From the North Country

試行錯誤の日々 2005年03月12日(土)

  ふと見ると、この欄も今夜で274話。近くを走る国道と同じ数字になっている。
子供の頃から「お前は、熱しやすく冷めやすい」とか「言うだけ番長」などと罵られていたし、自分でも「三日坊主の何処が悪い」とか「日々是新なり」と開き直っていたので信じられないことが起こっているようだ。
誰にでもある日々の変化や日常のよしなし事、それに曖昧模糊とした自分の考えを整理するつもりで書き綴れば、この程度のことはできるのだな、と改めて感じ入った。

さて、昨日からのお泊りレッスン犬、Mダックスのシェリーは私に似て意固地で心を開こうとしない偏屈者だ。
同じく私に似て、物事を悪い面から捉えようとしてしまうから……暗い。
さらに私に似て「いいもん。みんなに好かれなくてもいいもん。」と開き直りが入ってしまうから手強い。
私は文章でしか噛まないが、シェリーは不安や強引さを感じると噛もうとする。
他の人や犬に元々興味がない。

そこで私のプログラムは、
いろんな人に抱っこしてもらい馴らすこと。
大人しい犬を見つけてシェリーの好奇心を駆り立てること
シェリーの得意技を見つけて伸ばすこと
散歩の中で新たな興味ある発見を積み重ねることなどを手始めにスタートした。

昨日は噛み付かんばかりの勢いだったが、今日は不安ながらも人に抱かれてることを受け入れるようになった。
散歩中はしっかり歩いているが、どうやら自分の家を探しているようで切なく愛しい。
得意技はまだ発見できないし、冗談をやっても反応しない。
お泊りレッスンは2日目まではみんな猫をかぶり、3日目からが本番であるから明日からの変化に期待したい。

ご家族の方はきっと心配しておられるだろうし、会いたいという気持ちが日々募っていることだろう。
何とか一皮向けて、暮らしやすく誰からも愛されるわんこになって欲しいし、そのために残されたレッスン時間をどのように使うかを考えている。

今日一日私のストーカーをしていたにも関わらず、その目はまだ私を信用しておらず『とりあえず、頼らねばならない相手』と受け止めている。
ちょっと冒険だが、今夜から一緒に寝てみようかと思っている。
下手すれば、より私に依存する面ばかりが強化され、排他的になるかもしれないが、ひょっとすれば私を信用し人に心開くきっかけが生まれるかもしれない。
仮にうまくいかなくても、私なら修正できるはずだ。
昔の自分にもシェリーのような傾向があったと思うから。
 

今夜は魚の話 2005年03月11日(金)

  マイワシが北海道で釣れなくなって10年以上経つ。
そのイワシが一ヶ所だけに戻ってきているようだ。

苫小牧市にある火力発電所からの温排水が流れ出る港内で、昨年は何万何十万というイワシが大量に群れていた。
何をする風でもなく、とにかく排水溝に向かって頭を向け温水欲でもしているように見えた。
釣り人が竿を入れると、ものの数秒の内に銀鱗を飛ばしながら20センチほどの魚体が現れる。
釣り人の数も半端ではないので、とにかく次から次へと釣り上げられるのだが、その隙間はすぐに次のイワシが埋めていく状態だった。
イワシ釣りというと夏の風物詩だったのが、ここではすっかり冬のものになっている。

定休日だった昨日、一年ぶりに出かけてみた。
平日だというのに釣り場は既に満員で、軽トラックのラーメン屋台まで現れ商魂たくましい。
水が濁っていたので魚影は少ししか確認できなかったが、イワシは次々にあがっていた。
好釣り場の確保ができなかったので、端っこのヒマそうな釣り人のさらに隣に釣座を構え、釣れない時間に犬と魚を考えた。
ガヤやアブラコは頑固な犬。三段引きで抵抗する。
ホッケやチカは素直な犬。アタリ通りに釣れてくれる。
ソイやハモは逆切れする犬。背びれで威嚇したり噛みついてくる。
カレイはずるい犬。食いついたことがばれないように糸をふけさせる。
コマイや毛がにはデリケートな犬。そっとあわせてあげないといけない。
釣り上げられるわけだから、さすがに陽気な犬に当てはまる魚は思いつかない。
さて、イワシは?
イワシは落ち着きのない犬。最近の元気な女性と同じで、じっとしてたら死んでしまう。

