From the North Country

思い込んでいませんか? 2005年09月10日(土)

  「うちの子は大型犬が苦手で」
「うちは黒ラブがダメ」
「小型犬を見ると追い回すんです」

そんな話をよく耳にする。
だからといって大型犬や黒ラブを見て吠えたり、小型犬を追い回した言い訳にするのはちょっとおかしいと思う。

確かに過去のどこかで何かがあってそれぞれの状況になったのだろうが、飼い主までその気になって思い込んだり決めつけたりして、わが子の代弁をしてしまうのはやはりおかしいと思う。

苦手な犬を見て尻込みしてしまうなら事は慎重に進めなければならないが、吠え立てたり追い回したりする犬ならまずきちんと制御をすれば大方の場合、それなりの解決を見ることが出来るものだ。
『それなり』というのは、苦手の体型や色に対して不安を持った犬たちとうまく遊べるようになるというのではなく、少なくとも同じ空間にいて吠えたり追い回すことなく相手を受け入れるということだ。

制御という発想もなく、犬の行動を見てよき理解者になったり代弁者になることは、家庭内でのお遊びなら楽しいものと大いに賛同するが、社会に出て“相手がある”場合にも同様の気持ちでいたとしたらそれは大きな過ちだと思う。
愛犬は良かれ悪しかれ飼い主とその環境に影響を受けて育つものだ。
今一度愛犬を客観的に見て、受け入れるべき行動と改善するべき行動をふるいにかけてみては如何だろう。

その結果に対する相談やアドバイスはカフェで受けることが出来、5割以上の確率で改善されると思う。
 

記者の取材から 2005年09月09日(金)

  台風14号はカフェ周辺では被害をもたらすことなく比較的穏やかに通り過ぎて行ってくれた。
今日からの週間予報は晴れマークが続いてちょっとうれしくなる。

先日、北海道新聞社の記者が取材に来られた。
「犬の飼い主のマナーについてお伺いしたのですが」と問いかける彼女の目には怒りに似た輝きがあった。
「犬は好きですか?」
「嫌いではありませんが飼ってはいません」
「それはいい。いい立場での記事が書けそうですね」
そんな話を前置きにした時点で、彼女は冷静な記者の目になり取材は進められた。

彼女がこのテーマを選んだ理由は、居住地域の公園で平気で犬のブラッシングを行い、その毛を放置する飼い主がいることに怒りを覚えたのが端緒らしい。

自宅以外の場所で愛犬のブラッシングをした経験があり、殆どの毛は持ち帰るが一部の毛は…という私はやや劣勢に立ったが、
「私も見かけます。公園を散歩していたら明らかに犬の毛と思われるものがバサッと放置してありますね。あれはいけません!仮に公園でブラッシングしたときはウンチと同じように持ち帰るべきです。ウンチといえば、カフェを始めた年のこの地域も放置ウンチがたくさんありました。一年経ってずいぶん減ってきたことを嬉しく思います」

「カフェが出来てこの地域の放置ウンチが減ったのですか?」
記者は私の思惑通り公園でのブラッシングの件から話題を転換してくれた。

「去年の春よりずっと放置ウンチは少なくなりました。まだ不届き者はいますが、カフェに来店される飼い主のマナーや訓練中の犬たちを見て、『ウンチは処理すべきもの』であり、その『処理方法』をこっそり見て実行される方が増え、それがさらに好循環を与えているのではないでしょうか。そんなことより、犬の飼い主のマナーというのはカフェをやってもっと他のことに感じることがあります」
私はさらに話題を転換し、自宅外でのブラッシングの話題を遠ざけた。

「ほほお、どんなことでしょうか?」
彼女は私の誘いにうまく乗ってくれたのだが、この話題になると今度は私の話が留まることを知らなかった。

・公園デビューの際に先住犬の飼い主が愛犬を繋ぐなどの配慮もせず、我物顔で新入りのわんこを恐怖に陥れること
・ドッグカフェやペットと泊まれるペンションなどでは、排尿やマーキングをしやすくなることに無配慮で『何でもあり』の振る舞いをし、その上飼い主が無頓着であること
・少なくとも不特定多数が利用するカフェなどで、人の食器やテーブルを犬が舐めたり、人の食べ物を平気で犬に与える飼い主がいること

立て板に水のごとくそんな話を続けていたら、記者は一旦頭の整理が必要と判断し、改めて考えた上で連絡をすると言い残して帰って行った。
どんな方向性で今後取材するのか楽しみにしている。

