From the North Country

よいお年を 2004年12月31日(金)

  大晦日の夜は犬たちに囲まれた中で迎えている。

今年の元旦はカフェを開け、こんな日にドッグカフェに来店される方がいるものなのかKとふたりで店を守った。
さすがに午前中の来客はなくKと二人でカフェでダンス?を楽しんだ。
私はリズム感が全くないのですべてKの手ほどきだったのだが、ダンスはそのうちストレッチへと変わり、相当しごかれた思い出が今年の始まりであった。

それから忘れられない出来事がたくさんあったが、年が明けようとした今は「この1年本当にありがとうございました。」と締めくくるしかない。
何しろテレビではカウントダウンが始まっているではないか!
よいお年を!
 

今年の営業終了日に 2004年12月29日(水)

  カフェは無事この一年の営業を終えることができた。
ご利用いただいたすべての方とワンちゃんたちに「ありがとう」です。

天には月が輝き、凍てつく鋭い寒さがすっぽりと大地を覆っている。柔らかな雪の冬模様ではなく、まるで十勝のような内陸型の寒さだ。

32年前、幼なじみで親友のFが「俺は北海道に行く。できれば向こうで酪農をやりたい」と言って帯広の大学へ進んだ。
法隆寺の隣町に住んでいた私は、殆どこの小さな町から出ることはなく、町内にはめっぽう詳しかったが北海道などは南極/北極の範疇でしかなかったので相当に驚いた。

その年の冬、私は帯広の彼の下宿を訪ね仲間と5万円で買ったというオンボロ車に乗って愛国駅と幸福駅を案内してもらった。
その頃から私には北指向が芽生えたのだが、数年後Fは「俺はアメリカに行く。そこで大規模農業を学びたい」と渡米してしまった。

私が札幌に住むようになり、彼が帰国してからの1年間が二人で北海道を共有した時間だった。
厚田村の農場を牧柵で囲う仕事をした後、Fは一旦奈良へ戻り両親の説得を試みながら家業を手伝っていた。
しかし、Fの父親の死と共に彼の夢が叶うことはなく兄弟でお寺と保育園を継ぐことになったのだが、Fのおかげで世界を広げられた私はこうして今もなお北海道での生活を続けている。

帯広の銭湯に入った後、下宿に帰るまでの僅かな時間にタオルと髪の毛はバリバリに凍っていたよなぁ。
今夜、シバレたガーデンに出てなぜか『あの頃』を思い出した。
 

シャンプーの思い出 2004年12月28日(火)

  世間では仕事納めでいよいよ今年も押し迫ってきた。
カフェは明日29日まで営業し、新年は3日からの営業となります。

ここ数日、トリマーのノンちゃんは大忙しだ。
朝は7時半頃にやってきて、8時〜19時頃まで昼食も摂れないほどトリミングとシャンプーに追われる日もあった。
頭数は(営業上)たいしたことはないのだが、丁寧な仕事をするものだから時間がかかる。
時々、暴れる犬などがいると私が呼ばれ保定するのだが、その時にノンちゃんの仕事振りを見ることができ、トリミングの流れや方法を学びつつ、ふと昔を思い出すことがある…

盲導犬を訓練していた頃、年末になると担当犬をお風呂に入れるのだが、私にはそれが結構苦痛だった。
5〜6頭のラブ・F1をシャンプーすると腰は痛くなるは面倒臭いは眠くなるはで、毎日犬たちのブラッシングを担当してくれたパートの人を言いくるめて洗ってもらうこともあり、他のスタッフから白い目で見られた。

そこで思いついたのがパピーウォーカー(PW)のことだった。
PWは協会に犬を返した後、その犬には以後会えないというのが原則である。
しかし、年末といえば訓練を始めてから既に3ヶ月が経っており、そこそこ出来上がってもいる。
一方、PWは我が子に会える何かよい機会はないかと策略を練り、団体での犬舎見学に紛れ込んだりして密かにビデオを遠くから回し、我が子を撮影することもあった。

私は悪知恵と怠け心それに屁理屈を混ぜ合わせて、『訓練犬の進度を評価するため、PWにシャンプーをしてもらう』ことにした。
PWは大喜びし、私は腰の痛みを味わうことなく両者めでたしめでたしだったのだが、下心を見透かしたスタッフからはやはり冷たい目で見られてしまった。

