From the North Country

今夜は日記 2005年02月26日(土)

  今冬の大雪で札幌市の除雪費が底をつき補正予算が組まれることになっている。
昨日、カフェ周辺で大規模な除排雪作業が行われ、とても綺麗になったと喜んでいたら、今朝またグレーダーで道路の氷が削られ、周辺の住宅では車庫から車が全く出ることができない氷の山が築かれた。
カフェには配慮をしてくれたのか、駐車場に続く斜路の前は綺麗に氷を片付けてくれていた。
夕方になってようやくこの厄介ものの排除が行われ、警備員が先導していたので話し掛けてみた。
「随分綺麗にするんだね」
「ご迷惑をおかけしています。明日もう一度道路の氷を削り取って、道路脇に積み上げられた雪も排雪しますから、もっと綺麗になりますよ」

市内中心部に近いところでは頻繁に除排雪が行われているのに対し、郊外のこの地域では一冬に1回だけだから、気を使って徹底的な作業をしてくれているのだろうか?
予算が足りないのだから、昨日の作業だけで我々は満足していたのに…

この欄には相応しくない話が続いてしまい恐縮。
今日のわんこ達も簡単に紹介しておこう。

以前紹介したウンチまみれになるMダックスのシェリーちゃんは毎週ご家族でカフェに来られており、この問題は一発解消!犬が怖かった奥さんも大型犬を触れるようになって大喜びである。
スーが亡くなった夜にお泊りだったMダックスのノース君は今夜のお泊り。「後からHPを読みました。大変な時にお預りいただいてありがとうございました。」飼主の方のこの言葉はとても嬉しかった。ノース君は手のかからない癒し系のわんこだから今夜も私たちにマイナスイオンを供給してくれている。
プラスイオンを振りまいているのは、初めてのお泊り犬チワワのララちゃん。まだ5ヶ月だし、社会経験も少ないうえに陽気な子だから、目が離せない。
長いお付き合いになっている同じくチワワのリッキー君は、他犬に吠え立てることはなくなっているが、未だに殻を破れずあと一歩が踏み出せない。こんなわんこもいていいと思うのだが、最近できるだけちょっかいをかけて、心をほぐそうと努力している。

ゴールデンのJクンは閉店後1時間たっても迎えが来ない。Yさんは私たちが止めるのも聞かず、10数キロ先の自宅を目指し歩いて帰った。無事途中でお迎えがあることを祈っていると8時頃に帰宅したとの連絡があった。果たしてこれはお迎えがあったのか、それとも歩き通したのだろうか?
今日も楽しい一日だった。
 

「なぜ?」を問う 2005年02月25日(金)

  一昨日の水曜日も一日雪が降り続いたが定休日の昨日は安息日として除雪は一切行わず、晴天の今朝、真っ青な空に白煙を上げるようにぶっ飛ばした。
一冬に一度の市で行う大掛かりな排雪作業と一致し、30センチ以上の圧雪となっていた道路は、グレーダーで削られカフェ周辺には広い道路が復活した。

愚痴になってしまうが、この広い道路も数日で再び狭くなってしまうところに、市民の意識の低さというか民衆のしたたかさを感じる。
庭の雪を排雪で広くなった道路の端に積み上げてしまうのである。

さてさて、ここ数日、柴犬のリキ君は30分程歩いてカフェに通ってくれている。
初めてのときは訓練士さんと一緒だったが、その後はお母さんと二人で来られている。
日本犬にみられる取っ付き難さと、へらへらするのを潔しとしない気高さがカフェに馴染むのに時間がかかっているし、様々な誤解を招くこともあるが、お母さんの几帳面ともいえる配慮のおかげで徐々に仲間入りを果たしている。

リキには他犬に対する好奇心があるけれど、他犬から好奇の目で見られることは気に入らない。
そのため、ガウガウという声を出すことがあり、そこら辺りをきちんと制御してルールを身に付けさせることが今の課題であろう。
幸いにも、忍耐強く第一段階の私の制御を受け入れてくれている。
いずれ次のステップに進むことがあれば、恐らく私に対しても反抗的な態度を示すだろうが、さらにそれに対する制御をリキがどう受け入れるかが近い将来の課題となる。

カフェに来られる方の犬たちへの接し方を見ていると、性善的で楽観的な方が多く私はヒヤヒヤさせられることがある。
例えば、見知らぬ犬に平然と自分の犬を近づけること。
どんな相手かわからない中でボール投げをすること。
これらは思わぬトラブルの元になるのだが、いずれはそのような状況を与えることも必要である。
だから最近では余程でないと注意をしないようにしているが、その分、気を使うことも多くなっている。

その配慮を繰り返しているうちに、飼主の方が気付いてくれることもあるから、またそれも楽しい。
盲導犬の訓練士を養成していた時、『なぜ?と問うことを常に忘れるな』と教えてきた。
なぜ、今、言葉をかけたのか?
なぜ、今、言葉をかけなかったのか?
なぜ、今、息を止めたのか?
なぜ、今、笑顔を見せ、今、真顔なのか?

