From the North Country

こんな日の午前のお客様 2005年02月20日(日)

  Kの言うとおり「ごめんなさい」の札を用意して臨時休業にしておくべきだった。
ガーデンや駐車場など場所によっては50センチ近い重い雪がドカーンと積もっていた。
路上駐車の車が移動の途中で埋まり、その手助けも含めて除雪作業に5時間を要した。
同じ場所を2回ガロアラシ号で除雪しないと飛ばしきれない量だった。

ふと気が付いてカフェを見ると、3組の常連さんと犬無しで来られたお二人の方がガーデンの除雪が終わるのを待っておられた。
シベリアンハスキーのチェス君は実にゆっくりとしたテンポではあるが、見知らぬ人にも強い不安は抱かなくなっており、その何倍ものスピードで他犬との遊びを身に付けてきた。
残り2頭はいつものジェニーとゴールデンのトム君で昨夕からお泊りである。
お泊りといっても商売のペットホテルではなく、『置き去りにされた』という表現のほうが適切だ。
「ねぇ、犬がいないと寂しいでしょう?」
「いや…別に…」
「そんな。遠慮しなくていいからトム君置いてってあげる」
強引だったが、除雪が必要な今朝早くに起こされたのは結果的に良かった。

犬無しのお二人は、黒ラブの飼育相談だった。
しっかりとした考えを持っておられるがために、ハイパーでまだ訓練途中でもあり制御できないワンちゃんをカフェに連れてくるのを躊躇されていた。
訓練という視点から見れば、ドッグランやカフェという環境はせっかくの訓練を台無しにしかねないほど、誘惑が多くコントロールが難しい所である。
だから活用法としては二通りあると思っている。
ひとつは訓練の最終段階における見極めであり、ふたつは何度も通って経験を積み重ね良い方向に向かうよう学びの場とすることだ。
勿論、最初から犬に問題がなければ愛犬とのんびりくつろげる憩いの場でもあるが。

「遠慮されずにこの次はワンちゃんを連れてきてください」私はそう話し、カフェでの制限を付け加えると笑っておられた。
「攻撃性の強い犬はダメです。それと制御できるできないの問題ではなく、飼主が気にとめず迷惑行為を放任し、こちらが注意するか制御しようとすると『うちの子になんてことを!』と怒り出すような方も願い下げです」

たとえ今、問題があろうとも、愛犬との暮らしをより良いものにしたいと本気で考えておられる方には、こちらも本気で対応させていただくのが私たちのカフェだ。
 

本日のショートレッスンから 2005年02月19日(土)

  先週というのか今週というのか分からないが、とにかく先日の日曜日にこの欄でも紹介したMダックスのシェリーちゃん一家が、ショートレッスンにやってきてくれた。
ちょっと留守をした間にウンチまみれになって嫌がらせをしたり、来客の間吠えつづける問題を抱えたワンちゃんで、奥さんも犬が苦手な方だった。

先日の私のアドバイスは、トイレ・ベッド・飲み水の間を自由に行き来できる範囲でリードで繋留するということだった。
勿論細かいことは他にも話したが、基本はそれだった。
この1週間それを実践したという飼主の方は明るい笑顔で
「とても楽になりました。失敗もなくなったし時間があるときはフリーにして遊んでいます」と報告してくれた。
「あと数ヶ月はそのようにし、フリーにした時にしっかりしつけて、本当に信頼してフリーにできる時期を見極めてください」と私は話し、歩きのレッスンをご主人と共に行った。

驚きは他にもあった。
前回の来店時に犬を怖がっていた奥さんが、カフェで大きなゴールデンの頭を撫でることができたとレッスンから戻った時に話してくれた。
親が変化を決断し、犬が変化を受け入れ始めている。
恐らくそれはこの夫婦の障害を持つ子供にも少なからず良い影響を与えてくれるだろう。

この欄を書き終えてガーデンに出るとぶったまげた!
明日の日曜日、カフェがオープンできるか不安を感じるほどの大雪となっている。
「ごめんなさい」っていう札を玄関にぶら下げて休みにしたら?
Kは相変わらず呑気なことを言っている。
 

マイナス12度 2005年02月18日(金)

  マイナス12度を下回るとさすがに寒い。
毛布1枚と掛け布団が私の冬の寝具なのだが、眠りにつくとまもなく毛布を蹴飛ばすから、普段は掛け布団だけをかぶって寝ている。
明け方近くになって、その毛布を手繰り寄せる動きをした時が、経験上マイナス10度位の朝になっている。
今朝は毛布を手繰り寄せ、しかも膝を曲げて体がくの字になっていたからマイナス12度だ。

