From the North Country

ちょっとKさんのこと 2005年01月04日(火)

  夜半に入り猛吹雪が吹き荒れている。
『災』が昨年を表す文字だったようだが、静かだった年末年始を過ぎて自然の猛威が再び災いをもたらさないかと心配させるほどの荒れようだ。

個人的には自然がもたらす状況については自然らしくあって欲しいと思うのだが、つい先程までイタリアンレストランで飲み食いしていた5人の内のKさんが無事帰宅できたが心配でならない。
何しろ、住居表示を見ただけで何処か人里離れた地区に住んでいるのが明らかな名称になっているからだ。

北海道の吹雪は道路と路外の区別を識別することができない状況になる。特に夜ともなると車のライトを遠目にすると吹雪しか見えないためライトは必ず近めにし、前を走る車のテールランプか道路端に設置された高さ5メートルほどの光る標識のテッペンを見ながらの走行となる。
今夜の吹雪はそれを確認するのも難しいかもしれない。

Kさんは昨年ふいにカフェに現れた。
ムーンちゃんというゴールデンを伴っていて「実はもう一頭いるんだけど、とんでもない奴でこんなとこには連れて来れないんだ」と、つっけんどんで女性らしからぬ話し方が親しみを呼び印象的だった。

その頃も私は訓練を引き受けることに消極的な生活をしていた。
訓練をするためには膨大なエネルギーを必要とするのだが、かなりの放電生活をしていたから余程のことがないと意欲が湧かなかったのだろうと今になれば思う。

しかし、Kさんはそんな私の状況などお構いなしで訓練スケジュールを立て、犬を見れば吠え立て攻撃的になるトム君の訓練を依頼してきた。
エネルギーの再充電を余儀なくされた私は、尻を叩かれるようにトム君のレッスンを行い、道筋をつけた。らしいことを忘れていた私にKさんは話してくれた。

そのトム君は今ではカフェの顔となり、親しみやすい性格から誰からも愛されるゴールデンになった。

ごめんなさい。焼酎の酔いが急に回ってきた。
もう1時半。Kさんは無事帰宅したと信じて寝る。
明日は7時から本格的な除雪をしなければならないから。
 

2005始まり始まり 2005年01月03日(月)

  いよいよ2005年カフェがオープンした。
僅か4日の休みだったがやってくる犬たちは新鮮に見える。それもそのはず羽織袴のチビちゃんに腰帯もきらびやかな和服姿のルルちゃんがお正月気分をぐっと盛り上げてくれていた。

一方、私たちはというとやつれ顔を皆さんにお見せし、お泊り犬を少しずつお返しすることて、やっと気持ちが落ち着いてきた。
物欲が強くて歯をむき出していたブルーちゃんは家族の方に対処法をアドバイスしたので、しばらくはよい結果が得られると思う。
モモちゃんは9歳という年齢の割にはラブのハッチャキぶりをしっかり発揮してくれていたので、しばらくは家で死んだように眠りこけると思う。
ラッセルは愛想疲れはあるだろうけど、家族のためにもう一頑張りをして場の雰囲気を盛り上げ、明かりが消えた途端爆睡モードに入ることだろう。

もう一泊するサモエドのラブちゃんは子供と大人の世界のちょうど真中辺りの年齢で、揺れ動く気持ちが素直に現れていて可愛い。優しく接していつまでも子供の世界にひき留めたい思いも理解できるが、ここは子離れを意識したほうがよさそうだ。大人になったサモエドもとても可愛いし、ラブはとても良い性格をもっていて将来が楽しみだ。

なんだか今夜やっと新年が始まった安らぎを感じることができた。
 

私たちの年末年始 2005年01月02日(日)

  明けましておめでとうございます。

「早くカフェをオープンして普通の生活に戻りたい!」というのが本音である。
30日からお正月休みに入ったのはよかったが、カフェの大掃除の後は事務所の片付け・大晦日から元旦にかけてたっぷり降った雪の除雪作業・たまり続けた書類の整理・自宅の掃除など、休むヒマなくやることが出てきた。
普段なら「後でね、そのうちね」と言えるのだが、年末となればそうもいかない。除雪作業だけは手を抜いたが部品が壊れてその修復にやはり時間を取られてしまった。万が一ガロアラシ号が使えなくなれば、冬のカフェはやっていけなくなる。