言葉の通じぬ犬たちに理解されやすいアクションを繰り返すことで言葉が解る犬にするためである。

ロジェ・マルタン・デュガールの著『チボー家の人々』の中で、オジギソウがお辞儀をする理由や鉄が錆びることを引き合いに出し「なぜ?と問うことを止め、如何にして?」を考える場面があったが、私はやはり『なぜ?』を追求している。

極端な話になるが、例えば『無駄吠えをする』
『なぜ?』を考えれば環境と犬を見て対処するのに対し、
『如何にして?』を考えれば声帯除去に繋がるだろう。

話題が支離滅裂になっているのは酔っているからだが、読み返してみると妙に繋がっているような気もする。
 

根くらべ 2005年02月22日(火)

  明日もまだ雪が続くとの予報。
大雪ならばいよいよ雪を飛ばす場所が無くなってくる。駐車場周辺はこれまでの雪が雪庇となってせり出し、下から飛ばした雪が跳ね返されてくるようになっている。
ガーデン外側の雪もついにフェンスの高さを超えてしまった。

お泊り犬チワワのチビちゃんは「そんな寒い外でのトイレは嫌です!」とガーデンでの排泄を拒み、室内トイレで済ませようと意地を張っている。
100%きちんと室内トイレですれば私も文句はないのだが、たまにとんでもない所で放尿しようとするから、結局管理することにした。

夕方6時の散歩途中に排尿し、帰宅後夕食を与えると、その後室内でしばらく走り回り水を飲んでいた。
チビちゃんの排尿サイクルから考えると8時半頃にはオシッコをしたくなるはずなのでガーデンに出してみた。
雪が降り始めており、案の定チビちゃんは固まって動こうとはしない。
秋の段階でチビちゃんは「シーシー」の言葉を理解していたはずなのに、雪が降ってからこのような状態になり、そのうち意固地になって動こうとせず、こちらが根負けするのを見透かしたような態度をとり始めていた。

セーター1枚の私だったがアルコールが燃焼していたので意地の張り合いに付き合うことにした。
30分後、チビちゃんの背中には雪が積もり、じっとしていることもできなくなるとブルブルっと雪を払い、やがて辺りを動き始めついにオシッコをした。
すかさず私は拍手をして室内に入れた。
トイレトレーニングの場合は用を足したらすぐに中に入れるのがコツである。

「シーシー、シーシー」同じ言葉を繰り返した私の口の周りはこわばり、すっかり酔いも覚めてしまったがまずは一本勝利した。
さて飲み直すぞ。
もし、酔いつぶれてなかったら寝る前の最後のトイレにも勝利するぞ。それでまた酔いが覚めてしまったら…
 

友人がくれた額縁 2005年02月21日(月)

  友人のガロ社長が事故で亡くなってから14ヶ月が過ぎ、ようやく最近になって思い出しても人前では涙しなくなった。
ペットロスがあたかも特別な感情のように考えられているが、愛すべき人を亡くしたのと同じ感情を抱くことは、亡き社長にとっても私にとって何も特別なことではなかった。

だから愛犬を亡くしてまだ2ヶ月しか経っていないKが、今夜この欄に書いてくれたことに私は何の不自然さを感じることはない。

(以下K)
昨日、スタッフで20年来の友達のMが、帰りがけに渡してくれた可愛らしい押し花をあしらったスーの写真入りの額縁。
「お店に一枚もスーの写真がないから。」と彼女。
一枚もないのは私がすべて自分の部屋に持っていってしまったから。
「なぜ飾らないの?」と聞かれて「まだ、思い出になってないから。」と答えたはずなのに、優しい彼女はわざわざ友人に頼んで作ってもらったらしい。
その気持ちに水を注すように、「死んだみたい。遺影みたい。」とぼそぼそ言う私。
スーは確かに死んでしまって、もういなくて、写真の中にしかいないのを分かっているけど、でも認めたくなくてスーの姿は私の部屋の中とパソコンの壁紙にだけしか置きたくないと思ってしまう。

