From the North Country

To シフォン 2004年07月27日(火)

  「お聞きしたいことがあります。
シフォンとじゃれあっている時、手や指などあま噛みする時があります。
近所には小さい子供もいて、あやまって傷つけないかと心配です。なにか良いしつけ方ありますでしょうか。」

メールで問い合わせを頂いていたのに返事が遅くなってしまった。この欄でお答えしよう。

シフォン、Mダックスの5ヶ月になるメスである。
どちらかと言えば内向的で他人や他犬との関わりを持ちたがらない性格に見えた。
5ヶ月といえば何でもかじりたい盛りであり、小型室内犬の場合はまだトイレの失敗などがあって叱られることも多い。だからなんでもかんでもしつけようとすれば、思いとは裏腹にいじけたり陰でこそこそする犬になってしまう。

乳歯が完全に生え変わり生後7ヶ月を過ぎる頃にはほとんどの犬は噛まなくなるものだ。ただ、人も一緒になってあま噛みをゲームにしたり、タオルやデンタルコットンなどで唸るまでの引っ張り合いをするとさらに長引くようになるので注意が必要。

ダックスは内弁慶で怖がり屋さんだから、自宅や飼主のもとでは強がって吠えたり威嚇することがある。
だから仔犬の内からいろんな人と関わりを持たせ、様々な環境に馴染ませるだけでなく、それぞれが楽しい経験となるように配慮が必要だ。

生後6ヶ月辺りを境に吠えるようになることが多いので、コントロールの仕方も身に付けておいたほうがよい。
散歩の時引っ張ったりオスワリやフセそれにマテをしないからと言って叱る人がいるがこれは間違い。
しっかり教えられていないのに叱られても困ってしまうのは犬のほうだ。例えばスワヒリ語で何やら話し掛けられて、意味がわからないままコツンと頭をぶたれるようなものだ。
叱るのは図に乗っていつまでも吠えたり、人や犬を威嚇したり、逆切れして飼主に反抗した時などに徹底的にやればよい。

近所の子供たちを傷つけるかもしれないという心配があるのなら、子供の親がいる場所で遊ばせればよいと思う。
神経質な親なら子供を引き離すだろうし、多くの常識的な親なら「なあも、なあも気にせんでいい。5ヶ月のダックスに泣かされても兄弟喧嘩みたいなもの。こうやって子供は犬のこと学んでいくべ」今はそうはいかないのかなあ?

盲導犬でいえばパピーウォーキングの時期だから、とにかく人間社会に馴染ませ、人を信頼するよう大らかな気持ちで育てよう!
 

テーマ3 2004年07月26日(月)

  「こんな経験は生まれて初めてだ!」この年になってそう思えることがまだあるから人生めったなことでは止められない。
それほど今夜の雷雨には凄さまじいものがあった。40分以上の間、数秒おきに閃光が夜空を焦がし稲妻が走った。
部屋の電気を消し、すべてのカーテンを開放した。窓の外に繰り広げられる自然の脅威を目の当たりにし、直撃の恐怖を感じながら、日々の営みの小ささを思った。
私たちから少し離れた場所では愛犬スーがすやすやと寝息を立てていた。

テーマ3.盲導犬を貸与する側
初めての国産盲導犬が日本に誕生したのが1957年。現在のように各地に盲導犬協会が設立され活動を開始したのは1970年代のことである。
盲導犬というものが国内で認知されるために、当初は社会的地位のある優秀な視覚障害者だけがその使用を認められた。まるで乗用車や三種の神器と呼ばれた家電が、一部の裕福な人々のステータスシンボルであったように。

そして30年以上が過ぎた今、自家用車や家電はもとより、パソコンですら我々は当たり前のように手に入れて商業的社会活動に貢献し恩恵も受けている。その結果交通事故死は現在は減少傾向にあるとはいえ年間1万人近くになり、ネット犯罪はとんでもない増加傾向を示している。

さて、話を戻そう。盲導犬を使用できる人にどのような制限を設けるべきだろうか?
犬を虐待する人、薬物を使用している人は除くとしても、それ以外の『盲導犬と自由に歩きたい』という願う人々を我々は排除できるのだろうか?
唐突な問いかけだと思われるかも知れないが、ご自分と周囲の人に当てはめて考えていただきたい。

この時代になると、お金や社会的地位はないけど自由に歩きたいと願う人に対して盲導犬を貸与することに、ほとんどの方は依存ないだろうが、事前の調査では容易に分からなかった以下のような使用状況があることも知っていただきたい。