一工夫も二工夫もして20匹ほどのイワシを釣り2時間ほどで帰ってきた。
 

喧嘩をしない訓練? 2005年03月09日(水)

  定休日前夜はテレビでも見てのんびりしたいけど、見たい番組がないからついパソコンの前に座ってしまった。

昨日のプリン(ピレネー)のレッスンを今朝も行った。
カフェではカルチャーショックを受けたような顔をしてとても大人しい。
飼主のKさんは心配な様子だったが、ガーデンで遊ぶハスキーやゴールデン達の中にプリンを放した。万が一のことが起こりそうになっても、「これ!」の一声で喧嘩を未然に防ぐ自信が私にはあったし、仮に威嚇でも始めたらそれは絶好の訓練チャンスになるからだ。

すべての犬に対してではないが喧嘩を売るケースが増えてきた時に、『喧嘩をしない訓練』があるわけではない。
そのような犬は必ず別の問題を抱えている。
例えば、引っ張り・吠え・反抗など主人を無視・甘く見ている態度であり、マテや呼び戻しも聞かない状態である。
だから、訓練は対主人意識とマテ・おいでを教えることから始める。
オスワリやフセは既に知っていることが多いからあまり必要ない。

プリンに対してもこのような訓練から始めたのだが、さすが大型犬、覚えが早いし短期集中訓練で多少荒っぽいところもあるのに寛大である。
ガーデンでは多少緊張気味で、ハスキーのチェスに遊びの挑発を受けても乗りが悪かったが、徐々に打ち解け激しい遊びをするようになった。

興奮度が高くなったり、相手の犬が変わったときに威圧的な態度を見せたら厳しく制御することで喧嘩の問題は片付いていくだろう。
同時に散歩も楽になっているはずだ。

さて今日のカフェには、先週初めて来店した時は『噛み付きチワワ』の異名をとった、こちらもプリンがやって来た。
『噛まない訓練』があるわけでもないので、先週は『自分の存在が如何に小さなものかを知らしめ、上手く世渡りしないと楽しくないぞ』ということを教えておいた。
今日はすっかり大人しくなり、身の程を知り分をわきまえる方向に進んでいた。
先週よりもやや強めのいじわるな刺激を与えると低く唸ったので治療しておいた。
この刺激を克服することが今週の課題である。
 

プリンの更生訓練 2005年03月08日(火)

  グレートピレネーズ/プリンの父さんは見様によっては強面のおっかない男に見える。が、この父さん気は優しくて面倒見が良く、私のように口だけではなく体を動かすのが大好きな信じられないほどのいい男なのだ。
1年前の冬に度々カフェを訪ねては、半袖姿でガーデンに出て、雪山で子供さんとプリンや他の犬たちの面倒を実に楽しそうに見ておられた。

その父さんから「頼みます」と昨日言われたものだから、面倒臭がり屋の私も腰を上げずにはおられなかった。
この1年の間にプリンが他犬に対してけんかを売るようになって困っているというのだ。
先週久しぶりに訪ねてくれたとき、プリンの様子が変わっていたことに私も気付いていた。
しかし、一年近いブランクがあったし、大型のピレネーズだから簡単には手を出せずにいたところの訓練依頼だった。

今朝、自らに気合を入れてプリンと訓練に出た。
案の定、すぐに踏ん張り動こうとしない。
渾身のコントロールを行って、『自分の力だけではどうしようもないことが世の中にはあるのだ!』ということを伝えた。
プリンの目にはサスピシャス(猜疑的)な曇りが現れていた。
本当はラポート(親和)をとるために数日の遊び訓練が必要なのだが、貧乏性な私はそれを訓練の中で行っているから最初は仕方がない。(ラポート成功率はまだ70%程度と低い確率なのだが)

3度のコントロールでプリンは仕方なく歩くようになり、それから歩きながらの私の長い説教が始まった。
「プリン!お前は身体がデカイのだから、それだけで皆から一目置かれる存在だ。
それなのにお前はなんだ!
こともあろうにデカイことを傘にきて、他の犬に喧嘩を吹っかけるなどとは超大型犬の面汚しだぞ!
恥じを知れ!」
勿論、その間にも私は『マテ』や『おいで』の訓練を行っている。

