From the North Country

問題犬飼主へのアドバイス 2005年01月28日(金)

  お泊り犬HクンとTクン無事返犬で肩の荷が下りた。

飼主の方へのアドバイスの基本は、両犬共に自宅内繋留をしばらく続けることだった。
室内ですら犬を制御することができず、いたずら・トイレの失敗・吠えや・噛み付きが常態化しており、フリーになっている犬は室内を逃げ放題で、テーブルの下に逃げ込んだ犬を捕まえようとしたら逆切れするようなことを日々続けてよい筈がない。
まずは、繋留によって悪戯の軽減と、制御のしやすい状況それに逃げ得を許さない態勢を整えなければならないだろう。

繋留といっても部屋の片隅に犬だけ放置するのではない。
ちゃぶ台の足でもよいし、ソファーやケージでもよいから、人が継続観察できない例えば、家事や入浴・トイレ・食事中などの時は基本的に繋いでおくということである。
テレビを観たり本を読んだりなど、自分の時間を過ごす時にも同様で、犬が膝に乗って来れるような場所に繋留しても差し支えはない。
ただし、リードの長さの範囲には犬のベッド・トイレ・飲み水が用意されていなければならない。

そして、愛犬のために時間を取れるようになったら、フリーにして存分に遊び、またフリーにした時の犬の様子を観察し、いたずらなどしない信頼できる犬になるよう接する。

ちゃぶ台に手をかける・繋留から開放せよと吠えるなど、この程度のことに対する制御が行えないなら、フリーにした犬を管理監督できるはずもなく、室内は無法地帯と化すのは明らかであろう。
だからまずは繋留からスタートしなさいということである。

制御の仕方や時に必要な叱責についても説明したが、ここでは誤解を招くので省略する。
ただ、Kがアドバイスすると相手の奥さんは「なるほど!わかる!」という顔をしたので申し添えよう。
「自分の子供を叱る時、90パーセントで叱ったら子供は残り10パーセントを敏感に感じ取ってつけ込んで来ますよね。叩いて叱るとか大声で叱るということではなくて、100パーセント叱るということじゃないでしょうか」
それで相手は理解してくれた。
「母は強し!女にゃ敵わん!」と口を滑らせたら「子供を育てた人ならみんな分かることよ」と即座に返ってきた。

明日から数日、所用のためこの欄はお休みにします。
カフェは通常どおり営業いたしておりますが、日曜日もし吹雪いたら駐車場等の除雪が不完全であることをご了承ください。
 

Hクン、第3夜とTクン 2005年01月26日(水)

  擦り傷程度の傷を治療された時、犬はどんな反応をするだろう?
1.ピクンと反応し(ガタガタ震え)ながらも身を委ねる(我慢する)犬
2.キャンと泣いて逃げようとする犬
3.ガブッとくる犬
4.痛さ以上に精神的にパニックになる犬

擦り傷の程度や感受性にもよるから一概には言えないが、せめて自分の愛犬は1か2であって欲しい。

唐突な話になってしまったが、Hクンのあら捜しをした結果、4であることが今日分かった。
別にだからどうってことではない。これから人と暮らす中で信頼性が育まれればすぐにでも1の反応を示してくれるだろうから。

こんな話になったのは、今日までのところどうみても『家族を日々傷つける』素因をHクンに見出せないからだ。
予想できるのは明後日トリミングの際に行う、爪切りと耳掃除それに肛門腺処置を嫌がるであろうことぐらいで、それすらも『犬並』程度だと思っている。

となれば、やはり家族に対する接し方のアドバイスが中心とならざるを得ない。
「どんなアドバイスをしようか?」と私。
「どんな接し方してるのか、実際の生活を見ないと分からないよ」とアドバイザーK。
私には簡単にできることであっても、飼主にできないことをアドバイスしても意味が無い。その辺のところをKは普通の主婦感覚で私にアドバイスしてくれるのがありがたい。

もう一頭の『噛み犬お泊り犬』MダックスのTクンは、二日目の今日カフェで本性をあらわし、セールスマンに凶暴に吠えかかり、制御した私を何度も噛もうとひどく暴れた。
ご来店中の方々には驚かせご迷惑をおかけしたが、『噛みの矯正』のためにお預りしていたので、千載一遇のチャンスを見逃すわけにはいかなかった。
Tクンにとって初めての体験であったろうが、これまで飼主の家族を血まみれにするような暴挙を繰り返し、場合によっては君の生命をも危うくする態度は心身ともに健全な君に許されることではないのだ。