1.見えなくなったことに絶望し、死を選びたいのだが投身する橋梁や轢死する踏み切りに行くことが出来ない人(結果的にそうなった人はいない。盲導犬が踏み止まらせたのだろう)
2.偏屈な人間で、地域からも嫌われている人が盲導犬を持ってさらに活動的になり自己主張を展開するようになった。
3.統合失調症の方が、通院のために盲導犬を使用すること。
4.見えてる人から見れば、危なっかしい状態であるが、振り返ってみれば数年も事故なく安全に通勤している

歩くという行為、移動するという手段はそれぞれの目的や人間性に関わらず基本的人権に含まれていると私は思うのだが、盲導犬の普及という言葉を社会はどう判断しているのだろう?
いろんな人がいての社会だが、社会は何を何処まで受け入れるのだろう?
 

サッカー代表4対1のあとに 2004年07月24日(土)

  メールの中身を本人の了承もなく、他人に見せるなどもってのほかである。しかもインターネット上で不特定多数の方に公開するなど許されることではない。
しかし、今夜のサッカー日本代表とタイとの試合が終わったのは夜11時半ではなかったか。既にありったけの焼酎を飲み干し、台所にあった2リットル980円の料理用の日本酒に手をつけ始めた私に、これ以上どうしろと言うのか?
というわけで、昨夜のコラムに寄せられた盲導犬使用者からのメールを一部修正のうえ転載することにした。
きっと彼女も許してくれるに違いない。

『ときどき先生のHP「北の国から」を読ませていただいています。
久しぶりに先ほど読んで感動しました。
盲導犬と一緒にマラソンや登山をするユーザーがいる・・・というページです。
これについて、先生の見解に思わず両手をぱちぱちです。
私もシェルという盲導犬と歩く自由を取り戻すことができました。
一つが可能になると、失明とともにすっかり自信をなくしていたことがいつの間にか前向きに明るく生きて行ける自信のようなものが掴めていたのです。
○○さんたちと一緒に富士登山ができたのも、その一つです。
私たちのパーティーに出会った静岡県のある主婦が
「のびそうになって苦しんでいるときに、盲導犬と登ってくる視覚障害者とそれをサポートする人たちの様子に励まされ、リタイヤせずに山頂へたどり着けた」という投書が朝日新聞に寄せられたのです。
パーティーの人から「この投書に応えて欲しい」と言われ、その役を私が引き受けました。
先生のHPページを読んで、まさにこのときの残念な反響を思い出したのです。

それには
「訓練され、主人に忠実を強いられている盲導犬を富士山に連れていくのは動物虐待に等しいです。見えない人のエゴの固まりです。」などと書かれた手紙とペットの犬や猫、鳥などが、動物虐待で殺された切り抜きがいくつも同封されていたのです。
読んでくれた人も最後まで読めないほど惨い記事でした。
このことがあって、しばらくは私の自信どころか、生き方さえ見失いそうで悩んでしまいました。
このとき、私を救ってくれたのはシェルでした。
シェルとの絆が深まった手応えがはっきりつかめたのです。
あの富士登山以来、私は山登りを続けています。
500メーター以内の山はターシャ(注、二頭目の盲導犬)も一緒ですが、下山するときはハーネスが低くなるので腰に負担がかかります。
悔しいかな、それは加齢とともにつらくなるので、今では知人宅にあずけることが多いです。

夫の飲み会をいいことにして思いつくまま一気に書いてしまいました。
本当に先生のHPに感動し、懐かしさがこみあげてしまいました。
(漢字変換の誤字などありますことをご容赦くださいませ)
そうそう、くれぐれも「飲み過ぎないように」お願いします!』

という内容だった。
送り主はKさん。彼女は天才であると私は信じている。
全盲の彼女がパソコンを操って私のコラムを読んでいるからではなく、誤字の少ないメールを私にくれるからでもない。彼女の短歌や詩に触れた方は誰もが黙り込んでしまうに違いないほど、その感性は研ぎ澄まされ洗練されているからだ。
「君死にたもうことなかれ」の与謝野晶子を彷彿させる、いや女史さえも超越した詩を書くことが出来る方である。

いつの日か彼女の才能に日本中の方が触れる時が来るだろう。
 

テーマ2 2004年07月23日(金)

