From the North Country

忘れえぬケンピーその2 2004年09月01日(水)

  今日のこの欄はパートナーKが担当する。

目が見えない朝はどんなだろう。
昨日までぼんやりながら見えていた世界が突然なくなってしまう恐怖は人間も犬も同じなのだろうか。

夕方、動物病院の駐車場でケンピーは車を降りて動かなくなった。何が起こったかわからずリードを引いて歩くように言う私の目に映ったのは、はじめて見るケンピーの姿だった。
まるでそこだけ大地震が起きたかのようにガクガクと大きく揺れているのである。
ケンピーが震えている。
おおよそ弱虫とは程遠く、何が起こっても悠然として、どんなに怒られても次の瞬間にはその毛量豊かなりっぱなしっぽをふっさふっさと振り、あれよあれよと言う間に勝手に細いつり橋を渡ってしまう天真爛漫、天衣無縫なケンピーはそこにはいなかった。

かかりつけの獣医さんの診断は「ぶどう膜炎」。治る見込みはないとのことだった。

人も犬も大好きで「世界中のみんなが僕を好き!」と思っているケンピーは注射でさえ喜んで受ける。でもその時、震え怯えるケンピーを前に私はこれ以上色々な検査をあちこちで受けることはやめようと思った。
人と犬が違うとすれば、犬は今の自分の現状をいち早く受け入れその中で自分が心地よくいられる状況をなんとしても作ろうとすることだ。
私ならどうするだろう。おそらく100%自分の不運を嘆き、周りの人の温かい言葉に深く傷つき、あれもできないこれもできないと落ち込み続けるに違いない。
ケンピーはそんな無駄は時間を過ごすことはなかった。大好きなおやつにありつき損ねないように終始耳をそばだて、家族の会話の中に知ってる言葉を見つけては嬉しそうに空を見つめながら尻尾を振った。
大好きな来客もすぐに誰だかあてた。耳も鼻も見えている時とは比べ物にならないくらいよく利くようになった。
私は家の中の家具を勝手に動かすことを禁止し、いつもケンピーがいるところでは自分の存在をしらせてくれるよう家族にも来客にも頼んだ。咳払いでも、鼻歌でもなんでもいい。ケンピーが不安にならないように。

今こうしてケンピーのことを長崎に言われて、しぶしぶ書き始めているうちに、どんどんケンピーとの思い出が蘇ってきて・・止まらなくなりそうだ。涙といっしょに。
もうすぐケンピーの命日。
そしてそれは私の誕生日。忘れるわけがない・・・。
 

小型犬の吠えその4 2004年08月31日(火)

  8月最後の日。台風が台風のまま北海道にやってくるのは珍しい。いつもなら途中で温帯低気圧に変わってしまうからだ。生暖かい強風がガーデンのニセアカシアを猛烈に揺らし、風に乗った雨が時折激しく窓を叩いた。
我をなくした自然と対峙する時は人間が冷静でなければならないと感じた。

ステップ3:犬は3度チャレンジする
3度目辺りのリードショックで吠えるのを止め、飼主を振り返った(我にかえった)時に「大丈夫!静かにしなさい」と冷静に声をかける。
犬が吠えているのは不安だからであり、叱ることは次の三つの理由で逆効果になる。
1.飼主の声に勇気付けられ、より吠える。
2.リードショックなどのコントロールに対してビビるようになってしまう。
3.「アイツに吠えたら叱られた」と、対象になった人や犬をいつまでも良く思わないようになる。

もう一度言おう。ショックは叱ることではなく我に返すことである。

さて、吠えるのを止めた犬も、数秒するとまた吠えるということを覚えておこう。
適切なコントロールを行った場合ですら、犬は3度チャレンジするということを事前に知っていれば、第2波第3波の吠えを取り乱すことなくすぐにコントロールすることができる。

