From the North Country

スー死す 2004年12月23日(木)

  今夕、我が家の愛すべきかけがえのない愛犬スーが亡くなった。

多くの方には伏せていたが急性の悪性リンパ腫で、告知された余命期間は既に過ぎていた。

最後のお客様を、ガーデンに出てスーはお見送りをした。
「スー!頑張るんだよぉ!」
Yさんは車の中で手を振って励ましてくれていた。

すべての営業を終え私たち三人はカフェに戻った。
スーはお気に入りのテーブルの下で横になり、私は椅子をテーブルに上げ、Kは洗い物を始めようとしていた矢先の一瞬の出来事だった。
「ウッ!」という一声でスーは意識を失い、私はKに叫んだ。
「抱いてやれ!さすってやれ!」
「スー!」と大声で呼びかけるKはスーの体を抱きしめ、遠く深い意識の中で不安を感じているかもしれないスーに最後の安心と安らぎを与えようとしていた。

「今ならもう一度蘇生できるけど」とKを気遣う私。
「もういい、やめて」と余命期間のうちにある程度スーの死を受容していたK。
ほんの数十秒の内にKに抱かれてスーは息を引き取った。

この数週間、私たちはスーに対して思い残すことない最高の看護を続けていた。しかし、死というものはまだ先の話であるとこれまで多くの盲導犬やその老犬の死を見取ってきた私の経験から推測されていた。

食欲が落ちる。
何をどの順番でどのように与えれば食べることを維持できるかを私は経験上知っているから打つべき手はまだあった。
段階を追っての衰弱は仕方ないにしても、『痛み苦しみは絶対にさせない』と心に誓っていたから、S先生の協力を得て事態に対処する薬も準備していた。

しかし、スーは見事にその上をいってくれた。
「一人で逝っちゃダメだよ。」
Kはスーに日頃から話し掛けていた。
そしてスーはカフェでの仕事をちゃんと果たし、看護の苦労なのか喜びなのかわからないけど、それすらも私たちに与えることもなく、痛み苦しみを感じることもなく、準備した薬を何一つ使う機会を与えることもなく、Kに抱かれ私の前で逝ってしまった。

スーにはちょっとした誤算があったが、彼女は最後の言葉をこう残してくれた。
「今日は木曜だから定休日だと思ってましたよ。最後の一日を父さん母さんと過ごせるはずだったけど祝日で営業だったんですね。でもちゃんと閉店するまで私は頑張り、約束どおりお二人の前でお別れできたでしょ」

4回の出産で25頭の子供を産み、盲導犬・繁殖犬としてスーの血はこれからも受け継がれることになるだろうが、彼女は共に暮らした私たちに、とても爽やかで忘れることのない驚くべき知性とこの上ない優しい感性それにたくさんの思い出を残してくれた。

ありがとうスー
やすらかに。
 

心揺れる 2004年12月22日(水)

  思えば12月20日に雨が降った。
そろそろ冬だ!さあ冬だ!とせっかく気構えを整えていたのに水を差され、ふと計算してみると最低5ヶ月はあるはずの冬があと3ヶ月ばかりになっている。

ガーデンの雪山は僅か3〜40cmの高さしかなく、今年の夏の猛暑はやはり地球温暖化であり、その影響が今なお続いていて、また来夏もあの暑さがやってくるのではないかと不安になってしまう。
僅かでもいいから今日の最高気温マイナス4度をどこかに溜め込んでおきたいと、パジャマ姿でぬくぬくとパソコンに向かう私は思った。

「35年目の同窓会を開くぞ!」と中学の仲間から電話があった。幹事の打ち合わせを兼ねた飲み会の最中に私の都合を聞いてきたのだ。
「そこに誰が集まってる?」と尋ねると、懐かしい連中の名前が連なる。顔を思い出すのが不可能な奴もいるが、名前とどんな奴だったかははっきり覚えている。
「もしもし、ワタシ」と当時は男子生徒の憧れだった女性が電話口に出て「会いたいから来て」と、思い出とは程遠い野太い声で迫ってくる。
電話だったが久しぶりに『あの頃』に戻れたようで楽しかった。

