From the North Country

バロン、1年のときを経て 2004年12月11日(土)

  去年の9月、カフェの建築が始まり基礎ができて大工さんが柱を立てた頃からその様子を覗きに来ていたわんこがいる。
アイリッシュセターのバロン君は不遇なめぐり合わせの中、現在の飼主であるAさんに救われた犬であった。
ところがその恩も知らず建築現場に現れる姿はAさんを引きずりまわし、我が物顔で近隣を闊歩するいわゆる駄犬そのものであった。

しかし、いい気になって飼主を振り回していたバロンの駄犬生活はカフェのオープンと共に終わり、制御される中での新たな身の振り方の選択を余儀なくされた。
もともと気弱であるのに、飼主が軟弱であったために頑張ることを求められていると勘違いしていたバロンは戸惑ったに違いない。
去勢されていなかったこともあって、マーキングは彼の内から込み上げる責務のように感じてもいただろう。
7歳になっていたが去勢を行い、数度のレッスンを行った。

1年を経てそのバロン君が昨日今日と顔を見せてくれた。
その頃のバロンを知っている近所の方が、「えぇ!これが、あのバロン?」と驚きの言葉を発していた。
アイリッシュセターの優雅さと泰然とした落ち着きを見せバロンは気品を漂わせてカフェにハベッテいたのだ。

愚痴をこぼされ続けていたあの頃と、褒め言葉を理解しているに違いない今を、もし比較することができるのならバロンはなんと答えてくれるのだろう?
「どちらも僕だよ。君はどっちの僕と暮らしたかったの?」
きっと私たちにとって重い言葉を残すことだろう。
 

変わる・変える 2004年12月10日(金)

  「そんな小さい犬種の子を抱っこしてる長崎さんって随分イメージ違いますよね」
これでも最近は少しサマになってきたと思っていたのだが、昔の私を知っている人から見れば滑稽に見えるのだろう。
ラブ・ゴールデンクラスの犬しか扱ったことがなかった私でも、1年やれば学習するから取り扱いや教え方もマシになっているはずである。
慣れてくると自然な姿にも見えるはずなのに、小型犬はやはり少々不似合いなのだろうか?

確かに考えてみればジーンズにワークシャツという姿格好は昔のままだから、久しぶりに会った方は犬だけが違っていることに違和感を感じるのはしょうがないことだ。
だが、間違いなく私は変わったと思っている。
犬がカフェでフセの状態でいなくても気にならなくなっているし、小型犬の学習回路が自己防衛を抜きにしては成り立ちづらいことも経験し、対応の仕方に変化が生じてもいるからだ。

今夜のお泊り犬はゴールデン2頭とキャバリアそれにMダックス。
ゴールデンには他犬に対し大人の対応を求めたかったから、朝から夜までのカフェであるいは散歩の時に少々コントロールをきつくした。
数日前からお泊りのキャバリアはすでに我が家でのマナーを心得ている。
生後4ヶ月の時既に警戒心を持って吠えていたダックスには、「仰々しく自己防衛ばかり考えず、現実を見、良心的に物事を受け止めよ」とばかりに体が緊張し現実逃避を図ろうとした時に我に返し続けている。

そして初対面の4頭は居間にそれぞれの場所を見つけ、お互い干渉することなく眠っている。
タバコの煙に私が咳払いをしたり、ゴールデンが寝返りを打ってもダックスは飛び上がって驚くことも少なくなったような気がする。
 

織り込み済み 2004年12月08日(水)

  昨日から1週間お泊りのキャバリアKCスパニエルのコロンちゃん。お預りする時に「食卓の物を何度叱っても平然と盗みます。」と言われていたし、いたずらもひどいと聞かされていた。