ステップ4:強化
リードショックを行い、我にかえった時犬は振り向くと書いた。
犬は飼主の眼を見て真意を探ろうとしているのだ。
その飼主が涼しい顔をして「大丈夫」というのだから、犬は眼前の相手に集中して吠えることができる。
すると途端にショックがかかり、また飼主を振り返る。その時は1度目より冷静に飼主を見ている。
3度目のショックがかかった時、犬は飼主の真意を感じ取ることになる。
「大丈夫だと言ってるだろ。吠えるのはよせ!」と。

ここまでがうまくいけば犬は飼主に一目置くようになっている。だから「ああ、えらいね」などとへりくだった態度はとらないほうがよい。のだが、ここは演技で「ああ、えらいね」と言ってあげて、愛犬を大いに油断させよう。
犬は飼主がいつもの『使える奴』に戻ったと勘違いして、次の通行人や犬を見かけたら、また激しく吠えてくれるだろう。絶好の訓練チャンスがまた訪れたのである。

このようなことを繰り返すうちに、人も犬も制御というものを学ぶようになる。

しかし、数日前にも書いたが、このようなコントロールは本来不要である。
いい犬にめぐり会えさえすれば、どんな人でも神経が参るほどに吠える犬と暮らすことはないのだ。
犬種のスタンダードを守るためのドッグショーはそれはそれで重要な役割を果たしているのだろうが、そのチャンピオンが人と暮らしやすい犬であるとは限らないことを知っておこう。
暮らしやすい犬を前面に打ち出したドッグショーがあってもよいと思うし、ブリーダーは望まれているクォリティー高めて欲しい。
 

小型犬の吠えその3 2004年08月30日(月)

  犬との暮らし方は様々なタイプがあってよいが、窓を開け放した中で吠え続けさせたり、キャンプ場で無駄吠えを放置するのは誠にハタ迷惑であり、飼主の人間性が問われても仕方がない。頑張って治そうとした時期もあるのだろうが恐らく頑張り方が間違っていたのだと思う。

ステップ1:声をかけない
特に小型犬の場合、自宅は勿論飼主が傍にいたり、抱っこしていたり、あるいはリードを持っている時に吠える。
試しに吠えかかる相手にリードを持ってもらい、飼主が2メートルほど離れれば、威勢のよさは影を潜め、不安になって飼主のほうへ救いを求めるように駆け寄ろうとするだろう。
つまり、飼主の下で強気になり、いい気になり、あるいはそれが自分の使命とばかりに吠え立てているのだ。
その飼主が「ダメ!ノー!いけない!」と叫んだところで、犬の耳には「ほれ!頑張れ!私がついてるぞ!もっとやれ!」と聞こえているに違いない。
愛犬が可愛いのはよく分かるが、吠える時、犬は真剣で興奮し全霊を懸けていることを忘れてはいけない。飼主の声に勇気付けられ奮い立ち、いつもの我が子ではなくなっているのだ。
やることはただ一つ、全霊を懸けて我に返すことである。

ステップ2:叱らないこととリードショック
吠え立てる興奮の度合いによって力加減は当然変わるが、3度目のショックで犬が吠えるのを止め、飼主を振り向くようなリードショックを無言でかける。1度で吠えるのを止めたら、それはショックが強すぎたから。5度やっても振り向かなかったり吠えていたら、そのリードショックは弱すぎるということである。
リードショックとはショックをかけた直後にリードが弛んでいる状態であり、引っ張ることとは全く違うもので、これは我流でやるよりもレッスンで直々学んだほうがよい。
最初の段階ではショックをかけるとき決して叱ってはいけない。叱って止めさせるのが目的ではなく、あくまでも我に返すこと、いつもの愛犬の表情に戻すことが主眼である。
相当力を必要とするので、息が上がり血圧も上昇するだろうが決して叱ってはいけない。
室内で吠える場合には、レッスン段階では予め首輪に短いリードをつけておくとよい。

ステップ3:犬は3度チャレンジする(オリンピック観戦疲れのため、たぶん明日につづく)
 

小型犬の吠えその2 2004年08月29日(日)