ところで、社会に対して申し訳ないと思っていることに対してささやかな言い分を書かせていただきたい。
・カフェの抜け毛はその殆どを集めてゴミ箱に捨てているが完全ではない。ただ、カラスやスズメなどの鳥たちが口一杯に咥えて飛び立つ場面をよく目にしている。
・散歩中のウンチは勿論しっかり持ち帰って処理している。オシッコも人家周辺ではさせないようにしているけど、空き地や電柱では『雨風・陽光それに自然界のバクテリアが処理してくれる』と甘んじている。
「いいべや!北海道なんだから」
千本の矢が飛んできそうで怖い。
 

立ち向かうのではなく受け入れることも必要 2005年09月07日(水)

  日中は前線の影響で雨が降り続き、夕方になって台風14号で風雨が強まってきた。
日付が変わる前の現在は、時折強い風雨はあるものの暴風雨という状況ではない。
朝からラティスを片付け、フラワーポットやその他飛ばされそうなものは一通りまとめておいたので大きな被害は出ないだろうと期待している。
それにしても、空気が生ぬるく気持ち悪い。
『気持ち悪いですか?私にとっては普通なのですが湿気が多いとみんなに嫌われます。気持ち悪いですか?』
南の国の風にはそんな泣き言を言われ、ちょっと気の毒になるがやはり北国には似つかわしくない。

瀬棚付近に台風が上陸とのテロップが流れた。
雨にさらされ続けた一日だったが、明日が定休日であることが幸いだ。
貯水率100%のガーデンは明日のうちに排水することが出来るし、Kに言わせれば「台風のときや危機的な状況のとき生き生きした表情になるよね」と評される私は冷静に対処する準備は出来ている。

「こんな大雨の日にお客さんが何組来られるか賭けしない?」
不届きなスタッフがそんなことを言い始めた。
しかし、開店してから一度も経験のない“来客ゼロ”を予感していた私には、『何組来店するか?』という前提の賭けはうれしく感じるものがあり、経営的には問題があったが最高値を予想したスタッフが勝利を収めたことに私は安堵した。

人生、日々の出来事に一喜一憂しつつも大局を見据えておけば、うろたえることなく生きていけると思うのだが如何なものか同輩諸氏。
 

ラブっ子を育てる 2005年09月06日(火)

  台風の接近を前に『今のうち』とばかりに常連の皆さんがカフェを訪ねてくれた。
陽射しが強い時間帯もあったが、そこはもうすでに秋の陽射しで、心地よく「来年またね」と暑さとの決別を宣言した。

1ヶ月ほど前からラブラドールのメイちゃんの訓練をしている。
ラブの仔犬といえばカフェやドッグラン等では要注意犬にあたる。
本人には全く悪気はないのだが、見かける犬・出会う人に体当たりで喜びを表してしまうからで、ラブっ子に見初められた小型犬は逃げ惑った挙句、ラブラドールを恐怖の対象としてインプットしてしまう可能性が高い。

生後4ヶ月と遊び心満載のメイちゃんも、訓練前は小型犬を追い回す勢いがあり、ガーデンに小型犬が入るときにはリードでの捕獲状態となった。
何度かの訓練とガーデンでの私の対応によって、前回あたりから制御が利くようになっていたので、今日は小型犬が何頭かいたにも関わらず早めの釈放となった。

追い回そうとするメイにきつめの声をかけると、その意味を理解するようになっているのがはっきり分かる。

他犬に対してちょっかいを出しすぎる犬の飼い主は、他犬が現れるとリードを手繰り寄せるようにして愛犬の動きを封じ込め、自らが楯になるように覆いかぶさりその場を無事乗り越えようとする光景をよく目の当たりにする。
そんなやり方では何も改善されず、一生同じような対応をしなければならないだろう。

メイに対しては歩行訓練を行う中で、楽しいこと・制限される行動・基礎訓練の基礎を教え、ガーデンでフリーにすることで羽目をはずさせ、その結果に対して厳しく対処することを繰り返し、『何が良くて何が悪いのか』を犬にも分かるように伝えている。

4ヶ月のメイにはきついかもしれないけれど、放置すれば相手の小型犬に恐怖体験を及ぼしかねないのだから、この制御はやむを得ないし、ラブの成長に欠かせない重要な体験をしていると私は確信している。

