From the North Country

可愛い子犬とボランティア 2004年06月29日(火)

  我家の愛犬スーの子供で同じく盲導犬の繁殖犬となったハナちゃんが今月一日に2回目の出産をし、4週令の今が見頃?だという連絡を頂いたので、カフェの閉店後に手指消毒を念入りに行い、和絵&スーの三人でいそいそと出掛けた。

Yさんの家に到着するなりスーそっくりのハナちゃんがニコニコしながら出迎えてくれ、ひとしきりの歓迎のあいさつをした後「ねぇ、見て見て」とばかりに仔犬たちのところへ案内してくれた。
離乳食を食べ終え、眠りについたばかりの7匹の可愛い天使たちは、サークルの中の思い思いの場所でこれまた思い思いの姿態をさらけ出し私たちは大喜びである。
Hさんが仔犬を抱き上げて和絵に渡すと、スーで4度の出産子育てを経験している彼女はもう有頂天で「可愛い!」を連発していた。

もっこりとした口吻、寝ぼけマナコ、乳臭い身体、もこもこしたお尻と可愛い手足は確かに癒し効果抜群で母性本能をくすぐるに充分である。
協会時代の気質が抜けきらない私は、抱き上げた時の犬の反応や力のいれよう等を観察し、仔犬たちの将来予想を頭の中で楽しんでいたが、Yさんと和絵は「朝起きたらウンチ取り競争だよね」「最後の1週間は本当にてんてこ舞いよね」「ウンチする時、うっうんって可愛い声出しながらするよね」と会話が途切れることはない。

ハナちゃんの子供は6匹だが、帝王切開をし術後の経過が良くない別の繁殖犬の子供を1匹乳母として預かっているそうである。
夜11時に最後の離乳食を与え、4時に起こされて1日が始まるという。
盲導犬事業を支えている大切なボランティアの家庭だ。
生後4週令だからまだ多少の余裕もあるが、日増しに積極的に動き回り、容赦なくYさんを困らせるこれからが正念場だ。

車に戻り、手に残った子犬の臭いをスーに嗅がせると、「あら、子育てやってんだ。そりゃ大変ね。さあ帰りましょ」とさらりとかわされた。
健康に注意して頑張れYさん!
 

誕生日に 2004年06月28日(月)

  人生50年。今日がその日になってしまった。
子供の頃、鉄腕アトムの夢想の世界に引き込まれながらも、21世紀すなわち46歳になる自分はありえない存在だと思っていたのを思い出す。その私が50の声を聞いてしまったのだから世の中何が起こるかわからないものだ。周囲の者は冷やかすし、自身でもこの先怖いものはないような気がしてしまうから不思議だ。
まあ、おまけの人生だと思って精一杯生きてみたいと思う。

奈良で育った私は、中学までは捨てられた犬たちを保護して、貰い手を探したり一人で生きていける野良犬を育てていた。夏の今頃はザリガニやセミを捕まえて犬たちの食料にしていたが、14匹の犬を育てるには苦労も多かった。自分の食べ残しや近所の若い奥さんが差し入れてくれた残飯を、隠れ家に運んでは犬たちに与えていたが「これじゃ足りないよ」と2匹の子供を連れた母犬はどこからか獲物を咥えてくることもあった。
初めて親の許可を得て暮らし始めた犬は天使のように可愛く私には最高の伴侶であったが手紙や新聞をひきちぎり、他人に吠えつく問題児だった。いつの間にか生まれた仔犬も育てたかったが、家庭の状況はそれを許さないことが子供心にも分かり、ダンボールに入れて川に沈め殺してしまったことが今でも心を悩ましている。犬を知らず、しつけも知らず結局は飼い犬までもなくしてしまった自分を責め、その後10年は犬から離れて音楽に没頭した。
その私が以後25年盲導犬を育成したのは、ある意味あの頃への罪滅ぼしだったのかもしれない。

