From the North Country

“集い”の最終案内 2005年08月17日(水)

  いよいよ明日“盲導犬チャリティー・ドッグカフェの集い”が開催されます。

カフェは定休日ですので通常の営業は行わず、ノースラン2005が主催するこのイベントに協賛し、会場提供と準備および運営のお手伝いをさせていただきます。

1.これまでカフェに寄せられた募金と明日のイベントで集まる募金およびドリンク類売り上げの5割、それに今月6日に稚内で行われたイベントの募金を合わせた金額を、明後日19日にノースラン事務局の猪瀬夫妻が北海道盲導犬協会に寄付することになっており、その結果についてはこの欄で後日報告いたします。

2.“集い”は午後3時からですが、カフェでは1時から当日の募金を受け付けさせていただきます。
また、明日はワンドリンクすべて500円とさせていただきます。

3.盲導犬についてのこと、使用者個人のこと、お互いの関係などを深く学べる機会が提供できたらいいなと思っています。

皆様のご協力とご寄付をお待ちしております。
 

今日の風 2005年08月16日(火)

  今日の風を感じましたか?
日差しの強さは真夏のそれだっただろうが、風は明らかに秋を思い起こさせていたはずだ。

お泊り犬の引取りが思ったよりも早く、Kと私は目を合わせ『今夜は温泉だ!』と瞬時に疎通した。
車で3分の里塚温泉で私たちは数週間ぶりに疲れを癒し、飲んで食べた。
露天風呂では吹く風の冷たさに、思わず首までどっぷりと浸かり、ふと夜空を見上げるとそこには7分の月と幾つかの星があったのが印象的だった。

今日のカフェにはお盆休みを各地で過ごされた方が舞い戻り、武勇談やら様々なエピソードが持ち込まれて私たちを楽しませてくれたが、実は開店前にちょっとした出来事があった。

朝の8時頃に『昨夜から放浪しているGレトリーバーを保護した』との電話が入った。
その方の話によると、「居たたまれなくなって保護したまではよいが、隣人が警察に電話して今パトカーが来ている。このまま引き渡せば犬の運命は風前の灯になって可愛そうだ。何とかならないだろうか?」という相談だった。
『何故カフェに電話を?』と尋ねたら、知人である“犬と泊まれるニセコのペンション”のオーナーに電話をしたところ私の店に相談するよう言われたとのことだった。

カフェのようにいろんな犬がやって来る場所では、失礼ながら“得体の知れぬ”犬を預かるわけにはいかない。
かといって、この話を放置するのは人間として許せるものではなかった。
私は保護されたOさんにしばらく預かるよう話し、警察にもその後の連絡が取れるようにお願いし、すぐにOさんの家を訪ね犬を見せてもらった。

その犬は大人しく状況を受け入れていた。
外飼いかもしれないと思わせるほど手入れは行き届いていなかったが、しつけはきちんとなされており『飼い主はきっと探している』と私には思えた。
保護した後の排便はいつものドッグフードを食べたと思われる良好便で、放浪してからそれほど時間は経っていないことも想像できた。性別もわかり年齢も推定できた。
私はデジカメで写真を撮り、Oさんには動物管理センターに保護している旨の連絡をするようお願いしてカフェに戻った。

『保護しています』という写真入りのポスターを印刷して、Oさんの家にそれを届けた時、ちょうどOさんはカフェに電話を入れていた。
「今、飼い主の方が引き取りに来ました」と。

犬がいなくなった飼い主は、まず自分であちこちを探し回っていたのだろう。
その後、途方に暮れすがる思いで警察に出かけたら、保護している情報があったと思われる。
事件は無事解決した。

不可解なのはその犬はすぐ近くの町内で飼われており、昨夜から放浪していたにもかかわらず、帰巣していなかったことである。
『アホなのでは?』
『家出したのでは?』
『何度か自宅に戻っていたのに飼い主が気づかなかったのでは?』
様々な憶測が飛び交ったが、私は『非日常的な行動に新鮮さを感じ、アバンチュールを楽しんでいた』つまりローマの休日のような時間を過ごしていてのではないかと密かに思った。
 

