From the North Country

問題意識 2004年06月20日(日)

  台風6号が梅雨前線を北に押し上げたため今日の札幌は本州並みのじめじめした一日だった。幸い予報された雨は、一時パラついた程度で、ガーデンを駈ける犬たちに影響はなかった。満開のニセアカシアには雨も似合うが、その風情は願わくば夜の間に楽しめればと勝手なことを思ってしまう。

昨日ラブラドールを伴った4家族が遊びに来てくれた。それぞれに明るく素直なワンちゃんたちで、午前中のガーデンは賑やかだった。ラブの活発さにご配慮いただいたのか、愛犬はガーデンに残して飼主の方々だけがカフェでお茶を飲み始められた。すると、それまで庭を駆け回り大好きなボール遊びをしていた犬たちは心を一つにしたかのようにドアの前にきて「僕たちも中に入れてください!どんなにボール遊びが楽しくても、どんなに自由に駆け回れても、それはあなたが私と共にいてくれてこそ楽しめるんです。どうか中へ入れるか外に出てきてください」と主張し始めた。
ラブとは確かに活動的で陽気だが、主人に対する思い入れと信頼感はすばらしく、その結びつきは時に回りの者を嫉妬させる程である。
中に入れてもらえないことが分かると、そのうちの1頭はウッドデッキの窓の下に座り、網戸を通して聞こえてくるご主人の声に耳を傾け、静かにいつまでも待つ態勢に入った。ボールを見せても微塵の興味も示さず、かといって寂しさや不安を感じている様子はない。ただ、待ちつづけるだけである。
「いい関係が出来てるのだな」とうれしくなった。

1歳2ヶ月の若いラブの飼主が私に相談を持ちかけられた。「仲間のワンちゃんたちと公園で遊んでいる姿は本当に楽しそうで私もうれしくなります。けれどこの子は他の犬を見ると駆け出してしまい、呼び戻しが出来ないのです。今、問題になっている犬の公園などへの立ち入りを禁止する流れはとても残念なのですが、自分とこの子がその原因を作っている張本人だと思うと、申し訳なく悲しく恥ずかしく何とかしたいと心から思っています。何とかならないでしょうか?」という内容だった。
この二人はいずれいろんな場所で安心して遊べる関係になると直感した。周囲のことを意に介さず傍若無人な飼主がいる中で、社会の迷惑と我が子の成長に板ばさみを感じながらも良い方法を模索しておられるからだ。

愛犬と戯れる中で子供でも犬との信頼関係やきちんとしたしつけができる野原や空き地がなくなっている。いきなり社会デビューとなれば様々な問題に直面するのは当たり前である。しかしそれが今の時代であるならば問題意識を持って対処せざるを得ないだろう。
私のカフェでもショートレッスンで個別対応しているが、同じような悩みを持つ多くの方々に知識と技術を提供できる実現可能な方法はないか、しばらくは頭を悩ませてみたいと思う。
 

さよならHさん、またね 2004年06月19日(土)

  Hさんはその後次の盲導犬を持つことはなかったが、歩くことを諦めた訳でもなかった。ケイとの生活の中で知り合った人々に支えられながら、自分の人生を短歌に綴り、また講演活動を通じて視覚障害者への理解と盲導犬のすばらしさを訴え続けておられた。

「私が歩かなくなってしまったら、天国のお父さんやケイちゃんが死んでも死にきれないって言ってくるの分かってるから、頑張って歩いてるのよ。二人のおかげでこの町の地図も頭に入っているから大丈夫。」と強がっておられたが、私に送られてきた手紙には、夢の中に度々ケイちゃんが現れてきて「何でお母さんあそこで迷ったの?あそこは左じゃなくて右だっていつも私が教えてあげたでしょ!」とケイちゃんに怒られたというようなことがまことしやかに書かれており、私は二人の繋がりを神秘的な思いで苦笑するしかなかった。

地元の高校で講演する際の資料作りが最後のお手伝いとなった。後にその講演を録音したテープと新聞記事が送られてきたが、誠実な話し振りに心から感嘆すると共に、あの可愛らしい口調は昔とちっとも変わらないなと心地よく思ったものである。

