From the North Country

ダニ 2005年08月06日(土)

  アウトドアシーズン真っ盛りである。
常連の方の多くがキャンプだペンションだと出かけて行く一方、カフェを目指して久しぶりのワンちゃんや初めての方が来店され、カフェの均衡は保たれている。

「右眼の上に赤いものがあるので、見ておいてください」
今日お泊りのレオンベルガージェニーのHさんはそう言い残して仕事に行かれた。
お昼頃ジェニーの眼を見ると、そこにはまだ食いついて間もないダニがいた。
よく見ると左眼にもダニが食らいついていた。

そういえば昨日カフェの仲間のキャンプに一日だけ参加していたことを思い出し、そこでダニを拾ってきたと考えられた。
しかし、場所が悪い。
瞼ギリギリのところだから、処置がとても難しいのである。

ダニがついたときの私の処置は、アルコール綿花(アルコールがなければウィスキーでも代用できる)を局部に2〜3分密着させダニを酔わせて、食いつく力を減弱させ、コッフェルか刺抜きで深めに摘まんで一気に引き抜く方法なのだが、眼にアルコールが入るような今回のケースは困るのである。

因みに昔のやり方では、タバコや線香の火を近づけてダニの食いつきをはずす方法もあるが、ダニと同時に犬も熱がってしまうので現実的には難しい。

「カフェの閉店後に獣医さんのところで取ってもらおう。どんなやり方をするのか今後の参考にもなるし」
最初私はそう決断していた。
しばらくして「待てよ、ジェニーが獣医さんのところで大人しくしている可能性は低い。瞼ギリギリのところにダニが食いついているのだから、下手をすれば目を傷つけてしまうかもしれない。ダニを取るのに全身麻酔など洒落にもならない…」
そう考えた私は刺抜きを持ってきて自分で取ることにした。

「メガネ、メガネ!」
いざ取ろうとしたらぼやけて見えない私はそう言って老眼鏡をかけた。
一匹目のダニは見事に頭から取れ、ジェニーは身動きすることなく全身を私に預けていた。
ティッシュの上で潰すとプチっと音がした。
二匹目も一気に引き抜いたのだが、抜けたのは3本の毛だった。
ジェニーは痛かったはずだが、ピクリともせず横たわっていてくれた。
3回目のチャレンジで綺麗に引き抜くことができ、眼から2ミリの場所に食いついた2匹のダニは退治された。

眼の前に刺抜きを出されたら人間でもビビってしまうのに、ジェニーは瞬きさえ控えてくれた。
終わった後には「慌てなさんな。これしきのことで」とそのまま眠っていた。

「自分でやってよかった」と心から思い、瞼のダニを取った以上に信頼の結びつきを感じた。
 

初めてのチャレンジ、その時飼主は… 2005年08月05日(金)

  ガーデンの最高気温は34.5度を示し、今年一番の暑さになった。
昨日の蒸し蒸しした状況から比べればまだ救いはあったが、夜に入って涼しくなった空気が室内に入ってこない無風状態となっている。
北海道の夏はお盆までと昔から言われているのでもう少しの辛抱だと信じたい。

こんな暑さの中で今日はとても素晴らしい時間を共有させてもらった。
ゴールデンのモナは水に入った経験がなく、性格的にも慎重派であり、一つ間違えば水嫌いになる可能性があった。
しかし、ガーデン脇に用意したプールに入れば、今日の暑さからみて喜ぶに違いないと飼主のSさんと私は考えた。

経験したことがないことや、苦手意識があるものを受け入れさせるには相手の性格を理解した上で対応しないと、却ってトラウマとなって寄り付かなくなることがある。
犬が苦手な愛犬を「大丈夫、この子は大人しいでしょ」などと言って、無理矢理近づけて遊ばせようとする方を時折見かけるが、その成功率は低いどころか永遠に遊ばなくなってしまうことの方が多いことを知っておくべきだと思う。

その点、今日のSさんは実に根気がよく、私の呼吸と見事に合致していた。
私は30センチ弱の深さのプールにモナが大好きなおもちゃを浮かべ、好奇心を高めるための時間を費やした。
その時点でのSさんは「モナは水に入ったことがないし、積極的な犬じゃないから…」と、話しておられた。
モナの興味がおもちゃに根強くあることをみた私は、優しく上半身を抱きかかえて前肢をプールに浸け様子を伺ったが逃げようとする素振りはなかった。
次に後肢を入れると、しばらく突っ立ていたモナが水の中を歩くようになり、ついにおもちゃを咥えて笑顔になった。

