From the North Country

マーキングにみる本能 2005年03月28日(月)

  膝の痛みは去年の今頃病院で貰った薬が見事に当たり、抑えることに成功した。
Kがいない一週間だが、お泊り犬5頭と暮らしているとその忙しさが寂しさを忘れさせてくれると言ったらKは怒るのだろうか?
今夕2頭が帰宅し、他の3頭も生活に慣れてきて私にも自分の時間が持てるようになったので、この欄をちょっと書いてみようと思った。

「おまえのしつけが悪いから室内でマーキングや粗相をするのだ!と旦那に叱られました」
「あれは散歩ではなく、臭い取りとオシッコのためのお付き合いです。お天気の日はまだしも、天気の悪い日はうんざりです」
「元々あるものを取ってしまうのは絶対に許せるものではないって言われるとそれ以上のことは…」
春先になって、去勢していないオス犬を飼っている奥さんからの相談が増加している。

私の経験から言って『男はいつも困り果てないと自分の言い分ばかりを主張する』ものなのだ。
ならば、「去勢しないなら別れてやる!」と言ってやれ!
「きょ、去勢ってあなたのことじゃなくて犬のことよ!」という一言も忘れずに。

オスなら夢精に始まりマスターベーションや交尾は健康な証だ。
ましてや犬にとってのマーキングは旦那が日々出勤するようなものであり、『それを否定されては男が廃るというもんだ』というつもりでやっている。
なのに、今流行りのニートに加え『セックスレスの犬であれ!』と健康なオス犬に理解させるのは無理に決まっている。

数千年か数万年後『日本は亜熱帯の国だった』と歴史学者が言うそうだ。
その答えは、『裸の写真ばかりが出てくるから…』というのがオチ。
耳が痛い男性諸氏は去勢によってせめて愛犬からこの煩悩を開放せしめよ!
さもなくば、家庭を失うことになるぞ!

あなたはペット(家族の一員)として暮らしたいのか、種としての犬(繁殖目的)と暮らしたいのかまず決めねばならない。

別にKがいないから選んだテーマではないことを申し添えておく。
 

泥沼宣言一時撤回! 2005年03月25日(金)

  「お蔭様で泥沼状態はあっという間に解消されました」などと悠長なことを言ってよいものだろうか?
冬に逆戻りの雪と寒さの一日だった。
横なぐりの雪は地吹雪と混ざり合って視界を遮り、終業式を終えて帰路につく子供達は後ろ向きに歩いていた。
ただ、カフェを訪ねてくれた犬たちは久しぶりの真っ白なガーデンで思いっきり取っ組み合いを演じ、汚れる心配をしなくてよい飼主の方も気楽におしゃべりを楽しんでおられた。

さて、今夜はお詫びとおことわりをいくつか。

1.まもなくワールドカップ最終予選で日本とイランの対戦がライブで放映されるので、この欄にテーマを掲げて書く時間が取れません。

2.先日のこの欄に給料日後の週末はヒマだし、ガーデンは泥沼状態だからレッスンができますと書いたが、今日の雪でガーデンは明日も使えそうなのと、昨日の肉体労働(氷割り)で再び膝を痛めてしまったので、恐らく歩行を含んだレッスンはできないものと思われます。

3.夜の楽しみが一週間ほど続くので、その間この欄をお休みするかもしれません。(報告したくなったら別ですが…)

ところで、この欄を書きながら最終回だけを少し見た金八先生は昔のように感動的だった。
初心が『いつ』を表すのかさえもう忘れてしまったが、そのことを考えさせてくれただけでありがたかった。
明日からも大好きな犬たちをその飼主と共に見守っていきたいと思う。

さあ、キックオフ。
 

泥沼宣言! 2005年03月23日(水)

  ガーデンは本日より『泥沼宣言』!

明日の定休日にちょっとはガーデンの氷割りに励みますが、「休みの日にはお湯割りもいいかな?」との思いも捨てきれず、したがって復旧のメドは立っておりませんので、明後日以降ご来店予定の方は『純ドッグカフェ』としてご利用いただくか、それなりの覚悟をしてお越し下さい。

昨日もそのようなことを書いたら、今日はすっかりヒマな一日となり、お蔭様で常連の方と携帯電話のカメラ機能を使って楽しいひと時を過ごさせていただいた。
携帯で撮影した人や犬の頭にカツラをつけたり、笑顔に変えたりできるなんて初めて知った。
凄い時代を生きてると実感した。