そして今日のメイは徐々に私たちの期待に応える反応を示しており、密かに私も信頼でき『話の分かる犬』に近づきつつあると感じた。
確かなものにするためには、メイがさらに羽目をはずし私が顔を真っ赤にして叱りつける回数をしばらく積み重ねることが必要だろう。
腹を立てて叱るのではなく、犬を育てるという意味を理解して欲しい。
 

吠え犬に対するひとつの考え方 2005年09月05日(月)

  最近のレッスンで耳にたこが出来るように繰り返していることがある。
私にとってはひとつの方法だが、愛犬家にとって理解できることなのか改めて問うてみたい。

散歩中の愛犬が吠えて困っていたとしよう。

犬が吠えるのは機能的にも本能的にも持ち合わせていることだから私は驚かない。
その犬が吠えるのは、そのことを正当に感じ、飼い主からも認められ、内からこみ上げてくる指示に従っているまでのことだ。

日頃から、どちらかと言えば頼りなく愛玩としての犬として暮らしている方に、神経細やかな犬が組み合わされば犬は吠える傾向が高くなるのは当たり前である。
「ダメよ!これ、ダメよ!」という飼い主の言葉は「ほれ、頑張りなさい。母さんがついてるよ!」という風に犬には聞こえているとも思う。
「母ちゃんと自分は私が頑張って守らなきゃ」とでも感じているようだ。

犬の吠えに対する私の前提はちょっと違い、したがって対処の仕方も変わっている。
まず、吠えるように育てた犬に言い聞かせは通用しないと考えた方がよいと思う。(例外もあるがその率はきわめて低いからここでは省く)
それが通用するならとっくの昔にいい子になっているはずで、それほど多くの方は言い聞かせてきたはずだ。
『犬に言葉が通じるのは当たり前』であるが、それはいい関係が出来てのことで、『話せば分かる』と最初から思っていると痛い目にあう。

このような場合、まず行うべきは言葉が通じない相手にこちらの強い意思をどのように伝えるかである。
極端な例えで恐縮であるが、私がアフガンである武装勢力に拘束されたとしよう。
『殺されるかもしれない!』と感じた私は、パニックを起こし吠えまくることも考えられる。
現地の言葉で『静かにして座りなさい』という言葉をかけられても、相手の興奮した声や意味の分からない言葉に私のパニックはさらに高まり、とうとう相手は銃を空に向けて撃ち、その音で興奮した私は我に返るだろう。(もし、即刻撃ち殺されなければ)

犬に対して大声を上げて「うるさい!黙れ!」というようなものだが、普通銃声にも匹敵するような大声を出せる方は少ないし、出せばヒンシュクを買う。

パニックを起こしている私には銃声もさることながら、肩を強く叩いたり、水をぶっ掛けたりしてまず興奮している私を我に返すことが必要である。
一旦冷静に戻ったなら、言葉は通じなくてもゼスチャーやボディコンタクトなどで、「そこに座れ」ということを伝えることが出来るだろう。

そこで私は銃を抱えた相手にまずは服従し、相手の意思を確かめようと観察力を働かせることになる。

思わぬ方向に話が展開されたので戸惑ってしまう。
何も、犬と暮らすときに銃を持ったような威圧的な接し方をするべきなどと言っているのではない。むしろデレデレしながらおもちゃの銃を犬から突きつけられて「やあ、こまったこまった。何とか助けてください」とふざけながら暮らすうちに犬を育てていくのが私の流儀であることを押さえておいていただきたい。

つまりここでは、今までの犬育てで失敗し、言い聞かせても吠えることを止めない愛犬を何とか立ち直らせてあげたいと切実に考えている方へのひとつのアドバイスを述べているだけである。

言葉を発すれば却って相手を興奮させるのだから、無言でリードによる制御を飼い主は身に付けることが必要だ。
目的は吠えて興奮している愛犬を我に返すことで叱ることではない。
1度のショックで相手が我に返れば、そのショックは強過ぎたということ。
5度ショックをかけてもまだ吠えていれば、何の意味もなさないショックをかけているということ。
2〜3度のショックで我に返る強さがちょうどよく、その強さは愛犬の興奮度合いによって調整されるべきものである。

以上のことは気持ちをしっかり持ち、なおかつ図に乗って吠え続ける犬に効果的ではあるが、社会経験が不足しているうえに繊細な感受性を備えている犬には注意が必要である。
いずれにせよ、ここで読んだことを早合点して安易に用いることはしないで欲しい。
あくまでも、考え方の一例を述べたに過ぎず、実行するには多くの配慮とテクニックが必要であることを機会があれば学んで欲しい。
もし子犬を迎え入れたばかりの方は、デレデレしながらうまく配慮しつつ育てる方法を学ぶと面白いことを付け加えておく。
 