その後のSさんの対応がすばらしかったのだ。
私はおもちゃに水を入れプールの底に沈めておいた。
それを取るには、モナは息を止め顔を水に沈めなければならないのだが、ここからは一切の手助けはしなかった。
するとモナは試行錯誤を始めた。
手でおもちゃを掻きながら、浮き上がったところを咥えたかったのだがおもちゃは浮かび上がることはない。
Sさんは「モナ、それ頂戴」と言うだけで、次にモナがどのような行動に出るのか楽しみに観察していた。

5分10分と時間が流れる中、モナが鼻を水につけてはブクブクと息を吐いている場面が確認されると、次にどのようなことを試すのかがさらに楽しみになり、私たちは時が経つのも忘れて炎天下で見守った。
息を吐き、ちょっと吸って危険を感じると、水の中を歩き回っている。
やがて、静かにゆっくりと顔を沈め水中でおもちゃを咥えた時、私たちは「良い物を見せてもらった!良い時間を過ごさせてもらった」と心からの拍手を送った。

30分ほど経った頃にはモナは自らプールに出入りし、水中でおもちゃを咥える時には目をしっかり明け、楽しむように時間をかけて潜っていた。

・初めての状況下では人があたふたせず、犬にもさせないこと。
・犬に見せ、目から慣れさせること
・穏やかに励まし、見守ること
・出来た行動には褒めるのではなく大喜びする姿を見せること
犬が学習するプロセスを知ると、人は楽しくて仕方がなくなるものだ。
 

禁煙条例 2005年08月03日(水)

  夕べはゆっくり堪能させていただきました。
やはり確かに美味しく飲めるけど酔いのまわりは早く、注意が必要であることを今後の課題として自覚すべきとの結論に至った。

さて、今日は負けを覚悟の論争に参戦しようと思う。
札幌市の条例で以下のことが8月から実施された。
1.札幌市内全域でタバコ空き缶のポイ捨てが禁止された。
2.市内中心部での歩きタバコ(自前の吸殻入れ使用も含む)が禁止された。
どちらも罰則規定付である。

先日、交差点に差し掛かったとき隣の車線を走る車の窓からタバコが投げ捨てられた。
ムカッときた私は信号待ちをしている間、その運転手の女性を睨みつけていた。
携帯電話で話をしていた女性はその視線に気付き、気まずそうな顔をしていたが、当の本人は運転中に携帯をしていることをとがめられていると思っており、窓から捨てたタバコのことなど気にも留めていない素振りだった。
いわゆるアホである。

カフェを時折訪ねてくれるYさんの旦那なら、車から降りて捨てたタバコを拾わせたに違いないが、私は単に睨み付け続けただけだったのが情けなくYさんにすまない気持ちで一杯である。

1.タバコの煙による喫煙者本人と受動喫煙者の医療費負担の増加を抑えること
2.環境問題
3.先進国の人間は喫煙せず、喫煙は開発途上および野蛮な人種の象徴というような感情論
等、喫煙者には肩身の狭い時代になった。

ここで一本の反論の矢を放ったなら千本の矢が帰ってくるに違いないから慎重にならざるを得ないのだが、酔っ払いにそこまでの自重心が働くのか心配しつつ先を進めよう。

私の心許せる仲間の多くが、今も昔も喫煙者であり、気難しいことを言う連中の多くが非喫煙者であることに何らかの因果関係はあるのだろうか。
非喫煙者が気難しいというのでなく、それにこだわる人の中に『先進国の人間が後進の原住民を蔑視するような臭いを感じる』経験は多くの喫煙者が味わっていることではなかろうか。

ここまで科学的に喫煙の弊害が喧伝されているにもかかわらず、国の国税政策によって罹患した中毒症状による自己弁護を繰り返す私達を“病気”だと非難あるいは哀れと感じつつ、健康問題・環境問題に取り組む方々は幸せなのだろう。

