From the North Country

大雪の後に 2005年01月23日(日)

  夕べの雪はやはり大物だった。

夜半にガーデンのデッキに積もった雪を30センチほど除雪しておいたのだが、朝になるとまた同じだけ積もっていた。
実際には堆積した雪の重みで圧縮されてガーデン全体では40数センチの積雪で、ガロアラシ号フル稼働である。

すっかりコツをつかんだこともあり、順調に車庫前・通路・駐車場の除雪を終えガーデンに移った。
半分ほど除雪が進んだ時、ガキッという音と同時に飛雪がストップした。
プロペラに詰まった雪を除くと、奥に棒が引っ掛かっている。ワンちゃん用の遊び道具『フェッチ棒』だった。

犬たちが遊んだ道具が雪に埋もれ、除雪機に巻き込まないよう閉店後にはチェックしているのだが見落としてしまっていたようだ。
既に様々な部品を周到に準備していたので、今回は数分で修理が済み、カフェ前の道路を含めた180坪程の除雪を開店前に済ませることができた。
ガロアラシ号様様である。

昨夜からの招待客ジェニーは、綺麗になったガーデンの雪洞に駆け上がり、いつもより見晴らしがよい高さに満足したのか、馬がいななく時のように前足を何度も高く上げていた。おかげで雪洞の新雪は表層雪崩を起こし崩れ落ちてしまった。

さて、明日からは家族に噛み付く問題犬のお泊りを予定している。
善良な気持ちで犬と暮らし始めた飼主に噛み付くなどとは、もし精神的・身体的に問題がないのであればもってのほかである。
恐らく接し方にも問題があるのだろうからそちらも含めた対応になると思っている。
長崎流教育的指導炸裂かもしれない、が、とりあえず皮手袋と消毒薬の準備をしておこう…。
 

ジェニー2才の冬 2005年01月22日(土)

  夜に入っても雪が降っている。
昼間の雪は降り続く時間の割に積雪が少なかったが、風も無くただひたすらしんしんと続く今夜の雪は大雪の兆しをみせている。

「今日はジェニーが泊まりだぞぉ!」
1年前ならそう叫んで、心の準備と装備を整えてレオンベルガージェニーと立ち向かっていた。
獣のような気を許さない心持ちがジェニーにもあって、ちょっとした物音や仕草にも鋭く反応できるよう、体を横たえることは勿論目を閉じて眠ることも無かった。

「今日、ジェニーおいていかない?」
「えっ?いいんですか?」
よく聞き取れなかったから不確かだが、カフェが閉店する頃、Kがジェニーの飼主Hさんと話していた内容は1年のときを経て驚愕に値するものへと変わっていた。
「でも、ジェニーのご飯もってきてないし…」とHさんの言葉に
「ああ、適当にあげときますよ」と私も答えていた。
「じゃぁ明日の朝、迎えに来ます。」

そんなわけでジェニーは厄介者から招待客に変わり、今夜の私たちを楽しませてくれるはずだった。
ところが残念!
散歩から戻り食事と排尿を済ませると、ジェニーはスーの位牌の前に行き突っ立っていたかと思うと、横にある線香立ての灰に鼻っ面をつけて白い鼻のままベッドへ直行し、ひたすら眠り始めたのだ。

「ハックショ〜ン!」私は思いっきりくしゃみをしてみた。
ノコノコと寝室から出てきたジェニーは私に乗っかりKに愛想を示したが、1分ほどでまた寝室に戻るとドタンという音と共に再び眠りについている。

雪はなお降り続いて書き始めからさらに10数センチ増えていた。幸せな時間をありがとうジェニー。
 

のんびり温泉 2005年01月21日(金)

  定休日を利用して北湯沢の温泉に行ってきた。
出かける前にKとふたりで治療院に行き、全身を入念にマッサージしてもらってフルチャージできるよう心がけた。

年末からゆっくりする時間がなかったので相当疲れが溜まっていたのか、私は勿論、隣の治療台で横になったKもうめき声をあげていた。
温泉に入ってからマッサージを頼んでもよかったのだが、慰安マッサージより治療のほうが絶対にいいと思った。