「史(ふみ)ネ?帰って来んと?」
奈良・兵庫と関西に40年以上も住みながら、未だ生まれ故郷の福岡の言葉が抜けきらない母が電話の向こうで話す。
「膝やら腰やら痛いとやろが。いっぺん帰ってこんね。」
つい2ヶ月前までは私が電話をしても
「あんた、誰ね?史?史って誰やったかいね?」とボケ症状が出ていた母が、ショートステイのサービスを受けたり、私を含めた兄弟姉妹からの電話を頻繁に受けることもあって、物忘れはあってもボケるのはこのところ踏み留まってくれている。
先日送った北海道の海産物を、姉と一緒に「おいしいよ」と言って食べてくれているのが嬉しかった。

やはり一度奈良に帰ろうかと心が動いている。
母とゆっくり話し、同窓会にも出かけてみようかと揺れている。
カフェに新たな犬が来た時、私がいなくても迷惑をかけずそれなりに対応できるか?トリミングで問題はないか?Kが辛い目に遇わないかを心配しているのだが…
 

MダックスのYちゃん 2004年12月20日(月)

  昨日からのYちゃん。
開店前の静かなカフェでは、折から外を吹き荒れる風の音に不安を示し、目を見開きハーハーと舌を出していた。
開店後は吹雪にもかかわらず訪ねてくださった方々で賑わっていると、所定の場所で安心したようにグーグー寝ている。
声をかけられたり触られたりしてもそこそこ愛想はよく、膝に登ろうとする。
夕方、風の音がゴーゴーする外を散歩しても怖がることはないが、「そっちへは行きたくない。こっちに行く。」と我の強い部分を示す。
夜になって、私がテレビを見ている間は安心してまた寝ているのだが、この欄を書くためにテレビを消し、シーンとした状況になると外の物音に聞き耳を立て不安な表情をし始める。
食欲は昨日から引き続きないが水はよく飲む。
排泄を含めた健康状態は特に問題ない。

私の考え方。
1.姿の見えない音に対して飼主が病的と思えるような不安を示すのは間違いない。それは主訴にあるとおり風の音であるし、雷や花火に対してでもそうなのかもしれない。それ以外にも静かな状況下で聞こえる音に対しては、マイナスイメージを持っている。音に対して吠えたり唸ったりして自分の不安を発散することはなく、すべて心の内に閉じ込めて、怯え震えている。

2.風の音・その他不安を示す個別の音に慣らそうという考えは毛頭ない。感受性の中庸化つまりYちゃんの場合は鈍化を図ることに主眼を置いている。
感受性には3つの項目がある。
一つはヒヤリング(聞こえるものへ)の感受性、2つ目はボディ(触られることへ)の感受性、三つ目は心の感受性である。
Yちゃんの重点項目はヒヤリングと心の感受性である。

3.膝に登りたければ抱き上げてくれる。散歩のコースは自分が主張できるし、臭い取りが終わるまで好きにさせてくれるような状況を排除する。

具体的なプログラム
1.カフェで数日暮らすことで、様々な刺激を見て、聞いて、体感させるが、決して恐怖体験はさせず守るべきところは事前に守る。

2.自宅ではわざとらしくでもよいから様々な生活音(大きな咳払い・酒のグラスをテーブルに叩くように置く・手拍子をとって鼻歌など)を意図的に強調して出し、その都度明るく楽しく振る舞う。とりわけYちゃんが外の音に聞き耳を立てた時は、「Yちゃん!ギャオー!」と手荒にはしゃぎ、遊びを演出する。だが、それに乗じて膝に登ろうとした時はさりげなく払いのける。