  強い南西の風が体感温度を下げ、寒い寒い一日だった。ガーデンでは長袖が必需品となり、カフェ内の暖かさがありがたく感じられた。

そんな中、人懐っこいヨーキーとパピヨンがやってきた。
どちらも初めてのご来店だったが、ヨーキー二人組みは他犬に対しても友好的だったのに対し、パピヨンの方は犬が大の苦手で勇ましく吠え立てるシーンがあった。

独断と偏見で言うならシーズー・キャバリア・狆あたりは吠えにおいて問題が少なく、ヨーキー・パピヨン・ウェスティーなどが五分五分、チワワ・トイプー・Mダックス・Mシュナウザーは吠える傾向が高いといえるだろうか。
最近は少なくなってきたマルチーズやポメラニアンも吠える傾向が強いし、もう少し大きめの犬ではビーグル・シェルティーは吠えの代表犬である。
ただしこれらは警戒心による吠えの傾向であって、例えばトリマーの立場からすれば、噛まないウェスティーやビションフリーゼは殆どいないらしい。
犬を飼いたいけれどマンション暮らしなどで吠えの問題を重視しなければならない方は参考にしていただきたい。

しかし、現実に吠える犬と暮らしている方、あるいは吠える傾向が高いけど、その犬種が気に入っている方は、諦めずに接すればそこそこ大きな問題にはならずに育てることができると信じてチャレンジして欲しい。

『警戒心の吠え』
これを止めさせることは殆ど不可能と考えたほうがよい。
大声を小声の吠えに留めるのが関の山だ。
ただし、呼び鈴で吠えて困っている・窓の外を見て吠えている・散歩の時に前から来る犬や人を見て吠えるという三大症状をみてみると、確かに最初の二声三声は警戒の吠えであるが、それ以降は犬が図に乗りいい気になって感情の赴くがままに吠え続けている場合が殆どであり、これらはほぼ完全に止めさせることができる。(ヒント:人と犬の関係は決して民主的ではなく、飼主が思っているほど日本語を理解していない)
来客の際、玄関先で話もできないほどに吠える、などはこの典型であり、結局これらは飼主が許可し、あるいは日々奨励しているに過ぎないことを思い知るべきだと思う。そんなことはあり得ないのだ。(ヒント:犬は生半可な気持ちで吠えているのではなく全霊を懸けており、普段の精神状態ではない)

『自分の手を煩わせず、吠えるのを止めさせたい』
スイッチをひねれば(古い!押せば触れば)テレビが映り、洗濯が終わる。そんな時代だから楽を求める気持ちは分からないでもない。
声帯除去手術はそんな解決策の一つかもしれないが、余程のことがないとこの方法を選ばない飼主が多いのはまだ救いがある。
後ろめたさを感じながらも電圧ショックやスプレーが噴射される道具を使う人もいるが、これが役立たずであることを後に実感する。
訓練所に依頼しても数週間か数日で元に戻ってしまうだろう。
もし諦めないとしたら、結局は自分でやるしかないのだと気付いて欲しい。感情と理性を備えた生き物と暮らすことを望んだのだから、感情と理性それに知性を持って立ち向かってもらいたいと願う。
 

小型犬の吠えその1 2004年08月28日(土)

  小型犬の吠えについての質問が増加している。
楽しく心休まるペットライフを夢見て購入された方々の多くがこの問題に悩まされているようだが、その原因と対策について数回に渡りお話しよう。

原因1.特性
チワワ・Mダックス・Mシュナウザーが現在の吠えやすい犬種のトップスリーだろうか。
元々吠えやすい犬種特性というものがあるが、そもそも小型犬というのは余程用心深くしないとカラスにでも襲われかねないから、虚勢を張ってでも強がって相手を寄せ付けない態度を示しがちである。

原因2.育て方
愛らしく弱々しいその容姿や体型から、飼主はついつい甘やかし、小さな問題行動に目をつぶり、箱入り状態を作り、膝犬に育て、身の程を知らず分をわきまえない犬にしている。
甘噛みすること・飛びつくこと・室内を駆け回ること・椅子やテーブルに上ること、これらは室内小型犬では結構大目に見られるが、大型犬ならそうはいかない。同じ犬としての振る舞いをしていることに変わりはないはずなのに。