誤解されやすい事柄を書いてしまったが、Tクンはこれまで何度も来店し、家族の苦悩・Tクンが噛む原因などを私はほぼ理解していた。
原因の半分は犬種と血統、残りが家庭の事情による育成環境である。
『だから噛んでも仕方がない』ではなく『人を噛むことはとんでもないことなのだ』をTクンに示し、家族には『Tクンがそんなに頑張らなくてもいいような接し方』をアドバイスすることになると思う。血統的なことがあるからある程度の折り合いはつけなければならないだろうが…

みんな愛犬との楽しい生活を夢見て暮らし始めたのは間違いのないこと。
しかし現実にギリギリの状況に追い込まれている人と犬がいる。
そんな人と犬の行動学上のトラブルが私のところに持ち込まれる。
切羽詰っているから教育という時間はかけられず、私流の『制御』で犬自身に考えさせ、飼主にアドバイスする。

犬好きの私にとって、影の部分と日々闘うエネルギーが必要なのだが、それはカフェの犬たちが与えてくれるし、昼間『制御』したHクンやTクンが、今、信じられないようないい子で私の部屋で遊び・寝ている姿なのではないかと思っている。
 

Hクン、第2夜 2005年01月25日(火)

  Hクンのどこに問題があるのだろうと思い始めている。

「結局、飼主に問題があるんですよねぇ」自虐的に飼主の方がそう話される時、そうとばかりは言い切れない犬の稟性に思いを巡らすのだが、今回のHクンにはまだ欠点が見当たらない。

1.強く名前を呼んだり、「おいで!」と叫ぶと緊張し、猜疑的になり、逃避を考えている。
「おいで」と優しく声をかけ、緊張して戸惑っている時に「ああ、エライねぇ、さあ、おいで」と言うと喜んでやって来る。
人の心も同じだから分かりやすい。
「おいで」と呼ばれたらやって来る成功例を積み上げ、時折強めの声をあげ、怒っている訳でも叱られるわけでもなく、『大声も日常の一部なのだ』と慣れさせている。

2.人と絡んで遊ぶのがとても好きな子だから、全身を強く掻きながら刺激を与えているが、怒るどころか嫌がる素振りも無い。
安全な犬だということが解ってからは、相当刺激的な扱いもしているのに、Hクンは大喜びしている。

3.犬は苦手、人はやや苦手で慣れるのにちょっと時間がかかる。
今日一日カフェにいて、自分から犬に関わろうとしたことはなかった。他犬が寄って来るとガーデンでは逃げ回り、カフェでは困った顔をして体を引いていた。
特筆すべきことは、怒ったり・唸ったり・窮鼠猫を噛むという態度を一度も示さなかったことだ。

4.夜になって、ちゃぶ台の足にリードで繋ぎ、どんな悪さをするか観察。
人がいる時は借りてきた猫状態だが、5分離れたスキに私のお箸の先を齧っていた。
その後、30秒離れたスキに今度は耳掻きの先を齧る。
厳しく叱ると「えっ?それもダメなんだ?」という顔をする。要は教えられていないのだ。
逆ギレのチェックをするため、さらに厳しく叱ると一瞬不服そうになったが、すぐに受け入れごめんなさいの表情になった。
そしてすぐその後、体を擦りつけて遊ぼうの態度を示す。全く根に持たないいい性格だ。

もっと深く観察したかったが、看板犬を務めてゆっくりお昼寝もできなかったので既に寝てしまっている。
まだ二日目が終わったところだから、明日以降別の一面が現れるかもしれない。
ひょっとしたら初めてづくしの世界に出て、この世の中は人間社会であり、他にもいろんな犬たちがいて自分では到底太刀打ちできないということを肌で感じ、身の程を知り、立場をわきまえ、その中で快適に暮らす術にまで思いを馳せてくれているかもしれない。
そうだとしたら、思いっきり甘やかし溺愛し信頼し最高のパートナーになる礎ができるだろうに…
 

Hクン、第一夜 2005年01月24日(月)