私の親友は29歳で二人の子供と夫を残して逝ってしまった。
学生時代同じクラブで寝食を共にしたかけがえのない人だった。
今も6月の快晴の日には彼女を送った日の『馬鹿っ晴れ』の青空を思い出してひどくつらくなる。こんな日に青空なんて馬鹿みたいという思いが毎年こみ上げる。

彼女の代わりが私の生涯の中に多分いないように、スーの代わりもいない・・・と思う。

ごめんなさい。
周りの方たちの暖かい気持ちには本当に感謝しています。
可愛らしい写真を飾れる日までもう少し時間をください。
 

こんな日の午前のお客様 2005年02月20日(日)

  Kの言うとおり「ごめんなさい」の札を用意して臨時休業にしておくべきだった。
ガーデンや駐車場など場所によっては50センチ近い重い雪がドカーンと積もっていた。
路上駐車の車が移動の途中で埋まり、その手助けも含めて除雪作業に5時間を要した。
同じ場所を2回ガロアラシ号で除雪しないと飛ばしきれない量だった。

ふと気が付いてカフェを見ると、3組の常連さんと犬無しで来られたお二人の方がガーデンの除雪が終わるのを待っておられた。
シベリアンハスキーのチェス君は実にゆっくりとしたテンポではあるが、見知らぬ人にも強い不安は抱かなくなっており、その何倍ものスピードで他犬との遊びを身に付けてきた。
残り2頭はいつものジェニーとゴールデンのトム君で昨夕からお泊りである。
お泊りといっても商売のペットホテルではなく、『置き去りにされた』という表現のほうが適切だ。
「ねぇ、犬がいないと寂しいでしょう?」
「いや…別に…」
「そんな。遠慮しなくていいからトム君置いてってあげる」
強引だったが、除雪が必要な今朝早くに起こされたのは結果的に良かった。

犬無しのお二人は、黒ラブの飼育相談だった。
しっかりとした考えを持っておられるがために、ハイパーでまだ訓練途中でもあり制御できないワンちゃんをカフェに連れてくるのを躊躇されていた。
訓練という視点から見れば、ドッグランやカフェという環境はせっかくの訓練を台無しにしかねないほど、誘惑が多くコントロールが難しい所である。
だから活用法としては二通りあると思っている。
ひとつは訓練の最終段階における見極めであり、ふたつは何度も通って経験を積み重ね良い方向に向かうよう学びの場とすることだ。
勿論、最初から犬に問題がなければ愛犬とのんびりくつろげる憩いの場でもあるが。

「遠慮されずにこの次はワンちゃんを連れてきてください」私はそう話し、カフェでの制限を付け加えると笑っておられた。
「攻撃性の強い犬はダメです。それと制御できるできないの問題ではなく、飼主が気にとめず迷惑行為を放任し、こちらが注意するか制御しようとすると『うちの子になんてことを!』と怒り出すような方も願い下げです」

たとえ今、問題があろうとも、愛犬との暮らしをより良いものにしたいと本気で考えておられる方には、こちらも本気で対応させていただくのが私たちのカフェだ。
 

本日のショートレッスンから 2005年02月19日(土)

  先週というのか今週というのか分からないが、とにかく先日の日曜日にこの欄でも紹介したMダックスのシェリーちゃん一家が、ショートレッスンにやってきてくれた。
ちょっと留守をした間にウンチまみれになって嫌がらせをしたり、来客の間吠えつづける問題を抱えたワンちゃんで、奥さんも犬が苦手な方だった。

先日の私のアドバイスは、トイレ・ベッド・飲み水の間を自由に行き来できる範囲でリードで繋留するということだった。
勿論細かいことは他にも話したが、基本はそれだった。
この1週間それを実践したという飼主の方は明るい笑顔で
「とても楽になりました。失敗もなくなったし時間があるときはフリーにして遊んでいます」と報告してくれた。
「あと数ヶ月はそのようにし、フリーにした時にしっかりしつけて、本当に信頼してフリーにできる時期を見極めてください」と私は話し、歩きのレッスンをご主人と共に行った。

驚きは他にもあった。
前回の来店時に犬を怖がっていた奥さんが、カフェで大きなゴールデンの頭を撫でることができたとレッスンから戻った時に話してくれた。
親が変化を決断し、犬が変化を受け入れ始めている。
恐らくそれはこの夫婦の障害を持つ子供にも少なからず良い影響を与えてくれるだろう。

この欄を書き終えてガーデンに出るとぶったまげた!
明日の日曜日、カフェがオープンできるか不安を感じるほどの大雪となっている。
「ごめんなさい」っていう札を玄関にぶら下げて休みにしたら?
Kは相変わらず呑気なことを言っている。
 

