From the North Country

転ばぬ先に杖はあるか? 2005年08月13日(土)

  お盆に入ったカフェ周辺の道路は霊園に通じるためかなり渋滞していた。
「2時間もかかってしまいました」
そう言ってカフェを訪ねてくださった方もおられ、ありがたい気持ちで一杯である。

開店時からワンちゃんたちがやってきて、私もレッスンをひとつ行ったが、頭の中は買ったばかりのパソコンのことで一杯だった。
実は、古いデータはフロッピーに保存してあったが、昨年あたりからのものは油断してバックアップをしておかなかったのだ。
しかもイケナイことだが7年前のアプリケーションは借り物が多く、データだけあっても今度のパソコンでは使えないものがある。
住所録やメールのアドレスそれにカフェの帳簿のデータも失われた。

ところが、知識があるというのはやはり凄いことなのだ。
昨日この欄でお助けマンとして紹介したIさんは奇抜なアイデアを教えてくれた。
前のパソコンが壊れたとしても、情報を記録してあるハードディスクは健在なはずであり、それを取り出して新しいパソコンに取り込めばいくつかのデータは簡単に復元できることと、そのための周辺機器が安価であることを進言してくれたのである。

ハードディスクを持ってHDDケースなる物を買い求め、近いうちに試してみようと思うがたぶんまたつまずいてしまうだろう。
それよりも今日はパソコンの不要なアプリケーションを削除し、ウィルス対策ソフトをインストールして快適で安心な環境を作るだけで時間は過ぎていった。

私がパソコンを始めたときはデータはカセットテープに記録していたし、コンピュータの言語といえばベーシックというものだった。
MSDosというものに代わってから、私の頭は進化をやめてしまったようだ。
以後は、テレビのようにスイッチを入れチャンネルを合わせれば動く家電製品と同じ位置づけになった。

そういう意味において、現在のパソコンは進化の途中であることは否めない。
そのことが今の私に象徴されているのである。

ともかく、私がこれまでに築き上げた文書やデータは現在一時的にであるかもしれないが失われている。
『生あるものは滅び、形あるものは壊れる』
この言葉の意味を噛み締め人は生きていかなければならないと思うが、今生きている私にとっては失われたデータの復活に躍起になる努力が生きていることの証でもある。
一方で、『アイタ ピアピア』『ケ セラ セラ』『What will be will be』つまりは、『なるようになる』『じょんのび、じょんのび』『なんちゃない』ということも受け入れている。
 

壊れたパソコンに哀悼の意を 2005年08月12日(金)

  ああ、何ということか!
7年間愛用したノートパソコンを壊してしまった。
その壊れ方がなんとも私にふさわしい最期だった。

一昨日の夜、この欄を書き上げ最後の一杯をグラスに注いで部屋の灯りを消した。
飲み残しのグラスをカウンターに置いたつもりが…、そこはそれ酔っ払いのやること…後はご想像のとおり。

翌朝パソコンの電源を入れたが立ち上がらない。
よく見るとキーボードから浸透した甘く芳しい液体がパソコンの底に溜まっていたのである。

修理を考えたが何しろ7年前の代物で、ウィンドウズ98、しかも最近はメモリー不足でスピードが遅く複数のアプリケーションを使うと固まってしまうことが多くなっていた。
それでも愛着はあるし、褒めたり励ましたりしながら日々使っており、ちょっとおかしくなっても対処法も心得ていたが、ここは諦めざるを得なかった。

すぐにパソコンを買いに走り、店員に使用目的を話すと手頃なのを選んでくれた。
7年前ならカタログを取り寄せ、見比べ、ウンウンと唸りながら決断したのに、
「今の時代のパソコンは家電製品を買うような感覚で大丈夫ですよ」と店員。
『人の懐具合も知らないで』と口に出そうになったが、使い方が簡単という意味なのだろうと飲み込んで持ち帰った。

昔のようなパソコン自体のセットアップが無くなっているのに驚きを隠しきれなかったが、いざ無線RANの設定を始めるとつまずいてしまった。
いいところまでいくのだが繋がらないのである。
「どうしたものか?」と困り果てていた頃カフェを覗くと“こぐはや”のIさん夫妻が来られていたのである。
地獄で仏、鬼に金棒、渡りに船とばかりに事情を説明すると快く引き受けてくださった。

「何をどうしたから良くなったかはわからない」とIさんは謙遜されたが、とにかく無事開通した。
感謝感謝である。
ジェラートを振舞っただけでお食事代はしっかり頂いたところにカフェのしたたかさがあった。
持つべきものは良き客である!