昨日紹介したように、夕べはリードで繋ぎ私のすぐ傍で暮らしていた。
私がいなくなるとすぐに吠え立て、ドアを掻き毟った。
私にしては織り込み済みであるから驚くことなくすぐに対処できる。
犬を預かる時に織り込み済みなことは
1.吠える
2.飛びつく
3.唸る
4.噛もうとする
5.引っ掻く
6.駆け回る
7.落ち着かない
8.咥える
9.いたずらする
10.人の食べ物に当然のように興味を示す
11.排尿便のしつけができてない
12.臭いを嗅ぎまわる
13.叱ると反抗的になる
14.物欲が強い
15.つきまとう
16.敷物を齧る
17.夜寝るときに騒ぐetc.
ザッと思いついただけでもこれだけはあるから、要は滅多なことでは驚かず・見過ごさず対処する準備ができているということだ。

そして大切なことは『これら一つ一つにそれぞれ対処しなければならないわけではない』ということである。
これらの内一つか二つの対処がきちんとできていれば、その他の問題は起こらないか、起こりそうになっても「これ!コロン!」と言えば済む問題なのである。

吠えてドアを掻いたコロンは、夕べ私に叱られた。
今夜は全くフリーの状態の彼女は、夕食の献立がちゃぶ台に並べられると、案の定鼻先をちゃぶ台に向けた。
そんなことは織り込み済みで、ちゃぶ台の傍に張り付いていた私は無言でコロンをぶっ飛ばした。驚くコロンに私はさりげなく「どうした?」と声をかけ、彼女の緊張をほぐすように愛撫を与えた。
するとコロンはまたちゃぶ台に鼻を寄せる。
すかさずぶっ飛ばし「どうした?」と声をかける。
その後彼女は学習し、ちゃぶ台に鼻を寄せることはなくなった。

以後、今日から残りの5日間、小さなことで注意を与えることはあるだろうが、大筋で私はコロンと快適な生活を送る準備ができたと思っている。
夕べはケージで寝かせたが、そのうち飼主のところと同じように私のベッドで寝かせても良いときが来るだろう。

私は犬との関係を次のように考えているのかもしれない。
与えるべきものは与える。しかし守ってもらわねばならないことは絶対に守らせるし、そうでない場合の結果を必要ならば犬に示すことに私は何ら躊躇することはない。
そしてそんなことは短期間の間に提示し決着し、残りの長〜い時間をお互いの楽しい時間に割り当てたいと思っている。
さらにその後の生活の中で必要に応じ念を押すことを忘れず、いずれは愛犬の人格を同等かそれ以上に受け入れ、終いには愛犬の理不尽さを受け止め、精一杯のわがままを聞き入れる飼主でありたいと思っているのだろう。

数百頭の犬と暮らしてきた中での四捨五入的な考えであり、中にはこの考えが全く通用しない犬や、最初から人間的に付き合える犬もいることも私には織り込み済みであるのだが。
 

お泊り犬・我が家のルール 2004年12月07日(火)

  初めてのお泊り犬を預かるときは、最初の夜、自宅の居間で繋留ししばらくの間その動向を観察することが多い。
いたずらをしたり、室内を駆け回って我が物顔で食卓の物に手をかけることがないよう事前防御しているのだ。

繋がれた事に不満を示し、吠えたり鼻を鳴らしたりあるいは壁やドアを掻き毟ろうとする犬はこの時制御され、我が家のルールその1が教え込まれる。
すなわち、私たちと同じ部屋で暮らし、食事や給水それに散歩もトイレも済ませているのだから、私たちの平穏な生活を乱すようなことをしてはならない、というルールだ。
殆どの犬は新しい環境で戸惑っているため、のっけから自己主張をすることはなく大人しく受け入れてくれる。

私がトイレや別室に行ったりすることで、それとなく一人でいる時間を犬に与え、不安を持つ前にまた犬たちの傍に戻りパソコンにでも向かっていれば次第に落ち着き、この環境が満更ではないことを自覚するようになる。
もし僅かなこの時間に騒ぐようであれば、『注意を与え』次に『警告し』最後に『手厳しく叱る』だろう。
中途半端な話し掛けだけで、騒ぐ犬を放置することは決してない。「うちの犬はいくら叱っても止めない」という話を聞くが、そんなことは本当に滅多にあることではないのだ。