マイナス12度 2005年02月18日(金)

  マイナス12度を下回るとさすがに寒い。
毛布1枚と掛け布団が私の冬の寝具なのだが、眠りにつくとまもなく毛布を蹴飛ばすから、普段は掛け布団だけをかぶって寝ている。
明け方近くになって、その毛布を手繰り寄せる動きをした時が、経験上マイナス10度位の朝になっている。
今朝は毛布を手繰り寄せ、しかも膝を曲げて体がくの字になっていたからマイナス12度だ。

朝の散歩をする犬たちにも低温の影響は現れる。
あまりの冷たさに4本足のうち、1本の足を上げて歩いたり、座り込んだりする。
後肢の片方を上げるときは、ウサギがジャンプする時のように足を痙攣させているように見えるから、足を痛めてしまったのではないかと勘違いされる方もいるほどだ。
前肢を上げるときは座り込んでしまう場合もある。

盲導犬の場合、犬が止まるということは多くの場合そこが交差点だということを主人に知らせているのだが、今日のように寒いとビッコを引きながら歩いたり、頻繁に止まってしまうので見えないご主人は混乱することもある。
逆に夏の暑い日には木陰を見つけるたびに止まる盲導犬もいて、本当はいけないのだがそんな時は叱るのも気が引けたものだ。

昨夕の予報で今朝が冷え込むことは伝えられていた。夕方から今日の日中まで好天が続くことも。
だから昨日は定休日であったにもかかわらず、朝方降った雪を夜の内に除雪することにした。
休日の夜、翌朝の苦労を前倒しして1時間半をかけた。
なのに、除雪が終わった頃にしんしんと雪が降りだした。

約束を守らず、全く無為な労働を休日にさせられたことに無性に腹が立った。
天気予報はあくまで予報と承知しているが、昨日の気象予報士は確定的に不敵な笑みまで浮かべながら好天をのたまわっとったではないか。
今朝、私は鼻水を垂らしながら1時間除雪し、その間あの予報士に呪縛をかけ続けたのは言うまでもない。
予定していた蒲団の中で迎えるマイナス12度と予定外の外で作業を行うマイナス12度の温度差は温和な私を狂気に駆り立てていた。
 

チョコかレオ・レオン 2005年02月16日(水)

  「誰だっけ?」
「えぇっと…、奥さん見たことありますよね」
駐車場に車が入り、ワンちゃんを下ろしてカフェに入られるまでの間にスタッフ同士で交わした言葉だ。
やはり1年も経つとスタッフも高齢化が進み、飼主の顔はわかっていても、度々ご利用いただいているワンちゃんや、特徴的・印象的だったワンちゃんの名前しか覚えきれなくなってしまっている。

「チョコちゃんかレオ・レオンちゃんじゃない?」
Kが茶目っ気を出してポツリと言った。
最近の名前の傾向というか人気度が高い名前を単に口にしただけのことで、あははと笑いながら「そう言われれば結構多いよね」と私も同意した。

可愛いアジアン風の顔立ちをしたチワワ。
お客様商売なのだから「こんにちは、○○ちゃん」と挨拶できれば申し分ないのだが、分からないまま話を進めてしまうと後で余計に尋ねることができなくなるのは誰しも経験済みである。
妙なテクニックを使ったり、時間をかけるほど深みにはまる体験もしているので、分からない時は失礼を承知で声をかけるようにしている。
「名前は…誰ちゃんでしたか?」
「チョコです」
私は一瞬言葉を失い、周りのお客さんからは『グスッ』という声が漏れ、スタッフは皆、口を抑えてしまった。

失礼をした分、サービスはたっぷりさせていただいた。
他犬に対して勇ましく吠えるチョコちゃんのリードをお借りして、ちょこちょこっと魔法をかけると、とても落ち着きが出て可愛さが引き立った。
ガーデンではとても楽しそうに子供さんと駆け回っていたのが印象的だった。

その後、また見慣れない車が駐車場に入ってきた。窓越しには小型の黒ラブのような影がチラリと見えた。
その姿をはっきり現したとき私はスタッフに尋ねた。
「誰だっけ?黒ラブの姿をした血統書付きのパグちゃん!秋口以来だよね」
「ああ!レオンちゃんだ!」スタッフが叫んだ途端、笑いが巻き起こった。
失礼しました!