それぞれの仕事自体が面倒で大変だったが、それ以上に気を使ったのがお預り犬の管理だった。
自宅で暮らせるのはせいぜい4〜5頭と予約を受けていたが、休みに入った途端「お願いできないでしょうか?」と頼まれ、限度を超えた6頭目を預かるとあとは勢いと諦めがついて結局今日は一時的に9頭のお預りとなった。

日中はカフェで仕事をしながら犬たちと暮らし、食事は朝と夜しか取れない日々。
小型犬は思った以上に人に纏わりつき、『オシッコが近い!』。
ちゃんとペットシートの上でしてくれるのだが、私にしてみればいくらシートの上といえども室内でされるのは嫌だから、こまめにガーデンで排尿便をさせているのだ。にもかかわらず見ていると、1時間ほどでシートを汚している。まるで小鳥並だ。
そのうえ、足元にいつも纏わりつくから踏みそうになって疲れる疲れる。

大型犬はというと、トイレの心配はしなくていいが「遊ぼうよ!遊ぼう!」と誘うのがとにかく上手い!
私も嫌いなほうではないから適当に付き合っていると、仕事ができないほど延々と要求され、落ち着いた頃には「メシだ!メシ!」とみんなからせかされ、あっという間に一日は終わってしまうのだ。

タバコの空き箱を咥えて走り回るブルーちゃん。
ヨーキーの陽気な男の子。
「そんな時、取り上げようとすると本気で噛んでくるんですよね」
お預りの時、ご主人は私に生々しい傷を見せながら困った顔をしていた。
預かりの最中にそのような場面があったので手を出してみると、ブルーは形相を変え唸り声を上げ噛もうとしている。
「アホか!お前。」とぶっ飛ばしたら瞬間にすべては解決し、ちょっとしたフォローをした後はブルーは私の膝の上でタバコの箱で遊び、私にもっとちょっかいを出せと楽しんでいる。

甘えん坊で要求が多く、吠えることで意思表示をするので困っているサモエドのラブちゃんは今日からお泊り。
どんなことになるのやら楽しみだが、いつのまにか休みは終わり明日から営業を始める時間になってしまった。

Kが作ってくれた家庭料理とお正月料理。
とかく飽食になる年末年始に、犬たちと同じように食事にありつけたことに喜びを感じ、あっという間に過ぎた4日間だった。
 

よいお年を 2004年12月31日(金)

  大晦日の夜は犬たちに囲まれた中で迎えている。

今年の元旦はカフェを開け、こんな日にドッグカフェに来店される方がいるものなのかKとふたりで店を守った。
さすがに午前中の来客はなくKと二人でカフェでダンス?を楽しんだ。
私はリズム感が全くないのですべてKの手ほどきだったのだが、ダンスはそのうちストレッチへと変わり、相当しごかれた思い出が今年の始まりであった。

それから忘れられない出来事がたくさんあったが、年が明けようとした今は「この1年本当にありがとうございました。」と締めくくるしかない。
何しろテレビではカウントダウンが始まっているではないか!
よいお年を!
 

今年の営業終了日に 2004年12月29日(水)

  カフェは無事この一年の営業を終えることができた。
ご利用いただいたすべての方とワンちゃんたちに「ありがとう」です。

天には月が輝き、凍てつく鋭い寒さがすっぽりと大地を覆っている。柔らかな雪の冬模様ではなく、まるで十勝のような内陸型の寒さだ。

32年前、幼なじみで親友のFが「俺は北海道に行く。できれば向こうで酪農をやりたい」と言って帯広の大学へ進んだ。
法隆寺の隣町に住んでいた私は、殆どこの小さな町から出ることはなく、町内にはめっぽう詳しかったが北海道などは南極/北極の範疇でしかなかったので相当に驚いた。

