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11月も22日になって小春日和の暖かな一日があるとは思いもよらなかった。 休日に挟まれた今日は、朝からヒマでのんびりと店番をすることができた。 若い頃はじっとしていることができず、何かをするしないに関わらず家を飛び出していたものだが、ここ数年は家にいて何もしないことも至極のひと時になっている。
「年老いたなぁ」と思い「この生活も悪くないな」と思うようになった。 若いとは羨ましいもので、「こんな天気の良い日に働くのはもったいない」とばかりに仮病だか急用だかを仕立て上げて、ちゃっかり愛犬と一日を過ごし4連休にしたしたたかな女性もいた。
生と死において神は平等であり不条理である。 生を考えるなら安楽を求めて富と名誉を追求するし、死を感じるなら後悔無き生を追及するだろう。 そして死は突然にあるいは意図してあるいは病や老いと共にやってくる。 そんなことを考えることもない犬たちはといえば、その時その時を平然と生き、精一杯でもなくたじろぐでもなく、ただ『対応』し受け入れているように見える。 日々の糧が保障されているからのようにも思えるが、仮にそうでなくても犬たちはそうするのではないだろうか。
「なんちゃない」 生があるならば、したたかにたじろがず生きるのも悪くはないと思い、人は意識しないとそれができないのだなと犬たちを見て感じた。
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