さて、パソコンは使えるようになったが、それからに問題があった。
この続きはまた明日。
 

あと10年も若ければ? 2005年08月10日(水)

  先週の定休日は“とっても冷たいたぬき稲庭うどん”をKが作ってくれたのでガーデンのテーブルで食べ、その後サマーベッドに横たわって午後を過ごした。
信じられないくらい素敵な環境での贅沢な時間だった。
『この時間を得るためにならまた1週間働ける』とその時は思っていたが、年には勝てないのか昨日あたりから鏡に映る顔が疲れた表情になっていた。

それでも今日は楽しい犬たちに囲まれて心はとてもリラックスしていた。
思えば周囲の状況に私はコントロールされ、楽しんだり緊張したり気を使ったり羽目をはずしたりしているのが分かり、正にそれは犬と同じであるようだ。

一般的な愛犬家の立場で見ると、我が愛犬を“楽しく、気の趣くまま時に羽目をはずすほど楽しませること”がよい飼主であるように思われがちだが、実は人と同じように“緊張し気を使わせる”ことが両者の生活の快適さを保つ上で必要であることを忘れていると思う。

もし私に“楽しく羽目をはずす時間”ばかり与えたなら、年老いた今は穏やかな振る舞いと睡眠を示すだろうが、あと10年若ければ周囲を困らせるような身勝手な発想を連発しているに違いない。
そして手のつけられないような(今よりも?)身勝手な男になり、現在の生活はなかったかもしれない。

『わずか十数年の短い命であり、人に依存しないと生きてはいけない犬たち』だからこそ、早い時期に言葉が分かり心通わせることが出来る存在に育てなければと私は思う。
単に年老いて大人しくなった犬に「こんな犬と暮らしたかったんだ」と感じる気持ちも分からないではないが、真正面から接すればもっと長い時間その子との楽しい時間を過ごせたのではないのだろうか。

『あと10年も若ければ、という90歳』
この川柳は、『年齢にとらわれずいくつになっても頑張れ』という励ましを微笑ましく与えてくれる一方、『その時はやれなかったのに、後になって強がる』という後悔の一面もある。
ここは良心的に受け止め、『さあ、諦めないで!』というメッセージとして愛犬家に贈ろう。

申し訳ない。酔いが回ってつじつまが合った文章になっているかさえ判断がつかなくなってしまった。
 

秋一番を感じた日に 2005年08月09日(火)

  朝ガーデンでわずかに流れた風に「もしや?」と感じたが、強い陽射しがそのことをすぐに忘れさせた。
温度計も9時過ぎには30度を超えていたし…

ところが、今年の夏を象徴するように11時頃の最高気温を過ぎると、朝「もしや」と感じた秋を思わせる爽やかな風がしっかりと吹き始め、夕方には最適の涼しさで散歩をすることが出来た。ふと見るとガーデン隣の空き地にはススキの穂が銀色に揺れていた。

勿論これが札幌の今日の季節を表しているわけではなく、私が住む“風の街”里塚緑ヶ丘の話である。
あと数日暑い日が戻ることもあるだろうが、秋はもう少しでこの街を訪れ、そうなれば爽快な季節を今年は長く楽しめるかもしれない。

秋風は秋風でも淋しいほどの秋風が一足速くカフェを吹き抜け、今日はとてもヒマな一日だった。
おかげで暑い夏の間にたまった疲れを癒し、訪ねてくれた方々や犬たちとまったりとした時間を過ごさせていただいた。
とりわけ嬉しかったのは今日からお泊りのアメリカンコッカー/クリンの元気な姿だった。

カフェを始める前の浪人生活の頃に訓練した犬であるが、数ヶ月前カフェにやって来た時はほぼ失明状態になっていた。
飼主のIさんは諦めの境地にあったが、私は犬の失明経緯を伺い、状態を確認したうえで眼科専門医の情報を与え
受診するよう勧めた。

しばらくして眼内レンズを装着し、すっかり見えるようになったクリンが元気な姿を見せてくれた時は本当に嬉しかった。
そのクリンと再会し彼も喜んでくれていることに安堵したが、夜になって彼の目を覗いた時に再び不安がよぎってしまった。
とりわけ左眼に硝子体混濁が見られるのである。
医療によってその進行を幾分制御することは出来るであろうが、いずれ再び失明する可能性は高いと言える。