  一旦流れが途切れると書き出すのに苦労する。
元々3日坊主で終わるはずが3ヶ月以上も書きつづけているのが不自然なのであって、その歪みがこの引っ込まないお腹に現れているのだ。
妙な八つ当たりをしても仕方がない。あと3日のつもりで頑張ろう。

テーマ2.盲導犬を使用する側
本州でのある事故がきっかけで盲導犬使用者が批判を受けたことがあった。マラソンの伴走をしていた若い盲導犬が、競技中だったかその後だったか忘れてしまったが、いずれにせよ走ったことが原因と思われる心臓疾患で亡くなってしまったのである。
「盲導犬を伴ってマラソンするなどもってのほかだ」
「富士山など、登山に盲導犬と一緒に行くなどと聞いたことがあるが動物虐待だ」などという批判が起こった。

私はその批判に一理あるなと思ったが、どこか引っかかるものを感じた。
そんな時は即答せずに一晩酒を飲みながら考えるのが私の流儀である。その時も然りだった。
そして翌朝には自分なりの結論を出していた。

確かに盲導犬は、視覚障害者の日常生活を支えるため、安全に誘導するものであって、マラソンや登山を当初の目的としていないのは明らかである。
一方、以前この欄の視覚障害リハビリテーションで述べたと思うが『失明による喪失』の中にはリクリエーション能力の喪失というのがあり、他人から見ればたいしたことないものであっても、自分の趣味を失うというのは相当な苦痛を伴うもので、失明後あれも出来なくなった、これも出来ないと悶々とした日々を送っていた方が、盲導犬と暮らすようになってから行動の自由を獲得し、生活に楽しみを感じ出しただけでなく自らの自信を回復した結果、失明と共に諦めていた以前からの趣味であるマラソンや登山あるいは海外旅行などが「この子とならば出来るかもしれない!」と思えるようになったとしたらそれはとてもすばらしいことであると思う。

走ることや悪路を登ることは犬の生態に合わないものではないしメディカルチェックも受けていた。
不幸な事故であったし、使用者の自責の念は相当であったと聞いた。
しかし私は彼女を責めることはない。盲導犬が視覚障害者の夢を膨らませチャレンジさせるという、長い歴史の中の記憶に留めるべき出来事の一つだと思えるからだ。
 

補足?蛇足? 2004年07月21日(水)

  問い合わせのメールをいただいたこともあり、今日のテーマに入る前に酔いつぶれてしまった昨日の補足をしなければならない。

1.プラットホームで視覚障害者を見かけた時のマナー

訓練を受けた視覚障害者は、電車が入ってきたら、白杖をスライドさせながら近づき、ボディーに杖が当たるのを確認する。続いて左右どちらかに曲がり、手で車両を伝いながら、切れ目となったドアを確認して乗車する。というのが手順である。
しかし、見えている我々からすれば、彼らがドアではないところに向かって歩き、電車にぶつかってしまうように見えて、思わず「あ!危ない!」叫んでしまいがちだ。
ただでさえ神経を研ぎ澄ませて不安な気持ちで歩いている時に、「危ない!」叫ばれたなら本人は心臓が止まらんばかりに驚き、取り乱してしまうかも知れない。
「じゃ、ほっとけばよいのですか?」
答えはちょっとイエスであり、ほとんどノーだ。

視覚障害者のプラットホームからの転落事故は毎年のように起きている。その原因の多くは次のようなものだ。
1.通い慣れた駅での油断
2.ホームに電車が入ってきたと思い込み、歩いて行ったら、電車が入ったのは実は向かい側のホームだった。
3.車両の切れ目をドアだと思い込み、確認もせず乗り込もうとしたら、そこは電車の連結部であった。
などである。

結論。
プラットホームで視覚障害者を見かけたら「○○行きの電車がきたら席まで案内しましょうか?」と勇気をもって声をかけるべきである。正しい誘導の仕方というのもあるのだが、そんなことを気にするより優先されるのは声かけである。しかし、中には弱視なりに見えている人(ほとんどの視覚障害者は何がしかの見え方をしている)もいれば、全盲でもへそ曲がりな奴、たまたまその日虫の居所が悪い人もいて、「結構です」と断られることもあるだろう。そんときゃ、腹を立てずに見守ってあげよう。我々より不自由な状態であることに変わりはないのだから。

ただ、杖で歩くということは、目印になる壁などを発見しそこからどっちに移動するかの手立てとしている場合が多いので、「あ!危ない!」などと叫んで相手を驚かすのではなく、例え転落寸前であっても「ちょっと待って」と冷静に・・・できっこないよね。

今日のテーマどころか、昨日の補足の半分も終わらぬうちに、奈良に住む幼なじみで親友でもあるFが送ってくれた25度の焼酎が、2時間の間に私をしどろもどろにし始めている。
明日は定休日。さあ、飲むぞ!
 