出会いと別れ 2005年09月04日(日)

  すっかり秋の気配が漂い、半袖では寒く感じるようになってきた。
掛け布団を頭からスッポリ被った状態で目覚めるのが心地よい。

9月最初の日曜日、それが今年は今日4日であり、北海道盲導犬協会のパピーウォーカーが一年間手塩にかけて育ててきた愛犬たちとの別れの日で、盲導犬候補犬となる若き犬たちにとって新たなスタートの日でもある。

今日“委託終了式”を終えた犬たちは今頃、夜の排便に出ている時間であるが、心は家族のお迎えを待っていることであろう。
この状態は1週間程度続く。
一方、犬と別れた元パピーウォーカーはポッカリと空いた隙間を埋めるのに苦労されているに違いない。
こちらの心は修復に時間がかかり、数ヶ月を要することもある。

これから数週間、若き犬たちは盲導犬としての適性検査を受け彼らの進むべき道が決まっていく。
どのような結果になろうとも、パピーウォーカーからの愛情を燦燦と浴びた犬たちは、人に優しく愛される生活を送っていくことだろう。

9月4日はまたKの誕生日でもあり、彼女と私を結び付けてくれた盲目の愛犬ケンピーの2回目の命日でもある。

陽気で人懐っこいケンピーは盲目となった後、動くことをやめ感情を表現することを控えてしまっていた。
視覚障害が専門だった私は、そんなケンピーの歩行に対する不安を取り除き、安全を確保しながら以前のような明るさを取り戻すことに力を尽くした。
それは私にとっても楽しい日々で、刻々と変化していくケンピーの心模様が手に取るように分かり、深い信頼とKの愛情によって彼は見事に第2の人生を受け入れ、見えていた頃にも増して言葉と感情を理解するようになってくれた。

9月。
秋の爽やかな風を感じるたび、“人と犬の出会いと別れ”をパピーウォーカーそしてケンピーの命日が思い起こさせてくれる。
 

訓練を依頼される前に 2005年09月03日(土)

  「呼び戻しの訓練をしていただけませんか?」

初めてカフェにこられた方からこのような相談を受けることがある。
ホームページでレッスンについてきちんと説明していない私に責任があるからつい口篭ってしまう。
今夜はそこらへんをちょこっと説明しておこう。

1.訓練依頼の前にお願いしたいこと
カフェで吠える・散歩中に吠えるなどは数回のレッスンで割りと容易に改善することが出来る。
また、悪貨(失礼)に良貨が駆逐されては困るから、吠える犬には飼い主の了解を得て勝手に制御することもある。
これらはカフェの風紀を乱さないための私なりの努力であり、無分別に行っているわけではない。

一方で「来客に対して吠えて困る」「散歩のとき引っ張りまわす」「ボールを咥えて放さない」「暮らしやすい犬にして欲しい」など様々な訓練依頼を受けることがあるが、これら一般的な訓練には“親和ができ、犬を知り、さらに飼い主を理解”したうえでないと出来ないことが多い。
だから、出来るならば何度かカフェに通っていただき、それから相談していただくのがベストだ。

2、訓練するにも段階がある
『カフェのようなところでは吠えるし、喜びすぎて周囲に迷惑をかけるかもしれない』
もしそれがそれだけの問題なら対処も容易であり、医療に例えれば、単純な怪我や病気としてその部位を治療すれば事足りだろう。

しかし、人間の医療においても次のようなことが少なくない。
「いつかわからないけど足の指を怪我していて気づいたら腐り始めていたんです」
このような場合、局部の治療だけに目を向ける医者はまずいない。
血液検査で血糖値と腎臓の働きを調べそれに眼科の受診を勧め、ひとつに糖尿病を疑うはずだ。

つまり、「来客に対して吠えて困る」という飼い主の相談に対してさらに話を進めるうち「いたずらで困っている」「叱れば逆切れする」「旦那は晩酌のときつまみを与えている」「すぐに奥さんの膝の上に上りたがる」などの症状がある場合は、『吠える』という現象にだけ目を奪われるのではなく、『育て方・しつけ方あるいは血統素因』が原因の続発性疾患を疑うのが基本である。

