From the North Country

初めてのトラブル 2004年07月15日(木)

  私にとってはいろんな言い訳もあるが、今日のカフェの出来事に対する苦情のメールとその回答を掲載することにしよう。

『今日はじめて利用させていただきましたトイプードルの**です。ノーリードで遊べる場所をと思いドッグランに出ましたが、今日のような事があると犬もその後離れなくなってしまいますし、安心して遊ばせることも出来ませんでした。**のあんな声は初めて聞きましたので、娘は二度とドッグランには連れて行きたくないようです。ドッグランではこのような事は仕方のないことなのでしょうか?』

『○○様

本日はカフェをご利用いただきありがとうございました。

初めての犬同士でも、徐々に親しみ楽しく遊べることが、私のカフェの自慢でもありました。
しかし、あのような一方的で攻撃的な行動があったのは当カフェでは初めてのことで、私自身も驚き、大変申し訳なく思っております。

昨日、お店を訪ねてくれた相手の※※君は大変楽しそうに他の犬とも遊び、飼主の方も喜んでお帰りになりました。
そこて今日もお友達を誘って来られたそうですが、後から話を伺うと「理由はよく分からないのですが、トイプードルを見ると唸ったりすることがあるんです」と言われ、「本当に申し訳ないことをしました」と言っておられました。

普通そのような不安がある場合、予め申し出てくださるのでこちらとしても対応の仕方があるのですが、残念ながら今回はそれがなく、事前に対応できなかったことを申し訳なく本当に残念に思っております。

とりわけ、**が初めてのお店で恐怖体験をしてしまったことで、今後他の犬たちに不安を抱きつづけないかということを案じております。

以下にお話することは○○様の気に障る内容になるかも知れませんが、これまでの経験をもとにアドバイスすることをお許しください。

あのような恐怖を体験したにも関わらず、トラブル後の**の態度は冷静さを取り戻そうとしっかりしていたと思います。表情や身体の緊張度それに尾の角度がそれを表していました。
確かにご家族から離れようとはしませんでしたが、普通のトイプードルならもっとすごいパニックに陥っていたと思われます。
ただ、今日の体験が心の中に残っていることも間違いありません。
現在の不安な気持ちを、『他犬がいても何事もなく大丈夫だ』から、さらに『楽しい』へと移り変わるよう徐々によい経験を積ませることが望まれます。

しかし、一般的に管理者のいないドッグランや犬が集まる公園などでは先住犬がデビュー犬を駆逐するなど何が起こるか予測がつかないものです。
そのようなことがないようにとオープンしたカフェですので、開店以来のアクシデントに娘さんのショックは十分理解できますが、**のためにもいずれまたご来店いただき、不安を払拭できるようになることを心より望んでおります。

最後になりましたが、率直なお気持ちを伝えていただいたことに感謝申し上げます。』

というものであった。今日のお客様は初めての方ばかりだったので人物は特定できないよう配慮したつもりだ。

私にとってはオープン以来7ヶ月分の1の出来事であるが、**ちゃんとその飼主にとっては今日がすべてである。
これからも、このことを肝に銘じてしかも萎縮することなく、社会と人と犬の関係について発信していきたいと思う。
 

災害の都度思うこと 2004年07月13日(火)

  涼しくカラッとした晴天がやっと訪れたと思ったら、新潟や福島で大変な豪雨が続いており、多くの方が被害に遭われているらしい。
地震や災害が発生するたび、その地域で暮らす盲導犬ユーザーに電話を入れて、安否を確認したり支援できることはないかと心配したものだ。しかし地震などの場合、その日のうちに電話が繋がることが少ないのがより心配を増幅させていた。

「倒れてきた食器棚とテーブルの隙間でメグがガタガタ震えてたんだよ。でも怪我もないし私も大丈夫です」北海道南西沖地震での函館に住むユーザーの話だ。
釧路沖地震の時は「俺はもうダメかと思ったが、チーナは平然としていたよ。もしかしたら気絶してたのかな、ガッハッハ」と悠然と話してくれたユーザーもいた。

幸いなことに、北海道の協会が担当する地域ではこれまで大怪我をしたり家屋が倒壊したユーザーはいない。しかし、阪神淡路大震災の教訓が生かされているわけでもなく、万が一の時には近所の方々がどれだけ援助してくれるかにかかっているのが現状だ。
いざと言う時にお年寄りや障害者など、地域で確認・支援体制が取られることを願わずにはいられない。
もし、ユーザーだけでなく盲導犬をも助けられる状況であれば、この二人を引き離さないで欲しい。救急車や避難場所にも家族の一員として受け入れて欲しいと思う。

