From the North Country

なんちゃない 2004年11月22日(月)

  11月も22日になって小春日和の暖かな一日があるとは思いもよらなかった。
休日に挟まれた今日は、朝からヒマでのんびりと店番をすることができた。
若い頃はじっとしていることができず、何かをするしないに関わらず家を飛び出していたものだが、ここ数年は家にいて何もしないことも至極のひと時になっている。

「年老いたなぁ」と思い「この生活も悪くないな」と思うようになった。
若いとは羨ましいもので、「こんな天気の良い日に働くのはもったいない」とばかりに仮病だか急用だかを仕立て上げて、ちゃっかり愛犬と一日を過ごし4連休にしたしたたかな女性もいた。

生と死において神は平等であり不条理である。
生を考えるなら安楽を求めて富と名誉を追求するし、死を感じるなら後悔無き生を追及するだろう。
そして死は突然にあるいは意図してあるいは病や老いと共にやってくる。
そんなことを考えることもない犬たちはといえば、その時その時を平然と生き、精一杯でもなくたじろぐでもなく、ただ『対応』し受け入れているように見える。
日々の糧が保障されているからのようにも思えるが、仮にそうでなくても犬たちはそうするのではないだろうか。

「なんちゃない」
生があるならば、したたかにたじろがず生きるのも悪くはないと思い、人は意識しないとそれができないのだなと犬たちを見て感じた。
 

コロちゃんの相談その2 2004年11月21日(日)

  来月で生後6ヶ月になる奈良県在住柴犬コロちゃんの相談から。

『今こちらは とっても暖かく気候がよいので、日中はコロを外で放して、私が帰宅してから夕方の散歩のあと家の中に入れてます。
ところが・・・
だんだん知恵がついてゲージの中へ入りたがらなくなりました。
おやつで釣って中に入れるんですが、頭だけ入って足は必死で踏ん張ってなかなか入らないのです。かわいそうに思って家の中で自由にさせていると・・・・
家じゅう走り回ってイタズラし放題・・・叱ったら私にだけ噛むのです。
他のものには噛まないのに・・・私がいつも甘やかすからでしょうか?
食事の時もワンワン鳴き続けるので 可哀想だけど仕方なく外へ出してます。
まだ子犬だから 仕方ないのですか?それともイヌにも人間の子のように反抗期があるのかしら??』

という相談内容だ。

アドバイスの前に、ケージをゲージと言うのはやめよう!ケージはcageでカゴやオリという意味で、ゲージはgaugeすなわち寸法や規格・尺度を表す言葉であるはず。
一般には他にもドッグをドックと言ったりベッドをベットと言って慣用化されているが、ケージはやはりケージ/ケイジであろうと思う。

さて、コロちゃん。
生後5ヶ月頃は犬たちに大きな変化が訪れる時期だ。自己を主張し始めたり、呼び鈴や来客に意図的に警戒を持って吠え始めてもおかしくない。これを反抗期と呼ぶのか自我の芽生えというのかは知らないけれど、飼主が試される時期であるのは間違いない。

一日お留守番をして家族が帰ってきたときはとてもうれしいものであり、家族にとっては「ごめんね。長い時間一人にして」との後ろめたさもあるだろう。
だから、先ずはトイレを済ませ散歩に出かけるのはよいことだ。
しかし、本当に犬が求めているのは家族とのふれあいでありコミュニケーションである。ところが現実は散歩に出た犬はリードを引っ張りあちこちの臭いをかぎ排尿便をする。飼主のほうも犬が生理的欲求を満たし肉体疲労を感じるように散歩に付き合いながら今夜の献立を考えている状況だろう。
だから、不足した精神的な接触を求めて帰宅後、犬は我侭を貫き、欲求を満たし、飼主の注目を集めようと振る舞うようになる。

この相談の根は深い。
散歩を楽しいコミュニケーションにし、生理的・肉体的欲求の他に精神的な充足感を与えることが必要だと思う。
次に、室内でもリードで居間等家族と共にいる場所に繋留する(される)習慣をつけることが、室内でフリーにする前の前提条件となる。
繋がれた犬は当然吠えたりリードの長さにある物をいたずらしようとするだろう。
「冗談じゃない!いい加減にしろ!何様のつもりだ!」と犬があっけに取られ反撃の意欲も失せるような態度を示せるかに、今後の犬との長い生活をお互いが楽しく暮らすことがかかっていると言えよう。
毎日留守番をさせて申し訳ない気持ちは分かるが、それとこれは別物だ。