単に吠えることにだけ目を向けるなら『友人に協力してもらい、来客となってドアを開けて犬におやつを与えることを繰り返すと、犬は、来客→不審者→吠える、から来客→おやつ→喜ぶ、と変化します』などという馬鹿げた一時的な訓練の発想に惑わされてしまうだろう。
しかし続発性疾患の犬の根源に目を向けず、対症療法的な単発の治療を行うことに何の意味があるのだろうか。
あるとすれば、犬にひとつのことが出来るようにして、それを褒めちぎり、そこからさらに発展させる訓練手法であるが、それは問題行動の解決というより初歩からの訓練にふさわしいやり方だと思う。

勿論、ひとつひとつの相談に対処法を与えることは容易であり、私が最近のハウスリフォームにみられる悪徳業者ならもう少し儲けしているだろうが顧客満足度は低くなっていることだろう。

さて、冒頭の『呼び戻し』に目をやると、『呼び戻しが出来ないから呼び戻しの訓練をする』というのは糖尿病であるのに傷の治療だけをすることであり、国体でも勝てないのにオリンピックに出せということであり、呼び戻しが出来ないのにノーリードの訓練をすることであり、つまり呼び戻しの訓練は歩行訓練・服従訓練の頂点に立つもので、基礎が出来ていないとそうそう簡単には教えられるものではないということだ。
基礎訓練から段階を経て、あるいは並行して教えていく項目である。

筋が通ったことを書いているのか、もはや自分で判断できないほど酩酊状態になってきた。
ここに書いたことを鵜呑みにしないよう注意されたい。
 

気力、回復せず 2005年09月02日(金)

  昨日の定体日は午前中に用事を済ませ、年後から里塚温泉浸り。
ゆっくりと温泉に入り、ビールと昼食を頂いてから仮眠室で昼寝をし、目が覚めて2度目の温泉を楽しんだ後リクライニングソファーで新聞に目を通し本を読んだ。
テレビの娯楽番組を見終えた頃には夜の8時となり、今度は酒と晩御飯で満足し、最後の汗を流してから帰宅した。そしてまもなく朝までの深い眠りにつくのである。

何度がこのような休日を過ごすことを繰り返し、私たちは結構ハマッテしまっているのだが、だからといって翌日はスッキリ勤労モードになるかといえばそうではなく、デレデレした生活にいつまでも未練を感じてしまうタイプである。
そうやって今日を過ごし、夜にヨガのクラスから戻ったら疲れと無気力はピークに達している。

だから今夜もおやすみなさい。
明日は爽やかな秋の一日であるらしい。
 

ああ! 2005年08月30日(火)

  何度目の失敗だろうか?
今日のこの欄は久しぶりに訓練の極意について熱意と時間をかけて書き続けた。
出来もよかったから私は自信を持ってKに読んで聞かせ「凄いね、今日のはとてもわかりやすく凄いよかった」とのお墨付きももらった。
なのに、私は三度四度目の書き込みの失敗をしてしまった。

しばらく立ち直れそうもない。
さようなら。
 

元気なじじい 2005年08月29日(月)

  元気なじじいになりたいな。元気なじじいで暮らしたい。うんことシッコは、自分でしたい。
元気なじじいになりたいな。元気なじじいで暮らしたい。月に一度は女と過ごしたい。

元気なじじいになりたいな。元気なじーさんと呼ばれたい。盆と正月ロックを歌いたい。
元気なじじい、元気なじじい、
元気なじじい、元気なじじい。
ババアは、元気に決まってる。

元気なじじい、元気なじじい、
元気なじじい、元気なじじい。
ババアに負けるな、じじい。

元気なじじい、元気なじじい、
元気なじじい、元気なじじい。
じじいは、死んでも歌ってる。

昨日紹介したジャマーバンドの『元気なじじい』の歌詞だ。
後半に期待を持たせながら、前半ほどの“深み”が欠けている歌詞だがメロディーラインとあわせて聴けば初期の歌としては及第点でマイフェイバリットである。

以前にも紹介したがこの曲を歌っている金司は大学の後輩で、私は彼の下宿を自分の部屋のようにして1年を過ごした。例のルバング島から帰還した小野田少尉の甥っ子でもあったが、いろんな変遷を遂げながらも和歌山に根付き一本筋が通った面白い奴だ。

ともあれ、この国で元気なのが若者たちではなくじじいとババアであるのに多少の不安はあるが、元気な姿を示し続けることでその姿を見てきた若者の将来の奮起を期待したい。
今夜はこんなところで失礼。
 


- Web Diary ver 1.26 -