原因3.社会経験
これは小型・大型犬の両方に言えることだが、社会性・社会経験の不足。別な言い方をすれば世間知らずで、世の中に怖いと思うものを持ちすぎていること。

原因4.繁殖
これが恐らくは最大の原因といえる。
攻撃性や警戒心は後に訓練で植え付けることもできるが、そのほとんどは遺伝である。
吠えやすい犬種であったとしても、ほとんど吠えることなく愛想がよく寛大で大らかな犬はたくさんいるものだ。
ペットショップで仔犬を購入する人のほとんどはそのような犬を求めているはずで、それはショップもブリーダーもわかっているはずである。にもかかわらず、普段から警戒心で吠えているブリーダーの愛犬に、さらに吠えているオス犬をかけて子供を産ませ、苦労する愛犬家を増殖させている罪は重い。
普通警戒心による吠えは生後6ヶ月前後から始まるから、購入時に素人が判断するのは至難のことである。

原因はこの他にも過去の恐怖体験や中途半端に厳しすぎる接し方など様々あるだろうが、なにせこの欄も後半になると酒の勢いが勝ってしまうのでいい加減な内容になることをご容赦願いたい。(つづく)
 

忘れえぬケンピー 2004年08月27日(金)

  カフェ周辺には数週間前からススキの穂が目立っていたが、風にそよぎ、まもなくフルムーンを迎える月夜に照らされたススキのシルエットは秋の風情を充分に伝えてくれる。
こんな夜は一杯の焼酎でも心を落ち着かせてくれるものだ。

ケンピーは8歳の時完全失明した。
ケンピーは49キロもある超大型のゴールデンでその見事な被毛は見る者のため息を誘った。
そしてケンピーは私のパートナーKのかけがいのない愛犬だった。
光覚もない世界と衝突への恐怖から歩くことを拒否し、最低限のトイレの移動だけをKに頼って行っていた。
しかし、見えないという状況はKとケンピーとの間に言葉によるコミュニケーションを徐々に確立していったように思う。私が会った頃には歩行に必要な言葉、例えば、右とか左は勿論、階段上るよ・下るよ・溝をまたぐよなどの言葉は理解していたし、日常用語は恐らく何でも分かっていたはずだ。
欠けていたのは歩く喜びだった。
そんな時、私と再びめぐり合うことになった。
私の専門は犬ともうひとつ視覚障害リハビリテーションである。
見えないという恐怖を取り除き、見えなくてもどうすれば日常生活や歩行が支障なく行えるかというのも専門の一つだった。

何度か歩くうちにケンピーは完全なる信頼を私に寄せるようになった。
この人の言葉を聞いていれば絶対にぶつからない・つまずかない・周囲の状況がわかると思ってくれたのだろう。
徐々に行動範囲は広がり、広場では駆け回り、川に入って水遊びをするようになり、私に会った時には10メートルも手前から突進して喜びを体中で表現してくれていた。
車に乗って知らない場所へ出かけることもケンピーの楽しみになり、心配するKをなだめてはドライブに出掛け歩いた。

ケンピーの思い出については、近々Kに書いてもらおうと思っている。
今夜こんなことを書いたのは月明かりに揺れるススキを見て、9月4日のケンピーの命日が近づいたことを思い出したからである。
 

平均台完成! 2004年08月24日(火)

  先日から製作に取り掛かっていたワンちゃん用の平均台が夕方完成した。
上出来とはいえないが、まず使用に耐えるものができたと思っている。

幅は30センチでアプローチの傾斜は23度ほどだが、ゴールデンクラスになると、結構肝試しの遊具になる。
斜路には足掛け用の木が渡してあるとはいえ、表面は滑りやすく不安を煽るようにしておいた。
経験のない犬ならクリアするのに多少時間がかかるかもしれない。犬に恐怖心を抱かせるような方法で渡らせようとしたら断固拒否するはずである。
うまくできた時の達成感を人犬ともに楽しんでくれたら嬉しい。