長岡市・新井市など新潟の町に北海道の卒業生が住んでおられる。盲導犬使用者のFさんは長岡市で市会議員を務めているから、今後高齢者や障害者のバックアップ態勢についても取り組んでくれるだろう。
ただ、今は彼らの無事を祈るばかりだ。
 

盲導犬の訓練時間その2 2004年07月12日(月)

  国際基準である80時間の訓練は単純に計算すると、毎日1時間で週5時間、月に20時間として4ヶ月あれば可能である。しかし、実際4ヶ月で訓練を完了している学校は、私の知る限り世界で2校しかない。そして両校に共通しているのはスパルタ教育である。ほとんどの学校がその2倍から3倍の訓練期間を設定し、80時間以上の訓練を行っている。

実は盲導犬の国際基準を定める会議で、様々な話し合いがもたれた。盲導犬の適性はどうあるべきかとか、必須の訓練項目にエスカレータの訓練は入れるべきか(イギリスでは当時、爪を挟む可能性があるので動物虐待の観点から、エスカレータに乗る時は、盲導犬といえども抱っこして乗らなければならなかった)訓練時間についても意見は分かれたが、現に4ヶ月で訓練を仕上げている学校があったので、あくまでも『最低基準』ということで80時間ということになった。

犬に限らず生き物が物事を理解し覚えていくには、段階を踏むことはもちろん、休憩と言うか間合いが必要である。毎日8時間訓練すれば10日で盲導犬が出来上がるというわけではない。逆に訓練時間が短いとしても、盲導犬学校の犬舎で生活しているのだから、日常の生活態度やトイレットトレーニングなど訓練を覚えるというより生活習慣を体得する期間が長いと、そこそこにおりこうさんになる。
じゃぁ、と長い期間をかけて訓練すれば確かに性能は上がるが、盲導犬として働ける期間は短くなり、育成能率が下がりコストもあわなくなってしまう。

7ヶ月程度の訓練期間が両者の長所を取り入れた合理的なものと私は思っていた。そして若手の訓練士には100時間以上の訓練を行うよう指示した。
ところが、北海道の協会のように訓練以外の業務もこなさなければならない場合、この100時間の訓練時間を確保するのがどれほど大変だったか、訓練報告を見ながら私は唖然としたことがある。訓練以外に割かれる時間がそれほど多かったのだ。若い訓練士にはハッパをかけ続け彼らに頑張ってもらったものだ。

イギリスのように教えられたことを教えられた通りに、犬に対しても教えるような訓練士は残念ながらまだ今の日本には必要ない。トータルに盲導犬の育成を学び、「自分に何が足りないか」「訓練犬に何が必要か」「使用者から何が求められているか」など自らが考え、最低基準である80時間の重みを感じながら、今の訓練士には努力してもらいたいと願っている。
 

盲導犬の訓練時間 2004年07月11日(日)

  意外と知られていないことだが、盲導犬を一人前にするための訓練時間は、国際基準で80時間以上と定められている。個々の判断にもよろうが、「そんなに早く訓練できるの?」との印象を持たれるだろう。
日本では盲導犬を何か特別な犬として扱う象徴のように『長く厳しい訓練』という曖昧な表現が一人歩きしてしまっているから、ちょっと肩透かしを食らった気分になるようだ。

盲導犬の候補犬はご存知のように1年間パピーウォーカーの下で育てられるが、この時盲導犬の訓練を行うことはあまりなく、盲導犬となるために必要な社会性と経験それに人間に対する信頼感を身に付けるのが主な目的だ。

適性検査に合格した後、訓練に入るわけだが、この80時間以上の訓練を行うために、国際的に見ても4ヶ月から12ヶ月という風に、学校によってその期間が異なっているのは特筆すべきことである。
その理由のひとつに、専門職と『何でも屋』の違いがあげられる。つまり、訓練士として職務に専念できる態勢が取られている学校と、犬の給餌や管理などケネルスタッフを兼務しさらに募金や広報活動も行う何でも屋では、訓練できる時間が当然変わってくるのだ。