  いよいよ今日からHクンのお泊りレッスンが始まった。

プロフィール
ポメラニアン・オス・生後11ヶ月・去勢済み
主訴
トイレの失敗が多く、やたら本気で噛む。祖母・母・子供が主に被害に遇い生傷が絶えない。呼び鈴が鳴って応対に出ようとすると背中に飛びつき服が破れるほどに噛まれる。物欲が強く手を出せば噛まれ、叱れば逆切れする。

等々、トイレと攻撃性に関する問題が主なものだ。

実はカフェを始めて驚いたことがある。非常に多くの小型犬の飼主が同じような問題を抱えておられるという信じられないような本当の話である。
ならば犬がそうなる共通の原因があるかもしれないと考え始めた。

攻撃性や警戒心については、そのような親から生まれたという遺伝的要素が第1原因なのだが、育て方で攻撃的になったり逆切れする犬はいくらでも造ることができるのも確かだ。
そしてこれらの問題を抱えている飼主の話を聞くと、正にそうなるような接し方をさも当然のようにされていることに驚かされる。

1.しつけのできていない犬を最初から室内でフリーにしている。
2.そのフリーの状況では当然起こるいたずらや粗相などの失敗例を日々積み重ねている。
3.その結果に対して中途半端に叱り、犬の防御本能を掻き立て、さらに信じられないことに、反撃に出た犬の行動に驚き不安を感じ退散してしまっている。
4.犬を縫いぐるみやアイボ(犬ロボット)のように気まぐれに扱い、からかい、その仕草が可愛いと言ってはさらにちょっかいをかけ、タオルで引っ張り合いの遊びをし、唸らせ、噛まれたらプイッと腹を立てて犬との遊びを止めてしまう。
5.自分はしつけについて手をかけず、いずれ犬が学習していい子になるものと思い込んでいる。
6.犬を叱ることを罪悪と感じるあまり、結果的に家族に生傷が絶えないのに、犬には傷一つ無く、人を噛み、手離され、処分され、犬も家族も不幸を味わうことに思いを馳せていない。

書けばいくらでも出てくる。
要は自分の子供をどう育てたかに凝縮され、子供につき込ませる隙もないほどの、親としての叱りの決着をどこかで1・2度つけておいたかということだろうと思う。
裏づけというか後ろ盾にあるものは、変わらぬ愛情であることを抜きにできないのは勿論である。

さて、今日の観察でHクンは身体的・精神的な面での問題はないと判断した。すなわち育ちの中で社会経験不足による社会性の無さ、身の程を知らずいい気になり、分をわきまえない犬に育っていることが推測された。
性格は悪くない。人と暮らす犬としての資質もよい。

夜、ガーデンですぐオシッコをしたので拍手をし、リードを放した。
ところが、今度は捕まらないのだ。
中央の雪洞の周りを逃げ回り、完全に私を小馬鹿にしている。
「ジェニー!」と私はレオンベルガーのジェニーを呼び、追いまわしてカフェに追い込むことを期待した。
「この役立たず!早くアイツを追いまわせ!」とジェニーに叫んだが、昼間の疲れが残っていたのかジェニーはさっさとオシッコを済ませ、2階に上って眠ってしまった。

Hクン捕獲作戦を開始すべく今度はKに頼んだら、Kの「おいで!」の一言でHクンはさっさとカフェに入ってくれた。
私たちは名コンビである。
長くつまらない話になってきた。
寝るには充分のアルコールも回ってきたので、今夜はおしまいにしよう。
外は、凄い嵐になっている。
 

大雪の後に 2005年01月23日(日)

  夕べの雪はやはり大物だった。

夜半にガーデンのデッキに積もった雪を30センチほど除雪しておいたのだが、朝になるとまた同じだけ積もっていた。
実際には堆積した雪の重みで圧縮されてガーデン全体では40数センチの積雪で、ガロアラシ号フル稼働である。

すっかりコツをつかんだこともあり、順調に車庫前・通路・駐車場の除雪を終えガーデンに移った。
半分ほど除雪が進んだ時、ガキッという音と同時に飛雪がストップした。
プロペラに詰まった雪を除くと、奥に棒が引っ掛かっている。ワンちゃん用の遊び道具『フェッチ棒』だった。