片道40分のコースを折り返す頃には、プリンは私の話に耳を傾けるようになっていたので、説教は徐々に情緒的な内容に変わっていった。
「大きい犬は優しい心を持った犬でなきゃいかん。プリン、お前の父さんを良く見ろ!あんなに優しい父さんだからといってお前がいい気になってどうする?
図に乗るんじゃなく優しさを学び取らんきゃいかんだろ。そう、お前はいい子なんだぞ。えらいぞ。優しい子なんだぞ。そう偉いぞ。」

カフェに帰ると、プリンの父さんはガーデンで今朝方降った雪を集めて、大きなイルカだか鯨だかの雪像をこしらえていた。
後からやって来たゴールデンのベルナがガーデンに出るや否や、その雪像をぶっ壊してしまったが、父さんは大らかに笑っていた。

明日もプリンの訓練を行うことになっている。
 

気温10度を超えた日に 2005年03月07日(月)

  一気に雪解けが進み、ガーデンの一部に恐怖の地面が見え始めた。
普通なら春を喜ぶべきなのだろうが、昨年のガーデンの状況を思い出すとそうもいかない。

水はけが悪いため、先ず初めに池ができ、続いてぬかるみ、さらに犬たちがお構いなく駆け回るとそこは泥沼になっていたのだ。
幸い、玄関には洗い場があるから、カフェの被害は最小限で済むことも実証済みとはいえ、4月中旬まで憂鬱な日々が続く。

その前に片付けなければならない仕事がある。
ガーデンの雪山だ。
冬の間せっせと積み上げたものだから、結構な量の雪が溜まっており、そのまま解けるのを待つとガーデンは泥沼どころか底なし沼に変身しかねない。
そうなると再び犬たちが遊べるのはゴールデンウィークになってしまうだろう。
気温の高まりをもうしばらく待って、ガロアラシ号にひと踏ん張りぶっ飛ばしてもらうことになる。

3月とはいえ、あと1〜2回は大雪が降るはずである。
この欄で季節の移ろいにかかる自然現象を愚痴ることが今後も多々あるだろう。
昨年このHPを開設した当初も、なごり雪がしつこすぎて愚痴っていたはずだ。
しかし、自然現象に対するこの小さな人間の営みが私は好きだ。

もちろん、理屈抜きに好きなのではない。
一人なら辛くて死にそうになるし、逃避してしまうに決まっている。
Kがいて人がいて犬たちがいるから、つまり支えてくれる力を感じることができるから好きなのだろう。
また、もし次の展開が少々予想と反していても台風の進路予想の誤差程度ならば、人生経験によって何とか対処できるだろうが、大地震などで180度も変わってしまうと、ただうろたえるばかりの人間かもしれない。

単に気温が10度を超え雪解けが一気に進んだだけの今日の話題がちょっと仰々しい話になりかけたのは、Aさんから頂いた焼酎が私の体内アルコール濃度を20度に上げてしまったからだろうか。
明日はまた寒い一日に逆戻りとの予想。
スケートリンクと化したガーデンにはくれぐれもご注意を!
 

春間近 2005年03月06日(日)

  春の陽気一杯のうららかな一日だった。
この陽気がワンちゃんたちをカフェに駆り立てたのか、それとも常連ではあるが初めてのお預りで『まねき犬』の異名をとったジャックラッセルうらんちゃんのおかげなのか、カフェは繁盛せずとも盛況な賑わいを見せてくれた。

座席すら確保できず、ずっとガーデンにおられた皆さんに申し訳なく思います。
「もう、辞めさせて頂きます」と嘆きながら厨房で働いてくれたKとスタッフに感謝します。
私たちのカフェのキャパシティーは恥ずかしながら今日のこの程度が限界ですので、今後とも犬たちのような寛大さを持ってお付き合いくださいますようお願いいたします。

それにしても楽しかった。
チワワ・Mダックス・ジャックラッセル・パピヨン・トイプー・コーギー・Mシュナウザー・コッカー・シバ・ラブ・エアデール・ハスキー・ゴールデン・サモエド・グローネンダール・レオンベルガー・グレートデンに至るまで様々な犬種や性格の犬が入り乱れ、不安だった犬たちが楽しそうに遊ぶようになり、吠えていた犬が大人しくなり、ストーキングしていた犬を制御することを飼主が認めてくれたり、結果的に犬好き同士で交流が生まれていた。
何より、きっとそれぞれが抱えているであろう我が子の問題点に配慮しつつ、他犬やその飼主に寄せる思いやりをも併せ持っておられる姿に感動した。

『お互い様』
みんなそう言いながら生きているのだと改めて思った。

そして、あれだけの犬がいながらカフェでもガーデンでも犬たちにトラブルもなく、従順で静かな節度ある態度を示してくれたことを偶然と思わないで頂きたいと思う。
人間のエネルギーに圧倒されていたのだ。
それぞれ、ご自宅に戻られてもそれを実践すべし!