盲導犬協会のスタッフにもドジはいる。
暖かな日に犬を洗いバスタオルで綺麗に拭いた後で、手入れ台と呼ばれる手作りの木製の台の上に犬を乗せ、リードを台の脚に繋留して乾かせていたのだが、何かの拍子に犬が台から降りてしまった。
その時、リードで繋がれた手入れ台が動いたことに驚いた犬は、協会の敷地を逃げるように駈けはじめた。
逃げても逃げても凄い音を立てて追いかけてくる手入れ台に、犬はパニックになってさらに走り回り、数台の車が傷つけられた。

そんな私の大嫌いなシャンプーをノンちゃんは日がなやってくれている。感謝感謝。
ノンちゃんは荼毘に付す前のスーの手入れもきちんとしてくれた。ありがとう感謝です。

感謝といえば、スーの母さんジャスミンからも綺麗な花が今日届きました。
主治医のS先生も休憩時間を使ってカフェに花束を届けて下さいました。
どちらも「とても残念だけど、いい終わり方だったのがせめてもの慰め」と天使になったスーに語りかけてくださっていた。
 

ちょっと無理した受容 2004年12月25日(土)

  今夜は決してサボって短くなったわけではありません。

夜になってKと二人になるといろんな思いが心めぐり、忘れそうになっていたスーとの出来事を語り合っては、思い出を深めてしまうのです。

ポッカリと空いた隙間がより明確になって切なくなるのですが、私たちの心は確実に受容に向かっています。

「こんな時にかけられる言葉には空しさや、時に反発すら覚えることもあるのに、本当に慰められ安らぐんだよね。みんな犬と暮らしているからなのかなぁ」
私が一番心配していたKの心は皆様に救われています。
本当にありがとうございました。

明日の日曜日をもってカフェそしてこの欄でのスーの追悼はひとまず区切りをつけれれば思っています。
 

天使の夜に 2004年12月24日(金)

  「クリスマスイブにはたくさんの天使が地上に舞い降りるんだよ」と優しい言葉を頂いた。

7〜8年前、日本盲導犬協会に出向いた際BBH(Brood Bitch Holder/繁殖犬飼育者)であるIさんのジャスミンを見て私はとても気に入った。
フックというこれまた気心の優しい北海道の繁殖犬とかけ7頭の仔犬たちが産まれた。
それから2ヵ月後、3頭の仔犬が北海道盲導犬協会に届けられ、パピーウォーカーへの委託式が行われた。

そのうちの1頭がスーであり、私の手からKの腕に引き渡された(らしい…Kの証言)
1年後、スーは盲導犬の繁殖犬となり昨年まで25頭の子供を産み、8頭が盲導犬、3頭が繁殖犬(候補を含む)、5頭が現在大阪と京都で訓練を受けている。

そのスーの死から一夜経た今日、たくさんの方々からお悔やみのメール・供花を頂き、カフェにも弔問に訪れていただきました。
ここに心からの御礼を申し上げますと共に個別のご返事を欠礼させていただくことをお許しいただきたいと存じます。
スーは午後1時、盲導犬協会繁殖担当S氏の立会いのもと、荼毘に付しましたことをご報告させていただきます。

獣医でもあるS氏は、スーを見て「えっ!全然痩せてないじゃないですか。綺麗じゃないですか。」と驚き、イギリス盲導犬協会から届く凍結精子を使って、次回スーの子供を取る計画であったことを話してくれた。
繁殖計画の話はさておき、スーを最後までやつれないようにするためにKと私は努力し、Tさんは様々な形で援助してくれた。

病犬や老犬を介護する時の鉄則の第1に挙げられるのは、絶対的に清潔に綺麗に保つことである。
私の心が落ち着いてきた頃に、いつか必ず迎えるであろう愛犬の死と飼主である皆様のために、看護・介護・死の準備にいたる私の知識を紹介したいと思っているが、それがいつになるかは私にも解らないでいる。
過去の経験においてもポッカリ空いた穴はそう簡単に埋められることはないのを幾度も経験してきているから…