『人は死に、形あるものは壊れる』中で、その時代に生きる私たちに、仮にタバコが原因で死んでゆく私達を規制することが正論と言えるのだろうか?
と共に、無菌室で生活するなどという極端なことは言いたくないが、極力、人間は汚染による死や病気を排除し、自然死を追及するのが幸せなことなのであろうかと思う。

ペットブームなど何も知らず、目の前にある喜びに精一杯生きる犬たちが、酒飲みで愛煙家の飼主に育てられる割合がそうでない家庭より多いというような結果が出たとき、健康志向派は何と反論するのであろうか。
人に美しい空気と環境を与えれば、幸せに生きていけるとでもいうのだろうか。

タバコが麻薬であり人類において害であるならば、すみやかに法的規制を行い、私のような人間を作らない社会にすべきであろう。
札幌市の条例を非難する気は毛頭ない。
『本当にそれでいいのですね』と問い掛けたいだけである。
 

明日は竜馬だ! 2005年08月01日(月)

  大きな声では言えないが「実は今日で停酒4日目です」

あの翌日から私は再びチャレンジを始めたのだが、今日まで偏頭痛はなくその他の体調も変わらない。
寝つきや眠りの状態も良くも悪くもなく、停酒したからといってタバコの量が減るわけでも、この欄を早く書き終えることもない。
変わったことと言えば、夕べのことを翌日も覚えているのでKに誤魔化しが利かなくなったのと、あとひとつ…

目の前には友人が送ってくれた『いも焼酎竜馬』と『むぎ焼酎竜馬』のつぼ詰のボトルが2本未開封のまま置かれている。
竜馬ビールというのは高知で売られているが、あれは確かオランダかどこかで作られた物の輸入品だったはず。
この焼酎竜馬は高知県の安芸市で作られた竜馬である。

“竜馬・ビール・安芸市”というキーワードで思い出したことがある。
全国一人旅で安芸市に立ち寄った時、あの三菱財閥の創始者である岩崎弥太郎の生家を訪ねた。
そこで人から聞いた話で記憶も曖昧であるが、弥太郎が長崎のグラバー庭で有名なグラバー氏とお酒の話になり、日本でもビールを作らないかということになったらしい。
そこで作った会社がキリンビールで、そのラベルには弥太郎と親交のあった坂本竜馬を称える絵が描かれていた。
つまり、あの麒麟のマークは“竜”と“馬”だというのである。
真偽のほどは分からないが面白い話だと思った。

さて、(あとひとつ…)の続き
「少しぐらい飲んだら?タバコは百害あって一利なしって言うけど、お酒は百薬の長でしょ?たまに休肝日を作ればそれでいいんじゃない?」
Kがつまらなさそうに言った。
前回もそうだったが、停酒した時の私は仕事を終えた後、無口で堅物のただのつまらん男になるようなのだ。
サッカー中継を見ていても興奮することなく、かといってイラツク訳でもない。
無感動ということはないがとにかく『つまらん!お前の話はつまらん!』状態になるのだ。

というわけで、『犬は制限を受け、人は自制する』云々から始まった1週間の停酒というこの取り組みは明日をもって中止することとした。
“先月25日から明日の夜までの9日間の内、飲酒したのはわずか2日間だけだった”という大記録を残して。
 

初めてカフェを訪れたワンちゃんに対して 2005年07月31日(日)

  「ここのカフェは初めてなのですが…」
「そうですか、ありがとうございます。それで人やワンちゃんに対してはどうなのでしょう?」
ご来店時にそんな会話からスタートすると、私は初心に返ったように気が引き締まりありがたく思う。

カフェではそれぞれの犬の安全を第一に考えているので、個々の犬の性格や他犬との相性それにしつけの度合いや飼主の考え方などを考慮してガーデンへ案内することが多い。
今夜はそのノウハウの一部を書いてみよう。

1.『家の犬は他のワンちゃんを怖がるんです』あるいは『なんでもないと思います』という場合
先にガーデンで遊んでいる犬たちにリードを着けていただき、当該犬だけをフリーにしてしばらく様子を見る。
ほとんどの犬は数分の内に臭いをかいだり散策を始めるので、リードで繋いでもらった犬の中から他犬にあまり興味を示さない犬をフリーにする。
次に挨拶上手な犬をフリーにし、当該犬の反応を見て必要ならば挨拶上手な犬を押さえて当該犬に臭いを嗅がせる。
最後にすべての犬をフリーにして、もししつこくする犬がいたら制御し、いつしかガーデン社会の一員になるように時間を費やす。