『元気なじじい!ババァは元気に決まってる』と私の友人がロックで歌っている。
それに加えて『元気な犬バカ』を加えよう。
春は近い。
 

もったいない 2005年03月05日(土)

  寒気の中、太陽が照り付けるとジリジリした熱さを感じるのは私だけだろうか?3月に入ってからより顕著になっているように感じる。
冷たい空気と厚い雲がなければ、すぐにも熱帯地域になりそうで、もだえ苦しんだ去年のあの夏の暑さを思い出し怯えてしまう。

ガーデンで思いっきり遊んでいる犬たちはマイナス3度の中で、時折雪に体を埋めてクールダウンするほど暑さに弱い。
しかし、遊びにあまり興味のない犬たちは、さすがに外では震えているし、ストーブに頭を寄せて脳みそが沸騰するほどに恍惚となっている犬もいる。
再びやって来たチワワのらむちゃんは今夜一時行方不明になったが、Kの掛け布団をめくりあげて発見することができた。
暑さ知らずの犬はあまり見かけないが、寒さにもヘッチャラか寒さに弱い犬というのが一般的な北海道の犬のようだ。
だから北海道は暑くなってはいけないのだ。

「mottainai」(もったいない)という言葉が国連で唱和されたそうだ。
そのような意味をトータルで表す言葉が他の国にはなかったというのは驚きだったが、何事につけても『もったいない』の精神で結果的に地球環境を守ることができ、北海道の猛暑が避けられるのなら、この言葉を国際用語に育てる運動に賛同したい、などと地域エゴ剥き出しで考えてみた。
 

犬を飼うってどういうこと? 2005年03月04日(金)

  昨日まりちゃんとらむちゃんが帰っていった。
まりちゃんの懐で大人しく抱かれるようになったらむちゃんを見ていると、ペットと住めないマンションに暮らしていて、すぐに手離さなければならないことが解っていながららむちゃんを購入し、やはり1ヶ月ほどで手離した元飼主の哀れさと無責任さを考えた。

哀れさはすぐに立ち消えた。
犬が好きで『今、目の前にいるこの子と暮らしたい』という衝動が純粋なものであったとしても、すぐに飼えなくなる現実と手離した悲しさは自分の心の痛みで賄えるし、時の経過がそれを忘れさせてもくれるだろう。
しかし、手離された犬の方は命がかかっているのだ。

私はドッグフードは勿論ペットショップやアイフルのコマーシャルもなかった小学生の頃、近くの材木小屋に秘密基地を作り、捨て犬や放浪中の犬の面倒を見ていた。
その数は一時14匹にもなったが、給食を残して持ち帰ったり、セミやザリガリを捕って犬たちに与えたし、内地の冬は藁を敷いてあげれば小屋の中で暖かく過ごせた。
子供ながらも真剣で必死だったのだ。
自分でマンションを借りれるような年齢と分別それにお金を持った大人が、衝動を満たすための無分別な遊びではないはずだ。
元飼主に『大変さや辛いことがあったとしても、みんなひっくるめて犬が好き』の気持ちがあれば、引っ越せば済むことだったろう。

「こんなにいい子を何故手離したのだろう!」
元飼主にそう思わせるような犬にらむちゃんを育ててやる!

さて先日、この話題と時を同じくしてパピヨンの兆(きざし)ちゃんがカフェにやって来た。
「この犬はもういりません。処分してください。」
区役所の窓口に連れてきて、引取りを求める飼主。
偶然、隣でそれを聞いてしまったMさんは矢も楯もたまらずその子をさらうように引き取ってきたというのだ。
その時は2歳に満たない落ち着きのないパピヨンで、元飼主は病気療養中の医者で以前飼っていたパグが亡くなった寂しさからペットショップで購入したらしいが、様々な事情があって手離すというのだった。
『飼主の責任において殺す』らしかった。