『おてんば盲導犬モア』という本にそれまでのことが書かれているが、今日またカフェを営む私のところへ、犬に関わる仕事を題材に取材を進めておられる作家の井上こみちさんが訪ねてくれた。
節目となる誕生日に『今なぜどんな思いでこの仕事をしているか』を話すことができたので、いずれ彼女の本の一節に紹介されることだろう。
自分では決して出来ない人生の記録が他者を通して出来るかもしれないことに感謝し、この日の思い出として残したい。
 

気を使うカフェの衛生 2004年06月27日(日)

  6月だというのに暑い日が続いている。
今日は北寄りの風が吹いていたにもかかわらず冷たさは感じられなかった。いつもならカフェの中は風通しが良く涼しいのに、北風を受け入れる窓がないため、より暑く感じられたようだ。したがって午後からはカフェはガランとなり、日陰で風通しの良いガーデンに人と犬が集まる時間帯が多かった。

ドッグカフェのようにたくさんの犬たちが集まる場所では消毒と消臭に気を使う。特に夏場は雑菌の繁殖も旺盛になり衛生面には気を使い過ぎるということはないだろう。
カフェでたまにマーキングなどをしてしまった時には、飲んでも安全どころか身体にも良いのではないかと評判の水溶液を使っているが、万能ではないのと高価なのが欠点だ。そこで排尿便が頻繁に行われるガーデンでは、基本的には太陽の紫外線と土中のバクテリアに活躍してもらっているのだが、フェンスの基礎部分にあるブロックや玄関それにカフェの床などバクテリアが活躍できない個所、あるいはバクテリアでは対応できない菌やウィルスが存在しやすい場所を考えると定期的に薬品を使わざるを得ない。
搾乳前の牛の乳房や器具を消毒する際に用いられる程度に希釈することで、生体に悪影響がないと聞かされているが、やはり慎重になる。盲導犬協会に務めていた頃からこの薬品を使い、正しく使えば消毒の効果と安全性には信頼もしている。しかし、消毒液であるからガーデンには使えない。せっかくのバクテリアを一度死滅させてしまうとこの先延々と薬品を散布しつづけなければならないからだ。土地さえも死んでしまうだろう。ここら辺りが難しい。
1.カフェの衛生に関しては徹底する
2.犬たちの健康に影響があってはならない
3.ガーデンを汚染することなく土と草花を守る
4.経費にも配慮しなければならない
こんなことを考えながら、まずは初めての夏のカフェを過ごしてみたいと思っている。
難しいのだろうけれど「ドッグカフェだから仕方ないよね」という言い訳は、犬の毛だけで済ませれたらと願う。
もちろん、食品衛生に関しては営業の根幹であるから、家庭を守る主婦の感覚と食品衛生責任者の知識を合わせて万全を期したい。
 

小旅行の後に 2004年06月26日(土)

  定休日を利用して5人と5頭で小旅行に出掛けてきた。普通、小旅行といえば「よかったね、楽しかったね」に少し色がつく程度の心地よさで語られるものだが、今回のそれは修学旅行のような趣きがあって、帰宅してから疲れがどっと出てしまった。「あんなこと、こんなこと」楽しい思い出は一杯あったが、まずは寝て疲れを取らないと思い出し笑いをするにも顔が引きつってしまいそうだった。
そんなわけで夕べは9時にダウンしてしまったけれど、ご同行いただいた皆さん、良い思い出をありがとう、そしてお疲れ様でした。おかげさまで今年初めての休肝日を取ることが出来ました。