犬たちが遊んだ道具が雪に埋もれ、除雪機に巻き込まないよう閉店後にはチェックしているのだが見落としてしまっていたようだ。
既に様々な部品を周到に準備していたので、今回は数分で修理が済み、カフェ前の道路を含めた180坪程の除雪を開店前に済ませることができた。
ガロアラシ号様様である。

昨夜からの招待客ジェニーは、綺麗になったガーデンの雪洞に駆け上がり、いつもより見晴らしがよい高さに満足したのか、馬がいななく時のように前足を何度も高く上げていた。おかげで雪洞の新雪は表層雪崩を起こし崩れ落ちてしまった。

さて、明日からは家族に噛み付く問題犬のお泊りを予定している。
善良な気持ちで犬と暮らし始めた飼主に噛み付くなどとは、もし精神的・身体的に問題がないのであればもってのほかである。
恐らく接し方にも問題があるのだろうからそちらも含めた対応になると思っている。
長崎流教育的指導炸裂かもしれない、が、とりあえず皮手袋と消毒薬の準備をしておこう…。
 

ジェニー2才の冬 2005年01月22日(土)

  夜に入っても雪が降っている。
昼間の雪は降り続く時間の割に積雪が少なかったが、風も無くただひたすらしんしんと続く今夜の雪は大雪の兆しをみせている。

「今日はジェニーが泊まりだぞぉ!」
1年前ならそう叫んで、心の準備と装備を整えてレオンベルガージェニーと立ち向かっていた。
獣のような気を許さない心持ちがジェニーにもあって、ちょっとした物音や仕草にも鋭く反応できるよう、体を横たえることは勿論目を閉じて眠ることも無かった。

「今日、ジェニーおいていかない?」
「えっ?いいんですか?」
よく聞き取れなかったから不確かだが、カフェが閉店する頃、Kがジェニーの飼主Hさんと話していた内容は1年のときを経て驚愕に値するものへと変わっていた。
「でも、ジェニーのご飯もってきてないし…」とHさんの言葉に
「ああ、適当にあげときますよ」と私も答えていた。
「じゃぁ明日の朝、迎えに来ます。」

そんなわけでジェニーは厄介者から招待客に変わり、今夜の私たちを楽しませてくれるはずだった。
ところが残念!
散歩から戻り食事と排尿を済ませると、ジェニーはスーの位牌の前に行き突っ立っていたかと思うと、横にある線香立ての灰に鼻っ面をつけて白い鼻のままベッドへ直行し、ひたすら眠り始めたのだ。

「ハックショ〜ン!」私は思いっきりくしゃみをしてみた。
ノコノコと寝室から出てきたジェニーは私に乗っかりKに愛想を示したが、1分ほどでまた寝室に戻るとドタンという音と共に再び眠りについている。

雪はなお降り続いて書き始めからさらに10数センチ増えていた。幸せな時間をありがとうジェニー。
 

のんびり温泉 2005年01月21日(金)

  定休日を利用して北湯沢の温泉に行ってきた。
出かける前にKとふたりで治療院に行き、全身を入念にマッサージしてもらってフルチャージできるよう心がけた。

年末からゆっくりする時間がなかったので相当疲れが溜まっていたのか、私は勿論、隣の治療台で横になったKもうめき声をあげていた。
温泉に入ってからマッサージを頼んでもよかったのだが、慰安マッサージより治療のほうが絶対にいいと思った。

北湯沢につくまでに揉み返しによる脱力感が我々を包んだ。
そのまま横になりたいという思いを振り切って、ガラ空きの露天風呂で1時間ほど湯に浸かっていると、今度こそすっかり体中の力が抜け放心状態となった。

そんな時、黒ラブのジャックの父さんのことを思い出した。
ジャックのことになると甘やかし溺愛する父さんは、微笑ましく見える反面、「大丈夫か?」などと思えてしまう。
実際、カフェでも子供のように甘え依存的な態度は『絆』を感じさせてくれるが、肝心な時に制御が利かないし、一人にすると寂しがってうろうろしている。