北湯沢につくまでに揉み返しによる脱力感が我々を包んだ。
そのまま横になりたいという思いを振り切って、ガラ空きの露天風呂で1時間ほど湯に浸かっていると、今度こそすっかり体中の力が抜け放心状態となった。

そんな時、黒ラブのジャックの父さんのことを思い出した。
ジャックのことになると甘やかし溺愛する父さんは、微笑ましく見える反面、「大丈夫か?」などと思えてしまう。
実際、カフェでも子供のように甘え依存的な態度は『絆』を感じさせてくれるが、肝心な時に制御が利かないし、一人にすると寂しがってうろうろしている。

しかし、ジャックの父さんはそんじょそこらのただのアマちゃんではなかった。
そのために生じる愛犬との生活の不具合をちゃんと自分でカバーしているのだ。
昨年の秋頃だったろうか、奥さんとニセコの温泉に出かけた話を聞いた。さぞかしゆっくりしてきたのだろうと思ったら、ジャックも連れて行ったものだから、一人にするのが可哀想だということで、せっかくの温泉も自分は10分で切り上げ、奥さんが戻るまでの3時間を黙ってジャックと二人で待っていたというのだからエライ!
ニセコに愛犬と一緒に入れる温泉でもあれば二人で溺愛できただろうにと切なく思ったものだ。

さて、今朝のオープンに間に合わせようと大急ぎで帰宅し、20センチほど積もった雪をガロアラシ号で除雪すること1時間チョイ。
終わった後は全身汗まみれでシャワーを浴びたが、マッサージと露天風呂がまた恋しくなった。
ジャックの父さんのことを思えば幸せと言わざるを得ないのだが…
 

若き指導者の集い 2005年01月18日(火)

  あれは昭和54〜5年頃だったろうか。

盲導犬協会の床が半分落ち雪と隙間風が吹き込むプレハブで、『視覚障害に関わる若き指導者の集い』という熱気ムンムン新撰組のような研修が行われた。
中心となったのは当時北海道高等盲学校の教師鈴木重男先生で、参加した若者は大阪の日本ライトハウス・青森盲学校・北海道の盲学校教師・聾学校の校長・協会職員など10数名だった。中には60歳を過ぎて「心は若者だ!」と参加された方もいた。

研修といっても夕方から始まるや否や、車座になって酒を酌み交わし、オンボロストーブの上で煮炊きした豚汁で体を温め、大阪から交通費自腹・報酬は新巻鮭1本でも快く講演を引き受けてやってきた講師の熱弁に、時に聞き入り時に激論を繰り返すという正に若き指導者の集いだった。

実はこの研修会こそが後に北海道の視覚障害リハビリテーションに革命をもたらす原点だったのだ。

盲教育は当時の文部省が管轄し、盲児にも正当な教育機会を与えるというのが主眼となっていた。そのため教科教育が中心に行われそれなりの成果は挙げていたが、社会に出てから必要な歩行訓練や日常生活訓練などいわゆる社会適応訓練と呼ばれる重要な項目は、養訓というおまけ程度の時間でお茶を濁され、この分野における子供たちへの指導は寮母や若い先生が放課後に行っていたのが現状で、しかも彼らにさえ専門知識はなく熱意だけに支えられていた。

この状況に疑問を抱き、視覚障害リハの本質について夜通し語り明かした我々は、その時それぞれの道を決めたのだ。

当時ややこしい手続きを踏まなくても、割と容易に事業展開を決めることができた我々盲導犬協会は、職員をそれぞれ半年大阪に派遣し、視覚障害リハビリテーションの専門教育を受け、協会事業に『社会適応訓練』を加えた。
すると、大阪の日本ライトハウスで講師だった人間が「北海道が面白くなりそうだ!」と協会へ転職してきたのには驚いたものだ。

組織が大きすぎて一気の改革が難しい盲学校の教師たちは、土日や春夏冬の休みを利用し、学校側には補習と称して盲導犬協会で生徒と共に合宿した。
実際、英語・数学の特別授業も行ったが、白杖・電子機器による歩行訓練、レスリングそれに自炊生活を通じた歩行や買い物など実際的な生活訓練が狙いであった。