2.『家の犬は他犬に対して吠えかかるんです』という場合
すべての犬にリードを着けていただき、当該犬もリードをつけた状態でガーデンに連れ出し散策する。初めての場所では『自分が他犬のテリトリーに侵入している』という意識が働くのでほとんどの犬は吠えることはない。もし虚勢を張って吠えるならば制御し止めさせる。
その後は1と同様の順番で犬たちをフリーにし、できる限り他犬の接近を許さないように配慮しながら5分程度の時間を費やせばガーデンの一員となっていく。
しかし、このような当該犬は自分が安全と分かり慣れてくると必ず吠えるので、その瞬間を待って制御を行う。さらに数回吠えるので同様に制御を繰り返し、「頑張らなくてもいいのだ」ということを体感させる。(このあたりはプロの技になってくるが)

3.『家の犬はとても友好的です』という場合
当該犬を含むすべての犬にリードを着けていただき、当該犬の友好度合いを観察する。
友好度合いが強くて、相手の犬が嫌がっているのに誰にでもしつこく挨拶する場合は注意が必要となり、他犬はフリーにしてもよいが、ある程度当該犬が落ち着くまでフリーにしないほうがよい。
犬嫌いの犬に接近しようとしたら制御する。

いろんな状況があるので一概に「こうすればOK!」というのは危険だが参考になればありがたい。
ちなみに『家の犬はマジに攻撃的です』というのは残念ながらカフェには入店できません。
 

ドッグカフェの集い・ご案内 2005年07月30日(土)

  昨夜12時にガーデンに出てみると、夜空には星が輝いていたが、日中から夜にかけて激しく降った雨でガーデンには深い水溜りが残っており、30分ほど排水作業を行った。
おかげで今朝はまずまずのコンディションでカフェをオープンさせることができた。(地味な努力をまずは紹介したくて…)

さて、お知らせです。
昨日のこの欄で紹介した『ノースラン』に協賛して、今年もカフェで『盲導犬チャリティ・ドッグカフェの集い』を開催することにしました。

開催日:8月18日木曜日(カフェの定休日)
時間:午後3時から(募金は随時お預りいたします)

内容:まだ未定ですが、昨年は盲導犬ユーザー2組に来て頂いて様々なエピソードを含んだ体験談のお話の後、参加者からの質問に対してとても面白くまた興味深く答えていただきました。最後に参加者全員で記念撮影し、その写真はカフェに飾ってあります。

お願い:当日は募金箱を設置しますので、今からコツコツ貯めておいてください。カフェはドリンク等の売上30%を寄付します。なお、当日お食事メニューはご提供できません。

昨年の状況:昨夏はとても暑くおまけに雨が降り残念な天候でしたが、カフェ内は人と犬たちで足の踏み場もないほど賑わいました。(詳しくは昨年8月6日頃のこの欄をお読みください)ゴールデンやラブなどの大型犬が9割以上を占め、圧倒された小型犬の飼主の中には募金だけされて帰られた方もおられたようです。
しかし、カフェ内では吠え声一つ聞こえず、まるで盲導犬の研修会のようでした。

今年の予想:天気予報と同程度の的中確率ですが、やはりレトリーバーを中心とした大型犬が主体となり、それにMダックスやチワワと言った小型犬が台頭してくるでしょう。また、お天気がよければ小型犬種はさらに増える見込みで、その場合、ところによっては一時吠え声が響くでしょう。反対にお天気が崩れた場合は、犬無しで募金をもってこられる方が増えることを期待しましょう。
なお、カフェの収容能力はたいしたものではありませんので、ひょっとしたら混雑するかもしれませんが、参加者のご配慮度と寛大度は100%を予想しています。

盲導犬の育成には地道な努力と市民の協力が必要です。
皆様のご協力をお待ちしております。
 

挫折じゃない! 2005年07月29日(金)

  停酒2日目の26日から偏頭痛が始まり3日目の朝我慢できずにバファリンを飲んだ。30分ほどで痛みはなくなったが、この頭痛が停酒に起因するのかそうでないのかは不明だった。