一夜明けた今日はたくさんの方にご来店いただいたこともあり、午後にはすっかり元気を取り戻した。
入店前から勇ましく吠え立てていたチワワのジュリちゃんと対面する頃にはベストコンディションで、ジュリちゃんには迷惑だったかもしれないが、コントロールの仕方を一杯飼主のご夫婦にアドバイスしてしまった。段階を踏まずにやってしまったことを後悔しているが、お店では静かに出来る時間が持てて、少しは冷静に他の犬たちと周囲の状況を観察できるようになったと思っている。自宅に戻ったら数時間で元に戻るのが普通で、もし依頼があれば数回のレッスンでレベルアップできるだろう。
もちろん血統的な問題もあるから、すべての犬を訓練できるわけではないが、盲導犬から家庭犬を見るようになって2年近くが経ち私自身も勉強と経験を重ねておりそれなりに対応できる分野が増えたことも確かである。

いろんな問題を抱えた犬たちが、訓練のために必要な私の道具箱の中身を増やしてくれているならば、もっとたくさんの犬たちに出会いたいと体調が良い時は思う。
 

緑化計画 2004年06月23日(水)

  ガーデンの緑地作戦を展開して2ヶ月が過ぎた。ラティスで囲った第1エリアを開放し第2エリアに移ってちょうど1週間。ホワイトクローバーの双葉が一面に顔を出し、オーチャードも新芽を見せ始めた。スズメの群れが毎日のように種をついばんでいたが、よくぞ芽を出してくれたと愛しく思う。

第1エリアでの失敗はきちんと耕さず追肥をするように種を蒔いたため、ムラができてしまったことである。今回はスズメ攻撃を予期していなかったので果たしてどんなエリアが出来上がるか楽しみである。
第2エリアの一角にはカモマイルの苗をヴォーノの父さんから頂いたので試しに植えてある。こちらももうすぐ花をつけそうで、種が自然と弾けて周辺に広がれば犬のオシッコや踏まれ強いエリアとなるだろう。

開放した第1エリアは犬たちの排尿便スポットと化したが枯れることなく、土中ではバクテリアが活動しているはずだ。
かくして緑化3カ年計画は順調にその2ヶ月を終えた。
予算1万円でスタートした私の道楽ともいえるこの計画も今となっては馬鹿にするスタッフはいない。緑化というのはご老公様の印籠に匹敵する力を持っているらしい。
そういえばガーデンが一時的に狭くなっても、犬たちは勿論、常連さんも嫌味一つなく見守っていてくださるのは、緑の力なのかもしれない。

「どうせ、すぐに犬たちに踏み荒らされるのに」
これが共通の憂いではあるのだが、「そうなればまた種を蒔けばいい」とみんなが思っているはずだ。
 

信任投票 2004年06月22日(火)

  『飼い犬に手を噛まれる』ことほど屈辱的なことはない。
最近はそのような話を聞くことが増えてきたように思う。「近頃の犬の飼主は」などと説教を垂れるには飲み足りないからご安心を。

ひと昔前は主に日本犬かその雑種を外で飼うことが多かった。日本犬は見知らぬ人や動物・侵入者に対して攻撃的になることがあっても飼主やその家族には忠実である場合が多い。しかし、その日本犬といえども理不尽と感じたことに対しては猛然と抗議の意思を表すのが最近の風潮ではないのだろうか。

その原因は室内飼いにあると思う。
人間社会でもそうだが、戦時中のようにお上が決めたことに対しては、たとえ不平不満があろうとも庶民は物申したり噛み付くことは余程のことがない限りしなかった。支配者と庶民の間にある、隔絶された制度が庶民をして「きっとお偉い方が決められたことじゃから、わしら庶民には分からんちゃんとした理由があるんじゃろ」と言わしめたのだろうし、処罰統制もきつかった。
しかし戦後民主主義が普及するにつれ、お偉い方の傲慢さや不正不徳が明らかになり、さらに物事が決められる手順に国民が関与できるようになると、人々は公然と主張を始めるようになった。
犬で言えば外飼いから室内飼いへの移行に当たると考えればおもしろいと思う。

食物の供給や自由時間を与えてくれた絶対的であり畏敬畏怖の念を感じ神のような存在だと信じていた主人は、いざ室内で間近にその暮らしぶりや本性を見てみると、曖昧模糊、不実不正、優柔不断、…。
長くは言うまい、押して知るべしである。

さて、あなたは昔のような社会に戻して、犬たちから祀(まつ)り上げられるような偶像を望みますか?
それとも、自分をさらけ出した上で自らを磨き、次の選挙でも愛犬から信任を受けられる飼主を目指しますか?