イギリス盲導犬協会の繁殖システムを確立した今は亡きフリーマン氏の家に泊めてもらった時、私の仕事が多岐にわたっていることを話したら、彼の娘たちが
「Jack!」と叫んだ。ジャック、何でも屋である。皮肉なことにイギリスのことわざにJack of all trades and master of none.というのがある。多芸は無芸という意味で当時私は少なからず恥ずかしさを覚えたものだ。

しかし、数年後、かの国の訓練士たちと話をした際「私たちは盲導犬を訓練することしか学んでおらず、あなたのようにトータルで盲導犬の育成を考えることができないのが恥ずかしい」と言われ、北海道で専門職化を進めていた私は目から鱗が落ちる思いだった。(つづく)
 

スーの下痢 2004年07月10日(土)

  昨日の明け方3時頃からスーがお腹をこわしてしまった。例によって「ふゅ**ん」の一言でKを起こし、「トイレ」と催促した。雨降りのガーデンに出ると激しい下痢を数回した。
原因は分からないが思い当たることはあった。前日、Kの実家で3時間ほどスーを預かってもらっていたのだが、恐らくその時に食べたものがスーのお腹に合わなかったのかもしれない。
普段食べ慣れないものを与えられると、お腹がビックリして対応できないことが犬の場合多い。ドッグーフードを別銘柄に切り替える際、混ぜながら数日かけるのはその為である。スーのように7歳にもなると少々のことではお腹はこわさないから、余程のご馳走を頂いたのだろうか。

このような時、すぐに病院に連れて行く方が多いようだが、下痢をすることなど生きていれば当たり前に起こるものだ。我が家ではほかに大きな症状がない限り、家庭療法で対応するのがまずは筋だ。
スーの朝食を抜き、胃腸の負担をやわらげた。通常の下痢ならゲンノウショウコを煎じて食パンに含ませると食べてくれるのだが、今回は食べようとはしなかった。「手強そうだな」と感じていたら、嘔吐が始まった。異物は混じっていない。
夕方になって下痢の回数と量が減り、多少血が混じるようになった。出すものがなくなったのと、腸に負担がかかっていたからだろう。まだ、嘔吐があったので夕食も抜くことにした。その後、夜中に一度吐いたが今朝の顔は辛そうではなかった。念のため朝食を抜きビタミン剤を与えて様子を見ることにした。
「午後までに治らなければ病院だな」と思っていたら、昼前から顔色がよくなってきた。K特製のおかゆを少量与えるとペロリと食べ、「もっと」と催促したらしいが、30分は嘔吐がないかを観察してもらい、その後数回に分けて食事を与えた。
一旦よい方向へ向かい始めた時の犬の回復力にはいつもながら驚かされる。夜にはすっかり元気になり、お泊りのジェニーが持参した大きなガムに興味を示していた。
明日のウンチが良好であればOKである。

スーには出来るだけ薬を使いたくないと思っている。長生きをして欲しいからだ。人より確実に早く年を取り、いずれ病に犯されるだろうが、その時、普段から安易に薬を使っていないと必要な時に投与した薬が効果的に作用すると考えているからだ。
 

がんばれ、石川さん! 2004年07月09日(金)

  暑い暑いとニュースになっているのが信じられないほど、今日も長袖が必要な寒い一日だった。何やら太平洋高気圧の勢力が強くて、梅雨前線を北に押し上げているのが原因らしい。涼しくてカラッとした北海道の夏は今や昔の話なのだろうか?

東京ムツゴロウ王国があきる野市にまもなくオープンすると伺った。エキノコックスに関する検疫などで動物たちは長い間隔離生活を送ったらしい。
北海道しかも道東という、とりわけ涼しい地域からの移転でなので、隔離中はエアコンが効いてるだろうが、オープンした後の日中の彼らが大丈夫なのだろうかと心配していた。

1990年にほぼ半年間、私は視覚障害リハビリテーションを学ぶため大阪で暮らした。仲間がアイマスクをしての白杖歩行の実技中には36度を超えたこともあり、暑がりな私は休憩時間の喫茶店でエアコンに張り付いていたことを思い出す。とにかく過酷な暑さだった。

しかし、私は覚えている。あの夏にも犬たちはちゃんと散歩をしていたことを。苦しそうでもぜーぜーしているわけでもなく普通に散歩をしていた。もちろん日中ではなかったが夕方というわけでもなかった。見ると北海道で暮らす犬と違って、お腹の毛はなくちゃんと環境に適応していた。