その年の冬、私は帯広の彼の下宿を訪ね仲間と5万円で買ったというオンボロ車に乗って愛国駅と幸福駅を案内してもらった。
その頃から私には北指向が芽生えたのだが、数年後Fは「俺はアメリカに行く。そこで大規模農業を学びたい」と渡米してしまった。

私が札幌に住むようになり、彼が帰国してからの1年間が二人で北海道を共有した時間だった。
厚田村の農場を牧柵で囲う仕事をした後、Fは一旦奈良へ戻り両親の説得を試みながら家業を手伝っていた。
しかし、Fの父親の死と共に彼の夢が叶うことはなく兄弟でお寺と保育園を継ぐことになったのだが、Fのおかげで世界を広げられた私はこうして今もなお北海道での生活を続けている。

帯広の銭湯に入った後、下宿に帰るまでの僅かな時間にタオルと髪の毛はバリバリに凍っていたよなぁ。
今夜、シバレたガーデンに出てなぜか『あの頃』を思い出した。
 

シャンプーの思い出 2004年12月28日(火)

  世間では仕事納めでいよいよ今年も押し迫ってきた。
カフェは明日29日まで営業し、新年は3日からの営業となります。

ここ数日、トリマーのノンちゃんは大忙しだ。
朝は7時半頃にやってきて、8時〜19時頃まで昼食も摂れないほどトリミングとシャンプーに追われる日もあった。
頭数は(営業上)たいしたことはないのだが、丁寧な仕事をするものだから時間がかかる。
時々、暴れる犬などがいると私が呼ばれ保定するのだが、その時にノンちゃんの仕事振りを見ることができ、トリミングの流れや方法を学びつつ、ふと昔を思い出すことがある…

盲導犬を訓練していた頃、年末になると担当犬をお風呂に入れるのだが、私にはそれが結構苦痛だった。
5〜6頭のラブ・F1をシャンプーすると腰は痛くなるは面倒臭いは眠くなるはで、毎日犬たちのブラッシングを担当してくれたパートの人を言いくるめて洗ってもらうこともあり、他のスタッフから白い目で見られた。

そこで思いついたのがパピーウォーカー(PW)のことだった。
PWは協会に犬を返した後、その犬には以後会えないというのが原則である。
しかし、年末といえば訓練を始めてから既に3ヶ月が経っており、そこそこ出来上がってもいる。
一方、PWは我が子に会える何かよい機会はないかと策略を練り、団体での犬舎見学に紛れ込んだりして密かにビデオを遠くから回し、我が子を撮影することもあった。

私は悪知恵と怠け心それに屁理屈を混ぜ合わせて、『訓練犬の進度を評価するため、PWにシャンプーをしてもらう』ことにした。
PWは大喜びし、私は腰の痛みを味わうことなく両者めでたしめでたしだったのだが、下心を見透かしたスタッフからはやはり冷たい目で見られてしまった。

盲導犬協会のスタッフにもドジはいる。
暖かな日に犬を洗いバスタオルで綺麗に拭いた後で、手入れ台と呼ばれる手作りの木製の台の上に犬を乗せ、リードを台の脚に繋留して乾かせていたのだが、何かの拍子に犬が台から降りてしまった。
その時、リードで繋がれた手入れ台が動いたことに驚いた犬は、協会の敷地を逃げるように駈けはじめた。
逃げても逃げても凄い音を立てて追いかけてくる手入れ台に、犬はパニックになってさらに走り回り、数台の車が傷つけられた。

そんな私の大嫌いなシャンプーをノンちゃんは日がなやってくれている。感謝感謝。
ノンちゃんは荼毘に付す前のスーの手入れもきちんとしてくれた。ありがとう感謝です。

感謝といえば、スーの母さんジャスミンからも綺麗な花が今日届きました。
主治医のS先生も休憩時間を使ってカフェに花束を届けて下さいました。
どちらも「とても残念だけど、いい終わり方だったのがせめてもの慰め」と天使になったスーに語りかけてくださっていた。
 

ちょっと無理した受容 2004年12月25日(土)