今夜は天使が舞い降りてくる夜だ。
昨日からの雪で一面が真っ白なこの上なく美しい夜だ。
天使となって高い空から母さんをしっかり見守るんだよ。スー。

皆様、本当にありがとうございました。
 

スー死す 2004年12月23日(木)

  今夕、我が家の愛すべきかけがえのない愛犬スーが亡くなった。

多くの方には伏せていたが急性の悪性リンパ腫で、告知された余命期間は既に過ぎていた。

最後のお客様を、ガーデンに出てスーはお見送りをした。
「スー!頑張るんだよぉ!」
Yさんは車の中で手を振って励ましてくれていた。

すべての営業を終え私たち三人はカフェに戻った。
スーはお気に入りのテーブルの下で横になり、私は椅子をテーブルに上げ、Kは洗い物を始めようとしていた矢先の一瞬の出来事だった。
「ウッ!」という一声でスーは意識を失い、私はKに叫んだ。
「抱いてやれ!さすってやれ!」
「スー!」と大声で呼びかけるKはスーの体を抱きしめ、遠く深い意識の中で不安を感じているかもしれないスーに最後の安心と安らぎを与えようとしていた。

「今ならもう一度蘇生できるけど」とKを気遣う私。
「もういい、やめて」と余命期間のうちにある程度スーの死を受容していたK。
ほんの数十秒の内にKに抱かれてスーは息を引き取った。

この数週間、私たちはスーに対して思い残すことない最高の看護を続けていた。しかし、死というものはまだ先の話であるとこれまで多くの盲導犬やその老犬の死を見取ってきた私の経験から推測されていた。

食欲が落ちる。
何をどの順番でどのように与えれば食べることを維持できるかを私は経験上知っているから打つべき手はまだあった。
段階を追っての衰弱は仕方ないにしても、『痛み苦しみは絶対にさせない』と心に誓っていたから、S先生の協力を得て事態に対処する薬も準備していた。

しかし、スーは見事にその上をいってくれた。
「一人で逝っちゃダメだよ。」
Kはスーに日頃から話し掛けていた。
そしてスーはカフェでの仕事をちゃんと果たし、看護の苦労なのか喜びなのかわからないけど、それすらも私たちに与えることもなく、痛み苦しみを感じることもなく、準備した薬を何一つ使う機会を与えることもなく、Kに抱かれ私の前で逝ってしまった。

スーにはちょっとした誤算があったが、彼女は最後の言葉をこう残してくれた。
「今日は木曜だから定休日だと思ってましたよ。最後の一日を父さん母さんと過ごせるはずだったけど祝日で営業だったんですね。でもちゃんと閉店するまで私は頑張り、約束どおりお二人の前でお別れできたでしょ」

4回の出産で25頭の子供を産み、盲導犬・繁殖犬としてスーの血はこれからも受け継がれることになるだろうが、彼女は共に暮らした私たちに、とても爽やかで忘れることのない驚くべき知性とこの上ない優しい感性それにたくさんの思い出を残してくれた。

ありがとうスー
やすらかに。
 

心揺れる 2004年12月22日(水)

  思えば12月20日に雨が降った。
そろそろ冬だ!さあ冬だ!とせっかく気構えを整えていたのに水を差され、ふと計算してみると最低5ヶ月はあるはずの冬があと3ヶ月ばかりになっている。

ガーデンの雪山は僅か3〜40cmの高さしかなく、今年の夏の猛暑はやはり地球温暖化であり、その影響が今なお続いていて、また来夏もあの暑さがやってくるのではないかと不安になってしまう。
僅かでもいいから今日の最高気温マイナス4度をどこかに溜め込んでおきたいと、パジャマ姿でぬくぬくとパソコンに向かう私は思った。

「35年目の同窓会を開くぞ!」と中学の仲間から電話があった。幹事の打ち合わせを兼ねた飲み会の最中に私の都合を聞いてきたのだ。
「そこに誰が集まってる?」と尋ねると、懐かしい連中の名前が連なる。顔を思い出すのが不可能な奴もいるが、名前とどんな奴だったかははっきり覚えている。
「もしもし、ワタシ」と当時は男子生徒の憧れだった女性が電話口に出て「会いたいから来て」と、思い出とは程遠い野太い声で迫ってくる。
電話だったが久しぶりに『あの頃』に戻れたようで楽しかった。