凄い時代は携帯だけではない。
話が飛躍して恐縮だが、やはり気候が気になる。地球の健康が明らかに損なわれている気がしてならないのだ。
朝の気温が高すぎるし、ガーデンの変化が札幌にしては早すぎる。冷たい空気と熱い陽射しのギャップが大きすぎる。
アメリカが京都議定書を批准せず、宇宙開発を急いでいるように見えるのはきっとそれなりの理由があるのではないかとつい勘ぐってしまう。

そんなことを考えていたら「ガーデンの状態や地球温暖化を危惧するより、カフェ経営の泥沼化を心配せよ」と、より身近な現実の声が飛んできた。

明後日金曜日は給料日の方が多く、これまでの例で見るとカフェは25日直後の週末から月曜日まで閑散とする。
ならば、これらの日にカフェに来られた方はゆっくり愛犬談義ができレッスンをする時間も取れるかも知れませんぞ!と言うのが私の精一杯の経営努力だ。
 

負け惜しみ 2005年03月22日(火)

  風が強く体感温度は決して高くなかったけれど、ガーデンでは雪解けが進んでいたので、意を決して雪山を吹き飛ばした。
雪の重みで山があった中央部分は幾分陥没しているようだ。
逆に山の周囲は踏み固められて氷状になっており、ガロアラシ号でも歯が立たない。まるでカルデラのようになっている。
このあとはツルハシでの手作業とお天道様頼りになる。
既に2割ほどぬかるみが出現しているので、シーズーのもえちゃんは遊びたがっていたが、飼主の方は初めからそのつもりはなかった。
「そう、ここはドッグランではなくカフェであるからして、ガーデンがいつも使えるとは限らないのだ」
私の精一杯の負け惜しみかも知れない。

駐車場の横に片付けておいた平均台も雪解けと共に側面が見え始めた。
横にしておけばよかったものを、正規の状態のまま雪に埋もれさせていたので、こちらも無残な姿となっているようだ。
横にしてシートを被せておくことを考えなかったわけではない。
「どれくらいの雪が積もるか分からないが、そのままにしておいたら平均台はどうなるだろう?」という好奇心と実証主義の結果だった。
しかし、まさか3メートルも積もるとは思っていなかった。
これも負け惜しみだろうか。

負けず嫌いで完璧主義だった30代の初め頃、まだ幼い我が子3人の誰かが、私の中学時代の思い出だった大切なカセットのテープ部分を部屋中に引っ張り出したことがあった。
私は3人を正座させ「壊れてしまってもうどうにもならないんだぞ!誰がやったか正直に言え!」と怒鳴った。
上の二人が黙ってうつむいていたら、まだ3歳くらいだった下の子が「ねぇぇ、父タンねぇぇ、ショウジキ…ショウジキ…、父タン!掃除機壊れたの?」
私は吹き出してしまい、そして恥ずかしくなった。
「形あるものはいつかは壊れる」義理の祖母はいつも笑い飛ばしながら口癖のように言っていた。

いつの頃からか私も『なんちゃない』と徐々に思えるようになっている。
まだ人生経験が足りないから、負け惜しみになることもあるようだが…。
 

春分の日振替休日に 2005年03月21日(月)

  今日は印象に残る出来事の数々で少々疲れた。

ゴールデンのJクンは右後肢の腫瘍切除で自宅療養していたが、退屈な毎日に嫌気が差して「ボク絶対カフェに行くもん」と、車の前から動かず、とうとう飼主の心を動かし朝一でのご来店となった。

柴犬のハナちゃんは「初めて犬を飼って、齧られたり唸られたりの毎日で戸惑っています」という飼主の家族の方とご来店。犬の性格や家族の状況が分からないから、何をどうアドバイスしてよいか決めかねて適当に喋っていたら、「これからちょくちょく来ます」と先を読んで清清しく答えてくれた飼主さん。
それならうまく支援できるだろう。

「土日にニセコのペンションに行って来ました。ほぼ満室とのお話を聞いていて、他のワンちゃんたちとうまくやれるかとても心配していたのですが、出かけてみるとそこにいたのはこのカフェの常連さんたちばかり。みんなで顔を見合わせて『なあんだ!』と笑っちゃいました」
そう話してくれたのはMダックスプー助・ライムのAさん。

ゴールデンのレオンちゃん宅ではもう一頭のゴールデンを飼うか思案中。
『試し飼い』で昨日から暮らしている生後5ヶ月の名無し君を伴ってカフェに来られた。
「どうでしょう?」と尋ねられたが心はどうやら決まっている模様。あとちょっと背中を押してあげる人でもいたら『即決まり!』の雰囲気だった。
その名無し君を見たカフェの仲間達は「可愛いいっ!」と叫んでおる。
「待てよ?」と私は今になって考えた。
レオン君は来月7日から旅行のためお預り予定。この名無し君を飼うことになればもしや…!?