まだ若いクリンが先天性の白内障であるとすれば、失明もやむを得ないだろう。
しかし、医療において少しでも彼に見える時間を与え続けることが出来るとすれば、彼の脳には眼から得た情報が蓄積され続け、仮に見えなくなったとしてもこの世界をイメージすることができ、彼の日常生活にとても役立つようになるのだ。

失明は死を意味するのではない。
確かに見えていた時代の終焉ではあるが、新たな生活の始まりでありその基礎知識はクリンの脳がしっかり記憶しており、あとは彼と暮らす人々が視覚障害を正しく認識し適切な対応、すなわち“未知の状態を既知の状態にする”技術である『ファミリアリゼーション』という概念と知識を理解して欲しいと望む。

ウォッカが私の体内を駆け巡ってしまったから難しい話になったかもしれないが、要するに目が見えなくなることは大変な事態であるけれど、“見える・見えない”がすべてではなく、物事は脳が見ているのであり、ケアする人が適切な知識と技術を身につけていればクリンはクリンとして生きていけることを伝えたいというだけなのだ。
 

『あの時』になるかもしれない今日 2005年08月08日(月)

  静かだったカフェの周辺はここ数ヶ月で俄かに騒々しくなった。
宅地開発が盛んになり中の上クラスの邸宅が次々に建てられ、1ヶ月ぶりに散歩をするとすっかり見通しが利かなくなってしまっていたりする。
すぐ東側の道路が延長され、国道と国道が結び付けられると、夜に入っても大型トラックなどの通行量が激増し、しかも田舎であるからスピードは凄まじく速くうるさく感じる。
2つのコンビニが閉鎖したと思ったら、より近くに2つのコンビニが新装開店した。

後になって『あの時』と記憶に残ることは誰しも持っている。
昨日初めてカフェに来て、家では見せたことのないおりこうさん振りを示した黒ラブの飼主も『あの日』としていつか思い出すかもしれないし、年老いた方の中には『あの頃はよかった』と口癖のように言う人もいるだろう。
社会や環境は自分とは関係なく変化してしまうのだが、時代の流れと共にその変化のスピードが速くなり、また予想しなかった変化であったりしているようだ。

ここで言う『あの時』は単に思い出の時ではなく“ターニングポイント”になった時の事である。
「週末ペンションに2匹のわんこと父さんと4人で泊まったんだけど、父さんとブルはイビキかいて寝てたから、ベルナだけトイレに出したの。ところが戻ってきたらブルがいないのさ!夜中の12時に、声と足音を潜めて宿中を探し回ったんだよ!そしたらさ、ぐるぐる回った廊下の突き当たりの階段のところで、降りれなくてじっと下を見ているブルを発見したの。抱きかかえて部屋に戻ったけど体中から汗が噴出してもうワヤ!なんであんな時に吠えて教えてくれないのかな?」
今日もカフェに来ていただいたTさんの独演会が単に思い出話なら『あの時』というのではなく、例えば「そういえばあの夜からブルはおりこうになった」とか、あるいは「あの夜から放浪癖がついた」とかいう意味だ。

今夜、衆議院が解散された。
ひょっとしたら後の日本にとって『あの時』という日であるような気がする。
9月11日の投票日には当然投票に行く。
しかし、結果はどうあれ我々人民は『怒りの葡萄』のように滅びながらもしたたかに生きていくのだろう。
社会や環境の変化にたじろぐことなく、小さな身の回りのことを話題にし、面白おかしく、しかし歯を食いしばってでも生きていくのだろうと思う。

今日、カフェのトリミング室にエアコンをつけた。
商売上やむを得ず、ようやく蓄えた資金から…。
環境に申し訳ないから『2階の自宅では団扇と扇風機で頑張るぞ』と決意したら涼しい夜風が室内を吹きぬけてくれた。
 

夏の暑さと黒ラブたち 2005年08月07日(日)

  「ガマンガマン、もうすぐ夏は終わる」と思っていてもこう暑い日が続いては犬用のプールに一緒に入りたくなってしまう。

「北海道でさえこんなに暑くて、黒ラブたちは大変なのに、本州で盲導犬やってる黒ラブは大変だよねぇ」
盲導犬の繁殖ボランティアをやっているKさんが、Mさんの黒ラブ/ゲンを見てそう話していた。
ゲンはKさんの愛犬シュガー(イエローラブ)の子供で、盲導犬の適性に落ちキャリアチェンジした犬だ。
たまたまその時カフェに3頭の黒ラブがいて、ちょっとガーデンに出て遊んだだけなのに、背中を触ると他の犬たちよりも明らかに熱くなっていた。

