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Hさんはその後次の盲導犬を持つことはなかったが、歩くことを諦めた訳でもなかった。ケイとの生活の中で知り合った人々に支えられながら、自分の人生を短歌に綴り、また講演活動を通じて視覚障害者への理解と盲導犬のすばらしさを訴え続けておられた。
「私が歩かなくなってしまったら、天国のお父さんやケイちゃんが死んでも死にきれないって言ってくるの分かってるから、頑張って歩いてるのよ。二人のおかげでこの町の地図も頭に入っているから大丈夫。」と強がっておられたが、私に送られてきた手紙には、夢の中に度々ケイちゃんが現れてきて「何でお母さんあそこで迷ったの?あそこは左じゃなくて右だっていつも私が教えてあげたでしょ!」とケイちゃんに怒られたというようなことがまことしやかに書かれており、私は二人の繋がりを神秘的な思いで苦笑するしかなかった。
地元の高校で講演する際の資料作りが最後のお手伝いとなった。後にその講演を録音したテープと新聞記事が送られてきたが、誠実な話し振りに心から感嘆すると共に、あの可愛らしい口調は昔とちっとも変わらないなと心地よく思ったものである。
20年におよぶ手紙と電話のやり取りはHさんの高齢化と私の人生の転機が重なり、2年程前に中断してしまった。 そして去年、今後の生き方に方向性が見え始めてきたのでHさんに報告しようとダイヤルした私は、しばらくは受話器を置くことが出来ず、脳裏には様々な思いが浮かんでは消えた。無常にも「おかけになった電話は現在…」とのアナウンスが流れるだけであった。
先日、北海道新聞の記者からの手紙でHさんが今年1月16日に亡くなられた事を知った。享年80歳。一人暮らしの自宅には4千首あまりの短歌が残されていたという。
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