朝の散歩をする犬たちにも低温の影響は現れる。
あまりの冷たさに4本足のうち、1本の足を上げて歩いたり、座り込んだりする。
後肢の片方を上げるときは、ウサギがジャンプする時のように足を痙攣させているように見えるから、足を痛めてしまったのではないかと勘違いされる方もいるほどだ。
前肢を上げるときは座り込んでしまう場合もある。

盲導犬の場合、犬が止まるということは多くの場合そこが交差点だということを主人に知らせているのだが、今日のように寒いとビッコを引きながら歩いたり、頻繁に止まってしまうので見えないご主人は混乱することもある。
逆に夏の暑い日には木陰を見つけるたびに止まる盲導犬もいて、本当はいけないのだがそんな時は叱るのも気が引けたものだ。

昨夕の予報で今朝が冷え込むことは伝えられていた。夕方から今日の日中まで好天が続くことも。
だから昨日は定休日であったにもかかわらず、朝方降った雪を夜の内に除雪することにした。
休日の夜、翌朝の苦労を前倒しして1時間半をかけた。
なのに、除雪が終わった頃にしんしんと雪が降りだした。

約束を守らず、全く無為な労働を休日にさせられたことに無性に腹が立った。
天気予報はあくまで予報と承知しているが、昨日の気象予報士は確定的に不敵な笑みまで浮かべながら好天をのたまわっとったではないか。
今朝、私は鼻水を垂らしながら1時間除雪し、その間あの予報士に呪縛をかけ続けたのは言うまでもない。
予定していた蒲団の中で迎えるマイナス12度と予定外の外で作業を行うマイナス12度の温度差は温和な私を狂気に駆り立てていた。
 

チョコかレオ・レオン 2005年02月16日(水)

  「誰だっけ?」
「えぇっと…、奥さん見たことありますよね」
駐車場に車が入り、ワンちゃんを下ろしてカフェに入られるまでの間にスタッフ同士で交わした言葉だ。
やはり1年も経つとスタッフも高齢化が進み、飼主の顔はわかっていても、度々ご利用いただいているワンちゃんや、特徴的・印象的だったワンちゃんの名前しか覚えきれなくなってしまっている。

「チョコちゃんかレオ・レオンちゃんじゃない?」
Kが茶目っ気を出してポツリと言った。
最近の名前の傾向というか人気度が高い名前を単に口にしただけのことで、あははと笑いながら「そう言われれば結構多いよね」と私も同意した。

可愛いアジアン風の顔立ちをしたチワワ。
お客様商売なのだから「こんにちは、○○ちゃん」と挨拶できれば申し分ないのだが、分からないまま話を進めてしまうと後で余計に尋ねることができなくなるのは誰しも経験済みである。
妙なテクニックを使ったり、時間をかけるほど深みにはまる体験もしているので、分からない時は失礼を承知で声をかけるようにしている。
「名前は…誰ちゃんでしたか?」
「チョコです」
私は一瞬言葉を失い、周りのお客さんからは『グスッ』という声が漏れ、スタッフは皆、口を抑えてしまった。

失礼をした分、サービスはたっぷりさせていただいた。
他犬に対して勇ましく吠えるチョコちゃんのリードをお借りして、ちょこちょこっと魔法をかけると、とても落ち着きが出て可愛さが引き立った。
ガーデンではとても楽しそうに子供さんと駆け回っていたのが印象的だった。

その後、また見慣れない車が駐車場に入ってきた。窓越しには小型の黒ラブのような影がチラリと見えた。
その姿をはっきり現したとき私はスタッフに尋ねた。
「誰だっけ?黒ラブの姿をした血統書付きのパグちゃん!秋口以来だよね」
「ああ!レオンちゃんだ!」スタッフが叫んだ途端、笑いが巻き起こった。
失礼しました!

『チョコかレオン』Kの一言から今日は楽しい思い出ができた。
明日は定休日です。
 

アンタッチャブル・薬物療法そして吐露 2005年02月15日(火)

  心で思っていても中々口に出せないことは誰しも持っている。
今夜は寒かったせいもあり、アルコールもハカイク(道弁)ので書いてみようと思う。

犬の問題行動を一種の病気と位置付け、行動療法や薬物療法なるもので解決しようという風潮が高まっている。
30年近く専門的に犬を見てきて、治療が必要だと思い当たる犬がいることは確かだ。
そこでどのような診療が行われているのかつぶさに見たわけではないので、僭越なことは言えないがおおよその見当はつく。