完成後の渡り初めは、我が家の愛犬スーであった。最近の彼女は寝たきり状態だったので、少し刺激を与えたかったのだ。
「何ですかぁ、これ?」
怪訝な顔をしたが、誘導してやると重い体をよっこらしょと登り始めた。さすがに滑るらしく、指を大きく広げ爪を立てていたものの、私を信頼してくれて見事渡り終えた。

その後はミックスのチロル、ゴールデンのトム・ベルナ・海・空・ムーン、コッカーのチャーミーが次々にチャレンジした。
中でもみんなの笑いを誘ったのがベルナだった。
緊張し、途中で落下しそうになるのを支えられながら最後のスロープを下り終えると大きな拍手が起こった。途端にベルナは走り出し、自らスタート地点に行ってまた駆け上ったのである。黙っていれば何度でもやりそうな勢いに飼主のTさんは「ベルナ!みんなの邪魔するんじゃない。もう止めなさい」とたしなめていたが、その顔は笑顔で誇らしげだった。

夜、スーのトイレのため外に出ると札幌では珍しく濃い霧が立ち込めていた。
明日は所用、明後日は定休日でこの欄はお休みします。
 

チョークチェーンとハーネス 2004年08月23日(月)

  使い方を習ったわけでもないのにペットショップで勧められてチョークチェーンを使用している方が多い。
犬の負担が大きすぎると獣医さんに言われてハーネスを使用している方も多い。
どちらもしつけという面において、よい結果をもたらす可能性は低いといえる。

中型犬以上の犬種の場合、引っ張られることで散歩の際に相当な負担が飼主にかかってしまう。
『犬が引っ張ると首が絞まり、苦しさのあまり引っ張らなくなる』という説明を受けて、大いに期待してチョークチェーンを購入された方は多いだろう。
しかしその結果、犬は引っ張らなくなるどころか、ゼーゼー言いながら以前と同じかそれ以上の力で引くようになり、咳き込み、首の周囲の毛は擦り切れてしまっていることだろう。

訓練士にとってチョークチェーンはとても使いやすく、役に立つ道具である。しかし使い方を誤ればこのように首を痛め、気管や食道を圧迫する虐待用具であることを知っておかなければならない。
カフェではその使用法を知っている方、あるいは学んだ方以外には販売しないようにしているが、それでも中途半端に使用しておられる方が多い。
薬で言えば要指示薬場合によっては劇薬扱いしてもよいくらい注意が必要な代物だと思う。

次に小型犬に多く見られるハーネスであるが、首輪をして歩くとやはり引っ張りが強く、他犬を見たらヒィーヒィー言いながら引っ張り吠え付いてしまう。
その結果チョークチェーンと同じような症状が現れ、獣医さんに相談するとハーネスを勧められ、確かに症状は改善される。
しかしこれは、散歩の際の犬にかかっていた負担をすべて飼主が肩代わりしているだけで、『犬を育てる』という観点からすれば、何の効果も得られないばかりか、ハーネスでは全く訓練不能の状態になっていることを知るべきであろう。今後も犬は負担なく引っ張り、吠え続け、飼主がそれをカバーするという情けない状態が続くことを覚悟しておいたほうがよい。
どちらにも必要なことはコントロールテクニックであるのだが、「そういうことは私にはできない」という方は、せめてチョークチェーンの使用(虐待)は止め、対人傷害と対物損害保険に加入することを本気でお奨めしたい。
 

祝優勝!駒大苫小牧 2004年08月22日(日)

  今日は駒大苫小牧高校が北海道勢として初の決勝そして甲子園優勝をかけた大一番の日である。
朝から札幌は爽やかに晴れ渡り、開店間もない頃からワンちゃんたちが集まってくれた。
この時点で、カフェのお客は二つに分かれていた。
午前中をのんびりとカフェで過ごし、適度な疲れを犬たちに与えておいて、午後から自宅でじっくり野球観戦を予定しておられる方々。
もう一方は最初から今日一日をカフェで過ごすと決めておられる方々である。