続報 “ドッグカフェの集い” 2005年08月15日(月)

  60回目の終戦記念日を迎えた今日も午後に入るまでは暑く、午後からは強風が吹き荒れていた。
今週木曜日に計画している“盲導犬チャリティ・ドッグカフェの集い”にはもう少し涼しく爽やかな風が吹いてくれればありがたい。

「当日は来れないので」と事前に募金をお預けになる方がおられるため、カフェでは協会から預かった中型の募金箱を早めに設置することにした。
そしたら今日お盆休みのスタッフの肩代わりを引き受けてくれたゴールデンのムーンとトムの飼い主であるKさんが、自宅で貯めていたビニール袋に一杯の小銭を持ってきてくださった。
「お札が入っているのに、私のは小銭ばっかり。恥ずかしい!」とKさん。
何をおっしゃる、善意の集まりが結集しているからこそ運営費の80%以上を寄付に頼る協会は30年以上も盲導犬を作出し続けているのですぞ。
事前にお預かりした現金・封筒に入った寄付金は、確かに募金箱の底に入れておきました。

さて、当日のメインイベントが決まったのでお知らせを。
昨年、体調を崩してしまったため皆さんにお聞かせ出来なかった盲導犬ユーザー山田修さんの指笛とトークがどうやら今年は実現できそうな状況だ。
彼の音楽に対する才能と思い入れは聴く者を圧倒する得体の知れない力強さがある。
マンドリンオーケストラをバックにつければその輝きは一層引き立つのだが、そんなことをしたら狭いカフェにはお客は誰も入れなくなってしまうだろう。

そこで伴奏は人妻Mが引き受けてくれた。
つまり、糖尿病で体調が安定しない山田さんの指笛の伴奏を、今年5月に大手術を終えたばかりの人妻Mが担当するという、いわば『病み上がりコンサート』というサブタイトルがふさわしいイベントになりそうだ。
是非楽しみにしてご来店いただきたい。

ただひとつ私に不安があるとすれば、週間天気予報が当日晴れの予想を示していることである。
 

転ばぬ先に杖はあるか? 2005年08月13日(土)

  お盆に入ったカフェ周辺の道路は霊園に通じるためかなり渋滞していた。
「2時間もかかってしまいました」
そう言ってカフェを訪ねてくださった方もおられ、ありがたい気持ちで一杯である。

開店時からワンちゃんたちがやってきて、私もレッスンをひとつ行ったが、頭の中は買ったばかりのパソコンのことで一杯だった。
実は、古いデータはフロッピーに保存してあったが、昨年あたりからのものは油断してバックアップをしておかなかったのだ。
しかもイケナイことだが7年前のアプリケーションは借り物が多く、データだけあっても今度のパソコンでは使えないものがある。
住所録やメールのアドレスそれにカフェの帳簿のデータも失われた。

ところが、知識があるというのはやはり凄いことなのだ。
昨日この欄でお助けマンとして紹介したIさんは奇抜なアイデアを教えてくれた。
前のパソコンが壊れたとしても、情報を記録してあるハードディスクは健在なはずであり、それを取り出して新しいパソコンに取り込めばいくつかのデータは簡単に復元できることと、そのための周辺機器が安価であることを進言してくれたのである。

ハードディスクを持ってHDDケースなる物を買い求め、近いうちに試してみようと思うがたぶんまたつまずいてしまうだろう。
それよりも今日はパソコンの不要なアプリケーションを削除し、ウィルス対策ソフトをインストールして快適で安心な環境を作るだけで時間は過ぎていった。

私がパソコンを始めたときはデータはカセットテープに記録していたし、コンピュータの言語といえばベーシックというものだった。
MSDosというものに代わってから、私の頭は進化をやめてしまったようだ。
以後は、テレビのようにスイッチを入れチャンネルを合わせれば動く家電製品と同じ位置づけになった。