3.散歩などではきちんとした主導権をもち、要求すべきことには平然と従わせる。

我が子を愛する方にとっては絶えられない所業かもしれないが、私ならまずこのような対応をする。
もちろん、医学的な問題を常に意識しているが薬物を用いる前に行動療法を念頭におき、次に併用、最後に医療を考えるだろう。

今夜は妙に長くなってしまったが、ふと私の後ろを振り返ると、ソファーに寝転んだKのお腹にYちゃんが首を垂れ下げて安心したように眠りこけている。
私のプログラムとはチト違った状況がそこにはあったが
「ジャマするな!ケッ!」というKの言葉に
「ま、いいっか!」と私が思えたのは何故だろう。
 

共感から始めよう 2004年12月19日(日)

  今夜からお泊りのMダックスYちゃんにはちょっとした事情がある。
ビル風の音や雷それに花火に病的に反応するというのが主訴だった。
しかし、今夜までのYちゃんを観察するとどうやらそれだけではないらしく、さらに不安要素が潜在しているように思える。

これまでも愛犬の精神的な部分に関わる相談を受けてきたが、その多くは過去の恐怖体験や社会経験の不足あるいは対応の仕方というか環境などが、その子の本来の性格と複雑に絡み合った結果引き起こされる諸問題である。
別の言い方をすれば、同じ環境下に置かれても殆どの犬はそれをうまく処理できて日常生活を送れるのに、ちょっとした回路の接続具合で受け止め方が変わってしまい、それが日常の行動にも現れてしまうということだ。

『心的外傷後ストレス症候群PTSD』というのだったろうか?
私は心理学者でも臨床心理士でもないが、特別な講習と実学によって長いこと視覚障害リハビリテーションにおける本人と家族に対するカウンセリングに携わってきた。
その分野での知識や情報は豊富に持っていたし、犬の問題行動についても数多く対処してきた。
そしてどちらの基本にもなるのが『共感』である。
先ずは話を聞きその状況を受け入れるということである。
「まさか!大袈裟な。そんなはずはないでしょ!大丈夫ですよ。」これらはすべて排除されなければ、信頼関係は構築されず問題解決の糸口すら見出せなくなるのだ。

「ウソだ!なぜ私の目が見えなくならなければならないのか!」
「目が見えなくなった私の気持ちがあなたに解ってたまるか!」
これらの切実な想いに対処するのに、あなたならなんと答えるだろうか?

ヤバイ!酔っているのに大きな問題を提示してしまった。
それに今夜の問題はYチャンのことであったはず。
こんなことを書いたのもYちゃんには何かこれまでのワンちゃんとは違う臭いを感じるからだ。
お泊りは3日の予定だがなぜか慎重さが求められる気がする。
とにかく、今夜はYちゃんの気持ちを聞くことに専念しよう。
 

突然の訪問者 2004年12月18日(土)

  夜も8時を過ぎた頃、呼び鈴が鳴った。
宅配便かと思ってインターホンの画像に返事をすると
「お休みのところ申し訳ありません。犬を預かっていただけると伺ったのですが…」と女性が話し掛けてきた。
「はい、今行きます」と返事をしたものの、Kは電話中だし私だって飲酒中だったので一瞬あたふたし
「酒臭くないか?」とKに息を吹きかけた。
「この時間なら飲んでてもおかしくないよ」Kは受話器を手で抑えて答えた。

「夜遅くにすみません。実は来客があったのですがこの子が食べ物に執着してうるさくてどうにもならないのです。2時間ばかり預かっていただけないでしょうか?」
フレキシブルリードの先には尻尾を小刻みに振るビーグルがいた。
「はあ、はい」と私は答え、連絡先とモモカという名前をメモして預かった。