犬の我侭に困るフリをして実は満更ではないものを感じている飼主は多いものだ。
私のアドバイスは犬に与えるべきものを与え、そのうえで本当に困って何とかしたいと考えている人に対して行っている。
日本語で犬と話し合うことは確かに可能である。
そのような犬とめぐり合えるか、そのような技術/能力を持った飼主であれば訳はないし、実際数多く知ってもいる。

しかし、日本語を理解しない犬に対しては最初は犬に分かる対応をしなければならない。
ケージに入れると吠える?
そんなのすぐに直せますよ。
叱ると噛んでくる?
もしも本気なら冗談じゃない!

犬を満たし、犬を愛し、犬の情動を感じ取りながらも一線は引く。そのうえで犬にのめり込んでいけたらいい。

具体的な方法をアドバイスできなくて申し訳ない。
人には簡単に伝えきれないこと・言葉で伝えればきっと過ちを生むから伝えられないことがあるのを理解して欲しい。ただ、今回の質問は飼主の寛容さ・忍耐で対応すべきものではないと思う。
 

無事お返しする 2004年11月19日(金)

  3日間の寝袋生活が終わった。
今朝は7時前まで眠ることができ、ようやくこの生活にも慣れた頃だったのに…
超大型犬3頭とポメラニアンの1家族4頭のお迎えが夕方あった。
すっかりカフェにも馴染み、多くの人を楽しませてくれた犬たちだったが、飼主が現れると大喜びで「お世話様。カフェにはもう未練はありません」とばかりにそそくさと車に乗り込んでいた。
この瞬間がうれしく安堵するひと時である。
無事お返しすることができて肩の荷が下りると私はゆっくり風呂に入りたくなる。

『無事お返しできる』といっても何事もなかったということではない。
先日『無事お返し』したダックスにはこんなこともあった。
夜の10時頃、Kの部屋にそのダックスは入っていった。
私は他のお泊りワンコのトイレを済ませてからその子をトイレに出す算段でいた。

赤く目を泣き腫らしたKがガーデンに降りてきて、そのいきさつを聞いた時私は愕然とした。
ダックスは部屋に入るなり、シーツもカバーも取り替えたばかりのKの布団に排尿をはじめたというのだ。
私が愕然としたのは「何故すぐに叱って、すべてのものを出す前に止めさせなかったのか」に対してであったが、Kは室内犬が布団の上で排尿すること自体に愕然としていたらしい。
「ウソでしょ?なんてことを!信じられない!どうして?と考えていたら悲しくなり、叱るよりも涙がでて止まらなくなった」というのだ。

女は複雑である。だから良い犬を育てることができるのかもしれない。
ともあれ、そのダックスは無事お返しできた。
 

大型犬はいいもんだ 2004年11月17日(水)

  大イビキをかいたのは私ではなく犬たちの方であった。
おまけに寝言・寝返りの連続攻撃で、アルコール漬けだった私も夜中の2時前にはしらふに戻され、彼らを起こしてトイレに連れ出した。
それでもまた6時前には起こされ、結局夕べはあまり寝ることができなかった。

ガーデンが雨と雪解けでコンディションが悪く、トイレに出すたびに体全体を拭かなければならないという大変さはあったが、ニューファン・Iウルフハウンド・ブリアードの超大型犬トリオはおっとりして見ていて楽しく暮らしやすい愛すべきワンコ達である。

ワンコ達の散歩に出かけるときも、Kがニューファンを片手にのんびり歩いている。その横で私がIウルフハウンドとブリアードを操りながらつかず離れずで歩けるのである。
「幸せな散歩だね」とKも満足な様子。

明日は定休日なのだが、このトリオのトリミングが予定されている。ノンちゃんと同じくスタッフでトリマーのSが休日出勤すると張り切っていた。
いい子たちであるが、シャンプーとなればまた別のハプニングが待っているに違いない。
二人がどう奮闘するのかこっそり覗いてみようと思っている。

今夜も事務所での添い寝になるが、明日が休みだからイビキで酔いを覚まされてもまた飲み直すことができるのがうれしい。
 

仕方がない。今夜は飲むか! 2004年11月16日(火)