『チョコかレオン』Kの一言から今日は楽しい思い出ができた。
明日は定休日です。
 

アンタッチャブル・薬物療法そして吐露 2005年02月15日(火)

  心で思っていても中々口に出せないことは誰しも持っている。
今夜は寒かったせいもあり、アルコールもハカイク(道弁)ので書いてみようと思う。

犬の問題行動を一種の病気と位置付け、行動療法や薬物療法なるもので解決しようという風潮が高まっている。
30年近く専門的に犬を見てきて、治療が必要だと思い当たる犬がいることは確かだ。
そこでどのような診療が行われているのかつぶさに見たわけではないので、僭越なことは言えないがおおよその見当はつく。

そして私は基本的に疑問を感じている。

なぜなら、独立した診療科目として成立するほど、真性患犬が多いとは到底思えず、極めて少数の患犬と飼主のために設置されたなら大変有難いが、そう考えるには(例えば経営的に)相当な無理があり、従って、病気でもない犬を人間の都合に合わせ、医療の範疇において制御しようとする臨床実験的野心、あるいはその危険性を感じるからだ。

別の見方をすると「今の時代だもん、医療でも何でもいいから飼主の手を煩わせずに暮らしやすい犬ができればそれでいいじゃん」という飼主が増えることに不愉快さを感じる古い時代の私がいる一方、中にはきっといい加減な獣医もいて見当違いな薬物投与も考えられなくはないと思っている。

動物行動学(まだ確立されたわけではない)に基づいた療法は、愛犬に困り果てた良心的な飼主にとっては朗報のように思えるだろう。
「あなたが悪いのではなく、犬が病気なのです。自分を責めなくてもいいのですよ。」という言葉はどれほど飼主の苦悩を開放してくれることだろう。
その意義が大きいことは認めなければならない。

「あなたの育て方が悪いから、そんな犬になるのです!」と、いい加減な血統の犬を売りつける体制が整ったペットショップやカウボーイトレーナー(インチキ訓練士)からけなされるよりは、ずっと前向きに考えることができるだろう。

しかし…と私は思うのだ。

ヒトとイヌが共に暮らそうとするチャレンジは、現代社会に残された数少ないアドベンチャーだと思っている。
その過程こそが「犬を育てていたつもりが実は自分が育てられていたのだ」という私の信念『犬を育て犬と育つ』を形成している。

動物行動学に基づいた医学療法という『科学』に比して極めて情緒的な話になってしまった。
ただ、伴侶となる家庭犬と暮らすというのは極めて情緒的なものであり、それを科学するのも行動学である。
獣医学というものが行動学に対して一方的な妙な関わりを持たないよう我々は監視していなければならないと思う。

「フゥー」とため息をつき読み返してみた。
タブー・禁断・アンタッチャブルの言葉をイメージしたが、なんだかスッキリした。
 

消えたボール 2005年02月14日(月)

  レオンベルガーのジェニーは昨年の夏頃、何度か柔らかいボールを飲み込むことがあった。
2週間ほどすると嘔吐するので、これまで事なきを得ていたが、最後に飲んだ『みかんちゃん』という台座付きのボールが出てこないという。
冬になってお泊りをしたとき、嘔吐物と便の中からゴム様の大きな物体が出てきたので、これで安心と私は思っていたのだが、以後も時々吐くことがあり気になっていた。

ジェニーが成長したのか飼主のHさんが注意を払うようになったのか、もうボールを飲むことはないと判断し、胃袋の中身を検査して、もし異物があれば開腹してでも取り出しておこう、ということになり先週造影剤を飲ませてレントゲンを撮った。
胃袋の出口辺りに相当大きな横長の異物がはっきり写っていた。
「やはりあったか。これで嘔吐の原因がはっきりした」と私は思った。
「大学病院に行けば開腹しなくても内視鏡で取り出せるかもしれません」
S先生はそう言って病院に照会し、予約を取り付けてくださった。

「内視鏡で異物が取り出せ、ジェニーが無事生還しますように」との皆さんの祈りに送られ、今日、大学病院で処置を受けた。
数時間後、カフェで気をもんでいた私にHさんから電話があった。
「どうでしたか?」
「それが…何も無かったみたいなんです。」
「はあぁ?」
「とても綺麗な胃だったそうで、腸にも異常はないようです。」
喜びとも拍子抜けともいえる声が返ってきた。

あの異物は何処へ行ったのだろう?
バリウムに固められて排出されたのだろうか?

カフェに戻ってきたジェニーは多少ふらついていたが、まもなく元気になった。
遊び相手のベルナもやってきて両者ともやる気満々の表情になっていたけれど、今日だけは遊ばせるわけにはいかない。
明日以降、嘔吐が無ければよいが…
 


- Web Diary ver 1.26 -