体調が整った昼頃、なんと東京の友人I夫妻がひょっこりカフェに現れ私達を驚かせた。
Iさんの愛犬ジャスミンは我が家の愛犬だったスーの母親で、今はもう11歳になり耳がやや遠くなっているようだ。
I夫妻は22日の夜トレーラー式のキャンピングカーで東京を発ち、昨年もこの欄で紹介した補助犬(とりわけ盲導犬)を支援するキャンペーン『ノースラン』のための来道だった。

“友遠方より来たる。久しからずや”となれば、もてなさざるを得ないではないか!
私が停酒に絶え切れず決して挫折したわけではないことを正確に記録しておかなければならないと思う。
夕方に再び偏頭痛が始まった時もKは「不機嫌な上に偏頭痛じゃ少しはお酒を飲んだほうがいいんじゃないの」と家内安全健康第一を勧めてくれていたことも。

かくして私は、閉店時間を1時間以上過ぎても平然?とカフェにおられた常連さんを誘い、I夫妻の歓迎会を盛大に開催すべく居酒屋へといそいそ出かけたのである。

ブルとベルナの父さん母さん、サリモナのYさん、ジェニーとチビのHさん、電話で呼び出され高速を走って30分ほど遅れて来たプー助ライムのAさん、それに我々とI夫妻の9名で宴会は大いに盛り上がった。

ところが“しばらく”酒を飲んでいなかった私に8合の日本酒は厳しすぎたようだ。
体を無くし早々に酔いつぶれた私には宴会の中盤以降の記憶は一切なく、翌朝4時に気が付いたら自宅の居間で寝ていたのだ。
不安と恥ずかしさのあまりKを起こし、無礼を詫びお泊り犬チェスの面倒を見てくれたことを感謝した。
「チェスはあなたが自分でトイレに出してたし、宴会の時も声が大きくなって話がくどくなった以外、ちゃんとみんなにも挨拶して別れたし、車で待っていたジェニーを街路樹のところまで連れて行ってオシッコさせてましたよ」
Kの言葉に私は唖然とするしかなかった。

翌日の昨日も定休日とあって夕方からガーデンでジンギスカンパーティーをやり、食後からはIさんが持ってきた球磨焼酎をIさんと二人でやっつけた。
そしてやはり最後には体をなくしてしまった。

“しばらく”酒を断ったあとはどうやら酔いやすくなるらしい。そしてそれに気付かず以前と同じように飲んでしまうから潰れてしまうのではないかとの教訓を得た。

温泉を断念し来客の予定もない週を選んで再度仕切りなおしの停酒に挑もうと思う。
次回はうまく4日目に入れた時、この欄で報告するのが無難ではないかと思っている。

あの日から偏頭痛はピタリとおさまっている。
 

停酒2日目 2005年07月26日(火)

  台風7号の影響で生暖かい空気になっているのに、雨で窓を開けることができない。
お泊り犬のハスキー/チェス君は時折ハーハーと舌を出してはドタンとより冷えた床に寝返りを打っている。
やや不快指数の高い夜だ。

寝つきが悪い・何度も目が覚める・O.ヘンリーの短編のように幾つもの夢を見、それがあまり良い夢ではない。
停酒初日の昨夜はそんな感じだった。
2日目に入ったが、とりわけ変化はなく無性に酒が飲みたいというわけでもない。
ただ、グラスに入れるウーロン茶を焼酎だとイメージした時、まるで美味しい食べ物を見た時のように唾液が染み出てきたのが怖かった。

昨日の朝、熱いポタージュを飲んだときに上あごを火傷したらしく、今夜のとんかつは痛い思いをしながら私が食べていると、
「やっぱり口内消毒しなきゃだめかなぁ」
Kがクスッと笑いながら言った。
普段なら私も大笑いしたはずであるが、昨夜から笑おうとする顔がこわばっているのが気になる。

2日目の所感:
1.アルコールには口内消毒作用があり、酒を飲めばケナログ軟膏のような薬は不要となるのではないだろうか?
2.私のような真面目人間には会話を円滑にし、周囲の人に不快感を与えないために敢えてアルコールを投与しておいた方が無難なのではなかろうか。

ともあれ3日目に突入してみる。
 

停酒宣言? 2005年07月25日(月)