  今夜は決してサボって短くなったわけではありません。

夜になってKと二人になるといろんな思いが心めぐり、忘れそうになっていたスーとの出来事を語り合っては、思い出を深めてしまうのです。

ポッカリと空いた隙間がより明確になって切なくなるのですが、私たちの心は確実に受容に向かっています。

「こんな時にかけられる言葉には空しさや、時に反発すら覚えることもあるのに、本当に慰められ安らぐんだよね。みんな犬と暮らしているからなのかなぁ」
私が一番心配していたKの心は皆様に救われています。
本当にありがとうございました。

明日の日曜日をもってカフェそしてこの欄でのスーの追悼はひとまず区切りをつけれれば思っています。
 

天使の夜に 2004年12月24日(金)

  「クリスマスイブにはたくさんの天使が地上に舞い降りるんだよ」と優しい言葉を頂いた。

7〜8年前、日本盲導犬協会に出向いた際BBH(Brood Bitch Holder/繁殖犬飼育者)であるIさんのジャスミンを見て私はとても気に入った。
フックというこれまた気心の優しい北海道の繁殖犬とかけ7頭の仔犬たちが産まれた。
それから2ヵ月後、3頭の仔犬が北海道盲導犬協会に届けられ、パピーウォーカーへの委託式が行われた。

そのうちの1頭がスーであり、私の手からKの腕に引き渡された(らしい…Kの証言)
1年後、スーは盲導犬の繁殖犬となり昨年まで25頭の子供を産み、8頭が盲導犬、3頭が繁殖犬(候補を含む)、5頭が現在大阪と京都で訓練を受けている。

そのスーの死から一夜経た今日、たくさんの方々からお悔やみのメール・供花を頂き、カフェにも弔問に訪れていただきました。
ここに心からの御礼を申し上げますと共に個別のご返事を欠礼させていただくことをお許しいただきたいと存じます。
スーは午後1時、盲導犬協会繁殖担当S氏の立会いのもと、荼毘に付しましたことをご報告させていただきます。

獣医でもあるS氏は、スーを見て「えっ!全然痩せてないじゃないですか。綺麗じゃないですか。」と驚き、イギリス盲導犬協会から届く凍結精子を使って、次回スーの子供を取る計画であったことを話してくれた。
繁殖計画の話はさておき、スーを最後までやつれないようにするためにKと私は努力し、Tさんは様々な形で援助してくれた。

病犬や老犬を介護する時の鉄則の第1に挙げられるのは、絶対的に清潔に綺麗に保つことである。
私の心が落ち着いてきた頃に、いつか必ず迎えるであろう愛犬の死と飼主である皆様のために、看護・介護・死の準備にいたる私の知識を紹介したいと思っているが、それがいつになるかは私にも解らないでいる。
過去の経験においてもポッカリ空いた穴はそう簡単に埋められることはないのを幾度も経験してきているから…

今夜は天使が舞い降りてくる夜だ。
昨日からの雪で一面が真っ白なこの上なく美しい夜だ。
天使となって高い空から母さんをしっかり見守るんだよ。スー。

皆様、本当にありがとうございました。
 

スー死す 2004年12月23日(木)

  今夕、我が家の愛すべきかけがえのない愛犬スーが亡くなった。

多くの方には伏せていたが急性の悪性リンパ腫で、告知された余命期間は既に過ぎていた。

最後のお客様を、ガーデンに出てスーはお見送りをした。
「スー!頑張るんだよぉ!」
Yさんは車の中で手を振って励ましてくれていた。

すべての営業を終え私たち三人はカフェに戻った。
スーはお気に入りのテーブルの下で横になり、私は椅子をテーブルに上げ、Kは洗い物を始めようとしていた矢先の一瞬の出来事だった。
「ウッ!」という一声でスーは意識を失い、私はKに叫んだ。
「抱いてやれ!さすってやれ!」
「スー!」と大声で呼びかけるKはスーの体を抱きしめ、遠く深い意識の中で不安を感じているかもしれないスーに最後の安心と安らぎを与えようとしていた。

「今ならもう一度蘇生できるけど」とKを気遣う私。
「もういい、やめて」と余命期間のうちにある程度スーの死を受容していたK。
ほんの数十秒の内にKに抱かれてスーは息を引き取った。