今はどうか知らないが、私が現役だった頃には確かに本州には黒ラブの盲導犬が多かった。
室内生活ではどの家でもエアコンが効いているから問題ないのだろうが、通勤のエスコートを担っている盲導犬は結構大変な思いをしていると思う。
環境への適応能力が高く集中して歩いているから、ユーザーの安全は確保されているはずだが、ここ数年の暑さは彼らの忍耐を超える日もあるのではなかろうか。

最も耐え切れないのが建築現場に通じる歩道に敷かれた鉄板である。
車両の出入りで歩道を傷めないように置かれたものであるが、油を引いてタマゴを落とせば目玉焼きが出来るのではと思わせる熱さである。
恐らく、賢い彼らは鉄板を見たら障害物と認識して車道へ迂回しているに違いない。そしてさらに木陰に入るとスピードを落として歩き、一息ついているのだろう。
もしかしたら、冷却用のベストを背負って歩いているかもしれない。

本日4頭目の黒ラブが午後にやってきた。
まだ8ヶ月と若く、振る舞いもラブそのもので、おまけにしつけもされていなかったので、せん越ながら私がコントロールし30分後にはいい子になったが、『一度本州へ行って暑い夏のなか修行して来い!現状にきっと心から感謝し改心するぞ』などと思った。

北海道の七夕の夜。
この黒ラブちゃんに願い事を短冊に書かせたら『今の環境を維持することが出来るなら、迷惑をかけないいい子になって見せます』とは…書きっこないか。
『僕を玄関先の暮らしではなく、室内に入れてもらえますように』というのが心からの願いのように私には受け止められた。
 

ダニ 2005年08月06日(土)

  アウトドアシーズン真っ盛りである。
常連の方の多くがキャンプだペンションだと出かけて行く一方、カフェを目指して久しぶりのワンちゃんや初めての方が来店され、カフェの均衡は保たれている。

「右眼の上に赤いものがあるので、見ておいてください」
今日お泊りのレオンベルガージェニーのHさんはそう言い残して仕事に行かれた。
お昼頃ジェニーの眼を見ると、そこにはまだ食いついて間もないダニがいた。
よく見ると左眼にもダニが食らいついていた。

そういえば昨日カフェの仲間のキャンプに一日だけ参加していたことを思い出し、そこでダニを拾ってきたと考えられた。
しかし、場所が悪い。
瞼ギリギリのところだから、処置がとても難しいのである。

ダニがついたときの私の処置は、アルコール綿花(アルコールがなければウィスキーでも代用できる)を局部に2〜3分密着させダニを酔わせて、食いつく力を減弱させ、コッフェルか刺抜きで深めに摘まんで一気に引き抜く方法なのだが、眼にアルコールが入るような今回のケースは困るのである。

因みに昔のやり方では、タバコや線香の火を近づけてダニの食いつきをはずす方法もあるが、ダニと同時に犬も熱がってしまうので現実的には難しい。

「カフェの閉店後に獣医さんのところで取ってもらおう。どんなやり方をするのか今後の参考にもなるし」
最初私はそう決断していた。
しばらくして「待てよ、ジェニーが獣医さんのところで大人しくしている可能性は低い。瞼ギリギリのところにダニが食いついているのだから、下手をすれば目を傷つけてしまうかもしれない。ダニを取るのに全身麻酔など洒落にもならない…」
そう考えた私は刺抜きを持ってきて自分で取ることにした。

「メガネ、メガネ!」
いざ取ろうとしたらぼやけて見えない私はそう言って老眼鏡をかけた。
一匹目のダニは見事に頭から取れ、ジェニーは身動きすることなく全身を私に預けていた。
ティッシュの上で潰すとプチっと音がした。
二匹目も一気に引き抜いたのだが、抜けたのは3本の毛だった。
ジェニーは痛かったはずだが、ピクリともせず横たわっていてくれた。
3回目のチャレンジで綺麗に引き抜くことができ、眼から2ミリの場所に食いついた2匹のダニは退治された。

眼の前に刺抜きを出されたら人間でもビビってしまうのに、ジェニーは瞬きさえ控えてくれた。
終わった後には「慌てなさんな。これしきのことで」とそのまま眠っていた。

「自分でやってよかった」と心から思い、瞼のダニを取った以上に信頼の結びつきを感じた。
 

初めてのチャレンジ、その時飼主は… 2005年08月05日(金)