そういう意味において、現在のパソコンは進化の途中であることは否めない。
そのことが今の私に象徴されているのである。

ともかく、私がこれまでに築き上げた文書やデータは現在一時的にであるかもしれないが失われている。
『生あるものは滅び、形あるものは壊れる』
この言葉の意味を噛み締め人は生きていかなければならないと思うが、今生きている私にとっては失われたデータの復活に躍起になる努力が生きていることの証でもある。
一方で、『アイタ ピアピア』『ケ セラ セラ』『What will be will be』つまりは、『なるようになる』『じょんのび、じょんのび』『なんちゃない』ということも受け入れている。
 

壊れたパソコンに哀悼の意を 2005年08月12日(金)

  ああ、何ということか!
7年間愛用したノートパソコンを壊してしまった。
その壊れ方がなんとも私にふさわしい最期だった。

一昨日の夜、この欄を書き上げ最後の一杯をグラスに注いで部屋の灯りを消した。
飲み残しのグラスをカウンターに置いたつもりが…、そこはそれ酔っ払いのやること…後はご想像のとおり。

翌朝パソコンの電源を入れたが立ち上がらない。
よく見るとキーボードから浸透した甘く芳しい液体がパソコンの底に溜まっていたのである。

修理を考えたが何しろ7年前の代物で、ウィンドウズ98、しかも最近はメモリー不足でスピードが遅く複数のアプリケーションを使うと固まってしまうことが多くなっていた。
それでも愛着はあるし、褒めたり励ましたりしながら日々使っており、ちょっとおかしくなっても対処法も心得ていたが、ここは諦めざるを得なかった。

すぐにパソコンを買いに走り、店員に使用目的を話すと手頃なのを選んでくれた。
7年前ならカタログを取り寄せ、見比べ、ウンウンと唸りながら決断したのに、
「今の時代のパソコンは家電製品を買うような感覚で大丈夫ですよ」と店員。
『人の懐具合も知らないで』と口に出そうになったが、使い方が簡単という意味なのだろうと飲み込んで持ち帰った。

昔のようなパソコン自体のセットアップが無くなっているのに驚きを隠しきれなかったが、いざ無線RANの設定を始めるとつまずいてしまった。
いいところまでいくのだが繋がらないのである。
「どうしたものか?」と困り果てていた頃カフェを覗くと“こぐはや”のIさん夫妻が来られていたのである。
地獄で仏、鬼に金棒、渡りに船とばかりに事情を説明すると快く引き受けてくださった。

「何をどうしたから良くなったかはわからない」とIさんは謙遜されたが、とにかく無事開通した。
感謝感謝である。
ジェラートを振舞っただけでお食事代はしっかり頂いたところにカフェのしたたかさがあった。
持つべきものは良き客である!

さて、パソコンは使えるようになったが、それからに問題があった。
この続きはまた明日。
 

あと10年も若ければ? 2005年08月10日(水)

  先週の定休日は“とっても冷たいたぬき稲庭うどん”をKが作ってくれたのでガーデンのテーブルで食べ、その後サマーベッドに横たわって午後を過ごした。
信じられないくらい素敵な環境での贅沢な時間だった。
『この時間を得るためにならまた1週間働ける』とその時は思っていたが、年には勝てないのか昨日あたりから鏡に映る顔が疲れた表情になっていた。

それでも今日は楽しい犬たちに囲まれて心はとてもリラックスしていた。
思えば周囲の状況に私はコントロールされ、楽しんだり緊張したり気を使ったり羽目をはずしたりしているのが分かり、正にそれは犬と同じであるようだ。

一般的な愛犬家の立場で見ると、我が愛犬を“楽しく、気の趣くまま時に羽目をはずすほど楽しませること”がよい飼主であるように思われがちだが、実は人と同じように“緊張し気を使わせる”ことが両者の生活の快適さを保つ上で必要であることを忘れていると思う。