テーマ1 2004年07月20日(火)

  今日、長年の友人である人妻Mの話を聞きながら、盲導犬を受け入れる側(社会)と使用する側(視覚障害者)それに貸与する側(盲導犬協会)三者それぞれに実際にあった出来事について考えてみた。

テーマ1.受け入れる側
ハンセン病の元患者受け入れ拒否問題で矢面に立たされたアイレディースが、一方的な悪者扱いされたことに対して、怒りの意思表示とも受け取れるホテル閉鎖を決めたことは私にも考えさせられることが多かった。
「国や県が事前に充分な情報を与えていなかったではないか!他の宿泊客や社会的な面を考慮して、だからひとまずはご遠慮願いたい」とホテル側が考えたのには公共的私企業として一理あると思ったからだ。

異議を唱える方も多いだろう。ならば問いたい。
プラットホームに電車が入ってきたとしよう。杖をついた視覚障害者が電車に向かって歩き始めた。しかし、その先にドアは無く、車両の壁に杖がぶつかる状態だった。
あなたはひょっとしたら「危ない!」と言うかも知れないし、勇気を出してその方を電車のドアまで誘導するかも知れない。
しかし現実は、その視覚障害者は見えない電車のドアへと向かって歩き出したのではなく、とりあえず、電車のボディーを杖で探せば、あとはボディー伝いに左右どちらかへ歩けばドアが分かると訓練を受けていたのである。

『知らない』とはそういうことである。一方は拒否したが一方は余計なおせっかいをしたことになる。
拒否すると社会的制裁を受けるから、無知でも過剰なおせっかいをしたほうがマシだったのだろうか。
盲導犬の事例を紹介しよう。

「盲導犬と一緒ですが泊めてもらえますか?」
「勿論です!外に犬を繋ぐところはたくさんありますから」

「盲導犬と一緒ですが泊めてもらえますか?」
「勿論です!でも当ホテルでは盲導犬のためのお部屋は用意していないので、ご一緒の部屋でよろしいでしょうか?」

「盲導犬と一緒ですが泊めてもらえますか?」
「勿論です!何処でもご自由にお使いください。でも一つだけお願いがあります。お風呂にだけは盲導犬と一緒に入らないで下さい」

この三つの冗談とも取れる現実がお分かりだろうか?
酔っ払った私には何が言いたいか分からなくなってしまった。社会の理解を得るにはそれなりの行動と時間が必要だ。
テーマ2と3についてはまた明日。
 

杞憂 2004年07月19日(月)

  今日の午後カフェに来ていただいた方は、「随分繁盛している店だな」と思われたかも知れないが、朝から来られていたシベリアンハスキー・チェス君のご両親は「このままではチェスの社交場はいつまで持つか分からない」と心配されていたと思う。
正直、開けてみなければどうなるか分からないというのがオープン8ヶ月を前にしての実感である。
午前中は閑古鳥、午後は一時的にインターネット状態。
その心は、ドットコムなんて洒落てる場合ではないか。

暇な午前中の隙間を埋めてくれたのが、先程のチェス君とお泊りのMダックスのリズだ。別名『ストーカーのリズ』。飼主と一緒の時は「あなたこそ私のすべてだ」なんて振る舞うくせに、お泊りになるともっとも使えそうな人間をすばやく見つけ出し、まとわりつき、我が身の安定を最優先するように膝に上り、人のベッドに潜り込む。その餌食になるのが優しきパートナーKだ。
「だって、もし明日リズが死んだとしたら、ああ、あの時もっと優しくしとけばよかった、なんて後悔したくないでしょ」と彼女は言う。なるほど、と思わぬことも無いが、どこか引っかかる。
「明後日も再来年も10年後も、もしリズが生きていたら、君はずっと明日のことを憂いながらリズのシモベになるのか?」
そう言うとKは悔し紛れに一言で片付けた。
「ケッ!」

天が落ちてくるかもしれないと毎日毎日心配しながら生活していた中国杞の国の人々。杞憂の由来である。

カフェの先行きやリズの明日は確かに天が落ちる以上の現実味はあるが、それを憂いながら日々へこへこするのはご免こうむりたい。
 

道北のユーザーたちその3 2004年07月18日(日)