「史(ふみ)ネ?帰って来んと?」
奈良・兵庫と関西に40年以上も住みながら、未だ生まれ故郷の福岡の言葉が抜けきらない母が電話の向こうで話す。
「膝やら腰やら痛いとやろが。いっぺん帰ってこんね。」
つい2ヶ月前までは私が電話をしても
「あんた、誰ね?史?史って誰やったかいね?」とボケ症状が出ていた母が、ショートステイのサービスを受けたり、私を含めた兄弟姉妹からの電話を頻繁に受けることもあって、物忘れはあってもボケるのはこのところ踏み留まってくれている。
先日送った北海道の海産物を、姉と一緒に「おいしいよ」と言って食べてくれているのが嬉しかった。

やはり一度奈良に帰ろうかと心が動いている。
母とゆっくり話し、同窓会にも出かけてみようかと揺れている。
カフェに新たな犬が来た時、私がいなくても迷惑をかけずそれなりに対応できるか?トリミングで問題はないか?Kが辛い目に遇わないかを心配しているのだが…
 

MダックスのYちゃん 2004年12月20日(月)

  昨日からのYちゃん。
開店前の静かなカフェでは、折から外を吹き荒れる風の音に不安を示し、目を見開きハーハーと舌を出していた。
開店後は吹雪にもかかわらず訪ねてくださった方々で賑わっていると、所定の場所で安心したようにグーグー寝ている。
声をかけられたり触られたりしてもそこそこ愛想はよく、膝に登ろうとする。
夕方、風の音がゴーゴーする外を散歩しても怖がることはないが、「そっちへは行きたくない。こっちに行く。」と我の強い部分を示す。
夜になって、私がテレビを見ている間は安心してまた寝ているのだが、この欄を書くためにテレビを消し、シーンとした状況になると外の物音に聞き耳を立て不安な表情をし始める。
食欲は昨日から引き続きないが水はよく飲む。
排泄を含めた健康状態は特に問題ない。

私の考え方。
1.姿の見えない音に対して飼主が病的と思えるような不安を示すのは間違いない。それは主訴にあるとおり風の音であるし、雷や花火に対してでもそうなのかもしれない。それ以外にも静かな状況下で聞こえる音に対しては、マイナスイメージを持っている。音に対して吠えたり唸ったりして自分の不安を発散することはなく、すべて心の内に閉じ込めて、怯え震えている。

2.風の音・その他不安を示す個別の音に慣らそうという考えは毛頭ない。感受性の中庸化つまりYちゃんの場合は鈍化を図ることに主眼を置いている。
感受性には3つの項目がある。
一つはヒヤリング(聞こえるものへ)の感受性、2つ目はボディ(触られることへ)の感受性、三つ目は心の感受性である。
Yちゃんの重点項目はヒヤリングと心の感受性である。

3.膝に登りたければ抱き上げてくれる。散歩のコースは自分が主張できるし、臭い取りが終わるまで好きにさせてくれるような状況を排除する。

具体的なプログラム
1.カフェで数日暮らすことで、様々な刺激を見て、聞いて、体感させるが、決して恐怖体験はさせず守るべきところは事前に守る。

2.自宅ではわざとらしくでもよいから様々な生活音(大きな咳払い・酒のグラスをテーブルに叩くように置く・手拍子をとって鼻歌など)を意図的に強調して出し、その都度明るく楽しく振る舞う。とりわけYちゃんが外の音に聞き耳を立てた時は、「Yちゃん!ギャオー!」と手荒にはしゃぎ、遊びを演出する。だが、それに乗じて膝に登ろうとした時はさりげなく払いのける。

3.散歩などではきちんとした主導権をもち、要求すべきことには平然と従わせる。

我が子を愛する方にとっては絶えられない所業かもしれないが、私ならまずこのような対応をする。
もちろん、医学的な問題を常に意識しているが薬物を用いる前に行動療法を念頭におき、次に併用、最後に医療を考えるだろう。

今夜は妙に長くなってしまったが、ふと私の後ろを振り返ると、ソファーに寝転んだKのお腹にYちゃんが首を垂れ下げて安心したように眠りこけている。
私のプログラムとはチト違った状況がそこにはあったが
「ジャマするな!ケッ!」というKの言葉に
「ま、いいっか!」と私が思えたのは何故だろう。
 