もし私に“楽しく羽目をはずす時間”ばかり与えたなら、年老いた今は穏やかな振る舞いと睡眠を示すだろうが、あと10年若ければ周囲を困らせるような身勝手な発想を連発しているに違いない。
そして手のつけられないような(今よりも?)身勝手な男になり、現在の生活はなかったかもしれない。

『わずか十数年の短い命であり、人に依存しないと生きてはいけない犬たち』だからこそ、早い時期に言葉が分かり心通わせることが出来る存在に育てなければと私は思う。
単に年老いて大人しくなった犬に「こんな犬と暮らしたかったんだ」と感じる気持ちも分からないではないが、真正面から接すればもっと長い時間その子との楽しい時間を過ごせたのではないのだろうか。

『あと10年も若ければ、という90歳』
この川柳は、『年齢にとらわれずいくつになっても頑張れ』という励ましを微笑ましく与えてくれる一方、『その時はやれなかったのに、後になって強がる』という後悔の一面もある。
ここは良心的に受け止め、『さあ、諦めないで!』というメッセージとして愛犬家に贈ろう。

申し訳ない。酔いが回ってつじつまが合った文章になっているかさえ判断がつかなくなってしまった。
 

秋一番を感じた日に 2005年08月09日(火)

  朝ガーデンでわずかに流れた風に「もしや?」と感じたが、強い陽射しがそのことをすぐに忘れさせた。
温度計も9時過ぎには30度を超えていたし…

ところが、今年の夏を象徴するように11時頃の最高気温を過ぎると、朝「もしや」と感じた秋を思わせる爽やかな風がしっかりと吹き始め、夕方には最適の涼しさで散歩をすることが出来た。ふと見るとガーデン隣の空き地にはススキの穂が銀色に揺れていた。

勿論これが札幌の今日の季節を表しているわけではなく、私が住む“風の街”里塚緑ヶ丘の話である。
あと数日暑い日が戻ることもあるだろうが、秋はもう少しでこの街を訪れ、そうなれば爽快な季節を今年は長く楽しめるかもしれない。

秋風は秋風でも淋しいほどの秋風が一足速くカフェを吹き抜け、今日はとてもヒマな一日だった。
おかげで暑い夏の間にたまった疲れを癒し、訪ねてくれた方々や犬たちとまったりとした時間を過ごさせていただいた。
とりわけ嬉しかったのは今日からお泊りのアメリカンコッカー/クリンの元気な姿だった。

カフェを始める前の浪人生活の頃に訓練した犬であるが、数ヶ月前カフェにやって来た時はほぼ失明状態になっていた。
飼主のIさんは諦めの境地にあったが、私は犬の失明経緯を伺い、状態を確認したうえで眼科専門医の情報を与え
受診するよう勧めた。

しばらくして眼内レンズを装着し、すっかり見えるようになったクリンが元気な姿を見せてくれた時は本当に嬉しかった。
そのクリンと再会し彼も喜んでくれていることに安堵したが、夜になって彼の目を覗いた時に再び不安がよぎってしまった。
とりわけ左眼に硝子体混濁が見られるのである。
医療によってその進行を幾分制御することは出来るであろうが、いずれ再び失明する可能性は高いと言える。

まだ若いクリンが先天性の白内障であるとすれば、失明もやむを得ないだろう。
しかし、医療において少しでも彼に見える時間を与え続けることが出来るとすれば、彼の脳には眼から得た情報が蓄積され続け、仮に見えなくなったとしてもこの世界をイメージすることができ、彼の日常生活にとても役立つようになるのだ。

失明は死を意味するのではない。
確かに見えていた時代の終焉ではあるが、新たな生活の始まりでありその基礎知識はクリンの脳がしっかり記憶しており、あとは彼と暮らす人々が視覚障害を正しく認識し適切な対応、すなわち“未知の状態を既知の状態にする”技術である『ファミリアリゼーション』という概念と知識を理解して欲しいと望む。

ウォッカが私の体内を駆け巡ってしまったから難しい話になったかもしれないが、要するに目が見えなくなることは大変な事態であるけれど、“見える・見えない”がすべてではなく、物事は脳が見ているのであり、ケアする人が適切な知識と技術を身につけていればクリンはクリンとして生きていけることを伝えたいというだけなのだ。
 