20年におよぶ手紙と電話のやり取りはHさんの高齢化と私の人生の転機が重なり、2年程前に中断してしまった。
そして去年、今後の生き方に方向性が見え始めてきたのでHさんに報告しようとダイヤルした私は、しばらくは受話器を置くことが出来ず、脳裏には様々な思いが浮かんでは消えた。無常にも「おかけになった電話は現在…」とのアナウンスが流れるだけであった。

先日、北海道新聞の記者からの手紙でHさんが今年1月16日に亡くなられた事を知った。享年80歳。一人暮らしの自宅には4千首あまりの短歌が残されていたという。
 

続Hさん 2004年06月18日(金)

  ケイのパピーウォーカーは羊が丘の農業試験場に勤務されていたSさんだった。謙虚で知的で穏やかで笑顔が絶えないご夫婦であり、すべての生き物を包み込むような優しさを備えておられた。生活の中心にケイがいて、溢れんばかりの愛情をケイに注いで下さった。協会に勤めて3年ほどでまだ十分な経験もなかった私はSさんとケイを担当しながらスーパーバイザーとしての知識と経験を身に付けていったようなものである。育てられたのはケイだけではなく私自身も同じである。

絞りたての牛乳をこぼさないように自宅まで咥えて運び、ご褒美としてそれを飲んでいたケイ。試験場の丘や野原を自由に駆け回りながら、多くの同僚の方にも可愛がられていた。ラブラドールとしては長毛の優しい手触りの犬だった。
あっという間の1年が過ぎ、さらに1年が過ぎてケイは盲導犬となりHさんとめぐり合うことになる。

「先生、私ね、結婚してから今までずぅっとお父さんのお世話になって生きてきたでしょ。何処へ行くにも手を引いてくれたし、何も出来なくても文句一つ言われなかった。そのお父さんが病気になってケイちゃんが来てくれた。だから私毎日病院に行って、今日はケイちゃんと何処そこへ行けた、今日はケイちゃんとこんなことしたって報告してるの。そしたらお父さん退院して家に帰るのが楽しみだって喜んでくれるの」。
パピーウォーカーSさんから受け継いだ愛情はケイを通じてHさんに届いていた。

道北の冬は時に激しい猛吹雪を呼ぶ。外出先から戻る頃、雪はHさんが通い慣れた道を閉ざしていた。何処に足を踏み入れても膝まで雪に埋もれてしまったという。
どれほど彷徨ったか分からないがHさんは「ケイちゃん、お家帰るよ、ドア探してよ」と言い続けた。ケイがぴたりと止まったのは、やはり深い雪の中だった。既に腰の辺りまで埋まっており「もうダメか」とHさんは思ったらしいが、手を出した先に何かがあり、それが自宅の玄関であることが分かった時からHさんはケイを絶対的に信じることにしたと教えてくれた。

それから12年、老犬となり協会に戻ったケイはパピーウォーカーのSさん夫婦が見守る中、静かに息を引き取った。
『瞳(め)となりて支えてくれたるケイ号の形残れる手のひらのうち』Hさんの短歌である。長年ケイと歩くうちにしっかり握り締めたハーネスが自分の手のひらの形を作っただけでなく、ケイと共に歩んだ様々な思い出を刻んでいるという惜別と感謝を込めた歌である。
しかし私にはケイの死を告げた時、静かに聞いてくれたHさんが受話器を置いた後ひとり号泣し、己が人生を振り返りながら「目が見えず、支えてくれた主人にも先立たれ、その私をさらに支えてくれたケイが何故私より先立たねばならないのか!」という慟哭の末に、静かに悟りを開いた天使の歌声のように聞こえるのである。
 

Hヨシエさん 2004年06月16日(水)

  「Hさんのことで是非お話を伺いたい」という内容の丁寧な手紙が今日届いていた。差出人は北海道新聞社の道北にある小さな町の支局長さんからであった。

Hさんとはその町に住んでおられた盲目の女性である。話し方がとてもチャーミングで少女のような響きがあり、そのことを褒めると「先生、いやだぁ。恥ずかしい!」と照れに照れ、その姿がまた素敵だった。

その明るい声が何処から発せられるのか、彼女の生きざまを知った人は誰しも自分の人生を振り返るに違いない。
20数年前彼女と出会った私もその一人だった。
記憶が確かかどうかは時の流れのためで、今日はアルコールとは関係ない。はずだ。