「引退した盲導犬なんです」そう言って入店されたのは、老犬飼育ボランティアの方。
愛犬の名前を聞くと『テンダー』。
テンダーなら私が函館のフォローアップを担当した犬で、Yさんの盲導犬だ。
この兄弟にはティファニー・テリー・トムなど盲導犬となった犬が多く、母親はレナ、父親が確かレスターだった。
12歳となったテンダーは遅い青春を謳歌するようにガーデンを散策していた。
こんな形で再会するとは12年前には夢にも思っていなかった。
 

お泊り犬は看板犬 2005年03月20日(日)

  毎日何度も両手を消毒しているが、カフェを閉店した後の最後の消毒の時にはその日の出来事をいろいろ思い出すようにしている。
三連休という方も多い中、今日のカフェは時間的な分散が上手くかみ合って、様々なタイプのワンちゃんが訪ねてくれた。

初めてだったり2〜3度目の来店となったワンちゃんの中には、怖いもの知らずの小型犬がいたり、他の犬がどうも苦手なワンちゃんもいる。
しかし、飼主の方はどちらも他のワンちゃんと楽しく遊べる姿を期待しておられるようだ。
そのような犬たちと上手く相性が合う仲間がいればラッキーなのだが、いつもそうであるとは限らない。

こんな時、お泊り犬が役に立つことがある。
今日のカフェでは、小型犬のお相手はチワワのチビちゃんが務めてくれた。
最小犬種のチワワであるが、このチビちゃんはカフェで最も勇猛果敢なワンちゃんで普段はレオンベルガーと暮らしている。
そのレオンベルガーはどんな相手とも上手くやってくれるが、とりわけ力を持て余した大型犬をうまく満足させてくれた。
ハスキーのチェスは荒っぽい相手を身を挺して手なずけてくれるし、サモエドのラブちゃんは遊ぶのが苦手だが、逃げ役に回ってくれてそれはそれで大いに役立っている。

今日お泊りに加わったシーズーののんちゃんは、残念ながらそのような役回りはできない。
家族と離れ見知らぬ犬と一緒にいることが精一杯だから。
それでも前回のお泊りの時より、神経質でなくなったのはいろんな犬たちを安全な状況で見ることができたからだろう。
 

気がかりなこと 2005年03月19日(土)

  そろそろラス前程度にして欲しい積雪だった。
先日までガーデンの雪解けが進み、泥沼出現まで一歩のところだったので、今朝の積雪は内心ありがたい思いもしたが、やはり春・夏・秋は避けて通ることはできない。いずれ迎えなければならない泥沼なら、あと一回の大雪くらいで今冬を終了し、さっさとぬかるんでしまってくれ!
子供の頃、予防接種を受ける列に並びながら同じような覚悟をした思い出が蘇ってきた。

今日のカフェにも「うちの子なんとかならんものか」という思いを込めて一組の夫婦がやって来られた。
シェルティーのバディ君が人や他犬に噛みつかんばかりに吠え立てて困っているという相談をメールで頂いていた。

臆病と聞かされていたが、なんのなんのその突撃精神には結構迫力があり、「これでもか!」と言わんばかりの執拗さを兼ね備えていた。
このような犬の場合、飼主の方が散歩をする時は、人や他犬を避けるようにして歩く姿を見かける。
私のレッスンはその逆で、人や犬を探しながら歩くことになる。
まずは、外に繋がれている犬の前を通り、お互いが吠え掛かるチャンスを逃さず制御する。叱ることはない。ただ制御し、訓練犬が「もういいです」という反応を示すまで繰り返す。
そこから、また別の犬を求めてコース取りを考える。

幸いにも、今日のバディ君のレッスンには様々なチャンスが現れ、こちらが意図することをある程度は伝えることができた。
カフェではご夫婦が驚かれるほど冷静な姿を見せていてくれた。
たぶんこの効果はある程度続くが、決して訓練が終わったどころか始まったわけでもないことを知って欲しい。
私はただ、制御による犬の変化が見込まれるかどうかを試しただけのことであり、訓練をしたわけではなく評価をしたに過ぎない。
一時的な効果で満足してもらえるのはありがたいし、飼主の方が接し方を会得して、その後も順調に過ごせているのならすばらしいことだと思うが、訓練というのは本来、週に5時間行っても12週はかかるものだということも知っていて欲しい。
私自身がそのような訓練を引き受けることはないのだけれど…