犬種や年齢・性格・室内での動きを見てトイレに出すから、我慢させることもないし失敗も極めて少ない。

さらに次のルールがあるが、それはまた明日。(たぶん)

愛犬と室内生活をしている方で
1.ごみ箱をいたずらしたり、物を咥えて離さない
2.室内を駆け回りうるさくてしょうがない
3.ストーカーのように付きまとい、一人で待つことができない
など、困って相談される方が多いが、大きなことを見落としているのではないかと思う。
これらの方は最初から犬を室内でフリーにしている場合が多いということだ。
愛犬の性格や性癖をよく知り、きちんとしたルールは初めに教えておくことが必要で、そのうえで愛犬と戯れ、コミュニケートし共に生活できるようになればよい。

貴方の愛犬は繋留しても受け入れてくれますか?
貴方は繋留した愛犬が以後騒がないように制御できますか?
そのうえでフリーにすると後々が楽ですよ。
 

幸せな時間 2004年12月06日(月)

  うつらうつらしていたら、地震で目が覚めた。
最近、2階の自宅で寝るよりも、カフェで寝るのが好きになった我が家の愛犬スーが「地震だ地震だ!」と、珍しく元気な声で知らせてくれた。
先日、明け方3時過ぎの地震の時は、飲んだくれて気付かなかった私を知ってのことだろうとうれしくなる。
カフェに下りると「気付いてくれましたか」とニコニコしながら尾を振って、テーブル下のスー蒲団から出てきてくれた。

ガーデンの灯りをつけ外に出ると、そこはため息が出るほど美しい世界だ。
白いフェンスに囲まれたガーデンは、昼間犬たちが踏み固めた真っ白い雪で覆われ、同じく雪衣装をまとったニセアカシアと白樺の木が光と影の幻想的な陰影を醸しだしていた。
ブルブルっと身震いしながらカフェに戻ったが、こんな夜は薄明かりのカフェでカクテルパーティーでもしたら最高だなと思った。

思えば幸せな時間を過ごさせて頂いている。
若い頃のように飲み歩いて外へ出ることの興味は無くなった。代わりにまったりとした時間を過ごすことが喜びになり、昼間は元気な犬たちから老化防止の適度な刺激を頂いている。
昔から「年の割には落ち着いた性格だね」と言われてきたが、仕事のことで私を知っている人は「熱い性格なんだ」とも言う。
実際はその両方なのだろうが、とにかく息抜きのための外出は無くなり、生活そのものが楽しく感じられるようになってきた。

さて、明日はボケ防止に向け、久しぶりに熱く室内犬のトレーニングについて書くことにするか。
 

さあ!北海道。 2004年12月05日(日)

  2004年12月05日(日)

夜明け前から降りだした雪は一度も止むことなく夜中になっても降り続いている。
おかげでガーデンを駈ける犬たちは汚れることなく嬉々として遊び、疲れると雪の上に這いつくばって体温を下げていたが、せっかくの日曜日の客足は遠のいた。

除雪で忙しいし、道路はそろばんの上を走るようにガタガタになるためハンドルどおりに車は動いてくれず、そこここに事故車が転がっていたらしいから、今日はカフェどころではなかったのだろう。
そんな中、悪戦苦闘しながらわざわざ足を運んでくださった皆さんに感謝です。

二日間お泊りだったMダックスのプー助とライムの飼主であるAさん夫妻は、ご主人のお父さんの葬儀のあとお迎えに来られた。
「無理しないで下さい」という私に
「なんだか寂しくて。これから迎えに行きます」と雪の降る中、普段なら高速を使って30〜40分の道のりに、1時間半をかけて来られたのだ。
帰宅時間は夜の11時をまわっていただろう。
気疲れや睡眠不足、何より心の痛みもあり、ゆっくりと休むべき時を愛犬と共に過ごすことを選ばれたAさんとわんこ達にほのぼのしたものを感じた。

さあ、明日は早起きして除雪作業だ!ここは北海道!
 