  朝から薄く銀世界が広がっていた。
そして、ガーデンが雪化粧したことを私は内心喜び、ロードヒーティングをオンにしカフェへの通路を確保したうえで、私は待っていた。

駐車場へ続く斜路を上ってきた車から降りてきたのは、ニューファンドランド・アイリッシュウルフハウンド・ブリアードの超大型犬3頭と小型犬ポメラニアンであった。

今日からのお泊りワンコ達で、カフェの許容量を知る上で貴重な資料となる軍団である。
好き好んでの状況設定ではなく、止むに止まれぬ事情あってのことで、断るに断りきれないチャレンジである。

オープン間もないガーデンに彼らを解放した。
積もった雪が汚れから体を守り、身体を擦りつける快感を与えていた。
壮観であり、訪れた方々からは感嘆の声が漏れていた。

カフェから自宅へ通じる階段を上ることができないため、この軍団は事務所に敷いた布団と持参のバリケンで寝ることになっている。
そこで今夜から3日間、管理の都合で私も事務所に簡易ベッドを持ち込み付き合うことにした。
久しぶりのアウトドア気分に少しワクワクしている。

寄り添うことで、多少なりとも不安を感じている彼らの気持ちを和らげることができればと願い、いつもの家庭を演出するためにはどうすればよいかと頭を悩ませた。
「そうだ!」と予め考えていた答えに膝を打ち、「酒を食らって大イビキをかけば臨場感溢れる家庭が演出できる!」と私にとって最も好都合な屁理屈を導き出した。

チト早いが『彼らのために』大イビキをかくためには、グビリのピッチを上げなくてはならぬ。
望むところではないがペットボトルを抱えて事務所へ降りていくことにしよう。
 

我が家のお泊りワンコたち 2004年11月15日(月)

  今夜のこの欄を担当するのはK。
「シメシメ」と既にNは飲んだくれている。

カフェでは、預かりワンコのサービスもしている。
いわゆる、「ペットホテル」と言われるシステムだけれど基本的に我が家の愛犬スーと同じ待遇で過ごすことになる。
カフェ2階の住宅でお預かりするのでホテルのようにたくさんのワンコを預かることはできない。
カフェを始めておよそ1年が経ち、当初はごく限られたお得意様のワンコを預かるだけだったのが、今はお得意様も増えリピーターも多い。

毎月ご利用頂いているWさんのシーズーごん太は、昼間はカフェの看板犬を自ら買って出て、カフェ終了と見ると散歩散歩と大騒ぎして肩で風を切って歩き、居間で食事を終えるとNのベッドでさっさと寝支度に入り、あくまで自分のペースを崩さない。

カフェを立ち上げる前から訓練を頼まれ、お付き合いの長いHさんのレオンベルガー・ジェニーは夜Nが寝転ぶと覆いかぶさってありったけの愛情を注ぐ。傍で見ていると圧巻で迫力満点だ。

鈴をつけないと踏んでしまいそうに小さいヨークシャーテリアのチョコちゃんは、ためらうことなく私のベッドに飛び乗っては眠り、外で物音がすると勇ましく吠えたて無謀にも番犬の役を買って出てくれる。寝ぼけ眼の私は首根っこを摘まんでベッドに引き込む。

ご近所のMさんちのラブ・ももちゃんは結構なお年なのにとっても元気で若く見え、したがって油断も隙もないからゴミ箱と食べ物には気をつけることにしている。
可憐で見つめられると何でも許してしまいたくなるKさんのマルチーズ・レオンも、身体に似合わず食事時間3秒を切るというお泊りワンコナンバー1の早食い最速記録を持つ。
レオンも私のベッドで安らかに眠ってくれるが、大抵はまくらを取られ首が曲がった状態で私は朝を迎える。

AさんのMダックス、リズ嬢は私のストーカーだ。Nに言わせると『使える奴』をいち早く見つけてるだけとか。なるほどね・・・。
Kさんのボロニーズ、トキオ君はカフェ1番のもてもてワンコ。でも言い寄ってくるのはオスが多い。トキオ君は去勢済みワンコなのに・・・。可愛くて誰とでも遊べてフレンドリーだから?Kさんの作る特製手作りヘルシーフードのせい?