長くなったので、もう難しい話は止めよう。

数年前の資料で恐縮だが、その年に
札幌市で殺処分された犬は約3000頭
北海道全体では約14000頭
酔ってしまって調べるのが面倒なので、不確かな淡い記憶をちょっと付け加えると、そのうちの約3分の2(だったかな?)がペットショップから持ち込まれた犬だそうだ。
 

らむちゃん 2005年03月02日(水)

  知り合いのHPを覗いてみると、頑張っている人もいるが、皆この時期は忙しいのか更新が遅れているようだ。
私は別に忙しいわけではなく、HP開設1年も持たずただへこたれているだけ。それと春が近いのかひたすら眠い。

「わ〜っ!」
夕食後うたた寝していた私の頭にネズミが駆け上ってくるような感触に驚き目を覚ました。
Kの娘まりちゃんが友人に頼まれ引き取ったらむちゃんだ。
まる4ヶ月を過ぎたチワワのオスで、こそドロ顔のやんちゃ小僧で、一昨日からまりちゃんと我が家にいる。

らむの育児に疲れ、ちょっと骨休めにやってきたようだが、「何で急におりこうになるの?」と、らむの変化に気を良くし今夜もご在宅である。
仮に孫を連れて来られたとしたら私には何もできないが、犬ならばやれることはたくさんあるし、Kも久々の愛娘との暮らしに満足そうだ。

しかし、このらむちゃんはゼンマイ仕掛けのおもちゃのように駈け回り、乳歯全盛の威力を奈何なく発揮するので気が休まらない。
「大人しくなったんだって、これでも」とK。
「抱っこした時にじっとしているなんて考えられない」とまりちゃん。
そういえば一昨日は思考することなく反射・反応だけで動き回っていたし、懐で
もがいていた。

私が意識的に行ったのは、もがくらむを懐で優しくも完全に動きを制し、さらにその事に不安や反発を示す動作を封じ込め、力を抜いてもじっとしているようになるまで5分ほどかけたのと、あとは魔法の力『掻くこと』を絶えず行っただけである。

『自分の意志や力だけではどうにもならないこと』を体験させ同時に『快と安心』を感じさせることが犬と暮らす基本の一つだろう。
 

叱られにやって来る犬 2005年02月28日(月)

  「町内会でお金を払っているんですか?」
「そんな話は聞きませんが…」
「大物議員でも住んでいるんですか?」
「さあ、どうなんでしょうか」
4日も続けてカフェの前を綺麗過ぎるほどに除排雪してくれているものだから、来店された方々が次々に羨望の声を上げられる。
確かに他の地域を見ると、道幅は狭く雪が山積みされていると言うのに。だんだん申し訳なくなってきた。
引っ越してきた昨年はこんなに綺麗にはしてくれなかったから、きっと何かの間違いだと私は思っている。

『間違い』と言えばカフェでもそれはジェニーとベルナに起こっている。
例えばガーデンでヘマをやらかした犬を叱らなければならない時、
例えば今夜のお泊り犬の無作法を叱らなければならない時に私が「コラーッ!」と叫べば、この二頭がすかさず私の前に頭を垂れてやってきて
「どうか、ひとつ」だとか
「まあまあ、そう熱くならず」だとか
「へへぇ、アッシに何か落ち度でも?」と、あたかもこの世の中の悪いことはすべて自分が関わっているかのような、すまなさと取り成しの態度を見せるのだ。

若いうちにこのような態度を示す犬は、年を重ねるとそれなりに成長し、そのうちに私が怒鳴ると
「おや、まあ、またあの子は叱られてる。なんで同じヘマばっかりするんだろうねぇ。」という顔をしたり
「バカだねぇ、そんなことして何が面白いっていうの?」と眠そうに頭をもたげてみたり
「それ以上の事したら怒られるに決まってるでしょ!あたしゃ知りませんよ」と、さりげなく立ち去るような、何とも素敵な犬になっていくはずである。

今夜のジェニーは、すき焼きを囲む私たちの間を駆け回るチワワに業を煮やした私が怒声を浴びせる度に、寝室から眠そうに出てきては
「父ちゃん、まあまあまあまあ」と顔中を舐めまわし、また寝室に戻って寝ている。
『とんでもない犬』とのレッテルを貼られ、下から這い上がってきた犬の中では、素敵な犬候補の最も身近な存在になっている。
 


- Web Diary ver 1.26 -