共感から始めよう 2004年12月19日(日)

  今夜からお泊りのMダックスYちゃんにはちょっとした事情がある。
ビル風の音や雷それに花火に病的に反応するというのが主訴だった。
しかし、今夜までのYちゃんを観察するとどうやらそれだけではないらしく、さらに不安要素が潜在しているように思える。

これまでも愛犬の精神的な部分に関わる相談を受けてきたが、その多くは過去の恐怖体験や社会経験の不足あるいは対応の仕方というか環境などが、その子の本来の性格と複雑に絡み合った結果引き起こされる諸問題である。
別の言い方をすれば、同じ環境下に置かれても殆どの犬はそれをうまく処理できて日常生活を送れるのに、ちょっとした回路の接続具合で受け止め方が変わってしまい、それが日常の行動にも現れてしまうということだ。

『心的外傷後ストレス症候群PTSD』というのだったろうか?
私は心理学者でも臨床心理士でもないが、特別な講習と実学によって長いこと視覚障害リハビリテーションにおける本人と家族に対するカウンセリングに携わってきた。
その分野での知識や情報は豊富に持っていたし、犬の問題行動についても数多く対処してきた。
そしてどちらの基本にもなるのが『共感』である。
先ずは話を聞きその状況を受け入れるということである。
「まさか!大袈裟な。そんなはずはないでしょ!大丈夫ですよ。」これらはすべて排除されなければ、信頼関係は構築されず問題解決の糸口すら見出せなくなるのだ。

「ウソだ!なぜ私の目が見えなくならなければならないのか!」
「目が見えなくなった私の気持ちがあなたに解ってたまるか!」
これらの切実な想いに対処するのに、あなたならなんと答えるだろうか?

ヤバイ!酔っているのに大きな問題を提示してしまった。
それに今夜の問題はYチャンのことであったはず。
こんなことを書いたのもYちゃんには何かこれまでのワンちゃんとは違う臭いを感じるからだ。
お泊りは3日の予定だがなぜか慎重さが求められる気がする。
とにかく、今夜はYちゃんの気持ちを聞くことに専念しよう。
 

突然の訪問者 2004年12月18日(土)

  夜も8時を過ぎた頃、呼び鈴が鳴った。
宅配便かと思ってインターホンの画像に返事をすると
「お休みのところ申し訳ありません。犬を預かっていただけると伺ったのですが…」と女性が話し掛けてきた。
「はい、今行きます」と返事をしたものの、Kは電話中だし私だって飲酒中だったので一瞬あたふたし
「酒臭くないか?」とKに息を吹きかけた。
「この時間なら飲んでてもおかしくないよ」Kは受話器を手で抑えて答えた。

「夜遅くにすみません。実は来客があったのですがこの子が食べ物に執着してうるさくてどうにもならないのです。2時間ばかり預かっていただけないでしょうか?」
フレキシブルリードの先には尻尾を小刻みに振るビーグルがいた。
「はあ、はい」と私は答え、連絡先とモモカという名前をメモして預かった。

ガーデンに放すとモモカは夢中で臭いを嗅ぎまわった。
10分ほどもそうしていただろうか?ふと我に返ると「ここは何処?あなたは誰?」とキョトンとして私を見つめた。
自宅に招き入れると再びそこここの臭いを嗅ぎまわり落ち着かない。
おやつを一つ与えると少し落ち着いたので「オスワリできる?」と声をかけてみた。
モモカはちょこんとオスワリをして見せた。
「凄いね!」と大袈裟に拍手をし「お迎えがくるまでずっとそうしてるんだぞ!」と声をかけた。
「そんなこと出来るんだったら、誰もこんな時間に預けに来ないでしょ」Kがシビアな答えを吐いた。

それからのモモカは予想に反して割とおりこうな訪問者だった。
安心して眠ることはなかったが平穏な私たちの生活を乱すこともなく、10時にお迎えがきた。
「近くにこんなお店があって本当に助かります」飼主の方はそう言って喜んで帰られた。
2時間の間に私の顔はすっかり赤くなっていたに違いないが、喜んでいただけたことをうれしく思った。
 


- Web Diary ver 1.26 -