  食事の時には全身で喜びを表し、美味そうにガツガツと食べるチワワのチビやルルを見ていると、いつか腹一杯のフードを食べさせてやりたいという衝動に駆られる。
一日中でも遊んでいたいゴールデンのベルナやラブのハル、コーギーの風子Mダックスの雪音などなどには、手を変え品を変えた遊びを提供し続けたらどうなるのか見てみたい気がする。
好き勝手に吠え続けたいわんこに絶えず見知らぬ人や犬を接近させ続けたらどうなるのか試してみたい。
ストーキングの衝動に駆られるわんこにお互い気の合う同士(オスメスとは限らない)で自由空間を与えてあげたい気もする。
がむしゃらに引っ張る犬たちをすべてノーリードにしたならどんなことが起こるのか興味がある。

やれなくはないがやれば重大な問題が起こったり後悔することになるから、人は犬たちに制限を課し自らを制御している。

何を書こうとしているのかというと、犬に課している制限の一部を短期間自らに課してみようかなと今朝、寝起きに思いついてしまい、しかもKに宣言してしまったのだ。
私にとって最も厳しい制限は“禁煙”であり、それはこれまでにも何度となく挑戦し、その都度喫煙量が増えるという悪循環に陥ってしまっているので、今回は2番目に厳しい“お酒”を選んだ。

ここをはっきりしておかなければ今日のこの欄には書けなかったのだが、“断酒”でも“節酒”でもない“停酒”ということである。
「今日から1週間つまり今月一杯、私は停酒にチャレンジするのだ!」
『停酒を宣言する!』と言えないところが、酒を飲み始めてから初体験の1週間もの停酒に入った私の不安な心を象徴している。
盲腸で5日間入院した時でさえ、手術の翌日には職場の同僚Dがミニボトルを数本差し入れてくれたのに…

このチャレンジは体調を崩したからでも罰ゲームでもなく、一種の好奇心である。
『しばらく酒を飲まなかったらどうなるのだろう』ということを体験してみようかなと思っただけである。

「350CCのビール1本くらいはいいんじゃない」
Kは私を気遣ってくれているがそうもいくまい。
さて、停酒から24時間が経過したが今のところ震えはない。
 

心地よい今年の夏 2005年07月23日(土)

  陽射しは強いのに気温は26度と最高の夏が続いている。
湿気はなく風通しは良く、ついうとうと昼寝をしたくなる。
子供の頃、庭に面した縁側で母の膝枕にうとうとしながら耳掃除をしてもらった時の心地よさが思い出されるような快適さであった。

午前中のカフェの出足は良く、一番乗りは生後3ヶ月の可愛い盛りのバセットハウンドだった。
初めて犬と暮らす飼主は、乳歯全盛期の噛み付きやトイレの失敗が多いことに困っておられ、その相談に来店されていた。
一通りのアドバイスを行ったが、一番飼主を安心させたのは、「お宅の犬にはおかしいところはなく、3ヶ月の犬として正常な行動をとっている。」という話ではなかっただろうかと思う。

犬の生理や成長段階を知らずにしつけを急ぐあまり、『自分の犬がおかしいのでは』と思い始めたり、神経質になって悪い面ばかりに目がいってしまうことは初めての飼主にはよくあることだ。
犬のしつけはファーストフードを買い求めるように性急になるのではなく、スローライフ線上にあるべきものと捉え、失敗を嘆くよりも成功例を積み上げることで人も犬も楽しくなれるものである。
『成功例を積むにはどうすればよいか』を学ぶことが犬のしつけの近道だと思う。

午後からのカフェはいつもにない静かな状態でのどかな時間が流れたこともあり、閉店後もそののどかさを追い求めたくなった。
Kと私は岩見沢まで足を伸ばし、夕方から夜に向かって様々な色彩と香りを放つバラ園をゆっくり散策した。
“紫香”という名のバラがとりわけシックな落ち着きを見せてくれた。

その余韻を保ちながらKは帰宅後ものんびりしているのに対し、私はと言えば今日頂いたばかりのロシアンウォッカを半分空け、朦朧とした状態でここまで書き上げた。
ふたりともまどろむようなのんびりした夜を過ごしたが、その違いが明日の朝、明確に出てしまうのが思いやられて苦しい。
 


- Web Diary ver 1.26 -