それから20数年が経ち、協会は北海道における視覚障害リハビリテーションの基盤を築き、鈴木重男先生は函館・旭川の盲学校校長となって変革を進められた。
さらに10年程が経った今、重男先生は恐らくどこかで盲教育に関わっておられることだろう。

冬のこの季節になるとあの頃の若き血潮が思い出され、「よし、また頑張ろう」という気になってくる。
 

千歳のMさん 2005年01月17日(月)

  「よく続いてますねぇ。『北の国から』」
千歳のMさんがゴールデン2頭を伴って訪ねてくれた。
「もうすぐ終了ですよ」
私は答えたが、3日坊主の私がここまでやってきたのだから、せめて第1回を始めた4月の満月までは頑張ろうかと思っている。

「今日は書くことがないよ」私が泣き言を言うとKは
「そうだ、そうだ、やめちゃえ!やめちゃえ!」と軽くいなす。
ホームページを立ち上げて自分の主張を展開しろと囃し立てたのは彼女だったはずなのに。

そんな話をしていたら、Mさんの愛犬に対するコントロールに目が止まった。
1頭のゴールデンはMさんと12年もの間、お互いの生活を共有して一心同体であるから、心の糸で結ばれている。
目に止まったのはもう1頭の盲導犬の繁殖にも用いられているオスのムータンに対してのそれである。

イギリスゴールデンの典型的容姿を楽しませてくれるムータンは現役のオスであるから、ジョンブルと言えども向かいに居合わせた美女ゴールデン3頭に心奪われていた。

Mさんは女性らしくもともと地声が小さいうえに上品な話し方をされるのだが、動揺を隠せないムータンに「誰も乗っけてくれそうもないよ。ダウン(フセ)してなさい」と言葉をかけた。
ここまでは普通の対応である。
「さすがだね」と思わせたのはそこからで、自分が出した指示に責任を持っておられるということだった。
つまり、口先だけでどうでもいいような命令は与えないが、出した命令にはきちんと従うところまで確認を怠らない『執拗さ』を身に付けておられるということだ。
それが実に静かでスマートなのである。

6年も暮らしているムータンもすべて了解済みで、傍にいる者には推し量れない意思疎通が二人の間ですばやく行われているのを感じるだけだった。
今日また、人と犬のいい関係を見せていただいた。
 

愛犬同伴ということ 2005年01月16日(日)

  ペットと泊まれるホテルやペンションについて、実際犬と暮らしている方は利用にあたってどのようなイメージを持たれているのだろう?
今日カフェでそんな話題になった。

ペットOKと書いてあるのだから『なんでもアリ』と考えてる方はいないにしても、結果的にそのようなことを『旅の恥はかき捨て』とばかりに行っている方が多いのが実情のようだ。すなわち…

1.他犬や人に対して吠え掛かるような犬であるのにも関わらず放任している。
2.いい加減な手入れしかしておらず、且つ抜け毛や汚れを意に介していない。
3.自分の犬が人や他犬に対して友好的であるからというだけで、相手の犬への影響も考えず自慢たらしく放任している。
4.自宅とは違い、他犬がいるような場所では興奮して排尿間隔が短くなることや放尿意欲が湧くことに配慮していない。
5.人の食事中に犬がテーブルに手をかけるのを普通と感じていたり、欲しがれば与え、周囲の犬がそれに影響を受けていることすら鈍感にも感じなかったり、さらに悪いことには他人の犬にさえ食べ物を与えようとする輩がいる。