そして私は基本的に疑問を感じている。

なぜなら、独立した診療科目として成立するほど、真性患犬が多いとは到底思えず、極めて少数の患犬と飼主のために設置されたなら大変有難いが、そう考えるには(例えば経営的に)相当な無理があり、従って、病気でもない犬を人間の都合に合わせ、医療の範疇において制御しようとする臨床実験的野心、あるいはその危険性を感じるからだ。

別の見方をすると「今の時代だもん、医療でも何でもいいから飼主の手を煩わせずに暮らしやすい犬ができればそれでいいじゃん」という飼主が増えることに不愉快さを感じる古い時代の私がいる一方、中にはきっといい加減な獣医もいて見当違いな薬物投与も考えられなくはないと思っている。

動物行動学(まだ確立されたわけではない)に基づいた療法は、愛犬に困り果てた良心的な飼主にとっては朗報のように思えるだろう。
「あなたが悪いのではなく、犬が病気なのです。自分を責めなくてもいいのですよ。」という言葉はどれほど飼主の苦悩を開放してくれることだろう。
その意義が大きいことは認めなければならない。

「あなたの育て方が悪いから、そんな犬になるのです!」と、いい加減な血統の犬を売りつける体制が整ったペットショップやカウボーイトレーナー(インチキ訓練士)からけなされるよりは、ずっと前向きに考えることができるだろう。

しかし…と私は思うのだ。

ヒトとイヌが共に暮らそうとするチャレンジは、現代社会に残された数少ないアドベンチャーだと思っている。
その過程こそが「犬を育てていたつもりが実は自分が育てられていたのだ」という私の信念『犬を育て犬と育つ』を形成している。

動物行動学に基づいた医学療法という『科学』に比して極めて情緒的な話になってしまった。
ただ、伴侶となる家庭犬と暮らすというのは極めて情緒的なものであり、それを科学するのも行動学である。
獣医学というものが行動学に対して一方的な妙な関わりを持たないよう我々は監視していなければならないと思う。

「フゥー」とため息をつき読み返してみた。
タブー・禁断・アンタッチャブルの言葉をイメージしたが、なんだかスッキリした。
 

消えたボール 2005年02月14日(月)

  レオンベルガーのジェニーは昨年の夏頃、何度か柔らかいボールを飲み込むことがあった。
2週間ほどすると嘔吐するので、これまで事なきを得ていたが、最後に飲んだ『みかんちゃん』という台座付きのボールが出てこないという。
冬になってお泊りをしたとき、嘔吐物と便の中からゴム様の大きな物体が出てきたので、これで安心と私は思っていたのだが、以後も時々吐くことがあり気になっていた。

ジェニーが成長したのか飼主のHさんが注意を払うようになったのか、もうボールを飲むことはないと判断し、胃袋の中身を検査して、もし異物があれば開腹してでも取り出しておこう、ということになり先週造影剤を飲ませてレントゲンを撮った。
胃袋の出口辺りに相当大きな横長の異物がはっきり写っていた。
「やはりあったか。これで嘔吐の原因がはっきりした」と私は思った。
「大学病院に行けば開腹しなくても内視鏡で取り出せるかもしれません」
S先生はそう言って病院に照会し、予約を取り付けてくださった。

「内視鏡で異物が取り出せ、ジェニーが無事生還しますように」との皆さんの祈りに送られ、今日、大学病院で処置を受けた。
数時間後、カフェで気をもんでいた私にHさんから電話があった。
「どうでしたか?」
「それが…何も無かったみたいなんです。」
「はあぁ?」
「とても綺麗な胃だったそうで、腸にも異常はないようです。」
喜びとも拍子抜けともいえる声が返ってきた。

あの異物は何処へ行ったのだろう?
バリウムに固められて排出されたのだろうか?

カフェに戻ってきたジェニーは多少ふらついていたが、まもなく元気になった。
遊び相手のベルナもやってきて両者ともやる気満々の表情になっていたけれど、今日だけは遊ばせるわけにはいかない。
明日以降、嘔吐が無ければよいが…
 

勇気に応えたい 2005年02月13日(日)

  雪祭りが閉幕を迎えた今日も、札幌は寒い一日だった。
曇っている時の空気の冷たさは身を切るように感じられたが、晴れ間に差し込む陽光は何かじりじりする暖かさを放ち、私は早くも今年の夏に不安を感じてしまった。