20代の頃、彼女は動員された工場で空襲に遭い、視力を失った。後のご主人と出会ったことで彼女は生きる力と、世間の偏見に耐えつつも冷静に正義を見る心を培った。血の滲むような生活の中で3人の子供を立派に育てあげたに違いない。
そして夫婦だけの暮らしが再び始まった時、「盲導犬を使ってひとりでこの町を歩きたい。」と協会に連絡してきた。
しかし本当の目的は別のところにあったと後年彼女が教えてくれた。
「先生、本当はね、お父さんに手作りのお弁当を作って持って行ってあげたかったの。だから訓練中、もう足が動かなくなってトイレにさえ這って行く状態だったのに誰にも内緒で必死で頑張ったんだぁ。それと私一生忘れないけど、あの時先生がこう言ってくれたからやりとおせたんだよね。」
その時私が何を言ったのか記憶にはなく、今となっては全く思い出すことも出来ないが、帰宅してから彼女がご主人のために作ったお弁当には確か卵焼きとウインナーが入っていたはずだ。
ご主人はガンに犯され入院生活を送っていた。それまで彼女の歩行と人生を介助してくれたご主人に美味しい手作り弁当を届けるため、盲導犬ケイ号が毎日の病院への道のりをサポートするようになった。

その年ご主人が亡くなってから、彼女は思いを託した短歌を添えて毎月私に点字の手紙を送り続け、私も始めは点字で返信していた。「先生、返事は要らないよ。私のボケ防止のために書いてるんだから読み飛ばしてくださいね。」と優しい心遣いをいただいて以降、返事は電話での会話となり、それは一昨年まで続いた。(明後日頃につづく)
 

基礎から学ぼう 2004年06月15日(火)

  いつの間にかガーデンのニセアカシアには白い花房が咲き始め、折からの強い風に揺られていた。天気は良かったが真夏日の昨日と打って変わって寒い一日だった。

午前中には二組の夫婦がそれぞれ別々に来店された。おひと方は1年前にゴールデンを亡くされ、犬恋しさにカフェを訪ねてくれた。もうおひと方は引き気味なゴールデンとハイパーな黒ラブと過ごされているため、この店に連れてきても良いものかと、とりあえず下見に来られたご夫婦であった。それぞれにある種の決心をして来られたのだと思うと、ついつい声をかけてお話を伺いたくなり、あっという間に時間が過ぎていった。お泊り犬のラッセルやトリミングを終えたシーズー、スタッフのアメリカンコッカーが会話の隙間を立派に埋めてくれていた。

午後には初見参の生後6ヶ月のチワワちっちちゃんの飼主の方からお話を伺ったが、小型犬と大型犬のスタートラインからの違いを考えさせられた。
相談の内容はトイレのしつけであった。普通6ヶ月といえばトイレのしつけは完璧なはずである。と思うのは大型犬の飼主であって、小型室内犬の場合はそうでもないことが多い。実際このちっちちゃんはそのほとんどが失敗の連続であるというのだ。
大型犬の場合、たとえ仔犬といえどもオシッコの量は「わぁっ」と思わせるものであるから、最初のしつけはトイレットトレーニングになる。しかし小型室内犬を飼われた場合はどうやらそうではないらしく、小鳥やハムスターを飼われたような感覚になり、犬はペットシーツでしてくれる分、楽に暮らせるという発想が生まれる。だからケージの外に出して遊んでいても、「そろそろオシッコに連れ出さなければ」という考えが浮かばないようだ。
そのうえペットショップでも家庭での暮らしを想定せず、ショップでのシートの上にしかオシッコが出来ない状況を作り出し、単にそれだけで『トイレのしつけ済み』などと宣伝して売りつけているから、家庭に入ったとき問題が生じる。

トイレのしつけとは、人が指示した場所でかけられた言葉に従って用を足すことであり、その時間以外にもよおした時には、何らかの方法で人に伝えることが出来るようにすることである。そして人は犬が我慢する前にその要求を満たしてあげなければならないのだ。
失敗を叱りつづけると、犬は「この人の前では出来ない」とさらに排尿便に神経質になり悪循環が始まる。
どんな時にするのか、時間的な間隔はどうなのか、犬の動きで分からないのか、その時どうすればよいのか等などが分かっていれば、簡単にしつけられることである。