しかし、ジャックの父さんはそんじょそこらのただのアマちゃんではなかった。
そのために生じる愛犬との生活の不具合をちゃんと自分でカバーしているのだ。
昨年の秋頃だったろうか、奥さんとニセコの温泉に出かけた話を聞いた。さぞかしゆっくりしてきたのだろうと思ったら、ジャックも連れて行ったものだから、一人にするのが可哀想だということで、せっかくの温泉も自分は10分で切り上げ、奥さんが戻るまでの3時間を黙ってジャックと二人で待っていたというのだからエライ!
ニセコに愛犬と一緒に入れる温泉でもあれば二人で溺愛できただろうにと切なく思ったものだ。

さて、今朝のオープンに間に合わせようと大急ぎで帰宅し、20センチほど積もった雪をガロアラシ号で除雪すること1時間チョイ。
終わった後は全身汗まみれでシャワーを浴びたが、マッサージと露天風呂がまた恋しくなった。
ジャックの父さんのことを思えば幸せと言わざるを得ないのだが…
 

若き指導者の集い 2005年01月18日(火)

  あれは昭和54〜5年頃だったろうか。

盲導犬協会の床が半分落ち雪と隙間風が吹き込むプレハブで、『視覚障害に関わる若き指導者の集い』という熱気ムンムン新撰組のような研修が行われた。
中心となったのは当時北海道高等盲学校の教師鈴木重男先生で、参加した若者は大阪の日本ライトハウス・青森盲学校・北海道の盲学校教師・聾学校の校長・協会職員など10数名だった。中には60歳を過ぎて「心は若者だ!」と参加された方もいた。

研修といっても夕方から始まるや否や、車座になって酒を酌み交わし、オンボロストーブの上で煮炊きした豚汁で体を温め、大阪から交通費自腹・報酬は新巻鮭1本でも快く講演を引き受けてやってきた講師の熱弁に、時に聞き入り時に激論を繰り返すという正に若き指導者の集いだった。

実はこの研修会こそが後に北海道の視覚障害リハビリテーションに革命をもたらす原点だったのだ。

盲教育は当時の文部省が管轄し、盲児にも正当な教育機会を与えるというのが主眼となっていた。そのため教科教育が中心に行われそれなりの成果は挙げていたが、社会に出てから必要な歩行訓練や日常生活訓練などいわゆる社会適応訓練と呼ばれる重要な項目は、養訓というおまけ程度の時間でお茶を濁され、この分野における子供たちへの指導は寮母や若い先生が放課後に行っていたのが現状で、しかも彼らにさえ専門知識はなく熱意だけに支えられていた。

この状況に疑問を抱き、視覚障害リハの本質について夜通し語り明かした我々は、その時それぞれの道を決めたのだ。

当時ややこしい手続きを踏まなくても、割と容易に事業展開を決めることができた我々盲導犬協会は、職員をそれぞれ半年大阪に派遣し、視覚障害リハビリテーションの専門教育を受け、協会事業に『社会適応訓練』を加えた。
すると、大阪の日本ライトハウスで講師だった人間が「北海道が面白くなりそうだ!」と協会へ転職してきたのには驚いたものだ。

組織が大きすぎて一気の改革が難しい盲学校の教師たちは、土日や春夏冬の休みを利用し、学校側には補習と称して盲導犬協会で生徒と共に合宿した。
実際、英語・数学の特別授業も行ったが、白杖・電子機器による歩行訓練、レスリングそれに自炊生活を通じた歩行や買い物など実際的な生活訓練が狙いであった。

それから20数年が経ち、協会は北海道における視覚障害リハビリテーションの基盤を築き、鈴木重男先生は函館・旭川の盲学校校長となって変革を進められた。
さらに10年程が経った今、重男先生は恐らくどこかで盲教育に関わっておられることだろう。

冬のこの季節になるとあの頃の若き血潮が思い出され、「よし、また頑張ろう」という気になってくる。
 

千歳のMさん 2005年01月17日(月)

  「よく続いてますねぇ。『北の国から』」
千歳のMさんがゴールデン2頭を伴って訪ねてくれた。
「もうすぐ終了ですよ」
私は答えたが、3日坊主の私がここまでやってきたのだから、せめて第1回を始めた4月の満月までは頑張ろうかと思っている。

「今日は書くことがないよ」私が泣き言を言うとKは
「そうだ、そうだ、やめちゃえ!やめちゃえ!」と軽くいなす。
ホームページを立ち上げて自分の主張を展開しろと囃し立てたのは彼女だったはずなのに。