私にできることは継続してカフェを利用していただける方との信頼関係を基盤に、愛犬の成長を見守り、適宜必要な助言と制御を行うことだと思っている。
そして付け焼刃的なレッスンを受け、その後の音沙汰がない犬たちがどうなっているのか密かに心配している。
それぞれに事情があり経済的なことも絡むから、どうこう言うことはできないのだが、他にも例えば獣医さんなんかもそのような思いでいるのだろうなとふと思った。
 

Kさんと盲導犬ユーパス 2005年03月18日(金)

  秋田県湯沢市に住むKさん。
子供の頃から少し目が不自由だったが、家族も本人もそれに気がついていなかった。
兄弟は走り回っていたのに彼女はいつも母親の身体に身を寄せながら歩いていた。
甘えん坊だと言われ、自分もそう思っていた。
学校で黒板の字が読めずバカと言われたこともあった。
みんなも同じ見え方をしてると思い、自分が劣っていると信じ込んでいた。
東京に出てカメラ屋で働き始めたが、お使いに行くと側溝に落ち、道に迷っては帰れなくなった。
ドン臭い奴だと皆呆れかえっていた。

秋田に戻って病院で働いていた時、一人の医師がその様子に気付き、検査を受けるよう勧められ網膜色素変性であることがわかった。
周辺視野が狭くいずれ失明すると言われたが、彼女は自分が『甘えん坊でもバカでもドン臭いのでもないのだ』ということに安心し開放されたという。
この病気は成人し30歳位(だったかな?)あたりから一気に進行してしまうことがあるが彼女の眼はそれより10年以上持ちこたえた。

それからの彼女の頑張りと猛勉強には凄まじいものがあった。
函館視力障害センターで5年半の間に点字と鍼灸マッサージをマスターしただけでなく、鍼灸の真髄を研究する分野にまで立ち入り、その深さを私に話してくれたこともあった。
残念ながら入学した時は全盲の方の手引きをするくらい見えていた彼女も、卒業時には視力が無くなってしまったが、彼女の心優しく知的で思慮深い性格は皆から愛されている。

卒業と同時に彼女は盲導犬ユーパスと出会い、湯沢市で開業しながらパソコンを習得しメールのやり取りもできるようになった。地域の学校などで講演を繰り返し社会啓発にも努めている。

盲導犬ユーパスとの出会いや、子供の頃遊んだ山にもう一度ユーパスと歩いて行きたいという夢を実現させるまでのドキュメントは『どうぶつ奇想天外』というテレビでも放映されたが、山に出かける途中、見えなくなったはずの彼女の眼にユーパスの白い背中が一瞬見えたというのは私にはとても嬉しく感じられた。
番組のKディレクターが真っ先に報告してくれたが、彼の声がとても興奮していたのを思い出す。

その盲導犬ユーパスが昨日亡くなった。
12月に亡くなった我が家の愛犬スーと同じまだ7歳という若さだった。
3日前から様子がおかしく、獣医さんに診てもらっていたが、昨日の朝容態が急変し、獣医に電話をかけようとするKさんを追いかけるように立ち上がり、彼女の懐に倒れ込んで息絶えたという。

スーを亡くした我が家のKの悲しみは大きく深かったし今もそれは続いている。
比較という狭量な範疇で考えないでいただきたいのだが、盲導犬ユーザーであるKさんの悲しみは彼女の人生と重ね合わせた時、胸が張り裂けんばかりの想いがある。
そのうえ彼女は明日からまた失明するのだ。
ユーパスに供えるお花はどうやって買いに行けばよいのか?
これからの買い物や通院などの日常生活はどうすればいいのだろう?
彼女に悲しみを深く引きずる時間はそう長くは残されていない。

「僕がいなくなって母さんが何処にも出歩けないなら、僕はいったいどうすればいいの?母さん!」ユーパスの叫びが響く。

Kさんの今の気持ちをお察し申し上げると共にこれからも見守っていきたい。そしてユーパスの冥福を心から祈る。
 

脚側歩行 2005年03月16日(水)

  訓練依頼を受けて訓練している方にお願いしたい。
脚側歩行についてである。
依頼者が訓練競技会ではなく、暮らしやすい普通の家庭犬を望んでおられるのなら、脚側歩行の定義にとらわれないで訓練して頂けたらと願う。