  オホーツクに近い小さな町で治療院を営むKさん夫妻の傍にいるだけで、心和み優しくなれた。実にほがらかな夫婦である。
全盲夫婦で生活するだけでも大変なことがあっただろうに、子育てはお互い助け合いながら行い、実に楽しそうだった。しつけは今時の親の手本になるような見事さである。

弱視だった一人っ子の健吾くんが盲導人として両親を誘導していたが、小学校に入ってからは「友達と遊ぶ時間はいずれ見えなくなる健吾にとって大切な経験」とKさんは考え、奥さんが盲導犬を持って買い物などの用事が済ませるようにした。
天才的な能力を持つご主人は、杖で何処へでも出掛けられるが、見えない上に難聴がある奥さんは、買い物のために国道を渡るには盲導犬の目が必要だった。
犬は主人に似ると言うが、盲導犬のメリーさんもだんだんとKさんのように大らかでおっとりした犬になり、歩いている時の二人の姿はとても微笑ましかった。

そんな両親のもとで健吾くんはとても素直に育ってゆく。
色付きの豆電球の明かりを両手で包むようにして中を覗き込み「ねえねえ綺麗でしょ!」と言う。私も札幌でいろんな電球を集めて健吾くんに持って行った。赤・黄色・紫…彼の頭の中に様々な色が焼き付けられた筈だ。
中学生になると友人とバンドを組みドラムを叩いた。
両親は地下室を作ってそこを稽古場にした。音楽というものが彼の身体の中ではっきり育っただろう。
高等盲学校を卒業する頃には彼の視力は無くなり、会話にも不自由するほどの難聴になっていた。

しかし彼は今、隣町と言えども親元から離れ、一人で治療院を営んでいる。
一昨年、旅の途中で彼の治療院に立ち寄ってみた。出迎えてくれた彼は、すっかり大人になりお父さんそっくりな話し方で応対してくれた。帰り際には「あ、ちょっと待って!」と言って冷蔵庫の中から缶コーヒーを持ってきて「車の中ででも飲んでください」とお母さんそっくりな配慮を見せてくれたのである。

『子は育てたように育つものだ」と実感した。
将来見えなくなり聞こえなくなるかもしれない我が子が、社会的にも人間的にもしっかりした個人であるようにとKさん夫婦は考えていたに違いない。そのために必要な経験と基礎知識それに社会性を、障害を持つ自らの経験を通して教えていたのだと思う。
3頭目の盲導犬と暮らし、今なお、自分たちの生き様を示すことで健吾くんにエールを送っているのだとも思う。

障害を持つ夫婦が子供を産む状況になった時、生まれた子供に自分たちと同じ障害が出るかも知れないことを当然考える。その時、生まないことを考えたならば自分の人生をあるいは存在すらも否定することになるだろう。答えは明白である。健吾くんは他の誰でもないKさん夫妻が立派に育てた子供である。尊敬こそすれ気の毒だと思ったことはこれっぽっちも無い。私の人生の中で関われたことを誇りに思う。
 

道北のユーザーたちその2 2004年07月17日(土)

  「オーラン、オーラン、オーラン。」
横断歩道に誘導しろという意味の『オーダン』という命令語もこの人にかかるとオーランになってしまう。
身長150にも満たない小さな身体で、大きな盲導犬を連れて跳ねるように津別の町を疾走していたSさんの思い出である。
その顔には、深いシワが彼の人生を物語るように刻まれていた。

Sさんは津別の農家に生まれたが、先天的に目が見えず、昔の多くの田舎でそうであったように、ほとんど家に閉じ込められたまま育った。成長してからは農耕用の牛や馬の世話をしていたという。
私の予測でしかないが恐らく、世間体を気にする両親が亡くなった後、弟夫婦と暮らし始めてから彼の人生が動き始めたのだろう。

盲導犬を申し込めたのは奇跡に近いことだったと思うし、実際に貸与されたことは驚愕に値する。
何故なら、普通、生まれながらに見ることを知らず専門教育も受けずに育ったなら、交差点とか道路を渡るとか車道や歩道の正しい意味すら理解できない筈だ。その点において自宅牢のような所で生活した彼が、訓練を受ける中で世の中の仕組みを理解していったことは、奇跡の人ヘレンケラーに値すると私は思っている。