『あの時』になるかもしれない今日 2005年08月08日(月)

  静かだったカフェの周辺はここ数ヶ月で俄かに騒々しくなった。
宅地開発が盛んになり中の上クラスの邸宅が次々に建てられ、1ヶ月ぶりに散歩をするとすっかり見通しが利かなくなってしまっていたりする。
すぐ東側の道路が延長され、国道と国道が結び付けられると、夜に入っても大型トラックなどの通行量が激増し、しかも田舎であるからスピードは凄まじく速くうるさく感じる。
2つのコンビニが閉鎖したと思ったら、より近くに2つのコンビニが新装開店した。

後になって『あの時』と記憶に残ることは誰しも持っている。
昨日初めてカフェに来て、家では見せたことのないおりこうさん振りを示した黒ラブの飼主も『あの日』としていつか思い出すかもしれないし、年老いた方の中には『あの頃はよかった』と口癖のように言う人もいるだろう。
社会や環境は自分とは関係なく変化してしまうのだが、時代の流れと共にその変化のスピードが速くなり、また予想しなかった変化であったりしているようだ。

ここで言う『あの時』は単に思い出の時ではなく“ターニングポイント”になった時の事である。
「週末ペンションに2匹のわんこと父さんと4人で泊まったんだけど、父さんとブルはイビキかいて寝てたから、ベルナだけトイレに出したの。ところが戻ってきたらブルがいないのさ!夜中の12時に、声と足音を潜めて宿中を探し回ったんだよ!そしたらさ、ぐるぐる回った廊下の突き当たりの階段のところで、降りれなくてじっと下を見ているブルを発見したの。抱きかかえて部屋に戻ったけど体中から汗が噴出してもうワヤ!なんであんな時に吠えて教えてくれないのかな?」
今日もカフェに来ていただいたTさんの独演会が単に思い出話なら『あの時』というのではなく、例えば「そういえばあの夜からブルはおりこうになった」とか、あるいは「あの夜から放浪癖がついた」とかいう意味だ。

今夜、衆議院が解散された。
ひょっとしたら後の日本にとって『あの時』という日であるような気がする。
9月11日の投票日には当然投票に行く。
しかし、結果はどうあれ我々人民は『怒りの葡萄』のように滅びながらもしたたかに生きていくのだろう。
社会や環境の変化にたじろぐことなく、小さな身の回りのことを話題にし、面白おかしく、しかし歯を食いしばってでも生きていくのだろうと思う。

今日、カフェのトリミング室にエアコンをつけた。
商売上やむを得ず、ようやく蓄えた資金から…。
環境に申し訳ないから『2階の自宅では団扇と扇風機で頑張るぞ』と決意したら涼しい夜風が室内を吹きぬけてくれた。
 

夏の暑さと黒ラブたち 2005年08月07日(日)

  「ガマンガマン、もうすぐ夏は終わる」と思っていてもこう暑い日が続いては犬用のプールに一緒に入りたくなってしまう。

「北海道でさえこんなに暑くて、黒ラブたちは大変なのに、本州で盲導犬やってる黒ラブは大変だよねぇ」
盲導犬の繁殖ボランティアをやっているKさんが、Mさんの黒ラブ/ゲンを見てそう話していた。
ゲンはKさんの愛犬シュガー(イエローラブ)の子供で、盲導犬の適性に落ちキャリアチェンジした犬だ。
たまたまその時カフェに3頭の黒ラブがいて、ちょっとガーデンに出て遊んだだけなのに、背中を触ると他の犬たちよりも明らかに熱くなっていた。

今はどうか知らないが、私が現役だった頃には確かに本州には黒ラブの盲導犬が多かった。
室内生活ではどの家でもエアコンが効いているから問題ないのだろうが、通勤のエスコートを担っている盲導犬は結構大変な思いをしていると思う。
環境への適応能力が高く集中して歩いているから、ユーザーの安全は確保されているはずだが、ここ数年の暑さは彼らの忍耐を超える日もあるのではなかろうか。