話が分かるワンコは楽しい。愚痴を黙って聞いてくれたり、たまにため息ついたり。
1週間ほどお預かりしたパピヨンのみみちゃんは、我が家の愛犬スーとはまた違った話の分かり方をする。小さな愛らしい外見と相まって何とも幸せな時間をくれた。
人はそれぞれ違う。犬もまた同じ。それぞれ違う子達が我が家で飼い主さんのいない寂しさを少しでも忘れてくれて、そして家に帰った時少しお利口さんになってくれたら嬉しい。
お利口さんの理由はモチロン専門家Nの家庭犬としての一貫した躾によるものだと私は思っている。
 

心地よい休日 2004年11月14日(日)

  サロマから送られてきたという牡蠣を、人妻Mがわんさと届けてくれた。
取れたての殻付き牡蠣はそのまま電子レンジで5分ほどチンすればとても簡単に美味しく頂くことができる。
今夜はその牡蠣だけでKと私はお腹一杯になり、とりわけ私は久々に調理をしながら酒をグビリとやる、まるでアウトドアでやるようなことを快適空間で過ごすことができた。

午前中の静けさがウソのように、午後になってからのカフェは賑わいを見せた。
あまりにも天気予報が外れ、秋晴れの暖かな一日だったものだから、みんなが示し合わせたかのようにガーデンに集い始めたのだろう。

『犬たちの相性はどうか?』を確かめるまでもなく、小さいのから大きいのまで陽気な仲間が、狭いガーデンの中でそれぞれにスペースを確保しながら、それは楽しく遊んでいたので、気が付くと私は昼食も取らずに夕方を迎えていた。
お泊り犬ゴンタはトリミングをした後、お迎えがあり嬉々として帰っていった。
Mシュナウザーのニーナも牡蠣を肴に焼酎を浴び終えた頃にお迎えがあった。
残ったMダックスのソラは、一日昼寝もせずに遊んでいたのと、気遣う相手がいなくなったのでソファの上で豪快に寝ている。

冬を意識しなければならない時期にオアシスのような心地よさを与えてくれた今日一日に感謝したい。
 

すばらしきセター・ヌプリ 2004年11月13日(土)

  今日はとても素敵な光景を目撃した。

遊び好きなハスキーが初対面のイングリッシュセターとその門下生のゴールデンとガーデンで一緒になった。
ハスキーはセターには目もくれず、日頃遊び慣れた犬種であるゴールデンに挨拶抜きで挑発を開始した。
ところがゴールデンのほうは遊ぶどころか、突然の状況に戸惑いしばらくは我慢していたが、あまりのしつこさについに怒り出してしまった。

数メートルほど牙をむきながらハスキーを追いまわしていたが、ハスキーにとっては「しめた!乗ってくれた!」と大喜びだったようである。

次の瞬間、ゴールデンとハスキーの間に割って入ったのがセターであった。
牙をむく門下生のゴールデンをクールダウンさせるかのようにたしなめ、ハスキーに対しては「家のもんが迷惑をかけたようで、スマンことです。何なら私があなたの相手を務めさせていただきましょう。」とはっきり申し出ていた。

任侠映画ならセターがハスキーを羽交い絞めにして「恐れ入りやした」と言わしめるのだろうが、このセターは違っていた。
自ら相手となりハスキーの遊び心を満足させつつ要所要所ではさらりとかわしながら、門下生のゴールデンに世渡りの処し方を身をもって教えているようであった。

それは、これまで飼主と様々な場所に出かけ様々な犬と出会った中から、「揉め事は嫌だよ」と飼主がセターに求め続けていた事柄を忠実に実行する中での集大成のようにも見えた。

そのうちゴールデンのほうも気持ちを切り替えることができたのだろう。
気を許すような仕草を見せながらセターを見習い始めていた。

「うーん」と感心しながら私はその光景を眺め、犬たちの心の奥深さを感じ喜びで胸が一杯になった。
 

吹き替えその1 2004年11月12日(金)

  犬と散歩する時に自分の真横を歩かせたがる人がいるが、私は賛成できない。
理由は一つ、コミュニケーションを取るために必要な相手の心が分かりづらいということだ。

訓練競技会なら脚側歩行が求められるのだろうが、日常、犬と付き合うときには彼らが何を見てどう反応し、今何を考えているかを知りながら歩くのはとても楽しいものである。そして、それらを知るためには犬は少なくとも自分の4〜50センチ先を歩いていなければならない。
やや後方上部から犬を見れば、彼らの視線とその先にあるものが分かるし、凝視の度合い・耳の動き・眉間のシワで何を感じ何を考えさらに次の行動を予測することができるだろう。