私ならその両方を折衷して使い分ける。家族の一員として誠実に付き合いたいし、決して民主的ではない犬たちと暮らすにはお互いそれが一番だと思うからだ。
答えはない。我々が誠実考えるべきことである。
何故ならどんな方針を選んだとしても彼らは主人を信任するに違いないのだから。
 

3人のユーザー 2004年06月21日(月)

  夜9時を過ぎても室内は蒸し暑い。ガーデンの温度計は22度を指していた。照明を入れるとクリーム色の花房をたわわに抱えたニセアカシアの木々が波打つように揺れ、まるで高千穂の能舞台を演出するような神秘的な雰囲気を醸していた。

昨日3人の盲導犬ユーザー(使用者)がカフェを訪ねてくれた。3年ぶりの再会である。
Yさんとは1頭目の盲導犬クリ号を担当して以来20年近いお付き合いで、年齢が近いことや肌が合うというのか二人とも無類の酒好きなため意気投合することが多く、個人的な付き合いも長い。「家の主人は糖尿病なんだからあまり飲ませないでくださいよ。」知り合って間もない頃、奥さんから怒られたこともあったが、その顔には「こんなに楽しく生き生きした亭主を見るのは失明して以来初めてですよ」と書かれてあった。それから20年以上元気で歩いてるんだからやっぱり酒は百薬の長だと思いたい。

Hさんはまだ私が大学生の頃、協会のボランティアとして札幌にやってきた時、既に盲導犬を使用されていた大ベテランである。視覚障害リハビリテーションが日本で始まった頃の優秀な生徒であり、現在わが国を代表する視覚障害教育者のS先生をして「俺な、まだ若くて未熟な頃、視覚障害者の誘導の仕方を生徒のHに習ったんだよ」と言わしめている。聡明で空間認知力や記憶力・応用力に優れ、私はある種天才であると思っている。
もうひとつ彼女を見続けて感じていることがある。『老けるというのは周囲の人々が老いるのを見ることによって、自らもそれなりに風貌の変化を起こす、あるいはそれを加速するのではないか』ということである。幼くして見えなくなった彼女は、老いの状況を視覚的に脳に刺激しないからなのか、私より少し年上にもかかわらず20以上は若く見えるし、実際気持ちも若くあり続けているのだ。

Kさんは私とめぐり合って本当に良かったと私自身が密かに思える人だ。とてもおこがましく生意気ではあるが、視覚障害リハビリテーションの知識と技術を習得した円熟期に彼女と出会えたことによって、私は彼女に将来の方向性・可能性・情報・知識を紹介できたと思っている。彼女自身は生来の楽天家ではあったが、二人暮しのお姉さんは彼女の将来をとても案じておられ熱心に話を聞いてくれた。たぶんあの日からお二人の人生は動き出したと思う。勿論私はちょっと背中を押しただけであることに変わりはないのだが、私にはあの頃の自分を刻んだ喜びでもある。チューハイが好きで「一緒に飲もうよ!」と誘われていたが、糖尿病による人工透析を週に3日受けていたこともあり実現できなかった。その後お姉さんの腎臓を移植して「オシッコがでるようになった」と喜んでいたからちょっとはつき合ってもいいなと思っている。

それぞれに思い出のある方たちが訪ねてくれたのだが、日曜日で店内は混みあっており、ゆっくり話す時間がなかったのが残念でならない。
「今日は雨、雨が降ります。台風が近づいています」またも天気予報が誤報とも言える情報を流し、晴れ間も見えた今日訪ねてくれたら、心ゆくまで話が出来たのにとヤケ酒を飲みながら考えた。
 