心配なのは石川さんのことである。動物王国のこれからを担う彼に、犬たちのような環境に適応する肉体的能力がまだ備わっているかが心配なのである。
女は元気でしたたかだから奥さんのことは心配していない。今後は彼女が石川さんを支えてくれることを祈っていると言ったら、奥さんも石川さんも奮い立ってくれるだろうか?。
健康と成功を心から祈りたい。
 

微生物の力 2004年07月07日(水)

  カフェのガーデンにとって最高の援軍が今日届けられた。
10リットルタンクのバクテリアである。

もう7〜8年前になるだろうか、盲導犬協会では犬たちの排便所に消臭消毒のため、ブリーチやハイターなどの次亜塩素酸系の薬品を散布していた。10坪程度の排便所に毎日20数頭の犬が6回以上も用を足すため、夏の暑い日はとりわけ丁寧に散布していた。
しかし、土は死にフェンスは錆びおまけに犬のパッドはつるつるになっていた。

「長崎君、おもしろいものがあるよ。使ってみないかい?」と大学の先輩が無料で提供し続けてくれたのが、このバクテリアである。
原液を数日飲み続け、身体に異常が無いことを確認してから、排便所の土を入れ替え、微生物が住みやすいように炭を入れた後、散布した。
同じ頃、協会の前に養護学校が建築されたが、ヒヤリとしたのは排便所の前が給食室だということであった。
「失敗は許されない」と私は意味も無いのに必要以上のバクテリアを撒いていたのを思い出す。
その後、犬の食事にも混ぜ、老犬ホームにも散布した。

結果は上々であった。薬品と同様の効果があるだけでなく、数日撒かなくても平気だったし、何より安心して犬たちにも散布できた。

少々値は張るが、ガーデンに常在する微生物に加え、このバクテリアを散布することにする。牧草やクローバーだけでなく人や犬たちにも安心だからである。
「自分でも毎日飲んでごらん。調子いいよ。」先輩はそう言うけれど、そこまで今の健康食品ブームを私は信じてはいない。
ただ、脳裏をよぎったのは、手術が必要とされた私の膝は友人のアドバイスで飲んだ健康食品で急激に改善されたことだ。
宣伝や広告には乗せられないが、友人のアドバイスにはちょっと耳を傾けてもよいかなぁと思っている。
 

花と犬 2004年07月06日(火)

  ヴォーノの父さんと母さんが開店前のカフェに来てくれた。
カフェのフラワーポットを管理して頂いてるジャーマンショートヘアーポインターのオーナーだ。

私のパートナーKは花や置物などの美的感覚に優れ、顧客であったロイヤルガーデナーのヴォーノの父さんから「花を置かないか?」とカラー写真の載ったチラシを見せられてすっかり気に入ってしまった。

「花がしぼみ始めたら、その花を摘んでくださいよ。種をつけるようになったら養分がどんどんそっちへ取られてしまうから」とヴォーノの母さんに言われていた。
花の管理はKがするものと思っていたが、オープン前のカフェの掃除には殊のほか時間がかかり、何をしていいか分からずうろうろしている私にそのお鉢が回ってきた。
草花のことには全く疎い私だったが、「お花に水あげてくれた?しぼみかけた花も摘んでね。ヴォーノの母さんに怒られるぞ」と毎朝のようにKに言われて、徐々に生活習慣が出来上がった。

「ヴォーノの母さんに怒られるからな」と念仏のようにつぶやきながら水を与えて4ヶ月。付け根に種子を持ち始めた花を摘み取るうちに、摘んでも摘んでも花が増えてどんどん綺麗になっていくことに感動した私は、少なくともビオラの花に愛着を持つようになっていた。

「そろそろ次の花にしようか」と今朝ヴォーノの父さんが言った。
「えぇっ!まだこんなに咲いてるのに?」と私はパピーウォーカーが1年暮らした犬を引き渡す時のような感傷を覚えてしまった。
「じゃぁ、半分だけ取り替えますか?」今月イギリスでロイヤルガーデニングの勉強に出掛けるという優しいヴォーノの母さんが言ってくれた。
飛行機嫌いで留守番をすることになっている父さんが、次の花は****だと言う。
私には聞いたこともない花の名前だったが、新たな出会いを楽しみにする気持ちに少し驚いた。