ガーデンに放すとモモカは夢中で臭いを嗅ぎまわった。
10分ほどもそうしていただろうか?ふと我に返ると「ここは何処?あなたは誰?」とキョトンとして私を見つめた。
自宅に招き入れると再びそこここの臭いを嗅ぎまわり落ち着かない。
おやつを一つ与えると少し落ち着いたので「オスワリできる?」と声をかけてみた。
モモカはちょこんとオスワリをして見せた。
「凄いね!」と大袈裟に拍手をし「お迎えがくるまでずっとそうしてるんだぞ!」と声をかけた。
「そんなこと出来るんだったら、誰もこんな時間に預けに来ないでしょ」Kがシビアな答えを吐いた。

それからのモモカは予想に反して割とおりこうな訪問者だった。
安心して眠ることはなかったが平穏な私たちの生活を乱すこともなく、10時にお迎えがきた。
「近くにこんなお店があって本当に助かります」飼主の方はそう言って喜んで帰られた。
2時間の間に私の顔はすっかり赤くなっていたに違いないが、喜んでいただけたことをうれしく思った。
 

除雪機のトラブルとガロ社長 2004年12月17日(金)

  昨日20数センチ降った雪は定休日でもありそのままにしておいた。
今朝7時からいざ除雪開始とばかりにガロアラシ号が活躍を始めたのだが、8時半頃突如シャフトのピンが折れてダウンしてしまった。
ガーデンと駐車場の除雪がまだ済んでおらず、慌てて超大型ホームセンターへ部品の代用になるものを調達に行った。純正部品だと取り寄せに5日もかかるというからだ。

早速その部品を使って修理し、駐車場を除雪し始めてまもなく再び同じ個所がダウンしてしまった。
除雪機には安全装置の代わりとして、石などの硬いものを巻き込んだときにシャーボルトというボルトが折れることでそれ以上巻き込まなくなるよう設計されている。
ところが、今日折れたピンは最終段階で折れるピンであり、その前に折れるべきボルトはすべて健在であった。
まさか!と思いながら再びホームセンターへ車を走らせ、今度は予備を含めて5つの代用品をまとめ買いした。

いざ取り替えようと思ったら本来飛ばされているはずのピンの残骸が穴をふさぎ、どうにもこうにもならなくなっていたのだ。
それから1時間、私はついに自分での修理を諦め札幌に一つしかないH除雪機正規代理店に救いを求めた。
結果は残念!この大雪でサービスマンは出払っており、いつ伺えるかわからないということだった。

こうなると後は飲み仲間に頼る他はない。
H社製品も扱っているG社に電話を入れるとSがすぐ来てくれると言ってくれた。
最新のハイブリッド機種でもある型式を告げて、私は再び修理を始めた。すると、うまくツボにはまったらしく穴をふさいでいたピンの残骸がようやく抜けたのである。
忙しい中、会社を出発したばかりのSに「ピンが抜けた。自分で治せる。スマン!」と電話を入れ、私は分解した除雪機の組立てに入った。

すべてが完了した頃、Sがやってきた。
「どうした?」と聞く私に
「折れたピンはここですか?」とSが逆に尋ねた。
「うん」と私が答えると
「このピンは欠陥があってリコールがでてるんです。なんか気になって来ちゃいました。」

正規代理店に電話をした際、型式と破損個所の特定もしたのに担当者は何も言ってくれなかったのが悔しい。
Sはもう一箇所のリコール対象の部品も取り替えて帰っていった。
既に2時を過ぎていた。
苛立ちと感謝が交錯する中、閉店1時間前にすべての除雪が終了した。

ちょうど1年前、除雪機ガロアラシ号を届けてくれた飲み仲間のガロ社長が、3日後の12月10日に事故で死んだ。
先週、奥さんに電話をして「近いうちに線香あげに行くから」と言ったきり1週間が過ぎてしまっていた。
業を煮やした社長があの世から「バーヤロ!早よ来んかい!」と、ちょっかいをかけた今回のトラブルだったと私は思っている。
 