  ガーデンの最高気温は34.5度を示し、今年一番の暑さになった。
昨日の蒸し蒸しした状況から比べればまだ救いはあったが、夜に入って涼しくなった空気が室内に入ってこない無風状態となっている。
北海道の夏はお盆までと昔から言われているのでもう少しの辛抱だと信じたい。

こんな暑さの中で今日はとても素晴らしい時間を共有させてもらった。
ゴールデンのモナは水に入った経験がなく、性格的にも慎重派であり、一つ間違えば水嫌いになる可能性があった。
しかし、ガーデン脇に用意したプールに入れば、今日の暑さからみて喜ぶに違いないと飼主のSさんと私は考えた。

経験したことがないことや、苦手意識があるものを受け入れさせるには相手の性格を理解した上で対応しないと、却ってトラウマとなって寄り付かなくなることがある。
犬が苦手な愛犬を「大丈夫、この子は大人しいでしょ」などと言って、無理矢理近づけて遊ばせようとする方を時折見かけるが、その成功率は低いどころか永遠に遊ばなくなってしまうことの方が多いことを知っておくべきだと思う。

その点、今日のSさんは実に根気がよく、私の呼吸と見事に合致していた。
私は30センチ弱の深さのプールにモナが大好きなおもちゃを浮かべ、好奇心を高めるための時間を費やした。
その時点でのSさんは「モナは水に入ったことがないし、積極的な犬じゃないから…」と、話しておられた。
モナの興味がおもちゃに根強くあることをみた私は、優しく上半身を抱きかかえて前肢をプールに浸け様子を伺ったが逃げようとする素振りはなかった。
次に後肢を入れると、しばらく突っ立ていたモナが水の中を歩くようになり、ついにおもちゃを咥えて笑顔になった。

その後のSさんの対応がすばらしかったのだ。
私はおもちゃに水を入れプールの底に沈めておいた。
それを取るには、モナは息を止め顔を水に沈めなければならないのだが、ここからは一切の手助けはしなかった。
するとモナは試行錯誤を始めた。
手でおもちゃを掻きながら、浮き上がったところを咥えたかったのだがおもちゃは浮かび上がることはない。
Sさんは「モナ、それ頂戴」と言うだけで、次にモナがどのような行動に出るのか楽しみに観察していた。

5分10分と時間が流れる中、モナが鼻を水につけてはブクブクと息を吐いている場面が確認されると、次にどのようなことを試すのかがさらに楽しみになり、私たちは時が経つのも忘れて炎天下で見守った。
息を吐き、ちょっと吸って危険を感じると、水の中を歩き回っている。
やがて、静かにゆっくりと顔を沈め水中でおもちゃを咥えた時、私たちは「良い物を見せてもらった!良い時間を過ごさせてもらった」と心からの拍手を送った。

30分ほど経った頃にはモナは自らプールに出入りし、水中でおもちゃを咥える時には目をしっかり明け、楽しむように時間をかけて潜っていた。

・初めての状況下では人があたふたせず、犬にもさせないこと。
・犬に見せ、目から慣れさせること
・穏やかに励まし、見守ること
・出来た行動には褒めるのではなく大喜びする姿を見せること
犬が学習するプロセスを知ると、人は楽しくて仕方がなくなるものだ。
 

禁煙条例 2005年08月03日(水)

  夕べはゆっくり堪能させていただきました。
やはり確かに美味しく飲めるけど酔いのまわりは早く、注意が必要であることを今後の課題として自覚すべきとの結論に至った。

さて、今日は負けを覚悟の論争に参戦しようと思う。
札幌市の条例で以下のことが8月から実施された。
1.札幌市内全域でタバコ空き缶のポイ捨てが禁止された。
2.市内中心部での歩きタバコ(自前の吸殻入れ使用も含む)が禁止された。
どちらも罰則規定付である。

先日、交差点に差し掛かったとき隣の車線を走る車の窓からタバコが投げ捨てられた。
ムカッときた私は信号待ちをしている間、その運転手の女性を睨みつけていた。
携帯電話で話をしていた女性はその視線に気付き、気まずそうな顔をしていたが、当の本人は運転中に携帯をしていることをとがめられていると思っており、窓から捨てたタバコのことなど気にも留めていない素振りだった。
いわゆるアホである。

カフェを時折訪ねてくれるYさんの旦那なら、車から降りて捨てたタバコを拾わせたに違いないが、私は単に睨み付け続けただけだったのが情けなくYさんにすまない気持ちで一杯である。

