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今日のこの欄はパートナーKが担当する。
目が見えない朝はどんなだろう。 昨日までぼんやりながら見えていた世界が突然なくなってしまう恐怖は人間も犬も同じなのだろうか。
夕方、動物病院の駐車場でケンピーは車を降りて動かなくなった。何が起こったかわからずリードを引いて歩くように言う私の目に映ったのは、はじめて見るケンピーの姿だった。 まるでそこだけ大地震が起きたかのようにガクガクと大きく揺れているのである。 ケンピーが震えている。 おおよそ弱虫とは程遠く、何が起こっても悠然として、どんなに怒られても次の瞬間にはその毛量豊かなりっぱなしっぽをふっさふっさと振り、あれよあれよと言う間に勝手に細いつり橋を渡ってしまう天真爛漫、天衣無縫なケンピーはそこにはいなかった。
かかりつけの獣医さんの診断は「ぶどう膜炎」。治る見込みはないとのことだった。
人も犬も大好きで「世界中のみんなが僕を好き!」と思っているケンピーは注射でさえ喜んで受ける。でもその時、震え怯えるケンピーを前に私はこれ以上色々な検査をあちこちで受けることはやめようと思った。 人と犬が違うとすれば、犬は今の自分の現状をいち早く受け入れその中で自分が心地よくいられる状況をなんとしても作ろうとすることだ。 私ならどうするだろう。おそらく100%自分の不運を嘆き、周りの人の温かい言葉に深く傷つき、あれもできないこれもできないと落ち込み続けるに違いない。 ケンピーはそんな無駄は時間を過ごすことはなかった。大好きなおやつにありつき損ねないように終始耳をそばだて、家族の会話の中に知ってる言葉を見つけては嬉しそうに空を見つめながら尻尾を振った。 大好きな来客もすぐに誰だかあてた。耳も鼻も見えている時とは比べ物にならないくらいよく利くようになった。 私は家の中の家具を勝手に動かすことを禁止し、いつもケンピーがいるところでは自分の存在をしらせてくれるよう家族にも来客にも頼んだ。咳払いでも、鼻歌でもなんでもいい。ケンピーが不安にならないように。
今こうしてケンピーのことを長崎に言われて、しぶしぶ書き始めているうちに、どんどんケンピーとの思い出が蘇ってきて・・止まらなくなりそうだ。涙といっしょに。 もうすぐケンピーの命日。 そしてそれは私の誕生日。忘れるわけがない・・・。
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