1頭目の盲導犬ゴローと暮らし、町を歩くうちに、彼は世の中を把握していたようだ。地図を理解していたし、社会情勢はテレビラジオを通じて学んでいた。
素朴な面もあり、訓練中に入浴した時、職員に生まれて初めて背中を流してもらったことを、一生の語り草にしていた。お酒のワンカップはワンコップで通し、オーダンはいつまでたってもオーランだった。

3頭目の盲導犬ライトと歩く頃には時代の先端を走っていた。
当時の人気アイドルだった堀ちえみの大ファンで
「新曲出たらしいよ」と言うと
「大丈夫、ちゃんとレコード屋で押さえてるある」と深いシワにさらに笑みを浮かべられた時には、返す言葉もなかった。「押さえてある」という表現が可愛かった。
そして町に1軒しかないレコード屋に飛ぶように歩いて行くのだった。

出張した時、鍵のかかっていないSさんの家を訪ね、大好きだった一升ビンを供えてから札幌に戻った。
数日後、チップ工場での仕事を終えて戻ったSさんの義妹から手紙が届いていた。
「長崎さんでしょ。お酒供えてくれたのは。義兄の仏壇のロウソクの火が嬉しそうに踊っていましたよ」と書かれていた。
 

道北のユーザーたち 2004年07月16日(金)

  Mさんは昨年の6月に4頭目の盲導犬グースを手放した。31年間にも及んだ盲導犬との生活に終止符を打ち、自らも古里美幌を離れて盲老人ホームで暮らす道を選んだのだ。
そのMさんとグースを引き取った元パピーウォーカーのWさん、同じく引退した盲導犬ティファニーを引き取ったKさんが、愛犬と共にカフェを訪ねてくれた。

2年ぶりに会ったMさんはすっかり小さくなり、年老いてしまっていた。
私が北見方面へ出張した時は、実家に帰省する息子のように必ずMさんの家に帰り、彼女もお袋のように迎えてくれた。落ち着くまもなく、いろんな出来事や思い出話を私に語りかけるのだが、長旅で疲れた私は横になったままそれを聞きながらウトウトしてしまったものだ。
今日のMさんもあの頃と同じように話し始めていた。
すると忘れかけていた思い出が私の頭の中で少しずつ動き始めるのを感じた。

Mさんの仲間だった北見のSさんはベーチェット病で失明した。
「あの頃アッチ(私)なんか死ぬことばっか考えとった。もう悔しいやら悲しいやら情けないやらで、毎日泣き暮らしてばっかり」
まだ私が駆け出し訓練士だった頃、陽気でパワー溢れるSさんが視覚障害だけでなく人間としての生き様を見せてくれたことなどが鮮明に思い出されてくる。
「うちの父ちゃんはどうせ浮気でもしとるんだろうし、あのバカ息子は外で悪いことばっかりしよる」
傍でご主人は片目を閉じて酒を注いでくれた。が息子の方は子供を作り、結局育てきれずに子供は未婚の姉が引き取って面倒を見ることになる。

孫を背中に背負ってSさんは盲導犬ニーナと散歩に出るのが日課になった。
出張で彼女の家に立ち寄った時、私は思わず吹き出してしまったことがある。
いつものように孫を背負ったSさんが盲導犬と歩き出そうとした時、「ニーナOK!まっすぐ!まっすぐ!」。命令を始めたのはなんと背中の孫だったのである。ニーナが素直に従い、Sさんが得意そうな顔をしていたのが余計おかしかった。

その後、息子は罪を犯し警察の世話になった。
裁判の席上「裁判長様!お願いします!うちの息子を懲らしめてやってください!」息子の更生を心から願うSさんは涙ながらにそう訴えたという。
事が事だけに大きなニュースにはならなかったが、恐らく日本で最初に裁判所に入廷が許された盲導犬がニーナであったはずだ。

数年が経ち、彼女の盲導犬はバディに変わり、息子は立ち直って代行業の仕事を始めた。Sさんが懇親会の余興で、大爆笑を誘うほどの化粧をしてフラダンスを披露したのもその頃だったと記憶している。見えなくなってからもっとも心安らぐ時代ではなかったろうか。

入院生活に入ってから何度かお見舞いに行ったが、自分のことより息子と孫、それに息子の子供を引き取った娘のことばかり心配しておられた。
Sさんが息を引き取ってもう何年になるだろう?
優しかったご主人からは今も年賀状が届く。(つづく)
 


- Web Diary ver 1.26 -