犬がトイレをする時は無防備な状態であるから特に神経質になる。そのために人がどう振舞えばよいのかも決まってくるのだ。そして何より、このしつけによって犬が只者ではないことを飼主は知り、犬は知能を働かせシンキングアニマルへと変貌するのだと思う。

犬のことが分からずに暮らし始めた方々、これから暮らしたいと考えている諸氏。まずはカフェを訪ねて基礎知識を身に付けることをお奨めする。
犬無しでのご来店も大歓迎である。時間が空いていればゆっくりお話もできるだろう。
悪意を持って犬と暮らそうと考えている人などまずいないのだから、きっと楽しい時間が共有できると思っているし、互いの勉強になりこの輪が広がることを心から願っている。
 

ラッセル君 2004年06月14日(月)

  今日札幌は真夏日を記録したらしい。
とはいえ此処里塚緑ヶ丘は何と言ってもテレビ塔とほぼ同じ高さにあるため、風通しがよく爽やかな一日だった。

暑さを感じるのは、急遽昨日からお泊りのゴールデンのラッセル君が傍に来た時だ。とにかく身体を密着させて人を恋しがる。おまけに発火点が低く、「ああ、よしよし」なんて声をかけようものならすぐに着火し、尻尾と腰を同時に振ってのた打ち回りながら興奮の嵐を巻き起こす。普通に接していれば、居るか居ないか分からないほど大人しいので、この対照的な反応は一見の価値はある、が夏はむさくるしい。
たぶん散歩の時など奥さんは前方を見据え、誰か知ってる人が現れないか戦々恐々であろう。
「おおーい!ラッセルゥ!」などと声をかけられたら
「呼ばないでぇ〜!」と言い終わる間もなく、バターンズルズルズルと引きずられるかも知れない。

ところがこのラッセル君、今日の散歩では実におりこうに歩いてくれた。去勢したおかげでマーキングも全くなくなったし、臭い取りも要所要所で許可しておけば、後はゆったりである。一昨年の冬に何度かレッスンしたときから比べてずいぶん良くなっている。ちゃんと成長していたんだと思うとうれしくなった。
童顔でとても可愛らしく、コートは産毛のように柔らかいとなると、家族の方はついつい幼い子供のような接し方になってしまうのだろう。そのことが精神的な成長を少し遅らせることになっていたとしても、ラッセルはちゃんと成長していた。
あともう少しだ。一人にされた時、鼻から発する笛のようなピーピー音がなくなることを期待してる。

明日か明後日、お母さんがお迎えに来たら、その時は思いの丈甘えてお母さんの手を煩わせてやるといい。密着してずっと寄り添ってあげればいい。実のお父さんを亡くした悲しみを君なら誰よりも癒してあげられるかも知れないから。
 

カフェの声 2004年06月13日(日)

  初夏の陽気の中でたくさんの犬たちが遊んでくれた。今日はカフェを利用される飼主の方々の共通した言葉、ベストスリーを発表しよう。

第1位:「家の犬がこんなに上手に楽しそうに遊べるなんて思ってもみなかった。他所でだったらワンワン吠えてうるさいのに、此処だったらこんなに犬がいても声も出さずに遊んでるんだから」
これには私どもスタッフの緻密な配慮が隠されていることをお察しあれ。

第2位:「思えば最初の頃とはぜんぜん違うよね。初めの頃なら人にも犬にも警戒してたのに、今なんか遊ぼう遊ぼうだもんね。でも、家に帰るといつもと同じになっちゃうのよね。ちょっとだけ前より引っ張らなくなったし、吠えるのも少なくなったかもしれないな。」
学べるドッグカフェですので通うだけでも着実に変化しているはずです。今、大人気のショートレッスンをお申し込みになれば更なるステップアップが期待できますよ。