『ペット同伴OK』とは、『世の中にはマナーやしつけをわきまえた愛犬家と愛犬がいるもので、その方々までの社会生活を犬がいるという理由だけで制限はしませんよ。』という意味であり、少々拡大解釈すれば『それでも犬と暮らしているとちょっとした失敗やトラブルはあるでしょうし、犬好きの仲間たちと談義するのも最高に楽しいですよね。ただし、マナーとしつけの発展途上であるからたまに失敗があった時は、ごめんなさいね。これからうちの子はもっといい子にしていきますから』と現状を把握し向上心と周囲への配慮を怠らない人間性があるならOKです。
さらに拡大解釈するなら『ごめんなさい。ごめんなさい。犬を飼うのが初めてで、ただイメージばかりが素敵に思えて…どんな風にすればいいのか勉強のために来ました』というのも全然OKなのである。

つまりは素敵に犬と暮らしたいと願っている方の社会に対する人間性の問題なのだろうと思う。

「ペットと泊まれる雑誌に御社を掲載したいのですが」
「冗談じゃない!以前雑誌に載せたためにとんでもない犬ばかりやってきて大変な思いをしたんだ!うちはもうペットはお断りだね!」
こんなことが現実におこっているのだという。

『まさお』クンなるものが『マスコミ』という天下御免の印籠を持って旅館の畳の上を駆け回り、人の食事をパクつく映像が大手を振って放映されている時代である。
誤解する『自称愛犬家』が増えても仕方がないと悔しい思いでいる。
ドッグカフェナガサキに来られる皆さん!
小さなことから社会を変えていきましょう。
カフェの犬たちはあんなにおりこうで、私たちはこんなに幸せなのですから…
良心的な仲間はもっともっといるはずです。
連帯するぞ!オーッ!
今夜の酒は悪酔いぎみのようだ。
 

ふとしたことから 2005年01月15日(土)

  快晴の天気が昨日から続いている。
気温は低いが陽光は心地よく最高のカフェ日和だった。
夜半に入りお泊り日本犬ミックスのヒメとガーデンに出てみると、夜空には星が輝き放射冷却で世界は凍っていた。
「ハァー!」アルコールを多量に含んだ息を吐き出すと、まるでゴジラのように白い炎に変わった。
ヒメは初め天空の白い現象にたじろいだが、次の瞬間私に飛びかかり「もう一度やってくれ」と要求した。
そして再び私が放射した息に向かいヒメは天に飛び上がった。

思えば私の犬の原点は日本犬の雑種である。
『ムク』。この名前を何年ぶりに口にしたことだろう。
『おてんば盲導犬モア』という今泉耕介著の本があるが、彼がこの本の取材のため私のところへ訪ねてきて以来ではないかと思う。
『ムク』。すべては小学生の時出会ったこの犬との関わりから私の人生は決まっていたのだと今になって思う。

「犬を題材にした本を書きたいと思っています。」
「盲導犬についてですね?」
「ええ、でも盲導犬に限らず犬に関わるすべての人間模様です。」
今泉さんはそう言って、私に様々な犬との関わりを話すように仕向け、ポータブルのレコーダーを来る日も来る日も回していた。

何度かお話をするうちに、彼は私が駆け出し訓練士の頃に関わったモアと子供時代にめぐり合ったムクのことに焦点を当て始めたようだ。
思い出すままに語りつづけた事柄が、先程紹介した『おてんば…』の本になった。
カフェにも置いてあるが、年に一度くらいしか読み返すことはない私にとって切ない思い出である。

この欄でムクの話をするつもりはないし、仮に始めたとしたら長い連載物になってしまうだろうから相応しいとも思わない。
ただ、こんなことを書いたのは今夜お泊りのヒメが私に見せた仕草と夜空が遠い昔を思い出させたからだけのことである。
 

油断 2005年01月14日(金)

  ちょっとした油断から大きな失敗をしてしまった。
おととい一泊の予定でお泊りだったPちゃんに対してだ。

その日のお泊りはPちゃんだけだった。
カフェには何度もおいでいただいているが、お泊りは初めてのこと。
家族と別れたあと他の多くのワンちゃんたちがそうであるように、Pちゃんもガーデンのフェンス越しに家族を捜し求めて、不安と寂しさを示していた。

「普段は食欲があるのですが、こんな時は食べないかもしれません。でも一泊だけだから気にしないで下さい。」
飼主はそう言われながらも、いつもよりご馳走だというPちゃんの食事を託されていった。
しかしと言うか案の定と言うか、Pちゃんは夕食には一切見向きもせず敷物の上で寂しそうに静かに寝そべっていた。

