身を無理せず伸ばしながら秋から冬を迎える身体の調子を整える指導をしてくれた。
初めの頃はうめき声を上げてもできないことが多かったけれど、『体質改善』と『ヨガ』教室に参加する度に身体の軋みがなくなり、通い始めて2ヶ月経つと私の体重は3キロ落ち、ジーンズのベルトはひとつ詰まるようになった。
それでもまだ目算で私は腹にだけ4〜5キロの余分な脂肪が残っているので、Kの励ましを受け今夜も教室に通ってきたのだ。

「平岡地区の皆さんは最高です!夜の8時ですよ、夜の8時過ぎに私が『はい!肛門を絞めて!』と言うと皆さん一斉にギュッと絞めてるんですよ!これほど健康志向の強い人々が住む地域は日本中にありませんよ!」
体質改善の先生は面白おかしく私たちの気分を乗せてくれる。

何だか愛犬のレッスンにも通じる話しであり、このような中長期的なレッスンは、継続することで徐々に効果が現れ『半年前と比べてみるとこうも違っている』ということが多く見られる。
今ではカフェの常連となったSさんの愛犬は、今年の正月頃は実家に帰ると厄介者であったのが、今では「どこか具合でも悪いのかい?」と心配させるほど大人しく聞き分けのよい子になったと先日うかがった。

カフェでの中長期的レッスンには初期訓練を除き原則としてレッスン料はかかっていない。
しかし飼い主としてはせめて週一回1年は通い続ける必要があり、その都度何らかのアピールをして腰の重い私をその気にさせる本気度がいるかもしれない。
飼い主のそんな気持ちこそが現在の愛犬をゆっくり変えていく原動力となり、私のアドバイスで飼い主が愛犬を育てそして自らが育っていくことに繋がっているのだと感じている。

カフェ育ちの飼い主は次に暮らした犬をうまく育てることができる飼い主になる。
 


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