問題意識 2004年06月20日(日)

  台風6号が梅雨前線を北に押し上げたため今日の札幌は本州並みのじめじめした一日だった。幸い予報された雨は、一時パラついた程度で、ガーデンを駈ける犬たちに影響はなかった。満開のニセアカシアには雨も似合うが、その風情は願わくば夜の間に楽しめればと勝手なことを思ってしまう。

昨日ラブラドールを伴った4家族が遊びに来てくれた。それぞれに明るく素直なワンちゃんたちで、午前中のガーデンは賑やかだった。ラブの活発さにご配慮いただいたのか、愛犬はガーデンに残して飼主の方々だけがカフェでお茶を飲み始められた。すると、それまで庭を駆け回り大好きなボール遊びをしていた犬たちは心を一つにしたかのようにドアの前にきて「僕たちも中に入れてください!どんなにボール遊びが楽しくても、どんなに自由に駆け回れても、それはあなたが私と共にいてくれてこそ楽しめるんです。どうか中へ入れるか外に出てきてください」と主張し始めた。
ラブとは確かに活動的で陽気だが、主人に対する思い入れと信頼感はすばらしく、その結びつきは時に回りの者を嫉妬させる程である。
中に入れてもらえないことが分かると、そのうちの1頭はウッドデッキの窓の下に座り、網戸を通して聞こえてくるご主人の声に耳を傾け、静かにいつまでも待つ態勢に入った。ボールを見せても微塵の興味も示さず、かといって寂しさや不安を感じている様子はない。ただ、待ちつづけるだけである。
「いい関係が出来てるのだな」とうれしくなった。

1歳2ヶ月の若いラブの飼主が私に相談を持ちかけられた。「仲間のワンちゃんたちと公園で遊んでいる姿は本当に楽しそうで私もうれしくなります。けれどこの子は他の犬を見ると駆け出してしまい、呼び戻しが出来ないのです。今、問題になっている犬の公園などへの立ち入りを禁止する流れはとても残念なのですが、自分とこの子がその原因を作っている張本人だと思うと、申し訳なく悲しく恥ずかしく何とかしたいと心から思っています。何とかならないでしょうか?」という内容だった。
この二人はいずれいろんな場所で安心して遊べる関係になると直感した。周囲のことを意に介さず傍若無人な飼主がいる中で、社会の迷惑と我が子の成長に板ばさみを感じながらも良い方法を模索しておられるからだ。

愛犬と戯れる中で子供でも犬との信頼関係やきちんとしたしつけができる野原や空き地がなくなっている。いきなり社会デビューとなれば様々な問題に直面するのは当たり前である。しかしそれが今の時代であるならば問題意識を持って対処せざるを得ないだろう。
私のカフェでもショートレッスンで個別対応しているが、同じような悩みを持つ多くの方々に知識と技術を提供できる実現可能な方法はないか、しばらくは頭を悩ませてみたいと思う。
 

さよならHさん、またね 2004年06月19日(土)

  Hさんはその後次の盲導犬を持つことはなかったが、歩くことを諦めた訳でもなかった。ケイとの生活の中で知り合った人々に支えられながら、自分の人生を短歌に綴り、また講演活動を通じて視覚障害者への理解と盲導犬のすばらしさを訴え続けておられた。

「私が歩かなくなってしまったら、天国のお父さんやケイちゃんが死んでも死にきれないって言ってくるの分かってるから、頑張って歩いてるのよ。二人のおかげでこの町の地図も頭に入っているから大丈夫。」と強がっておられたが、私に送られてきた手紙には、夢の中に度々ケイちゃんが現れてきて「何でお母さんあそこで迷ったの?あそこは左じゃなくて右だっていつも私が教えてあげたでしょ!」とケイちゃんに怒られたというようなことがまことしやかに書かれており、私は二人の繋がりを神秘的な思いで苦笑するしかなかった。