人を見て犬は育つ 2004年12月04日(土)

  せっかくの土曜日なのにガーデンは予報どおりの暖気でぬかるんでしまった。
結局、今年の冬は遅くなり暖冬になった。
こんな年は来春に大雪が降り、年間降雪量の帳尻を合わせる事になるのが常だ。

泥んこを覚悟で遊びに来られた方、カフェを楽しむために来られた方、トリミング目的など今日は飼主の方の明確な意思が見られた日だった。

大型犬が目立つ中でお泊り犬のMダックスのプー助とライムは、水溜りを気にしながらそれぞれの好奇心をガーデンで満たしていたのに対し、トイプードルのジャンプとハッピーは思考を持たないゼンマイ仕掛けのブリキ玩具のように目にも止まらぬスピードでガーデンを駆け回っていた。

ジャンプとハッピーは我を忘れた行動を減らし、自分勝手ではなく周囲をおもんばかる分別ある経験をさせることがお泊り理由の一つであった。
どちらも去勢を済ませたオスであるが、ハッピーにはまだ無分別なオスとしての行動が見られ、ジャンプは感受性豊かなのに分をわきまえぬ行動が目立っていた。

2泊目の今夜、ちゃぶ台の食卓を囲む中で、夕べの無礼な振る舞いの決着をつけようと思っていたのだが、Mダックスのプー助とライムそれにトイプードルのジャンプとハッピーは、開戦前から食卓の食べ物には目もくれず戦いを放棄し、ソファーやクッションなどそれぞれのお気に入りの場所で深い眠りについていた。

気まぐれでなく一時でもいいから真剣に犬たちと立ち向かい、それを犬と暮らす喜びの一つと考えれば犬たちははっきり答えを出してくれるものだ。
 

龍君の死 2004年12月03日(金)

  昨日2日の早朝、愛媛でおきた火事で6歳になる龍君が焼死したというニュースを読み、胸が痛くなった。

一度は家族で外に逃げることができたのに「犬がまだ残っている」と、龍君はまた戻って行ったという。
彼の部屋には可愛がっていた犬が3匹ケージに取り残されていたのだ。

逃げ出した家族は火傷を負っていたというから、煙だけでなく火の手もかなり上がっていたと思われる。
6歳の龍君にとってためらいも恐怖もあっただろうが、それは瞬間に過ぎず、彼は短い言葉を残し、体は突き動かされるように駈け戻ったに違いない。そうでなければ、誰かが彼を止めることができていたであろうから。
ひょっとしたら騒然とした現場の中で、龍君の耳には犬たちの声が聞こえていたのかもしれぬ。

今となっては『その時』に戻ることもできず、彼の気持ちも想像するしかない。
龍君にとって愛犬を無くすことは受け入れられなかったのだろうが、肉親にとっても龍君の死は今も受け入れられないはずだ。
そして伝え聞く者にどこかやるせなさを感じさせて悲しい。
 

ツボとコツ 2004年12月01日(水)

  2年目のスタートは鍼灸治療院での膝と腰の治療から始まった。
超過敏、痛がりでくすぐったがり屋の私は、数度の鍼治療でSさんに鍼を断念させ按摩マッサージ治療の道を選ばせた。
もう20年くらいになるのだろうか、Sさんに身体を診てもらうようになって。

しかし、ここ数ヶ月は真剣に本格的に診てもらっており、中心となるのは按摩マッサージである。
「痛い!痛たたっ!殺せ!ダメっ!マイッタ!」
どんなに痛くても膝の中に鍼を打たれてグリグリされる痛みよりはマシであり、私は日々の生活ができるように毎週この治療を受けている。

「やめろ!痛っ!ハハハハくすぐったい!」
1時間の治療を終えて玄関の鏡に映る顔は、出産直後の母親のような苦痛の跡が残っていて、そのまま外を歩いたとしたら誰かが「救急車を呼びましょうか?」と声をかけるような状況だろう。