定休日の前夜ということもあり私は夜更かしをして3時頃床についた。
いつもなら初めてのお泊り犬の初日は、寝室でリードに繋ぐかケージに入れるのだが、他にわんこもいないし落ち込んでおとなしくしていたPちゃんを見て、私はベッドの下にそのままPちゃんと敷物を移動し蒲団に潜り込んだ。
居間との間の引き戸が5センチほど開いていて、給湯コントローラーのデジタル表示がやけに眩しく感じたのが気になったが私はすぐに眠りに落ちた。

ベッドの上をモソモソと動く気配で一度目が覚めたものの、「やっぱり寂しくてベッドに上ってきたな」とまた眠った。

定休日を木曜にしたのは間違いだったといつも後悔する。
ごみ収集日で、しかも木曜は一番に収集車が回ってくるのでKは7時に起きてごみを集め始めた。
その気配で起きた私も居間でごみをまとめようとしたが、何か雑然としている。
私の座布団の上を見ると小さな茶色い塊。
「しまった!ウンチ?!」
だが、ウンチならまだ良かったことにすぐ気付かされた。

ちゃぶ台の上にはたくさんの足跡。
そこに積み重ねた書類の下に置いてあったサイパンのお土産だったマカダミアナッツの入ったチョコレートがすっかり無くなっていた。
確か6〜8個残っていたはずだった。
満腹になって座布団に食べ残したのか、それとも食べてる最中にKの気配を感じたPちゃんが慌てて私のベッドに駈け戻ったのかは分からないが、とにかく食べてしまっていたのだ。

チョコレート、特にブラックチョコレートは犬にとって毒物であると聞いていたので、どうしたものかと考えた。
ボールや靴下等なら過酸化水素水を飲ませて吐かせることもできるが、チョコレートとなると妙な反応をされても困る。
ラブやゴールデンクラスなら量的にも心配なかったかもしれないけれど、小型犬ではそうも言ってられない。
結局、開院前のS先生のところへ連れて行き吐かせていただいたが、その量たるや「病院に連れてきて良かった」と思わせるに充分なものだった。

お昼前に飼主の方が引き取りに来られ、事情を説明して病院で頂いたお薬を渡した。
飼主と子供さんたちはニコニコしておられたが、私は謝り「何か様子が変わったところがあればカフェにも電話を下さい」と申し添えた。

小型犬を甘く見、『犬の振り』に騙された私の油断だったと反省していた時、
「えぇ!なんで犬がそんなことするの?信じられない!」とKは相変わらずであったのが嬉しかった。
 

シフォンに見た暮らしやすさの要素 2005年01月12日(水)

  シフォンを無事お返しすることができた。
「少し肉付きがよくなったかな」と飼主のH夫妻の第一印象。
苦手だった他犬や人にも友好的に反応する姿に目を細めておられた。

確かに暮らしやすく一緒にいて楽しい犬になったが、そう感じさせる要素について今夜は少し考えてみようと思う。

1.先ずはトイレの問題
「時々失敗があるんですよね」と事前に言われていたので、シフォンの一日の排泄リズムを観察した。小型犬は排尿間隔が大型犬に比して短いのでこまめに出してみたが、シフォンは結構長く溜め込んでいた。
それよりも、「シーシー」とか「ウンチ」という排泄を指示する言葉を教えられていないのが問題だった。
犬に排泄習慣をつけさせるためには、排泄行為は無防備な状態であり犬は神経質になりがちであることを理解し、適切な環境でお経のように無の境地に入るような静かで無感動の「シッコシッコシーシーシーシ」などの言葉がけを行い、もしできたときにはみんなで拍手をして、『褒めるよりも喜ぶ』態度を示せば2〜3日で言葉を覚えるものである。シフォンはすぐにそれができた。