地元の高校で講演する際の資料作りが最後のお手伝いとなった。後にその講演を録音したテープと新聞記事が送られてきたが、誠実な話し振りに心から感嘆すると共に、あの可愛らしい口調は昔とちっとも変わらないなと心地よく思ったものである。

20年におよぶ手紙と電話のやり取りはHさんの高齢化と私の人生の転機が重なり、2年程前に中断してしまった。
そして去年、今後の生き方に方向性が見え始めてきたのでHさんに報告しようとダイヤルした私は、しばらくは受話器を置くことが出来ず、脳裏には様々な思いが浮かんでは消えた。無常にも「おかけになった電話は現在…」とのアナウンスが流れるだけであった。

先日、北海道新聞の記者からの手紙でHさんが今年1月16日に亡くなられた事を知った。享年80歳。一人暮らしの自宅には4千首あまりの短歌が残されていたという。
 

続Hさん 2004年06月18日(金)

  ケイのパピーウォーカーは羊が丘の農業試験場に勤務されていたSさんだった。謙虚で知的で穏やかで笑顔が絶えないご夫婦であり、すべての生き物を包み込むような優しさを備えておられた。生活の中心にケイがいて、溢れんばかりの愛情をケイに注いで下さった。協会に勤めて3年ほどでまだ十分な経験もなかった私はSさんとケイを担当しながらスーパーバイザーとしての知識と経験を身に付けていったようなものである。育てられたのはケイだけではなく私自身も同じである。

絞りたての牛乳をこぼさないように自宅まで咥えて運び、ご褒美としてそれを飲んでいたケイ。試験場の丘や野原を自由に駆け回りながら、多くの同僚の方にも可愛がられていた。ラブラドールとしては長毛の優しい手触りの犬だった。
あっという間の1年が過ぎ、さらに1年が過ぎてケイは盲導犬となりHさんとめぐり合うことになる。

「先生、私ね、結婚してから今までずぅっとお父さんのお世話になって生きてきたでしょ。何処へ行くにも手を引いてくれたし、何も出来なくても文句一つ言われなかった。そのお父さんが病気になってケイちゃんが来てくれた。だから私毎日病院に行って、今日はケイちゃんと何処そこへ行けた、今日はケイちゃんとこんなことしたって報告してるの。そしたらお父さん退院して家に帰るのが楽しみだって喜んでくれるの」。
パピーウォーカーSさんから受け継いだ愛情はケイを通じてHさんに届いていた。

道北の冬は時に激しい猛吹雪を呼ぶ。外出先から戻る頃、雪はHさんが通い慣れた道を閉ざしていた。何処に足を踏み入れても膝まで雪に埋もれてしまったという。
どれほど彷徨ったか分からないがHさんは「ケイちゃん、お家帰るよ、ドア探してよ」と言い続けた。ケイがぴたりと止まったのは、やはり深い雪の中だった。既に腰の辺りまで埋まっており「もうダメか」とHさんは思ったらしいが、手を出した先に何かがあり、それが自宅の玄関であることが分かった時からHさんはケイを絶対的に信じることにしたと教えてくれた。

それから12年、老犬となり協会に戻ったケイはパピーウォーカーのSさん夫婦が見守る中、静かに息を引き取った。
『瞳(め)となりて支えてくれたるケイ号の形残れる手のひらのうち』Hさんの短歌である。長年ケイと歩くうちにしっかり握り締めたハーネスが自分の手のひらの形を作っただけでなく、ケイと共に歩んだ様々な思い出を刻んでいるという惜別と感謝を込めた歌である。
しかし私にはケイの死を告げた時、静かに聞いてくれたHさんが受話器を置いた後ひとり号泣し、己が人生を振り返りながら「目が見えず、支えてくれた主人にも先立たれ、その私をさらに支えてくれたケイが何故私より先立たねばならないのか!」という慟哭の末に、静かに悟りを開いた天使の歌声のように聞こえるのである。
 


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