温泉旅館などの慰安マッサージもよいけれど、治療のためのそれはツボを得た痛みと戦って得られる快方感がじわじわと得られて感謝している。
それにしても1時間も治療するSさんの力は何処から生まれどんなコツがあるのだろう。
Kの腰や背中を5分も揉むと指先は疲れ、気力は萎えてしまうというのに…

平日に初めて来店された『愛犬とのアウトドアの達人』Yさんが「犬を叱ってる時も冷静な自分を持ってるんですよね?」と尋ねられた。
「勿論です。叱られることを受け入れているかを観察しなければならないから」と私は答えたが、自分には当たり前のように思ってできる事柄にプロとしての経験があるのだなと感じ、Sさんの治療の技もそこにあると密かに考えていた。
ただ、いつもその辺りのコツを探ろうとはしているのだが「痛ててて!人でなし!やめろ!ウゥー!」と、それどころではないのである。
 

一周年を辛口で 2004年11月30日(火)

  昨年12月1日にカフェをオープンしてから、今日で丸1年を無事終えることができた。
カフェを支えてくださったすべての方々に心からの感謝を捧げたい。

このカフェは私と私を信じてくれたKにとって大きな冒険であった。
私が盲導犬協会の指導部長をしていた頃、ドッグカフェやドッグランには極めて批判的な立場をとっていた。

人間社会での飼育者としてのマナーも知らず、犬の制御もきちんとできない人たちが、『犬が喜ぶから』『運動になるから』『愛犬談義ができるから』とせっかくの日頃のしつけを台無しにするような空間に連れて行って、歪んだ愛犬家になる恐れを感じていたからだ。

例えば、人が飲食する場所で犬たちにご馳走を振る舞ってどんなマナーを教えようというのだろう?
よだれを垂らして得意の演技をしながらおねだりする姿や要求で吠えることで、犬は本当に社会に受け入れられるだろうか?
盲導犬がカフェで大人しいのは、訓練されたからではなく、人が飲食している時には自分に何も与えられないことを経験的に知っているからであり、自分の食事となれば大騒ぎすることだってあるのだ。

次に、呼び戻しができない犬をランで放してしまえば緊急事態に対処できず、恐怖体験や怪我だけでなく命を奪ったり落としたりする話を聞くこともあるし、「おいで!」と言って来ないことを繰り返す、すなわち命令を無視する訓練を続けることにもなるだろう。
ドッグランやカフェの利用価値はあるのだがその活用法やマナーが利用者にも管理者にも理解されていないことに問題がある。

これらはすべて人間社会で暮らす愛犬を前提にしてる。つまり、犬属のための犬の習性を楽しむような飼主は対象ではないのだ。言い換えればどんなに性格が弱くても、犬属のルールを知らない犬にでも、その犬を愛する飼主がいるということで、その犬たちも人間社会でのしつけと飼主のマナーができていれば安全に楽しむ権利があると言うことだ。

野性的な犬・犬種や、繁殖・ショーを目的に去勢していないがため、犬としての本性を持ち合わせているオス犬や、それを受け入れている飼主は一般愛犬家社会とは一線を画すべきである。
極論ではあるがこのような犬や飼主は普通のカフェやランに配慮無しに行くことを放棄するべきなのだ。
以前にもこの欄で書いたことがある。
家族の一員として犬と暮らすのか、犬の世界を楽しむために暮らすのか?先ずはっきりすべきだろう。

誤解が無いように補足するが、私は犬の習性を持った社会は好きであるしテレビ『野生の王国」は大好きであり、逆に『愛玩犬』というような範疇でマナーやしつけを無視した犬と飼主は大嫌いである。

こんなあからさまな批判と目標を掲げたカフェが1周年を迎えられたことを改めて感謝いたします。
今後も犬の『生体販売』などという身の毛もよだつような制度を批判し、『家族の一員』を求める方々を応援していきたいと思っている。
 


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