1.タバコの煙による喫煙者本人と受動喫煙者の医療費負担の増加を抑えること
2.環境問題
3.先進国の人間は喫煙せず、喫煙は開発途上および野蛮な人種の象徴というような感情論
等、喫煙者には肩身の狭い時代になった。

ここで一本の反論の矢を放ったなら千本の矢が帰ってくるに違いないから慎重にならざるを得ないのだが、酔っ払いにそこまでの自重心が働くのか心配しつつ先を進めよう。

私の心許せる仲間の多くが、今も昔も喫煙者であり、気難しいことを言う連中の多くが非喫煙者であることに何らかの因果関係はあるのだろうか。
非喫煙者が気難しいというのでなく、それにこだわる人の中に『先進国の人間が後進の原住民を蔑視するような臭いを感じる』経験は多くの喫煙者が味わっていることではなかろうか。

ここまで科学的に喫煙の弊害が喧伝されているにもかかわらず、国の国税政策によって罹患した中毒症状による自己弁護を繰り返す私達を“病気”だと非難あるいは哀れと感じつつ、健康問題・環境問題に取り組む方々は幸せなのだろう。

『人は死に、形あるものは壊れる』中で、その時代に生きる私たちに、仮にタバコが原因で死んでゆく私達を規制することが正論と言えるのだろうか?
と共に、無菌室で生活するなどという極端なことは言いたくないが、極力、人間は汚染による死や病気を排除し、自然死を追及するのが幸せなことなのであろうかと思う。

ペットブームなど何も知らず、目の前にある喜びに精一杯生きる犬たちが、酒飲みで愛煙家の飼主に育てられる割合がそうでない家庭より多いというような結果が出たとき、健康志向派は何と反論するのであろうか。
人に美しい空気と環境を与えれば、幸せに生きていけるとでもいうのだろうか。

タバコが麻薬であり人類において害であるならば、すみやかに法的規制を行い、私のような人間を作らない社会にすべきであろう。
札幌市の条例を非難する気は毛頭ない。
『本当にそれでいいのですね』と問い掛けたいだけである。
 

明日は竜馬だ! 2005年08月01日(月)

  大きな声では言えないが「実は今日で停酒4日目です」

あの翌日から私は再びチャレンジを始めたのだが、今日まで偏頭痛はなくその他の体調も変わらない。
寝つきや眠りの状態も良くも悪くもなく、停酒したからといってタバコの量が減るわけでも、この欄を早く書き終えることもない。
変わったことと言えば、夕べのことを翌日も覚えているのでKに誤魔化しが利かなくなったのと、あとひとつ…

目の前には友人が送ってくれた『いも焼酎竜馬』と『むぎ焼酎竜馬』のつぼ詰のボトルが2本未開封のまま置かれている。
竜馬ビールというのは高知で売られているが、あれは確かオランダかどこかで作られた物の輸入品だったはず。
この焼酎竜馬は高知県の安芸市で作られた竜馬である。

“竜馬・ビール・安芸市”というキーワードで思い出したことがある。
全国一人旅で安芸市に立ち寄った時、あの三菱財閥の創始者である岩崎弥太郎の生家を訪ねた。
そこで人から聞いた話で記憶も曖昧であるが、弥太郎が長崎のグラバー庭で有名なグラバー氏とお酒の話になり、日本でもビールを作らないかということになったらしい。
そこで作った会社がキリンビールで、そのラベルには弥太郎と親交のあった坂本竜馬を称える絵が描かれていた。
つまり、あの麒麟のマークは“竜”と“馬”だというのである。
真偽のほどは分からないが面白い話だと思った。

さて、(あとひとつ…)の続き
「少しぐらい飲んだら?タバコは百害あって一利なしって言うけど、お酒は百薬の長でしょ?たまに休肝日を作ればそれでいいんじゃない?」
Kがつまらなさそうに言った。
前回もそうだったが、停酒した時の私は仕事を終えた後、無口で堅物のただのつまらん男になるようなのだ。
サッカー中継を見ていても興奮することなく、かといってイラツク訳でもない。
無感動ということはないがとにかく『つまらん!お前の話はつまらん!』状態になるのだ。

というわけで、『犬は制限を受け、人は自制する』云々から始まった1週間の停酒というこの取り組みは明日をもって中止することとした。
“先月25日から明日の夜までの9日間の内、飲酒したのはわずか2日間だけだった”という大記録を残して。
 


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