最も耐え切れないのが建築現場に通じる歩道に敷かれた鉄板である。
車両の出入りで歩道を傷めないように置かれたものであるが、油を引いてタマゴを落とせば目玉焼きが出来るのではと思わせる熱さである。
恐らく、賢い彼らは鉄板を見たら障害物と認識して車道へ迂回しているに違いない。そしてさらに木陰に入るとスピードを落として歩き、一息ついているのだろう。
もしかしたら、冷却用のベストを背負って歩いているかもしれない。

本日4頭目の黒ラブが午後にやってきた。
まだ8ヶ月と若く、振る舞いもラブそのもので、おまけにしつけもされていなかったので、せん越ながら私がコントロールし30分後にはいい子になったが、『一度本州へ行って暑い夏のなか修行して来い!現状にきっと心から感謝し改心するぞ』などと思った。

北海道の七夕の夜。
この黒ラブちゃんに願い事を短冊に書かせたら『今の環境を維持することが出来るなら、迷惑をかけないいい子になって見せます』とは…書きっこないか。
『僕を玄関先の暮らしではなく、室内に入れてもらえますように』というのが心からの願いのように私には受け止められた。
 

ダニ 2005年08月06日(土)

  アウトドアシーズン真っ盛りである。
常連の方の多くがキャンプだペンションだと出かけて行く一方、カフェを目指して久しぶりのワンちゃんや初めての方が来店され、カフェの均衡は保たれている。

「右眼の上に赤いものがあるので、見ておいてください」
今日お泊りのレオンベルガージェニーのHさんはそう言い残して仕事に行かれた。
お昼頃ジェニーの眼を見ると、そこにはまだ食いついて間もないダニがいた。
よく見ると左眼にもダニが食らいついていた。

そういえば昨日カフェの仲間のキャンプに一日だけ参加していたことを思い出し、そこでダニを拾ってきたと考えられた。
しかし、場所が悪い。
瞼ギリギリのところだから、処置がとても難しいのである。

ダニがついたときの私の処置は、アルコール綿花(アルコールがなければウィスキーでも代用できる)を局部に2〜3分密着させダニを酔わせて、食いつく力を減弱させ、コッフェルか刺抜きで深めに摘まんで一気に引き抜く方法なのだが、眼にアルコールが入るような今回のケースは困るのである。

因みに昔のやり方では、タバコや線香の火を近づけてダニの食いつきをはずす方法もあるが、ダニと同時に犬も熱がってしまうので現実的には難しい。

「カフェの閉店後に獣医さんのところで取ってもらおう。どんなやり方をするのか今後の参考にもなるし」
最初私はそう決断していた。
しばらくして「待てよ、ジェニーが獣医さんのところで大人しくしている可能性は低い。瞼ギリギリのところにダニが食いついているのだから、下手をすれば目を傷つけてしまうかもしれない。ダニを取るのに全身麻酔など洒落にもならない…」
そう考えた私は刺抜きを持ってきて自分で取ることにした。

「メガネ、メガネ!」
いざ取ろうとしたらぼやけて見えない私はそう言って老眼鏡をかけた。
一匹目のダニは見事に頭から取れ、ジェニーは身動きすることなく全身を私に預けていた。
ティッシュの上で潰すとプチっと音がした。
二匹目も一気に引き抜いたのだが、抜けたのは3本の毛だった。
ジェニーは痛かったはずだが、ピクリともせず横たわっていてくれた。
3回目のチャレンジで綺麗に引き抜くことができ、眼から2ミリの場所に食いついた2匹のダニは退治された。

眼の前に刺抜きを出されたら人間でもビビってしまうのに、ジェニーは瞬きさえ控えてくれた。
終わった後には「慌てなさんな。これしきのことで」とそのまま眠っていた。

「自分でやってよかった」と心から思い、瞼のダニを取った以上に信頼の結びつきを感じた。
 


- Web Diary ver 1.26 -