賑わいを見せたカフェが落ち着き始めた夕方、低学年の子供さん二人を含む4人家族とMダックスのシェリーちゃんが訪ねてくれた。
入店直後カフェにゴロゴロいる大型犬を見た途端、奥さんの体はすくみ「私…ダメなんです」と一言。
ただ、そこには「イヤーン、怖い!」という甘ったるい雰囲気はなく、どちらかと言えばそれでも『意を決した』空気があった。
ヘビが嫌いで怖くてどうしようもない私にはその時の奥さんの気持ちが確かに伝わった。

「何か問題を抱えていそうだな」と思いつつ、ガーデンに放されたシェリーちゃんを見ていると、案の定「相談したいことがあるそうです」とKが知らせてくれた。

奥さんから手短に相談内容を伺った後も、ご主人と娘さんがシェリーと遊ぶガーデンに目をやり、しばらくその様子を観察していた。
そして次第に「何とかなりそうだ」と思えるようになっていた。

1.子供を学校に送って帰ってきたら、留守番の腹いせと思えるようにウンチを辺り一面に擦りつけている。
2.来客の際、帰るまで吠え続けている。
というのが主訴だったが、このような犬の場合、引っ張り・興奮・わがまま・いたずら等が当然セットになっていることだろう。

しかし観察していると
1.他犬の中で緊張しているが、無謀に吠えついたりせず飼主を楯にするように、さりげなく逃げ回っている。
つまり、積極的な攻撃性はなく、パニックになって我を忘れる狭量さがないことがわかる。
2.ご主人がガーデンを移動すると尾を振ってついてまわる。
つまり、不安に対していつまでも尾を引くことなく、本来は明るい性格をした犬で、家族も優しく接していることがわかる。
3.小さな娘さんはシェリーが嫌がっているにも関わらず追いまわし抱きかかえているが、シェリーはお父さんを目で追っている。
つまり、まだ生後7ヶ月の犬なのに家族を信頼し、寛大さを持ち合わせている。
4.家族に抱かれた時、他人が手を出すと噛もうとした。
家族のもとでは強気になるのか、あるいは逃げ場のない状況では防御的攻撃性があるのか今後見極めなければならない。

私なら、どんなに困っていてもヘビがうごめいている場所には行けない。
でも奥さんは勇気を出してカフェに足を運んでくれた。
次週、レッスンを行うことにしたが何とかその気持ちに応えられればと願っている。
そして、暑さが予想される7月の1歳の誕生日には、この冬のレッスンが懐かしく思えるような状況になっていて欲しい。
 

思い出はいつから思い出なのだろう? 2005年02月11日(金)

  早朝からの除雪作業で今日が始まった。

雪祭りになるとせっかくの雪像が融けだしてしまうような年が増え、地球温暖化の影響を心配していたが今日は寒い寒い。
「雪もたっぷりだしいい冬だ」などと本気で言えなくなってきた。
かろうじて残っている空き地にガロアラシ号は雪を飛ばしているのだが、その空き地の雪もガーデンのフェンスを圧迫し始めている。

大喜びなのは犬たちで、狭いガーデンのど真ん中にある雪山を駆け上がり、そこに掘られた雪洞に潜って追いまわす犬からワープし逃れる遊びが流行っている。

昨日午後の猛吹雪とは一転し、少し高くなった雪山に登ったイングリッシュセターの背景には息を呑むような青い空とニセアカシアが見事な美しさを描き出していた。
そのセターが大きく足を上げて排尿しているマタグラにフレンチブルが頭を突っ込み、まともにソレを浴びつつなお心地よさそうに臭いを嗅いでいたのが今朝のカフェの始まりだった。

午後に入ると休日には珍しい方々が顔を出してくれると思ったら、もともと今日金曜日の常連の皆さんだった。
こういう日は新たな出会いがあって面白い。
土日祝祭日にしか来られない方といつも金曜日に来られる方。
スタッフにとってはどちらも充分過ぎるほど存じ上げているのだが、皆さんには初対面であり、ましてや気の合いそうなワンコと飼主が新たに出会えればまた楽しい繋がりができてくるというものだ。

夕方になって初めてのダックスも加わると、吠えながらビクビクしていたその子と飼主が、カフェの雰囲気の中で徐々に変わっていく姿を楽しむことができ、私にはそのダックスの近未来の姿が想像されたので、おせっかいとも思えるようなアドバイスをしていた。

そして、お泊り犬もいない今夜、Kと外で食事をした時にふと私がこぼした思い出話に、Kは亡き愛犬を思い出し涙してしまった。
何が現実で何が思い出なのか?
思い出はいつから思い出なのか?
今日のことを振り返りながら、私たちはまた一つ思い出に近づけるよう時を重ねたのだろうか。
 

子供たち 2005年02月09日(水)