お昼を過ぎた頃には、第1グループの方々が、そそくさと帰り支度を始められ、第2グループの方は余裕で腹ごしらえに取り掛かる。
そして、そこに午後からの第3グループの方々が加わり、カフェでの応援態勢は整った。
この頃からドッグカフェがスポーツカフェに変わった。

先制され、追い上げると突き放される。同点に追いつき、ついに逆転するも、さらに逆転されまた突き放される。
もはやこれまでかと思う間もなく、道産子たちは再び追い上げ、怒涛のような攻撃で再々逆転した。
カフェには大きな拍手と歓声が沸き起こり、犬たちは何事かと起き上がる。楽しいことがあったのだと分かると、膝に上ってきて顔を舐めまわしてくれた。
この時ガーデンでは遊ぶ犬たちの面倒をハスキーのチェス君のお母さんがひとりで見てくれていた。
野球に興味がなく自発的に番兵をしてくれていたものと思っていたら「あら?もう終わってしまったの?いつも私はこうなんだから」と悔しがっておられた。

いつもは静かなカフェで、人間たちが大騒ぎをする様子とその迫力を見て犬たちは思ったに違いない。
「ああ、この人たちにはかなわない!」と。

興奮冷め遣らぬガーデンで犬たちと遊んでいたら、第4グループとも言える来客があった。
「やいや、やいや、よかった、よかった」
サンダル履きのMダックスしじみの父さんが涼しい顔をしていた。
熱く、のどかな夏の終わりの一日だった。
 

再会 2004年08月21日(土)

  北海道盲導犬協会では今日から3日間の日程で、ユーザー研修会が開かれる。
協会を卒業した北海道・青森・秋田・岩手のユーザーが研修と親睦を兼ねて毎年今の時期に開催される30年以上の歴史があるセミナーである。
今年は38人のユーザーが盲導犬と共に参加すると伺った。

そのうちのお二人、秋田県大曲市のFさんと湯沢市のKさんが盲導犬を伴って、開店前のカフェにやってきてくれた。
秋田での仕事も多かった私には懐かしい秋田訛りが心地よく、お土産に頂いた稲庭うどんといぶりがっこ横手の銘酒出羽鶴は私にとって最高の品々であった。

「先生の元気を貰いに来ました」とFさん。
「私のことまだ見捨ててないでしょうね。」とKさん。
お二人とも努力家で、その意気込みに打たれて私も精一杯の熱意を持って仕事をさせてもらった。
以前にもこの欄で紹介したが、Fさんは通勤途中に散歩中の盲導犬ユーザーと話し込み、その間にそれぞれの盲導犬が入れ替わってしまったというエピソードの持ち主である。
Kさんは自分の目が不自由であることを知らず、他のみんなも自分のような見え方をしていると信じ込み、そのうえで自分だけがどぶに落ちたり、道に迷ったりするのは自分がドン臭いからだと長い間思い込んでいた女性だった。
視覚障害であると告知された時、人生が開放され気持ちが楽になったという変り種である。『どうぶつ奇想天外』でも登場した、盲導犬の奇跡を体験した方でもある。

二人のことを書けば何冊もの本が書けるくらい、波乱万丈の人生があった。長いお付き合いの中で何度かじっくり話し込んだこともあった。
専門職である私の話は彼女たちの人生に影響を与えたであろうし、奈落の底を見てきた彼女たちの体験は未熟者の私を育ててくれた。
時を隔てて今日、そのきっかけを作ってくれた盲導犬を足元にはべらせながら久しぶりの対面をし、屈託なく笑うお二人にまた元気を貰ったように思う。

カフェを開業した私の頭をかすめるようにいつも存在するものがある。
私が関わったユーザーみんなを取材し、その人生の軌跡を書き止めておきたいという願望である。
10年は今の仕事を頑張るしかないが、いずれ部分的にも着手したいと思っている。
それまでみんな死ぬなよ。と言ったら本気で笑われるだろうか?
 


- Web Diary ver 1.26 -