2.「おいで」を覚えてくれた
初日は「シフォン!」と呼んだり「おいで!」というと、人を小ばかにしたように無視したり逃げる態度を見せた。
「これは捨て置けぬ」と感じた私は、人から見れば荒療治に見えるが犬にしてみればとても分かりやすい方法で、『おいで』を教えた。
一日に数回しか必要としない命令だったが、これでグンと暮らしが楽になった。

3.叱られ上手だった
シフォンにとって初めての環境だから、数回のトイレの失敗もあれば眼鏡のツルをかじろうとするようなこともあった。
しかし、シフォンは叱られるのがとても上手だった。
抱き寄せられて強く叱られる時は、「あたしゃもうダメだ」とばかりに全身の力を抜き、だらんとうなだれていて反抗の意思など欠片もなく悲しそうに叱られているのである。あとは『何故叱られているか』理解しているかを観察すればよいだけだった。
このような態度を示せる犬は血統的なものか、溺愛ではない愛情をもって育てられた場合に多い。

4.犬との接し方が実に見事だった
シフォンは犬が苦手だったが、相手の犬が臭いを嗅ぎに来ても走って逃げず、嫌な顔をせず、興味をそそらせたり苛立たせる態度を全く見せなかった。たまに荒っぽい犬がシフォンを転がしてしまっても、叱られる時と同じようにだらんと全身の力を抜いて、相手の興味を失わせていた。
しばらくして犬に慣れてくると、自分から近づいて行くようになったが、その時の近づき方・視線の向け方・相手の反応に合わせた緩急をつけた振る舞いなど、その見事さに驚かされた。
カフェでそのような振る舞いができる犬は他にもいるし、訓練された犬も同様にできるが、シフォンは生得的に身に付けているようで、あれなら何処へでも連れて行くことができる。

その他にも過度に神経質ではないしハイパーでもなく怖がり屋さんでもない。『マテ』の命令にも冷静に反応することを覚えてくれたが、恐らくこれらの総合に加え犬としての愛らしさと振る舞いを身に付けていたのが暮らしやすさの要素だったように思う。
 

ちょっと無理ある温故知新 2005年01月11日(火)

  昨夜は数年ぶりにマージャンを打ってきた。
カフェの閉店後、人使いも荒くJクンのYさんに車で送ってもらった。

場末の居酒屋の定休日にマスターと昔の飲み仲間が集まってワイワイ騒ぐお祭りのような大会である。
トン汁とおにぎりを頬張り、悪態をつき相手を惑わしながら手を固める昔ながらのマージャンで結果的に親交が深まるようになっている。
参加者の人数分だけ景品が用意されていて、1等から3等辺りまでは結構良い品が揃っていたが、優勝者が1等ではないところが面白い。
優勝者は景品につけられた番号のクジを最初に引く権利を与えられるだけで、何等が当たるかは運次第である。
結局、『残り物に福あり』の私は3等の景品を手にすることができた。

日付も変わった頃、帰宅した私は酔いの世界を行きつ戻りつしながらも目撃した。
お泊り犬のシフォンがKとベッドでまったりしていたのだ!
「食事はドライフードだけをそのままあげてます。寝るときはハウスに入れて一人で寝かせています」
そのように飼主の方から言われて預かったのだが、5日も家にいると家族の一員になり、「おいで」の訓練をしてから言葉が通じるいい子になったものだからつい待遇が良くなってしまったようだ。

明日、お別れすることになるがシフォンのためには問題ある接し方を私たちはやってしまったようだ。
「あまり食べないんですよね」という飼主の言葉と、痩せ過ぎとも思えたシフォンのウェストを見て、私たちはフードに缶詰と煮干の副食それに牛乳を入れて毎日完食させていた。
そしてついにはベッドでKとスヤスヤと眠る状況まで与えてしまったのだから。

言い訳になるが、すべての犬をこのように扱うわけではない。期間が長かったせいもあるが、シフォンが預かった数日後には心を開き人の心に飛び込んでくれたのと、言葉を理解してくれる犬になったから家族の待遇を当たり前に私たちは行っただけなのだ。
「シフォンのことをよろしくお願いします」
明日、お迎えに来られる飼主の方にKはそう言うかもしれない。
 


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