例えば前方から犬が歩いてきたとしよう。
1.チラリと目をやり、その後も時折見てはいるが、見ぬフリをしながら他に何か用事でもあるような態度を示す犬は、その場を何事もなく通り過ぎたいと願う愛すべき心優しい犬であろう。

2.チラリチラリと見ながらリードを曳くでもなく、かと言って他にやることがあるような素振りも見せず、しかも身体に緊張を僅かに漂わせている犬は曲者で、通りすがりにワーッと駆け寄ることがある。

3.数十メートルも手前から、視点をロックし耳を直立させ眉間にしわを寄せている犬は分かりやすい。じきにリードを強く曳くようになるし、怖いもの知らずか好奇心か、ただ図に乗っているのか分からないが、いずれにせよ我を忘れ吠え立てることもある。

4.同様に視線はロックされても、耳を後ろに引き、眉間にシワを作ったり伸ばしたりを頻繁に繰り返し、おまけに尾まで振っている犬は、憎めないお人好しである。やはり我を忘れてにじり寄って行こうとするだろう。

5.前方の犬を見つけ、相手の動きや視線からどのような意志をもっているのかを認知するまでの間、耳が軽く立ったり元に戻ったりして、必要なら次の行動に備えるという利口で大人の犬もいる。

盲導犬の訓練をしていた頃は、これら心の動きがアイマスクをしていてもハーネスから伝わってきた。恐らくその頃の経験が私の役に立っているのだろうが、とにかく、犬の視線と耳・眉間や尾・筋肉の動きで犬の気持ちを『吹き替え』ているうちに、必ず犬の心が読めるようになる。
何故なら、『吹き替え』結果の正否は直後に犬たちが教えてくれるであろうから。
 

飼い犬の噛み 2004年11月09日(火)

  まだ生後4ヶ月のMダックス・チョコちゃんのトリミングが入った。
トリマーのノンちゃんがテーブルの上でチョコちゃんを保定し、爪切りを始めようとしただけで「キャンキャーン」と悲鳴をあげている。
私が応援に行って保定しても、しばらくは仰々しく悲鳴をあげたり、時には噛み付こうとさえしていた。
「トリミングの形跡がありますねぇ」
「爪きりの時、痛い目に合わされたのかも知れないね」
そんな話をしながらチョコちゃんの緊張を和らげるように言葉をかけ身体を掻いてやった。
次第に目から鋭さが消え、体を預けるようになって力も抜け、4ヶ月の愛らしいダックスに戻っていった。

お母さんに話を伺うと、「普段から気に食わないことがあると本気で噛んでくるのです。」といって差し出した手には痛々しい穴がいくつもあいていた。
4ヶ月のあま噛みとは明らかに違う傷跡に「叱ってでも止めさせたいですか?」と思わず私は尋ねていた。
真剣な顔で頷かれたので、私は滅多なことでは人には教えない叱り方を話し始めた。

「約束ですよ。いい加減な気持ちで叱らないで下さいね」
私は念を押した。

犬を叱ることは本当に難しいことである。
愛らしく小さく、人を頼らないと生きてはいけない天使のようないじらしさを見せる愛犬を叱る時、人は自分が凶悪な罪人に思え自己嫌悪に陥るのである。
だが、だからと言って飼い犬に本気で噛まれることを受け入れるわけにはいかない。
いつも言うように『医学的に犬に問題はないか』『生育環境や接し方に問題はないか』を検証した上で、必要があれば動物同士の決着をつけねばならない時もあるのだ。

身体に痛いところがあったり、精神的・性格的に問題がある犬を叱って直そうとしてもこれは無茶だ。
命令魔の人は犬にシカト(無視)されるか噛まれるのが関の山である。
決着をつけれる人というのは、愛犬の心の動きを感じ取れる人であり、他愛無い動きに愛犬の意図を推し量ることができ、犬と会話を始めて且つその会話がある程度成立するような人ではないかと思っている。

犬を擬人化してはならないが、是非皆さんに普段から習慣化して欲しいことがある。
『吹き替え』である。
これについては次回かそれ以降に。
 


- Web Diary ver 1.26 -