第3位:「此処にくるとウンチ出るよね。普段はこんな時間に絶対しないのに、1週間分の宿便すべて出してんじゃないかと思っちゃう。」
開放的になると犬って安心して出しちゃうんですよね。
これから夏場に向かい臭いや衛生面でも気を使うことが一杯あるが、ガーデンの土の下には備長炭が敷き詰められていて、そこにはたくさんのバクテリアが生息している。彼らはもっとたくさんの糞尿を要求しているのでご安心下さい。それから表面にある白い石のように見えるゼオライトだが、これも脱臭作用や水分調整それに下痢止めの働きがあるのでさらに効果的だ。

犬たちを中心に話題を進めているが実は我がカフェには更なる特徴がある。
ボルカンアスールというコーヒーが美味しいだけでなく、特製カレーは絶品だし、今月のパスタはまず間違いなく旨い!それに今月からはスタッフが勝手にアイデアを絞り、作り始めた『白たまクリームきなこ』とやらが大ブレイクしている。もちろん、ニセコルヒエルのジェラートは感激に値する。
他にも取り扱っているドッグフードには絶対的なこだわりがあるし、トリミングにはノンちゃんという手抜きを許さない職人がいる。

そうそう、トリミングと言えば15日から月末までの平日午前中爪切り無料サービスの張り紙をカフェの前に出したその日からトリミングの予約が入り始め、今日慌ててその張り紙をはずした。ところが、たった2日の張り紙でも近所の人はちゃんと見ておられた。
「ただで爪切ってもらえるんですよね」
「は、ハイ!でも予約が入ってまして」
「何時だったらいいの?」
「そ、それじゃ、10時ちょうどなら…」
「じゃ、ピッタリに行きますからね」
失敗した!あの張り紙にはこう書けばよかった。
爪切り無料!『出血』大サービス!と。
 

シンキング・アニマル 2004年06月12日(土)

  昨日、犬の言語能力の話題について少し触れたが、いずれ科学的に解明されるであろうことは他にもある。

1.犬は考える動物であるということ。これについてはごく当たり前のことに思う人と、否そのように見えるが実は彼らの行動は、単に刺激に対する反応や経験に基づく学習行動の反復であると言う人がいる。後者には心理学者が多く、確か14年前に亡くなったスキナー博士の理論の継承者であると思われる。彼らによると人間もまたそのような生き物であるらしい。給料という報酬を得るために、せっせと働き少々嫌なことがあっても我慢し、ボーナスでも貰おうものなら「頑張っちゃうぞ!」と忠誠を尽くす。
『考える』の捉え方が違うのだろうか?当然定義されているはずだから酔っ払った私に詳しいことはいえないが、盲導犬の国際会議でイギリスの盲導犬使用者でもあり心理学者でもあるブルース・ジョンストン博士は彼の盲導犬の働き振りを見て「壁に立てかけられた板は障害物として回避するが、同じ板を川に渡せば橋として利用するなど、具体的に教えられていないことまで彼らは状況を判断し即座に行動に移す。コンピューターでも相当なプログラムが必要な突発的な判断を行うことが出来る彼らを『考える動物』と呼ぶことにどんな不思議があるだろうか」と言っている。

2.犬には遊び心があり冗談が通じる。遊び心は『生きる喜び』に含まれると思うし、それを犬たちが見逃すはずはないと私は思っている。さっきも愛犬スーは私が与えたガムを見せびらかせながら、「ねえ、このガム私から取り上げて、どっかに隠したいと思わない?でもそう簡単には渡さないわよ」とばかりに私の前をうろついている。実際それを行動に移すと、「ヤッター」とばかりに探索を始め見つけたときにはニコニコしながらやってくる。

3.犬は寛大で人の過ちを許してくれる。間違って尻尾を踏んづけても根に持つことはないし「ごめん」と言えばまた寝なおしてくれる。人間のようにそう簡単にキレることもない。

だんだんと話題を短く切り上げようとしている雰囲気を察しておられることだろう。実はもう夜中になってしまったからなのだが、ガムのかくれんぼを楽しんでいたスーも、そのガムを顎の下にしまいこんで傍で寝息を立て始めた。
明日は軽い話題が提供できるといいなと私も思っている。
 

爪切り 2004年06月11日(金)