  数ヶ月ぶりに我が子二人と対面し、夕食を共にした。
そして、対北朝鮮戦のサッカー最終予選をテレビ観戦しているうちに人も犬と同じように『血は受け継がれる』ことを再確認した。

私がこれまでの国際試合をテレビ観戦している時に垂れるうん蓄を、熱の入った娘が輪をかけた勢いでタレルのである。
その考え方もさることながら、言い回しや熱中度合いが瓜二つだとKは笑っていた。
多少違うことがあるとすれば反応のスピードである。
やはり若いモンには敵わない。
今、正に私が言おうとしていることを娘は既に言葉にし始めているものだから、私は「うん、うん」と頷くばかりなのだ。

年寄りが我が子を前にして好々爺であるような反応をせざるを得ない状況はこうして作られることが良く分かった。
その後は娘と意気投合。
ボソボソと喋る息子は、合いの手を入れるのが精一杯なのだが、的を得ているのが面白く心配性の私を安心させてくれた。

その子供たちが友達のパピヨンを5日間ほど預かったという話になった。
「めっちゃ可愛かったさ。吠えないし愛嬌たっぷりで」
「もしかしてオシッコとかしなかった?」
「しまくり!だから私の部屋のもの全部出して新聞を敷き詰めた」
「外へは出した?」
「公園に散歩に行ったら小さな子供たちに囲まれて、嫌で仕方がないのにじっと我慢して触らせてた。可愛そうになって抱きしめながら家まで連れて帰った」
「夜寝る時は?」
「私の蒲団で一緒に寝ようとしたんだけど、蒲団に入った途端部屋中走り回って大騒ぎしてた。朝起きた時にはちゃんと蒲団の中にいたけどね」
「それでその後どうなった?」
「友達が引き取りに来ても私から離れようとしなかったんだ。それを見て友達は悔しかったのかちゃんとしつけして今はとてもいい子でいるらしいよ。ビスコなら最高のわんこだね」
私にとって不満な所もあるが、子供たちが犬好きに育ってくれたことが嬉しかった。

15年以上前の話になるが、保育園で歯科検診を受けた時「大変綺麗です」と言われたのに、「綺麗なのにどうして大変なんだ?」と泣き出してしまった息子。
トイレの練習を始めた頃、「いいかい、出たら出たって言うんだよ」という言葉に送り出されてトイレに入った娘は数分後、「出たら出たぁ!出たら出たぁ!」と叫んでいたのを思い出す。

いやはや、何とも楽しく懐かしい一夜だった。
 

在宅訓練という方法もあるけれど… 2005年02月07日(月)

  先日来の『多頭飼い』に多くの反響があり驚いている。
特に誰彼の犬というのではなく、あくまで全体的な傾向を観察し自分なりに分析した私見であったが、多くの方から共感を得たことにその問題の深さを知らされた。

今後、多頭飼いを考えておられる方には参考になったかもしれないが、ing(現在進行中)の方には具体的な提示ができずじまいで心苦しい。
『何故そのような傾向になるか』の一部は示したので、対策はそれぞれで考えていただきたいし、折に触れてこの欄で書くことがあるかもしれない。
ただ、一ついえることは、「それなりに意識して対応していれば下の子が遅くとも6〜7歳になる頃には、現在の悩みが懐かしく思い出されますよ」ということである。

カフェではショートレッスン・フルレッスン・お泊りレッスンなど幾つかのオプションを準備してタマに行っているが、飼主との1週間の合宿訓練なんかがあれば面白いだろうなと思う。それ以上に現地訓練というのはより効果的だろう。
犬がリラックスしている中で、実際に家族が困っている現状と家族の対処を把握できるし、その環境で「私ならこうする」という暮らし方を家族全員に紹介することができる、ひょっとしたら究極のレッスンではなかろうか。

これは盲導犬をやってた頃、視覚障害者との共同訓練の後に必ず行っていたフォローアップで、使用者が住む現地での必須訓練科目だった。
訓練所でできても現地でできなければそれは何の意味もなさない。という考え方からだ。

今は、目が見える人を対象にしているから理解されやすいだろうと思い、短期的で安上がりな方法はないかを考えていたが、最近それが通用しないこともあると気付いた。
訓練された犬を視覚障害者に貸与する難しさと、訓練されていない犬との暮らし方を目明きの飼主に伝える労力に変わりはないことが分かりつつあるからだ。

まあ仮にそんな在宅訓練をしても「お前みたいな酒飲みでヘビースモーカー、しかも手荒なマネを我が子にするような男はイラン!」と放り出されるのが落ちではあるのだが…
 


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