そんな話をしていたら、Mさんの愛犬に対するコントロールに目が止まった。
1頭のゴールデンはMさんと12年もの間、お互いの生活を共有して一心同体であるから、心の糸で結ばれている。
目に止まったのはもう1頭の盲導犬の繁殖にも用いられているオスのムータンに対してのそれである。

イギリスゴールデンの典型的容姿を楽しませてくれるムータンは現役のオスであるから、ジョンブルと言えども向かいに居合わせた美女ゴールデン3頭に心奪われていた。

Mさんは女性らしくもともと地声が小さいうえに上品な話し方をされるのだが、動揺を隠せないムータンに「誰も乗っけてくれそうもないよ。ダウン(フセ)してなさい」と言葉をかけた。
ここまでは普通の対応である。
「さすがだね」と思わせたのはそこからで、自分が出した指示に責任を持っておられるということだった。
つまり、口先だけでどうでもいいような命令は与えないが、出した命令にはきちんと従うところまで確認を怠らない『執拗さ』を身に付けておられるということだ。
それが実に静かでスマートなのである。

6年も暮らしているムータンもすべて了解済みで、傍にいる者には推し量れない意思疎通が二人の間ですばやく行われているのを感じるだけだった。
今日また、人と犬のいい関係を見せていただいた。
 

愛犬同伴ということ 2005年01月16日(日)

  ペットと泊まれるホテルやペンションについて、実際犬と暮らしている方は利用にあたってどのようなイメージを持たれているのだろう?
今日カフェでそんな話題になった。

ペットOKと書いてあるのだから『なんでもアリ』と考えてる方はいないにしても、結果的にそのようなことを『旅の恥はかき捨て』とばかりに行っている方が多いのが実情のようだ。すなわち…

1.他犬や人に対して吠え掛かるような犬であるのにも関わらず放任している。
2.いい加減な手入れしかしておらず、且つ抜け毛や汚れを意に介していない。
3.自分の犬が人や他犬に対して友好的であるからというだけで、相手の犬への影響も考えず自慢たらしく放任している。
4.自宅とは違い、他犬がいるような場所では興奮して排尿間隔が短くなることや放尿意欲が湧くことに配慮していない。
5.人の食事中に犬がテーブルに手をかけるのを普通と感じていたり、欲しがれば与え、周囲の犬がそれに影響を受けていることすら鈍感にも感じなかったり、さらに悪いことには他人の犬にさえ食べ物を与えようとする輩がいる。

『ペット同伴OK』とは、『世の中にはマナーやしつけをわきまえた愛犬家と愛犬がいるもので、その方々までの社会生活を犬がいるという理由だけで制限はしませんよ。』という意味であり、少々拡大解釈すれば『それでも犬と暮らしているとちょっとした失敗やトラブルはあるでしょうし、犬好きの仲間たちと談義するのも最高に楽しいですよね。ただし、マナーとしつけの発展途上であるからたまに失敗があった時は、ごめんなさいね。これからうちの子はもっといい子にしていきますから』と現状を把握し向上心と周囲への配慮を怠らない人間性があるならOKです。
さらに拡大解釈するなら『ごめんなさい。ごめんなさい。犬を飼うのが初めてで、ただイメージばかりが素敵に思えて…どんな風にすればいいのか勉強のために来ました』というのも全然OKなのである。

つまりは素敵に犬と暮らしたいと願っている方の社会に対する人間性の問題なのだろうと思う。

「ペットと泊まれる雑誌に御社を掲載したいのですが」
「冗談じゃない!以前雑誌に載せたためにとんでもない犬ばかりやってきて大変な思いをしたんだ!うちはもうペットはお断りだね!」
こんなことが現実におこっているのだという。

『まさお』クンなるものが『マスコミ』という天下御免の印籠を持って旅館の畳の上を駆け回り、人の食事をパクつく映像が大手を振って放映されている時代である。
誤解する『自称愛犬家』が増えても仕方がないと悔しい思いでいる。
ドッグカフェナガサキに来られる皆さん!
小さなことから社会を変えていきましょう。
カフェの犬たちはあんなにおりこうで、私たちはこんなに幸せなのですから…
良心的な仲間はもっともっといるはずです。
連帯するぞ!オーッ!
今夜の酒は悪酔いぎみのようだ。
 


- Web Diary ver 1.26 -