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朝ガーデンでわずかに流れた風に「もしや?」と感じたが、強い陽射しがそのことをすぐに忘れさせた。 温度計も9時過ぎには30度を超えていたし…
ところが、今年の夏を象徴するように11時頃の最高気温を過ぎると、朝「もしや」と感じた秋を思わせる爽やかな風がしっかりと吹き始め、夕方には最適の涼しさで散歩をすることが出来た。ふと見るとガーデン隣の空き地にはススキの穂が銀色に揺れていた。
勿論これが札幌の今日の季節を表しているわけではなく、私が住む“風の街”里塚緑ヶ丘の話である。 あと数日暑い日が戻ることもあるだろうが、秋はもう少しでこの街を訪れ、そうなれば爽快な季節を今年は長く楽しめるかもしれない。
秋風は秋風でも淋しいほどの秋風が一足速くカフェを吹き抜け、今日はとてもヒマな一日だった。 おかげで暑い夏の間にたまった疲れを癒し、訪ねてくれた方々や犬たちとまったりとした時間を過ごさせていただいた。 とりわけ嬉しかったのは今日からお泊りのアメリカンコッカー/クリンの元気な姿だった。
カフェを始める前の浪人生活の頃に訓練した犬であるが、数ヶ月前カフェにやって来た時はほぼ失明状態になっていた。 飼主のIさんは諦めの境地にあったが、私は犬の失明経緯を伺い、状態を確認したうえで眼科専門医の情報を与え 受診するよう勧めた。
しばらくして眼内レンズを装着し、すっかり見えるようになったクリンが元気な姿を見せてくれた時は本当に嬉しかった。 そのクリンと再会し彼も喜んでくれていることに安堵したが、夜になって彼の目を覗いた時に再び不安がよぎってしまった。 とりわけ左眼に硝子体混濁が見られるのである。 医療によってその進行を幾分制御することは出来るであろうが、いずれ再び失明する可能性は高いと言える。
まだ若いクリンが先天性の白内障であるとすれば、失明もやむを得ないだろう。 しかし、医療において少しでも彼に見える時間を与え続けることが出来るとすれば、彼の脳には眼から得た情報が蓄積され続け、仮に見えなくなったとしてもこの世界をイメージすることができ、彼の日常生活にとても役立つようになるのだ。
失明は死を意味するのではない。 確かに見えていた時代の終焉ではあるが、新たな生活の始まりでありその基礎知識はクリンの脳がしっかり記憶しており、あとは彼と暮らす人々が視覚障害を正しく認識し適切な対応、すなわち“未知の状態を既知の状態にする”技術である『ファミリアリゼーション』という概念と知識を理解して欲しいと望む。
ウォッカが私の体内を駆け巡ってしまったから難しい話になったかもしれないが、要するに目が見えなくなることは大変な事態であるけれど、“見える・見えない”がすべてではなく、物事は脳が見ているのであり、ケアする人が適切な知識と技術を身につけていればクリンはクリンとして生きていけることを伝えたいというだけなのだ。
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