この数週間、私たちはスーに対して思い残すことない最高の看護を続けていた。しかし、死というものはまだ先の話であるとこれまで多くの盲導犬やその老犬の死を見取ってきた私の経験から推測されていた。

食欲が落ちる。
何をどの順番でどのように与えれば食べることを維持できるかを私は経験上知っているから打つべき手はまだあった。
段階を追っての衰弱は仕方ないにしても、『痛み苦しみは絶対にさせない』と心に誓っていたから、S先生の協力を得て事態に対処する薬も準備していた。

しかし、スーは見事にその上をいってくれた。
「一人で逝っちゃダメだよ。」
Kはスーに日頃から話し掛けていた。
そしてスーはカフェでの仕事をちゃんと果たし、看護の苦労なのか喜びなのかわからないけど、それすらも私たちに与えることもなく、痛み苦しみを感じることもなく、準備した薬を何一つ使う機会を与えることもなく、Kに抱かれ私の前で逝ってしまった。

スーにはちょっとした誤算があったが、彼女は最後の言葉をこう残してくれた。
「今日は木曜だから定休日だと思ってましたよ。最後の一日を父さん母さんと過ごせるはずだったけど祝日で営業だったんですね。でもちゃんと閉店するまで私は頑張り、約束どおりお二人の前でお別れできたでしょ」

4回の出産で25頭の子供を産み、盲導犬・繁殖犬としてスーの血はこれからも受け継がれることになるだろうが、彼女は共に暮らした私たちに、とても爽やかで忘れることのない驚くべき知性とこの上ない優しい感性それにたくさんの思い出を残してくれた。

ありがとうスー
やすらかに。
 

心揺れる 2004年12月22日(水)

  思えば12月20日に雨が降った。
そろそろ冬だ!さあ冬だ!とせっかく気構えを整えていたのに水を差され、ふと計算してみると最低5ヶ月はあるはずの冬があと3ヶ月ばかりになっている。

ガーデンの雪山は僅か3〜40cmの高さしかなく、今年の夏の猛暑はやはり地球温暖化であり、その影響が今なお続いていて、また来夏もあの暑さがやってくるのではないかと不安になってしまう。
僅かでもいいから今日の最高気温マイナス4度をどこかに溜め込んでおきたいと、パジャマ姿でぬくぬくとパソコンに向かう私は思った。

「35年目の同窓会を開くぞ!」と中学の仲間から電話があった。幹事の打ち合わせを兼ねた飲み会の最中に私の都合を聞いてきたのだ。
「そこに誰が集まってる?」と尋ねると、懐かしい連中の名前が連なる。顔を思い出すのが不可能な奴もいるが、名前とどんな奴だったかははっきり覚えている。
「もしもし、ワタシ」と当時は男子生徒の憧れだった女性が電話口に出て「会いたいから来て」と、思い出とは程遠い野太い声で迫ってくる。
電話だったが久しぶりに『あの頃』に戻れたようで楽しかった。

「史(ふみ)ネ?帰って来んと?」
奈良・兵庫と関西に40年以上も住みながら、未だ生まれ故郷の福岡の言葉が抜けきらない母が電話の向こうで話す。
「膝やら腰やら痛いとやろが。いっぺん帰ってこんね。」
つい2ヶ月前までは私が電話をしても
「あんた、誰ね?史?史って誰やったかいね?」とボケ症状が出ていた母が、ショートステイのサービスを受けたり、私を含めた兄弟姉妹からの電話を頻繁に受けることもあって、物忘れはあってもボケるのはこのところ踏み留まってくれている。
先日送った北海道の海産物を、姉と一緒に「おいしいよ」と言って食べてくれているのが嬉しかった。

やはり一度奈良に帰ろうかと心が動いている。
母とゆっくり話し、同窓会にも出かけてみようかと揺れている。
カフェに新たな犬が来た時、私がいなくても迷惑をかけずそれなりに対応できるか?トリミングで問題はないか?Kが辛い目に遇わないかを心配しているのだが…
 


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