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昨日まりちゃんとらむちゃんが帰っていった。 まりちゃんの懐で大人しく抱かれるようになったらむちゃんを見ていると、ペットと住めないマンションに暮らしていて、すぐに手離さなければならないことが解っていながららむちゃんを購入し、やはり1ヶ月ほどで手離した元飼主の哀れさと無責任さを考えた。
哀れさはすぐに立ち消えた。 犬が好きで『今、目の前にいるこの子と暮らしたい』という衝動が純粋なものであったとしても、すぐに飼えなくなる現実と手離した悲しさは自分の心の痛みで賄えるし、時の経過がそれを忘れさせてもくれるだろう。 しかし、手離された犬の方は命がかかっているのだ。
私はドッグフードは勿論ペットショップやアイフルのコマーシャルもなかった小学生の頃、近くの材木小屋に秘密基地を作り、捨て犬や放浪中の犬の面倒を見ていた。 その数は一時14匹にもなったが、給食を残して持ち帰ったり、セミやザリガリを捕って犬たちに与えたし、内地の冬は藁を敷いてあげれば小屋の中で暖かく過ごせた。 子供ながらも真剣で必死だったのだ。 自分でマンションを借りれるような年齢と分別それにお金を持った大人が、衝動を満たすための無分別な遊びではないはずだ。 元飼主に『大変さや辛いことがあったとしても、みんなひっくるめて犬が好き』の気持ちがあれば、引っ越せば済むことだったろう。
「こんなにいい子を何故手離したのだろう!」 元飼主にそう思わせるような犬にらむちゃんを育ててやる!
さて先日、この話題と時を同じくしてパピヨンの兆(きざし)ちゃんがカフェにやって来た。 「この犬はもういりません。処分してください。」 区役所の窓口に連れてきて、引取りを求める飼主。 偶然、隣でそれを聞いてしまったMさんは矢も楯もたまらずその子をさらうように引き取ってきたというのだ。 その時は2歳に満たない落ち着きのないパピヨンで、元飼主は病気療養中の医者で以前飼っていたパグが亡くなった寂しさからペットショップで購入したらしいが、様々な事情があって手離すというのだった。 『飼主の責任において殺す』らしかった。
長くなったので、もう難しい話は止めよう。
数年前の資料で恐縮だが、その年に 札幌市で殺処分された犬は約3000頭 北海道全体では約14000頭 酔ってしまって調べるのが面倒なので、不確かな淡い記憶をちょっと付け加えると、そのうちの約3分の2(だったかな?)がペットショップから持ち込まれた犬だそうだ。
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