ガーデンでは、近々嫁さん候補の仔犬が来るかも知れないと聞かされていたヴォーノが、そこ此処にオシッコを引っ掛けていた。

草花を愛するヴォーノの父さん母さんにとっては、脈々と生命が受け継がれることが自然であり必然である。一方、都会で暮らす愛犬にするため「去勢、去勢!」と騒ぐ私が居て、且つお互いを理解している。
人と花、人と犬のより良き関係を目指していること、そしてそれぞれが商魂ではないしっかりした考えをもっていることが共通点である。
 

去勢の効果 2004年07月05日(月)

  久しぶりにワイヤーヘアーMダックスのクー太クンがカフェを訪ねてくれた。
「去勢したんですよ」
奥さんの顔が妙に明るい。その理由はガーデンで遊ぶクー太クンの姿を見れば一目瞭然だった。

オス犬として虚勢を張っていた頃のクー太くんは、メス犬を見つけてはただただ夢中で追い掛け回し、ヒンシュクを買うことが多かった。
繋がれたカフェの中では「俺を放せ!さもなくば殺せぇ!」とばかりにワンワン吠え立てていた。その度に飼主のTさんはクー太を叱り、「すみません、すみません」と周囲の方に謝っていた。
そのクー太クンが今日はガーデンで仲間たちと楽しそうに戯れ、陽気に愛想よく振舞っている。本能によって突き動かされていた行動が姿を消し、冷静に社会を観察するようになっていた。
叱られることが多かったために、人に食って掛かるところもあったが、一旦よい方向へ歯車が回り始めるとクー太も満更ではなく「わあ、クー太こんなにおりこうで可愛かったんだ」と言われると、もうニコニコしている。

去勢を勧めていた私もこれほど劇的に変化するとは思わなかった。まるで別犬である。
「オシッコもまとめてするようになったので、散歩の時のマーキングがうんと減ってきています」とTさんも散歩が楽しめるようになっているようだ。
また一組、『人間社会での犬』と暮らす仲間が増えたと嬉しくなった。
 

ガロ社長 2004年07月04日(日)

  午後からは久しぶりに長袖に腕を通すほどの心地よい気候だった。私のカフェにはクーラーがなく自然の涼風を窓から取り入れているだけなので、今日のように晴天でありながら肌寒いほどに涼しいのはとてもありがたい。
あと1ヶ月が北海道の夏本番だから、このまま無事営業できることを今夜も祈る。

「長崎さん、これから伺ってもいいですか?」
昨年12月のオープンを心から祝福してくれたガロ社長の娘さんから電話があった。社長は私より10歳年上で、飲むほどに親しみやすく、酔うほどに弁舌が冴えるレオナルド熊に似た優しい方だった。オッチという愛犬を子供のようにこよなく愛し、家族であり社員として過ごしておられた。オッチの最期を迎える前から自宅に伺って、ケアについてのアドバイスをしたこともあり家族ぐるみのお付き合いをさせていただいた。
オッチが亡くなった後も、飲み屋で思い出話が登場する度、オッチは幸せな奴だなとつくづく思ったものだ。

その社長がカフェをオ−プンして間もなく、家族と共にお店に除雪機を届けてくれた。特製カレーを美味しい美味しいと言って食べてくれた。
数日後、不慮の事故で社長が死んだと聞かされた時、私はこれまでに無い、初めてとも言えるショックと悲しみを感じ自分でも信じられないほどの涙が流れ続けた。

「悔しくて悔しくて。どうしてもこの大きな穴を埋めれない」と嘆いていた奥さんと娘さんが7ヶ月の時を経て、ようやくカフェを訪ねてくれるまでになったことを私は喜び、大の犬好きであるお二人にお泊り犬のゴン太を手渡してささやかな幸せの時間を共有した。
二人とも人気のパスタではなく思い出の特製カレーを食べていたのがちょっと切なかったが…

「長崎さん、これお願いします」と、白い布を渡された。千人針のように一針縫って下さいということだった。
納骨を決意されたと聞き、惜別の思いを込めて3針縫った。
私なりの思い入れは現在車庫で休んでいる除雪機に、社長の愛称である『ガロアラシ号』と刻んであることだ。
冬が来るたび、優しい眼差しの社長を思い出し、犬たちにも優しくすることができるとこの夏に思った。
 


- Web Diary ver 1.26 -