  犬の爪は適度に切らないと、血管と神経が追っかけるように伸びてきてあとが厄介なことになる。特に前肢の親指は直接地面に触れて磨耗することがないため、羊の角のように曲がり、時には皮膚に食い込んでしまう。自然に割れて剥がれ落ちることもあるが、そうそう期待出来るものではない。(おそらく野生動物の場合はそうなるのだろうけど)
そこで爪切りが必要なのだが、これを嫌がる犬がとても多い。
・拘束されたうえ敏感な足を触られることを嫌う
・過去に神経を切られ痛い目にあった等が主な理由のようである。
まず足先を触らせることに普段から慣れさせておくことと、失敗しない爪切りをすることが大切である。自分でできない時は動物病院やショップで成功例を重ねるなどしてさらに慣らしておくことも大切だ。

ところがどうしても極度に怖がる犬がいる。聞いてみるとショップなどでは血管や神経にはお構いなくばっさりと切り取ってしまうことがあるというのだ。特にショードッグではそのようなことが当たり前に行われているらしい。
何処に視点をおいて犬と生活しているのだろう。
そんな奴ら(下品で失礼)は犬と関わるべきではないと思う。
去勢や避妊などで全身麻酔をする機会もあるだろう。やむを得ない場合はそのような時に獣医に依頼するべきだ。
牛の焼印程度にしか考えていないのだろう、そう思って正当化しているのだろう。反論する絶対的根拠を私はまだ知らないが、今日のニュースに、犬の言語理解能力は人間の3歳程度のものがあると出ていた。そんなこと私には何十年も前から分かっていたけど、科学的に解明されることも大切なことだ。いずれ犬の痛みが心に及ぼす影響と家畜のそれが違うことが証明されるだろうが、それまでは犬の気持ちを代弁して感情的に振舞うことを許してもらいたい。

私の膝が痛いとき、スーは決して引くことはなかったし、ちょっとした動作の中でもチラリと心遣いを私に見せてくれた。そしてそれはスーだけではなくこれまでに訓練してきた盲導犬候補犬のほとんどすべてが私に残してくれた、犬としての優しい心であった。
たかが爪切りといってもいろんな思いがある。
 

今日はいい天気 2004年06月09日(水)

  まずはお知らせから。
今月15日火曜日から月末まで(定休日と25日を除く)平日の午前中にご来店いただければ、爪切りの無料サービスをいたします。但しトリミングのためトリマーのノンちゃんが手を離せない場合もありますので、予めお電話で確認して下さい。それと爪切りの時に『絶対に噛む』というワンちゃんは…ムリです。

この1ヶ月膝痛に悩まされ、医者からは棚障害だから手術が必要と言われて躊躇し続けてきた。レッスンも行えず日常生活にも不自由していた。
先週の土曜日、ワイワイ仲間がやってきて、このことを話したら「あら、いい健康食品があるよ。私もずっと膝痛で苦労してたけど、これ飲んだら1ヶ月もしないで治った」と言いさらに「騙されたと思って飲んでごらん。私もそのつもりで飲んだんだから」と頼もしい。
早速その日から飲み始めた。1ヵ月後を楽しみにし、これでダメなら手術と決めていた。
昨日のショートレッスンあたりから痛みが減ってきたように感じていたが、今朝は不思議なくらい何ともないのだ。少しためらいもあったが午前中に3頭のレッスンを行った。
痛くないのである。
「天候のおかげだ」とまだため口をきく奴もいるが、私は明日に期待を寄せている。確か低気圧が通過するはずであるから…
ただ、飲み始めてまだ4日。不安半分と「やっぱ若さかな」との自惚れが交錯している。
これで完治するとは思ってないが、当面を凌げるならありがたいことこのうえない。
「わか子!君のおかげだ!」と言えるようになって欲しいと願う。

そんなこんなで今日は晴れやかな一日だった。
そのうえ新しい発見と出会いがあった。
Mシュナウザーとは出会うたびに吠えかかる犬種であると思い込んでいたが、今日出会った3頭は人にも犬にも優しい子達で、一緒にいて楽しく何処へでも連れて行ける感じがした。社会性が豊かなことが共通していたが、果たして私がいつも言うように、社会経験というものが、仮に悪い血統や犬種特性があったとしてもこれらを駆逐することが出来るのか。しばらくは多くの犬たちをみて学んでいきたいと思っている。
 


- Web Diary ver 1.26 -