ちょっと放電 2004年12月15日(水)

  定休日前日の仕事を終えるとさすがにホッとするようになってきた。

盲導犬協会で働いていた25年はほとんど休みがなかったのに対し、カフェを始める前の19ヶ月は旅をしたり腕が鈍らぬ程度に家庭犬のトレーニングをしたりと気ままな生活を送っていた。そしてその間は、またいつかガムシャラに働く覚悟をもっていたのに、現実に一年働くとやはり多少の休みが恋しくなってしまうのだ。

19ヶ月の自由時間というと一般的に羨ましいという言葉と共に『充電期間』であると捉えられがちだが、実は『放電期間』であることを知らない人が多い。
事実、精神的にも経済的にも放電以外の何物でもなかった。
そのことはカフェを立ち上げる時特に感じた。
放電してしまったものだから誰かのバッテリーを借りないと最初にスターターを回すのに苦労する。
頭では解っているのに体の反応が鈍いのである。

気ままな車中生活からまっとうな社会生活に戻ったのだから、期日限定のことにもきちんと対応しなければならなかった。
2年前なら厳格に当たり前にできていたことが「まあ、いいじゃん」と思ってしまう自分をドキッとして見つめることもあった。

しかし、その19ヶ月を健康に体が動き心から楽しめる時期に持てたことを素直によかったなと思う。
人生の中でもう一度そんな放電時間をKと持てるようしばらくは充電のために働くことになるだろうが、今日は久しぶりの休みを前に安らぎを感じていたい。
 

心開く 2004年12月14日(火)

  お泊り犬もそれぞれ帰宅し夕べから静かな夜となった。

『教育とは教えられたことをすべて忘れたとしてもなお残るもの』
Mダックスのチョコちゃんは、犬嫌いで人も苦手な6ヶ月のわんこだ。
生後4ヶ月の時から来店していたが、すでに他犬に対して唸ることがあった。遺伝である。
飼主の方は、チョコが何とか少しでも馴染めるようになり、人から愛されるわんこになって欲しいと何度かカフェを訪ねてくださっている。
今回たまたまチョコを預けなければならない事情があって3泊していったが、チョコにとってはいい時期に貴重な体験をすることができたと思う。

同時にお泊りしたキャバリアのコロンは積極的に犬に関わることをあまり好まなかったが、だからと言って怒るというようなことはなく、さりげなく身を引くタイプのわんこだった。

初めチョコはそんなコロンすら怖がっていたが、カフェで同じ敷物に寝ざるを得ないように繋留し時間を共有させることで、2日目に入ると徐々に興味を示すようになった。
勇気を出して近づくチョコにコロンは引き気味に無視したのが幸いし、チョコの好奇心はさらにくすぐられた。
3日目にはガーデンでコロンを追い回すように駈けていたが、そこには慕う気持ちが見て取れた。コロンも適度に挑発し楽しみを分けていた。
今思えば、二人の心が徐々に開かれていく瞬間だったのだろう。

神経質で警戒感を遺伝的に持ち、心閉ざしていたチョコが、コロンという他犬に対して心開くようになった時、次に私が行ったことは、同じくお泊り犬のゴールデン2頭を室内でフリーにしたことだった。
チョコには不安が走り、再び心閉ざす危険性もあったが、慣れてしまえば多少不安はあってもコロンを慕う思いから、そのような状況下でも遊び始める可能性もあった。
そしてもし、遊べるようになったとしたらチョコはさらに成長したと考えてよいはずだ。
結果は一歩前進であったが、そこでお泊りは終了し帰宅していった。

言葉で伝えることのできない犬たちに対する私の教育とは、こうすればこうなるであろうと仮説を立て、そうなるための状況設定に配慮し、よい結果が出れば次にマイナスの刺激を与え、さらに配慮しながらプラスの結果が出るよう工夫し、これによって強化することの繰り返しであると思う。
果たしてチョコは、教えられたことをすべて忘れたとしても他犬に対し少しは心を開いてくれるだろうか。
 