歩行の際、犬の頭が人の膝のあたりにあったならば、人は犬の視線や心の動きを知るために、ほぼずっと下を向いていなければならないでしょう?
そんな散歩ってありますか?
仮に下を向かなくてもきちんと犬が寄り添って歩いていたとしても、そんなの楽しいですか?
「どうだ、うちの犬はえれぇだろう」ぐらいにしか見られないと思う。

犬が何を見てどう感じ。次にどのような行動を起こすのかを気楽に散歩しながら知ることができる。
飼主は移り行く街並みと共に、のんびりと楽しそうに歩いている愛犬の姿を見て、語りかける言葉が自然と出てくるものだ。
そのためには少なくとも人より50〜60センチ先を犬が歩き、斜め上方から愛犬の情動が現れる頭部を見れるようにすることが何よりも必要なことだと思う。

『人より犬のほうが前方を歩くのは、犬が上位に立つことを認めることになる』なんてくだらない論理は捨ててしまいましょう。
その論理だとすべての盲導犬はご主人を尻に敷いてることになりますぞ。

先ず、性格とその時の興奮度にあった犬の制御の仕方を飼主が習得する。
次に、犬の視線や眉間の緊張、それに耳の動きで犬が何を考えているかを日本語に置き換える練習。
そして、犬というものが次に起こすであろう行動をそれらの情報を元に予測する訓練が大事である。
その結果、愛犬から一目置かれ・愛着を示され・愛犬を理解し・興奮した時我に返すテクニックを持てれば、普通に生活する基礎ができていると考えてよい。

町内を散歩している時、脚側歩行をしている犬と飼主を見かけたら、思わず職務質問から逃れるように背筋を伸ばし、視線をそらしたくなるのは私だけだろうか?
 

科学する 2005年03月15日(火)

  一気に雪解けが進んだ暖かな一日だった。
ガーデンの雪山周辺はまだ数十センチの雪と氷に覆われているが、北側のフェンスの辺りは地面が見え始めてきた。
夜になっておぼろげな三日月と星空が見え、外が氷点下になると沼地化していた場所を歩いてもバリバリと音を立てている。
雪が液体化することなく気化してくれればこれほどありがたいことはない。
乾燥対策にもなる夜間専用の広範囲人工昇華法を誰か考案してくれないものだろうか。

イヌについても科学されたことを学び、科学するという発想に基づいて観察と実証を行い、その血統と生育環境および過去の経験を知れば、ほとんどのイヌの問題行動を解決できるようになるだろう。
それが単純なことであれば一発解消というアドバイスをすることもできる。
しかし、心を持つ生き物の場合複雑な要素が絡み合うと、ほつれた糸をほぐすような根気を求められることが多い。

イヌの血統・生育環境・過去の経験それに飼主の血統・性格・生育環境・過去の経験・現在の取り巻く環境(家族・経済・社会など)。
こうしてみると、どうやら犬よりも飼主がどう感じどう対処しどのように変化できるかの問題の方が大きいような気がする。

『始末に終えないのは犬ではなく飼主が悪い』などと馬鹿げたことを言ってるのではなく、お互い情動的な生き物で複雑な糸が絡み合う動物ではあるけれど、それを意識しコントロールできる立場にあるのは、この社会においては人の方であるということだ。

物言えぬ犬の立場に立って振る舞うのが正しいと思うのが誤りであり、そのように考える人こそオオカミに育てられた少年のことを思い出して欲しい。
少年を育てた狼は自分の子育てをしたまでのことであり、少数派の人間に配慮して育てたわけではない。

子供をいじめて育てたいと思う親は普通いない。
ましてや望んで手に入れた子である。
遠慮することはない、自分が望む行動を毅然と求めれば、種は違えども必ず意思を理解してくれるようになる。

今夜のお泊り犬ビーグルのラブちゃんは平気でちゃぶ台に上り食べ物を取ろうとした。
ちゃぶ台をバシンと叩いた私は次の瞬間、後悔した。
「えっ!ダメなんですか?うちでは普通のことなんですけどねぇ。でも、ダメならダメでそう言ってくれればいいのに…。そんな…野蛮なテーブル叩きなんてしなくても…。私…ショックですわ。」
そう言ってラブはクッションに戻って横たわった。

年を重ねた彼女は人の意思を理解しているのである。
犬を科学するうえで欠かせないのは、科学せず信じることかもしれない。
 


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