楽観的 2004年12月13日(月)

  残り少なくなった焼酎を見て「まだこれだけある」と思うか「もうこれしかない」と思うかで楽観論者か悲観論者かを分ける方法があるらしい。
となると、私はどうやら悲観論者に分類されそうだ。
楽観的に捉えて結果が悪かった時に落胆するよりも、悲観的に捉えておけばダメでもともと、うまくいったときに大喜びできると考える傾向があると思う。

一方、楽観論者に言わせると、「結果が出るまでの時間を暗い気持ちで悲観的に捉えて何が面白いというのだ。『えい!ままよ!』とばかりにポジティブに考えたほうが明るい気持ちでいられるし、その後のことでよい結果が現れるかもしれないではないか。そもそも結果が悪かったとしても楽観論者は落胆などしないものだ。『よし!次行ってみよう』となるのだ」と勇ましい。

どうやら多少は楽観論者のほうに分があるように思えるのが悲観論者らしいところだ。

だが犬の訓練あるいは育て方となると話は別だ。
・食べてる時に近づくと唸るかもしれない
・ひとりにすると吠える、いたずらする、自傷するかもしれない
・散歩の時引っ張られるかもしれない
・人や犬を噛むかもしれないetc.
これらは悲観的ではあるが事前に容易に想像でき、しかもそこそこ確率の高い問題点となっている。

『不注意・無頓着に育てれば懸念すべき問題点が起こる』
これを悲観論と言うには無理もあるが、悪い結果を先に予想することは時に必要だと考えている。
ただ、その後の対応が大切なのだ。
「うちの犬が反抗した。もしかしたらこれからもっとひどい事が起きるかも知れない。無事暮らしていけるだろうか?」と悲観的に考える人には悲観的な結果が待っているであろう。
犬に接し、教育していく上で悲観的な部分を相手に悟らせてはうまくいくことはない。
楽観論者が口にする『ポジティブに』という要素は何より必要であると思う。

つまり私は、悲観的に物事を捉え、そうならないためにポジティブな対応をすれば結果的にうまくいくに違いないと思い込んでる楽天家かもしれない。
 

バロン、1年のときを経て 2004年12月11日(土)

  去年の9月、カフェの建築が始まり基礎ができて大工さんが柱を立てた頃からその様子を覗きに来ていたわんこがいる。
アイリッシュセターのバロン君は不遇なめぐり合わせの中、現在の飼主であるAさんに救われた犬であった。
ところがその恩も知らず建築現場に現れる姿はAさんを引きずりまわし、我が物顔で近隣を闊歩するいわゆる駄犬そのものであった。

しかし、いい気になって飼主を振り回していたバロンの駄犬生活はカフェのオープンと共に終わり、制御される中での新たな身の振り方の選択を余儀なくされた。
もともと気弱であるのに、飼主が軟弱であったために頑張ることを求められていると勘違いしていたバロンは戸惑ったに違いない。
去勢されていなかったこともあって、マーキングは彼の内から込み上げる責務のように感じてもいただろう。
7歳になっていたが去勢を行い、数度のレッスンを行った。

1年を経てそのバロン君が昨日今日と顔を見せてくれた。
その頃のバロンを知っている近所の方が、「えぇ!これが、あのバロン?」と驚きの言葉を発していた。
アイリッシュセターの優雅さと泰然とした落ち着きを見せバロンは気品を漂わせてカフェにハベッテいたのだ。

愚痴をこぼされ続けていたあの頃と、褒め言葉を理解しているに違いない今を、もし比較することができるのならバロンはなんと答えてくれるのだろう?
「どちらも僕だよ。君はどっちの僕と暮らしたかったの?」
きっと私たちにとって重い言葉を残すことだろう。
 


- Web Diary ver 1.26 -